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エイゼンシュテイン 戦艦ポチョムキン (1925年)

1:777 :

2022/05/22 (Sun) 22:42:30

エイゼンシュテイン 戦艦ポチョムキン (1925年)

監督 セルゲイ・エイゼンシュテイン
脚本 セルゲイ・エイゼンシュテイン
原作 ニーナ=アガジャーノ・シュトコ(ロシア語版)

音楽
エドムント・マイゼル(1926年)
ニコライ・クリューコフ(1950年)
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1976年)

撮影 エドゥアルド・ティッセ
公開 1925年12月24日


動画
https://www.youtube.com/watch?v=AyBaMzBjr0c

戦艦ポチョムキン - ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm9573925
https://www.nicovideo.jp/watch/sm9574091
https://www.nicovideo.jp/watch/sm9574208

音楽

Shostakovich: Symphony No. 5 in D Minor, Op. 47
Leningrad Philharmonic & Yevgeny Mravinsky

Symphony No. 4 in C Minor, Op. 43: Symphony No. 4 in C Minor
Gunther Herbig, Saarbrucken Radio Symphony Orchestra

Symphony No. 11 in G Minor, Op. 103, "The Year 1905"
Leningrad Philharmonic, Evgeny Mravinsky

ショスタコーヴィチがどんな時代に生きて、その音楽がどのように利用されたか。そんな背景を知っておくと、彼の音楽をもっと興味深く聴けるようになる…かもしれません。 /ソビエト連邦 セルゲイ・エイゼンシュテイン監督(神父役で出演)。1925年公開。オリジナルのネガは失われたが、1976年に各地のポジフィルムより映像を再構成し、ショスタコーヴィチの音楽を付けて復元された。


▲△▽▼


『戦艦ポチョムキン』( Броненосец «Потёмкин»)は、1925年に製作・公開されたソビエト連邦のサイレント映画。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の長編第2作目で、「第1次ロシア革命20周年記念」として製作された。


1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を描いたもので、「オデッサの階段」と呼ばれるオデッサの市民を虐殺する場面は映画史上有名なシーンの一つであり、様々なオマージュやパロディを生んでいる(後述)。しかし、「オデッサの階段」の場面や終盤の黒海艦隊の多くの艦が反乱に同調する(実際は数隻のみ)場面など史実とは大きく異なる部分も多い。当時のソ連の映画人が提唱したモンタージュ理論を確立した作品として知られ、エイゼンシュテインが唱える「アトラクションのモンタージュ」などといった独創的なモンタージュ理論を実践しており、世界各地で大きな反響を受けるとともに、後の映画人にも多大な影響を与えた。現在に至るまで映画史的に非常に重要な作品として評価されており、『國民の創生』、『市民ケーン』とともに映画芸術に革命をもたらした画期的作品とされる。

共産主義的プロパガンダ映画の為に、海外で公開される際は検閲を受け、多くの場面がカットされるなど公開に難航した。日本でも終戦から22年が経った1967年にようやく一般公開された。

長編第1作の『ストライキ(英語版)』で高く評価されたセルゲイ・エイゼンシュテイン監督は、ロシア第一革命20周年記念委員会より、記念映画の製作を依頼された。はじめにエイゼンシュテインと脚本家のニーナ=アガジョーノワ・シュトコ(ロシア語版)が準備した脚本は『1905年』というタイトルで、革命の始まりから挫折までを六つのエピソードで構成するというものだったが[1]、撮影が遅れ公開日(1925年12月24日)までに完成しそうでなかったため、エイゼンシュテインは六つのエピソードのうちの一つである「戦艦ポチョムキンの反乱」に焦点を当てて描くことにした。

出演者は『ストライキ』と同様、主要な役以外は素人(艦隊の水兵やオデッサ市民など)が演じた。エイゼンシュテインも神父役で出演している。またオールロケで撮影され、記録映画のような手法がとられている。

公開

1925年12月24日、本作はモスクワのボリショイ劇場で第一次ロシア革命20周年記念式典で上映されて大好評を得た。しかし、海外では共産主義的な内容から検閲によって上映禁止や、多くの場面をカットして上映されることとなった。

1950年、本作の助監督で出演もしていたグレゴリー・アレクサンドロフ(ロシア語版)によってニコライ・クリューコフ作曲の音楽が挿入された「サウンド版」が発表された[2]。

日本では、1926年に横浜港にフィルムが渡ったが、共産主義プロパガンダが含まれているとみなされ検閲で輸入禁止となり、終戦まで政府により上映禁止措置が取られていた。1959年の有志(評論家の山田和夫など)による自主上映運動により、初めて日本の観客が目にし[3]、1967年にATGの配給で、ようやく劇場で一般公開された。

フィルムの散逸と復元[編集]

本作のオリジナル・ネガは、スターリン時代に政治的理由でカットされており、海外で公開された版も多くのシーンがカットされたため、完全なオリジナルは散逸してしまった。

1976年、ソ連映画関係者の努力により世界中に散らばったポジ・プリントから復元版が再構成された。この版はショスタコーヴィチの交響曲からとった音楽がつけられたため、通称「ショスタコーヴィチ版」と呼ばれる。しかし、その後ドイツの作曲家エドムント・マイゼルがドイツ公開(1926年)の際に作曲したスコアが発見され、もともとマイゼルへの作曲依頼者がソビエト側であることや、伴奏音楽としてエイゼンシュテインも優れていると認めていたことから、こちらの版の復元が進み、2005年には元ミュンヘン映画博物館館長エンノ・パタラスの指揮によりこの「マイゼル版」の復元版が完成した。復元マイゼル版では、当時のドイツ公開版にならい、戦艦のマストに掲げられた旗が手彩色作業により赤旗になっている。


オデッサの階段の虐殺

この映画で最も印象的とされるのは「オデッサの階段」と言われる約6分間の場面で、「映画史上最も有名な6分間」と言われる。特に撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段を落ちていくシーンは、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』などの映画でも引用されている。だが史実によると「オデッサの階段での虐殺事件」というものは存在しない。

評価

ランキング

「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight&Sound』誌発表)※10年毎に選出

1952年:「映画批評家が選ぶベストテン」第4位
1962年:「映画批評家が選ぶベストテン」第6位
1972年:「映画批評家が選ぶベストテン」第3位
1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第6位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第6位
1992年:「映画監督が選ぶベストテン」第14位
2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第7位
2002年:「映画監督が選ぶベストテン」第31位
2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第11位
2012年:「映画監督が選ぶベストテン」第75位

1958年:「世界映画史上の傑作12選」(ブリュッセル万国博覧会発表)第1位
2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第79位
2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第36位
2010年:「史上最高の外国語映画100本」(英『エンパイア』誌発表)第3位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第13位

戦艦ポチョムキンの実物は国内戦期にイギリス軍によって爆破されてしまった。その後、ソビエト政府は革命記念艦である同艦を復旧しようと試みたが果たせず、艦はちょうど映画が製作された1925年に解体されてしまった。映画に全体が登場する場面があるが、これは模型である。俳優らが艦上を動き回るシーンの撮影は当時のソ連海軍の練習巡洋艦コミンテルンと、当時第8号繋留廃艦と呼ばれ住居や倉庫として使用されていた旧戦艦ドヴィエナザット・アポストロフで行われた。両艦ともポチョムキンとはかなり形が異なるが、映画では違和感なく処理されている。艦の全体が映る場面では模型を使っているが、一部で実物の艦艇も登場している。しかし、フィルムの一部場面には1905年当時は存在しなかった弩級戦艦などが映っており、ポチョムキンとは若干ギャップが生じてしまっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%9D%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%AD%E3%83%B3  
2:777 :

2022/05/22 (Sun) 22:43:09

戦艦ポチョムキン
監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン
音楽:ドミトリー・ショスタコーヴィチ

今年2005年からちょうど100年前の1905年といえば、第1次ロシア革命が勃発した年です。

その1905年6月に、ロシアの黒海艦隊の戦艦「ポチョムキン・タヴリチェスキー公爵号」で水兵達がストライキを起こしました。

この事件を題材として、モンタージュ技法の創始者で有名な映画監督、セルゲイ・エイゼンシュテインが1925年に発表したのがこの作品です。


発表された当時はサイレントムービーでした。つまり、音声によるセリフがなく、音楽もついていなかったのです。

のちに何人かの作曲家がこの映画に音楽をつけていますが、当時のソ連当局による共産主義のプロパガンダ(政治宣伝)に最も合致したものが、ドミトリー・ショスタコーヴィチが作曲した交響曲の断片をつぎはぎして作られた当版(1976年サウンド完全復元版)です。かつてドイツによる検閲でカットされた部分も復元されているそうです。

映画音楽について書いた某評論家の本の中に、『主として(ショスタコの)交響曲第5番が使用されているほか、第4、7、10、11番からも用いられています』とありました。

静かな図書館の中でこの記述を読んだ私は、「エッ、エ~!?」と口に出してしまうところでした。

というのも、作品中でショス7なんぞ、どこにも使われていないんです!これは違います!誤植としか考えられません!

7番ではなくて、8番ですよ!‥‥‥いいですか?あとの曲は確かに合っていますよ。私もDVDを再度見直して確認しましたから。

ただし、映像の方につい夢中になって音楽を忘れていなければの話ですが。

まあ、それはともかく、この『戦艦ポチョムキン』、映像と音楽が見事にはまっているんですよ!

中でも特筆すべきは「オデッサの階段」で、逃げ惑う民衆に向かって軍隊が一斉射撃するシーンです。

もちろん、モンタージュの技法が駆使された映像もそれだけで十分すばらしいものなのですが、そこで使われている第11番の第2楽章の危機迫る迫力、まさに映像とピッタリなんです。

犠牲になった子供を抱きかかえた母親が「お願いです、撃つのをやめてください‥‥」と嘆き叫んだときに、それまでの音楽がやむ、この静寂に包まれるこのタイミングが恐ろしいほど一致しているんです。

だって、何を隠そう、この交響曲第11番は、副題に“1905年”とつけられているんですよ!

そしてさらに、演奏の質も最高なんですよ。私が見たDVDには、演奏者についてクレジットされていないようなので断定しかねますけど、ムラヴィンスキー指揮/レニングラードフィルの演奏でほぼ間違いないと思います(第5番4楽章の284小節目の特徴的な音型を聞けば、ムラヴィンスキーの演奏だと判断することができます)。

ただ、ムラヴィンスキーはショスタコの交響曲に関しては第5番より前の交響曲を録音していないので、第4番はコンドラシン指揮(1962年、モスクワフィル)の演奏を使っています。

おまけとして、ショスタコの交響曲第何番の第何楽章が『戦艦ポチョムキン』の、どのあたりで用いられているのかを、以下、順に並べておきます。


第1章『人々とうじ虫』
 交響曲第5番第1楽章の冒頭から提示部の終わりまで
 交響曲第11番第2楽章冒頭
 交響曲第10番第3楽章中間部

第2章『甲板上のドラマ』
 交響曲第10番第1楽章展開部のクライマックス
 交響曲第4番第1楽章 練習番号90あたりから
 交響曲第11番第1楽章

第3章『死者の呼びかけ』
 交響曲第11番第3楽章

第4章『オデッサの階段』
 交響曲第5番第2楽章
 交響曲第11番第2楽章
 交響曲第5番第3楽章中間部から
 交響曲第4番第1楽章練習番号29から

第5章『艦隊との遭遇』
 交響曲第4番第3楽章後半
 交響曲第8番第3楽章冒頭以降 
 交響曲第5番第4楽章練習番号121から終わりまで

と、だいたいこんな感じでした。
http://blog.livedoor.jp/masatomusik/archives/50033333.html



ショスタコーヴィチの名曲
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003687
3:777 :

2022/05/30 (Mon) 15:20:02

上げ 54
4:777 :

2022/08/22 (Mon) 08:14:04


07年7月26日
取り上げた作品 戦艦ポチョムキン(1925年 ソ連)
監督 セルゲイ・エイゼンシュタイン
言及した音楽家 ドミトリ・ショスタコーヴィッチ (映画の中で直接に音楽が使われているわけではありません。)
交響曲第15番で引用された、ロッシーニの「ウィリアム・テル」の引用の意図について
今回のテーマ モンタージュ
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-07/07-7-26.html

今回は、表現におけるモンタージュ・・・日本語的に言うと「編集」について考えてみたいと思っています。
映画においてモンタージュ技法は、「ソ連」の映画監督のエイゼンシュタインによる1925年の作品「戦艦ポチョムキン」において、意識的に、そして効果的に用いられた・・・と、映画解説の世界では言われたりするものですよね?

しかし、今回は、映画固有の技法としてのモンタージュと言うことではなく、表現一般におけるモンタージュについて考えてみたいと思っています。映画だけでなく、たとえば文章だって、編集技法はあったりするもの。何も雑誌の編集と言うことではなくて、1つの文章におけるエピソードの組み合わせ方や並び方を工夫することによって、様々な効果を生んだりするものです。

一般的な物事を書いたセンテンスがあって、ちょっと刺激的なエピソードを書いたセンテンスがあって、そして、ちょっと特定の人物について、さりげなく言及したりすると、読んでいると「なんとなく」それらのセンテンスがつながってくるんですね。そうして、さりげなく言及している人物に、刺激的なエピソードなり、一般的な物事が関連付けられてしまう。書き手は、「そんなこと、読み手が勝手にそう思っているだけでしょ?ワタシはそんなつもりはないんだけどなぁ・・・ワタシが言っているのは、あくまで一般論だよ!」などと言ったりできますが、実は計算ずくだったりするわけ。しかし、ただ並べているだけなので、書き手は何とでも言えたりするもの。
「へぇ・・・そんな風に読んじゃう人もいるんだ・・・ふーん・・・」
ああ!我ながら白々しい・・・

いわば、直接的にその物事と人物の関係に言及しなくても、センテンスの並び方だけで、つながってきてしまうわけ。
人間と言うものは、ある事態になったとき、その直前の物事がまだ記憶に残っているため、その記憶と、現在の事態が組み合わさって、その組み合わせと言うか、モンタージュによって、事態を認識するもの・・・そんなものでしょ?

私個人がそのようなモンタージュ効果を強烈に意識したのは、戦艦ポチョムキンを見た後でした。
こんなことを書くと、このメールマガジンをご購読されている方は、思ったりするでしょ?
「このメールマガジンは、やたらヒネリが多かったのに、今回はモンタージュ技法と戦艦ポチョムキンの組み合わせなのかぁ・・・ヤケに素直だなぁ・・・この書き手も心を入れ替えて、やっとカタギに!!いやぁ、感心感心!!」

いやいや・・・人間は、そうは簡単に心を入れ替えることなんて出来ませんよ。
と言うか、音楽を中心テーマとするこのメールマガジンで、「戦艦ポチョムキン」と言うサイレント映画を取り上げること自体、重症のヒネリでしょうね。しかし、戦艦ポチョムキンと言っても、そのポチョムキンとはチョット違うわけ。

私がモンタージュを強烈に意識するきっかけとなったのは、エイゼンシュタイン監督の映画「戦艦ポチョムキン」を見た後ではなくて、バルト海に浮かんでいるナマと言うかレプリカの戦艦ポチョムキンを見た後での恐怖体験によっているんです。

何を思ったのか、私は当時の名前でレニングラード、今のペテルスブルクに旅行に出かけたわけ。当時はソ連と言う国があって、その街もかの有名なレーニンにちなんでレニングラードと言う名前でした。いや、まあ!時代だねぇ。

私は別に共産主義にシンパシーを持っているわけではありません。別に反感を持っているわけでもありません。まあ、それこそ時代が違っていますし・・・私が政治などを注意して見るような年齢になった頃には、明らかに共産主義の「行き詰まり」が明確になってきていましたからね。しかし、学校時代は、教員の中には、まだまだ「ソ連は理想の国だ!」「共産主義はすばらしい社会だ!」なんてことを真顔で言う人もいました。

しかし、逆に言うと、その賛辞こそがうさんくさいもの。
授業もマトモにできないような、アタマの悪い教員が絶賛してもねぇ・・・
共産主義やソ連が、本当にいいか悪いかは別として、支持者のレヴェルには問題がある・・・だから興味が持てない・・・そんな感じでした。
「あのアホが絶賛しても、信じる気にはなれないよ!」

このようなフィーリングは、現在の日本だと、韓国ドラマに熱狂しているオバチャン連中の狂態を見て、韓国ドラマに関心が持てない・・・そのようなフィーリングと同じだと思います。そんな人も多いでしょ?

では、なぜにソ連に旅行に出かけたかと言うと、美術館が目当てでした。私は美術が結構好きなので、それを目当てでツアーに参加したわけ。レニングラードと言うかペテルスブルグだと、かの有名なエルミタージュ美術館がありますよね?しかし、美術館目当てといっても、共産主義国の街中を、極東から来た「西側」の旅行者が自由に観光できるわけもなく、結局は、当局ご指定のコースを回るハメになったわけ。だから私個人はまったく関心がない、ナマの戦艦ポチョムキンなどを見せられてしまったわけ。まあ、典型的な官僚主義というヤツですね。こんなことだからソ連は崩壊するんですよ。

そして、そのナマの戦艦ポチョムキンを見た後で恐怖体験にあったわけです。当局が決めた官製の観光コースをツアーの一団で巡回した後で、ホテルに入ろうとしたら日本人ツアーの人間の中で、この私だけが入場を拒否されたわけです。「でっかい」ロシア人の警備員につまみ出され、ホテルの入り口の前で立ちふさがれてしまったわけです。

私はパニックになってしまいました。
なんで私だけが?!
そもそも訳がわからない。
このままホテルに入れないと、どうなるか?
食べることだってできないでしょ?
もう死ぬしかないじゃないの?

このようなホテルへの入場拒否という事態を、現在の日本にお住まいの方はどう思うでしょうか?
たぶん、「服装が汚れていたんじゃないの?」とか「靴が汚れていたんじゃないの?」とか「ヘンなものを持っていたんじゃないの?」とか「何か手配でもされていたんじゃないの?」そんなものでしょ?まあ、本当に手配されていたのなら、入場拒否ではなく、警備員に拘束されるでしょう。いずれにせよ、現在の日本では、そのように考えるでしょうね。しかし、当時のソ連ではそんな悠長なことは考えられないわけ。

なんと言っても、ホテルに入る前に見たものは、ナマの戦艦ポチョムキンだけではないわけ。当時のソ連では、平時に関わらず、ナマの戦車は道端に駐車しているは、抜き身のライフルを持った兵士がうろついているは・・・と、そんな国でした。
そんな光景を見ながら、「オイオイ!ナマ戦車だよ!ナマナマ!すっごいねぇ・・・おお!本物のライフルだよ!ナマのライフルだよ!どうするライフル!!」と心が舞い上がっていた状態。

ナマの戦車や抜き身のライフルを見た直後に、入場拒否という理解不能の事態になったので、掛け値なしにパニックになったわけ。それにホテルの横には、やっぱり兵隊や戦車が停まっていて、こちらを睨んでいる。おまけにそれなりにアタマの回転が速い私なので、とんでもない方向に発想が暴走してしまったわけです。
「もしかすると、私が西側の工作員だとでも思われたのかな?」
「このまま、さっき見たライフルで銃殺かよ!」
「戦車に引きずられてシベリア送りに!」
「強制労働させられ、そのまま鉄のカーテンの中で朽ち果てていくのか!!」

なんと言っても、直前に見たものが、ライフルや戦車なので、私の発想もそれに引きずられるわけ。いわば、直前のシーンがモンタージュされたわけです。これが西側のホテルで、直前にプラダのバックやエルメスのスカーフを見た後だったら、そんな物騒な発想はしませんよ。

私もすっかりパニックになって呼吸も出来ない状態でした。こんな状態の中、同行しているツアーの日本人ガイドさんが、「でっかい」ロシア人警備員に説明して、私もやっとホテルに入ることができました。

ちょっと訳がわからないでしょ?私だってわかりませんでしたよ。

このような事態を理解するためには、それがソ連と言う国であり、全体主義国家と言うことをアタマに入れておかないと不可能でなんですね。全体主義的な統制国家なので、他国からの観光客と、自国の人間の接触は可能な限り避けたい・・・だからホテルも、外国人専用のホテルと言うことになるわけです。

しかし、外国人はドルなどの外貨を持っていて、その外貨目当てに接触を試みるソ連人も多くいるわけです。「何とかして、外国人専用ホテルに侵入して、ご禁制の外貨をゲットしたい!」。そのように考え、行動する「不良ソ連人」も実際に居たんでしょうね。

自慢じゃあありませんが、私は背も高く、鼻も高い。そんな目立つ容姿の人間が、背が低く、平面顔の日本人観光客の集団に一人いた・・・

事件はそのような情景が原因のようです。
「オイ!てめぇ!日本人観光客に紛れ込んでホテルに入ろうなんて、ふてえ野郎だ!オレの目は節穴じゃないぞ!」と言うことらしい。だからつまみ出されてしまったようです。

いや・・・アンタの目は節穴だよ!
と言いたいところですが、まあソ連人と言っても色々いますしね。
ロシア人だけでなくアジア系のソ連人もいますし・・・それにロシアだって、モンゴルに支配されていたこともありますから、ヨーロッパとはかなり違った顔立ちのロシア人もいたりする。

それに、私が子供の頃、祖父の顔を見ながら思ったものでした。
「ジイサンって・・・ホリが深い顔しているよなぁ・・・・ホントに日本人なのかよ?!案外とロシアあたりの血が入っていたりしてね・・・んなわけないか!!しかし、ジイサンとボクは全然違う顔だよなぁ。もしかすると、このボクとジイサンは血がつながっていないのでは?」などと出生を疑ったことがありました。
が、どうやら血はつながっていたらしい。血がつながっていたせいで、とんでもないことに・・・

しっかし、アンタのおかげで死にかけたよ!ジイサン!うらむよぉ~

死にかけるなんてオーバーと思われる方も多いでしょうが、全体主義国家では、外国人旅行客は外国人専用ホテルに入れなかったら、確実に死にますよ。現在だったら、北朝鮮を考えてみればお分かりになるでしょ?

まあ、西側の工作員ではなく、東側の同胞と思われたとは!
なんと言えばいいんだろう?トホホ。
しかし、自国民とみなされるより、外国人とみなされた方が安心なのが、独裁国家というもの。外国人だと追放くらいで済みますが、自国民だと外国に逃げても暗殺されたりする。21世紀でもロンドンであったくらいでしょ?独裁国家から自国民とみなされたらシャレにはならない。

ちなみに、現在のロシアの大統領のプーチンさんは、そのレニングラードの出身です。私個人は、そのプーチンさんがニュースで登場するたびに、「このプーチンさんって・・・私の従兄弟とそっくりの顔をしているなぁ・・・」と思ってしまいます。だから私にしてみればプーチンさんは親しみがある顔。まあ、彼は我が家系の顔をしている。もしかしたら、私たちの家系は、顔だけはレニングラード系と言えるのかも?
これじゃあ、外国人用ホテルに入れなくてもしょうがないかぁ。

しかし、そのような恐怖体験をするまでは、私も能天気な外国人観光客でした。
モスクワでは、観光バスの中で「えっ?ここルビヤンカなの?ルビヤンカって言ったらKGBの本部があるとこじゃん!!ウォッホー!KGBだよ!ルビヤンカだよ!」と、はしゃいでいたくらい。まあ、秋葉原で「はしゃぐ」ガイジンさんと同じようなミーハー気分。

あるいは、レニングラードでは、ナマの戦艦ポチョムキンを見ながら、同行しているロシア人のガイドさんに質問しました。この同行しているロシア人ガイドさんは20歳代の女性で、日本語はペラペラという・・・なんともまあ、「いわくありげ」な女性。ツアーの日本人たちは口には出さなくても、3つのローマ字が浮かんでいる。

そのロシア人ガイドさんに、「レニングラードと言ったら、ショスタコーヴィッチと言う作曲家がいましたよね?」と私から質問したわけ。
当時の私は、ショスタコーヴィッチの作品なんて、あの有名な交響曲第5番・・・いわゆる「革命」なんて異名が付いているものしか知りませんでした。
と言うことで、ショスタコーヴィッチの「本場」のレニングラードで質問したわけ。
「郷土の英雄を喜んで解説してくれるんだろうなぁ・・・」それくらいの感覚で質問したわけです。

しかし、私がショスタコーヴィッチについて質問したら、そのガイドさんの顔色がサっと変わり、引きつったような表情になりました。そして「・・・ショスタコーヴィッチは・・・悲劇的な・・・作曲家でした・・・」と、しどろもどろに回答。
私は、その引きつった顔の表情を見ながら、「そんなにマズイことを聞いたのかなぁ・・・」「悲劇的な作曲家って・・・なに?」「ショスタコーヴィッチって、ソ連の御用作曲家じゃなかったの?」と不思議に思ったわけ。

ロシア人ガイドさんの引きつった表情を不思議な思いで眺めていた当人が、その数時間後、ホテル前で恐怖に引きつった表情をすることになるとは!この時、青年は知る由もありませんでした。
・・・つづく・・・

・・・つづく・・なんですが、まあねぇ・・・
今思うと、そもそも20歳代のガイドさんも、よくショスタコーヴィッチなんて知っていたよねぇ・・・東京で外国人相手の観光ガイドさんに、「武満徹さんって、作曲家がいましたよね?」なんて聞いても「誰?その人?ワタシは知りません!!」と言われるだけでしょ?

そのロシア人ガイドさんも、現住所は観光ガイドでしょうが、本籍はどこなのか?言うまでもないことでしょ?もしかすると、質問した私を、組織から派遣された教官と言うか試験官だとでも思ったのかな?それとも、モスクワのルビヤンカで、はしゃいだので、要注意人物とマークされていたのかな?まあ、それだったら、ビビるのも当然ですが。

それに、そのロシア人ガイドさんも、顔が引きつるくらいに反応しちゃって・・・
まあ、ベテランだったら、「ショスタコーヴィッチ?誰?それ?絵描きさん?」とでも「とぼける」こともできたのでしょうが、まあ、そんな芸当が出来ないのも若さってヤツなのかな?まあ、駆け出しの要員なんて、そんなものなのかも?
まったく・・・近頃はエージェントの質も落ちたものですよ。

個人的なムダ話が、長く続いていますが・・・
今回は、ソ連人の顔を引きつらせる作曲家であるショスタコーヴィッチにおける、編集と言うかモンタージュを考えてみたいと思っているわけです。
音楽だって、それ単独ではなく、別のものを組み合わせる、いわば編集によって意図を表現する・・・と言うことはあったりするもの。

音楽における組み合わせと言う点について、私が実感したのは、もうお亡くなりになりました指揮者のジュゼッペ・シノポリさんのLPレコードを聞いた時です。LPレコードって、やっぱり時代だねぇ・・・
彼が指揮者デビュー当時に、ウィーンフィルを指揮したシューマンの交響曲第2番のレコードが1枚と、ロンドンのフィルハーモニア・オーケストラを指揮したシューベルトの未完成交響曲と、メンデルスゾーンの交響曲第4番いわゆる「イタリア」の2曲をカップリングしたレコード1枚がありました。その2枚のレコードが同時に発売されたわけ。

私は発売当時に購入したわけでもなく、かなり後になって中古レコード屋さんをのぞいたらたまたまあったので、購入したわけ。新品なんて高価でなかなか買えませんよ。

そのシューマンの交響曲第2番のレコードと、シューベルトの未完成とメンデルスゾーンのイタリア交響曲を組み合わせたレコードの2枚のレコードが、組み合わさって、1つの「表現」をする、いわばモンタージュだったんですね。単に初期ロマン派の交響曲を集めたわけではないわけ。

シューマンの第2交響曲で、第3楽章で魂の暗部を見据えるような音楽の後、レコードを裏返して第4楽章に移ると「パパラッパ、パパラッパ、パンパンパン・・・」と景気のいい音楽になってしまって、ビックリする。音楽を続けて聞くと大変な違和感があるわけ。
同じように、シューベルトの未完成の第2楽章の魂を見据えるような音楽の後で、レコードを裏返すと、メンデルスゾーンのイタリア交響曲の第1楽章の「パパラッパ、パラッパ、パ~パパパン・・・」と、景気のいい音楽が登場し、違和感を持つわけ。

シューマンの第2交響曲の第4楽章の冒頭と、メンデルスゾーンのイタリア交響曲の第1楽章の冒頭って、実に似ているでしょ?
つまり、シノポリさんは、シューマンの第2交響曲の第3楽章と第4楽章の間には巨大な断層がある・・・もう別の人格と言っていいほどに・・・と、言いたいわけです。
同じ作曲家シューマンの一つの作品の中にある断層を、シューベルトとメンデルスゾーンの間に存在する違いくらいに大きいものだと、別の演奏で「解説」しているわけ。これもモンタージュですよね?組み合わせによって、相乗効果を上げているわけです。

当時の、音楽解説者さんが、どのように、この演奏を「解説」したのかは、私も知りませんが、もしこの点について触れていなかったら、それこそカラシニコフで銃殺ですよ。まあ、「サムライだったら自分で腹を切ることを覚えないといけない!」なんて言葉もありましたから、あえて銃殺は必要ないのかもしれませんが。
そもそも演奏家のデビューだったら、取り上げる作品にヴァリエーションを持たせる必要があるでしょ?ドイツの初期ロマン派の曲目を合わせてリリースなんて、そんなバカなことは一般的にはしませんよ。そんなことはチョット考えればわかること。つまり「組み合わさっている」理由があるわけ。

映画や文章だけでなく、音楽だってモンタージュがあるわけです。
そのような場合には、単独で理解するのではなく、組み合わせで理解する必要があるわけ。

ロシア人ガイドを引きつらせた、ショスタコーヴィッチは、実に引用が多い作曲家です。
これは皆さんもご存知のとおり。
その引用を考えるにあたっても、単独ではなく「組み合わせ」で考えてみないと理解できないものもあるはずなんですね。

たとえば、彼の最後の交響曲である交響曲第15番。
冒頭に近い部分に、ロッシーニのオペラ「ウィリアム・テル」の音楽が引用されますよね?有名な部分が引用されますから、これは誰でもわかる。
では、その引用の意味は?

前回のシリーズのメールマガジンで色々と考えてきましたが、映画において音楽を引用されている場合には、色々な引用のスタイルがあるわけです。
作曲家の個性だったり、オペラを引用した場合だと、そのオペラの全体的なストーリーだったり、その部分の歌詞が重要だったり、あるいは演奏家の個性を使ったり、登場人物の設定だったり・・・どの意味を使って引用されているのかは、映画作品全体がわかっていないと判断できない。
しかし、往々にして引用表現は、作品全体の意味を理解するキーになる。引用の意図を理解するのが先か?全体を理解するが先か?こうなるとニワトリとタマゴ。作品の中間部分で登場してくる引用表現だったら、それまでの作品の流れから、比較的簡単に理解できるものです。しかし、作品の冒頭に置かれていると、どの面で引用しているのかについてはわかりませんよ。

ヴィスコンティの映画「夏の嵐」の冒頭におけるヴェルディのオペラ「トロヴァトーレ」の引用がそのパターンですよね?映画の最後になって、やっと引用の意味がわかる。しかし、これでは作者も観客も困る!

と言うことで、より理解しやすいように、作者は別のヒントを出していたりするわけ。たとえば、それとは別の作品も合わせて引用するとか。
たとえば、ショスタコーヴィッチの交響曲第15番だと、後で、ワーグナーの「ワルキューレ」の中の音楽が引用されますよね?これも聞き取りやすい。

「ウィリアム・テル」だけだと引用の意図がわからなくても、この「ウィリアム・テル」と「ワルキューレ」を、組み合わせてみて考えると、方向性が見えてくるでしょ?
えっ?わからないとカラシニコフで銃殺か?って?
そんなことはありませんが、実にわかりやすい方向性ですよ。

この2つのオペラの両方とも、「父親が自分の理想を追求することによって、息子が窮地に立たされる。」と言う共通項がありますよね?ワーグナーの「ワルキューレ」では、父親ヴォータンは息子ジークムントを、心ならずもですが、自分の大義の捨石にしたでしょ?「自分の息子になんてことを!アンタそれでも人間かい!!」と言いたいところですが、まあ、ヴォータンは人間じゃない。神様なんだから、人間のことなど損尺しない。しかし、オペラの中ではそれなりに、息子ジークムントのことを思って苦悩していた。しかし、結局のところ、最後には見殺しにしちゃった・・・なんとひどい父親なんだろう!!たとえ、立派な大義や理想があったとしても、アンタは父親失格だよ!!

ヴォータンは神様なんだから、しょうがないけど、ウィリアム・テルさんは、人間でしょ?スイス独立の理想はいいとして、ちょっとくらいは息子のことを考えて日頃から行動すればいいのに・・・
息子さんも、リンゴを頭に乗せて、「お父さん!ボクはお父さんのことを信じているよ!」なんて、言いますが、本音では違うでしょ?

無事にリンゴを射抜いた後で、ホっとして、「父さん!アンタのおかげで死にかけたよぅ!うらむよぉ!父さん!!」こんなところでしょ?
自分の理想を追い求めるのはいいとして、家族のことも考えないとね。

さて、ここで数学的な考察。
ショスタコーヴィッチの交響曲15番の作曲における「ウィリアム・テル」の引用を点X、そして「ワルキューレ」の引用を点Yとしましょう。
点Xと点Yを直線で結び、延長線を引いてみる。
その延長線XYは、音楽の「作曲」の領域を抜け、音楽の「演奏」の領域と交差する。最初に「演奏領域」と交差した点を点Pとする。線XYは作品の中心線であり、点Pは、演奏と最初に交差した点なので、点Pは作品の初演を意味する。
この初演点Pは、線XYの性質上、「父親によって、息子が苦労する。」と言う性質を持つ。

と言うことで、1972年に行われたこのショスタコーヴィッチの交響曲第15番の初演の指揮者は、作曲者ドミトリ・ショスタコーヴィッチの息子のマキシム・ショスタコーヴィッチであることが数学的に証明できるわけ。初演の指揮者は苦労も多いでしょうしね。おまけに、ただでさえヤバい作曲家なんだし。交響曲第15番は初演の指揮者の選定を含めて「作品」になっているわけ。そうでないとあんな難しい曲を駆け出しの若い演奏家に託したりはしませんよ。しかし、さすが旧ソ連は数学大国だ!それにショスタコーヴィッチの父親も、最初の妻も数学物理科の出身らしい。彼自身の発想も明晰だねぇ・・・しかし、明晰であるがゆえに、発想が読みやすい。そんなもの。たとえば明晰なシノポリさんの文章や発想も実に理解しやすい。

まあ、ドミトリ・ショスタコーヴィッチの息子のマキシム・ショスタコーヴィッチこそ、20世紀において、「父さん!アンタの理想はともかく、ちょっとは家族のことも考えてよ!」と、言う権利がある息子の最右翼でしょ?
まさに「アンタのおかげで死にかけたよ!父さん!うらむよ~。」と思うに決まっているじゃないの?
それくらいのことは、父親のドミトリだって、当然に、わかっていますよ。

単なる観光客の一団にすら、要員をつけてしまう国ですよ。ショスタコーヴィッチという最要注意人物なんだから、相当の監視ですよ。当然のこととして、家の中には盗聴器だってあるに決まっているじゃないの?それに、家政婦のオバサンも、まさかカタギのオバサンと言うわけではないでしょ?まあ、料理や洗濯のプロと言うわけには行かないでしょうね。掃除はプロと言えるかもしれませんが、専門は部屋の掃除ではなく、人の掃除。

家政婦さんというか、メイドさんというと、日本のオタク青年が大喜びするかもしれませんが、オタク好みのオチャメでドジっ子のメイドさん、なんて訳には行きませんよ。
「いけない人は、ワタシがお掃除しちゃいますっ!!」なんて決めセリフがあったら、ホントに掃除されちゃいますよ。戦艦ポチョムキンの横でプカプカ浮かんでいることになっちゃいますよ。

しかし、逆に言うと、そのような要員が身近にいるからこそ、生き延びられる可能性も出てくるわけ。そのような身近な要員に「自分は今のところ、当局に逆らう意志がない。」という姿を見せておけば、とりあえずは、粛清されないでしょ?
公式のコメントだけでなく、家庭内における非公式の姿も、当局の許容する範囲であることが重要。公式の対応で多少の粗相をしでかしても、非公式な場で従順な姿を見せているから、当局も、とりあえずは見逃してくれるわけ。圧倒的な力の差がある場合には、内通者を上手に泳がせることによって身の安全を図るなんてことは、乱世に生きるものの常識。まあ、大人のドミトリは何とかなっても、子供にはツライでしょうね。

大人だってシンドイのに、子供にしてみれば、当局からの要員と同居生活なんて大変ですよ。マズイことを言ったら、掃除されちゃうわけですからね。それにドミトリの亡命防止のためには、息子に厳重な監視がついていたことは当然のこと。

これでは、子供らしさなんてなくなっちゃいますよ。
ちなみに、まさに交響曲第15番の冒頭は、臆面もない子供っぽい表情ですが、それがどんどんとなくなっていきますよね?父親のドミトリも、自分のせいで、子供が子供らしくノビノビとは行かないことも自覚しているんでしょう。ショスタコーヴィッチが創作活動を進めるにあたって、家族はとんでもなく犠牲を払った・・・このことは確実でしょ?

芸術家人生の終焉を迎えるに当たって、家族を犠牲にして成立した自分の作品たちに、どのような価値があるのか?あるいは家族を犠牲にしてまで創作した自分自身について振り返る・・・そのような疑問なり感慨を持つことだって、当然のことでしょ?
その疑問なり感慨をテーマとする作品を作ることくらいは誰だって考えますよ。

モンタージュと言うものは、一つの作品内で行うだけでなく、作品の集まりのモンタージュだってあるわけ。交響曲「全集」をどのようにモンタージュするか?少なくとも最後となる交響曲だったら、それまでの交響曲作品なり、自分の芸術家人生を総合的に纏め上げる作品を「置こう」としますよ。一連の作品があれば、少なくとも最後くらいは、そんな編集に基づいた発想をするものなんですね。今までの様々な自分の作品が引用され、自分の芸術家人生が回顧される。そしてショスタコーヴィッチ自身を後世に伝えるのは、血を分けた自分の子供なのか?それとも、芸術的霊感を注ぎ込んだ、自分の作品なのか?その「謎」を提示することで、最後とする。

子供と作品のどっちがショスタコーヴィッチ本人を伝えるのか?そんなことはショスタコーヴィッチ自身でも謎でしょう。それに、家族を犠牲にした自分の人生なり作品の価値も、当人にしてみれば謎でしょ?交響曲第15番の最後がまさに謎めいたエンディングになっているのは、謎ではないわけ。
最後に「謎」を置くことで、今までの自分の一連の作品を解説するなんて手法は、意外にも誰でも考えること。「謎」による終結によって、いわば「開いた形で、最後を閉じる。」ことになる。
ショスタコーヴィッチだって、それくらいは考えますよ。

さて、交響曲第15番において1972年の初演を、「ウィリアム・テル」と「ワルキューレ」の外分点として書きましたが、外分点があるのなら、内分点もあるでしょう。
ヴォルコフによる、例の「ショスタコーヴィッチの証言」を読んでいたら、この交響曲第15番はチェーホフの「黒衣の僧」と同じテーマを持っているとショスタコーヴィッチが語っていると書いてありました。つまり小説「黒衣の僧」は、いわば、「ウィリアム・テル」と「ワルキューレ」の内分点と言えるわけ。
と言うことで、その「黒衣の僧」も読んでみることにしました。実は読む前から、線XYの内分点の性質上、こんなセリフがきっとあるんだろうなぁ・・・と予想しながら、その本を手に取りました。
「父はあたしの一生を・・・あたしの一生を台無しにしてしまいましたの!!」

読み進めて行くと、その言葉が本当に出てきました。読んでいて大笑い。やっぱりショスタコーヴィッチは明晰だ!簡単に予想できてしまう。

チェーホフによる、この「黒衣の僧」と言う作品は、天才が、周囲に及ぼす迷惑と言うことが主なテーマの作品。一般の人たちは、天才が何を見ているのか?何に悩んでいるのか?サッパリわからない。だからお互いの意思の疎通なんてできない。しかし、天才は天才であるがゆえに暴走する。これでは、お互いが上手くいきませんよ。

上記の「黒衣の僧」のセリフの「あたしの一生を台無しにした父」で言われている父親は、別に天才ではありません。しかし、娘本人の幸福ではなく、父親である自分の理想の実現を優先して、娘の結婚相手を選択する・・・そのような発想があるわけ。そして、この「黒衣の僧」では、人と違ったものが見える天才さんも登場してきます。この娘は、「自分の理想のために子供を利用する」父親によって、人生を台無しにされて、その後、天才と結婚したために、もっと人生が台無しになるわけです。

自分の理想のために子供に犠牲を強いる、つまり子供の一生を台無しにする父親と、凡人とは違ったものが見える天才が、合体と言うかモンタージュしたら、誰になる?
まあ、言うまでもないことでしょ?
もし、父親のドミトリが天才でなかったら、息子マキシムはこんな苦労なんてしなくていいわけですからね。父親のドミトリだって、かなり「後ろめたい」思いもしたでしょ?

それこそ、こんな感じかな?
「お父さん!お茶が入ったよ。」
『すまないねぇ・・・マキシム。おまえばかり気を使わせてしまって・・・』
「いいんだよ!お父さん!お仕事がんばってね!」
『ワシが作曲家であるばかりに、オマエにこんな苦労ばかり!すまないねぇ・・・こんなワシは作曲なんかしない方がいいんじゃ!!』
「おとっつぁん!それは言わない約束でしょ!!」

いやぁ・・・泣けるよ!

それこそ、当局の意に沿うようなタイコ持ち風の作品の提出を求められたら?作品の期日に当局から取り立ての際にはこんな感じじゃないの?

「オイ!ドミトリ!もう作品の期日だぞ!今日こそ、耳そろえて作品を出してもらおうか!」
『まだ出来ていないんじゃよ!』
「そんな言い訳が通用するかい!!じゃあ、おまえの息子を、作品のカタに預かっておくぞ!」
『息子だけは、許してやってくれ!』
「ええい!ゴタゴタ抜かすんじゃないっ!」
《おとっつぁん!おとっつぁん!》
『マキシムぅ~』

数学風だったり、今度は、どうして急に時代劇風に?
まあ、文章も多様式と言うことで・・・
しかし、ショスタコーヴィッチ家の現実だって、これに近いものでしょ?

親父のドミトリだって、やっぱり息子のマキシムは可愛かったでしょうよ。
「マキシム、と、一緒に遊んでいると、祖国のことを忘れてしまうよ~♪」なんて鼻歌を歌っていたこともあったのでは?

ここで、交響曲第15番の作品全体の解釈を云々するつもりは、私はありません。私はただ引用の意図を考えているだけです。引用から一点突破を試みているだけ。まあ、今回のケースは1点ではなく2点突破ですが。
引用を単独で考えるのではなく、組み合わせで考えると、見えてくる・・・そんなものなんですね。

ここで、エイゼンシュタイン監督の映画の「戦艦ポチョムキン」に戻りましょう。
21世紀の今、この映画を見ると結構面白い。何と言ってもサイレント映画というのは、逆に新鮮だったりするわけ。
エイゼンシュタイン監督の映画「戦艦ポチョムキン」は、モンタージュ効果の古典とされていますが、モンタージュ効果というものは、サイレント映画においては、この「戦艦ポチョムキン」に限らず見られるものなんですね。

だって、トーキーではないんですよ。登場人物とセリフが時間的に一致しないわけ。だから編集によって、説明していく必要があるわけです。

たとえば、男女の会話で「こんにちは。」というセリフがあったとしましょうか。
男女の2人が映って、男性が映って、「こんにちは。」という字幕が映って、その後に、女性の顔が映った・・・このような順番だったら、「こんにちは」と言った人は男性ということになりますよね?
しかし、順番を変えて、男女の2人が映って、男性が映って、次に女性の顔が映って、その後に「こんにちは。」という字幕が映ったら?
そうなると、「こんにちは」と言った人は、女性ということになるでしょ?
順番を変えるだけで、セリフを言った人が変わってしまう。これはトーキーでは考えられませんよね?

それだけでなく、上記のシーンで、「こんにちは。」という字幕ではなく、「こんばんは。」でも、まったく同じ映像が使えるでしょ?
まあ、「こんにちは」と「こんばんは」の差なんて大したことはありませんが、字幕は色々なものを使用することが可能でしょ?「あなたを愛しています。」でも「おなかが減った!」でも可能ですよ。それによって、映像そのものは同じでも、映像の意味だって変わってしまいますよね?

文字情報によって、文字が入っていない映像の部分の意味まで変わってしまうわけ。
このようなことは映像だけでなく、当然のこととして、音楽だって同じでしょ?

歌詞がない純器楽の作品だと、後で文字情報を組み合わせることで、器楽部分の意味まで変わってしまうわけ。
「偉大な革命精神を表現した!」
なんて、後で言語情報を付与することによって、人は、「そのように」聞いてしまうんですね。

しかし、あの有名な第5番の交響曲だって、器楽だけだったら、「いかようにも」受け取れるでしょ?第5番の交響曲の初演は大成功だったそうですが、その初演の際は後付の言語情報がないわけでしょ?だから革命精神の賞賛を聞き取った人もいたでしょうし、もしかすると、「我々に苦難を強いる独裁者スターリンをやっつけよう!」と言うメッセージを聞き取ることだって、不自然ではないでしょ?たぶん初演で絶賛した聴衆の中には、そう聞いた人もいるはずです。

「革命」なんて文字が躍ってしまうから、「そのように」聞いてしまうだけ。
音楽と、言語が一緒になっている「森の歌」のような作品はいわばトーキーのようなもの。音楽自体の意味も限定されてしまうわけ。しかし、音楽情報と言語情報が別になっている、サイレント映画のスタイルだと、いかようにも受け取れるし、言語情報を付けたり外したりして、「都合がいいように」解釈を誘導することも可能。

モンタージュと言うことは、そのようなことも可能なんですね。映像単体なり、音楽単体では何も変わらないのに、「なんとでも」できるわけ。
だから「とりあえず」こちらに誘導しておいて、ほとぼりが冷めた後で別の方向に誘導する・・・という戦略も、簡単。
だって、音楽そのものは何も変わらないわけでしょ?
あの物議をかもしたヴォルコフの「ショスタコーヴィッチの証言」も、あるいは、それ以前のソ連における公式発言も、所詮は、後付の言語に過ぎないわけ。本質は、別のところに、つまり音楽そのものの中にあるものなんですね。

ショスタコーヴィッチの作品における言語情報というか、文字情報の関わりというと、彼は作品中に、音を使って自分の名前の文字列を入れた・・・そのような例もあります。
しかし、自分の作品中に、自分の名前の文字列をわざわざ入れておいても、はっきり言って意味がない。彼の作曲であることなんて、わかりきったことでしょ?わざわざ署名する必要なんてありませんよ。

もし、署名そのものに意味があるとしたら、自分の署名を入れた作品と、入れなかった作品の違いを際立たせるということになります。どうして、この作品には署名を入れなかったのか?
それが問題になってくるわけ。
しかし、自分の名前の文字列のようなものを入れるということは、一般的には、別の意図があるでしょう。

つまり、誰にもわかるようなわかりやすい引用なり文字列があると言うことは、ほんの一部の人にしかわからない、わかりにくい引用なり文字列があることの、誘導なんですね。
「ここで文字を使った表現をやっているから、別の部分でも同じことをやっているよ!だから注意して聞いてよね!」
そんなところ。
そして重要なのは、そちらの「わかりにくい」方であることは言うまでもないこと。自分の名前のような人畜無害な文字列は、「毒にも薬にもなる」「さしさわりのある」文字列の誘導標識の役割。

「さしさわり」のある方は、目立たない楽器での音の並びで表現されていたりする例もあるでしょうし、変奏しながら、チラっと現れるケースもあるでしょうし、あるいは一字ずらしという方法もあるでしょう。一字ずらしと言うと、「2001年宇宙の旅」において登場したコンピューターの「H・A・L」は、有名な会社IBMの一字ずらしであることをご存知の方も多いでしょ?その他、文字列を逆転される方法とかもありますよね?それとも、間に無関係な音を入れて「とびとび」にするとか。あるいは、もっと「わかりやすい」わかりにくい文字列というと、たとえば縦並びの文字列とかもあるでしょう。スコアの音符の縦並びで文字列が浮かび上がる・・・それくらいは可能ですよ。
ショスタコーヴィッチは多様式の作家なんですから、その様式の変化した冒頭部分の音響は、何も整っている必要はないでしょ?そのような部分で、文字列があったりするのでは?

そのような隠された部分をちゃんと、演奏において表現されていたら、作曲者のショスタコーヴィッチも本当に喜ぶことになるでしょ?
「ああ!あの演奏家はこのことをわかってくれているんだ!」
単にテンポとか、楽器のバランスが優れていただけでは、大喜びはしませんよ。

引用においても、別の引用と組み合わせることによって、方向性を持たせたり、文字列もわかりやすい文字列を示すことによって、わかりにくい文字列の存在を示す。
そして、言語のない音楽の意味を、後付の言語で、「使い分ける」。
組み合わせを、つまりモンタージュを意識的に使うことによって、より深いところで、メッセージを託すことが可能であるわけ。それにモンタージュを使うことにより、その意図が理解されるための時間を「遅らせる」こともできる。スグに理解されてはマズイから、時間が経って、後になって頭の中でそれぞれの要素が組み合わさって、理解してもらえる・・・そんな戦略も取れるでしょ?いわばオブラート効果。

と言うことで、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」と作曲家ショスタコーヴィッチも、モンタージュ技法から考えると意外にもつながっているんですね。
しかし、ポチョムキンとショスタコーヴィッチは大きく離れている点がある。
戦艦ポチョムキンは・・・船の方は・・・当然のこととして海に浮かんでいる。
ところが、ショスタコーヴィッチは海の匂いがしない。

交響曲と言うジャンル自体があまり海の匂いがしない。これはある意味、しょうがない。
ボン生まれでウィーンで活躍したベートーヴェンに海の匂いがなくても、当然と言えば当然。その他の交響曲作家も、往々にして内陸に住んでいるので、海と接しようがない。そんな伝統があるので、交響曲と言うジャンル自体も、海の匂いから遠くなってしまう。
ボヘミア生まれのマーラーだって、アルプスの雰囲気はあっても、海の匂いはないでしょ?まあ、ボヘミアの海岸の描写なんてシェークスピアの「冬物語」には出てきても、マーラーのような実際のボヘミア生まれには、書けないでしょうね。

海にちなんだ交響曲となるとイギリスのラルフ・ヴォーン・ウィリアムスがありますが、所詮はラルフ・ヴォーン・ウィリアムスだし・・・
オペラなどでは海の匂いがする作品は多くても、交響曲ではほとんどないわけ。

地理的な問題がある他の交響曲作家と違ってショスタコーヴィッチはレニングラードの人。レニングラードは、まさにピョートル大帝が港を作ったペテルスブルグでしょ?ショスタコーヴィッチは、音楽史上において実に希少な、港街在住の交響曲作家なんですね。
だから、本来なら、海の匂いがしてもいいのでは?
そもそもちょっと散歩でもしたら、すぐに海が見えたりしますよ。海にちなんだ作品が、見当たらないのは、逆にヘン。

海こそは、自由な外の世界を象徴するものであるとともに、「やすらぎ」や「精神的な充足」の象徴であるとも言えるでしょ?

ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」はイタリアの港街ジェノヴァを舞台としています。最後の幕において、毒を盛られて断末魔のシモン・ボッカネグラが、愛する海を、万感の思いを込めて見つめる。
「海よ!海よ!なぜおまえはそこを死に場所にしなかったのだ?」

海は、シモンにとって栄光に満ちた崇高な日々の象徴。
もちろん、自らの魂の苦悩を受け入れてくれる、安寧の象徴でもあるでしょう。

シモン・ボッカネグラが、海に憧れを持つように、ショスタコーヴィッチも海に憧れを持たなかったの?海の向こうにある自由な世界。海の中にある、つまり死の中にある安寧。これらは、ショスタコーヴィッチがまさに欲していたものでしょ?
「なぜ、おまえはそれを作品にしなかったのだ?」

レニングラードでは、ちょっと移動するだけで海が見えるわけだから、海の匂いがしないのは逆に異常なんですね。それこそモスクワから帰ったら、海の匂いだって意識するはず。
「なぜ、おまえの作品に海の匂いがしないのだ?」

海がもたらす、人間的な自由と安寧。ショスタコーヴィッチとしては、このことを、シモン・ボッカネルラ以上に、欲していたはずでは?

しかし、それを拒否したのでしょう。いわば絶望的にね。
海の向こうに行くことによって得られる市民的自由や、死によって得られる現実的な安寧を拒否して、自由への希求や精神の苦悩を、創作している作品に込めたのでは?彼にとって海があまりに誘惑的だからこそ、その海の匂いが彼の作品にはないのでは?彼は海を意図的に拒否したわけ。
彼は市民としての自由や、市民としての安寧を拒否して、創作の世界の中のみに自らの自由な精神を投入する。ショスタコーヴィッチの響きは、自由も、才気も、苦悩も、怒りも、表現の喜びも、精神的な安寧も、創作の中にしかないと覚悟を決めた人の響きと言えるのでは?

随分と絶望的だねぇ・・・こりゃ、確かに、ガイドさんが言うように、悲劇的な作曲家ですよ。しかし、それがレニングラード風と言えるのかも?

まあ、ショスタコーヴィッチが、こうやって作曲しているなんて断言するほどの音楽的知識は私にはありませんが、「この手」の人の思考は、こんなものなんですね。
「なぜ、オマエにわかるんだ?」って?
だって、お互いレニングラードの同胞だもんって、これはネタ。私の場合のレニングラードは顔だけですよ。

しかし、引用やモンタージュなどを使って作品を作る際には、やっぱり、
すべてレニングラード風でいかなくちゃ~♪ 
それが才気と言うものよ!トララララァ~♪ 
それが私を楽しくさせてくれる!トララララァ~♪」
創作活動が、そうでなくちゃ、作品なんて作りたくないわ!♪

(終了)
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今回は、映画の中で直接使われている音楽を考えたものではありません。
次回の文章も、「どうして、この音楽を使わなかったのか?」そんな観点からまとめた文章です。
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-07/07-7-26.html
5:777 :

2022/08/22 (Mon) 08:15:49

「映画とクラシック音楽の周囲集」_ 映画・音楽に関する最も優れた評論集

07年7月から07年12月まで配信しておりましたメールマガジンのバックナンバーのサイトです。
もう配信は全巻終了しております。

07年7月から07年12月まで配信していたメールマガジン「映画とクラシック音楽の周囲集」のバックナンバー
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/schejule.html

03年9月から04年8月まで配信していたメールマガジン「映画の中のクラシック音楽」のバックナンバー
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/top-page.html

「複数回取り上げた監督&原作者」・・・監督別でのリストです。
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/tuika/derector-list.html

「引用元の使い方で分類」・・・引用した作品のどの面を使ったのかによって分類したものです。
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/tuika/tukaikata-list.html

追加の文章・・・特定の映画作品などについての、ちょっとした雑感です。
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/tuika/question-top.html

オペラの台本について・・・興味深いオペラの台本についての文章のリスト
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/tuika/opera-top.html

(上記のメールマガジンの文章と基本的には重複しております。)


最新追加文章 10年8月7日追加 ゲーテの「ファウスト」について
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①過去に配信されていた機能不全家族に関するメールマガジンを収録したサイトである「ダメダメ家庭の目次録」


②ミラーサイトの記事

を、さらに

③MediumのPublication「ダメダメ家庭の目次録」

へ転載したものです。

したがって、山崎奨は著作者ではありません。
記事は全てミラーサイトから、誤字脱字等も修正することなく、MediumのPublicationに転載しています。

「ダメダメ家庭の目次録」の記事の著者は、ハンドルネーム「ノルマンノルマン」氏とのことですが、連絡が取れない状態です。
レスポンシブ化および広告の非表示化によって、記事の参照を容易にすることを目的として、MediumのPublicationに転載することとしました。

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