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ソナス ファベールはスピーカーではない。楽器だ!

1:777 :

2022/05/21 (Sat) 14:49:34

ソナス ファベールはスピーカーではない。楽器だ!

かつて、九州のソナス遣いのお宅にお邪魔した時、エレクタ・アマトールに EAR V20を組み合わせ聴かせていただいたが、色気ムンムンで、弦の艶っぽい響きにたまげたことがあった。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/pav/1339161872/


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伝説の ソナス ファベール ガルネリ・オマージュ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/684.html

ソナス・ファベール ストラディヴァリ・オマージュ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1111.html

ソナスファベール 初代エレクタ・アマトール(1988)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1112.html

ソナス・ファベール ガルネリ・メメント(2005)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1114.html

ソナスファベール オリジナル ミニマ(1990)・MINIMA Vintage(2008)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1113.html


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魅惑の美音 Sonus faber | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-10568118553.html?frm=theme

目を開こう、真実のオーディオ再生へ | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-11592587622.html?frm=theme

Sonus Faber Minima FM2 | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-10783329923.html?frm=theme

Sonus faber STRADIVARI Homage | 禁断のKRELL
https://ameblo.jp/507576/entry-12556018972.html?frm=theme



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ソナス ファベールとベストマッチな EAR のアンプ

無限の宇宙感(観)に腰を抜かす_ ティム・デ・パラビチーニの世界 - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/379.html

EAR の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/947.html

CD 専用プレーヤー EAR Acute Classic _ ティム・デ・パラヴィチーニの世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/853.html


2:777 :

2022/05/21 (Sat) 15:02:31


魅惑の美音 Sonus faber 2010年06月20日
https://ameblo.jp/507576/entry-10568118553.html?frm=theme


"世界最高峰"の弦楽、声楽再現!

女性ヴォーカルの塗れた唇が触れる音、息を継ぐ熱い吐息の表現、
まさにリスナーを陶然とさせる暖かで豊潤なメロウサウンドへの世界へといざなう、

そこにさらに付与されたA級アンプの鮮度と しなやかさ
そして熱気を伴い強烈なエネルギー感と浸透力をもって筆者の心に迫ってくる。

だが、これほどまでに魅力的なコンプレッションドライバー+ホーンの世界にもうひとつ、太陽と月のように表裏で重なり合う、"ホーンの魅力"とは全く異なるもうひとつの魅惑の世界があるのだ。

それが芸術と熱い情熱の国、イタリアの生んだ

”奇跡の音楽変換器”

ソナスファベール エレクタ・アマトールである。

Sonus faber     ELECTA AMATOR 

その名前はラテン語で「選びぬかれた愛人」を意味する。

無垢材を使いフル・ハンドメイドで作られた非常に美しいエンクロージュア、いわゆる”箱”を強固に固めて、余計な響きを出さない、


そんな現代の中心的設計思想とはまったくの真逆の伝統工芸の世界、
温もりのある良質な木材の豊かな響きをそのまま音作りに投影させ、
所謂付帯音 ”箱鳴り”を積極的に生かした音作りをしている。
実際、その音作りは木材の深い響きをふんだんに生かした大変味わい深いもの、


作者のフランコ・セルブリンはそんな音楽の芸術を深く愛する国
「陸のヴェネツィア」と呼ばれる北イタリアの町ヴィツェンツァの木工職人(歯科医師)だ。


その中でも最高峰が、Sonus faber ELECTA AMATOR です。

トゥイーターにDynaudioのT330という、最高の高性能ユニットを搭載したアマトール、T330は市価で一本、5万4千円もする、ウーファーは
スキャンピーク製の特注品で5万8千円、普通は商売として、このような価格のユニットは採算が見合わない。 商売抜きでエンジニアの意地、そしてソナスファーベル社(イタリア語で、音の工房)の命運を賭けた、まさに採算度を度外視した戦略モデルであり、セルブリン入魂の処女作だったのです。

(価格は代理店に問い合わせました) ブラジリアンローズウッドと記載されているエンクロージュアの木材はハラカンダ材と呼ばれる大変貴重な高級木材であり、アマトールを持っていた方はご存じですが、キャビネットを叩いてみると非常に硬質な質感があり、セルブリンが考える理想的な"音の響き"を持っています。

アマトールは1988年に生産されたモデルですが、原産地ブラジル政府は
1992年に締結されたワシントン条約に基づいた完全な禁輸措置を取っており、これがアマトールがミニマのように復刻ができなかった原因のひとつなのでしょう。

ユニットの価格だけでペア22万(!)25年前の現行当時でも高級木材だったハラカンダ材を惜しみなく投じたアマトールは、フランコ・セルブリンがスピーカーという"楽器"作りに費やした熱い情熱、そして物凄い意気込みを感じます。バッフルの前面には音の反響防止に”本皮”が張り込まれ、大変手の込んだフル・ハンドメイドで作られている。大変高価なトゥイーターユニットを切り込んで 二つのユニットを極限まで近づけた、より理想の"点音源"に近づけられた妥協のない設計思想。

だが、このようにつらつらと書き並べられたスペックなぞ遠くへ差し置いてもその再生音はただただ、素晴らしいの一言に尽きるだろう・・・!

質量は一本15キロ、

サイズは小型スピーカーの範疇にはいるものだが、そのサイズからは絶対に信じられないほど豊かで広がりを持つ朗々とした低音の響き、それは、並んで展示してある38センチ、ウーファーのフロアー型スピーカーが鳴っているものと思えるほどのスケールをもって再現される。

太い絵筆で"空間"というキャンバスに書き綴ったような極彩色の油絵の絵画を思わせるような鮮やかで非~常に(!)濃厚な空間表現

このスピーカーで聞く"女性ヴォーカル"は、他のなにものにも、どのようなものにも例えようがないぐらいの蠱惑的な音色である。


まさにリスナーの心を虜にする "泣かせる音"がするのである。


他のどんなスピーカーとも比べ物にならないほど ELECTA AMATORで聴く女性ヴォーカルは艶やかで色っぽい・・・・・・

ヴァイオリンの弦の響きの音色の、なんという艶やかで瑞々しい響きだろう・・!


まさしく、存在自体が奇跡。

女性ヴォーカル、そして弦楽器の再生にかけてはELECTA AMATORこそ、

"世界最高峰"のひとつであると、ここで断言してしまおう。

音楽を愛する熱い情熱の国、イタリアが生んだトランスデューサー自体が芸術作品と呼んで良い、現時点においても他に二つとない孤高の存在なのである。

第一作が1988年の ” ELECTA AMATOR ”

第二作が1990年 "" MINIMA "


ミニマ(ラテン語で"小さい"を意味する)は筆者も長年愛用していました。
質量は6キロ、エレクタに比べると二周りは小さいけれど、やはりサイズからは

考えられないほど豊かな低音が再生でき、
エレクタより明るめの音色で溌剌とした
音楽表現が忘れらない、もともと中古市場では人気があったが、
インターネットの普及でこれら、"オールドソナス"の人気が爆発した。

※この記事を書いた数か月後にエレクタアマトールを購入しました。
さらに一年後、ミニマを再度購入しました。


その後のソナース社は、その素晴らしい美音と
工芸作品と呼んでなんらはばかりない大変美しいスピーカーで
世界的大成功を収めた。

しかし、ソナースもまたクレルと同じように、
その”真実の輝き”を放つ作品は最初期の作品に留まるもの、と思う。

いや、断言する。

仕上げの美しさはさらに増したが、エンクロージュアのつくりは素人目で観てもわかるぐらい簡略化された。

なにより現在は測定器に頼り、"耳"で音決めをしていた時代を忘れてしまったものと思う。

星の数ほどあるハイエンド・オーディオ機器メーカー

(その実態のほとんどは少数の従業員のガレージメーカー)

それらのメーカーの現代のスピーカーの水準平均値は近年本当に高くなっているそれは各社で共通するコンピューターの音響解析ソフトを製作過程で使用するようになったからだ、と言われている。基本的に間違った音は出さず、無難に仕上がるのだろう、だがコンピューターで作ったものは所詮人間が耳で、感性で作ったものには、本質的に遠く及ばない。

********という日本で最大かつもっとも影響力のある
雑誌ではオールドから次の世代に引き継がれるとき、

新型のソナスを聞いて、旧型を買いに走る人が沢山出るだろう、
とセンセーショナルに書きたてたものだ。

もともとメーカー、輸入代理店から多額の賂を受け取り、
古いものはダメ、新しく出た"新製品"ばかりが素晴らしい!
という一辺倒で礼賛を繰り返すオーディオ雑誌にしては異例ともいえる
扱いだろう。

データ、測定器などでは決して真の音楽性は掴み取れない


ソナースは結局、

エレクタアマトール、

ミニマ、

そして最初のリファレンス ガルネリ・オマージュで終わった、と思う。


オールドの年代には他にミニマアマトールなどもあったが、
これは失敗作だったと思う。


MAは写実調でモニタースピーカーに近い音質に変わり、味わいが薄れた。

現在のものやミニマ以降のモデルも決して悪くない、

アマトールは台込み定価でいうと100万近い大変高額なスピーカーだったが、
ミニマはスケールこそ劣るものの、定価で24万、オリジナルの最後期には
新品で16.8万というこなれた値段まで行っていたは記憶に新しい。

やはりその素晴らしさに要望が大きかったのか、ミニマは最近同社の
手によって復刻された、イタリアは経済が低迷しており、さらにユーロ高の
影響で 90年で24万だったミニマは結果的に日本に再輸入されると
45万という 冗談のようなプライスタグが付けられ、筆者は興味を無くした。


そして、ミニマはアマトールと比較できるほど高度な音楽性を持っていたのだ。

サイズ的にはむしろガルネリに近かったのだが、ミニマは10倍近い値段
のガルネリにかなり近い音が出せる"傑作スピーカー"だったのだ。

しかしながら、オールドを過ぎてピークを越えたソナスの
ミニマよりさらに低価格の初代コンチェルティーノモデルですら、


そう、


あれは三宮ジョーシンの視聴室で何気なく鳴らされていた音だったけど
そのスイートで豊潤な響きの甘い"女性ヴォーカル"の音色には思わず目
を細めて時間すら忘れて聞き入ってしまう、エントリークラスのモデルですら
それほどの魅力に溢れたスピーカーだったのです。

あれはまだ震災前だから15年以上前になりますね、

でもあの音色は今でも決して忘れないですよ。



とはいえ、

念を押しておきますが、ソナスのブックシェルフの中では、

初代アマトール、ミニマに限ると思います。


そして濃厚さ、スケール感ではアマトールがミニマに大差を付けます。
小型ゆえのセンシティブな魅力ではミニマが好ましく感じます。
筆者の個人的な好みではアマトールの方が断然好みです。
アマトールの真価を聴くためには大き目の音量で朗々と鳴らしてやってください。
A級アンプがお勧めです。



音楽性に加えて、音楽再生には欠かせないスケール感も重視したいなら、
エリプサ、ストラディバリオマージュも素晴らしかったです。
広い部屋や資金力があるなら、この二機種の方も良いかとも思います。
https://ameblo.jp/507576/entry-10568118553.html?frm=theme
3:777 :

2022/05/21 (Sat) 15:06:02

Guarneri Homage(ガルネリ・オマージュ)という名のミクロコスモス 2012-08-31

もし小学生の時にスタインウェイと出会っていなかったら、間違いなく今、私はピアノでなくヴァイオリンを弾いているだろう。「あの頃の貴方はピアノがオモチャだったからね」と母は云うが、縁というか出会いというものは別に人同士だけではない。モノとヒトも縁によって結ばれる、いや、そう考えないと説明がつかない事が多すぎる。

XRTでヴァイオリンを聴くと、まるでプライベートホールで演奏者と対面して聴いているような錯覚に陥るので、こんなにヴァイオリンの音が好きなのにどうしてピアノしか弾けないんだろうと思い悩むことが最近になって増えた。実際、贅沢な悩みなのかもしれないが、とは言え、悩みには違いない。私の悩みに限らず、そもそもオーディオファイル達の悩みなんて、普通の人達?!からすると「狂気の沙汰」であることは皆様否定されないと思う。もっとも、それを楽しんでいるから、楽しめるから、狂人とはならず、一趣味として理解!?されるのだろうが。


今思い出すと、あの日もそうだった。


(15年以上保管してあった2種類のガルネリオマージュのカタログ)


どちらかと言うと息苦しくなることが多い、いつもの部屋。

所狭しと置いてあるアンプ達、こちらに倒れてくるのではないかと思えるほど林立したスピーカー達。


そんな「機械の群れ」の中に、ただひとつ、そう、まるでハイエナが群がる魔の園の中でひっそり咲くコスモスとも見えた、ただ一対、静かにそこに置いてあった。


それが偶然か、必然か。
そんなことはどうでも良かった。

そうして、流れてきたのは聞き慣れたバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ。

すっと、辺りが消えていき、やわらかな潤いが私を包んだ。いやもっと言うと、その潤いが私を包んでくれていることすら自覚したのはしばらく後になってからだ。
この音は、一体何なのか。

電気で録音された「偽物」を鳴らすことでは絶対生を超えること何で出来るわけがないと、若さの至りで決め込んでいた当時の私のプライドを、自信を、一気に壊してくれた。しかも、やさしく、ゆっくりと。「それは違うのよ」と。

かなり昔だが、祖父の友人であったプロのヴァイオリニストが、私の目の前で、私だけのためにヴァイオリンを弾いてくれたことがあった。

そう、まさにあの音だ。生きている音。

キキキッと瑞々しいが、時に極めてキツイ音色すら出すヴァイオリンの音色。
ただそのキツサは決して耳に突かない。

いやしかし正直言ってあの音でも無い。本物のヴァイオリンの音はこんなんじゃない。でもこの音は生きている。有機的という言葉を使うのが空しくなるほど生き生きしている。どうしてなんだ。たかが電気が振動板を動かしているだけなのに。どうしてこれほどまでに「神経質でたまらない音」がスピーカーから出てくるんだ。


涙が止めどもなく流れてきた。絶対に圧倒されない音なのに、時には汚く、そして時には偽善的でもあるのに、どうしてこんなに生きているのだろう。
涙が止まらない。

こんな馬鹿な。スピーカーがこんな音を出せるわけがない。


ウソだ
夢だ
マンガだ
SFだ

そう叫んだ。

でも、目の前に置いてあった彼女は、物静かに、凜として私を見つめていた。
彼女はなにも言わなかった。

Guarneri Homage 
ガルネリ・オマージュ


「美しい女は、男に対して、見るよりも見られる形に慣れているであろう」

と言ったのは山田洋次監督だが、まさにこのスピーカーのことを言っているとも思えた。他のスピーカー達なら

「オイ、そこの青年君。私を見たまえ。そうして私の完成された語り口を理解するよう努めたまえ」

と上から目線で喋りまくってくる。大抵は圧倒され、そうしてぐったり疲れる。いい音で音楽をたくさん聴いたのに、その後で自分でピアノを弾くとミスタッチが増える。私の指は嘘をつけない。


Guarneri Homage 
ガルネリ・オマージュ

これは楽器だ。そうだ楽器なんだ。そう考えないと落ち着けない。

ピアノはヴァイオリンの音を出せない。
ヴァイオリンはクラリネットの音を出せない。

至極当然のこと。どうして今まで「このスピーカーだけしか出せない音」を出すスピーカーが無いに近かったのか、上位モデル、下位モデルばかりの世界であったのかが不思議で仕方がない。

ガルネリの音はガルネリでしか出せない。
これが「いわゆるスピーカー」と思うから駄目なんだ。楽器なんだ。

財布に入っていた3万円を差し出し「これを、頭金にして・・・」と言った時の店員がした顔が忘れられない。口惜しくて、とうとう真逆の音世界に生きている父を説得し、無理矢理試聴させたこと十数回。

「惚れ込んでいるのはよく分かるんだけれど、そもそも、ピアノを弾く君が、ピアノの音さえ満足に聞けないスピーカーなんて問題外だよ」

と首を横に振る父に、

「そうじゃないんだ。これは「ガルネリ」の音なんだ。ピアノの音でもヴァイオリンの音でも無い。それに似せようと無駄な馬鹿げた頑張りをやめて、楽器「ガルネリ」の音楽を素直に歌わせるんだよ、お父さん!」と懸命に言う私。


その後、父から逆に説得されてしまい、縁無く十数年が経った。

しかし、どのスピーカーの音を聴いても、あの「美しさ」が耳から離れない。たとえそれが嘘であっても、虚像であっても、偽善であっても。全くもって、私は恋をしてしまったのだ。そう、人が一機械に恋をしたのだから、なんと滑稽なことだ。かの『火の鳥』を描いた手塚治虫も微笑むだろう。

その後、好みの女性は数多く目の前に現れた。

JBLのアクリルホーンの音に完全にノックアウトを喰らい数日寝込んだり

アルティックの「音に温度を感じざるを得ないようなウォームさ」に打ち拉がれたり

その後のオマージュシリーズの音に鳥肌が立ち、幾度も涙したりもした。

そうして時が経ち、ふと気がつくと愛する連れ合いがいた。

一世一代、私が最も尊敬するオーディオ評論家と同じスピーカーを使うんだという20年来の念願は叶った。

そのXRTの圧倒的なホール感、音のプラネタリウムに日々包まれても・・・


重量感がある低域ではなく、透き通った水のような低域
天井から降り注ぎ、こちらへスッと真っ直ぐのびてくる中高域
そして想像をはるかに絶する高解像度

もっともっと優しく、大らかな音しか出なかった思っていたが、拙宅で鳴ったそのサウンドたるや、その名、その姿に反して消えゆく小さな響きも決して逃さない。

何にしても、オークションを含めて、今まで買いそびれたこと実に14回に上る。
縁は無いかと諦めたことも数限りない。たかがスピーカーとの縁、されどスピーカーとの縁。オーバーに聞こえるかもしれないが、それは人の知るところではない。

しがないオーディオファイルの一人として、このスピーカーと会えた幸運を神仏に深く感謝する。
http://mcintosh.exblog.jp/18910022/


ガルネリ・オマージュはスピーカーではない。楽器だ!


中学生時のカタログ収集からはじまり、私のオーディオ遍歴は20年を超える。
その中で、決して忘れることが出来ない「あの音」がある。

Sonus faber社の「ガルネリ・オマージュ」


実にピンきりで多くのスピーカーの音を試聴室で盗み聞きしてきたが、このスピーカーの音は今でも忘れられない。デザインも素晴らしいがその音となると、、

まさに、弦の音を聴くためのスピーカーであった。
弦楽四重奏、ヴァイオリンソナタ、無伴奏チェロ等々、弦楽器の音を「限りなく美しく」聴けるスピーカだった。

しかし、ジャズやマーラーなどの大編成、武満などの現代音楽、ポップス等は「全く」と言えるほど駄目だった。低域がまるで駄目。スカスカだった。父を説得して買わせようとしたとき、(実際父とは数回にわたってこのスピーカーを試聴した。歴代最高記録である(笑))父が持ってきた試聴CDの中でイーグルスのホテルカリフォルニアがあったが、それをかけた瞬間「うわー、音悪い!」と売り場の全員が漏らしたのを覚えている。「確かに弦の音は最高!。あんなに美しく聞こえるなんて生を越えるかもね。でも僕たち毎日毎日、弦の音ばかり聴く訳じゃないからね。いろんなジャンルの音楽が楽しく聴けないと飽きるよ」と父が試聴後言っていたのも覚えている。

当時高校生であった私は140万もするスピーカーなんて当然購入できない。しかしもう色褪せたが、今でも手元に当時売り場で作ってもらった「ガルネリ・オマージュ」のローン計算書が残っている(笑)。それほど、私を感動させてくれた音色だった。現在極希に中古で安く出ることがあるようだが状態があまり良くないようだ。つまり「ガルネリ・オマージュ」は本物のヴァイオリンと同じ製法を用いて作られているので、楽器同様湿度を嫌うのだろう。15年前のスピーカーでしかも完全天然製法で作られた故にスピーカーグリルのゴム、エンクロージャーの木や接着剤のニカワなどが劣化してきているだろう。

「ガルネリ・オマージュ」はガルネリ・メメントと進化し現在も販売されているらしい。価格は非常に高価であるし、再生ジャンルが限られる。


しかし、「あの音」は決して忘れられない。
http://mcintosh.exblog.jp/15412961

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