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2022/05/24 (Tue) 16:52:47
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イングマール・ベルイマン『モーツァルト 魔笛 Trollflöjten』1975年
監督 イングマール・ベルイマン
脚本 エマヌエル・シカネーダー イングマール・ベルイマン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
公開 1975年1月1日
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
指揮:エリック・エリクソン
演奏:スウェーデン放送交響楽団、合唱団
動画
https://www.youtube.com/watch?v=ufQxByt7dNM
設定→字幕→自動翻訳→日本語 で日本語字幕が出ます
『魔笛』(スウェーデン語: Trollflöjten、英語: The Magic Flute)は、モーツァルト作曲のオペラ『魔笛』を題材にした、イングマール・ベルイマン監督による1975年公開のスウェーデンの映画。もともとは元日のテレビ放送用の作品であったが、その芸術性の高さから映画に仕立て直され、諸外国にも配給された。日本では1976年に公開されている。
演出
小劇場での上演を撮影している、という設定で演出されている。この劇場はストックホルム郊外にあるドロットニングホルム宮廷劇場という、1760年に建てられた200席ほどの劇場であるが、あくまで設定であって、撮影自体はほとんどがスタジオで行われた。この演出はこの音楽劇の素朴な雰囲気をよく現しているといえる。冒頭、タミーノを追って現れる竜は全くの着ぐるみであるし、また前奏や間奏の時の映像には出演者がくつろいでいたり、幕の隙間から観客席を覗く光景なども挟み込まれている。客席の少女(ベルイマン監督の娘)の顔も何度も登場する。
正月のテレビ用ということで、原語のドイツ語でなくスウェーデン語で演じられ、また、フリーメイソンの儀式にかかわる部分などは省略が行われている。
キャスト
タミーノ:ヨゼフ・コストリンガー
パミーナ:イルマ・ウルリラ
パパゲーノ:ホーカン・ハーゲゴール
パパゲーナ:エリザベト・エリクソン
夜の女王:ビルギット・ノルディーン
ザラストロ:ウルリック・コールド
モノスタトス:ラグナール・ウルフンク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%AC%9B_(1975%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
最美の音楽は何か? _ モーツァルト『魔笛 K. 620b』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/254.html
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2022/05/26 (Thu) 17:52:50
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映画の巨匠ベルイマンの魔笛です。通常の魔笛の舞台の映画ではなく長い準備期間と何ヶ月も撮影期間をかけた映像作品です。スウェーデンの国営放送のための番組として作られたので画面サイズは4:3のスタンダードサイズ、言葉もドイツ語でなくスウェーデン語です。子供も楽しめるように随所にスェーデン語の歌詞カードが出ます。
この魔笛の特徴はものすごく官能的だということです。
3人の侍女の登場シーン(タミーノやパパゲーノ)のからみやモノスタトスのストレートな愛情表現、パパゲーノとパパゲーナのお互いの服を脱がしあうアリアなどすごくエロチックです。
またザラストロよ夜の女王が国の覇権を争う分かれた夫婦という設定となっています。
1幕では子供を奪われた哀れな母親であった塊??の女王が2幕ではザラストを暗殺しようとする暗殺集団の長へと様変わりするのがわかりやすくなっています。
普通の魔笛はこのへん説明がないので見ていて頭がこんがらがるのですがなんとか合理性をもたせています。
配役もよくできています。ものすごく人の良さそうなお兄さんのパパゲーノ、むちゃくちゃチャーミングなパパゲーナ、清楚なパミーノ、出だしは頼りないが少しずつ成長していくタミーノ。
本当に賢そうな賢者ザラストロ、前半と後半でドラマチックに変身する夜の女王。
ものすごく官能的な3人の侍女。
ものすごくきれいなメロディを歌う3人の童子だって服ぬいじゃいます。
いやらしさたっぷりでちょっと寂しいモノスタトス。ロールプレイングにも使えそうな設定です。
さていろいろ書きましたが、この魔笛はなんと言ってもわかりやすいです。うちの奥さんも初めて筋が理解できたと言ってます。
色ぽいだけでなく歌もりっぱです。登場人物が多いので通常どこか配役に不満が出るのですがよくできています。録音もすごくいい。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B000091LEO/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
ベルイマンが元旦の子供のための特別番組として演出・撮影した「魔笛」。
彼が子供の頃から愛好した数少ないオペラ。 演奏のテンポは遅め。
女性はみな美人で、特に三人の侍女はチャーミング!
沈黙の行の二人に侍女達が来る場面で、侍女たちは二人を熱く誘惑する。
弁者は書物に囲まれた学者。
パパゲーナは老婆ではなく醜女で登場。
雪の降る場面が特に美しい(パミーナの絶望の場面と、それに続いてパパゲーノの嘆きの場面)。魔法のベルが鳴って、パパパの二重唱が始まると、雪解けで花が開き始め、二人はぶ厚い毛皮のコートを脱ぎ始める。
タミーノとパミーナの試練の場を、この二重唱の後に移動していた。
試練の火の世界では、半裸体の群像がうごめく。
水の世界も同様。夜の女王の軍隊は四十人規模で黒い鎧を着ている。
吉田秀和『僕のオペラ』(海竜社、2010年)でも、観客の少女の映像には「つまらないことをする」と閉口していました。しかし、天下のベルイマンだからと最後まで映画館のひどい客席に我慢して座り、見つづけて良かった、
ベルイマンが性的なもの、肉欲的なものを罪悪と感じ、そのけがれにまどわされぬものこそ真の勝利者だと考えていることが判った
と屈折した批評を書いています。 同感です。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/cr/rR2OJVHK9P9EOF4
私が初めて『魔笛』に親しんだのは、LPや放送ではなく、スウェーデンの映画監督のイングマール・ベルイマンの映画『魔笛』(1974年制作のテレビ映画)によってだった。
この映画はイントロダクションとして観客少女の視点が描かれる以外はほとんどこのオペラの舞台での歌唱・演技・演奏の全曲を映像化したもので、特にパミーナを演じた歌手(女優?)の美しさが印象に残っている。
そして、夜の女王とザラストロの関係についてはこの映画は非常に独特な個性的な解釈をしている。善が悪に、悪が善にという初歩的な破綻というほどのストーリーの不整合をどう考えるかがこのオペラの鑑賞の眼目の一つであり、ストーリーの破綻を棚上げして音楽だけを楽しもうという立場もあれば、それに合理的な説明をしながら全体を調和したものとみる立場もあり、その他にもいろいろな解釈がある(その一つに下記のフリーメーソン的な解釈があるあるようだ。)これについて、自分の中で解決がついたわけではないが、よくある神話的な不整合とみてもいいのではと思っている。
http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2006/11/post_cd91.html
特徴的なのは、ザラストロと夜の女王が、憎みあって別れた夫婦になっていることでしょうか。そう見えました。親権を争う父母というところ。パミーナが、ひどく暗い陰険な表情を見せることもあり、これはちょっと印象的というか、迫るものがあります。じっくり眺めていると、なんというか、奇妙に暗い不思議な雰囲気が迫ってきます。ほとんど画面いっぱいの顔の大写しが、ある意味効果的なのかも・・・
ちらっと意味不明の場面も入ります。舞台裏を映しているのかしらとも思いますが、パルジファルという題の本を読んでいるザラストロに対して、だらしない格好でお付きたちに化粧を直させている女王とか。女王も侍女たちもなぜかたばこをふかしています。タミーノとパミーナは楽しそうにチェスをやってます。
場面の順序、多少入れ替え、カットも? があるようです。歌の繰り返し、台詞など、かなり省かれたり、短縮されているようで、演奏時間はおよそ2時間になっています。
パパゲーノとパパゲーナの年齢会話は、大笑いしながら、
「年は?」
「18歳と2分よ」
「ずいぶん若いんだね」
「恋人もいたりして・・」
「もちろんよ」
「若いの?」
「う〜〜ん、10歳ぐらい上」
と続きます。字幕情報です。この映画はスウェーデン語です。そして、フィナーレに、子沢山で登場します。
http://euridiceneeds.blog.so-net.ne.jp/2005-09-02
映画中には隠されたメッセージがいろいろあるように思われる。
例えば、第2幕でパパゲーノの持つ魔法の鈴がクローズアップされると、男女の艶めかしい姿(?)が描かれていたり
繰り返し何度も観て、ベルイマン監督の「魔笛」に刷り込んだ真意をより研究したいと思っているところ
http://classic.opus-3.net/blog/?p=10272
就寝中の姫を襲おうとする奴隷頭モノスタトスの歌にこめられた、女ができないのは自分の黒い肌のせいという嘆き。彼女にふられるのは、肌の色でなく貴方の心のありようだと伝えたいではないか。そこへ「夜の女王」がやってきて復讐を誓う有名なアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」 がははじまる。玉がころがるような難技巧コロラトゥーラを披露して盛り上がる女王の歌は、娘への威嚇でもある。姫にとっては父であり、自分にとっては夫であるザラストロを刺すようにと命じて剣をおしつける「夜の女王」の豹変ぶりに驚きおびえる姫。おびえるのは姫だけではない。
悪魔とののしられたザラストロが、思慮深く娘思いのパパだったと理解するにつれ、ママ「夜の女王」の憎い夫謀殺案の手口には、夫婦の深い溝と憎しみに笑えるくらいに戦慄する。悪と善が完全に入れ替わる意外性は、このオペラに大衆をあきさせないおもしろみと、社会のシステムへの不満のガスぬきをも与えている。これは、現代でも充分に通用する。またこのあたりの母と娘の関係は、妊娠中の安達祐実さんと、ヌード写真集を出すというママのあり方を彷彿させる。
軽率で野卑だが本音を炸裂するパパゲーノと、真面目でいいつけをきちんと守る王子の対比。一度は、王子の心変わりを疑い、絶望のあまり剣で自殺しようとまで思いつめた姫の純粋さと底の浅さ。未来の婿殿の肝試しをする父としてのザラストロの威厳と絶対性の息の詰まる迫力、復讐のためだったら娘さえも道具とする女の凄みを感じさせる夜の女王。
あくまでも格調高く芸術作品に撮ったイングマル・ベルイマンの映画をきっかけに、モーツァルトを再発見し、オペラの魅力にめざめつつある、かもしれない。やっぱりオペラは、CDで聴くだけではね・・・。
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/5280ad0a4760e364c229874fd294a921
オペラ「魔笛」を超えたベルイマンの「魔笛」
12歳にして既にワグネリアン(ワーグナー信者)だったという。そんなベルイマンがフランス・オペラの作曲家アンブロワーズ・トマの「ミニョン」と共に無二受け入れたオペラがモーツァルトのオペラ「魔笛」。
本作「魔笛」は演劇と映画を知り尽くしている人だから撮りえた映像、演出方法だと思う。
オペラ「魔笛」を愛し、自らの血肉ともなっているからこそ描きえた作品だと思う。
そして子供も楽しめる楽しさ、分かりやすさ。
本作をみて私も改めて「魔笛」の魅力を教えてもらった。
「われわれの職業はエンタテイメントです。楽しさといっても陽気なのも深刻なのもありますが、重要なのはそれは皆観客のためのものだということです。観客なんかどうでもいいという人がいますが、ぼくには理解できませんね、われわれを認めてくれるのは観客なんですからね」(「ヴェッコ・レヴィーン」誌・1956年第九号)
「魔笛」の序曲が流れる。
オペラ「魔笛」が上演されているストックホルム市郊外の小島にあるドロットニングホルム王立劇場の外観から始まる映像。
この劇場は1760年に建てられ、国王グスタフ3世の暗殺現場で彼の死後閉鎖されたままであったが、20世紀に入ってから封印が解かれ、夏の間だけオペラ上演がされるようになった劇場。200席ほどのこの劇場は、ロココ調の内装と18世紀当時の舞台機能がsんまま残されている稀有な劇場で、この映画で一躍世界的に脚光を浴びたそうです。長時間のライトの持込は危険なため、ほとんどのシーンをスタジオで再現して撮影とのこと。
そして舞台正面。
世界各国のあらゆる世代の人々の、舞台を見ている表情がクローズアップで次々と映し出されれていく。この中にはベルイマン作品の常連のエルランド・ヨセフソン、撮影のスヴェン・ニイクヴィストの貌も見える。そしてベルイマンとリブ・ウルマンの娘の顔も映されているとのこと。途中幾度か舞台をじっと見入る少女の顔が映し出されているけれど彼女かしら。二人によく似ている。利発そうな目をした子。
これも演出の一つなのでしょう。途中何度か舞台をみている少女の映像が挿入されるが、目障りでなく、むしろ見る側としてほっと一息つくそのタイミングで挿入されており、この辺りにも観客の呼吸に視線をおいたベルイマンの演出の巧みさというか、鋭い感性を感じる。見るものに舞台劇を印象付ける。
拍手と共に第一幕の幕が開く。
みるからに張りぼてのユーモラスな恐竜が現われ王子タミーノを襲う。3人の侍女が恐竜を退治し、夜の女王に報告に行く。舞台で演じられている劇であることを感じさせる。
画面が変わり、
ここから一挙に映画とオペラの「魔笛」の世界に誘い込まれる。
道化役パパゲーノが寝過ごして大慌てで舞台に登場する。
あくまでも額縁の中で演じられる舞台劇という印象を見せながら、スタジオ撮影の映像がなんの違和感なく舞台と繋がる。
また歌の場面では歌詞の一部がパネルで現われたり、幕間があり楽屋裏を映すという大胆な演出も行っている。けれど、この幕間がさらに登場人物たちをより強く印象付ける効果をもたらしている。それが次の第2幕に自然に引き継がれていく。
大胆奇抜ともいえるこれらの演出が、物語の世界を損なうことなく、むしろ見るものにより分かりやすく、その印象を深くしている。
オペラ「魔笛」も見ていて、舞台を現代に置き換えて映画化されたケネス・プラナーの「魔笛」も見た私は、そして見ている私が更に誘い込まれる、ベルイマンのこの演出は見事というしかない。知り尽くしたからこその演出方法。
舞台美術も素晴らしい。
撮影はベルイマンとコンビを組んでいるスヴェン・ニクヴィスト。彼の撮影する光は素晴らしい。
本作も冒頭の映像が素晴らしい。時刻は夕暮れでしょうか。茜色に染まる水の揺らぎ、そして夕日で茜色の中の木立、その向こうに見える劇場。「叫びとささやき」では北欧のしんと冷えたく冴え渡る空気すら感じる木立に差し込む光。好きな映像です。
本作は、スウェーデン放送協会が創立50周年の記念番組として1975年の元旦放送用に「魔笛」のテレビ版をベルイマンに依頼した作品とのこと。子供たちもわかるようにとオリジナルのドイツ語による歌唱ではなくてスウェーデン語による翻訳だったそうです。
出来上がった作品は世界が放っておく訳がなく、カンヌ映画祭では特別上映され、絶賛を浴び、その後各国で上映され、数数の賞を受賞し、全米批評家協会賞では「オペラをいいかに満足に映画化することへの実践」という特別賞を受賞しています。
台本はベルイマン自身によって改編され、原作のフリーメーソンの秘儀的な部分は大幅に削られ、また話の流れの順序も一部変更をしたそうです。登場する役者は全てオペラ歌手を起用していますが、美声よりも自然な声の持ち主のほうを採用したとのこと。
ベルイマンが「魔笛」で高らかに謳いあげているのは「愛」
愛はあらゆる試練を甘美にする
愛こそ毎日の暮らしの生気を与え、自然に生きる存在
何より尊いのは男女の愛。愛が人間を神性に導く。
二人の人間の真実の愛は叡智の始まりだ。
パパゲーノとパパゲーナの生命力あふれる愛
タミーノとパミーナが煉獄の炎を越えて成就させる神聖なる愛
その一方で男と女の深い愛憎、確執も描いている。
深い淵を見るような夜の女王のザラストロに対する燃え滾る憎しみの炎
パミーナはザラストロと夜の女王との間の一人娘。二人の間にある確執は深い。
あの女に聖なる心が破壊されるというザラストロ。ザラストロに添う娘に「殺せ」と命ずる夜の女王。「ある結婚の風景」で分かれるときに内面生活を話す夫婦の凍りつくような溝と重なる。
ザラストロの家臣モノスタトスのパミーナに対する愛欲
彼は生きる意味を見つけたいと望んでいる。
二人が試練に耐え、それを示してくれるなら、私はこの領土を二人に譲ってもいいと思っている。
「人間はどう生きるべきか」作品を通して常に問い続け、「人間の精神の冬を視つめる人」と言われるベルイマンの姿が、この「魔笛」でも、はっきりと存在している。
歌い上げる部分とセリフの部分が内面描写に、とても効果的に使い分けされており、子供たちにも登場人物の心の内が充分に伝わるだろうと思う。
これはもう、モーツァルトのオペラ「魔笛」の映画化というよりも、すでにベルイマンの「魔笛」という名の作品といえるほど、ベルイマンの他の作品に重なり、通じる。
本作は舞台で演じられるオペラ仕立てという設定だけれど、歌唱部分はあるけれど、それ以外は音楽というものが映像の前に出てこない。これはベルイマン作品全体についていえるのではないかしら。それだけ映像の引力が強いというより、音楽は流れているけれど、決して映像の前に出ることなく、音楽がさらに映像への集中力を高めている。以前ベルイマン特集を見たとき、重いから3本はきついかなって思ったけれど、見終わった後はなぜか心地よく、頭がしっかり冴えている。何故かなって思って、注意してみると、こんな風な音楽の使い方かなって気がしました。それに加えて作品の映像の素晴らしさにひきつけられる魅力もある。とても重いテーマなのだけれど疲れない。人の動きも自然な緩やかさのリズムをもっている。
映像と音楽と緩やかなリズムそして全体に流れる品位。
そして、タミーノ王子もパミーナもけっして美男美女ではないけれど、観ているうちに美しく魅力的に感じてくる。三人の童子たちも宗教画に出てくる天使のよう。
「ファニーとアレクサンデル」で少年アレクサンデルが卓上劇場で遊ぶ姿と、ベルイマンが重なる。「魔笛」をみて、改めてイングマール・ベルイマンという人の大きさと豊かさと深さを思い知った。
http://yorimichim.exblog.jp/5917972/
モーツァルトとフリーメーソン
モーツァルトは1784年にフリーメーソンに加入したようです。 理由についてはわかりません。しかし貧しくなってしまった晩年のモーツァルトにとって仕事の面でフリーメーソンに助けられたそうで すごくたすかったことでしょう。
そして「魔笛」には、 そのフリーメーソンの影響というか内部というかそういったものが見られ、 モーツァルトの同志への恩義への感謝といったものがあったそうです。 しかしこれは同志の秘密を公開したというひんしゅくを買ってしまい、 その後わずかな収入もなくなってしまうことになってしまいました。
では、「魔笛」のどういったところがフリーメーソンを表しているのかを 述べてみましょう。
序曲にはフリーメーソンの名の由来の石工の、石材を刻む音と取れる ところがあったりします。 第一幕で、ザラストロの神殿に、「自然の神殿」、「知恵の神殿」、「理性の神殿」と書かれてあり、 この三つはフリーメーソンの思想に通じるものです。
そしてその後主人公タミーノは「女を信じてはいけない」と忠告を受けますが、 これは女人禁制を示すものだそうです。
第二幕での歌「この神聖な殿堂には」では、 愛、友情、義務といったフリーメーソンの守るべきことが歌われ、 フリーメーソン賛歌と言われているそうです。
http://www.asyura2.com/sora/bd3/msg/617.html
《魔笛》に秘められた象徴
心理学者エーリッヒ・ノイマン(1905-1960)と、象徴学者アルフォンス・ローゼンベルグ(1902- 199?)の観点から《魔笛》を見てみます。
象徴としての数字
まず始めに、2元性、2という数字の象徴について考えてみます。たとえば、上と下、右と左、天と地。これが転じて、日本語では、上手、下手、ドイツ語ではrecht(右、正しい)、link(左、間違った)といような対比的な意味に使われます。このような対比では、2つのものが一つになって完全なものになります。たとえば、光りと闇があってこの世は完全になります。光りが良い、闇が悪いと、一概には決めつけられないのです。
《魔笛》には、この2元性の問題がたくさん出てきます。男性と女性、長調と短調、火と水、太陽と月、陽と陰。陽はエネルギーで、陰はそのエネルギーを受けています。具体的には、パパゲーノとパパゲーナ、タミーノ とパミーナ、ザラストロと夜の女王、といった対比です。
3という数字は「時間」を象徴しています。過去、現在、未来。新月、三日月、満月。すなわち、3は時間とお月さまに関係しています。キリスト教の三位一体や、フリーメースンでも3は重要です。《魔笛》では、3人の童子、3人の侍女、タミーノが入ろうとした3つの神殿などが出てきて、随所に、3和音が3回現れる場面があります。
一方、4という数字は場所を示します。部屋は四角いですよね。一年は春夏秋冬に別れます。すなわち、太陽と関係しています。東西南北も太陽の動きに関係した場所です。
フリーメースン
《魔笛》の中には、フリーメースンの思想が入っています。フリーメースンとは何でしょうか。中世に大きな教会を造る時、建築家、大工さん、石工職人、彫刻家をヨーロッパ中から集めた。これらの職人達の集まりがフリーメースンです。彼らはとても優秀でした。彼らは政治や宗教の世界には直接は所属していませんでしたので、教会の枠を越えた科学技術の知識が豊かでした。その為、職業団体であったフリーメースンが、徐々に、知識階層のエリートクラブに代わっていったのです。知識を交換し、秘密を守り、通過儀礼として人間を鍛える。教会にとって、フリーメースンは聖 堂を建てるために必要だったけれども、その思想とは相容れない場合もあり、時代によってはフリーメースンを禁止しました。
フリーメースン思想でも、神が世界を造ったのですが、その後人間に世界を任せるところがキリスト教と異なります。フリーメースンによれば、神もコンパスを使って世界を設計した。フリーメースンの歌では神という言葉は避けていますが、一応、聖書を信じています。フリーメースンの儀式では、今も聖書、分度器、水準器、コンパスなどを使います。
フリーメースンに入るためには入信会があり、そこで人間として鍛えられます。裸で自分の持ち物なしに、暗い部屋に入れられ、自分と対面する。タミーノが蛇に追われているときに気絶するのも、その象徴であるかもしれません。蛇というのが自分の一部で、それと始めて対面して気絶する。
この入信会を経て、職人として弟子入りして、やがて親方(Meister)になる。これが、ドイツのマイスター制度で、原則として男性社会です。オペラの中でもザラストロとその僧侶達はフリーメースンの世界であり、女性の悪口ばかり言っています。しかし、不思議なことに、最後にはパミーナを仲間として受け入れる。
イシスとオシリス
大昔の社会は女性社会でした。日本でも、天照大神がいます。《魔笛》にはイシスとオシリスというエジプトの神が出てきます。エーリッヒ・ノイマンは様々な文化での女神をとり上げて、die grosse Mutter という本を書いています。
イシス・オシリス信仰によれば、母は海のようなもので、人間は生まれる時だけでなく、死ぬときも母に帰る。お母さんから生まれ、お母さんに戻る。女神イシスは男神オシリスより主導権を握っています。イシスは双子の兄弟のオシリスと結婚しますが、オシリスは殺されて、粉々にされてしまいます。イシスはその破片を集めて、もう一度命を吹き込んで、子供をもうけます。母性的なものが命の源泉になっている。これが、エジプト人のミイラ信仰となり、キリスト教では、復活思想として受け継がれます。
グリム童話などでは、魔法使いとか悪いお母さんが出てきます。これは、母性の中に、そういう二つの面があるからです。子供は親がいなくても育つけど、親は子供が可愛くて手放したがらない。これは、夜の女王の心理に出てきます。ですから、タミーノがパミーナと結婚する条件は、パミーナを夜の女王の所に連れ戻すことです。夜の女王の心理は女神のようだといえるでしょう。
フルートの原型
フルートと笛は、形は男性的ですが、音は女性的です。一方、太鼓は形は女性的ですが、音は男性的です。多くの古代文化では女性は笛を吹くことが許されなかった。戦争などで精神を鼓舞するために使う男性の楽器だったからです。
お祭りの笛でも男性的迫力がありますね。ギリシャ神話ではフルートはディオニソスという神の楽器でした。ディオニソス(バッカス)は踊り、お酒、そして女性に陶酔してしまう本能的な神です。それに対して、弦楽器はアポロンの楽器でした。アポロンは技術とか数学のような文化的な神様です。弦楽器の手入れは調律など大変で知識のいる楽器ですが、それに対してフルートは原始的です。弦楽器はそのあとの時代に生まれた文化的な所産です。
ジングシュピール
《魔笛》はジングシュピールの形態をとっており、会話が多く取り入れられています。この形態は《魔笛》の前では《後宮からの逃走》にもみられます。フランス革命の時代ですから、このような庶民的な形態に人気がでてきました。
しかし《魔笛》にはせりふと同時にイタリアのオペラ・セリアから取り入れたレチタティーヴォ・アコンパニャートといった、音楽を伴った語りがあります。3人の童子は喋らないで歌うだけです。多分、モーツァルトにとってこの童子たちは人間ではなく、違う世界から来た天使なのでしょう。ウェーバーの《魔弾の射手》、ベートーヴェンの《フィデリオ》もジングシュピール的要素がありますね。
《魔笛》の構成は2幕になっています。しかし、エーリッヒ・ノイマンは《魔笛》の台本をみて、これは実質的には3幕の構成とも考えられる、と言っています。2幕でタミーノとパミーナが二人で火と水の試練に耐え抜いた後の、フィナーレからが3幕ではないかというのです。
この3幕説は、調性から考えても裏付けることができます。
《魔笛》の調の構成は以下のようになっています。
第1幕
Es [ c-C -Es-B-B-G-Es-C ]
第2幕(フィナーレの前まで)
F- [ F-C-G-C-d-E-A-g-D-B-F ]
第3幕(フィナーレ)
Es-c-F-C-G(g)-C-G-c-Es
この構成を見ると、音楽的にも第2幕フィナーレが第3幕といってもいいような構成になっていることが判ります。…
…(登場人物の主な調、調の特性についてピアノ演奏による実演説明)。
舞台装置、登場人物の類型
舞台について見てみます。タミーノは「日本から来た」王子です。この時代の人はギリシャ神話に飽きて、東洋趣味がありました。タミーノがザラストロの寺院にくると、三つの入り口があります。Natur (自然、天性)、Vernunft(分別、理性)、Weisheit(知恵、知性)です。
なぜ、ザラストロがパミーナを夜の女王から奪って彼の寺院に連れてきたか。
これにはいろいろな説があります。
通常の説は、パミーナの父親とザラストロが友人で、父親が死ぬときにパミーナをザラストロに託した、というものです。
もう一つの説は、本当はザラストロは夜の女王の旦那さんで、今は離婚した、というものです。
エジプト風の寺院にパミーナは捕らわれています。そして、見張りの黒人モノスタトスに狙われています。モノスタトスの取り扱いには人種差別にならないように気を付けなければなりません。モノスタトスがこの寺にいる理由としては、彼が違う寺からここに見習いに来たという説と、アフリカからの留学生であったという説があります。なぜザラストロがモノスタトスのような邪心を抱く人間を自分の側に置きパミーナを見張らせているのか、は面白い問題で、次のようなノイマンの説があります。
ザラストロのような聖職者は、建前上、禁欲的な生活を送り奔放なことができない。
そのザラストロが押さえている邪心、すなわちザラストロの影としてモノスタトスが登場している、というものです。
ザラストロは立場上、パミーナが好き、とは絶対に言えない。モノスタトスを通して、その邪悪な心の一面を具現させている、というわけです。ここにも、《魔笛》の2元性が出ている、とエーリッヒ・ノイマンが言っています。
ですから、ザラストロがモノスタトスを罰するのは、自分の影を罰しているマゾヒズムでもあるわけです。
このザラストロの人格を見るために、ベルイマンの映画の一幕のフィナーレを観てみましょう。……(鑑賞)……。 皆さんは、ザラストロの2元性についてどう感じましたか?
パパゲーノは羽の付いた鳥人で、鳥を捕って夜の女王に捧げて暮らしている。
羽の付いた人間というのは、人間離れして少し天使に近いという象徴でもあります。
音楽的特徴 (一部省略)
拍子について
2拍子と3拍子について検討してみます。2拍子と4拍子は歩くリズムですが、3拍子は踊りのリズムです。昔は、3拍子は三位一体を象徴する神のリズムとして、完璧なリズム tempus perfectus と呼ばれていました。4拍子は(神からすると不完全な)人間が歩くのに自然なリズムなので、tempus imperfectusと呼ばれていました。4拍子を表す楽譜記号に現在、アルファベットの C を使いますが、これは、もともとは、不完全なリズムという意味で、半円を表していたのです。
《魔笛》では3拍子は全体的には少なく、ここぞという箇所で効果的に使われています。……(一部省略、ピアノによる実演)。
6/8拍子が使われる場所
(1)第1番 中間部 G-dur allegretto 3人の侍女
(2)第7番 Es-dur andantino
パミーナとパパゲーノ
(3)第16番 A-dur allegretto 3人の童子
(4)第17番 g-moll andante パミーナのアリア
(5)第20番 中間部 F-dur allegro パパゲーノ
(6)第21番 後半 G-dur allegro パパゲーノ
(g-moll andante)
3/4拍子が使われる場所
(1)第4番 前半 g-moll largo
夜の女王のアリア
(2)第10番 F-dur adagio ザラストロのアリア
(3)第21番 前半 Es-dur allegro 3人の童子
(4)第21番 中間部 F-dur andante パミーナ
何れも、神の助けと関連して、神への祈りのリズムとして使われていることがわかります。
ゲーテの《魔笛》続編
ゲーテは、未完ですが《魔笛》の続編のジングシュピールを書いています。
《魔笛》と対比してみると興味深いので、粗筋をご紹介しましょう。
ゲーテの話では、まず、パパゲーノとパパゲーナは結婚して、結婚のプレゼントとしてタミーノから魔笛を鳥あつめのためにもらいました。ところが、あれ程子供を望んだのに、子供ができない。
パミーナとタミーノの間には子供が生まれますが、生まれたばかりの男の子は、夜の女王の依頼により3人の侍女とモノスタトスに盗まれてしまいます。夜の女王はモノスタトスと結婚の約束をしています。
盗んだ子供は箱の中に入れられてしまいます。子供の居なくなったパミーナとタミーノは夫婦仲が悪くなってしまいます。タミーノはザラストロの後継者になっているので、ザラストロは、新しい道を求めて巡礼に出る。そして、パパゲーノとパパゲーナに会い、パパゲーノ達の魔笛でタミーノ達を助けようとする。ザラストロはパパゲーノ達に子供ができるように3つの大きな卵を与えます。その卵がかえって、パパゲーノ達は子供を 連れて宮殿に行き、魔笛を吹く。
そうするとパミーナとタミーノの間の愛情が戻ってくる。そして最終的に魔笛のお陰で、箱に入れられた子供も外に出ることができる。しかし、その子供はその時、天使のように羽が生えており、空に飛び去ってしまう。ここで、この物語は終わっています。
ゲーテの物語では、《魔笛》では或る意味で不真面目とみられたパパゲーノがタミーノ達を救います。パパゲーノの自然のエネルギーが知恵のあるタミーノ達を助ける。知恵だけでは人生は旨く行かない、というゲーテの教訓です。また、権力のあったザラストロも新しいものを求めて出直している。すなわち、これらを通してゲーテが訴えようとしているのは、《魔笛》で出てくる Natur (自然)、Vernunft(分別)、Weisheit(知恵) の3つのバランスの大事さのようです。
http://www.asyura2.com/sora/bd3/msg/617.html
モノローグ「魔笛」について
様々な工夫
このオペラ、鳥の羽根に覆われたパパゲーノが出て来たり、3人の童子が雲にのって現れたりするので、幼児でも楽しめるところがあります。WEBには、オーストリアでは「人生で最初に接するオペラ」、と「魔笛」を紹介する記事があります。目で観ても楽しめる上に、ワクワクするような旋律や、鳥や蛇などの動物も登場するので楽しい。しかし、「魔笛」はそれだけではないのです。
先に述べた「夜の女王」の最初のアリアはどんなイタリア・オペラより高い声を要する難曲ですし、技術的にも難しく、大変な曲です。大変親しみ易く、そして物凄く難しい曲。ああいう音の階段は滑らかにレガートで歌うのも良いし、逆に階段のエッジを立ててキリキリと歌うのも良いと思います。私自身はどちらかと言えば後者が好き。その方が、「魔笛」全体としての夜の女王のイメージと一致します。
もしこれを歌い分けて、2ツあるアリアのうち最初の方で滑らかさ、切なさ、哀しく訴えるさまを強調し、後のアリアの方では復讐や、怒り狂った心をキリキリと歌うのなら、本当に驚異的な夜の女王になりますが、実演でも録音でも、そういう歌い分けはまだ聴いたことがありません。
初期にTVで観たのは畑中良輔氏のパパゲーノ。ただし畑中氏は当時から少し中年太りだった(失礼)し、一般にパパゲーノ歌いと言われる人は殆どが中年太りです。まずい! ここで鑑賞に堪えるような体形をしたクヌート・スクラムとかチェーザレ・シェピのような人が演じたら良いのに、と考える次第。
3人の童子役は大概は大人の女声に頼っていますが、あれだって本来のボーイ・ソプラノ(ベルイマン監督の映画や、ショルティ盤はボーイ・ソプラノです)だったら良いのに、と思います(実際には、歌う勤務時間が深夜に及ぶので、不可能)。それでも第1幕第1場でパパゲーノとタミーノ、そして3名の侍女と夜の女王、と次々と現れるところは圧巻ですね。そして第1幕第2場に至ると黒人モノスタトスが登場し、舞台はエジプトっぽくなります。
これらはしっかりした演出があれば、確実に観衆の目を釘付けにできます。演出計画が肝要! めまぐるしい程の変化と、それぞれに珍しい人間の姿、これで子供の目を引きつけられないはずがありません。手練手管を尽くし、子供達でも退屈しないように工夫してあるのが「魔笛」。
これが第2幕に入るや否や全体がザラストロの支配に屈してしまう。
これは返す返すも残念です。音楽は良いのですが、あのプロットの醸し出す教訓臭さに、私はうんざりしてしまいます。
音楽の作曲が進んでいるのに、途中で劇の進行プロットが変更されたからですね。という訳で、私が楽しんで聴くのは主として第1幕です。
第2幕でも2人の武士が歌う壮大な2重唱とか、夜の女王の怒り狂う歌とか、素晴らしい音楽が次々と飛び出して来ます。でも、基本的にそこはザラストロの世界。尤もらしいが、しつこく、重厚壮大な一方、面白くもへったくれも無い結末になってしまう(これは全く私の独断です)。
第2幕で初登場するモノスタトスって、英語で言えばモンスター(化け物)ですし、ザラストロとは拝火教徒のゾロアスターでしょう? と書くと色々物議をかもし出すかも。
「魔笛」の筋立て
第1幕の時代は大昔。世の中は夜を支配する夜の女王と、昼を支配する昼の王がいました。両者の間にはパミーナという娘がいました。やがて昼の王が亡くなり、その後を継ぐのがザラストロ(プロットが混乱して、まるでザラストロがパミーナの父親のように思っている方は御注意)。
ストーリーの始め、ある国の王子タミーノは大蛇に追いかけられ、逃げ回っています。恐怖のあまり失神してしまったところ、夜の女王に仕える3人の侍女が現れ、大蛇を殺してタミーノを救います。そこにやって来たのがパパゲーノ。彼は自然児で、自由に鳥を捕らえては夜の女王に献上し、その代償としてパンやワインを貰って生計を立てています。彼が、目を覚ましたタミーノに問われ、大蛇もパパゲーノ自身が殺した、と説明します。
このウソに怒る3人の侍女達は、パパゲーノに罰を加えますが、そこに現れたのが夜の女王その人。娘を拉致された悲しみを歌い上げます。タミーノとパパゲーノはザラストロの宮殿に押し入る約束をして、一緒に救出に出掛けることにします。侍女達は魔法の笛と、危機から救い出してくれるグロッケンシュピール(チェレスタみたいな楽器)をタミーノ、パパゲーノに渡し、さらに3人の童子の乗った「空飛ぶ雲」の後をついて行くように申し渡します。
(ここまでは別段不思議でも無いのですが、それはプロット作者が最初はそのように書き、モーツアルトはそれを忠実にオペラ化したからです。ところがプロット作者はここで別の考えに基づき、悪玉だったザラストロを善玉の修道者にしてしまい、逆に善玉だった夜の女王はヒステリーを起こした哀れな女として悪玉にしてしまいました)
第2幕でパミーナはザラストロの集団の中にいますが、パミーナにはまだなぜ自分が此処に、という疑問が解けません(解けるはずが無い。ザラストロのやり方は拉致ですから)。タミーノは修道士たちから試練の大切さ、その難しさを刻み込まれ、もうすっかりザラストロの手中です。
夜の女王の侍女達が現れ、なぜそこに居るのですか、と聴きますがもう手遅れ。パミーナの目の前には夜の女王本人が現れ、父親手製の短剣を与え、あのザラストロを仕留めるように、と命じて消えます。パミーナは躊躇いを見せますが、そこに現れたザラストロから静かに時を待て、と言われます。
試練は続き、タミーノとパパゲーノは沈黙を守るよう教え込まれます。じっと我慢すれば、タミーノはパミーナを伴侶として得られ、またパパゲーノはパパゲーナを伴侶として得られることを告げられます。タミーノはそうしようとしますが、パパゲーノの口を塞ぐのは大変なこと。おまけにパパゲーノの目の前にはパパゲーナが変装して現れたりして、撹乱します。一方パミーナは沈黙を強いられたタミーノに何も聴いて貰えないので絶望しており、手にした短剣で自らの命を断とうとしますが、あの雲に乗った童子達によって止められます。ついにパミーナはタミーノと共に修練を積むことを許され、これから一緒に行くようにと言われます。多くの悪霊達のいる炎の中に入って行きますが、両人は修練に耐えました。
また夜の女王とその一群は最後の勝負に出ますが、あたわず、地面の割れ目に落ちて行きます。一方パパゲーノはそういうことに関心無く、パパゲーナと一緒に森の中に走って行って子沢山になったというストーリー。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/column-002/appendix/appendix_036.html
ベルイマン監督の「魔笛」
「魔笛」の楽しさを味わうのに最適なのは、筋がどんどん進む演出ではないか、と思います(特に余り慣れていない場合)。即ちモーツアルトに多いレシタティーヴォ・セッコの早口で喋る箇所を、本当に早口で喋らせてしまうのです。その方が時間も短くなって退屈せずに済む(本当はレシタティーヴォ・セッコにはそれなりの良さがあるのですが、それはオペラに慣れてからにしましょう)。特に子供達にオペラを観せるなら、レシタティーヴォ・セッコの省略はテです!
スウエーデンのベルイマン監督の映画「魔笛」がありますが、あれがイチオシでは無いでしょうか。よく考えられた劇進行と、演出です。昔私がニューヨークに行った時、Alからベルイマン監督の「魔笛」を観るように勧められたのですが、当時はまだ持っていませんでした
(「音楽のすすめ」第2章 第29話「ウオルドーフ・アストリア・ホテル」を参照)。
http://www.kit-ya.jp/etc/club/column-002/2nd/2nd-029.html
後で買って観たらナカナカのシロモノでした。そこで使われる言語はスウエーデン語です。基本的にドイツ語もスウエーデン語も同じ言語から進化した従兄弟同士ですが、Nein, nein(ナイン、ナイン)となっている所をネイン、ネインと発音するので、時々そうだった、これはスウエーデン語だったんだ、と苦笑しています。
ベルイマン監督の映画では序曲が遅く、どうしたんだろうと思いますが、いざ開始した時、舞台を右に左にと逃げ回るのは、ぬいぐるみになった(漫画チックな姿ですが)竜と、それに追いかけられて逃げ回るタミーノ。まずはこの演出で子供達の目が開きます!そして3人の侍女たちの満面笑みを浮かべた合唱と、それに続く夜の女王の登場。この場面では背後にあるウズ状の星空は夜の表現にピッタリ合います。そして見るからに楽しそうなパパゲーノの登場と、総勢が舞台から客席に向かって並んで歌う歌の場面!これにはやられた、と思いました。オペラでは堂々と歌手が客席を見ることは滅多に無いので。タミーノは歌わなければならない義務感が少し見えましたが、あとのメンバーは歌うことが楽しくて仕方がない、という風情。
そして天から気球が降りて来ますが、その中に3人の童子に扮した少年達が乗っています。童子を演じる子供達の思いっきりの笑顔を見て、これは相当な訓練をしたな、と思いました。あのシーンは大好きです。まだ小学校にも行っていないような年齢と判断しました。大きく口を開けているし、本当に歌っているんだろうな、と思った次第。
この後は、音楽は素晴らしいのですが、ザラストロの仲間に引き入れようとする一方的なお節介に、イライラします。まるで秘密結社に引き込もうとする拉致騒ぎみたい、というのが私の本音です。でも童子達が出て来てパミーナを説得しようとする場面とか、夜の女王が再度登場してタミーノを叱る場面は素晴らしい。特に夜の女王はこの第2幕のアリアで、スタッカートを強調して歌っているのに気がつきました。そうでなければイケナイのです!
第1幕はレガートに、そして第2幕は激しいスタッカートで、と使い分けなければいけません。ここの処理は全くの正解でした(但し、あの歌の味付けにはチョッと抵抗がありました)。純声楽的に見たとき、ビルギット・ノーデンというソプラノが本当にあの音色になるのかどうかは分かりません。私の耳には、高音部になるとエコーが聴こえましたし、弱い声なのかもしれません。夜の女王だけでなく、他のキャストも本当にああいう声が出ていたかどうかは疑問です。でもコレは子供でも楽しめる「魔笛」、しかし決して子供相手だからと言って手抜きの無い「魔笛」。その場合、トリックは許されるのでは無いでしょうか。
それにザラストロを除く全キャストは生き生きとしていますし、観ていても楽しい。あのバイキンマンを思わせるような帽子を被ったモノスタトスだって楽しい。パパゲーノの言うような、そんな説教は聞きたくない、それよりも食べたいし、寝たいし、女房が欲しいよ、という主張は実は勝手にプロットを変更されたモーツアルトの抗議だったのではないでしょうか。だから最終場面で幕が降りる時、パパゲーノとパパゲーナはドウしたんだろう、とフト湧く疑問に答えるべく、カーテンが着地する直前に、そのカーテンの前に両人が現れ、それも多くの生まれた子供達を引き連れて、舞台を食っていました。ああこれは楽しい世の中だなあ、と言うところ。これが「魔笛」。キャスト達の見せる極上の笑顔と最後のシーン、これですね。ザラストロは姿格好からして力がありません。モノスタトスのことを「あの嫌らしいムーア人」などと言っているのは今日的ではないし。
途中で出て来る多くの歌、例えばパミーナが歌う「恋する男は」とかタミーノの「おお永遠の夜よ」、「多分彼はパミーナに逢えたな」とか、あるいはグロッケンシュピールを鳴らしてモノスタトス一同を骨抜きにしてしまう箇所等(その一部にシューベルト「童は見たり」と聴こえて来る)は、本当にモーツアルトが天才だという証明です。
最後に気がついた箇所を2つ。それは第1幕でザラストロがモノスタトスに77回のムチを与えようと言う場面がありますね(翻訳の付いているものとして、ショルティ盤とフリッチャイ盤で確認)。映画の画面上に出る翻訳は確実に555回のムチと出ていました。あれは間違いではありませんか。同様に、第2幕で夜の女王が登場したあと、ザラストロはパミーナと対話するのですが、そこでパミーナはザラストロのことを父上と呼ぶ対話プロットが出ていますが、原文では単にHerrと呼びかけているだけですから、額面通り受け取ると間違います。尤も修道院等では長老のことを皆、父上と呼ぶのかも知れません。このレーザーディスクは、間違いが見つかれば書き直してくれるそうなので、それに期待しましょう。
ベルイマンの映画でパパゲーノを歌っているホーケン・ハーゲゴートの顔を見ていると、私は米国YYY機構のC君を思い出して懐かしく思います。30年前に初めて逢った当時のCの顔に似ているからです。その後30年の間に、Cはすっかり体脂肪がたまり、体の外観も変ってしまいましたが、初めからああだったのではなく、もう少し締まっていた(太めだとしても)のです。Cがモーツアルトが一番好きと言っていましたが、それはオペラ「魔笛」を含むものだったのでしょうか。それでは最後に、バイエルン歌劇場で録画したウオルフガング・ザヴァリッシュの指揮したものを通して聴いて(観て)みましょう。
それにしてもパパゲーノ達は、そのあと、どこに行ってしまったのでしょう?
パパゲーノがザラストロの集団の中で暮らすなんて考えられないし、最後のシーンにも特に登場しなくても可だろうと思うのです。解説を読むと、パパゲーノとパパゲーナはサアーッと森の中に消えて行った、とあります。それで良いのです。野生児パパゲーノの生き方です。
一つ心配なのは、パパゲーノは鳥刺しですが、今まで夜の女王が買ってくれましたが、女王がいなくなって(本当?)毎日の生活のカテをどこで得たのでしょうか。また3人の童子達のMentor(導師)は誰だったのでしょう。そして魔法の笛も、グロッケンシュピールの効力は誰が持ち主でも(ザラストロ側でも夜の女王側でも)続くのでしょうか。最後に私が得た印象は、このオペラ「魔笛」の主人公は間違いなくパパゲーノです。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/column-002/appendix/appendix_037.html
結論として、音楽がわかる人はみんなザラストロが大嫌いなんですね。
ザラストロをまともだ思う人は音楽も人間も全く理解できないという事ですね。
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3:777
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2022/05/26 (Thu) 17:55:03
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魔笛のザラストロの道を進むと…
謎とき『カラマーゾフの兄弟』 江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%95%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106004011/ref=sr_1_10?s=books&ie=UTF8&qid=1288951731&sr=1-10
ロシア正教の分派の中で「鞭身派」というのがある。
読んで字のごとく、身を鞭で打つのだが、
この宗派は、教会や聖書を介さずに直接にキリスト、精霊と交わることを求め、そのために、
男女の信徒が一部屋に集まって、祈祷、歌、踊りのあげくに、
最後には手や鞭で各々の身体を打ち合って、集団的恍惚を得る
儀式が行われていたのだという。
しかし、これ、キリストや精霊との直接の交感を求めていたこの儀式も、次第に乱交パーティー化していったという。
そうして、その反動として現れたのが「去勢派」である
性的堕落を激しく糾弾し、男は睾丸を、女は乳首を切除したり乳房を抉り取ったりするのだそうだ。
ゆえに、去勢派の人間はそろって顔色が悪く、傍から見ても「あいつは去勢派だ」ということが分かるくらいなのだという。
これはスメルジャコフの描写に見事に呼応している。
ちなみに、筆者はグリゴーリイは鞭身派だと指摘している。
さて、今では考えられないようなオカルト宗派(現在でも案外あるかも)、について、小説中ではどこにも直叙はされていないが、この分派は当時のロシアに、マイノリティではあるものの結構広く信仰されていて、認識はされていたようだ。
つまり、当時のロシアの読者であるならば、
スメルジャコフの描写や、マリヤとの同棲ではない同居を読むと、彼らが去勢派であるということは容易に推察できることなのである。
http://www.geocities.jp/maxi_japan/dokusyo_egawataku_nazo-k.html
「去勢派」については、江川さんが「謎ときカラマーゾフの兄弟」で次の様に書いています。
「ロシア分離派史上でも最大の人物と目されるコンドラーチイ・セイワーノフが登場した。~~~
やがてセイワーノフは、鞭身派の性的堕落にいきどおり、自分は人類を肉欲から救い、「魂を滅ぼす蛇を退治する」ためにこの世にやってきた「神の子」であると宣言した。
むろん「蛇」とは男性の性器官の象徴であり、「蛇退治」は「去勢」の意味である。
このような形でセイワーノフによって開かれた新しい宗派が「去勢派」であり、信徒は「ぺチャ−チ」(刻印)と呼ばれる術を受けることになった。
女性の場合は、乳首だけを切除するのが「小ぺチャーチ」、
乳房まで切り取るのが「大ぺチャ−チ」と呼ばれた。
男性の場合の「小ぺチャ−チ」は睾丸を切断するわけだが、
「大ぺチャ−チ」については、手術を終えたあと、術者が切除部分を被術者の目の前に突きつけ、
「見よ、蛇の頭は砕かれたり、キリストはよみがえりたまえり」
と唱える、のだという。
~~~鞭身派の聖母アクリーナから正式に「キリスト」と認められたセリワーノフは、
「魂を滅ぼす蛇を退治する」自身の事業をしだいに広め、十八世紀中葉には、信徒の数ももはや無視できなくほどの数に達していた。~~~
ついに一七九七年には、ピョ−トル三世とエカチェリーナ女帝の遺児であるパーべェル一世と対面し、二人の間には次のような問答がかわされたという。
パーべェル帝「汝はわが父なるや?」
セリワーノフ「われは罪の父ならず。わが業(去勢)を受けよ。さすれば汝をわが子と認めん」
ファンタスチックとしか形容のしようのない対話で、パーべェル帝がセリワーノフを狂人と認定し、オブホフの精神病院に収容してしまったのも無理からぬことであった。
ところが奇妙なことに、パーべェル帝の後を襲ったアレクサンドラ一世は、すでに白髪の老爺となっていたセリワーノフの人柄に魅惑され、一八〇二年に彼を解放したばかりか、数次にわたつて彼と親しく面談し、セリワーノフのほうでも、大去勢によるロシア救済計画を帝に建議したといわれる。~~~
つまり、「カラマーゾフの兄弟」の舞台となっている十九世紀の六十年代、七十年代にも、この奇怪な信者たちの問題は、けっしてたんなる昔語り、あるいは僻地のエキゾチックな風習ではなく、むしろすぐれて現代的な関心事であったということができるように思う。
「まぎれもなく「好色な人たち」である「カラマーゾフの兄弟」の作中人物たちのなかで、スメルジャコフ一人はいくぶん例外的に見える。
まず彼の少年時代の大好き遊びが猫の葬式ごっこだったことが想起される。
彼は幼い頃から、猫を首吊り台にかけ、そうしておいてその葬式ごっこをするのが大好きだった、と言われている。
葬式のときには、祭服に見立ててシーツをひっかぶり、香炉代わりに何やら猫の死体の上で振りまわしながら、歌をうたうのだという。
モスクワへ、コック人の修業に出されて戻ってきた彼は、
「すっかり面変わりがしていた。なんだかふいにめっきり老けこんだ感じで、年齢にまったくそぐわないくらい皺だらけになり、顔色は黄ばんで、去勢者に似た感じになっていた」
「大審問官」伝説をアーリョーシャに語った直後、家に戻ったイワンは、門のわきのベンチで夕涼みをしていたスメルジャコフを目にする。
「イワンは怒りと嫌悪の目で、びんの毛を櫛できれいに撫でつけ、ふっくらと前髪を立てたスメルジャコフの去勢者のように痩せこけた顔をにらめつけた」
見るとおり、スメルジャコフはドストエフスキーによって、ことさら「去勢者」に、あるいはさらに進んで「去勢派信徒」になぞえられている。
さらに注目されるのは、マリアの家に移ったスメルジャコフが、母娘によっていたく尊敬され、二人はスメルジャコフを「一段上の」人間のように見ていた、という指摘である。
「一段上の」という言葉にこだわるのは、
鞭身派以来、代替わりのいわゆる「新キリスト」は、旧キリストあるいはマリアによって「一段上の人、最上の人」として彼らの共同体である「船」に迎えられる慣行があったからである。~~~
スメルジャコフが「花婿」の資格でマリアの家に移ってきた、とされていることも見逃せない。
ロシア正教会においてばかりでなく、西欧のキリスト教会においても、「花婿」という言葉は、ヨハネ黙示録の「子羊」、つまり 花嫁たる教会を聖化する「花婿」、別の言葉でいえば、再来するイエスキリストその人を指す言葉であった。~~~
ところで、スメルジャコフが去勢派の「白いキリスト」だということになれば「蛇退治」(フョードル殺し)は、当然、彼の宗教的、社会的使命だということになる。
こうして、もともとは多分に個人的であったかもしれないスメルジャコフの犯行の動機が、いわば去勢派流に「聖化」され、普遍的な意義を獲得することになるのである。~~~
前にも触れたが、幼児期の彼が大好きだったという猫の葬式ごっ子のエピソードがそれに当ることは、あらためて言うまでもあるまい。
このようなスメルジャコフが、鞭身派、去勢派の「船」が数多くあったモスクワへ「修業」に出て行ったとき、「猫」ないし「蛇」に対する彼の憎悪は一つの基礎ずけを与えられ、同時に深く内攻していくことになった。
こうして彼は外なる「蛇」を挫く以前に、まず自身の内なる「蛇」を挫くことを決意するのである。
つまり、「去勢者に似た感じ」になってモスクワから戻ってきた彼は、すでに「白いキリスト」の自覚をもち、フョードル殺害にあたっては、もはや完全な確信犯として行動することができたのである。
ところで、スメルジャコフの犯行がそのような「使命感」に裏ずけられたものだったすれば、当然、彼の憎悪はたんに個々の「蛇」だけにではなく、「蛇」一般に、さらにはそのような「蛇」のはびこる現世そのものにも向けられていたと考えなければなるまい。
事実、彼の憎悪は、カラマーゾフ一族を生み出した土台であるロシアそのものにも向けられていた。
「私はロシア全体が憎くてならならないんですよ」とは、彼のマリヤへの告白である。
~~~
スメルジャコフの憎悪は、むろん、ロシアだけに局限されはしなかった
「女にだらしがない点しゃ、外国人もロシア人も似たり寄ったり」だからである。
~~~
一方、スメルジャコフが目撃するカラマーゾフ一家の「淫蕩」が、全ロシア的な、あるいは世界的な「淫蕩」の象徴的な縮図とするならば、それは、「大審問官」伝説に登場する「野獣にまたがる淫婦」を媒介にして黙示録的終末のイメージとも重なってくることになる。
折りしもいまは「蛇の季節」でもあった。
スメルジャコフはこの終末の世に、「蛇」を退治し「淫婦」を辱めるべき「白いキリスト」として再来したのだった」
(謎解き「カラマーゾフの兄弟」 江川卓 新潮選書 Ⅶ 白いキリストより)
去勢を血統転換に置き換えれば、統一教会の教えそのものになります。
(「謎ときカラマーゾフの兄弟」Ⅲ好色な人々・Ⅶ白いキリスト ページ158~159より
江川卓 新潮社)
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誰もが関心を持つのは、去勢派、鞭身派共に各派の聖女ですね。
去勢派の聖女マリア(スメルジャコフの花嫁?)はスメルジャコフの元にスープをもらいにやって来ます。
寄生派の花嫁は「○○○の毛まで抜かれる」と言われている通りに、はるばる海を越えて○○○の毛を抜きにやって来ます。
「合同結婚でも日本人同士のカップルならば安心だろう」と思うのは、早とちりです。
友人の場合は、結婚当初、現金で預金をしていたら奥さんがすべて教会に献金してしまうので、すかさず預金をマンションのローン頭金にあてて、間一発のところで無一文にならずに済みました。
お気に入りの食器やレコード類も、生活必要品としてすばやく居間に配置したので無事に残りました
それでも、僕の友人はまだ恵まれているほうで、献身者(統一教会系列会社で働いている夫婦)の場合は数家族の共同生活の家賃や食費はかかりませんが、朝から夜遅くまで働きずめで一家族1万二千円の月収です。
「カラ」兄弟でも、スメルジャコフは、フョードル宅からいつのまにか去勢派の共同生活場?らしきマリアの丸太小屋に移されていますね。
http://dostef.webspace.ne.jp/bbs/dostef_topic_pr_287.html
17世紀に分離派の一派として生れた宗派に鞭身派というのがある。
1700年1月1日に生きながら天に召されたダニイロ・フィリッポフが開祖とされており、この点では作中(カラマーゾフの兄弟)に登場する聖痴愚フェラポント神父にその面影が映されている。
鞭身派の教義の特質は、教会や僧を否定し、直接にキリスト、聖霊との交わりを求める点にあり、そのための手段として、
男女の信徒が一部屋に集まり、祈祷、歌、踊りのあげく、
最後には手や鞭でおたがいの全身を打って、集団的な恍惚状態に達する独特の儀礼が行なわれた。
この瞬間にキリストないし聖霊が信徒たちの胎内に入ると信じられたのである。
この教義の当然の帰結として、鞭身派には、初代キリストのイワン・スースロフをはじめ、何人ものキリストがつぎつぎと現われることになった。…
むろん「十二使徒」も信徒たちの中から選ばれ、「船」と呼ばれた信徒たちの共同体には、かなり厳格なヒエラルキーが確立していた。…
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/page-he.htm
●ロシアの異端
鞭身派-肉、魚、にんにく、ジャガイモを食べず、酒も飲まない。
女はプラトークをまぶかにかぶる。
一部屋に車座になってすわり、入れ替わり立ち代わり踊り、罪のもとである肉を鞭で打ち続ける。
最後は乱交パーティーになる。
ラスプーチンもこの一派といわれる。
モンタヌス派-別名跳躍派。
集会で男女が手を取り合って飛び跳ね、そのあとで性交する。
聖書のロトと娘の性交、ソロモンの300人の妻にちなむ。
去勢派-淫行に走りがちな鞭身派を批判。
罪のもとである陰茎、乳首を切除する。
男性ホルモンの欠如からひげが生えず女性的な声なので外見からすぐに分かる。
「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフは去勢派といわれる。
http://www.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/kyozai/08.txt
鞭身派
17世紀末に起こった〈霊的キリスト者〉のセクトで、聖書と聖職者を認めず、
精霊(Святой дух)との直接的な交わりを求めて、熱狂的に踊り、歌い、互いに体を鞭打ったところから、その名が生じた。
神の化身である複数の〈キリスト〉、〈聖母たち〉あるいは〈母君(マートゥシカ)たち〉のもとに集まり、
祈り、祈りの最後に執り行なわれる独特の儀式(ラヂェーニエ)。
それが始まると、宗教的エクスタシーに達するまでみなが踊り狂ったという。
自らを〈神の人びと〉と称した。
旧タムボーフ、旧サマーラ、旧オレンブールグの各県、北カフカースやウクライナに彼らの小さな共同体が存在した。
http://www.seibunsha.net/prishivin/p15.html
帝政ロシアは政教一致を国是とし,ロシア正教が国教でしたが,国民のうちにはこの国教を奉じようとしない者もあり,政府と正教会はこれに手を焼いていました。
この反正教会的宗教潮流は,通常「ラスコールと諸セクト」と総称されます。
ラスコールは通常「分離派」と訳されるとおり,十七世紀の教会改革の際正教会を離れた人々のことで,改革を受け容れず古い儀式に固執したことから,「古儀式派」とも称されます。
分離派には穏健派から過激:派にいたる様々な流派がありますが,大略,司祭の存在を認める「司祭派」と,これを認めない「無司祭派」に分かれます。
無司祭派は教導者を擁するのみで,司祭も正典も宗規も有さぬところがら,次第に正教会はもちろんキリスト教そのものから離れ,キリスト教的要素を多く保持しつつも,新たな道をもとめて独自のセクトを生み出す傾向があります。
フルイスト派(鞭身派)の場合も,その発生時期(十七世紀半ば)からして,もとは無司祭派に端を発していると考えられます。
フルイストが鞭を意味するところがら,日本ではこれまで鞭身教徒と訳されていますが,この訳語は不適切であり,見当違いな憶測のもとになりかねません。
鞭身教徒という言葉から,人は漠然と,鞭打ちがこのセクトの特徴であると思うでしょう。
確かに鞭打ちは,中世の修道僧などが自らに課した苦行です。
しかしフルイストゥイの儀式において鞭打ちはなんの役割も演じておらず,この場合フルイストゥイの語はまったく別の由来を有しています。
このセクトの信者たちがなぜ「キリストたち」と呼ばれたかというと,それは彼らが多くのキリストを輩出したからです。
彼らの地域集団をカラーブリ(船の意。フリーメイソンのロージにあたるもの)と呼びますが,各カラーブリは必ず教導者たるキリストと生神女,さらに大抵は複数の預言者と女預言者を擁していました。
その儀式の主たる内容は輪舞(これをラジェーニエと言います)で,彼らはこの激しい身体運動によって法悦に達し,キリスト,生神女,預言者たちは忘我の気惚状態の内にあって,天候の如何,収穫の良し悪し,個人の身上等々を預言しました。
預言者には原則として誰でもがなれた。
もちろん預言者たる能力には個人差があって,預言者や女預言者になるのは,人一倍霊感を受け易い者たち,恍惚状態に陥り易い者たちでした。
フルイストたち自身の言い伝えによれば,その教祖たちの行実とは次のようなものです。
皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチ(在位三64546)の時代,ウラジーミル県コヴロフ郡なるゴロジン山の頂に二軍のエホバが降り,コストロマ県の農民ダニーラ・フィリッポヴィチの内に入って彼を生ける神とした。
当時はニコンの改革に端を発する教会分裂の真最中で,人々はいかなる書物によって救われるかをめぐって争っていた。
人が救われるのは古い書物によってか,それとも新しい書物によってか。ダニーラ・フィリッポヴィチは,新たな啓示によってこの書物の新旧論争にけりをつけた。
すなわち,救われるためにはいかなる書物も要らない。
聖神そのものさえあればよい。
内心の祈りによってのみ神は人間に宿り,人は救われる。
彼は新旧の書物をすべてかますに詰め,ヴォルガに捨てさせました。
ダニーラ・フィリッポヴィチははじめコストロマ近郊のスターラや村に住み,のちコストロマに移った。
以来コストロマは「天上のエルサレム」,彼の住む家は「神の家」と呼ばれ,多くの信者を集めます。
書物の(つまり教会の)教えに頼らず,わたしの言葉のみを信ぜよ。
あるいは,預言者たちが忘我状態で口にする言葉(預言)のみを信ぜよというのが,彼の教えでした。
別の伝説によると,ダニーラのことを知った総主教ニコンは彼を幽閉したが,彼が釈放されてコストロマへ帰るまでの間,地上を一面の霧が覆った。
コストロマに帰った彼は,弟子たちに「十二誠」を与えた。
この十二誠とは次のようなものです。
1.我は預言者たちにより預言された神であり,人間の魂を救うため地に降り来たった。
我以外に神はない。
2.他に教えはない。他の教えを求めてはならない。
3.汝の置かれたところに留まれ。
4.神の受命を守り,世の漁人となれ。
5. 酒を飲むな。肉の罪を犯すな。
6. 結婚するな。既婚者は妻と兄妹のごとく生きよ。未婚者は結婚するな。既婚者は離婚
せよ。
7. 悪罵を口にするな。悪魔,悪鬼等の言葉を口にするな。
8. 婚礼,洗礼式に行くな。宴会に出るな。
9.盗むな。一コペイカでも盗んだ者は,あの世でこの一コペイカを頭頂に貼りつけられ,
これが地獄の火で融けるまで,赦されることはないであろう。
10.これら二二を秘表せよ。父にも母にも明かすな。たとえそのため鞭打たれ,火で焼か
れようと,耐えよ。耐えきった者こそ信者であり,天国を,また地上では霊の喜びを,
受けるであろう。
11.互いに訪れ合い,もてなし合い,愛し合い,我が誠命を守り,神に祈れ。
12.四神を信ぜよ。
もっとも,コンラート・グラスというリトワニアの研究者によると,フルイスト派の伝説が伝える教祖たちのうち,ダニーラ・フィリッポヴィチについてはその実在を確証することができない。
歴史資料により実在が確証されるのは,次のスースロフからだというのです。
万軍のエホバがゴロジン山に降りダニーラを生ける神とする十五年前,ウラジーミル県ムーロム郡マクサコフ村に,母親のアリーナ・ネーステロヴナが百歳の時,神の息子たるキリスト,イワン・チモフェーヴィチ・スースロフが生まれた
(これは,アリーナ・ネーステロヴナが生神女を務めていたカラーブリで,スースロフが霊的啓示を受けキリストとなった,という意味でしょう)。
イワン・スースロフが三十歳になった時,ダニーラ・フィリッポヴィチは彼をコストロマへ呼び,神性を授け,彼を生ける神とした。
すなわち,スースロフはダニーラ・フィリッポヴィチにより三日間天へ上げられたのちオカ河の岸へ帰り,以後ここの一村を根拠地として教えを弘めた。
彼は若く美しい娘を連れており,彼女は生ける神の娘として,また生神女として崇められていた。
彼はまた,弟子たちのうちから十二人の使徒を選び,彼らと共に村から村へ布教を続けた。
アレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝(在位1645-76)はスースロフの布教活動のことを知って,彼を四十人の信者と共に捕らえ,訊問のためモスクワへ連行させた。
しかし司直は彼らから一言の供述も引き出すことができなかった。
拷問の火もスースロフの身体を傷つけえず,結局彼はクレムリン前の赤の広場で心墨に処された。
彼は木曜日に息を引取り,金曜日に埋葬されたが,土曜日から日曜日にかけての夜に甦り,モスクワ近郊の村に姿を現した。そこで再度逮捕され,拷問と礫刑に処され,再度甦った。
三度目に捕らえられた時,皇后ナタリヤ・キリーロヴナはピョートル・アレクセーヴィチ(のちのピョートル大帝)を懐妊中で(つまり1672年のこと),スースロフの釈放なくして出産は無事にはすまないという預言があったため,皇帝はスースロフを釈放した。
以後三十年間(つまり1702年まで),スースロフはモスクワを中心に布教を続けたが,うち十五年間は政府の監視を避けてモスクワを去り,諸所の弟子たちのもとを転々とし,迫害が下火となったのちモスクワへ帰り,ここで男女の修道院に果多しく信者を増やした。
彼の住むクレムリン近くの家は,「神の家」とも噺しきエルサレム」とも呼ばれた。
1699年には,百歳のダニーラ・フィリッポヴィチがコストロマからモスクワの「新しきエルサレム」へ移り来たり,ここから1700年1月1日,永い輪舞ののち,多くの会集者たちの見守るなか天に昇った。
以後それまでの9月1日に代えて,この日を新年の始まりと定めた。
三年後,スースロフ自身も多くの信者たちに見守られつつ昇天した。
ダニーラ・フィリッポヴィチは地上に遺骸を残さなかったが,スースロスは残した。
信者たちは遺骸を乞い受けてイワノフスカや女子修道院に埋葬し,石碑を建てた。
スースロフのあとを継いでキリストとなったのは,ニージニー・ノヴゴロト(現ゴーリキー市)の元込士プロコフィー・ダニーロヴィチ・リープキンなる人物で,一部フルイストたちは,彼をダニーラ・フィリッポヴィチの実の息子であるとしています。
彼は1713年から1732年の死まで,キリストの地位にありました。
彼の妻アクリーナ・イワーノヴナは生神女で,二人の息子は剃髪して修道院へ入り,ここで教えを弘めます。
十八世紀半ばから十九世紀初頭までの問に,フルイスト派はほぼロシア全域に行き渡り,国外ではガリシア地方に住むロシア人たちにまで及びました。
モスクワには四つのカラーブリがあった。
とりわけ信者が多かったのは,オリョール県とタンボブ県であったそうです。
信者はさまざまな階層にわたりましたが,主として農民都市の職人,小商人たちで,また多くの修道院がこのセクトの拠点でした。
フルイスト派は結婚と生殖を認めませんが,ダニーラ・フィリッポヴィチやキリストの家系には血統が絶えぬよう配慮がなされていたようです。
コストロマから三十キロのスターラや村には,十九世紀半ばまでダニーラの門下と言われるウリアナ・ワシーリエワという女性が生存しており,彼女が修道院へ幽閉されてのちも,スターラや村はフルイスト派の聖地ベツレヘムといったものでしたし,ループキン直系の子孫もやはり十九世紀半ばまで存続していました。
十九世紀の六十年代に至り,フルイスト派は個々のキリストを戴く多くのカラーブリに分裂し,それらカラーブリ同士が互いに対立し合うという事態を生じた。
フルイスト派は,のちの去勢派ほどにはよく組織された教団ではありません。
それは半ば自然発生的にさまざまな地方に興つた,とすら見える。
諸カラーブリ間の横のつながりも,さして緊密なものではなかったらしい。
しかし各カラーブリにひとりのキリスト,ひとりの生神女がいて,ひとり,あるいは数人の預言者・女預言者がいるという構造は,共通していたようです。
また,儀式のうえではすべてのカラーブリが輪舞(ラジェーニエ)を採用していたことは事実ですが,儀式の細目については地方により時代により種々食い違いもあり,このことは,セクトが時とともに様々な派に分かれていったことを証するものです。
体系的な教義が成文化されず,教導者の意思が神の意思と見倣され,カラーブリの全成員がこれに絶対服従するような集団にあって,これは至って自然なことでしょう。
ロシア正教というのは,概して形式にすこぶる拘泥する宗教です。
十七世紀の教会分裂自体,儀式や礼拝の細目における形式の変更をめぐって生じた。
そして分離派は,正教会以上に形式主義者でした。
彼らは,ニコンの改革が伝統的形式を歪めるものであるとして,旧来の伝統と形式の名において改革に反対したのです。
フルイスト派は,ロシア正教のこの形式主義への反動として興つたと言えます。
その意味で,ダニーラ・フィリッポヴィチがあらゆる書物をヴォルガへ捨てたという挿話が,フルイスト伝説の冒頭に位置していることは象徴的です。
書物や普通の祈りでは生ぬるい。
彼らは神性との一層直接的な接触・融合を求めた。
つまり激しいラジェーニエに訴えて肉体を疲労特牛させ,神を自らの内へ直接呼び降ろそう,神と合体しようとするのであって,これが彼らの祈りなのです。
彼らは,使徒行伝に引かれた預言者ヨエルの言葉が実現したものと信じていました。
「神いひ給はく,末の世に至りて,我が霊を凡ての人に注がん。
汝らの子女は預言し,汝らの若者は幻影を見,なんじらの老人は夢を見るべし。
その世に至りて,わが僕・師団に,わが霊を注がん,彼らは預言すべし」
(使徒2.17)。
法悦に達するための舞踏としては,古代の宗教やシベリアのシャーマン等が思い浮びますが,フルイスト派の輪舞(ラジェーニエ)は他から借用されたものではなく,フルイストたち自身の内で見出され徐々に完成されたものらしい。
ミリューコフは,このセクトの民衆起源に鑑み,先ず初めにその外的・儀式的側面が成立したのであり,教義が整えられたのは遙かのち(おそらくは十九世紀)のことであったろうと言っています。
ローザノブも,ダニーラ・フィリッポヴィチは神との直接交流の手段たるラジェーニエを案出したことで,このセクトの教祖となり,生ける神として崇められたものであろうとしています。
神性と直接合体せんという望みは,彼らが人格化された生ける神を求めたことと結びついています。
人間が神と直接合体しうるというのは,人間が神になりうるという人神思想なのです。
神の霊感を受けるものにとって,この霊感を神から受けたと考えることから,この霊感が自分の内から流れ出たと考えることへはほんの一歩です。
彼らが自らを神的な霊感の源泉,つまり自らの内に神を孕む者と考えるに至ったのは,至極当然の成行きでした。
あらゆる魂の奥所には聖神の萌芽がある。
自らの内へ降りゆく者は,ここに聖神のことば言を聞き,自らの魂の内に神の国を見出す。
自らの内にこの内的福音の声を聞いた者は,その瞬間から「神の宮」となり,もはや肉の内にはなく霊の内にある。
これこそ聖神を自らの内に宿すということです。
彼らにとってはイエス・キリストも,自分たちと同等な「神の言の籍身」にすぎない。
彼らはラジェーニエで,
「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」
と唱えながら踊りますが,その意味するところは,
主よ,かつてイエスに霊感を与えたように,われらにも霊感を与え給え
ということなのです。
こうしてフルイスト派の世界には無数のキリストと生神女が出現したのであり,多くのカラーブリでは,信者同士が互いを神として拝し合うことも行われました。
輪舞(ラジェーニエ)のやり方については,個々のカラーブリにより多少の違いはあるものの,大筋のところはほぼ一致しており,大略次のようなものであったようです
(十九世紀前半におけるニジェゴロト県アルザマスのカラーブリ,コストロマ県ガーリチのカラーブリ等。メーリニコフによる)。
晩の六時頃,カラーブリの成員が一軒の家に集まる。
人数は十人から四十人。
百人に及ぶことは稀である
(もっとも,ペテルブルクでのセリヴァーノブのラジェーニエは,六百人を集めたと言われます)。
部屋には窓がないか,あっても塞がれていて,音が外部に洩れないよう,しばしば地下に造られている。
ラジェーニエの行われる家は,「神の家」とも「エルサレム」とも呼ばれる。
部屋の一隅に生神女が座を占め,信者たちは男女に分かれてベンチに腰掛ける。
全員裸足で,長い白衣を着ている。
はじめに福音書,使徒の書簡,教父の文章,聖者伝等が読まれることもある。
それから自家製の祈りの文句を唱える。
やはり自家製の歌を歌うこともある。
その際両手で両膝を打ち拍子をとる。
歌の合間に十字を切り,主の祝福を乞う。
次いでキリストなり預言者なりがラジェーニエを命じ,一同立って輪になる。
時として預言者自らラジェーニエを始め,他の観たちがそれに従う。
出たちの輪の外に女たちの輪が形成されることもあるが,大抵は男女入り混じっての輪である。
彼らは
「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」
と歌いながら,飛び跳ねつつ,右回りに回る。
輪舞も各人の旋回も,必ず右回りである。
つまり,南面したとき太陽が東から西へ動くように,右回りでなくてはならない。
この踊りに酒神が降るのであり,「聖なる輪」に入る者は霊により国勢するとされる。
踊りは次第に速くなり,人々は息を喘がせて跳ね上がり,手を振り,両足で床を踏み鳴らす。
舞踏者たちの回転の速いことは旋風のようで,顔も見分けられないほどである。
彼らが旋回と跳躍の間中,畷り泣き,声を震わせて奇声を発するさまは,傍目にも恐ろしいほどで,壁越しにこれを聞くと,まるで何かを鞭打っているように聞こえる。
フルイスト派が樽の周りで自分たちを鞭打っているという噂が弘まったのは,このせいかもしれない。
踊る者たちが自らのうちに霊を感ずるや,踊りはますます速くなる。
輪の外で拍子をとり声をかけている者たちは,舞踏者のとりわけ激しく速い動作を認めるや,
「彼に恵みが降った」
と言う。こうして預言者や女預言者が出現する。
ラジェーニエ中はなにも考えてはいけない。
さもないと霊は降らない。
預言者や女預言者になる人々は,概してラジェーニエへの強い嗜好を有しており,彼らにとってラジェーニエは,集中した断食ののち,言い知れぬ喜びを伴って自ずと起こるのだという。
人々はラジェーニエを,それがもたらす陶酔ゆえに「霊的ビール」と呼んでいる。
フルイスト派の教義が肉食,飲酒,夫婦の交わり等の厳しい禁欲的節制を課するものであったことに鑑みれば,ラジェーニエによる心理的陶酔が彼らにとって不可欠であったことは,想像に難くありません。
踊りは大抵夜半まで続く。
白衣が汗でぐっしょりになると,白衣を脱ぎ捨て,裸のまま倒れるまで踊る。
踊りが終わると全員が腰をおろし,手で膝を叩いて拍子をとりながら歌を歌う。
それから教導者に向かって脆き,十字を切り,聖神が預言者の口を通って彼らを訪れるよう祈る。
選ばれた預言者が人々に向かい合って立ち,身体を動かしながら,大きな声で預言を始める。
はじめに全員への預言があり,そのあと個々人への預言がある。
預言者は個々人の罪を暴き,罪人は十字を切って罪を悔い,時に涙を流して預言者を拝する。
預言はしばしば明け方近くまで続く。預言が終わると全員で
「キリストは甦り給いぬ」
を歌い,教導者は十字架を聖像の下に置き,一同は脆拝して十字架に接吻する。
フルイスト派にとって霊は善であり,肉は悪であり,ラジェーニエは霊によって肉を克服する手段であるわけですが,日常生活においても霊は肉に打ち勝たねばならない。
最初の罪はアダムとエヴァの肉の交わりによって生じた。
普通の正教徒たちは変わることなく罪のうちに孕まれ,罪のうちに生まれ,罪のうちに生きている。
罪を免れるには,この世と訣別せねばならない。
これは祈りと断食と,肉欲を断つことによって達せられる。
概して,女と交わることは,フルイストにとって最も重い罪です。
肉,魚,玉葱,大蒜を食べてはならない。
酒を飲んではならない。
遊びの集まりに行ってはならない。
悪罵を口にしてはならない。
女は華美な服や飾りを身につけてはならない。
被ったショールはなるべく深く眼まで下ろして結び,常に慎ましくあらねばならない。
これらの誠命をすべて厳しく守る者は,来世で永遠の生命を得るばかりか,ここ現世でも聖神の恵みに与り,神の息子ないし娘に等しいものとなる。
つまりキリストないし生神女となる。
「我が誡命を守りわが道を保つ者は我に在り,我もまた彼に在るなり」
(ヨハネ第一書3.24)。
イエス・キリスト自身そうした神の籍身に他ならなかった。
罪と訣別し新たな生へと生まれ変わり新たな霊となったわれわれは, 言たる神が宿るに相応しい者たちである。
男たちは皆キリストであり,女たちは皆生神女である。
仲間に引き入れようとする者には,先ず自分たちが正真正銘の正教徒であることを確信させる。
「司祭たちはわれわれに何も教えてくれない。だから自分で本を読まねばならない」
と言い,絶えずキリストに祈り,なるべくしばしば教会へ行き,正教の司祭を敬うよう教える。
やがてこう教えるようになる,
「この世:には聖神の恵みを有する試しい人々がいる。
こうした人々の内にこそ神は生きている。
彼らこそ縛り審くカをもち,罪深い魂を地獄から天国へ導くことができる」。
しかしこうした人々が誰で,何処にいるかは言わない。
新人がセクトへの加入に同意するや,彼は数日間の断食と斎戒を命じられる。
定められた日に,セクトの教導者ないし長老が彼を迎えに来て,信者たちの集会へ導く。
そこには信者たちが全員裸足に白衣姿で,男と女に分かれてベンチに坐っており,前方にひとりの女性(生神女ないし女預言者)が聖像の下に腰掛けている。
広い部屋には沢山の蝋燭が明々と灯されている。
生神女は新人に尋ねる,
「ここへは何のために来たか」
「魂を救うために」
と新入は,予め教えられていたとおりに答える。
「魂を救うのはよいことである。で,汝は誰を保証人とするか」
「天の王たるキリスト自身を」
「キリストを辱めることのないよう努めよ」
次いで新人は聖像に向い誓いを立てる。
誓いは次の三点から成る。
1. 聖なる信仰を受け容れ,決してこれに背かない。
2. しばしば教会へ行き,痛悔をし,聖体礼儀を受けるが,司祭に新たな信仰のことは一言も洩らさない。
3. 聖なる信仰のためにはいかなる苦難にも耐え,牢獄も,シベリアへの流刑も,死すらも恐れず,自らの信仰を誰にも決して明かさない。
そのあと新参者は教導者の命ずるところに従い,一同が彼のために祈るよう頼む。
一同は円くなって坐り,彼らが「主への祈り」と称するものを民謡の節で歌う。
一同歌いながら,右手で膝を叩いて拍子をとる。
次いで三,四人の男女が円のなかへ出て,跳ねながら右回りに回り始める。
こうして新信者加入の儀式は,ラジェーニエへと移行する。
ロシアにあっても国外にあっても,フルイスト派は永いこと忌まわしい淫祠邪教のたぐいと考えられてきました。
下着姿の男女により深夜人目を避けて行われるラジェーニエが,人々に性的放縦と乱交を連想させたのです。
フルイスト派の儀試について,バクストハウゼンはロシア人の秘書から聞いた話としてこう記している,
「……祈祷の富士を満たした樽のなかに十五,六歳の少女を坐らせる。
数人の老女が彼女に近づき,その胸を深く切開し,左の乳房を切り取り,驚くべき巧みさで出血を止める。
〈……〉それから切り取った乳房を皿に載せ,小片に切りわけて一同に配り,一同はこれを食べる。
この人肉食が終わると,特にしつらえた高い台に少女を坐らせ,歌いながらその周りを回る」。
バクストハウゼンのこの記述を信頼に値すると見,わたしも同様の話を聞いたとして,同じ乳房嗜食の話を紹介したのは,メーリニコフです。
そして彼はここに,嬰児供犠の話をつけ加えた。
生神女である少女が男の子を産んだ場合,この男子は生まれて八日目に,キリストに倣い脇腹を刺されて殺され,一同はその生血で聖体礼儀をとり行い,屍体は乾燥させて粉にし,パンに焼いてやはり聖体礼儀に使われる。
やはりメーリニコフの挙げている例ですが,
ワシーり一・ラダーエフというアルザマスのキリストは,
「神秘的な死を死に,神秘的に甦って」キリストとなった者にはすベてが許される
という,一種の超人思想の持主で,これに基づき自らのカラーブリの十三人の女たちと関係をもっていました。彼は女たちに向って,自分がこれを要求するのではない,自分の内なる神が要求するのだ
と言って女たちに関係を迫り,彼女たちはこれを拒否できなかったといいます。
カラ~ブリの成員は,自分たちのキリストに対しては絶対服従の義務を有し,キリストの命令とあらばいかなる法も眼中にないという有様でしたから,このキリストが不心得者であった場合はとんだ事態が生じかねない,ということはあるでしょう。
深夜の密儀と乱交,人肉食,嬰児供犠等は,大衆の猟奇趣味にはなはだ適っていました。
また,ロシアをヨーロッパの秘境と見倣したがる西欧人の好みにも適っていた。
ハクストハウゼンとメーリニコフのこの記述は,大衆のフルイスト像を決定してしまった。
ロシアの作家たち自身例外ではなかった。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/5362/1/slc013p121.pdf
性を敵視するキリスト教
江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)
キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)
欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。
田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。
「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)
※週刊ポスト2010年11月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html
1966年、イニス・ベアグ島のアイルランド系の島民に関する人類学的研究によって、島民の性生活において、19世紀のキリスト教の父権的パターンをもつ小型の文化が続いていることが明らかとなった。
女性はオルガスムを経験しなかった。女性はセックスを享受するよりも耐えるように訓練されていた。男性はいつも数秒で果てた。節度というものが抗しがたく両性の心を占めていた。
夫も妻も相手の裸体を見たことはない。前戯は寝巻の上から乱暴になでまわすだけであった。正常位Venus Observa以外の体位はとらなかった。
婚前交渉は事実上行なわれなかった。というのは若いカップルが2人だけになることはなかったから。旧式のデート方法である「散歩」さえも許されなかった。若者は性に関する知識はいっさい与えられなかった。結婚してから「成行きにまかせればいい」と島民は悪びれずに語った。
男たちはしばしば小船に乗って海に出るが、泳ぐために人前で服を脱ぐのがいやで泳ぎを学ばなかった。「海水浴」というのは、服を着たまま海中を歩くことを意味した。海水浴をする男女は厳しく分けられた。男性は病気になったり負傷しても、本土の病院に行くよりも死を選んだのであった、というのは病院に行けば看護婦の目に自分たちの身体をさらすことになると考えたからである。
イニス・ベアグ島ではイヌでさえも、陰部をなめたり、他の「卑猥な」振舞いをすると答で打たれた。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sex.html
「キリスト教中世」は、「性的快楽は全て、男女を問わず、悪だ」と考えた。
「肉には善きことは何もない。神を恐れる者は、禁欲せねばならぬ」(聖クレメンス)。
「生殖を目的としないセックスは全て悪魔の仕業だ」(聖アウグスティヌス)。
これが、数百年にわたってキリスト教の「結婚道徳」の礎(いしずえ)となった。
十九世紀には、「女性の性」への敵意は、一種の歴史的集団ヒステリーにまで高まっていた。
「女性にオルガスムスがあるなどと考えるだけでも精神病者の妄想である。そんなものはありえない」(当時の精神科医の話)
「女性に性的な感覚があるなどという主張は、汚らわしい中傷だ」(当時のイギリスの権威、ウィリアム・アクトン)。
http://www.porsonale.co.jp/semi_i194.htm#1
キリスト教会が、女性は性的快感を覚えてはならず、子を産むためにのみ性交をすべきであると教えたために、成長期にある男子も女子も、できるかぎり女性の性的能力については知らされないようにされた。
医者でさえも、貞節な女性には陰核がないと信ずるようになった。
中世以来、貞節な女性はその裸身を男性に、そして夫にさえもめったに見せることはなかった。
そのため、暗闇でごそごそと女体をまさぐっていた男性が、女体がどういう構造になっているかまったく知らなかったとしても、それは驚くにあたらないことであった。
信心の深い夫婦は頭巾のついたシュミーズを着ていた。それは前面に小さな穴の開いているたっぷりとしたナイトガウンで、肉体の接触は最小限で妊娠させることができるものであった。
1593年の魔女裁判で、審問官(既婚者)は初めて陰核を見つけ、それを悪魔の乳首と思い、魔女の有罪を確証するものだとした。
陰核は「小さなこぶで、いわば、乳首のように突き出ていて、長さは半インチ」であった。
審問官は
「初めて陰核というものを見たが、それが見るのもいやらしい秘所に隣接しているために、誰にも見せないつもりであった。しかし結局、そのようなまことに珍しいものを隠しておくことができなくなって」、
彼はまわりにいる人々にそれを見せた。人々もそのようなものは見たことがなかった。魔女は有罪と宣告された。
西欧社会は、たしかに、男根については熟知していて、男根崇拝はキリスト教時代になってもなくならなかった。Phallus Worship. しかし、陰核のことは忘れられていた。
「人生のそもそもの始まりから、私たちはみな、主要な男性生殖器は男根であり、女性性器で主要なのは膣であると教わる。そしてそれらによって男であるか女であるかがはっきりわかるし、男女の違いが現れるものと考えられている……これは嘘である……女性の性的快感を考える場合、こうした定義があてはまらない場合が多い。
もし女性性器の目的が女性に快感を与えることであると思うならば、女性が性欲をはっきり自覚するのは別の器官によるし、それに集中する。幼児のころから、主要な男性性器は男根で、女性のは陰核であると、すべての者が教わるとよい」。
19世紀の医学の権威者たちは、女性の性的能力を女性たちに気づかせまいと心を配ったようであった。男の子と同様に、自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女の子は、医学的に問題のある子だけだとみなされた。
そういう女の子は、しばしば、陰核を切り取られたり焼灼されたりして「治療」され、「矯正」され、
あるいはまた、
「小さな貞操帯をはめられて、陰唇を縫い合わせて陰核に手がいかないようにされ、卵巣を外科手術で切除されて去勢されたりもした。
しかし医学的文献を見ても、自慰をやめさせるために男根を切断したり、睾丸を外科手術で切り取ったりしたということは、どこにも書いてない」 。
アメリカで、自慰行為をやめさせるために陰核摘出をした記録の最後のものは、1948年のものであった。5歳の女の子であった 。
カトリック教会は、1976年、自慰行為を「重大な道徳的退廃」だとしたが、それは、女性が自慰行為によってオルガスムに達することができることを恐れたこともあったのかもしれない。男性と同様に、自慰行為によって女性がオルガスムに達することは、今ではよく知られていることである 。ヴィクトリア朝時代、聖職者や医者たちは、「女性の性的能力を全面的に抑圧することが、女性を飼いならすのに決定的なことである」と思っていた。
アイザック・ブラウン・ベイカー博士のような指導的な権威者たちも陰核摘出を数多く行って、女性の神経衰弱、ヒステリー、強硬症、狂気、女性痴呆症、その他性的欲求不満の徴候を示す数々のふれこみ文句で言われている症例を治療しようとした。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/clitoris.html
マッサージ機の歴史
テーマ:芸能・エンターテイメント 「松島・町山の未公開映画」というマイナー番組。オセロの松島さんと、アメリカ評論家(?)の町山さんがアメリカ社会の事実をお届けするという番組。
今日はとても面白かった、町山氏の解説がね(笑)
そもそもヨーロッパでは、キリスト教の教えにより、女性にとって陰核刺激をすることは低俗なことであり、挿入快楽によって主人と同時絶頂が理想とされた。その考えは今も根強いとも言われる。
18世紀後半ビクトリア朝のイギリスでは、女性は束縛された。女性はきれいな言葉を使い、働いたらだめだし、さまざまな権利も保障されない。女性たちは当然、ストレスがたまり、欲求不満でイライラするようになる。
これは、当然の結果だ。にもかかわらず、当時イギリスでは、これを女性がかかる「ヒステリー」という病気だと断定した。
実際、束縛された女性たちはイライラがつのり、医師のところにどんどん行くようになる。
医師は、これに対してどういう治療をしたかというと、陰核刺激だった(爆笑)
女性たちは、医師による陰核刺激で絶頂に達し、すっきりして家に帰るわけである(爆笑)
夫たちも、別にその陰核刺激は、ヨーロッパでは性行為ではないという概念であるし、治療行為なので気にしないし、何せ妻がすっきりしてイライラがおさまるのだから、悪くはない。
さらに、女性たちは病院に通った(爆笑)
すると、今度は医師たちの指が疲れるわけである(笑)
そこで、バイブレーターというものが発明され医師たちに愛用された。その後、バイブレーターを肩などに当てても気持ちがいいということで、電動マッサージ機として発売されることになった。 つまり、電マで陰核刺激することは、バイブレーターに転用したということではなく、本来の使い方だったというわけである。
番組の本題は、アメリカで女性用バイアグラを政府が認可するか、しないかという話の前半であった。
アメリカでは女性が挿入絶頂しないのはなんと病気(FSD)だと今、半ば定義づけられており、政府がお墨付きで病気だと断定するか、しないかという段階だという恐ろしい話なのである。
病気じゃないものを病気だといわれると、昔のイギリスのような無知なアメリカの主婦たちが、その女性用バイアグラを買っていき、製薬会社はボロ儲けという構図なのである。
アメリカは性教育が発達していると思われる人が多いかもしれないが、実際は逆。 これはアメリカの最重要問題の人工中絶の是非の問題にもからんでくる。
アメリカの少し内陸部になると、ものすごく保守的で古いキリスト教義が根強く、人工中絶は禁止だし、性教育で生徒には、いまだに婚前交渉はだめであり、結婚後も避妊はだめだと教える。そういう土壌の中、保守的な女性たちにFSDは病気だと製薬会社が政府とつるんで教え込み、儲けようとしているのである。
加筆・・・・
翌週。結局、ホルモンを使った薬は今回は認可を阻止することができた。しかし時間の問題だという。そして一足先に、EUで認可されたそうである。 これについて、町山氏が松島さんに言う。2週にわたって、見てきたが、一回も「愛情」という言葉が使われなかったよね、と。
アメリカは、女性が絶頂に達しないのは病気であるとし、薬で絶頂に達せようとしたり、手術までしようとしたり異常としか言えない。
仮に、薬を飲んだり、貼ったり、したら快楽が増し絶頂に達するというのであれば、好きでもない男でもどんな男に対しても絶頂に達するということになる。それはおかしいことだ。女性はまず愛情があるからこそである。手を触られただけでも、大好きな人であれば、ドキっとするものであり、それは、科学だとか薬だとかの話ではない。
一切、そういう愛情というものを度外視して、ただ絶頂しないのは病気であり薬で解決させようとするのは、機械的であり、まったく、日本では理解できないものだ。 本当に、「愛」という言葉が1度も聞かれず、ただ絶頂に達することについてだけ議論しているという完全に異常、異様なVTRだった。
http://ameblo.jp/winterorange/entry-10691576426.html
かってヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女がマスターベーションを行う習慣をやめさせようとする時代がありました。19世紀には、特に女性のクリトリスは性的快感を与える以外には何の役にも立たず生殖出産には全く不要であるとして、クリの切除が合法化され、奨励されていました。
当時の高名なある医者は、オナニー(マスターベーション)の習慣をもつ多数の少女のクリトリスを、焼きごてで焼きつぶして、オナニーと言う病気、を治療したと明言しています。
http://mas.fromc.com/life-partner/danjyo~tame/kuritorisupenisu.htm
中世ヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女のマスターベーション、オナニーは禁止されていました。
今でもクリスチャンにはオナニーを悪魔の誘惑に負けることだといって、慎む人たちがいます。その中でも女性のクリトリスは性的快感を得ること以外に役には立たないという認識があり、こんなものは子供を作る際にも不要だ!ということで、クリトリスの切除が、奨励されていました。
「イタイ!!」
慢性的にオナニーの習慣を持つ少女に関しては、病気だと診断し、クリトリスを焼きつぶしたりしてオナニー癖を治したりしたそうです。
魔女裁判とも密接な関係があり貞淑な女性には性欲の象徴であるクリトリスがないものだという考えが浸透し、クリトリスがあると魔女扱いされたりしました。当時はオンナは、オトコの欲望、好奇心の対象物でしかなく、自らセックスの楽しむを得ることは許されてなかったのです。
http://htsx.blog.so-net.ne.jp/index/4
クリトリス切除はマスターベーションを防ぐ方法の一つだと考えられていたが、アメリカではコーンフレーク王のJ.H.ケロッグがまた別の治療法を考えだした。女の子が自分で楽しむのをやめようとしなければ、「純粋な石炭酸」をクリトリスに塗ればいいと提唱したのである。
http://diary.mrmt.net/2745
X線の最初に知られていた治療上の機能は女性のクリトリスを照射し、焼灼・破壊することだった。
1860年代からは clitoridectomyのための方法によって、取って代わられた。
http://www.brandbihar.com/japanese/women/history_female_sexuality.html
949. 名無し調教中。 [sage] 2006/12/07(木) 01:03:00 ID:m7yYpyRH
ヨーロッパじゃ一時期 オナニーに対して過剰な措置を取っていた時期があるよ。
ペニスにつけるアンチマスターベーションデバイスが売られたり、就寝時に子供の手を縛って性器に触れなくするとか。
953. 名無し調教中。 2006/12/07(木) 10:32:14 ID:XN5tKFeY
まあ、マスターベーションは精神病、特にヒステリーの原因と考えられた時代があってな。そのころは、クリトリス切除をマジで推進する医者が欧州にもいたんだと。精神に変調をきたした女から子宮摘出とかやってた時代だ。
954. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 03:10:57 ID:gQmoBRBp
マスターベーション禁忌は聖書にも記載されているから、敬虔なキリスト教徒なら嫌うだろう。 逆に近代に入ってからの性感帯信仰が異常とも言える。
女子割礼反対の根拠ともされるが、クリトリスが女性の体にとって本当に欠かせないものかどうか怪しいな。
一つだけはっきりしていることは、どの社会でも女の性器に自由はあまり無いということ。男根のように放置されることはまず無い。 生理や出産など常にケアと点検が欠かせないからね。
955. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 10:15:03 ID:NURGfebo
うんにゃ、聖書にオナニーしちゃいかんって記述はない。オナンが罰せられたのは姦淫の罪でだな。妊娠を目的にしないセックスをしちゃいかんというタブーならあった。
マスターベーションがタブーになったのはキリスト教とストア派が融合した結果、「肉なるものはずべて悪」って思想ができた時代だと思う。
意外に思うかもしれないが、イスラム世界のハレムでは女たちの同性愛と自慰が性的コンディションを高めるために容認というより奨励されていた。もっとも、子種を植える畑を耕しておくという意味においてだけど。
http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523
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4:777
:
2022/05/26 (Thu) 17:56:20
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「陰核切除」
女子に対する「割礼」のことで、陰核を幼いうちに切り取ってしまうこと。
「陰核切除」の目的は、女性器性感を鈍化させることによる浮気封じにある。つまり男上位主義に基づく男の身勝手から出た発想で、女から性的快楽を奪うことにつながる。モハメツトは教典『口伝律(スンナト)』で、割礼は男のための儀式だが女にとっても名誉なこと、と言っている。しかし女の割礼を神聖な行事とするイスラム教の割礼儀式、ことに陰核切除は、中東やアフリカの一部に見られる残酷な弊習にすぎない。
従来、たいていの陰核切除手術で、施術者は少女を押さえつけ、麻酔も施さずにクリトリスを擦って勃起させ、その頂点で切り落とす。女の子は痛みに悲鳴を上げ、予後ケアーも不備なため、命を落とす者も珍しくなかった。
一八七〇年頃ヨーロッパで女のオナニー有害説が流布し、その影響もあってクリトリス切除が流行した。この傾向はアメリカにも飛び火し、一八九〇年代女たち(多くはプロスティテュートだが)は骨盤矯正という名目の手術を受け、その流行に乗ったことを証明するべく手術跡を見せ合ったという。
http://mistererog.seesaa.net/article/174587783.html
04. 中川隆 2014年6月13日 00:06:44 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc
欧米ではキリスト教道徳に由来する『女性のセクシャリティ(身体)の罪悪視』と『男性の性愛のダブルスタンダード』というのが女性を家庭・婚姻に位置づける上で大きな役割を果たしていました。
キリスト教にせよイスラームにせよ、父権宗教(男性的宗教)では『女性の性愛・快楽の抑圧と罪悪視』が必ず教義と宗教共同体の性規範に組み込まれており、男性の女性に対する性的欲求(独占欲)が女性へと投影されることで『女性の誘惑・媚態』が想像的に指弾されていました。
ヨーロッパやイスラーム圏の信仰心が頂点に達した中世は、男性にとってはともかく女性にとっては特別な身分・権力を有する女性を除いては『暗黒の中世』であり、共同体の性愛(男女関係)の秩序やルールに違反する女性(自由恋愛・バイシュン・不倫)は『魔女』として弾圧されたり、性被害を受けた女性が逆に『一族の恥・男性をみだりに誘惑した』として処罰されるというような男性原理の理不尽な裁定が罷り通りました。
現代社会においてでさえも、性犯罪の二次被害として『女性の落ち度・誘惑・気の緩み』などを不条理に批判する声の問題が残っているわけですが、中世~近世のヨーロッパの共同体では『婚姻関係・生殖目的のセックスのみが正常』という宗教的価値観が非常に根強く(この考え方は現代の一神教の根本主義としても見られますが)、結婚していない女性が性行為をすればそのすべてが『女性の誘惑・不貞・落ち度』として非難される風潮があったのです。
今から考えれば論理も説得力もない無茶苦茶な話なのですが、『女性の身体・快楽の罪悪視(女性は男性を誘惑して神の道を踏み誤らせる存在)』と『結婚の秘蹟によるセックスの認可(性愛の罪の赦免)』という父権宗教の伝統規範によって、女性は結婚しなければ性行為をしてはならないし、結婚したとしても身体的な快楽を感じることは禁じられていたのでした。
異常なまでに性道徳が厳格化した18~19世紀(特に英国ヴィクトリア朝)では、どのようにして罪深い快楽を体験せずに生殖目的のみに限定したセックスができるのかを真剣に思い悩み、教会では聴罪司祭に自分がどのような性行為をしているのかを打ち明け、その性交の方法が罪に当たらないのかを恐れていたのでした。
性的エネルギーである“リビドー”の過剰抑圧、特に女性(淑女)は一切の性的快楽を感じてはならず、性の欲望も抱いてはいけないという抑圧が、『心因性のヒステリー』の原因となり、S.フロイトの精神分析の病理学・治療法へとつながっていったのでした。
基本的には、17世紀頃までは男性も結婚しなければ一切の性行為ができないとされていたようですが、性欲の抑圧で血気盛んな『青年集団』は、村落共同体の『大人集団』の管理下に置かれていたものの、時に暴行事件や性犯罪事件などを起こしても若気の至りとして重い処罰を科されることはありませんでした。
青年は『結婚』というイニシエーション(通過儀礼)を経験しなければ、『大人集団の正規メンバー』として認められず、合法的・倫理的に『女性との性関係』を持つこともできないという厳しい制限があったので、青年たちの結婚に対する動機づけは非常に高いものとなりました。
また、男性の場合は19世紀に近づくにつれて淑女(良妻賢母)と娼婦を巡る『性愛の二重基準(ダブルスタンダード)』が許されるようになっていくので、家庭内での妻との性的快楽は宗教的に禁圧されていても、家庭の外で娼婦から快楽を得ることが『マッチョリズム(男権主義)』のステイタスになっていたという経緯もあります。
20世紀前半までは、男性だけ『生殖のための性行為』と『快楽のための性行為』を区別できる二重基準が許されており、女性には『婚姻を前提とする生殖のための性行為』か『婚姻規範に違背する自由な娼婦』しか許されないという圧倒的なセクシャリティを巡る男女の格差(差別)が残っていましたが、淑女は性的な関心や快楽への意志を持たないものとされていたので、社会規範上はそれでも問題がないと考えられていたのでした。
17世紀までは暴力と処罰によって女性の性・身体は厳しく管理され、18~19世紀初頭にはジェンダー教育と宗教的な敬虔さの内面化によって女性の性・身体が抑圧されることになります。17~19世紀のゲマインシャフトの社会では、女性には『聖母(良妻賢母)』か『娼婦・魔女』かという社会的偏見に基づく自己規定しか無かったというのが、女性の社会的・宗教的抑圧の重石になっていました。
http://charm.at.webry.info/200912/article_7.html
S.フロイトの創設した精神分析は、イギリスのヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)の余りに厳格過ぎる性道徳へのアンチテーゼとしての側面を持っており、19世紀のヒステリー(神経症)は性的な欲望や身体を罪悪視する社会的風潮(世論の圧力)と強い相関を持っていた。
現代からは想像できないことだが、近代ヨーロッパの黎明期には『女性の身体』は美しさや華やかさと結びつけられずに、罪深さ(恥辱)やはしたなさと結びつけられており、とにかく社会の中で女性の身体(肌)を見せることはタブー視されて抑圧されていたのである。
笑い話のようであるが、ヴィクトリア朝の貴婦人たちは『椅子の脚・テーブルの脚』を見ると不埒な性行為をイメージさせるということで、そういった家具の脚にカバーを掛けたり、設計段階でできるだけ脚の見えない家具を作ろうとしたりしていた。
ヴィクトリア朝の英国人はその意味では究極の妄想的な“脚フェチ”であるようにも思えるが、それは現代人が『女性の脚』を性的刺激として余り意識しなくなる程度に、社会(他者の視線)の中で脚を露出するファッションが一般化したからである。
現代でも、極端に丈の短いミニスカートや肌の多く見えるファッションを『道徳的に好ましくない』とする価値観は残っているので、女性の脚と性的刺激のイマジネーションを結びつける感覚が完全に消えたわけでは当然ない。しかし、全体的な傾向として近代以降、社会における『女性の身体性の解放』は留まることなく進んできたと見ることができるし、そのことは女性の身体の所有権が『男性社会・家長』から『女性個人』へと移行してきたことを示している。
各種の社会的格差はあっても『男女同権』は今では当たり前のことのように思われているが、19世紀後半に至るまで、女性は自分の身体に対する所有権すら男性並みに保障されていたわけではなかった。
女性のファッションの自由というのは、自分で自分の身体の見せ方をコントロールできる権利のことであり、
ヴィクトリア朝の上流階級では1850年代まで“クリノリンスカート”という全く機能的ではない重苦しく大きなスカートによって、女性の身体は足首から二の腕に至るまですべて社会から覆い隠されていた。
その意味では、19世紀前半までのヨーロッパ世界(中流階級以上の女性)では、現代のイスラームのブルカの宗教的衣裳と同じように、『女性の身体』を男性社会や家族(家長)が管理するという発想に立っていたと解釈することができる。『女性の身体を隠蔽しようとする文化』は近世まではヨーロッパ世界の主流の文化であったが、そこには男性原理や家父長制を肯定する『一神教』の影響があり、
女性は配偶者(家父長制の家族)の所有物であるかのようにその活動範囲を『家の周囲』に狭く制限されていたのである。
古代ギリシア・ローマの文化芸術では、男性も女性もその自然な身体性の美しさや魅力が賞賛されており、裸体の彫刻や絵画が『美のイデア』を模倣したものとして鑑賞されたが、それは古代ギリシア・ローマ社会が、女権社会(地母神崇拝)の痕跡を留める『多神教の宗教』を信仰する社会だったからと推測することができる。
しかし、キリスト教やイスラム教という『父なる神』を崇拝する男性原理の一神教がヨーロッパ世界を覆うに従って、女性の身体も分厚く面積の広い衣服によって覆われていき、理想的な女性のイデアは父・夫・子に純真無垢に尽くす『家庭の天使』に収斂していくことになった。
ヴィクトリア朝では『家庭の天使』になる女性には能動的な性欲は存在しないものと定義され、『女性の非性的な属性』を医学的な事実だとするウィリアム・アクトンのような保守的な医師も多かった。
19世紀前半のイギリスでは、積極的に自分から性的活動をしようとしたり、他愛ない話題でも不特定多数の男性に話し掛けたりする女性は、所謂、異常性欲の診断や娼婦への偏見を下される恐れもあった。
http://charm.at.webry.info/200910/article_7.html
ヒステリー患者に共通している二項目を挙げると、
一つは彼等が嘘をついていない事、
二つ目はいくら検査をしても医学的に悪い所が発見できない事である。
今まで行われたヒステリー研究ではその規模が小さく、また方法論に問題があって結果の比較が難しく、総合的結論が出せなかった。
フロイト以前にもヒステリーと言う言葉はあった。原語はヒステラでありギリシャ語で子宮を意味する。古代の医者の中には、餓えた子宮、間違った位置にある子宮が女性の病気の原因になっていると言う人もいた。ヒポクラテスは子宮理論の中で、女性の病気を治すには結婚が良いとした。
その後に現れたのが聖者であり、呪術師であり、悪霊に取り付かれた者達であった。
17世紀ではヒステリーは発熱に次ぐ最もありふれた病気であった。
19世紀に入りフランスの神経医学者であるジャン・マルチン・シャルコーやピエール・ジャネットがヒステリーの現代医学的基礎を作った。そして、シャルコーの生徒であり若き神経学者であったジークムント・フロイトが、劇的にヒステリーの見方を変えて大衆化させた。
フロイトの魅力は、何故ヒステリー患者が卒倒したり、痙攣したりするかを説明した所にある。
彼は「転換」と言う言葉を使い始めた。彼によれば、ヒステリーとは解決されない無意識の葛藤がヒステリー症状に転換したと言う。
彼のこの「体は心のドラマを演じている」に取って代わる理論は未だ現れていない。
「ヨーロッパの医者には、ヒステリーが体の病変と関係しているのでは無いかと考える人もいた。例えば、不幸な子宮、余りに細い神経、肝臓から出る黒い胆汁等がひきつけ、叫び、痛みを起しているのでは無いかとした。
フロイトがこの因果関係を逆転させ、心の葛藤がヒステリー症状を起すとした」とイリノイ大学の助教授であるマーク・ミケール氏は言う。
現在の神経学者は脳と心をを別々に考えていない。多くは未だ不確かではあるが、脳スキャンによる検査では、脳の感情の中枢が感覚野や運動野の回路を変調させているのが分かり始めている。
過去10年間にヒステリー患者の脳スキャンが多く取られ次の事が分かった。
患者の神経と筋肉には問題がない事、即ち構造より機能に障害がある事を示している。
患者では動きを指令する高度の部分、即ち意志の部分に問題が起きていると推察される。映画で言えば、俳優が駄目なのでなく、監督に問題がある。
手を動かすには次の一連のプロセスを必要としている。
先ず手を動かしたいと言う動機があり、次にどの筋肉をどのように収縮するかの計画、そして最後に実際に手を動かす実行がある。理論的にはこの3つの段階のどの段階に問題が発生しても麻痺は起きる。(シャルコーは1890年に既にそのように考えていた)
1997年に雑誌Cognitionで、カーディフ大学のハリガン氏の研究チームは、体の左半分が麻痺した女性の脳の機能を詳細に調べ、彼女の体、脳には病変がない事を確認した。
彼女が麻痺した左の足を動かそうとしても、活動すべき脳皮質が活性化していなかった。
その代わり、右眼窩前頭皮質と右前部帯状皮質が活性化していた。
この部分は行動と感情に関係する分野で、ここが運動を抑制して足の麻痺を起しているので無いかと判断した。
「患者は足を動かそうとしている。しかし、その意志が原始的な右眼窩前頭皮質と右前部帯状皮質を活性化し、動かそうの命令を阻止した。彼女は足を動かしたいのですが足は動かないのです」
とハリガン氏は言う。
その後に行われた研究でもこの考えは支持されて、転換性障害の患者では、感情を処理する脳に変調を来たし、動き、感覚、視覚の脳の回路が正常に働かなくなったとしている。
今後、このようにスキャンで診断する方法が主流になるであろう。従来の検査では悪い部分を発見出来なかったから、勢い、仮病ではないかの誤った偏見を医師に持たせる結果となった。
脳スキャン検査は医療関係者のヒステリーに対する偏見を取り去ろうとしている。
「ヒステリー患者は我々の間では大変評判が悪かった。彼等は、どうも奥深くの所で我々を騙しているのでは無いかと、我々が思うからです。
だから、わざとらしい症状を見ると
『ちょっとおかしいのじゃないの。足うごかせますよ』
と言いたくなるのです。
もう1つ好きになれないのは、彼等が良くならないからです。
それも意図的にしているように見える」
とバーモント大学の神経学助教授であるデボラ・ブラック氏は言う。
文化は変わっても症状は余り代わらない。
オーマンではジン(悪霊)がひきつけを起すと言う。
ナイジェリアとインドではヒステリー患者は頭、手、足にピリッとした痛みを感じる。カリブ海諸国では頭痛、震え、心臓の動悸、むかつきが一般的症状である。
イギリスでの帰還兵士の調査では、20世紀を通して心的外傷障害はなくならなかったと報告がある。本能が心に取って代わったのだ。
ヒステリーの広範性、人間の歴史と共に存在した長い歴史から見て、ヒステリーは恐怖に対する本能的反応であろう。
麻痺のような機能の完全喪失は、最早不可能な事態に直面した時に起こる反応とも考えられる。例えば、車のヘッドライトに目の眩んだ鹿を考えたらどうだろう。
http://saito-therapy.org/new_finding/hysteria.htm
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5:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/02/03 (Fri) 04:12:04
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モーツァルトは文部省唱歌と同じ様に懐メロとして聴かれている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14085052
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6:777
:
2023/09/29 (Fri) 18:06:32
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モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html
モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html
モーツァルト 歌劇「魔笛」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html
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7:777
:
2023/09/30 (Sat) 17:26:59
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LGBTは軍隊の弱体化、家族の解体、国民の断絶が目的
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14118138
LGBT法案は「女性の権利を踏みにじるもの」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14116705
新しくできるトイレは女性用トイレが廃止されLGBTなどが利用しやすい共用トイレになる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14104088
古事記から紐解くLGBT問題|茂木誠
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14121107
日本の国体と日本人の信仰を完全に破壊した明治維新
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006730
イングマール・ベルイマン『モーツァルト 魔笛 Trollflöjten』1975年
サタニズムとは何か? _ 性を敵視するキリスト教
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14005225
まともな人間に芸術は理解できない _ ゴッホは何故ゴッホになれたのか? 何故、西欧の芸術家は日本文化に憧れたのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007239
世紀末の画家 ポール・ゴーギャン _ ゴーギャンこそ「南国楽園」白人セックスツーリズムおよび児童買春ツーリズムのパイオニア
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007315
ニーチェやドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007256
フロイトが否定した父娘相姦はすべて事実だった _ 1968年栃木実父殺し事件
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047842
ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html
ヨーロッパ女性を変えたフランス映画の最高傑作『エマニエル夫人 Emmanuelle』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14005112
レズビアン映画「エマニエル夫人」のネタバレ!あらすじ・ストーリー・結末について!
https://belcy.jp/40832
ビル・クリントンはペドフィリア
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1163.html
プチエンジェル事件で皇太子の相手をしてグラビアアイドルにしてもらった小向美奈子
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007901
片山徹 皇族の児童バイシュン関係 Twitter
https://twitter.com/_9105294027642
アナーキストが誰にも相手にされない理由 _ 一般大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/737.html
欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html
キリストの再臨とアメリカの政治
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007057
キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html
ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html
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8:777
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2023/09/30 (Sat) 17:41:17
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ジャニーズの性的虐待事件は日本だけの問題ではない! グローバリストの小児性愛、人身売買、悪魔崇拝についてジェームズ斉藤が解説!
2023.09.13 14:00 文=中村カタブツ君
https://tocana.jp/2023/09/post_256147_entry.html
【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】
──日本ではジェームズさんが2年前に暴露していたジャニーズ事務所のペドがやっと問題視されるようになりましたね(笑)。
ジェームズ:ペドは日本だけでなく、世界的に根の深い問題なんですよ。なにしろいまアメリカでも『サウンド・オブ・フリーダム』という子供の人身売買を扱った映画が話題になっていまして、この間、ケネディ・ジュニア(アメリカ民主党の大統領候補の1人)の集会に言った時にも一番話題になっていましたね。「あの映画を見たか!」「やつらに人身売買をやめさせないといけない!」と言ってましたね。
──「やつら」というのはグローバリストたちですね。
ジェームズ:ペドのジェフリー・エプスタインのリストに載っていた人たちですね。バラク・オバマ、ビル・クリントンとかです。ケネディ・ジュニアの支持者たちがなぜこれを問題にしていたのかというとアメリカでは4秒に1人、子供が消えているためです。子供たちは拉致されて売られているといわれています。もともとアメリカは黒人奴隷の国でビジネスに必要な労働力のための人身売買ネットワークが発達しています。そもそもアメリカは黒人奴隷という人身売買により建国され、その後のフロンティア開拓が猛スピードで進んだようなもので、リンカーン大統領の奴隷解放後も、奴隷貿易の流通インフラがそのまま現代の人身売買ネットワークに変わっただけです。つまり、アメリカ経済は人身売買なしでは語ることができないほど、「永遠の奴隷制」で成り立っています。そういう中で、特殊案件としてペド関係のネットワークもあります。どういう顧客かというとさきほど言ったようにエプスタインのケースのようにエリートでペド性癖がある人たちです。エリートにペドが多い理由はサタニズムです。
ジャニーズの性的虐待事件は日本だけの問題ではない! グローバリストの小児性愛、人身売買、悪魔崇拝についてジェームズ斉藤が解説!の画像2
ジェフリー・エプスタインの顧客リスト
──だから、そこなんですよ。ジェームズさんはよくサタニズム、悪魔崇拝と言いますが、日本人には理解しにくいんですよね、悪魔を崇拝するということが。子供を誘拐して性の対象にするとか、生贄にするとか考えられないんですよ。
ジェームズ:日本は一神教の国ではないですからね。欧米の人々は一神教のキリスト教を本気で信じています。もちろん熱心ではない人もいますが、彼らの生活の中にキリスト教が根付いていますから、誰の心にもあることはあるんです。
──無神論者の日本人でも「お天道様が見てる」と言われるとなんとなく襟を正すような感覚ですかね?
ジェームズ:そうです。そういう刷り込みが欧米人にもあるのですが、日本の神道と違うのは一神教はキリスト教を除き、戒律が厳しいんです。十戒が代表的ですよね。ただし、新約聖書では一応旧約聖書のモーゼの十戒を継承していますが、新約を母体とするキリスト教独自の戒律はなく、行動規範を示さないのでさまざまな宗派が生まれているのですが。とはいえ、聖書の中には数々の禁止事項が書かれています。それこそ男色は聖書で禁止されていますが、古代バビロンの頃のユダヤ人は肛門性交ばかりやっていたので神が怒ったんです。それが聖書のソドムとゴモラの記述です。
──あれって肛門性交で神は怒ったんですか!?
ジェームズ:そうです。ほかには子供の生贄があったり、それは全部神の怒りに触れます。
──でも、いまLGBTを世界的に広めようとしている人たちがいますよ。完全に悪魔的ですよね?
ジェームズ:ですから、LGBTがここまで広がるのはサタニズムと連動しているからだと言えるのです。
──そうか。LGBTはサタニズムなんですね。
ジェームズ:聖書で禁止していることをやろうとしているんですから、それはサタニズムです。日本ではそれを理解していない人があまりにも多いんですが(苦笑)。
基本的にはサタニズムとは神の否定、つまりアンチゴッドで、いまはこれを堂々とやれるほど、サタニズムの影響力が強まっているんです。たとえば、昔のサタニズムはコミュニズムを隠れ蓑にしていました。コミュニズムと言うと宗教性がないように感じますが、コミュニズムは無神論なので神の存在を否定しています。神の存在を否定した時点でアンチゴッドですからバリバリのサタニズムです。ただ、そう認識できた人が多くなかったのです。いまの時代コミュニズムが存在理由を失って、コミュニズムの裏に隠れていたサタニズムがもろに表に出てきました。
──確かに極左の人たちってセックスのことを言い出すのが好きですよね。
ジェームズ:それはなぜかというと性の問題が神への反乱の第一歩だからです。
──ソドムとゴモラを作りたいんだ。
ジェームズ:いえ、ソドムとゴモラ以前の話で、アダムとイブが神に逆らったんです。彼らは禁断の果実を食べました。それはセックスをしてしまったということです。しかも、エデンの園に蛇がいて、イブに禁断の果実を渡す時に「この果実を食べればお前も神になれる」と言ったんです。これこそサタニズムの始まりです。「自分は神である」と思った瞬間にサタニストになります。聖書の最大の矛盾はサタンがいたからこそ、神が存在しているということです。これを正教の解釈に基づけて考えると神というのは人間に対して選択肢を与えていると。神側につくか、悪魔側につくかです。これはドストエフスキーの小説の重要なテーマでもあります。ドストエフスキーは「人間というのは常に誘惑にさらされていて、そこで神を選ぶか、悪魔を選ぶかは個人の選択である」と言っています。
──『罪と罰』とか。
ジェームズ:まさにそうです。主人公のラスコーリニコフという名前にしても、あれは「ラスコーリニキ」というロシア正教会の古儀式派の人たちのことを暗示しています。ラスコーリというのは「破壊」とか「分離」という意味で、当時、正教会を反キリスト的だと言って批判していました。
──あ、そうなんですか? 『罪と罰』って宗教を意識して読むものだったんですね。いまネットで調べてみたら、ラスコーリニコフが殺したお婆さんって「金貸し」だったんですね。ただの金持ちのお婆さんだと思ってました(苦笑)。
ジェームズ:「金貸し」だったということはユダヤ人です。実はドストエフスキーは近代反ユダヤ主義のルーツなのです。ドストエフスキーはゴリゴリの正教ナショナリストで、『カラマーゾフの兄弟』なんかを書いた理由も、ロシアが近い将来ユダヤに乗っ取られるだろうという予感があったからです。その後実際、ロシア革命が起こってロシアはユダヤに乗っ取られました。そして、現在、ドストエフスキーの予言が世界中で当たろうとしています。
──ということは人身売買もユダヤと関係があると。
ジェームズ:当然です。もともとユダヤの古い儀式にあるんです。 それは旧約聖書にも載っていて、子供を生贄にする有名な話があります。アブラハムが息子のイサクを神の生贄にしようとした、あの話です。あれが書かれているということは、当時のユダヤでは生贄が普通だったんです。古い風習としてあったんです。これについて20世紀を代表するイギリスの歴史学者のアーノルド・トインビーという人は「ユダヤ人は化石民族だ」と言っています。化石民族の意味は文明が発達する以前の文化をいまの時代に継承しているということです。
──生きてる化石だと。
ジェームズ:子供の生贄の発想はブードゥー教などの原始的な宗教の発想で、それをいまに残しているんです。エジプト文明、ローマ文明など、世界文明は発展の途上で生贄は排除してきたのですが、ユダヤの特殊性はそういう文明から外れていることです。だから、化石民族なんです。前文明時代を継承、特に子供の生贄が重要な文化的ウエイトを占めるようになってしまったのです。
──でも、それを世界的な大企業の社長さんであったり、元大統領がやっているというのがよくわからないんですよね。
ジェームズ:たとえば、彼らは人類の人口は減らすべきだと言っていますよね? しかし、そこには人殺しを肯定する考え、つまり神の啓示である「汝、殺すことなかれ」というモーゼの十戒の教義にモロに逆らっていることになります。神に対する反逆、それってサタニズムですよね?
──サタニズムですね。
ジェームズ:サタニズムというのは実は古代からずっと続いているんです。 そしてペドというのは現在のサタニズムを理解するための重要なテーマであり、現在の世界そのものを裏から動かしていますので今後も折に触れて解説していきましょう。
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