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2022/05/22 (Sun) 10:14:51
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テレビドラマ 田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 竹下景子『北の国から フジテレビ 1981年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/843.html
倉本聰 北の国から
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/616.html
テレビドラマ 天宮良・石田えり『昨日、悲別で 日本テレビ 1984年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/848.html
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2022/06/21 (Tue) 23:02:59
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「北の国から」 黒板五郎と令子の履歴 と 年齢についてのお話し
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2711.html?sp
富良野にある「北の国から記念館」に、「脚本は、登場人物の履歴を創ることから始まる」として、五郎・令子・雪子の履歴が展示してあります。
初期の設定ですので実際のドラマの中では年齢などが違っていたりします。
キャストの設定などもあるのでしょうけど、最終的には完成された映像としてドラマを見るのですが、実はその裏側で何があったのか何故そうなったのか…、そんなことを想像するのが面白かったりします。
まずは、展示されている「黒板五郎の履歴」を忠実に…。
S20.1.5. 北海道上川郡下富良野町字麓郷に農業黒板市蔵、うめ五男として生れる。
S25.4. 同所麓郷小学校入学
S27.10. 父市蔵死亡
S31.4. 麓郷中学校入学
教師田中文雄より剣道の手ほどきを受ける。
S33.7. 同校後輩吉本咲子に初恋。
兄 直治に呼び出され、殴られてあきらめる。
S33.9. 剣道初段。交番の看板を盗んで捕まり、譴責処分。
S35.4. 富良野工業高校入学、剣道部に籍を置く。
S35.10. 次兄、三兄を炭鉱事故で同時に失う。同じ頃、富良野女学校1年生牛久山百合子と恋愛、童貞喪失、同時に一発で妊娠さす。(友人カンパで処分し、表沙汰にならず)
S36.11. 百合子友人前野タカコと恋愛、又一発で妊娠。(同上処分)前後して元同級生菅原絹子も妊娠させ、「一発のゴロ」の異名をとる。
S37.4. 同校卒業と同時に集団就職で上京、東京田端の中村製鋼所に旋盤工見習として入る。自動車免許とる。
S38.1. 母うめ死去。
S39.12. つとめ先事務員岡田みどりと不祥事を起し、馘になる。
S40.3. 東京上板橋あけぼの自動車修理工場に見習いとして入社。
S40.10. 正社員に採用。
S42.5. 中央区築地高津自動車サルベージへ転職。
S43.2. 同社近くの栗山理髪店店員宮前令子(当20才)を知る。
S43.6. 周囲の反対を押し切って(子供ができたので)結婚。24才。
S44.1. 長男純誕生。
S46.5. 交通事故起し、会社を馘になる。
S46.6. 青山三丁目、坂田商会ガソリンスタンドに入社。
S47.1. 長女蛍誕生。
S51.4. 坂田商会淀橋支店に配転。この頃より妻令子、新宿の美容院「ニュー・ワカバ」につとめ出す。
S53.12. 令子に男ができたことを知る。
S54.5. 令子、突如逐電。呆然。
S55.4. 北海道へ帰る。
続きまして、宮前(黒板)令子の履歴。
S.24.5. 東京都新宿区柏木に都水道局々員 宮前豊 房子長女として生まれる。
S29.4. 柏木第二小学校入学
S29.7. 母 房子死亡
S30.1. 父 豊 今井高子と再婚
S32.4. 異母妹 雪子誕生
S35.4. 柏木中学入学
S37.10. 同校上級生 村井修と恋愛。継母高子の干渉でこわれる。この頃より高子と折合い悪くなる。
S38.4. 淀橋高校入学 小学校時代の同級生 田辺郁男と交際、処女喪失。田辺の所属する暴走族鬼走会のメンバーと付合うようになる。
S.39.2. 不純異性行為により挙げられる。停学4日間。その後家出し、二週間後につれ戻さる。
S.40.10. 父豊死亡。
〃 12. 再度不純異性行為により検挙。退学。
S.41.3. 美容師学校へ通い出す。も続かず。
S.42.7. 中央区築地栗山理髪店に見習として勤務。かたわら築地美容師スクールに通う。
S.43.2. 同店近くの自動車修理工場 高津自動車サルベージの修理工 黒板五郎を知り恋愛。
〃 6. 結婚。佃島に新居を持つ
S.44.1. 長男 純 誕生。
S.47.1. 長女 蛍 誕生。
S.51.5. 夫五郎の淀橋配転に伴い新宿三丁目の美容室ニュー・ワカバにつとめ出す。
S.52.12. 新宿三丁目喫茶店「キリ」経営者 桐島一郎を知る。
S.53.4. 桐島と厚木のモテルにて肉体関係出来る。
S.53.12. 夫.五郎.桐島の事を知る。
S.54.5. 夫と子供を捨て桐島の元へ走る。
S55.2. 四谷三丁目に、美容室「レイ」を出す。
上記の初期設定の履歴を見てどのようなご感想でしょうか。
なんとなく、昔からそれほど素行のよろしくない2人のようです。
さて、「北の国から記念館」に「北海道富良野市長 松田 忠一郎」の市長印のある「住民票」があります。
調べてみると転出・転入地の住所は現存していました。
問題はその生年月日に注目…。
黒板 五郎(くろいた ごろう)
生年月日 昭和9年10月10日
昭和55年10月16日 東京都中野区本町3-15-20 から 北海道富良野市字東麓郷の3 に転入。
黒板 純(くろいた じゅん)
生年月日 昭和46年4月1日
黒板 蛍(くろいた ほたる)
生年月日 昭和47年6月5日
当初の設定では、23歳の五郎と19歳の令子。「できちゃった婚」で生まれたのが「純」という黒板家になりますね。富良野へ戻るのは、五郎35歳、純11歳、蛍8歳。
ところが「住民票年齢」では「純と蛍」は年子になっていますね。
しかも、五郎が昭和9年生まれだとすると、34歳の五郎が15歳年下で19歳の令子と「できちゃった婚」。純は34歳の時の子供になります。富良野へは、五郎45歳、純9歳、蛍8歳。
ちなみに昭和9年は倉本聰が生まれた年ですね。。。
こうなると、「北の国から」の連ドラが始まった1981年当時の実年齢が気になってしまいます。
田中 邦衛 49歳
いしだ あゆみ 33歳
吉岡 秀隆 11歳
中嶋 朋子 10歳
竹下 景子 28歳
岩城 滉一 30歳
大滝 秀治 56歳
地井 武男 39歳
見た目と実年齢のギャップがありますが、少なくとも「純と蛍」が3歳違いの兄妹には見えませんものね。
それにしても田中邦衛の年齢は不詳って感じですが、35歳は無理があるかと…。
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2022/06/27 (Mon) 14:53:06
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あげ4444
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2022/06/27 (Mon) 14:55:41
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日本人の北海道楽園幻想は映画やドラマで人為的に作られたもの
倉本聰 は西武の堤義明の親友で西武 富良野プリンスホテルの宣伝の為にドラマまで作った
テレビドラマ 田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 竹下景子『北の国から フジテレビ 1981年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/843.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/616.html
テレビドラマ 天宮良・石田えり『昨日、悲別で 日本テレビ 1984年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/848.html
プリンスの墓標 堤義明怨念の家系
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/373.html
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2011.10北海道旅行2日目-7「ニングルテラス」「森の時計(ドラマ優しい時間)」編
http://4travel.jp/travelogue/10612042
北の国から2009
http://megumin.sakura.ne.jp/report/hurano/hurano.htm
http://megumin.sakura.ne.jp/report/hurano/hurano2/hurano2.htm
http://megumin.sakura.ne.jp/report/hurano/hurano3/hurano3.htm
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【北の国から】西武お抱えの倉本聰【優しい時間】
1 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/03 22:36:25 ID:CJGP3D83
倉本聰脚本の優しい時間が8話目を迎える。 老人の懐古主義と陰口を叩かれながらも、時流に媚びない本格派ドラマを謳う同ドラマ。
その倉本聰と逮捕されたばかりの西武・堤義明とは麻布学園で中高と同級生であり、昵懇の間柄である。
昭和47年、富良野にスキー場を開設。
49年、富良野プリンスホテル開業。
52年、ワールドカップ開催。
同年夏、倉本は富良野に移り住み、57年に、あの「名作」北の国からがスタートした。
好評を博した同ドラマにより、富良野の観光客は80万から200万人に激増した。
堤義明と倉本聰の友情が生み出した奇跡だ。
だが、堤が逮捕された今、それを美談と賛美できる人間がどれほどいようか?
倉本は、「北と国から」は堤との関係で始まったものではない。
1作目についてはフジテレビの鹿内と村上とで考案したものだと主張している。
だが、その後のシリーズでは富良野プリンスから数々の便宜を図ってもらったと認めているのだ。
つまり「北の国から」は、実質西武ビジネスのプロモーション作品としての意味が大きかったのだ。
ちなみに倉本聰初監督映画は中島朋子主演のフィギアスケート物語で、それらは品川プリンスホテルのスケートセンターを無料で提供してもらって撮影されたもの。
そして視聴者のどれほどが、今放送中「優しい時間」の舞台となっている喫茶店が、今、話題となってる堤西武グループ・新富良野プリンスホテルの敷地内にあることを知っているだろうか?
さて、フジテレビアナウンサーの里谷がDV離婚・白人との公然猥褻/暴行事件が発覚したが、スキーモーグル選手だった彼女がフジに入社できたのは堤が親密なフジ日枝に依頼したからだと言われている。
そしてフジテレビが今、コクド→西武で問われた親子資本関係のいびつさと全く同種の欠陥をつかれ、ライブドアに乗っ取られかかっているのは皮肉な話だ。
「優しい時間」と同時期のこの冬公開されている映画「北の零年」主演・吉永小百合と言えば、 言わずと知れた堤との“特殊な関係”。早稲田大学時代には堤から単位取得の後押しを申し出られている。
またに徒党の円環構図と言えよう。
「優しい時間」放送当日に堤が逮捕され、放送真っ只中、裏番組で堤のニュースが流されてるのは、腐臭を放つインサイダーの輪の中にいた、倉本聰への引退勧告である。
7 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 03:42:33 ID:hZS06KRr
自然を賛美してるようなドラマ作っていながらスポンサーはコクドかぁ
60 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/03/21(月) 14:52:13 ID:prGjtx4u
ニッポン放送OBである脚本家倉本聰さんは
「僕はドラマを通して『心を洗う』ことにこだわってきた。
今回の騒動は、収益率を上げ、カネもうけしようという最近のテレビの功利主義的な姿勢を突かれてしまった側面を感じる」と語る。
http://www.asahi.com/business/update/0321/013.html
お前も長年西武の金儲けに手を貸してきたじゃないか。
何を偉そうに言ってんだよ。
15 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 16:18:40 ID:9vtdx0/5
レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」は、 映画としてどれだけ優れてようが、それがナチスのプロパガンダであるという事実を無視して評価はできないからな。
倉本の「北の国から」の中身がどうであろうが、実態としてそれは西武リゾート開発のプロモーションであるという現実は否定すべくもない。
「民族の祭典」だって世に出た当時は偉大な作品、しかし今は・・・だよ。
9 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 04:13:50 ID:Ti/9wkG
近年のトレンディードラマとか酷評してただろ、倉本は。
そんなご立派な男がさ、裏で環境破壊ビジネスやってる西武堤のひも付きで、ビジネス後押しドラマやってた、つうことになったら、言ってきたこと、創ってきたことの全てにおいて、説得力を喪失するぜ。
シャープの“環境に優しい”家電製品のCMに出てる吉永小百合が、 仮に堤の愛人だったとしたら実に嫌なことだろ。 そんな女優に環境がどうとか言われてもなあ。
パトロンがいるから悪いということじゃない。
倉本の作品が壮大なCMに過ぎなかったということが問題なんだよ。
33 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/07 14:09:02 ID:/cdS/YH1
私企業ビジネスのインフラが、税金で整備されたのだと思えば見方も変わってくるよ。
長野新幹線見てみろ。あれは田中角栄が新潟に新幹線引っ張ったのと同じだ。
堤はスポーツ協会牛耳って招致委員会作り、多額の裏金が問題になった五輪誘致に成功して、自分とこの商売に税金投入させたんだよ。
それを富良野でもやってたわけだ。
その一連のどす黒い動きの中に倉本作品が位置づけられてるんだよ。
富良野の景色見て感動してる奴は、諫早湾干拓事業を絶賛してる馬鹿同様の大間抜けだ。
10 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 05:06:38 ID:u+xo4CB8
堤は環境破壊どころか税金払ってないからな。
49 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/10 17:50:51 ID:/gD7aDjq
倉本そーは尊敬してたが今回の露呈で失望したな。
都会流を痛烈に批判して筋金入りの自然擁護主義で富良野塾の教え子にも強制していたが、いくら鼓が同窓生でも西部がやっていた環境破壊行為は耳にしてただろう。
その時点で奴とは縁を切るべきだったろうに。
いくらいい脚本書いてもその思想と行動の矛盾が生じたら一気に冷めてしまうもんなんだよね。
長渕強しがいい例だけどそういえば倉本は長淵大好きなんだっけな・・
75 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/03/27(日) 08:28:23 ID:uN4C0fCZ
綺麗ごとや説教いう人なんて裏はそんなもんだよ。
せりふが説教じみていて、北の国から嫌いでまったくといっていいほど(家の人が見ていたので多少せりふは耳にはいった程度)見ていない。
無名だった富良野を全国的に有名な観光地にした一種の街おこしとしては意味があっただろうね。
うるおったのはプリンスだけじゃなかっただろうし・・
20 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 17:50:30 ID:ypqMFYzf
堤逮捕で裏話が氾濫するようになったから初めてわかってきたことが多いだろ。
倉本と堤の関係とかね。
中学・高校の同級生で、昨年秋以降、西武疑惑が浮上してから、
堤と倉本が電話で連絡とって話たりしてたなんて逮捕まで誰も知らないし、
それ以前に、映画のフィギアってもろ西武関連。
『時計 Adieu_l'Hiver』(1986)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17752/story.html
>二郎はアイスホッケーの極東製紙チームの監督をしており
富良野だって特に勘ぐらなきゃ、ことさら西武を連想したりしないだろ。
意識させないで富良野(のバックの西武)の売り込みに成功したわけだから、
その意味じゃ倉本は“CMプランナー”としては有能なのかもな。
31 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/07 07:05:21 ID:A2ChBgH
>>20
ちょっと西武のこと知ってるなら、堤と倉本の関係ぐらい誰でも知ってるよ。
82 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/04/10(日) 22:10:37 ID:R7YaULv8
倉本と堤は高校の同級生。
83 :名無しより愛をこめて:2005/04/16(土) 15:30:16 ID:s4sZ6L1m
>>82
その倉本聰と逮捕されたばかりの西武・堤義明とは麻布学園で中高と同級生であり、昵懇の間柄である。
おまいは>>1も読めんのか
堤は早稲田の旅行サークルの仲間も、大量にコクドに入社させている
28 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/06 17:54:21 ID:xTOtJy3q
>好評を博した同ドラマにより、富良野の観光客は80万から200万人に激増した。
>堤義明と倉本聰の友情が生み出した奇跡だ。
>だが、堤が逮捕された今、それを美談と賛美できる人間がどれほどいようか?
数百億かけて作ったリゾート施設が閑古鳥が鳴いているところが多いのに、
制作費数億でこれだけ観光客を増やせたというのは逮捕とは関係なく賞賛できるが。
57 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/19 07:21:17 ID:qqAWoQaV
「優しい」喫茶店がオープン
放映中のテレビドラマ「優しい時間」(フジテレビ)に登場した北海道富良野市の喫茶店「森の時計」が19日、 一般向けにオープンする。撮影の終わったロケセットをそのまま使用、新しい観光スポットとして人気を集めそうだ。
場所は新富良野プリンスホテルの敷地内。倉本さん主宰の「富良野塾」OBで、マスターになる小暮忠広さん(41)は「ゆったりとした時間の中でくつろいでほしい」と話している。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2005/03/19/03.html
59 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/20 00:39:52 ID:BNSMFLUJ
>>57
西武に金をおとしたくはないな
税金払えよ > 堤
39 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 20:09:29 ID:7jnn/Pxi
確かフィギュアの渡辺絵美は堤に食われてたはず
40 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 20:49:28 ID:W7xA0ub
>>39
彼女は徹底拒否して、プリンスホテルにいられなくなって、 カナダかどこかで一からやり直したらしいよ。
文春で告発してただろ。
ってことは、美人で西武に居続けられた人は全部、堤に身を委ねた可能性が高い。
42 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 21:32:47 ID:C2yYwVKE
渡部がセクハラを受けたのはインスブルック五輪に出場した直後の17~18歳のころで、フィギュアスケート界のアイドル的存在だった彼女は、当時40代の堤義明に
「俺の女になれば、スケートリンクの一つや二つやろう」
「スケートを辞めるか、それとも続けたいか。どうする?」
と言われ、車の中で体を撫でられたり、新宿プリンスホテルの一室で、力ずくでベッドに押し倒されたりしたのだという。
渡部はそれでも堤義明を拒否した。そうすると、コーチから
「そろそろスケートを辞めれば? 若手にチャンスを与えたあげなさい」
と言われ、品川スケートセンターのロッカーの鍵まで奪われることになった。ホームリンクで滑れなくなった彼女は、一時スケートをあきらめて、新宿でアルバイトをしていたこともあるという。
そんな彼女の運命を変えたのはアメリカから届いた一本の電話だった。
彼女は再起を決意して米国に渡り、そこで練習を積んで見事にカムバックした。
79年3月の世界選手権ウイーン大会で日本人として初めて銅メダルに輝いた。
80年にアメリカのレークプラシッドで行われたオリンピックでも6位入賞を果たした。
西武王国の崩壊
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/seibu.htm
堤から、絵美はフィリピン人の血が入ってるからだからどうとかまで言われたらしい。
6 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 02:18:56 ID:h54YpGLI
堤はいつもプリンスホテルに泊めた女優の部屋を夜中に訪れるそうだが
沢口靖子には部屋のドアを10分ぐらいノックしてもシカトされたそうな。
46 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/10 15:23:59 ID:Lz4FEZwr
【話題】生々しい堤義明と沢口靖子のツーショット映像(ゲンダイネット)[03/10]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1110428183/
50 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/13 16:20:24 ID:cfKiEZda
http://homepage3.nifty.com/nonu/geinou.htm
週刊誌などで関係が噂された女優のイニシャルから推定すると、
OM(岡田茉莉子)、
TK(太地喜和子)、
SY(沢口靖子)、
MA(水沢アキ)、
YS(吉永小百合)、
MY(三田佳子)
KM(小谷実可子)、
MY(南野陽子)
YJ(八木沼純子)、
IM(伊東美咲)
SE(佐藤江梨子)。
51 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/14 00:21:03 ID:hiDl+wCk
女優食いまくりだな
52 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/14 08:30:39 ID:2302dLQu
吉永小百合の軽井沢の別荘をテレビで映してたがお隣さんがなんと細川もりひろさん
2人とも超格安で手に入れたそうな
53 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 00:36:47 ID:TGteWWO
>>52
彼も、西麻布のマンションに愛人の浅野ゆう子を囲ってたよね
54 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 03:52:16 ID:bAEJVgch
西武が株をインサイダー相対取引した企業の中に東映が入ってた。
東映と言えば吉永小百合だ。何か関係あるんだろうな。
38 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 16:42:31 ID:FsCR/H0Z
里谷の母親はフジ系列局の北海道文化放送で働いてるそうだ。
これも堤が日枝に頼んだのかな?
週刊アサヒ芸能 03/17号
「里谷多英 何と3Pまで繰り広げていた『公然SEX事件』の一部始終」
55 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 23:30:19 ID:oSpt+v9l
サトエリ・・・全裸開脚(*´Д`)ハァハァ・・・
8 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 04:12:53 ID:E6w+sIvg
堤とかホリエモンとか倉本とか里谷とかフジを取り巻く人間はどうしょうもねーなw
http://tv7.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1109856985/
▲△▽▼
>パトロンがいるから悪いということじゃない。
>倉本の作品が壮大なCMに過ぎなかったということが問題なんだよ。
つまり、倉本聰が本気で作ったのは「北の国から(TVドラマ・全24話) 1981年10月9日 - 1982年3月26日」だけで、
「北の国から ドラマスペシャル」と「優しい時間」は西武新富良野プリンスホテルの観光PRを目的にした手抜き作品だという事です。
確かに「北の国から(TVドラマ・全24話)」だけは見た後の感銘が全然違います。
長大な「北の国から ドラマスペシャル」も「北の国から(TVドラマ・全24話)」にはっきりと書かれていなくて意味がわからなかった部分の注釈として書かれているだけで、それ以上の価値は無いのですね:
「優しい時間」の優しくない感想
木曜10時はフジテレビで倉本聡のドラマ「優しい時間」をやってますね。
母が好きで欠かさず見ていて、私も2回に一回くらいおつきあいするんですが、う~ん、これで感動できる人は素直だなあと思います。
なんて書くと、高いところから見下ろしているようで嫌みですが、「どうせ私は嫌みな性格ですもん」と言いたくなる。
なんかこのドラマの批判ならいくらでも書ける気がする。我ながらいやらしい。
何度も言うようですが、「感動しろ」と迫ってくるくせに変な話が一番嫌い。
このドラマの涌井勇吉より、唐招提寺展のナレーションの方がよほど寺尾聡の魅力が出ていた。
これだけ書いたらやっとすっきりしました。(憂さ晴らしの場にしてしまってすみません)
http://urouro611.cocolog-nifty.com/diary/2005/02/post_5.html
218. 2016年1月13日 00:55:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[846]
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倉本聰も「北の国から ドラマスペシャル」と「優しい時間」が何故ダメなのか自分の言葉でちゃんと書いていたんですね:
倉本聡が考えるテレビドラマ人気低迷の理由 2005/09/19
「視聴者はバカだから、という考え方がいつからか始まった。
説明し過ぎなんです。
そこにだれとだれがいますということを説明するため、10秒ぐらい費やす」
「(最近のドラマは)見なくなりました。見ようとすると、何だか汚れてしまうような気がするんです。嫌な気分になる。公共の電波を使って、何でこんなものをつくっているのかと怒りがこみ上げてくる。お客をなめるなよって」
たとえ不自然であっても、セリフで場面や登場人物を説明するシーンはドラマを見ているとよく出てくるが、この説明臭いシーンによって興ざめてしまうことはままあることなりよね。
「え、なんでこのシーンでその人の名前を口にするの?」とか(笑)。
すべての脚本家が「視聴者はバカだから説明しておかなくちゃ」と考えているわけではないと思うなりが、そうすることがドラマを作る上で当たり前のことだという風潮はありそうな感じはするなりよ。
視聴率の低迷が続き、今のテレビドラマは変革期に突入しているので、いろいろな部分を見直すにはちょうど良い時期。
倉本聡が指摘するように、視聴者をバカにしたような作りのドラマがもう受け入れられなくなってきたのは確かなので、良い方向に改善されていくと願いたいものなり。
http://www.narinari.com/Nd/2005094979.html
「北の国から(TVドラマ・全24話)」だけは一番肝心な事を一切語らなかったからこそ捉えどころのない不思議なオーラが出たのですね。
▲△▽▼
という訳で、『北の国から』というのは結局、
北海道の自然に憧れて移住すると自分の人生も子供の人生もすべて滅茶苦茶になるという話だったのですね:
みなさん、
『北の国から』というのは大自然賛歌のお話で、豊穣かつ厳格な北海道の大地で子どもたちがすくすく育つ物語
だと思っているのではないだろうか。
豊穣すなわち「母」、厳格すなわち「父」という記号に育まれる子どもたちのお話であると。
ちがうね。
『北の国から』は、恋という病に罹患して人々が損なわれるお話、とりわけ子どもが成長するどころか「壊れる」お話なのである。
このドラマは、adulteryやinfidelityすなわち「不倫」「不貞」「不義密通」(って大時代的な表現だ)を根源的な駆動力とする自己追放の物語であって、その余波で子どもが壊れるお話であり、
ついては「女はだめ」で「純愛」など決して成立せず、結局のところ物事の解決は家父長制原理に拠るという、書いているだけで手が震えてくるすごいお話なのである。
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~booomweb/Akimoto/cinewis19.html
「北の国から」の最初のシリーズを見るときつい
北の国からの最初の連ドラの再放送を見ていると心が沈む。
純も蛍も、幼いながらも厳しい生活をけなげに送っているというのに、その後にああいう残念な未来が待っていると思うとがんばった甲斐がないと思う。
純は結局底辺のフリーターにしかなれなかった。
自動車修理工場、ガソリンスタンド、そしてごみ収集。草太の農場を引き継いだときは浮上のチャンスだったが結局失敗。
都会の小学4年生で勉強が出来た純は、順調に行けばスーツを着て通勤するような職に就けていたはずだ。北海道に来た後でも、中学3年の頃「ペンチ」と呼ばれていた機械好きの少年だったことを考えると、高卒でどこかのメーカーで技術者として働くという可能性もあったと思う。
純の転落の最大のきっかけは、中学を出た後東京に出てきてしまったことで、あそこで富良野に残って普通の高校生活を送っていたら、普通に就職できて安定した生活が送れていたのではないか。あの時も、レイちゃんが夜逃げしたことで、東京に行く必要がなくなったのに、蛍に、「お父さんのがんばりを無駄にするな」ときつく言われて、東京に行く羽目になった。
五郎は子供のためを思って行動しているとは言うものの、子供に気を使わせて結果的に子供の行動を縛ることになってしまっている。
蛍も、緒方直人演じる勇次と付き合ってたころまではいい感じで育っていたのに、その後の不倫以降は転落の繰り返し。正吉と結婚したのに農場がつぶれて一家離散とか。
大きくなるときに五郎と一緒にいて、いつも五郎の気持ちを気にしながら育ったりしてると、そんなに素直には育たず、どこか影のある大人になるんだろうなという気はする。
雪子おばさんも幸せな結婚生活は送れなかったし、草太も亡くなったし、つららさんは風俗だし、中畑の奥さんは亡くなるし、五郎はいつまでたっても貧乏のままだし、そりゃ清貧はいいけどあんだけ頑張ったてきたんだからもっとうまくいったって良かったんじゃないかと思う。
もちろんドラマなんだから、平凡なサラリーマンになりました、普通の結婚をして普通に暮らしました、じゃダメなんだろうけど、
昔の、幼い頃の純とか蛍のかわいさを見てると、どんだけ頑張って生きていてもこれから底辺の暮らしをする厳しい未来が待っているんだと思ってさびしい気持ちになる。
今日の、「さようなら1980年」の回で、五郎の「この一年の君たちの頑張りを父さんは忘れないだろう」というセリフを聞いてなおさらそう思う。「その頑張りはそれほど大きな実は結ばないんだよ」と。
http://wjpqz29852.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-1abd.html
▲△▽▼
久しぶりにちょっとだけ『北の国から』について書かせてもらいます。
お題は「アダルタリーな恋愛症候群」。
みなさん、『北の国から』というのは大自然賛歌のお話で、豊穣かつ厳格な北海道の大地で子どもたちがすくすく育つ物語だと思っているのではないだろうか。
豊穣すなわち「母」、厳格すなわち「父」という記号に育まれる子どもたちのお話であると。
ちがうね。
『北の国から』は、恋という病に罹患して人々が損なわれるお話、とりわけ子どもが成長するどころか「壊れる」お話なのである。
このドラマは、adultery や infidelity すなわち「不倫」「不貞」「不義密通」(って大時代的な表現だ)を根源的な駆動力とする自己追放の物語であって、その余波で子どもが壊れるお話であり、ついては「女はだめ」で「純愛」など決して成立せず、結局のところ物事の解決は家父長制原理に拠るという、書いているだけで手が震えてくるすごいお話なのである。
このドラマでは実にさまざまな「色恋」が描かれます。
ちょっとその「症例」をピックアップしてみましょう。
【症例その1】令子(いしだあゆみ)と吉野(伊丹十三)
純と蛍の母の令子と吉野のおじさんの不倫。
そもそも第1話の冒頭はここから始まり、東京から富良野へ五郎ら親子が移り住むことになった直接の原因となる。つまり、この物語の基幹的な部分にあるのは、「母の不倫」なのだ。
そして令子は男を選んだことにより、「母性」「家庭」から追放される(子どもを奪われる)。
【症例その2】雪子(竹下景子)と井関(村井国夫)
そもそも雪子は井関と八年の長きにわたって東京で不倫関係にあった。
そしてその関係が破綻することにより、雪子は東京からみずからを追放し、富良野へ赴いて隠棲する。
『'84夏』では、不倫相手だった井関が離婚し、富良野に雪子を迎えにくる。
すると雪子は恋人の草太を捨てて、井関とともに東京に去る。(五郎は「はなはだ納得いかないっ」と怒る。)
それから14年を経た『'98時代』になると、雪子は突然また富良野に戻ってくる。結局、井関とも離婚し、一人息子の大介も先方の家に取られる(というか「おばあちゃん子」の大介はおばあちゃんのいる父親の家を選び、事実上、雪子は子どもに捨てられるのだ)。
かつての姉、令子と同じく、雪子は「家庭」と「母親であること」から追放され、二度にわたって東京から自己追放することになる。
最終回の『2002遺言』では、大介が十代の若者となって富良野に登場するが、周りの人間と一切コミュニケーションをとろうとせず、つねに携帯電話に耽溺している「壊れた子」になっている。
【症例その3】草太(岩城滉一)とつらら(熊谷美由紀)
草太は許嫁のつららを裏切って雪子に入れあげる。その結果、つららは出奔して行方不明となる。
【症例その4】五郎とこごみ(児島美ゆき)
こりゃ不倫とはちがうか。
バー「駒草」の女こごみは「ちょっと頭が足りないのではないか」と思われるほどお人好しで、すぐ哀れっぽい男に同情して関係をもってしまう「尻軽女」(こんな大時代的な言葉が今でもワープロ変換可能だとは、ちょっとびっくりである)。そもそもこのような「不倫症候群」のこごみと五郎は付き合うんだけど、そんとき五郎はまだ令子と正式に離婚はしていないのである。(あー、やっぱ不倫だ。)
【症例その5】(『'87初恋』)純とレイちゃん(横山めぐみ)
思春期の純愛ですけどね。純は親友のチンタが惚れてたレイちゃんを「横取り」すんだよね。
そう言えば、横山めぐみ、こないだ離婚したね(カンケーないけど)。
【症例その6】(『'89帰郷』)蛍と勇次(緒形直人)
これも純愛っすね。
でも蛍は「父の五郎に対する裏切り」という罪の意識を持ち続ける。(だって蛍は富良野に来てからずっと五郎に対しても「母のような」存在であり続けてきたのだから。)
【症例その7】(『'92巣立ち』)純とトロ子(裕木奈江)
純には遠距離恋愛中のレイちゃんがいるんですよお。
なのに東京でトロ子とデキてしまい、レイちゃんに対して二股かけるんだ。
で、結局トロ子はデキちゃった赤ん坊を堕胎し、「東京は卒業した」と言って九州に帰郷する。
子どもは損なわれ、東京から自己追放するわけ。
そして問題解決には、五郎の土下座と、なによりもトロ子の伯父(菅原『仁義なき戦い』文太)というウルトラ父権主義の介在を要しました。
【症例その8】(『'95秘密』)純とシュウ(宮沢りえ)
しつこくレイちゃんと遠距離恋愛しつつ、純はシュウと二股をかけまする。
そもそも、シュウは東京でアダルト・ヴィデオに出演していた過去をもち、またぞろ東京から自己追放して帰郷してきた人なんだよね。
それからレイちゃんも立派に二股かけてます(んで、結局その男と結婚する)。
宮沢りえ、いろんな賞をもらっておめでと。きみは実人生でたぶん幸福になれないかもしれないけど、役者として大成することを祈る(祈ってほしくないか)。
横山めぐみは離婚の苦難を乗り越えても役者として大化けするかどうか……。
【症例その9】(『'95秘密』)蛍と医師の財津(一度も顔を見せないが、奥さん役の大竹しのぶが登場)
不倫話の極めつけですね。
「あの」蛍がはじけてしまうんです。
看護婦をしている蛍は、勤務先の財津先生とデキてしまい、旭川へ駆け落ちします。
駆け落ちってのも自己追放のひとつの形式と言えましょう。
蛍は幼少のみぎり、母である令子の浮気現場を目撃してしまったんですね。
それがトラウマとなっていることは、フロイトにもユングにもラカンにも訊かずともわかる。
蛍は母の行動を無意識のうちに模倣し、母と同じ行動を強迫神経症的に反復するという、抑圧された衝動があると見た。
そもそも、蛍も「損なわれた子」なのでした。みずからのトラウマを引き受けたのみならず、父の五郎のトラウマも癒すべく母親的役割を果たしてしまいました。
子ども時代に「ちゃんとブチ切れわがまま」を言って十分「子ども」をすることをせずに、家庭のなかで「静かに見守る慈母」のごとき役割を引き受けたために、大人になってから幼少期の抑圧が爆発してしまったんですね。
どーん。
【症例その10】(『'98時代』)蛍と正吉
結局、蛍は不倫相手の財津先生と別れて富良野に戻ってきます。お腹には財津の子がいます。
五郎の気持ちを慮って、草太にいちゃんが「ない頭使って」奸計を謀り、正吉を蛍のお腹の子の「父」であることに仕立て上げ、蛍と結婚させます。
このようにこの関係は「嘘」を基盤として成立します。
五郎も純も騙すんだね。
この虚偽に対する物語力学上の代価は、草太の死でありました。
【症例その11】(『2002遺言』)純と結(内田有紀)
結は事実上のバツイチだけど離婚はしていない。まだ人妻である。(あ"、やっぱ不倫だ。)
シリーズ最終回でどうやら純と結はうまくいきそうでありますが、死の影がやっぱり付きまとう。
ここでは五郎が不治の病にかかっていることが示唆されます。
和夫(地井武男)の妻みずえは癌に冒されています。
そして次の世代の大介は、完全に壊れた子どもとして登場します。
なんだなんだあ。
こんなにいっぱいあったんか。それから草太とアイコ(美保純)ってのもあったな。
『北の国から』ってトレンディ・ドラマだったのでしょうか。
こうしてみると、いくつかのことが明らかになります。
まず、個々人の「不倫」「不義」の「動機付け」がほとんどまったく描かれていないということ。
不倫の動機は云々されず、不倫が物語の動機となってストーリーをドライヴしていくのである。
それから「純愛」なるものは成立しないということである。
純とレイちゃん。蛍と勇次。純とシュウの哀しい純愛物語。
ものの見事にぜんぶ成就しませんね。
がんがん壊れていきますね。
正吉と蛍の結婚は虚偽に基づきます。
その虚偽を作りだし遂行したのは、草太にいちゃんの力業によるところです。
もう完全に「母親化」した優しい五郎の代わりに、冷徹なリアリストと化して事業を拡大し、地域を支配しているかのような草太が父性原理を発動するわけです。
正吉と蛍はこのような父性原理を媒介として結ばれます。
草太は物語作者にして演出家となり、富良野の家父長制を代表する人物となるのですが、その代償は死です。
結と純の場合も、結の義父の超パワフルな漁師、吾平(唐十郎)という別の圧倒的父性原理の媒介によって初めて結ばれるわけです。
したがって『北の国から』とういのは、とってもアダルタリーな物語群であって、父権主義によって統括されたお話だったのでした。
うーむ。
倉本聰くんって、とってもアンチ・フェミニストな父権制擁護論者だったんだ。
それにしても純はなんだかんだ言って、けっこうモテるじゃないか。
東京では同級生のケイコちゃん(「拝啓ケイコちゃん」の手紙の宛先)でしょ、
富良野では同級生の中畑ンちのすみえちゃんでしょ、
中学ではレイちゃんでしょ、
高校で東京に行ったあともヤンキー娘のエリでしょ、
「遠距離恋愛」のレイちゃんとも続いているのにトロ子とできちゃうでしょ、
北海道に戻ってからはシュウでしょ、
そんで実人生でも結婚することになった結(内田有紀)でしょ。
ええと、ひとり、ふたり、さんにん、よにん……。あほくさ。
くそ、純のやつ。ゆ、ゆるせん。
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~booomweb/Akimoto/cinewis19.html
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5:777
:
2022/06/27 (Mon) 15:13:34
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「倉本 聰」とは…。 vol.1 ~ニッポン放送退社まで~
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2680.html
倉本 聰(くらもと そう)は、「北の国から」をはじめ多くの作品を創作した日本を代表する脚本家・劇作家・演出家です。
「北の国から」のお話を進めるにあたり、まずは作者である「倉本 聰」を少しだけでも知らなくてははじまらないと思います。それはその生き様自体が作品に反映されているのだろうと想うからです。
とにかく作品数が多く簡単に…というわけにはいきません。そこで、「シナリオ作家として独立」「東京時代」「札幌時代」「富良野時代」と分けてみようと思います。
「倉本聰 界隈」
http://www.kuramotoso.jp/index.html
というホームページがあります。
ちなみにホームページには書かれていないようですが、本名は「山谷(やまや) 馨」です。
・略歴
昭和10年(1935) 0歳 1月1日、東京・代々木に生まれる。
昭和30年(1955) 20歳 東京大学文学部入学。俳優座スタジオ劇団、劇団「仲間」文芸部に入る。
昭和34年(1959) 24歳 東京大学文学部美学科卒業。ニッポン放送入社。
昭和35年(1960) 25歳 「パパ起きてちょうだい」(日テレ)、倉本聰の名でデビュー。
昭和38年(1963) 28歳 ニッポン放送退社。シナリオ作家として独立。
・テレビドラマ脚本 ※連続ドラマ
'59 「パパ起きてちょうだい」「お母さん 七つの子」
'61 「教授と次男坊※」
'63 「現代っ子※」「ぼうや※」
一方、正確かどうかは別にして「Wikipedia」の情報も参考にしてください。
戸籍上は1935年1月1日(実際は1934年12月31日)
※エッセイ集『北の動物園』(扶桑社、2004年)「生年月日」の章を参照 72頁
東京府(現・東京都)出身。
父・山谷太郎(1899年 - 1952年)は春潮という俳号を持つ俳人で、『野鳥歳時記』(1943年)を残した。両親はともにクリスチャンだった。
※『獨白 2011年3月』p142
戦時中は山形市上山市や岡山県金光町に疎開。
※『獨白 2011年3月』p130 『獨白 2011年3月』p129
このうち、上山への疎開は政府が実施した学童集団疎開によるもので、都会育ちの倉本は大きなカルチャーショックを受けた。東京に帰りたいと考えた倉本は仮病を使って数か月後には東京に戻ることに成功した。
※『獨白 2011年3月』p130
この体験は、『北の国から』の最初の連続シリーズにおいて、純が東京に帰りたがって起こす行動のヒントにしたと記している。
※『獨白 2011年3月』p129
また、金光へは1945年4月から1年間、一家6人で疎開していた。
※倉本 聰さんが金光を訪れる 倉本 聰金光ファンの会 笠岡放送
豊島師範附属小学校(現・東京学芸大学附属小金井小学校)から麻布中学校・高等学校を経て東京大学文学部美学科卒業。
1959年、ニッポン放送に入社。
ディレクター・プロデューサーを担当するが、ニッポン放送在籍時に『パパ起きてちょうだい』(日本テレビ)で脚本家デビュー。
当時は夜10時に会社を出て帰宅してから脚本を書き午前4時頃に就寝、2時間ほどの睡眠で出社する毎日だった。
※週刊朝日 2012年12月28日号
1963年にニッポン放送を退社。
退社のいきさつについて倉本は、後にインタビューで
「ニッポン放送には内緒でペンネームを使って脚本家をやっていた負い目から、ニッポン放送で担当していた番組には(脚本家同士として顔見知りである)若手の脚本家ではなくベテランの脚本家ばかり起用していたが、それを上司に咎められたうえ『最近倉本って若手が出てきたから一度会って来い』と命じられ、そろそろ潮時だと思った」
と語っている。
※『東芝スーパーサウンドグラフィティ The History of the Radio』(ニッポン放送、1989年1月1日)
また他のインタビューでは「(2時間睡眠の生活を)2年も続けると「もたない」と思いましたと語っており、掛け持ちを続けるのは体力的にも限界だったことを示している。
岡田茂の自伝では、倉本がニッポン放送のラジオのライターで一生終わりたくない、と東映に籍を置かせて欲しいと中島貞夫を介して岡田に頼んできたと書かれている。
※『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』、角川書店、2004年、165-166頁
さぁ~概ね一般的にはこんな感じですが、イマイチ伝わらない感じがしませんか。
個人的には、こんな文字の羅列を見せられてもと思います。
そこでもう少し掘り下げてみようかと思います…。
ネットの端っこにあるものや、インタビューや本などから拾い出した「倉本聰」の実像が伝わればと思います。
まずは生い立ちについて。
東京・代々木に生まれるとありますが、父親(太郎)は「日新書院」という出版社の社長。
その父親は水原秋桜子門下で俳句をやっていて、日本野鳥の会の設立メンバーでもあった。
5人きょうだい(3男2女)の次男であるが、姉と兄は腹違い。
3歳まで住んでいた代々木駅前の生家と次に住んだ杉並区の家は大豪邸だった。
5歳くらいには字を憶えたが、父親に就学前から宮沢賢治を週に一本音読させられ、読書感想文を書かされた。
これが後に「文章のリズム感」が武器になったと回想。
小学校時代、山形に学童疎開していた頃、クリスチャンである父親が1942年1月「信濃町教会(東京都新宿区)」の月報に「決戦下に於ける伝道」と題し投稿。
「戦争は罪悪である」というくだりが問題となり、当時の特別高等警察(特高)に逮捕される。
戦後、父親の出版事業が傾き生活が苦しくなる。
父親同様、教育熱心だった母親が急に部屋に入ってくると勉強しているふりをしていた。
その癖は大人になっても抜けず、今でも小説を読んでいる時に妻が部屋に入ってくるとつい原稿を書いているふりをしてしまう。
中学時代は演劇部。中1の時、学童疎開体験を小説に書いた。
高校時代は映画に熱中する。
自分でシナリオを書いて麻布中学・高校時代の同級生で銀座山野楽器の息子との縁からテープレコーダーを使って音声ドラマを制作。
麻布中学・高校時代の同級生には堤義明もいた。
現在も富良野プリンスホテルとの強い関わりがある。
大学浪人時代、同居していた叔母が老人性鬱病で包丁で首を突いて自殺を図って血の海の中に倒れているのを発見した。その部屋にはその後頻繁に幽霊が出た。
浪人中はよく酒を飲み、役者として演じてもいたし脚本家として書いてもいた…
だから2年もかかってしまった。
2浪して大学に入学。
大学では俳優座に所属し、プロとして恥ずかしいことはできないと書く方に専念。
麻布中学を卒業する前年に親父が病死し、母と弟妹の生活を面倒見なくてはいけないため、定収入を得てしっかり生活していかなければという堅気志向があり劇団には残らなかった。
フジテレビ開局の時に、フジテレビ・ニッポン放送・文化放送の3社合同のマンモス入社試験があり、フジテレビに行きたかったもののニッポン放送に入社。
ニッポン放送の初任給は1万2360円。6本も番組を持たされて、安月給でよく働く。
担当番組の構成作家が遅筆でしびれを切らしていたところ、ある先輩から
「台本を代わりに書いてアルバイト代を頂戴したらいい」
とささやかれる。この内職により少しの収入を得、当の作家に見込まれて「パパ起きてちょうだい」というテレビドラマのシナリオを初めて書くことになる。
会社には内緒で、アルバイトとして「倉本聰」名義で「日本テレビ」で活動を始める。
倉本聰というペンネームの由来は、父親の出身地である岡山県にある実家の屋号が「倉本」。
妹の名前が「聰子」。特に大きな意味は無く両方からとっただけ。
その後、「倉本聰」はどんどん売れていき、「現代っ子」というドラマは30%を超える視聴率。
毎晩10時くらいまで会社で働き、家に帰ってシナリオを書き寝るのは朝方4時頃。
会社員だから8時半には出社しなければならないので睡眠時間が 2・3時間の生活を2年ほど続ける。
そんな時に本業であるニッポン放送の上司にベテランの脚本家ばかり起用していないで新人を…と咎められる。
「最近倉本って若い作家がいるから一度会って来い」と命じられ、本人は3時間ほど喫茶店で時間をつぶし、「たいしたもんじゃない」と報告。
さあぁ~てと、ニッポン放送までのエピソードはこんなところでネタ切れですが、もし新しいお話があれば追記していきましょう。
ここまでのお話しでも、「北の国から」の人物設定にハハァ~ンと想えるような経験をされているような気がしますが…。
さてさて、ニッポン放送は4年で辞め、独立することになります。
28歳の「倉本 聰」。
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2680.html
「倉本 聰」とは…。 vol.2 ~独立後 東京・札幌時代~
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2688.html
■ 東京時代
ニッポン放送は4年で辞め、独立することになった28歳の「倉本 聰」。
ホームページの略歴には…。
・昭和38年(1963) 28歳 ニッポン放送退社。シナリオ作家として独立。
・昭和46年(1971) 36歳
「おりょう」(CBC)日本民間放送連盟賞最優秀賞受賞。
・昭和47年(1972) 37歳
「風船のあがるとき」(HBC)日本民間放送連盟賞優秀賞受賞。
「平戸にて」(RKB毎日)放送連盟賞受賞。
「ぜんまい仕掛けの柱時計」(NHK)芸術祭最優秀賞受賞。
・昭和48年(1973) 38歳
「祇園花見小路」(CBC)民間放送連盟賞受賞。
・昭和50年(1975) 40歳 「6羽のカモメ」、「ああ!新世界」ギャラクシー賞受賞。
・昭和51年(1976) 41歳
「前略おふくろ様」(NTV)ゴールデン・アロー賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
「うちのホンカン」(HBC)毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
「幻の町」(HBC)芸術祭優秀賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
・昭和52年(1977) 42歳 富良野へ移住。
テレビドラマ脚本 ※連続ドラマ
'63 「現代っ子※」「ぼうや※」
'64 「0戦はやと(アニメ)※」「あなたはタバコがやめられる」
'65 「チコといっしょに」「勝海舟(MBS)※」「青春とはなんだ※」「レーサー※」
'66 「千姫※」「ぼくの母さん※」「これが青春だ※」「円形ベッド物語」
'67 「文五捕物絵図※」「太陽野郎※」
'68 「五重塔」「恋しかるらん※」「あひるの学校※」
'69 「守ルモ攻メルモ※」「犬と麻ちゃん※」「颱風とざくろ※」「かきの沈黙するとき」
'70 「マイホーム'70※」「わが青春のとき※」「砂の城※」「君は海を見たか※」「男たちのブルース※」
'71 「2丁目3番地※」「涙の河をふり返れ ~艶歌より※」「ひかりの中の海※」「舷燈」「冬の華※」「おりょう」「挽歌※」
'72 「3丁目4番地※」「風船のあがるとき」「氷壁※」「平戸にて」「おはよう※」「赤ひげ※」「父ちゃん」「田園交響楽」「ぜんまい仕掛けの柱時計」
'73 「ガラス細工の家※」「祇園花見小路」「白い影※」「ばんえい」「ぶらり信兵衛 ~道場破り~※」「聖夜」
'74 「勝海舟(NHK)※」「りんりんと」「6羽のかもめ※」
映画脚本
'65 「北国の街」
'66 「旗本やくざ」「帰ってきた狼」「涙になりたい」「涙くんさよなら」「私、違っているかしら」「遥かなる慕情 星のフラメンコ」「おゆきさん」
'67 「北国の旅情」「陽のあたる坂道」「君が青春のとき」「ザ・スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦」「'68 ザ・スパイダースの大進撃」「昭和元禄 TOKYO 196X年」
'69 「青春の鐘」
'71 「君は海を見たか」
独立後は連続ドラマを中心に各放送局のものを書いています。
まさに売れっ子脚本家です。
略歴をみると売れっ子脚本家が42歳で富良野へ移住して悠々自適の生活。
そして「北の国から」が大ヒット。
そんなイメージの方が多いと思います。
しかし、略歴には「NHK問題」と札幌時代が見えてきません。
・「Wikipedia」より引用
東京でフリーの脚本家となったが、NHK大河ドラマ『勝海舟』制作に際し、脚本家の演出関与の是非をめぐる問題がこじれたことで嫌気がさし、脚本を途中降板。
1974年6月、取材を受けた週刊誌『ヤングレディ』の記事が NHKを攻撃する内容に変わっていたので、最終稿まで確認して記事は修正されたが、広告の見出しが
「倉本聰氏、『勝海舟』を内部から爆弾発言」
と修正されぬまま出てしまったことがきっかけだった。
当時の制作局長には軽率を謝罪したが、20 - 30人からつるし上げられたという。
※『愚者の旅』(理論社、2002年)
※NHKとはこのトラブルから20年以上絶縁状態にあったが、1999年の『玩具の神様』で復帰した。
その日に千歳空港へ飛び、そのまま北海道札幌市に転居。
※「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(1)」 『毎日新聞』 2009年11月16日、13版、5面。
※この移住に際しては、向田邦子から
「あんたバカなことおやめなさい。東京を離れたら仕事なンて来ないわよ」
と説教されたという
(『獨白 2011年3月』p14)。倉本は当時を振り返って「仕事はもうどうでもよくなっていた」と述べている。
■ 札幌時代
・昭和49年(1974) 39歳 北海道札幌市に転居。
東芝日曜劇場(TBS系) 第926回『りんりんと』(1974年、北海道放送)
テレビドラマ
「氷壁※」
「祇園花見小路」
「大河ドラマ『勝海舟』(1974年、NHK)」
「『6羽のかもめ』(1974年 - 1975年、フジテレビ系)」
・昭和50年(1975) 40歳
「6羽のカモメ」、「ああ!新世界」ギャラクシー賞受賞。
東芝日曜劇場(TBS系) 第947回『ああ!新世界』(1975年、北海道放送)
テレビドラマ 「平戸にて」「白い影※」「りんりんと」「『うちのホンカン』シリーズ(1975年 - 1981年、北海道放送)」
「『あなただけ今晩は』(1975年、フジテレビ系)」
「『前略おふくろ様』(1975年 - 1976年、日本テレビ系)」
著書 あなただけ今晩は 星の世界の夕子(立風書房、1975年)
・昭和51年(1976) 41歳
「前略おふくろ様」(NTV)ゴールデン・アロー賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
「うちのホンカン」(HBC)毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
「幻の町」(HBC)芸術祭優秀賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
東芝日曜劇場(TBS系)
「第1000回『幻の町』(1976年、北海道放送)」
「第1040回『ひとり』(1976年、北海道放送)」
テレビドラマ
「『大都会 闘いの日々』(1976年、日本テレビ系)」
「おはよう※」
「ばんえい」
「6羽のかもめ※」
「あなただけ今晩は※」
著書
「倉本聡テレビドラマ集 1-2(ぶっくまん、1976年-1977年)」
「うちのホンカン(テレビドラマ集)」
39歳の倉本聰は、NHKの大河ドラマ「勝海舟」を書いていましたが、なんと途中降板してしまいます。
これについてインタビュー番組では、若かったし生意気だった…。
NHKとの喧嘩の大本は、渡哲也が病気で松方弘樹に変わったことらしいのですが、本読みの時に居ることが心外だと演出家ともめたらしい。
NHKはアイツはダメだと代理の作家を立てていた…。
突然札幌へ来てしまうのですが、意識も無く記憶も無い。気が付いたら札幌にいたと言う。
なぜ北海道だったかについては、
「ある人に敗北と言うでしょ、敗れたら北へ行くのですと…」。
北海道放送の親しいプロデューサーに連絡を取り 中村屋という小さい宿に宿泊。
(家に転がり込む話も…)
札幌では毎晩4時まで飲んでいた。まったく利害関係のない人達と仲良くなる。
北海道の人達は「野党精神」があるので守ってくれる。
NHKから貰っていた脚本料の前渡金について、返せとは言われなかったけど300万くらい返した。
「スッカラカンになっちゃったけど、ケジメはつけないとね」
かみさんから電話が来て「貯金が7万円しかないわよ」と言われたのが3か月後。
暮らせないのでタクシーの運転手をやろうと思ったが、飲み仲間から「あんたの顔はトラックに向いてる」と言われる。
豊平の運転試験場で免許も取り、さぁ明日からというタイミングで、フジテレビが見つけ何か書けと言う。
テレビの悪口を書いても良いかと聞くと、何でも良いと言う。
しかも、書く前に50万貰う。
この金は有り難かったと、飲み代のツケを返して、返しきれなかったけど…、店は増えたけど…。
NHKを降りたので「倉本聰」の名前は使えない。
そこで「イシカワ トシコ(※漢字だろうが判らない)」のペンネームで書いたのが「六羽のかもめ」。
これが「ギャラクシー賞(月刊賞)」を受賞してしまう。
実は「イシカワ トシコ」というのは、渡哲也の奥さんの旧姓。授賞式に出てくれと奥さんに頼んだが怒られる。
札幌には2年半居たが、札幌は小さな都会、肝臓に悪い街。
こんなに豊かな生活が、いつまでも続かないと不安になる。
もっと田舎での生活を考え、その第一候補は富良野ではなく「美国」だった。
見晴らしの良い3000坪の土地を買いかけたが、岩盤のため水が出ないので止める。
もし美国だったら「北の海から」だったかもしれない。
富良野というのは聞いたことも無かったが、札幌の炉辺屋で隣の人が「文化村構想」を知っているか…、がきっかけとなり富良野への移住を模索する。
まぁ~インタビュー番組から拾い出したので多少はどのような生活だったのか想像してしまいますが、つじつまが合わなかったりネタのようなお話もあります。
演出や脚本のプロですから、どこまでが本当の事なのかは判りません。(笑)
ただ、ネットのどこかに「1974年(昭和49年) 39才 母死去」という文字がありました。
もしこれが本当なら、何かしらのキッカケになったのかもしれません。
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2688.html
「倉本 聰」とは…。 vol.3 ~富良野時代 「北の国から」前夜~
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2709.html
やがて富良野へ住むことになったわけですが、そこはロマンチックとは真逆の世界。
果てしなき闇と静けさ。。。
一冬めは孤独と失意で「毎日どうやって死のうか」ということばかりを考えていた。
そのうちに自分の耳が動くようになってきた。
それは、ウサギやリスなど野生動物がかすかな音から危険を感知して耳を動かすのと同じで、野性が戻ったと感じた。
そして二冬め、孤独や失意は少し薄れてきました。
「神様は私に試練を与え、私はここに住むことを許されたに違いない」
そんなことを言ってるわけですが…。
昭和52年(1977) 42歳 富良野へ移住。
昭和57年(1982) 47歳
・「北の国から」テレビ大賞・山本有三記念「路傍の石」文学賞受賞。
・「駅 STATION」キネマ旬報・毎日映画コンクール・日本アカデミー賞最優秀脚本賞受賞。
昭和58年(1983) 48歳
・富良野市西布礼別地区心和農場所有の原野を借り受け、富良野塾開設の地とする。
・「波の盆」芸術祭大賞受賞。
テレビドラマ脚本 ※連続ドラマ
'76 「大都会(1)闘いの日々※」
「再会 ~ふるさとさむく※」
「幻の町」
「嘆きのホンカン」
「前略おふくろ様(2)※」
「ひとり」
'77
「冬のホンカン」
「あにき※」
「時計」
'78
「浮浪雲※」
「さよなら・サッポロ(七人の刑事)」
「スパイスの秋」
「坂部ぎんさんを探して下さい」
'79
「年の初めの」
「たとえば、愛※」
「一年」
「祭が終ったとき※」
「遠い絵本 第一部 第二部」
「'80 さよならお竜さん※」
「機の音」
'81
「ホンカン雪の陣」
「北の国から※」
「ホンカン仰天す」
'82
「ガラスの知恵の輪※」
「君は海を見たか※」
'83
「北の国から'83 冬」
「波の盆」
映画脚本
'78 「冬の華」「ブルークリスマス」
'81 「駅 STATION」
1981年に、連続ドラマ「北の国から」がはじまりますが、富良野に移住して「毎日どうやって死のうか」とか言いつつもスゴイ数の脚本を書いていたことになります。
気持ちは気持ちとして仕事は別で、チャンとこなしていたということなんでしょうか。個人的にはそんな状態で文章を書けるとは思えませんが…。
さて、「北の国から」ですがインタビュー番組の中で…。
フジテレビが来て、「アドベンチャーファミリー」「キタキツネ物語」が当たったから、そんなものを書いてほしいと言われた。
北海道に電気も水道も無く電話も通じない場所は無いと言うと、東京の人が主に見るものだから東京の人が抱く北海道のイメージであればと言われ「コチン」ときた。
北海道を書くのに北海道の人に嘘だと思われたら最後だ。
企画を考える時に富良野にモデルになる人物がいた。偏屈なので会わない方が良いと言われ会わなかったが生活は周りから観察した。
(※ベベルイに住んでいた大浜五光さんだと思います。)
そしてあのドラマが始まった
富良野の「北の国から記念館」に展示されていた文章は…。
ドラマのスタートは、企画から始まる。
プロデューサー、演出家、脚本家が意見を出し合い企画が練られる。
プロデューサー
「アドベンチャーファミリー、キタキツネ物語がヒットしたので、北海道を舞台にあのようなドラマが作れないか」
脚本家
「キタキツネ物語は三年近い年月を使ってキタキツネの生育を追っている。
そのような制作体制が今のテレビドラマで出来るのか。
また、アドベンチャーファミリーは人間社会から隔離された北米の原野が舞台
になっている。そのような舞台は北海道にはない。」
プロデューサー
「テレビの主たる視聴者は東京の人間である。
北海道にそうしたフィクションの土地を置いても、東京人はそれをかえって面白く思うだろう。」
脚本家
「その考えは間違っている。
板前のドラマは板前が、刑事のドラマは刑事が見て感動してくれなければ本物とは言えない。北海道を舞台にしたドラマが、北海道人に嘘だと思われたら良い作品などできるわけがない。」
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2709.html
▲△▽▼
しかし、倉本聰はどれを見ても職人的に無難に書けてはいるのですが、何かが足りないですね。
「北の国から」の様に音楽や子役の名演技でそれを補えた場合にだけ成功作になるという事でしょうか。
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2025/05/16 (Fri) 12:15:14
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倉本聰『北の国から』(フジテレビ 1981年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89
原作 倉本聰
脚本 倉本聰
制作 フジテレビ
動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89+%E7%AC%AC+%E8%A9%B1
オープニング さだまさし
「北の国から〜遥かなる大地より〜」
放送期間 1981年10月9日 - 1982年3月26日
『北の国から』は、フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマのシリーズ。原作・脚本は倉本聰。主演は田中邦衛。
連続ドラマとして「金曜劇場」枠で1981年10月9日から1982年3月26日まで毎週金曜日22:00 - 22:54に放送された後、ドラマスペシャルとしてシリーズ化され、8編のドラマスペシャルが1983年から2002年まで放送された。北海道富良野市(主に麓郷地区)を舞台に、北海道の雄大な自然の中で田中演じる主人公・黒板五郎と2人の子どもの成長を21年間にわたって描く。
東京から故郷の北海道に戻り、大自然の中で暮らす一家の姿を描く。脚本は倉本聰。連続ドラマ放送後、8編に及ぶドラマスペシャルが放映され、フジテレビのイメージアップに貢献した[3]。主題歌の作曲・スキャットは、さだまさし。
あらすじ
北の国から
第1話
妻の令子が家を出て半年。東京が嫌になった五郎は、幼い純と螢を連れ、故郷の北海道は富良野で暮らし始める。以前住んでいた麓郷の廃屋を家族で補修し、電気も水道もない大自然の中での、三人だけの暮らしが始まった。田舎になじもうとする螢、どうしてもなじめない純。ある朝、螢は五郎に対し、自分たちがいなくてもここで暮らしたいか、と問いかけるのだった。
第2話
秋、北海道での暮らしの準備が進む。しかし、不便な生活に馴染めない純は、東京に残る母・令子へと手紙を書き、投函を螢に託す。ところが螢は町への道すがら、手紙を川に落としてしまう。その日、麓郷の五郎を訪ねてきたのは、令子の妹・雪子だった。しかし都会の空気をまとう彼女を、五郎は快く迎えられないでいた。一方、夜になっても戻らない螢を探す男衆。騒ぎの中で、純は五郎に思いをぶつける。
第3話
冬を間近に控え開拓が進むある日の夜、雪子は身の上話とともに、改めて純の気持ちを五郎に伝えた。五郎は苛立ちに似た感情を抑えられぬまま、純を東京の令子に託す決心をする。三日後、駅を発つ純に、麓郷の主とも言える清吉は「負けて逃げ出す人たちを何人も見送ってきた」とつぶやいた。その声は純の心を静かに揺さぶる。夜、五郎と螢だけになった家の前に響く車のエンジン音。扉の向こうに立っていたのは……。
第4話
冬を迎えたある日、東京から弁護士・本田好子がやって来た。彼女は親権について五郎に詰め寄る。さらに本田は純たちに接触し、母からの手紙の存在を伝えた。翌日、純は一人で本田を訪ねる。五郎と共に令子の浮気現場を目撃した螢は、頑として父の側を離れなかった。本田と対面した純は会話の中で、半年前、夜中に電話で誰かと話し込む母の姿を思い出していた。本田は令子と電話を繋ぐ。受話器から漏れる母の声。狼狽した純はホテルを飛び出す。その先には、雪に埋もれるように、見慣れた一台の車が止まっていた。
第5話
弁護士との一件以来、父に疎まれていると感じている純。一方の五郎は、偏屈者の笠松杵次から「(お前たちが住む)あの土地は自分のものだ」と告げられる。その杵次は黒板家を訪ね、火起こしの練習をする純に開拓の苦労話をこぼす。夜、酒の席。笠松老を悪く言う大人たちに耐えきれず感情を爆発させる純に、五郎はつい手を上げてしまう。落とした帽子を踏みつけ逃げ出す純は、その後、草太にたしなめられるのだった。子供たちが寝床に入った深夜、五郎は一人、酒に酔う。頭には純の帽子が乗っていた。
第6話
マフラーを編む雪子。純は草太へのプレゼントだと考え、草太につい漏らしてしまう。雪子に惚れている草太は意を決し、雪子にキスをする。しかしある夜、草太に想いを寄せるつららが雪子を訪ね、静かな口調で「覚悟がないなら、ここにいてほしくない」と本音をぶつける。その言葉にかつての苦い恋を思い出した雪子は、一人、煙草に火を付けるのだった。加えて五郎からも農家に嫁ぐことの重みを聞かされた彼女は、麓郷の人々の想いを抱えきれなくなり、一度東京へと戻って行った。
第7話
学校帰りは中畑家で父の帰りを待つ純と螢。ある日、純は衝動的に令子に電話を掛ける。令子は涙ながらに純との会話を喜ぶ。母への思慕が募る一方、父との距離は開いていく。見かねた中畑はクリスマスイブの夜、純を諭すのだった。父の優しさや苦労を初めて知る純。夜、家に帰り着くと、そこには二人分のスキーセットが置かれ、靴下が履かされていた。夜、螢は五郎に、黙って母に電話したことを詫びる。タイミングを逃し、黙ったまままどろむ純。その頬には、涙が一筋流れていた。
第8話
年末。五郎は沢から水を引く作業を進めている。その夜、つららは草太に、旭川へ出ると告げる。しかし草太は「雪子を諦めた。一緒になろう」と返した。そして大晦日。黒板家に水が来る。抱き合って喜ぶ五郎と純、螢。教師の凉子も手伝い、初めての団欒の準備。夜、五郎は凉子を車で送るが、彼女から純との間にある溝のようなものを指摘される。一人、帰宅する五郎。そこに、正吉の家で紅白を見るというあてが外れ、落ち込む純と螢が帰ってくる。そんな二人を五郎は夜景の見える場所に連れ出し、感謝の言葉を述べる。そして純に、互いに遠慮を捨てようと呼びかけるのだった。帰宅すると、そこにはなぜか明かりが。雪子が戻ってきたのだ。
第9話
1月5日。スキーに出掛けた純、螢たちと入れ違うように、令子が黒板家を訪ねてきた。五郎は動揺しつつも彼女を招き入れる。子供部屋で螢のパジャマに顔を埋め、子供たちを懸命に感じようとする令子。夜、純、螢たちが帰宅。片付いた部屋、新しいラジオなどに、螢だけは来客の気配を感じ取る。そしてパジャマに残る匂いに、母の来訪を確信するのだった。翌日、車の中から子供たちの姿を見て、令子は空港へ。その後、黒板家を訪ねてきたのは五郎の幼馴染である正吉の母、そして草太だった。大人たちの会話から、何かを悟る純。夜の団欒で、五郎は、ラジオは母からのプレゼントだと明かす。しかし純と螢は努めて明るく振る舞うのだった。外は、風が強く吹き始めていた。
第10話
「風力発電の部品が届いた」という知らせを受け、雪子と純は車で受け取りに向かう。しかしその帰り道、富良野一帯は急な吹雪に襲われ、雪子の車はスタックしてしまう。その頃、杵次が馬そりで黒板家を訪ねてくる。開拓の苦労を知る杵次は「電力会社に電気を通してもらえ」と言うが、五郎はやんわりと拒絶するのだった。日が沈み、町は停電によって機能を失う。行方不明の純と雪子を探す術が失われ、途方に暮れる男たち。中畑の下で働くクマがつぶやいた「馬なら」の言葉に、五郎は杵次宅へと走る。やがて車の中で遠のく意識の中、雪子と純が聞いたのは、馬に付けられた鈴の音だった。老馬は風雪をついて進み、ついに雪子たちの元へと五郎を連れてきたのだった。
第11話
遭難事故後、五郎は酒と謝礼金を持って杵次を訪ねるも、すげなく追い返されてしまった。草太は自分の牧場で雪子を働かせるが、そのためつららとの距離は開いてしまう。一方、金の件で「五郎が杵次を侮辱した」と思い込んだ正吉は、純にけんかを吹き掛けてくる。五郎と雪子の仲を冷やかされた純は、草太にけんかの仕方を習う。また、草太自身も周囲に雪子との仲をたしなめられ、それが元で乱闘騒ぎを起こす。警察で事情聴取を受けている時に、草太はつららの家出を知らされ……。純は、雪子や草太の行動に憤りを感じ、ついに雪子に冷たく当たるのだった。その夜、静寂を破り悲鳴が聞こえた。再び螢に懐き始めたキツネが誰かの罠に掛かったのだ。絶句する純、慟哭する螢。しかし北の国のさまざまな騒ぎを飲み込むように、雪はまた強くなり始めた。
第12話
つららの行方はようとして知れず、罠に掛かったキツネも姿を見せない。学校では正吉がキツネの餌付けを非難するが、その後「祖父がトラバサミを仕掛けた」と凉子に告白する。事情を察した凉子は、純と螢に「北海道と都会では、人と動物の距離感は違う」と語りかける。その日、帰宅した純たちの目に映ったのは風力発電用の風車。ついに灯った電球に歓声が上がる。夜、牧場で清吉につらく当たられ帰宅した雪子も、その明かりに救われるのだった。そんな時、笠松杵次が黒板家にやって来た。罠のことを詫びに来たのだ。純たちは、素直にその言葉を受け入れる。そして「そうか。もう四カ月ここで暮らしたか」という笠松老の言葉を噛み締める。北の国で生きることに慣れていく純と螢。こうして一家は初めての冬をしのいだ。春は、すぐそこまで来ていた。
第13話
5月。本格的な春を迎え、人も動物たちも活気を取り戻す。純と雪子は入院した令子を見舞うため、東京にいた。思わぬ息子の来訪に喜ぶ令子。しかし純は母との距離を計りかねていた。病床の令子は強がるものの、回復の兆しを見せない。翌日、純はほのかな思いを寄せていた恵子たち旧友に会いに行く。皆で集まるものの、いつしか北海道の暮らしに慣れていた純は、洗練された友人たちの会話に入れず疎外感を感じるのだった。その日、見舞いに来たのは、令子の恋人・吉野だった。ただならぬ空気を察知する純。三日目、日曜。吉野の誘いで出掛けることになった純は、吉野から母と東京で暮らすように迫られる。さらに恵子からも無邪気に「母子でうちに来ればいい」と誘われ……。北海道と東京、父と母。純は分岐する自身の未来について悩み始める。
第14話
令子の痛みの原因は不明のまま、入院は続く。吉野は神経性のものだとして、純を東京に残らせてはどうかと雪子に迫る。そして純は母に対し「北海道に来たんでしょ」とこぼす。螢が気付いたのだ、と。令子は涙をこらえきれず、ついに純に「東京にいてくれる?」と問うのだった。純は東京に残ること、北海道に戻ることの間で揺れる。しかし北海道で暮らした半年は、純の気持ちを変化させていた。東京での最終日、純は母に会わずに北海道へと戻る。富良野では五郎と螢がUFOを見たと盛り上がっていた。純は正吉と、話の流れから、夜に遊びに出ることに。そして後を追ってきた螢と三人で、森の中で見たもの……まばゆい光、それはUFOか。慌てふためき隠れる三人の前を通り過ぎたのは……まさかの凉子先生。これは一体……?
第15話
UFOから降りてきたのは凉子先生なのか……純たちは混乱したまま学校へ。凉子を観察する純だが、思春期を迎えていた彼は凉子の胸ばかりが気になる。そんな中、父兄たちに匿名の封書が届いた。それはかつて凉子が起こした児童の自殺事件についての新聞記事だった。「匿名で卑劣だ」と五郎は取り合わないが、笠松杵次は少々過剰に反応する。そして小学校での保護者会の日。酔って現れた杵次は凉子に「記事は事実か」と詰め寄る。全てを包み隠さず話す凉子。保護者会は混乱の中で幕を閉じた。夜、酔った杵次が五郎を訪ねてくる。そして「女房同然」の馬を手放したことを、涙ながらに語るのだった。大雨の中、杵次は自転車で帰っていく。翌朝、純と螢が学校に向かっていると、川に大人が集まっていた。そこには、杵次が倒れていた。
第16話
杵次の通夜の準備が進む。しかし正吉は現実を受け止めきれず、姿を消した。彼の行方を捜し当てたのは螢だった。そこは、純が東京に行っている間に杵次に教えられた「木の上の家」だった。そして笠松家では通夜、葬式が行われた。酔った清吉は、同じ時代を生き抜いた杵次への思いを語る。北海道開拓の記憶……その言葉はあまりにも重いものだった。翌日、黒板家を訪ねてきたみどりと正吉。酒を酌み交わす中で五郎が杵次の材木を引き取ったことを知ったみどりは、心から喜ぶ。その数日後、純たちは「正吉が町を離れた」と聞かされる。笠松家の前に立つ清吉は「また廃屋が増えた」とつぶやくのだった。厳しい現実にさらされながらも、黒板家の三人はたくましく生きていく。ついに、新しい丸太小屋を建てる計画が持ち上がったのだ。
第17話
丸太小屋作りに没頭している五郎。そんなある日、雪子が東京から戻り、令子が北海道に来ていると告げる。ついに令子との離婚の交渉が始まった。令子は最後に子供たちに会いたいと望み、五郎はそれを認める。令子と純、螢はラベンダー畑へと出掛けるが、螢は令子と口を利こうとしない。そんな螢に純は「お前は冷血動物だ」という言葉をぶつけるのだった。夜、令子が病院に担ぎ込まれたと聞き、五郎は急いで見舞いに行く。別れるとはいえ、令子の回復を願う五郎だった。翌日、東京へ帰る母を見送る駅。その場に来なかった螢。走り出す列車。線路に沿うように流れる川、その向こうに走る小さな一人の少女の姿……それは、螢だった。夜、涙の跡を付けて眠る螢に、純は……。そして、短い夏が始まる。
第18話
富良野の夏の風物詩、イカダ下り。皆、グループに分かれ思い思いのイカダを作っているが、純と螢は中畑たちの「四畳半」号に乗ると言い、五郎は不機嫌に。それでも7月26日の本番を迎え、大会は大いに盛り上がる。川を下るイカダの群れ。途中、五郎はこごみと名乗る女性と知り合う。そんな賑わいの中、雪子は川岸に一人立つつららの姿に気付く。祭りの後、つららを探す五郎や雪子、草太たち。しかし混乱する草太は思わず雪子に冷たく当たり、ついに自身の複雑な想いを吐露するのだった。結局つららの姿は見当たらず、五郎たちは帰宅する。ところが凉子とUFOを見に行くと言って出かけた螢が、夜9時を回っても戻らない。胸に広がる不安を振り払うように、思わず外に出て夜空を見上げる純と五郎。そこには降るような星空が広がっていた。
第19話
警官や中畑らの協力もあって、螢が無事に戻ったのは夜中のことだった。螢は寝床で純にUFOのことを興奮気味に語るが……。そして7月の末、富良野名物のへそ祭りが行われる。その日、ボクシングジムで取材を受けるという草太を見に行った純は、記者たちに「担任の教師と妹がUFOを見に行き、夜中まで帰らず騒ぎになった」と漏らしてしまう。祭り会場にいた五郎はこごみと再会。東京を引き上げてきた経験を持つ二人が親しくなるのに、さほど時間は必要なかった。そんな五郎の元に届けられた離婚届。落ち込む五郎は再びこごみのもとへ向かい、彼女の部屋で一夜を過ごす。明け方、家に戻った五郎だが、螢は五郎の服にラベンダーの匂いを嗅ぎ取り……。新聞の地方版に「小学校教員が遭難をかくす」の見出しが踊ったのは、そんな朝のことだった。
第20話
こごみに夢中になる五郎と、それに気付き始めた螢。ある日、ついに螢は五郎が女性と親しげにしているところに出くわしてしまい……。翌日、テレビ局の男がUFO目撃の件で螢を訪ねてきた。迷いながらも取材を受ける螢だが、番組内での大人たちの心ない言葉に深く傷付けられるのだった。螢を励まそうとピクニックを提案する五郎。そこでこごみを紹介される純と螢だが、螢はその場を逃げ出してしまう。二日後、ついに凉子の転勤が決まった。責任を感じる純は凉子に詫び、自分もUFOを見せてほしいと頼み込む。体調不良の中、約束の場所に行った純は一人、森へと入っていく。薄れゆく意識の中で目撃したものは、果たして……。こうして富良野の短かい夏が終わる頃、五郎はある噂を耳にする。すすきのの風俗店に雪子と名乗る麓郷出身の女がいた、というのだ。
第21話
試合に向けて汗を流す草太。しかし会長の成田新吉は、草太のどこかうわついた思いを見抜いていた。五郎はこごみと親しくしているが、それを知った中畑は、五郎にあまり深入りしないよう忠告する。そしてつららが札幌の風俗店で働いているという噂を確認に行った清吉だが、すっかり垢抜けたつららの姿に戸惑いを隠せないでいた。いよいよ草太の試合が始まる。しかし新吉の予想は的中、草太はリング上で打ちのめされ……。試合後、会場で雪子の肩を叩くのは、つららだった。喫茶店で楽しげに語るつららだが、純は雪子の涙に気付く。一方、家では螢が五郎に語りかけていた。「お父さんに好きな人ができても平気だよ」。五郎はただ、黙っていた。こうして夏休みが終わり、純たちの本校への登校が始まった。富良野は、秋が始まりかけていた。
第22話
10月、丸太小屋の建設が始まった。賑やかに作業が進む中、純と螢は山に入り、五郎への内緒の誕生日プレゼントにと山ぶどうを集めていた。そんな中、こごみが作業場を訪ねてくる。螢はこごみと打ち解けるが、男たちは気まずさを隠せない。夜、螢が彼女を五郎の誕生日パーティーに誘ったことなどについて、純は激しく反発するのだった。五郎は純に「職業の格なんてない」と注意しながらも中畑や純の思いを汲み取り、駒草に向かうため車に乗り込む。追ってきた雪子は、令子が吉野と一緒になると知らせてきた便りを五郎に見せる。五郎の答えは「良かったじゃないか」だった。駒草でパーティーのことについて語る五郎、全てを察して笑顔を見せるこごみ。そこに一報が入る。手を震わせながら店内に戻った五郎は力なくつぶやいた。「女房が死んだって」。
第23話
葬儀のため空路、東京へ向かう純と螢、雪子。吉野も顔を見せる一方で、五郎がなかなか来ないことに憤懣やる方ない表情を見せる純。そこに清吉がやって来た。その優しい笑顔に雪子は慰められる。翌朝到着した五郎に冷たい表情を見せる大人たち。その頃、純と螢は吉野に誘われ、新しい靴を買ってもらっていた。傷んだ今の靴……父が買ってくれたその靴は処分されてしまう。そして葬式が終わる。皆に翌朝一番に帰ると告げ「薄情だ」と言われる五郎だが、一人泣いている螢には本心を吐露する。その晩、純は大粒の涙を流し泣いている五郎を目撃する。言葉通り早朝に帰った五郎を「来るのも遅かった」と蔑む大人たちに、清吉は静かに言う。「あいつ、一昼夜かかって汽車で来たんですよ」。その言葉に、純と螢は処分されたはずの靴を探すため、夜の街を駆け出すのだった。
第24話
母の葬儀から数日、列島を北上した台風は北海道に達していた。雪子は草太に便りを書く。そして互いの成長を期し「いつかまた富良野で会えるといいですね」と締めくくるのだった。純は短い東京滞在の中で、自然の中で生きることの意味に気付き始める。夜、螢が母の書きかけの手紙を発見した。夏、北海道を訪ねた後に書かれたもので、富良野の雲に触れ「あんなに雲がきれいだったってこと」で止まっていた。翌日、純と螢が富良野に帰ってくる。一家は新しい丸太小屋で夜まで過ごし、台風で損壊したという「最初の家」を見に行く。そこで螢はキツネを見つける。罠で足を一本なくしたあのキツネが帰ってきたのだ。その晩、初めて丸太小屋で眠る純と螢。純は夢の中で母に手紙を書いていた。それは、麓郷で過ごした一年の記憶。「母さん、寂しいよ、とってもつらいよ。でも僕や螢のことは心配しなくてもいいよ。僕、少しこの一年で強くなったんだ」「僕らの生活が見たかったら、いつでも富良野に来てごらん。何もない町だけど、僕ら、いつもいるよ。父さんもいるよ」「母さん。雲が今日もきれいです。母さんが見たという雲は分かりません。だけどその雲、僕と螢は、どれだったんだろうと時々話しており……」。
北の国から '83冬
令子の葬儀から一年半、季節はクリスマス。東京に出稼ぎに行っていた五郎が12月30日、麓郷に戻ってくる。賑やかな年の瀬を迎える中で入ったのは「正吉が家出した」という一報だった。夜、正吉を発見した純たちは彼を丸太小屋に連れ帰る。翌朝、黒板家を訪ねてきた正吉の母・みどりは「しばらく正吉を預かってほしい」と頼むのだった。しばらく後、もう一人の来客があった。五郎の父や杵次たちとともに麓郷開拓の祖とも言われる沢田松吉だった。東京で成功し隠居したという松吉の帰郷に宴席が設けられるなど、町は活気づく。そんな中、五郎を訪ねてきたのは、借金取りの男たちだった。五郎はみどりが作った借金700万円の連帯保証人になっていたのだ。金を払うか土地を手放すか、五郎は追い込まれていく。そうとも知らず「家出中の自分に螢が年賀状をくれた」と浮かれる正吉。しかしひょんなことから借金問題が純たちの耳に入り、五郎と純、正吉の関係に軋みが生じる。そして正吉はまたも黒板家を飛び出してしまった。その夜、再びみどりが姿を現した。みどりは「もうどうにもならん」と呻めき、汽車で富良野を出ていくという。そんなみどりに、五郎は松吉や自分の半生を引き合いに出し故郷の良さを説く。そして「正吉を預からせてくれ」と申し出るのだった。朝、丸太小屋の雪おろしが進んでいた。正吉だと三人は直感するが、その姿は見えない。正吉は屋根から落下し、雪の中に埋まっていた。一命を取り留めた正吉が眠る病院。仲間たちが五郎を訪ねてきた。皆が少しずつ金を工面したという。ただただ頭を下げる五郎。そんな話に松吉は援助を申し出るが、松吉の孫娘、妙子は涙ながらに言う。「都合のいいことばかり思い出さないでよ」。郷里を出奔した松吉の記憶はもはや曖昧で、財力など持ち合わせていなかったのだ。しかし五郎は松吉の言葉に真摯に向き合い、礼を述べるのだった。夕刻、松吉は、雪の中で豆を蒔いていた。その目に映るのは、かつての開拓の同志たち。松吉の心は、自身が豆大尽と言われたあの頃へ、村が豆で豊かになったあの頃へと旅していた。そして1月10日、再び五郎は出稼ぎのため、東京へ向かう。純、螢、正吉の三人の暮らしが始まろうとしていた。
北の国から '84夏
夏、また少したくましくなった純と正吉。夏休みのある日、純と正吉は、東京から来た少年・努にパソコンのことなどを自慢される。さらに五郎のことを悪く言われた純と正吉は、努のパソコン雑誌を盗んでしまう。どちらが先に盗ろうとしたか言い合う中で、正吉は「やっぱりお前は汚い奴だ」と言い放つ。純は、まだまだ雪が残る春のことを思い出していた。その日、純と正吉は濡れた衣類をストーブの上に掛けるが、それがきっかけで丸太小屋が全焼してしまったのだ。純が言い訳を重ねる中、正吉は自分のせいだと警察に言い……。そうした夏休みのある日、純と五郎は、五郎が風力発電を諦めていることについて、言い合いをしてしまう。つい、純に強く言い返す五郎。草太を捨てるように東京に帰る雪子にも納得できないでいた彼は、感情を持て余し、こごみの店へと向かう。翌日、純と正吉は努と川で遊ぶもけんかを始めてしまい、雨の中、置き去りにされた努は軽い肺炎を起こす。その責任について衝突する正吉と純。正吉は再び純に「相変わらずお前は汚い野郎だ」と言うのだった。その頃、五郎たちは東京へ戻る雪子を駅で見送っていた。目ざとく駅の外にいる草太を見つける螢。二人は駅から離れ、川べりから雪子を見送る。雨に打たれる努を見つけたのは、その帰り道の草太と螢だった。夜、純は五郎に詰問される。しかしそこでも純は五郎の言葉を受け止めきれず、全てを正吉のせいにしてしまう。そして翌日、ついに正吉が去る。みどりが迎えに来たのだ。すれ違いのまま最後の時が来る。それでも二人は、背中越しにぎこちなく仲直りを果たす。その帰り、黒板家の三人はラーメン屋へ。食事に箸を付けない純、何かを察する父と妹。駅で親友とエールの交換をしていた純は、春から夏のいろいろな出来事について、五郎に「僕が卑怯で弱虫だった」と吐き出すのだった。涙ながらに語る息子に「自分もいつの間にか人に頼ろうとしていた。だらけてた」と本音をこぼす父。家族の語らいを遮ろうとするラーメン店の店員に、思わず「子供が、まだ食ってる途中でしょうが」と言葉を荒らげる五郎だった。三人は手を繋ぎ、肩を組み、町を後にする。富良野名物の筏下りが終わり、早い秋がすぐそこまで来ていた。純の薪を割る音が、森に響いていた。
北の国から '87初恋
中学三年生になった純は機械いじりが好きで「ペンチ」というあだ名で呼ばれていた。ある日、純は朽ちた風力発電機の前を通りかかり、そこで出会った大里れいに一目惚れする。その頃、草太は純の友人である広介の姉・アイコに会っていた。つららが結婚し、幸せに暮らしていることを聞き、安堵する草太。翌日、純は風力発電のことで電気屋・シンジュクを訪ねていた。その帰り、純とれいは偶然再会するが急な雨に降られ、平原に立つ大里家の納屋へ逃げ込む。濡れた服を脱ぎ、乾かしながられいと交わした会話の中で、純は東京の定時制高校進学という選択肢を知る。やがて大里家に出入りするようになった純は、れいの父・政吉の計らいで、風力発電機の修理に取り組み始め……。そんなある日、大雨で純の友人・チンタの家の畑が大きな被害を受ける。政吉は「化学肥料に頼ったからだ」と冷たく突き放し、純も同調する。そんな純に対し、五郎はつい、れいとの関係を咎めるような物言いをするのだった。純は、父に黙って少しずつ巣立ちの意志を固めていく。ところが五郎は純と東京の雪子の間で交わされた手紙を見つけ、純の気持ちを知ってしまう。そして五郎の誕生日、純はついに完成させた風力発電を披露する。草太やアイコたちも駆けつけている中、しかし五郎は自分に何の相談もしなかった純に「俺はそんなに頼りにならないか」と激しい感情をぶつける。思わず家を飛び出す純。追ってきた草太は「男は見栄で生きてるもんだ」と諭し、純も父に詫びるのだった。その夜、麓郷に霜が降りる。対策に追われる大里一家だが、政吉は誤って妻をコンテナの下敷きにしてしまい……。これが、秋の出来事だった。
冬。久々に再会した純とれいは「クリスマス、24日の晩、あの納屋で会おう」と約束する。さらに「卒業式が終わったら、札幌で見つけた天窓のある喫茶店に行こう」と。ところがその日、大里家は人知れず、町を去っていた。思い出の納屋へ向かった純が見つけたのは、一通の手紙と、カセットプレイヤーだった。再生ボタンを押すと、二人の思い出の曲、尾崎豊の「I LOVE YOU」が流れる。帰ろうとする純は、足跡に気付いた。愛おしそうに納屋を一度振り返った、れいの足跡。立ち尽くす純は東京へ行く意義を見失いかけていた。そんな純を一喝したのは迎えにきた螢だった。しかし螢はその後、優しく純の頭の雪を払う。家で待っていた五郎も不器用ながら、巣立とうとする純を応援するのだった。いよいよ出発の日。頼んでいた東京への長距離トラックがやって来る。父は息子の手をしっかりと握る。妹は兄の手を優しく握った。トラックの助手席に乗り込んだ純は、ヘッドホンで音楽を聞き始める。れいのことばかりが思い出されていた。と、不意にその回想が妨げられる。運転手の男が顎で差した先に、封筒があった。「しまっとけ」と男は言う。「 ピン札に泥がついてる。オマエの親父の手に付いていた泥だろう。おら受け取れん。お前の宝にしろ」。一万円札の泥に蘇る開拓の記憶。幼い日の思い出。純の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。トラックは、雪残る北海道を、東京へとひた走る――。
北の国から '89帰郷
1988年、秋。始発で旭川の定時制看護学校に通い、日中は病院で甲斐甲斐しく働く螢。悩み多き日々の中で、螢に初恋が訪れた。相手は同じく始発に乗っている浪人生の勇次だった。ささやかなデートの日々。しかし互いの進学・就職によって、別れが来ることは分かっていた。二人は勇次の故郷を訪れ、悲しい現実に抗うかのように、キスをする。勇次は木に二人のイニシャルを刻む。こらえきれず涙を流す螢。さまざまな現実と向き合いつつ戴帽式を迎えた螢は、純に手紙を送るのだった。
純は、東京に飲み込まれるような暮らしをしていた。髪を赤く染め、夜はバイクを乗り回す。同世代の友人たちに追いつこうともがいていたのだ。昼間の仕事も長続きせず、今は工場で働いていた。ある日、純は職場の友人・アカマンから、工場の先輩・水谷への借金、沖縄の家族の病気のことを打ち明けられる。家族を思う言葉が純の胸を刺す。富良野を出る時のあの泥のついた一万円札二枚は、純のお守りになっていた。そんな純は、友人・エリの兄のつてで400ccのバイクを手に入れる。ところがそのバイクが盗難車だったことから警察の聴取を受ける。同じく事情聴取された水谷は、純への怒りを隠さない。気まずい工場の更衣室。純は、お守りの一万円札がなくなっていることに気付き激しく動揺する。アカマンが「少し借りて水谷に渡した」と告白するが、皆のロッカーを漁った純を水谷は純を殴打する。一方的に殴られた純は、バールのようなものを手に、水谷を殴り倒すのだった。警察から戻った純を、雪子の夫・利彦が責める。「理由は聞いてくれないの?」と繰り返す純は家を飛び出し、己の拳を激しく電柱に打ち付けるのだった。翌日、純は工場をクビになった。訪ねてきたのはエリだった。事情を聞き、水谷から一万円札を取り返して来たのだ。使われたもう一枚を探すため、店から店へと歩き回るエリの姿に、純は心を打たれる。暗い部屋に戻り、故郷を思う純。その富良野では、五郎に純の傷害事件の報が入っていた。五郎は動揺を抑え、いつものように螢を駅で迎え帰宅するが、誰もいないはずの小屋に向かい、足跡が。玄関に入った五郎の目に飛び込んでくる脱ぎ捨てられたジャンパー。階段を駆け上る五郎。そこには、拳を怪我した純が丸まって眠っていた。
目覚めた時、階下には歴代の番長たちが揃っていた。純はたちまち捕まり頭を黒く染められる。嵐のように去っていく番長連を見送り、黒い髪をうれしそうに触る純。そして五郎が再び丸太小屋作りに挑戦していることを知り、作業現場へと向かう。何度も頭を下げる純を、五郎は笑顔で迎え入れるのだった。不意に五郎が「螢が恋をしているらしい」とうれしそうに言う。その後「あいつも来年、ウチを出て行く」とも。しかし、それでも優しい父の表情。二人は夜の列車に螢の恋人を見に行くが、螢は一人だった。勇次との別れが決まったのだ。気丈に振る舞う螢だが、父からの温泉の誘いに「行けない。あの人が行っちゃうの」と答えるのが精いっぱいだった。その夜、純は螢に父の丸太小屋に全員の部屋があることを言う。そこでも螢は「その話されると私泣いちゃうから」と押し殺すように答えるのだった。勇次の出発の日。螢がプレゼントをそっとベンチに置く。浪人生の勇次は家族の手前、一人でベンチに駆け寄り、包みを拾う。そして代わりに手紙を残す。こうして勇次は去っていった。彼からの手紙には、故郷でのデートを思い返すように見たという夢の話が書かれていた。帰宅した螢は二階に駆け上がり、声を殺して泣くのだった。その夜、純は五郎の風呂に薪をくべながら、事件のことを告白していた。理由を問われ「大事なものをそいつに取られたから」と答える。「それは人を怪我さすほど、大事な物だったのか。なら、仕方がないじゃないか。男は誰だって、何と言われても闘わなきゃいかんときがある」。それが父の答えだった。そして富良野に戻りたいとこぼす純に、五郎は巣立ちを促すかのように優しくエールを送る。螢が飛び出してきたのは、その時だった。螢が持つラジオから流れてきたのは、札幌にいるれいからのリクエスト曲、二人の思い出の曲だった。純は急ぎ、札幌に向かう。ついに二人は再会し、かつてれいが語った天窓のある喫茶店へと行くのだった。会話の中で、幼い頃を思い出す。だらしないと思っていた父の強さを、父が一人で背負ってきたものを、思い返す。ふと、れいの手が純の傷に触れる。やがて二人はだまって駅へと向かう。それが、正月の出来事だった。
――思い出を酒場で語る五郎は、ひどく酔っていた。隣り合わせた観光客に絡んでいく。東京にいる純のこと、死に別れた令子、旭川へ移っていった螢のこと。その言葉に自慢と寂しさが交錯する。そんな五郎の姿に中畑は涙を堪えきれず、五郎を担ぐようにして店を出る。二人は、雪に煙る路地を、もつれるように歩いて行った。
北の国から '92巣立ち
五郎は富良野の町中で医師の財津を待ち伏せする。翌年旭川の看護学校を卒業する螢を財津の医院に就職させてもらいたいからだ。雪子が息子の大介を連れて富良野にやってくる。五郎は前の家が雪でつぶれて中畑木材の資材置き場の小屋で愛犬のアキナと暮らしている。前から続けている丸太小屋作りはすべて自力でやるために大工の金治に弟子入りしていた。山の上に畑から出た石を運び、家の基礎と大きな風呂が完成していた。
螢は休みになると帯広の大学にいる勇次の所に通っていた。帯広に行くには富良野で列車を乗り換えるが、螢は柱の陰に身を潜めて人に見られないようにしていた。後ろめたかったが、帯広に着き、勇次やその仲間に会うと忘れ去ってしまう。勇次は螢に卒業後は札幌の病院に勤めながら正看護師の資格を取るよう勧めているが、五郎のことを思うと決心できないでいる。旭川に戻る途中、列車内で自衛官となった正吉に再会する。懐かしむ2人であったが、螢は正吉にここで会ったことを内緒にしてくれと頼む。
へそ祭りの日、螢は富良野に戻るが、札幌の病院に勤める勇次の伯父に会うのが目的だった。人ごみの中、勇次と手ぶりで合図を送る螢の肩を正吉が叩く。雪子を見送った螢は旭川に帰ると嘘をついてプリンスホテルに向かう。正吉は螢と前に会ったことを隠して五郎の家に向かう。正吉は、昔自分の母親が借金の迷惑をかけた分と、かつて丸太小屋を火事で燃やしてしまった分だと言って茶封筒に入れた現金を差し出す。五郎は一度は固辞するが、正吉に、自分も息子だ、これからちょくちょく返しに来ますと言われ、感謝して受け取りもう一人の息子を思う。
純は東京でなんとなく生きていた。毎週土曜日札幌にいるれいと同じ映画のビデオを見て電話で感想を言い合う遠距離デートが楽しみではあったが、マンネリも感じていた。純はピザの配達員をしているタマコと知り合い、距離を縮める。タマコはビデオ見放題のラブホテルで一緒に映画を見ようと提案する。渋谷のラブホテルに来た純とタマコ、タマコは映画鑑賞会に浸るが、きっかけが分からないまま純は強引にキスをする。我に返ったタマコが悲鳴を上げて純を押しのけるが、気まずい空気に耐えられなくなったタマコが純に抱き着き、二人はそこで初体験をする。それから二人は映画観賞会と称した逢瀬にはまってしまう。
秋になり、富良野では草太とアイコの結婚式が草原の中で行われようとしていた。嫁不足に悩む青年会が主催し、テレビの取材も呼んだイベントであったが、妊娠していたアイコはトラクターに乗せられ流産してしまう。同じ頃、純はタマコから妊娠したかもしれないと告げられる。
不安な日々を過ごす純はタマコを避ける。タマコは一人で堕胎手術を受ける。純はタマコの叔父に殴られ、父親の連絡先を聞かれる。数日後大きなカバンを抱えた五郎がやってくる。土下座を続ける五郎に叔父は螢がそこらの不良にはらまされたと想像してみろと言い放つ。落ち込む五郎はふと流れてきた長渕剛の「西新宿の親父の唄」という曲に勇気づけられる。富良野に戻った五郎はタマコの叔父の「誠意とは何か?」と問う言葉を反芻する。そして丸太小屋用の材木を売って金を工面する。建築現場の山に戻った五郎は石だけで家を作ることを思いつく。呆れる中畑だったが、五郎は「西新宿の親父の唄」を歌って井戸も自力で掘ると言う。「やるなら今しかねえ。」
11月の終わり、タマコが純の前に現れる。タマコは五郎から送られた100万円の現金書留を純に渡すと東京はもう卒業すると言い残して鹿児島に帰っていく。五郎が井戸を掘っているところにこごみが訪ねてくる。大晦日に石で作った風呂に子供たちと一緒に入ることを楽しみにしていると語る五郎にこごみは思わず涙ぐむ。
大晦日五郎は風呂の準備をしてから、純と螢を迎えに行く。螢を待つ間、純は100万円の現金書留を五郎に返す。タマコの言葉を借りて自分はもう大人だから自分のしたことの責任は自分で背負うと言う純に五郎は余計なことをしたと言いながらも出した以上は見栄があると強引にお金を純に押し付ける。螢は勇次と一緒に駅から出てくる。そして正看護師の資格を取るために札幌の病院に就職を決めたと言い放つ。五郎は純と家に戻ると悄然と座りこんでしまう。暗くなっても戻らない螢を純は五郎の車で迎えに行く。五郎は石の家に向かい、凍ってしまった風呂を炊き、屋根の雪下ろしをしながら螢のことを思う。ふと足を滑らせた五郎は落下して丸太の下敷きになる。吹雪はどんどん激しくなる。五郎は雪に埋もれたシートを針金で引き寄せて屋根にするとたばこの包みや手ぬぐいに火をつけて暖をとろうとする。純は中畑や金治の家を訪ね回る。そのすきにアキナがどこかに駆け出して行く。五郎の意識が薄れゆく中、令子が現れる。五郎に対し令子は子供たちは巣立ったばかりだから巣を守れと言う。令子の姿が消えるとアキナが駆けてくる。午前3時を過ぎ、金治が純と螢を連れて石の家の山に向かう。吹雪は止み、雪に埋もれたシートをめくると五郎が倒れている。パニックになって叫ぶ螢に金治は平手打ちをし、お前は看護婦の卵だろうと気合を入れる。純は中畑に助けを求めに走る。
2日後、金治は石の家に行っていた。落ちている針金や燃やそうとして柄を削ったスコップなどを指さし、これは運じゃない、あいつは自分で生きたんだと純と螢に言って聞かせる。富良野に残ると言う螢にそんなことをしても父さんは傷つくだけだと純は螢を札幌に送り出す。そして純が富良野に戻ると言う。「東京はもう卒業したんだ。」
北の国から '95秘密
1994年富良野に戻った純は市の臨時職員としてごみ収集車に乗っている。純は自衛隊を退官した正吉と町中のアパートで同居し、3年前の事故で足を傷めた五郎にも一緒に暮らすよう言っているが、五郎は自分で作り上げた石の家に風車で井戸水をくみ上げる装置を作ることや有機農業に夢中である。純は粗大ごみの集積場を山部山麓デパートと名付け、家具や家電を修理しては自宅で使ったり、知り合いにあげたりするのを趣味にしていた。そこに間違って粗大ごみに出された柱時計を探すシュウが来る。その時計は純が修理して五郎の家にかけていた。時計をシュウに返して北時計(カフェ)で二人は昔話をする。シュウもまた東京にいたが、語りたくない過去を持っている。純は札幌にいるれいと遠距離恋愛を続けていたが、れいは他の男から結婚を申し込まれている。純は石の家にシュウを連れて行き、五郎を紹介する。五郎の生きざまにすっかり惚れ込んだシュウは時々一人で石の家に行くようになる。ある日札幌で勇次に会った純は、螢が勤務先の医師・黒木と不倫に陥り、駆け落ちしたと聞かされる。純はシュウと楽しそうに作業をする五郎を見て螢のことを話すことができない。そんなある日幼馴染の広介がシュウのことで意味深な言葉をかける。純は正吉に問い正すが、その時2人の前に螢が現れる。純は黒木の息子に連絡しようとするが、落ち着き先が決まったら必ず連絡させるという螢に金を渡し、根室に向かう駅まで送って行く。純はその後ろ姿に強い女になった妹を見ていた。
正月休み純は広介にシュウがAV女優だったことを知らされる。荒れる純に草太は優しく諭すが、吹っ切れない純はシュウに辛く当たってしまう。一方五郎の家に螢の上司である婦長が訪ねてくる。歓待する五郎だったが、彼女の夫が螢と不倫の末、駆け落ちしたことを聞かされ愕然とする。五郎は一緒に螢に会いに行ってくれと純に頼む。根室の落石に着いた五郎は螢にかける言葉が見つけられずに酒を飲むしかできない。責めることなく、優しく言葉をかける五郎に螢は自分で自分を責めていると激しく泣く。
ある日シュウは五郎を山奥の野天風呂に誘い、純が自分の過去の秘密を知ったらしいこと、それがひっかかって二人の関係がダメになりそうだと話す。結婚式を翌日に控えたれいから電話を受けた純はいつか二人で見た映画のように花嫁をさらいに行くと言う。翌朝車に置かれたシュウのメモをポケットにしまうと純は札幌に向かう。れいの幸せな姿を見届けた純は螢に思いをはせる。部屋に戻ると五郎が来ており、シュウが待つ北時計に行くように勧める。ごみの車に乗るようになってよく手を洗うようになった純に五郎は人を長くやっていると誰でも汚れの一つは付くものだと諭すと、北時計に連れて行く。シュウは手紙を書いていた。シュウは東京でどうしてもCDデッキが欲しくてAVの誘いに乗せられた経緯を読み上げようとする。純はその手紙を破り捨てると山部山麓デパートにCDデッキを取りに行こうと誘う。
北の国から '98時代
1997年初夏、仕事で根室を訪れた正吉は螢と会って富良野の人々の近況を話す。純は鏡台を完次の新婚宅に届ける。完次はチンタの兄で嫁のツヤ子はチンタの元彼女だった。完次は草太に勧められて農地を広げる一方、五郎の助けを借りて有機農業に取り組んでいる。清吉の死後、牧場を継いだ草太は近代的な牧場経営と大規模農業に傾倒しており、完次と五郎を否定していた。純は上砂川のシュウの実家にあいさつに行く。そこには無口なシュウの継父とシュウの兄姉らが揃っており、純はすっかり委縮してしまう。シュウは兄によって上砂川に連れ戻される。シュウは2人の関係を認めてもらうための試練だと受け入れるが、純には不安しかなかった。雪子が井関と離婚して富良野に戻ってくる。雪子のアパートに家具を運んだ純は代わりに大介に電話をかけてほしいと頼まれる。息子の大介は父親の元に残っていた。
ヘソ祭りの朝、中畑が純を呼び止め螢が金を借りに来たことを告げる。夕方になり、純が正吉に呼び出されて喫茶店に行くと螢がいた。純は厳しい口調で問い詰めるが、螢は事情を話さない。そして2人の隙をついて行方をくらましてしまう。深夜牛の出産作業をする草太の所に螢が現れる。草太は理由も聞かずに螢に金を貸し、札幌まで送っていくと言う。螢は黒木の子を妊娠しており、札幌で一人で生み育てるつもりであることを話す。
8月になって異常気象による豪雨が続き、完次の農地に疫病が見つかる。五郎の助けを借りて苗を処分するが、五郎は草太には内緒にするように言う。草太は正吉を呼び出し、螢と結婚しろと命じる。螢が一人で子供を産もうとしている、黒板家はお前の家族だと説得する。正吉は札幌に螢を訪ねプロポーズするが、螢はそれを受けられない。正吉は母親のみどりから加藤登紀子の歌「百万本のバラ」を聞かされ、どこにでも咲くオオハンゴウソウを百万本摘んで螢に贈る。純や完次はその姿をいぶかしむ。盆休みの後、純は正吉から螢を妊娠させてしまったこと、結婚したいことを打ち明けられる。動揺して怒鳴りつける純だったが、正吉は車で待つ螢の所に純を引きずって行く。二人の意思に圧倒された純は二人を富良野プリンスホテルに泊める。翌朝みどりが純の部屋に現れるといきなり正吉を殴り始め、純には土下座して詫びる。3人は五郎の家に行き、正吉が螢をくださいと五郎に言う。五郎は泣き笑い顔で3人の手を握りしめると令子の遺影の前で声を上げて泣く。そしてみどりに雪子と中畑を呼んで宴会を始め、騒いでいるところにツヤ子が駆け込んでくる。完次の奥の畑に疫病が出て、隣接する草太に伝えたところいきなり大型トラクターで乗り込んで来て農薬をまき始めたのだった。5年かけて生き返った土がまた死んだと完次は泣き崩れる。
秋になり、螢は結婚式まで五郎の家で暮らすことにする。その頃、麓郷では螢の子が正吉の子ではないという噂が流れていた。もやもやした五郎は上砂川にシュウを訪ねる。そして純は自分の気持ちに素直になれないから、シュウのほうから純に会いに来てやってほしいと頼む。収穫を終えた頃、完次は借金で行き詰まる。草太は農業をやめて出ていけと言い放つ。純と正吉が駆け付け、深夜になっても戻らない完次を探し回る。完次は廃屋で農薬を飲もうとしているところをチンタに保護されていた。純は草太のことが許せない思いを五郎に訴えるが、五郎は草太をかばう。その一方で完次が自分の畑にミミズが戻ったと感謝されたことが嬉しかったと語る。
シュウが純に会いに来る。シュウは純への気持ちを書き綴った革のノートを贈る。純が螢の噂のことを話すとシュウは正吉ならあり得ると言う。草太は純を呼び出し、臨時職員を辞めて牧場を手伝えと迫る。手始めに借金のカタに取った完次のトラクターを運ぶのを手伝えと言う草太に純は完次からすべて取り上げたと激しく反発する。翌日純が雪子の店を訪れている時、草太が事故で死んだという電話がかかってくる。草太は一人でトラクターを運ぶ途中、誤ってその下敷きになっていた。手伝いを断ったせいだと自分を責める純をなだめる言葉がない五郎はシュウにそばにいてやってほしいと電話をかける。草太の遺体が荼毘に付される煙を見ながら純は螢の正吉への気持ちを確かめる。
四十九日の後、純と正吉は新吉とシンジュクに呼び止められ、牧場を継がないかと勧められる。一方、時夫と広介に呼び出された純は草太が準備していた正吉と螢の盛大な結婚式の計画を聞かされる。螢も正吉も嫌がるが、麓郷の人たちは盛り上がる。正吉は牧場を継ぐ方向に気持ちが傾く。純は螢の噂を気にかけるが、正吉は螢のことは任せておけと言い切る。結婚式の朝、花嫁衣装に身を包んだ螢はかしこまって五郎、純、雪子に挨拶をして石の家を後にする。中畑が五郎を迎えに来ると花火が上がり、キャデラックのリムジンが停まっているのを目にした五郎は怒りだし、結婚式には出ないと炭焼きを始めてしまう。中畑と純が何とか式場に五郎を連れて行くも五郎はひたすら酒をあおるばかり。やがてアイコがスピーチに立つとカセットテープに残されていた草太のスピーチ練習の声が再生される。純と螢が布部駅に降り立った日からの様々な思い出を語る草太の声に参列者は皆これまで通り過ぎてきた時代に思いをはせる。すっかり酔いつぶれた五郎を抱えて石の家にたどり着いた時、五郎の懐に固いものが入れられていることに純が気付く。それは令子の遺影であった。
北の国から 2002遺言
螢は総合病院で看護師として働きながら一人息子の快を育てていた。草太の牧場を継いだ純と正吉だったが、2年前に破綻し、借金を分担して別々に富良野を出て行っていた。五郎は快を保育園に迎えに行き、石の家に連れて行って遊ぶのを楽しみしていたが、勝手に連れて行くなと螢は怒る。雪子の元に大介がやってくる。雪子の家は五郎が廃棄物を資材にして建てたものだった。しかし大介は関心を示さず、雪子や五郎と話もしないで携帯電話のチャットを続けるばかり。中畑の娘すみえが婚約者を連れて帰ってくる。婚約者の清水は北大卒のエリートだが、五郎が廃棄物で家を建てていることに感銘し、すみえとの新居を五郎に建ててほしいと言い出す。五郎が清水の提案した糞で発電する装置の設計をしているとシュウが現れる。純が一番苦しい時にそばにいてやれなかったことを悔いるシュウだったが、神戸に嫁ぐことが決まり、純への別れの手紙を五郎に託して帰っていく。それを見送った五郎は腹痛で倒れこんでしまう。
純は羅臼で廃棄物処理の仕事に就いている。同僚の寅ちゃんと漁師のタクちゃんに親切にされ、浜の番屋にただで住まわせてもらっている。タクちゃんが時々家に呼んでくれることが却って純に孤独を感じさせ、家族が欲しいと思うようになっていた。鮭の遡上を見に行った純はそこで麓郷の分校で習った涼子先生に再会する。次の日曜日、涼子先生を訪ねるともう一人の教え子が招かれている。それは数日前漁港で顔を合わせたことのある結だった。その日をきっかけに純は結と付き合い始めるが、寅ちゃんとタクちゃんに結は人妻であり、夫の父の高村がトド撃ちの名人で気性の荒い人なので付き合いをやめるように言われる。
五郎は病院の検査予約をすっぽかす。螢に検査を受けるまで快に会わせないと言われ、五郎はしぶしぶ病院に行くが、検査を重ねるにつれて自分が不治の病なのではないかと不安に襲われるようになる。病院には純の借金を肩代わりした三沢の爺さんが入院している。その家族から螢は純が借金を返済していないことを責められ、ひたすら詫びるしかない。疲れ切って家に戻ると快がいない。パニックになった螢は110番に電話するが、快は空の浴槽に隠れて眠ってしまっていた。五郎が教えたせいだと螢は責め、純が借金を返済していないことで怒りを五郎にぶつけてしまう。五郎から手紙をもらった純だが、毎月の返済額と同じぐらい携帯の通信代にかけている自分を情けなく思う。純は結と会うのを避けていたが、早朝に結が番屋を訪ね、身の上を話して聞かせる。両親を亡くした結の父親代わりの高村は結にふさわしい男ができたら籍を抜くと言っており、純に結婚するつもりで付き合ってくれているかと聞く。翌日海岸に湧き出した野天温泉に呼び出された純は高村に身辺を問いただされる。中畑の妻のみずえが検査のため入院し、螢に夢で見た五郎の廃棄物で作った家が並ぶ「拾ってきた町」の話をする。すみえの家の建設現場では携帯の出会い系サイトで知り合った女性を待つという大介とそれが理解できない五郎が言い合いになっていた。激高した中畑は大介を殴り飛ばし、携帯電話を川に投げ込んでしまう。五郎が声をかけると中畑はみずえのガンが再発し、余命が長くなく、急いですみえの家を建ててほしいと涙ながらに頼むのだった。
10月螢の夜勤の日、救急車でみずえが運ばれてくる。主治医はがんが再発して深刻であることを螢に告げる。新吉から遺言状を書くことを勧められた五郎は中学校の元校長である山下先生に入門する。謝礼を免除する代わりに自分を廃棄物の家作りの仲間に入れてほしいと山下は頼む。麓郷の人たちは1日でも早くすみえの家を完成させるべく協力してくれる。ある日、現場に高村が現れるが、中畑の知り合いだと勘違いした五郎は作業を手伝わせてしまう。夕方になり、高村が観光客だと知ると五郎は恐縮して詫びるが、高村は五郎を凄い人だと賞賛する。五郎は高村を石の家に泊め、酒を酌み交わしながら、純の不運を嘆く。羅臼に戻った高村は純に五郎を呼んで流氷を見せてやれと命令する。羅臼の港が流氷に覆われる頃、結の夫・弘が番屋に現れ、不良仲間と共に純を袋叩きにする。駆け付けた高村は弘を殴り飛ばし、純には他人の嫁を奪いたければ少しは戦えとはっぱをかける。番屋に駆け付けた結に純はもう逃げ回ってばかりの自分を終わりにするため弘に会いに行くと言い、結は猟銃を手に付いていく。不良仲間の家で結が銃口を向ける中、純は土下座して結と結婚させてくれと弘に頼み込む。
数日後、五郎が羅臼にやってきた。五郎は三沢の爺さんが寝たきりになったことを知らせる。純はこれまで借金の返済をさぼっていたことを恥じ、これからは逃げずにやっていくことを誓う。そして結と結婚したいと話すが、結が人妻だと聞いて五郎は態度をかたくなにする。翌朝、結が番屋に駆け込んでくる。高村がトドを狩りに行ったまま戻らないという。高村の遭難はテレビでも報じられ、港では迎え火の焚火が夜通し焚かれる。駆け付けた涼子先生は五郎に結は離婚しているのと同じだと説明する。純と弘は2人で夜通し迎え火の番をしながら語り合い、結を純に譲ると言う。翌朝純と弘は港を埋め尽くした流氷の上を歩く高村の姿を見つける。歓喜して迎える港の人々を押し分けて高村は五郎に歩み寄り、よく参られたと歓迎する。高村の無事を祝う宴会に純と五郎も呼ばれるが、その最中富良野からみずえの訃報を伝える電話がかかる。
純は2年ぶりに富良野に戻る。純は五郎が廃棄物で作った雪子の家に感嘆する。中畑は隣に完成したすみえの家で一人泣いていた。死の直前中畑は病院からみずえを連れ出し家を見に来たことを話し、五郎に感謝する。螢の家に泊まった純は富良野に戻って借金のことをきちんとすること、結とのことを話す。仕事もないのに結婚すると言う純に螢は呆れるが、五郎流にやって行けば生きていけると言う。翌日純は三沢の爺さんを訪ねて土下座するが、爺さんはよく帰ってきたと喜ぶ。純は爺さんの下の世話をし、その後も時々三沢家を訪れて爺さんの世話をすることにする。純は市内を歩く結を見かける。結は富良野の生活環境を確認していた。神社で再会した2人は身を寄せ合って五郎の家に向かう。螢の所に正吉からの手紙が届く。手紙には住所が書かれていた。五郎の家に駆け付けた螢は純と結と共に賑やかに夜を過ごす。皆が寝静まった真夜中、螢は五郎に正吉の所に行くことを告げる。五郎は理解しながらも快との別れを悲しみ、遺言状の下書きを涙で濡らしてしまう。3月下旬、螢は富良野駅から列車に乗り込んだ。扉が閉まると五郎は快の名前を呼びながら列車を追いかけて走り出す。駅員の静止を振り切って線路沿いを走る五郎はいつしか螢の名を呼んでいた。
五郎は遺言状を書きあげる。「遺せるものは何もない。自然から頂戴しろ」
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