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マッキントッシュのアンプは買ってはいけない

1:777 :

2022/05/21 (Sat) 17:58:47

マッキントッシュのアンプは買ってはいけない


オーディオメーカーにいたんだが、他社製品検討用にマッキントッシュの真空管アンプが置いてあった。 当時の上司曰く、

「あれはねぇ、真空管の明かりとマッキントッシュのバッジを眺めながら聴くと良い気分に浸れるもので、決して良い音で楽しむ物ではないよ。」

とマジ顔で言っていた。 なるほどと思った。ww
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/pav/1320752347/


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我が、蹉跌のオーディオファイル#01.現装置にたどり着くまで

終戦直後、まだ音楽など聴く余裕は我々国民には無かったが、当時レコードといえばSP、若い諸君にはピンと来ないかもしれないが、78回転でぶんぶん回るレコード盤に竹や鉄の針で音を拾い、ザーザーいう雑音の中から音楽を聴き分ける。超アナログの世界しかなかった。

片面の演奏時間はせいぜい5分だから、頻繁に裏返したりレコードを換えたり、とてもじゃないが落ち着いて音楽を聴いては居られないのだが、この時代にはこれしかないのだから、それを特に不便とも煩わしいとも思わず、音楽鑑賞の妨げになるものは何も感じなかった。適応とはそういうもので、より便利なものを知りさえしなければかなりラフな 環境にも人間はちゃんと順応するように出来ている。

アマゾンやボルネオの密林深く住み着いた人々を不幸と思うのは文明(と云っても多寡が知れているが)の中に居る我々 の思い上がりと勘違いでしかない。

我家にも数枚のSPと電蓄があった。

ワインガルトナー指揮する第9もその中にあり、8枚組だから第9一曲聴き終わるまでに16回立ったり座ったりしなければならなかった。
だから滅多に聴くことはなく、その分聴いたときの感動は何時も新鮮だった事を覚えている。

その後 SP から LP時代に移行した
レコードは一気にステレオの世界に突入した。

巷ではコンソール型ステレオが発売され、やがてコンポーネントステレオで自由に機器を組み合わせることが出来るよう になった頃から今迄は極限られた少数の音キチという奇妙な人種が次第に一般化し始め、互いの持ち物に羨望の眼差しを向け合い、電機メーカーと提灯持ちのオー ディオ評論家達の巧みな話術に乗せられ、悲惨な出費をする者が多発した。僕がこの人たちに担がれてこの世界に巻き込まれたのは昭和48年だった。

オーディオ評論家を信用しなくなったのは彼らが異口同音に誉めちぎる JBL のがさつな音に起因するが、それはさておき、その1年後にはVITAVOX(ヴァイタヴォック ス)CN191、Machintosh(マッキントッシュ)C-22、MC-275、MARANTZ(マランツ)10B,TEACのオープンデッキに換わった。

昼はレストランで御飯だけ頼み、塩をかけて食べた。

やがてマッキンのブワブワした音が気になり始め、色々物色したけれども、これといったものに当たらず、ものは試に本郷の小さな新藤ラボラトリーに飛び込んで実情を話すと、答えは明快で、C-22 と MC-275はそういう音なのだと云う。

VITAVOX CN191もオリジナルその儘では低音がぶわつく傾向がある。

「だからお前は悩むべくして悩んでおるのだ。お気のどくなことだ」だと。

そう云うかい。ならば買おうじゃないか。ということになってこの新藤ラボラトリーの アンプを買った。

それにプレイヤー装置は Garrard(ガラード) 301とOrtofon(オルトフォン)RMG309と SPU-A。

ご飯が小盛りになった。それから35年このシステムを持ち続けた。

このシステムで鳴らすレコードの音は一つの完成をみている事は確かで、大概何処の音を聴いても羨ましいと思ったことは無かった。

この35年の間に、オーディオ界はデジタル時代に突入していて今やレコードなどはすっかりCDに駆逐された。しかし断言してもよいが、その現在にあってまだ、CDの音はレコードの音に遠く及ばない。

我家にあったSPの第九をCD化したものがあったので過日買い求めたが、雑音だらけのSPの方が 遥かに音楽的なのに吃驚したことがある。それ以来CDはずっと敬遠してきた。
http://audio-file.jugem.jp/?month=201007

40年前、オーディオの世界ではJBLが半ば神話の世界に入っていた。

そしてマランツとマッキントッシュ。

オーディオファンの間ではこれらでなければ世も日も明けない一時代があった。アルテックも、JBLと並ぶ大ブランドだった。

一度ブランド品として名が売れて仕舞うと後は楽チンで、一定期間は黙っていても売れてゆく。音楽などは二の次で「何を聴くか」よりも「何で聴いているか」が一義的な問題であったようだ。

VANジャケットが自分に似合うか否かは二の次であったように

「何で聴いてるんですか」

と聴かれて

「JBLです」

と小鼻を膨らませて答えなければ格好にならなった。加えて

「アンプはマッキンです」、

「私はマランツです」

と答える事が出来れば大得意の満点であったのである。そう、マークレビンソンという腐れアンプもあったが、今日では「LINNです」と答えねばならんのだろうか。
今、「JBLです」と答えるマニアは随分減ったのかもしれない。でも換わりに「LINNです」と答えなければならないのなら心理的レベルは進歩していない事になる。どうあれ、カリスマ的な目玉商品を人々に印象付ける事が出来れば流行を造る事が出来る。

2007年以来、LINNはネットオーディオを引っ張ってきたというから、ならば日本の業者や提灯持ちの評論家がカリスマに祭り上げたということかもしれない。そのこと自体ちっとも悪い事ではないし、ネットオーディオも面白いから寧ろ歓迎すべきだが、アンプ一個が数百万円、プレイヤーも数百万円。何から何までLINNで揃えたら軽く1000万円を超えるという事になると、ウェスタン並みのバカバカしさである。

35年前、僕はぷっつりオーディオ雑誌を読まなくなった。

参考にならないからであったが、余りに過激な人達が登場して、全員揃ってパイプを咥えている姿が気持ち悪くて見るのが嫌になったのである。
表現が違っていても云う事が全員同じであるところも気に食わなかった。一人が誉めると全員が誉め、貶すと全員が貶す。そいう事なら評論家など一人で充分だったと思うが、当時はこの仕事が金になったのかゴロゴロいた。

一人の評論家がJBLを誉めると数人の評論家が異口同音に誉めちぎり、其れを読んだ読者が揃って JBLを求める。僕も私もJBLという構図が簡単に出来上がる。斯く云う僕だって僅か半年の間だったとはいえ、一度はJBLを手にした事がある。

今年の7月になって、僕は35年ぶりにオーディオ雑誌を読んだ。評論家のメンバーはすっかり代って往年のパイプオジサン達は一人も登場して来ない。代って彼らの子供か孫くらいの年齢と思しき若者達が評論家として登場している。

それにしても、昔も今も評論と云うのは何故あんなに表現が難しいのだろう。まどろっこしいと云うか、解読には随分な苦労を強いられる。うっかりすると結局何を言っているのか解らない事もある。権威付けでもしたいのなら阿呆な話だ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=27


その昔、RCAに

フラワーボックス
http://www.youtube.com/watch?v=iG3w-mh5Z9c
http://budjazz.blog82.fc2.com/blog-entry-11.html
http://www.eniwa.co.jp/umeya/audio.html


という一寸素敵なスピーカーがあった。マグネットを使用する現代のスピーカーではなく駆動電源を必要とする所謂フィールドスピーカーというタイプである。

箱の全面と側面に貼られた布に大きく花柄の刺繍がしてあることからこの名が付いたが、正式には、RCA Loudspeaker 106という。

1950年代のモノーラルLPを鳴らすと実に艶っぽい音がする。
これを、GEのバリレラを使って真空管アンプで鳴らすのである。

この時代のアメリカ録音のレコードを聴くには断然バリレラが良い事を、僕はこのフラワーボックスで始めて知ったが、オルトフォンを始め全く他の追随を許さない。普段使う事が無くて引き出しの奥に転がっていたバリレラが敢然と息を吹き返し、フラワーボックスは恰も其処に歌手が居るかのように現実味を帯びて鳴ったのである。再度云うが実に艶っぽい。

こんなものを造る国と日本は戦争をした。端から勝てる相手ではなかったと今更ながらつくづく思った。

モノーラルのレコードの魅力は何と言ってもこの艶っぽさと生々しさにあり、ステレオLPでは終ぞ味わえぬものだ。こうした超アナログ世界の音を貴方が聴いた時、どんな気持ちになるだろう。

言い方を換えるなら、これ等の機器は音は鳴るが、音楽が鳴ってこない。無論、鳴ってくる音にはメロディーがあってリズムがあるから音楽には違いないけれども音から連想するものが違うのである。音楽の価値はそこから何を連想させるかで決まるのだ。

フラワーボックスが奏でる音楽には、つまりアナログ音には血が通っている。だから、連想するものにも血が通っているのである。

PCのサイトでVenetor Soundを検索すると、50年~60年代のアメリカのレコードを不思議な事に見事なアナログ音で聴く事が出来る。

Venetor Sound Web
http://venetor-sound.com/main/

PCなどという超デジタル機器でどうしてこのような音が出てくるのか解らないが、間違いなく出てくる音は古き良き時代のアメリカンポップスのアナログ音である。この時代のアメリカという国の一端を知る事が出来る。
音楽には常にその音楽が生まれた背景があるから、それを聴き採る事が出来るかどうかがオーディオの評価につながる。

スペックを評価してもオーディオの価値は解らない。オーディオは決して主役ではなくて「主役は飽くまでも音楽にある」という事もこのサイトが教えてくれる。
Venetor Soundという会社は、言ってみれば今モノクロフィルムに注力するローライの姿に良く似ている。人の心に訴える本物の音造りをめざす数少ない会社の一つである。ローライと違う所は老舗ではなくベンチャー企業だという所だが、これからの我が国に必要なのは、中身の腐った某光学機器会社や紙屋の様な企業ではなく、こうした本物を追求してゆく会社である事に間違いない。
一度彼等の造る音を聴いてみる事をお勧めしたい。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=28


40年ほど前、オーディオ界ではどう云う訳かオーディオをネタにして金を盗る人達をオーディオ評論家と呼び、メーカーや出版社そして販売店が重宝し、確かな耳を持たなかった当時のオーディオファンは彼らを神の様に崇め、云われるままに辺りを徘徊して金をばら撒いた。

音を知らないという意味では実は彼らが僕らと変わるところは全くなかったのだが、何でも自信を持って言い切る所に拠所を持たない多くの読者(オーディオファン)が振り回された。

自信の源がメーカーや商社の広報室に有り、マスコミのバックアップにあるのは云うまでもあるまい。彼らの進みたいところに提灯を向ければ良いので、彼らが何を抱えて歩いているかと云う事はどうでもよかったとしか言いようのない発言が続いた。

この人たちは今どうしているのだろう。僕はこの人たちを無視し、オーディオ関係誌も読まなくなって35年になるから現在の姿は解らない。が、少なくとも当時はこういう風だった。

趣味の問題は100%自己責任だから、それで泣いたって本人が悪いに決まっている。僕を含めた多くの彷徨える人々の散財はだから評論家の所為ではない。それは解っているが、35年前彼らに担がれた不快感は未だに払拭されないでいる。

聞いた話で本当かどうか知らないが、ある大金持ちの超マニアが部屋にカーテンを引き、後ろで交響楽団のメンバー数人に演奏してもらい、評論家達を呼んでオーディオ機器の当てっこをして貰ったら、皆口々にこれは何、あれは何としたり顔だったという。おまけにもうちょっと音の粒立ちが良ければ、とか低音を締めたらもっと良くなるだろうとか、色々注文もあったという。

おそらく嘘だろう。だがこの逸話は彼らのあり様を良く物語っている。本当にやったらさもありなんと思う。


僕がヴァイタボックス・コーナーホーン(Vitavox CN-191)を見付けたのは、当時良く通っていたオーディオ店の小部屋であった。まるで隠すように置いてあったのを目敏く見付け「これを聴かせて欲しい」と云ったら何となく渋っていた。

値段を聴いたら156万円だとどういう訳か渋々答え、「買う」と云うと値が張るのでローン会社の信用がつくかどうか、とまた渋った。

僕の誤解かもしれないが、余り売りたくない様子が見て取れ、ローン会社の信用が付くととても残念そうだった。どうしてだか解らなかったが、このVitavox CN-191は最後のUKオリジナル品と後でわかった。
が、兎も角このVitavox CN-191が僕の部屋に安置された。
素晴らしい音だ、とは残念ながら云えなかった。原因がこのスピーカーを鳴らすアンプやカートリッジその他のレベルが低すぎるところに有ることは解っていた。

色々探した結果、最終的に選んだのはマッキン(Mcintosh C22、MC275)だった。当時最高のアンプだと各誌が誉め讃え、評論家も挙ってこれ以上のアンプは無いと絶賛しているから間違いは無かろうと思ったのである。当時の趨勢はとっくにトランジスタに換わっていたのと、このアンプを手放す人が少なかったのか市場には殆ど出回る事が無く、探すのには時間が掛ったが。

何とか見付けて欣喜雀躍音を出したがそれは酷いものだった。
LAXの真空管アンプよりはスケールが大きかったが音質は大差ない。
僕が評論家に疑問を持ったのはこの時である。

プレイヤーはこれも彼らが絶賛するトーレンス(THORENS TD124)。
アームは矢張り先生方ご推薦のSME3012,
カートリッジはエンパイア(EMPIRE 1000ZEX)。

低音がぶかぶかで、音は出たが音楽にならなかった。

プレイヤーが悪いかと思ってマイクロの、巨大なターンテーブルを空気で浮かし、糸で回す奴に買い替えたが、これは一段と酷い物で空気が漏れてターンテーブルが傾きシャーシーに触れて一周毎にゴトゴト音がした。アフターサービスも最悪で新品の欠陥品は結局治らないまま、正常なものとの交換も無かった。当時力は滅法あったので海に投げ込んだ。売るにも売れないし、付け物は家では付けて居なかったし、バーベルなら持っていたのでもういらない。第一見るのも嫌だった。

だが、音の悪い原因がプレイヤーに有る訳ではなかった様だから、ならば原因はアンプしかない事になる。買ったばかりのマッキンを買い替えねばならんとは不愉快の極みだが駄目なんだから仕方あるまい。

とは云うもののどんなアンプがあるか知っているわけではないし、当てがあるわけでもなかった。しょうがないから当時出版されていたオーディオ機器の総目録を隅から隅まで読んだ。巻末のスペック集は論評なしだったから、そこばかり何回も読み直したが、本から音が出る訳でなし決定打が打てる筈も無かったが、藁おも掴む思いで印象に残ったものを拾い出し、それを何回も見比べて最後に残ったものの音を聴いて確認することにした。

最後に残ったのは「RA1474」 とメインアンプの「124D」だった。
メーカーは新藤ラボラトリーとある。聞いたことが無い。
どうせ碌でも無かろうが音が悪けりゃ買わなければいい。
兎も角行ってみることにした。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=4


救世主、新藤ラボ 

新藤ラボラトリー
http://www.shindo-laboratory.co.jp/Front/indexj.html


小さな扉を見付けるのに苦労し、やっと探し当てて開けると狭い階段があって、登り切った所が新藤ラボだった。

音が鳴った。素晴らしかった。

RA1474はフォノ専用のイコライザーアンプ。

124DはWE-350Bプッシュプルのメインアンプで迫力満点、加えて繊細でもあるからVitavox CN-191を鳴らすのには理想的だろうとこの時半ば確信していた。

数日後再度新藤ラボを訪ねた時、体中の全ての輪郭が猛烈にはっきりした人物が入ってきた。その人が新藤さんだった。

新藤さんは好人物であった。嘘を言わず、云った事はやり、出来ない事は云わない人だった。この時の印象は35年たった今でも変わることは無い。メーカーや販売店に有り勝ちな虚飾が一切なく、右だと云ったら左でも中間でもなく徹底して右だから解り易くもあった。

Mcintosh C22,MC275に関してはぼろ糞で、そもそも音全体に締りのないアンプだから、音のバランスを期待する方が間違っている。

「あそう、買っちゃったの」・・・・
「お気の毒」・・・

の一言でちょん。もう少しやさしい言葉はねーのかい。ねーんだなこれが。

RA1474 と124Dはキットで買うことになり週2度程此処に来て自分で組み立てることになった。キットと云っても部品は既に取り付けられており、配線だけすれば良い状態だったから不器用な僕にも出来たのだが、半田鏝と机が用意され、それから一ヶ月半程通った間新藤さんとは随分色々な話をした。

常に明快な人だから解りやすく、物事に対する考え方は良く理解できて、音造りと云うのは要するに人柄だということがこの時良くわかった。

僕は写真をやるが、写真は撮り手の性格が出る。怖いほど出る。
撮った被写体の影に自分が映っているのである。
音造りもやはり造り手の音が鳴っているものだ。

日本人の美に対する感覚は欧米人とはちょっと違って、音でいえば水琴窟や鼓、といった単音に感じ入る様な繊細さを持っている。反面グランドキャニオンの巨大な静けさやナイアガラの爆音の様なスケール感に欠けるところがある。

環境が違うから当り前のことだが、音楽にはこの二つの要素が必要で、新藤さんの音はそれに近かった。最近では新藤アンプは寧ろ海外で注目されているというところが、何やらこんなところにも国情が反映されているようで悲しい。65年の間に我々日本民族が失ったのは、こうした無形の心に拘わる感性ではなかったか。


Vitavox CN-191は見違えるような音で鳴り出した。

結構僕は満足していたが、新藤さんはVitavox CN-191の欠陥を二つばかり挙げ、これだけは直しておこうという事になった。

中高音用S-2ドライバーの裏蓋がプラスティックなので此処で音が死んでいる、従ってこれをステンの削り出しで造り直す。
ネットワークがチャチでここでも音が死んでいるのでしっかりしたものに造り直す。

という2点だった。特性のコイルとオイルコンデンサーを使って造り直し、この2か所の改良で夢の様な音に変身した。
序にスピーカーの内部配線も良質の物に換えた。

これで僕は充分満足だった。有難うを僕は連発したが、まだあった。
これはスピーカーの欠陥ではなく、我家の普請の問題だった。

このスピーカーは部屋のコーナーに嵌めこむように造られていて、裏から見るとだから骨組みだけでがらんどうである。

従って壁が低音ホーンの一部を代用するように出来ているので、理想的な低音を出すには壁がしっかりしている必要がある。我家は2×4の安普請だから、建てるときに気を使って壁に木の板を張り付けていたが充分ではないとのことで、裏蓋を付ける事になった。

これで低音はぐっと締りが付いて、音全体のバランスがぴったりとれた。
序にウーハーを外し、エッジに何やら塗り、乾くとこれで孫の代までエッジがへ垂れることは無いという。

Vitavox CN-191に施した改良は以上である。おそらくこれでVitavox CN-191コーナーホーンの持つ可能性の殆ど全てを引き出すことに成功したと僕は思っている。
新藤さんは何も言わなかったが、おそらく同様に思っていることだろう。それ以降スピーカーについては発言が無い。

これを RA1474と124Dで鳴らし、プレイヤーはGarrard 301のセンタスピンドルを改良してでかいターンテーブルを乗せ、アームにOrtofon RF297に厳選したSPU-Aをチューンアップした眼も眩むようなカートリッジ, という組み合わせが出来上がった。

それから35年僕はこのシステムで音楽を聴いた。オーディオには幾つか頂点があるが、このシステムも一つの頂点だったと思っている。

当然、これ以上の音が存在することを僕は知っているが、果たして家庭に持ち込むに相応しいかどうか聴いてみて疑問を感じたことがあった。


ウェスタンの15Aホーン である。

某所で聴いたがこれは凄かった。
ピアノがピアノよりピアノらしかった。もう桁違いで比較対象の問題ではなかった。

15Aホーンは御承知の通り劇場や映画館用であり、客席は20~50メートル以上離れたところにあり、且つ天井はビルの数階分の高さがあることを想定して、観客に如何に心地よくしかも巨大なスケール感を味あわせるかという事がコンセプトだったろうから桁違いは寧ろ当然の性能と云ってよいが、それをこの時は距離約4メートル程、天井高2.5メートル程の所で聴いたのだから、それは腰も抜けよう凄まじさだった。

この時ハスキルは正しく男だった。「げー」と僕はのけ反った。僕の大好きなハスキルが。

家に帰っていそいそと僕は同じレコードをVitavox CN-191で聴いた。
紛れもなくハスキル はエレガントな女流ピアニストだった。

ハスキルのモーツアルト、これ程無心で典雅な音楽は無い。Vitavox CN-191ならずともこれがちゃんと聴けるなら、スピーカーは何だっていい。

新藤ラボの音造りは要するにハスキルのピアノをハスキルのピアノで聴かせてくれるのである。

この人に出会わなかったら、僕は未だに迷い続けていただろう。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=5


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オーディオ原体験

オーディオ機器の開発はすぐれて人間的な営みのなせる業であって、そうだからこそ、それが奏でるサウンドには開発にあたった技術者の単なる技術レベルだけではなく、それにかける思いやこだわり、そして感性や音楽性、多少大げさに言えば人間性がそのまま反映されます。

という事で、アンプ開発のお話しをさせて頂く前に、まことに汗顔ものですが、開発にあたった私自身のオーディオ、あるいは音楽に関する原体験を述べさせて頂き、その中で私が何を目指してきたのか---、ご理解を賜ればと願っています。

もう40年前の事ですが、今でも鮮明に思い出すのは、1971年秋、五反田卸売センターでのオーディオ・フェアにおける「無線と実験」誌のブースでの、真空管アンプの鳴き合わせです。

一方はKT-88のPPアンプで、確か片ch70~80Wも出力の取れるもので、外観的にも超弩級、大変に見事な出来栄えであり、また20dB以上の負帰還をかけ静特性に関しては全く非のつけようもない仕上がりでした。しかしこの大出力、高負帰還のアンプは、大出力が空振りしているような良くも悪くもまことに普通過ぎる音でした。

もう一方はカンノアンプと呼ばれていた、WE300Bのシングル無帰還アンプ、それもアウトプットだけでなく段間にもインターステージ・トランスを採用した、いわゆるトランス結合という極めてプリミティブな形式のアンプで、出力も高々6W~8Wの出力しか取り出せません。

ただし、そのトランスはウェスターンのコア材を徹底的に調べ上げ、そのコア材から金属メーカーに特注したという高価なパーマロイ・コアによるもので、一般には入手困難な希少な物という事でした。

またスピーカーは名器と称されたALTEC A-5、システムとしても100dB近くの高能率の物で、真空管アンプの比較試聴には大変にマッチしていて、この2つのアンプのサウンドの差を我々の前に圧倒的な明晰さで表現してくれました。この時のカンノアンプの音色の美しさには言葉を失いました。多くの聴衆のかなり後方で聴いていたのですが、何か空間に透明なエーテルが漂っているのではないか、と錯覚させるような“美音”、まさに“音楽”が鳴っていたのです。

私にとって結論はあまりに明白でした。そしてリニアリティに優れる直熱3極管によるシングルアンプと高能率のホーンスピーカー・システムを有する事が、以後の私のオーディオ探求の目標となったのです。

まずその直熱3極管による無帰還シングルアンプについては、「無線と実験」、1972年7月号に掲載された安斉勝太郎先生によるWE310A駆動によるDA30(PX-25A)無帰還シングルアンプの製作記事に引き付けられました。

現在ではヴィンテージとも言えるほとんど入手困難な基本特性の優れた真空管、極めて簡潔な回路、コアボリュームの大きなアウトプットランス、無帰還でありながら必要十分な静特性等に魅力を感じ、早速部品を集め始め、シャーシも特注し翌年の73年2月には一応完成を見ました。

一聴したところ極めて静かなアンプという印象でしたが、このアンプの奏でるサウンドにはさすがに英国生まれのパワー管故か品位と自然さ、そして何か桁違いのポテンシャルも感じられて、製作後既に38年が経過しましたが、今も改良がとぎれる事なく続けられていて、オーディオの真の奥深さを私に教えてくれています。
http://www.spec-corp.co.jp/audio/rsa-f1/message2.html



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マッキントッシュ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/627.html

マッキントッシュのスピーカーはボザークの技術者が作っていた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1209.html


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禁断のKRELL Mcintoshの記事(3件)
https://ameblo.jp/507576/theme-10107417827.html

audio identity (designing) 宮﨑勝己 ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1162.html




2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/04 (Wed) 23:31:54

Mcintosh MI-200 真空管モノーラルパワーアンプ
2022年11月21日
https://ameblo.jp/507576/entry-12775681334.html

Mcintosh MI-200 真空管モノーラルパワーアンプ アメリカ合衆国

レコードのカッティングマシーンとして使用された、歴史上最高峰の真空管アンプ
Mcintosh MI-200、年式は旧いが、直熱三極管なので驚くほど現代的で澄んだ音である。
饒舌な語り口でひじょうに濃厚なコクもある。音楽的な表現力が素晴らしく、
大変に感動的な音がする。最高峰アンプの高い格をそなえている。
MI-200の音を例えるなら、二十世紀、百年間の人類の営為を走馬灯を通して、
神の視点で見ている、そうした感覚に陥る深い感銘を受ける。
米国管球全盛時代の素晴らしさを実感させてくれる深い音。ひじょうに甘美な美音で
格調高くエレガント。管球200wは途方もない力で100畳を音で満たす能力がある。
圧倒的な底力があり、膨大なエネルギー量でオン・マイクの女性ボーカルは
一種壮絶な迫真力がある。MI-200のような巨大な古いアンプだと音が大雑把だったり、
鈍かったり、大味でデリカシーに欠け、まずもって巨大なトランスを
搭載した物は音が良くない。これだけアンプの規模が大きいと音が濁る。
しかし、このアンプには微塵もそういった所がなく、ボーカルは天使のような歌声がする。
Mcintosh は実力の高いブランドですが、マッキンファンの考える
最高峰はマッキンならMC-275やMC-240のモノ使用、またはMC-60ですが、
MI-200は余りにも隔絶した存在で音は図抜けている。これはマッキンの音ではなく
ウェスタンの設計陣がマッキンで作ったアンプであるかのようだ。
濃厚甘美でWEに近い音です。ALTECよりもWEに近く驚きである。
MI-200が異質なのは、ゴージャスで黄金の色味がする、マッキントーンがしないこと。
MC-275やMC-240のオリジナルとは天と地ほど差がある。


MC-275をお持ちで、このアンプを買った方が異口同音に 「 MC-275はもう聴けないね 」 と仰っている。

使用真空管: 12AX7 12AU7 6AV5-GA×2 6BX7-GT×2 8005×2 5U4GB×4 5Y3GT

増幅部+電源部 63.5kg

タイプ:
真空管パワーアンプ
実効電力:
200W
周波数応答:
20kHz で 20Hz (+0 -0.2dB)
スクリュー:
1%
出力インピーダンス:
4、8、16.5、25、66、100、
および 600 Ω


寸法 (高さ×幅×奥行き):
279×483(ラックマウント)×229mm
電源
178×483(ラックマウント)×229mm


これだけ巨大な米国製業務用アンプですので、性格としては
音が強いので鳴らし方としては、至近距離で聴く方には厳しいかも知れない、
ニアでかぶりつきで聴くよりも広い部屋で距離を取って聴かれる方がベターだと思う。

また色々と検証してみたところ、意外にも現代のスリムトールボーイスピーカーや
小型ブックシェルフスピーカーで鳴らしても他のアンプでは決して得られない
格別の味わいが得られましたし、強い感銘を受ける音が出ていて驚いた。
高価で巨大なアンプですから、大型スピーカーにしか合わないと思うのは早計でした。


Mcintosh MI-200 のBIAS調整は TUBE1とTUBE2に切り替え8005を

BIAS調整していきます。細いマイナスドライバーを使って
フロントパネル側にある調整弁を回し、それぞれメーター100の位置に合わせる。
次にバイアスの切り替え式スイッチをセンター位置にして200の位置になるように上手く調整する。
それとルールを決めておく。通電開始後何分後に調整するとか。
一度合わせてもまたズレてくるので何度も行う。調整では真空管のプレートが
赤熱しないように注意。適正な調整でも真空管のプレートが赤熱する場合はリペアが必要と思う。
調整をしないと音が悪くなり出力管の寿命が短くなる。
MI-200 は真空管を1台で14本、2台で28本(!)使用と膨大な球の数を使っているが、
安定して常用できる。丈夫な球種ばかり選んで使っているので球が切れたりのトラブルは少ない。
整流管は6本も使用。ただし、整流管は寿命が短いので
NOS(新品)から2,000時間で強制的に交換した方がよいでしょう。まだ使用可能だが、
劣化するとボケた音になる 。2,000時間は短いと思われるかもしれませんが
十分長い時間音楽を聴ける。増幅部と電源部の二筐体に
分かれていますが、接続は9PINのDCケーブルを差し込むだけ。
なお、MI-200は1000V以上という高電圧がかかっているのと漏電があるので
動作中はトランスなど真空管がある側の本体には絶対に手を触れないようにしてください。


MI-200を過去30年で5セットほど販売したお店で聞いたところ、故障して修理はしたことがある。

トランスの故障は一度。悪いことにアウトプットの方のトランスが壊れたが修復できた。

二筐体で合計で約63kgもあり、レコードのカッティングマシーンに使用された

Mcintoshで一番高価なアンプであり、二番目の規模のアンプで、

モノがモノだけにサービスマンが自宅に伺って修理することもあるそうだ。

サービスエンジニアも一人でやっているところでは高齢化で65歳以上の方が多く、

このアンプは電源部/増幅部 30kg/33kg くらいだとおもうからセーフだが、

近年は40kg以上のアンプは一人で作業台に乗せられないということで断られる場合も出てきている。

Mcintosh MI-200 の相場は100~150万ほど。

https://ameblo.jp/507576/entry-12775681334.html
3:777 :

2023/11/03 (Fri) 13:37:17

Mr.トレイルのオーディオ回り道
500Wのアンプなんかいらない
2023年11月02日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/70188bf6d8b84814ba59a16ea23d1fef

以前オリンパスシステムで使っていたアンプ群です。 この前の状態は、中・高域もアキュフェーズのA20V×2台で「オールアキュフェーズ」でした。低域のM-100は最初から使っていましたが、出力500W/chのアンプです。出力の割には低域のドライブ力は「ソフト」でした。出力値をデジタルで読む事が出来たので、通常の出力を良くチェックしていました。プリアンプのボリューム9時の方向で0.5Wくらいです。これがいつもの音量の時の出力値。ボリュームを10時方向に上げると、2~5Wくらいですね。この時は100db近くあり「爆音」ですね。

これは現在のアンプ群。低域のレビンソンは200W/chあります。こんなに出力は要らないのですが、しっかりしたトランスが無いと良い低音になりません。1995年頃になると、何処のメーカーも「ローインピーダンス対応」機種になっています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/70188bf6d8b84814ba59a16ea23d1fef

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