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ルキノ・ヴィスコンティ『家族の肖像 Gruppo di famiglia in un interno』1974年

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2022/05/26 (Thu) 16:49:51

ルキノ・ヴィスコンティ『家族の肖像 Gruppo di famiglia in un interno』1974年

監督 ルキノ・ヴィスコンティ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ スーゾ・チェッキ・ダミーコ エンリコ・メディオーリ
音楽 フランコ・マンニーノ
撮影 パスクァリーノ・デ・サンティス
公開 1974年12月10日

動画
https://www.youtube.com/watch?v=DtPiD4mZmYk

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『家族の肖像』(イタリア語: Gruppo di famiglia in un interno / 英語: Conversation Piece)は、1974年公開のイタリア・フランス合作映画である。監督はルキノ・ヴィスコンティ。カラー、スコープサイズ(トッドAO35、2.35:1)、121分。

孤独な老教授(最後まで名前は明かされない)と、新世代の若者たちとの交流を描いたヴィスコンティの代表作。英語題の「Conversation Piece」とは、18世紀イギリスで流行した「家族の団欒を描いた絵画」のこと。撮影は全て教授のアパルトマンのセットの中で行われ、これは教授の閉ざされた内的世界の表現であると共に、血栓症で倒れたヴィスコンティの移動能力の限界でもある。日本ではヴィスコンティの死後、1978年に公開され大ヒットを記録、ヴィスコンティ・ブームが起こった。


ストーリー
教授(バート・ランカスター)はローマのアパルトマンで絵画の収集・研究をしながら、管理人のドメニコと家政婦のエルミニアと共に静かに暮らしていた。そこへビアンカ(シルヴァーナ・マンガーノ)とその娘リエッタ(クラウディア・マルサーニ)およびリエッタの同居人ステファノ(ステファノ・パトリッツィ)、そしてビアンカの愛人コンラッド(ヘルムート・バーガー)がやってきて、上階を貸してくれるように頼みに来る。教授は静かな生活が壊されることを恐れて断るが、しつこく頼まれて仕方なくコンラッドを住ませることになった。

教授はあまりにも価値観の違う若者たちの行動に気が滅入る思いだったが、コンラッドが類いまれなる芸術の理解者であることを知って興味を覚える。コンラッドはかつては学問好きの青年だったのだが、過激な左翼思想に傾倒して学業を中断し、今は昔の仲間に追われていた。ビアンカの夫は実業家で、ファシズムを支持する右翼の過激派と通じていた。

ある晩、教授は心を開いて彼らを夕食に誘ったが、ビアンカの夫の話になったのがきっかけで口論になり、ステファノとコンラッドが思想的立場の違いから激しく対立して取っ組み合いの喧嘩になり、教授はなす術もなく、コンラッドは立ち去ってしまった。教授は「家族ができたと思えばよかった」と、今までの自分の態度を悔やんだ。翌日、コンラッドは教授に手紙を残して上階で爆死した。衝撃を受けた教授は死の床についた。


キャスト
※括弧内は日本語吹替(ソフト未収録)

教授 - バート・ランカスター(鈴木瑞穂)
コンラッド - ヘルムート・バーガー(野沢那智)
ビアンカ - シルヴァーナ・マンガーノ(此島愛子)
リエッタ - クラウディア・マルサーニ(戸田恵子)
ステファノ - ステファノ・パトリッツィ(神谷和夫)
エルミニア - エルヴィラ・コルテーゼ(中村紀子子)
ミケーリ弁護士 - ロモロ・ヴァリ(仲木隆司)
教授の妻 - クラウディア・カルディナーレ(クレジットなし)(小原乃梨子)
教授の母親 - ドミニク・サンダ(クレジットなし)(小原乃梨子)


その他
イヴァ・ザニッキの『Testarda io』やモーツァルトの交響曲が音楽として使われている。
リエッタが引用する詩句「There's no sex life in the grave(墓場にベッドは持ち込めない)」は、W・H・オーデンの詩。
ビアンカの夫のモデルの一人は1970年に軍事クーデターを起こそうとして失敗したファシストのユニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼである。物語の中では当時のイタリアとコンラッドの出身地である西ドイツの状況、例えば赤い旅団による工場の襲撃、ハイジャックの頻発、右翼テロ、出版王でありながら新左翼活動家だったジャン・ジャコモ・フェルトリネッリの謎の爆死、西ドイツにおける新左翼運動、ドラッグやフリーセックスといった当時の若者のカウンターカルチャー、世界中を遊び回るジェット族と呼ばれる有閑階級といった事象が反映されている。
リエッタ役のクラウディア・マルサーニは当時15歳で、前年のミス・ティーン・イタリアだった。
ステファノ役のステファノ・パトリッツィは『ルートヴィヒ』の編集助手だった。1980年代初頭に俳優を辞め、広告映像の会社を起業。オメガの東京オリンピックのCMなどを制作している

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
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2022/08/22 (Mon) 12:20:08


「映画の中のクラシック音楽」 
配信日 03年9月28日
取り上げた映画作品 家族の肖像 英語での原題は《CONVERSATION PIECE》
制作 74年 イタリア&フランス合作
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
出演 バート・ランカスター,ヘルムート・バーガー,シルヴィーナ・マンガーノ
受賞 75年バリャドリッド国際映画週間“Espiga de oro”賞受賞
言及された音楽家 カール・ベームとレナード・バーンスタイン
言及された意図 伝統との向き合い方
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-09/03-09-28.html

レナード・バーンスタインとカール・ベーム。
オーケストラの指揮者として20世紀を代表する人です。
「この二人の音楽性の違いや背景の違いを映画の表現に利用する。」
クラシック音楽を映画において引用する場合に、このような「演奏家の違いを引用する」方法もあります。

クラシック音楽の作品そのものの歌詞やドラマを引用する場合には、その歌詞やドラマのみを考えればいい。しかし複数の作品や演奏家が引用されている場合には、それらの違いについて考える必要が出てきます。「どうして彼はこちらの音楽家が好きなのか?」を考えることにより見えてくることもあるわけ。登場人物のキャラクターの違いが、それぞれが言及した作曲家や演奏家のキャラクターの違いによって、表現されているわけです。

今回取り上げる作品は、ルキノ・ヴィスコンティ晩年の作品である《家族の肖像》です。英語での原題は《CONVERSATION PIECE》。
この作品において、隠居している老教授が「私はレナード・バーンスタインの指揮が好き。」と言い、学生運動に身を投じている左翼過激派学生が「私はカール・ベームの指揮が好き。」と応える「会話」があります。この会話によって「レナード・バーンスタインが好きな人」と「カール・ベームが好きな人」というキャラクターの違いが映画の中で表現されているわけです。映画を見ている観客は「この老教授はバーンスタインのどこが好きなのだろうか?」「過激派学生は何故にカール・ベームの音楽が好きなのだろうか?」と疑問を持つことになる。その疑問から映画作品についての理解が深まるわけです。

では、映画《家族の肖像》とはどのような作品なのでしょうか?
場所は 1970年代のローマ。時期的には映画の制作年代と同時期です。隠居している老教授の下に、下宿人としてドイツ人の過激派学生が住むことになる。過激派ですので、何かと問題を起こす。加えて当然のこととしてジェネレーション・ギャップも存在する。若い人たちは何かとやらかし、大騒ぎとなってしまう。そんな大騒ぎやギャップに対して最初は反発していた老教授もその問題そのものを受け入れ、「この問題が存在する世界そのものが家族なんだ。」と納得し、世を去ることになる。

ここで老教授を演じているのは、64年の作品《山猫》でも主演を担当したバート・ランカスター。そしてドイツ人の左翼過激派コンラッドを演じているのはヴィスコンティ作品の常連のヘルムート・バーガーです。また監督のヴィスコンティは、過激派学生を連れてくる、何かと問題を起こすブルジョアのブルモンティ侯爵夫人の役に当初はオードリー・ヘップバーンを希望していたそうです。彼女は当時イタリア人と結婚していたので候補に挙がったのかもしれませんが、ヘップバーンが拒否したそうです。

ヴィスコンティとオードリー・ヘップバーンの組み合わせが、もしかすると実現したかもしれないと思うと、今となっては残念に思う人も多いでしょう。実際の映画では《ルードヴィッヒ》や《ヴェニスに死す》でもヴィスコンティ作品に出演したシルヴィーナ・マンガーノが演じています。

バート・ランカスター演じる老教授のキャラクターは《山猫》でのキャラクターと実質上は同じものです。設定となっている時代は19世紀と20世紀と全然違っていますが、ほぼ同一人物と言っても過言ではないでしょう。
伝統的古典教養があり、孤高精神。漂う重厚さ。

《山猫》でアラン・ドロンが演じたキャラクターと、ヘルムート・バーガーが《家族の肖像》で演じているキャラクターとも関連性が多くあります。
現状の政治を改革しようとする意思がある。年齢的な若さにもかかわらず、品格や教養も持っている。勿論のこと、《山猫》でのサリーナ公爵や、この《家族の肖像》での老教授ほどの品格や教養のレベルまでは達していませんが、その可能性は十分に持っている人です。もう一つの相似点は言うまでもなく外見的に大変な美形。

現状の中で、孤高の精神を持つがゆえに孤独になる人と、蛮勇をもって改革に飛び込んでいく人、その違い。《山猫》と同じ俳優を使って同じキャラクターやテーマを表現しているわけです。「本をインテリアとして捉えている。」というエピソードが出てくることも《山猫》と《家族の肖像》とも共通です。

しかし、人間はお互いが違っているだけでは理解が生まれない。お互いへの敬意が必要ですね?そこでレナード・バーンスタインとカール・ベームが言及されることとなる。

隠居した老教授が、左翼学生とレコードのモーツァルトのアリア集を聴きます。使われている音楽はK.418の「あなたに明かしたい、おお、神よ!」。この曲の最初のフレーズは「神よ、あなたにお伝えできれば、私のこの苦しみが・・・」というもの。
そして2人で指揮者談義をする。
その隠居した老教授が「私はレナード・バーンスタインの指揮が好きだ。ニューヨークからこのレコードをわざわざ取り寄せた。」と言い、それに対し学生運動に身を投じた、過激な左翼運動家コンラッドが「私はカール・ベームの指揮のレコードを持っている。」と答える。

逆の組み合わせでしたら、何も面白くもありません。
隠居した老教授がバーンスタインを好きで、過激な学生運動家がカール・ベームを愛好する、その組み合わせだからドラマとして面白いわけです。

レナード・バーンスタインは1918年生まれのアメリカの指揮者。そして作曲家でもある人。有名なミュージカル作品の「ウェスト・サイド・ストーリー」の音楽の作曲も彼です。他の作曲家の作品を指揮する場合でも、非常に活気のある音楽を作った人でした。作曲家としての活動においてもジャズの要素を取り入れたりして、エネルギッシュな音楽でした。しかし、ヨーロッパのクラシック音楽の伝統に対しても深い敬意を抱いていた音楽家です。

それに対し、カール・ベームは19世紀の1894年にオーストリアに生まれた人です。若い頃は当時の新しい音楽も指揮したりしていましたが、第二次大戦後は伝統的な音楽を伝統的に演奏する指揮者として尊敬されていました。よく言われるいい方を用いますと保守本流と言える人です。

つまり学生運動をしている過激派学生は、「カール・ベームが好き」ということで、実は伝統に対して非常な敬意と「眼力」があることが示されるわけです。別に単なる伝統破壊論者ではないわけです。

また、老教授は「レナード・バーンスタインが好き」ということで、「自らが体現している伝統を乗り越えたい。」と思っているわけです。伝統を破壊するのではなく、乗り越える。その「思い」をバーンスタインという指揮者で表現しています。

もし、逆の組み合わせだったら単純すぎるものになります。若くて過激な学生がバーンスタインのエネルギッシュな音楽を好きで、隠居した老教授が落ち着いたカール・ベームの音楽を好きであれば、あまりに単純な組み合わせとなってしまう。これではお互いの理解と共感が得られません。

老教授は自分自身の限界、そしてヨーロッパ世界の限界というものを十分に感じている。だからこそその限界を乗り越える必要を感じ、それを切望している。それを「レナード・バーンスタインが好き。」というセリフで表現しているわけです。

またこの隠居老人は一人で隠居しているのですが、家族が集まった情景を描いた絵画の収集を趣味としている。自分自身の孤独な境遇をそれなりに満足しながら、やはり「家族の情景」に憧れを持っている。
自分自身にそれなりに満足しながら、それを乗り越えたい。そのような老教授の心情が絵画の収集や指揮者の好みで表現されています。

そして、過激な左翼学生運動家もそのような老教授が収集している絵画の美醜がわかる人。ヨーロッパの伝統の価値も理解しているわけです。だからカール・ベームという伝統を背負った指揮者の価値もわかることとなる。
このドイツ人学生は、英語やイタリア語もフランス語も話せる。単なる美術の美醜がわかるだけでなく、画家の背景まで理解している相当な教養人でもあります。聖書の言葉もいとも簡単に引用できる古典教養を身に付けた過激派学生。
逆に言うと、だからこそヨーロッパ世界の限界がよくわかってしまうわけでしょうね。

このようにちょっとした会話で、お互いの立場と共感が観客に示されることになるわけです。しかし、バーンスタインとベームの音楽性や背景の違いがわかっていないと、理解できないやり取りです。
現在はお二人ともお亡くなりになっていますから、意味がわからない人も多くなっているでしょう。

また、バーンスタイン指揮やカール・ベーム指揮のモーツァルトのアリア集のレコードなどは聞いたことありません。実際問題存在するのでしょうか?
K.418はアリアはコンサート用アリアとされています。オペラの全曲として演奏されるのではなく、コンサートにおいて単独で演奏されるものです。レコードにおいてもオペラの全曲盤に収められるものではなくて、モーツァルトのアリア集といった類のレコードに収録されるもの。そもそもアリア集というものは、歌手がタイトルに来るのが通例です。
エディット・マティスが歌うモーツァルトのアリア集とか、プラチド・ドミンゴが歌うヴェルディのアリア集という歌手主体のものです。

カール・ベームやレナード・バーンスタインのような超一流の指揮者が指揮する、つまり伴奏に回ったモーツァルトのアリア集というのは一般的ではないわけです。実際問題そんなレコードが存在するのか疑問です。音楽に通暁している監督のヴィスコンティが不自然であることを承知の上でカール・ベーム指揮やレナード・バーンスタイン指揮のアリア集というセリフを使ったのは、それだけ、ベームとバーンスタインの音楽性の違いを引用したかったことがわかります。

また選択した曲目自体も意味があるでしょう。モーツァルトのコンサート用アリアですと別の選択もあるわけです。一番ポピュラーな作品ですとK.165のモテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」となります。「ハレルヤ!ハレルヤ!」と歌う明るい曲。このK.165のモテットの方がはるかに有名で、楽しい曲です。あえて「神よ、あなたにお伝えできれば、私のこの苦しみが・・・」と歌う悲痛な曲を選択したことにより、老教授の悲痛な心情が表現されることになります。この老教授の悲痛な心情は同じモーツァルトの協奏交響曲の悲痛な第2楽章でも強調されることになります。

曲目の選択によって老教授の孤独感が表現されることとなる。そのような孤独な境遇に登場したのが過激派学生のコンラッドだったわけです。この《家族の肖像》と言う作品ですが、原題は“Conversation Piece”。これは家族の集まりを描いたイギリスの肖像画のジャンルを表しているわけですが、言葉どおりの読み方もできます。つまり「会話」の「寄せ集め」。
しかし、この《家族の肖像》という作品では「会話」が成立しているシーンが少ない。老教授とブルモンティ侯爵夫人は最初から最後までかみ合わない。唯一会話らしい会話が展開されているのが老教授とコンラッドの間のみです。
だからこそ老教授は狂喜することになるわけ。

境遇は違っていても、二人とも教養があり、品性もあり、静寂や孤独の価値も理解している。そしてヨーロッパの限界を認識している。ヨーロッパの伝統を守っているカール・ベームの価値を理解できる過激派と、ヨーロッパの価値を理解しつつ、それを乗り越えようとするレナード・バーンスタインを愛する老教授。
実際にカール・ベームとレナード・バーンスタインは仲がよかったとのことです。

またレナード・バーンスタインは政治的には過激な活動をしました。アメリカ国内で過激なイスラム教の団体とも親交があった人です。保守的なニクソン大統領の就任に抗議したりもしました。
晩年は平和運動のレベルに落ち着きましたが。

監督のヴィスコンティ自身も若い頃は左翼的な過激な政治運動に深く関わりました。
ヨーロッパの伝統を破壊し、乗り越えようとしたわけです。
そして晩年は、豪華絢爛な様式に進んでいくこととなる。

いわば、映画における左翼過激派学生と、隠居した老教授という二人の登場人物により、ヴィスコンティのヤヌス的キャラクターを示しているわけです。
しかし、《家族の肖像》という作品で示されているように、片方が失われてしまうと、もう一方も生命力を喪失することになる。二人は二人合わさって一つの存在と言えるわけです。
ヴィスコンティは、ヘルムート・バーガー演じるコンラッドであり、バート・ランカスター演じる老教授である。
そしてレナード・バーンスタインの面を持ち、カール・ベームの一面も持つ。

《家族の肖像》という作品は、「ヴィスコンティの肖像」でもあるわけです。
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-09/03-09-28.html
3:777 :

2022/08/22 (Mon) 13:16:39

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もう配信は全巻終了しております。

07年7月から07年12月まで配信していたメールマガジン「映画とクラシック音楽の周囲集」のバックナンバー
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「複数回取り上げた監督&原作者」・・・監督別でのリストです。
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「引用元の使い方で分類」・・・引用した作品のどの面を使ったのかによって分類したものです。
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追加の文章・・・特定の映画作品などについての、ちょっとした雑感です。
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オペラの台本について・・・興味深いオペラの台本についての文章のリスト
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①過去に配信されていた機能不全家族に関するメールマガジンを収録したサイトである「ダメダメ家庭の目次録」


②ミラーサイトの記事

を、さらに

③MediumのPublication「ダメダメ家庭の目次録」

へ転載したものです。

したがって、山崎奨は著作者ではありません。
記事は全てミラーサイトから、誤字脱字等も修正することなく、MediumのPublicationに転載しています。

「ダメダメ家庭の目次録」 の記事の著者は、ハンドルネーム「ノルマンノルマン」氏とのことですが、連絡が取れない状態です。
レスポンシブ化および広告の非表示化によって、記事の参照を容易にすることを目的として、MediumのPublicationに転載することとしました。

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