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ロシア民謡の世界

1:777 :

2022/05/18 (Wed) 21:20:54

ロシア民謡の世界

ロシア民謡 『トロイカ』

【ロシア語】トロイカ (Вот мчится тройка почтовая) (日本語字幕)
https://www.youtube.com/watch?v=-GJBw1Ch4jk&feature=emb_title

1990年にロシアで行われたコンサートの映像から。
歌はリュドミラ・ズィキナ(Людмила Зыкина)。



トロイカ Людмила Зыкина: Вот мчится ТРОЙКА почтовая
リュドミラ ズイキナ
https://www.youtube.com/watch?v=ODrd6jSYwHQ&feature=emb_title

▲△▽▼

Вот мчится тройка почтовая
По Волге-матушке зимой,
Ямщик, уныло напевая,
Качает буйной головой.


«О чем задумался, детина? --
Седок приветливо спросил. --
Какая на сердце кручина,
Скажи, тебя кто огорчил?»


«Ах, барин, барин, добрый барин,
Уж скоро год, как я люблю,
А нехристь-староста, татарин,
Меня журит, а я терплю.


Ах, барин, барин, скоро святки,
А ей не быть уже моей,
Богатый выбрал, да постылый --
Ей не видать отрадных дней...»


Ямщик умолк и кнут ременный
С досадой за пояс заткнул.
«Родные, стой! Неугомонны! --
Сказал, сам горестно вздохнул. --


По мне лошадушки взгрустнутся,
Расставшись, борзые, со мной,
А мне уж больше не промчаться
По Волге-матушке зимой!»


走るトロイカひとつ 雪のヴォルガに沿い はやる馬の手綱取る 馭者の歌悲し はやる馬の手綱取る 馭者の歌悲し


何を嘆く若者 たずねる年寄り 何故にお前は悲しむ 悩みはいずこ 何故にお前は悲しむ 悩みはいずこ


去年のことだよおやじ 好きになったのは そこへ地主の奴めが 横槍を入れた そこへ地主の奴めが 横槍を入れた


クリスマスも近いに あの娘は嫁に行く 金につられて行くなら ろくな目にあえぬ 金につられて行くなら ろくな目にあえぬ


鞭持つ手で涙を 馭者はおし隠し これでは世も末だと 悲しくつぶやく これでは世も末だと 悲しくつぶやく
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AB
 

▲△▽▼

リュドミラ ズイキナ: ロシア民謡「トロイカ」
ロシアの民謡歌手リュドミラ・ズィキナの歌う「トロイカ」

伴奏に使われている楽器はロシアの伝統的な弦楽器の「バラライカ」。イタリアの楽器「マンドリン」のように弦をすばやく連続してはじく「トレモロ奏法」で弾いている。

雪の白樺並木 夕日が映える
走れトロイカほがらかに 鈴の音高く

日本では上記歌詞で知られてますが、原曲は恋人を奪われたトロイカの御者の深い嘆きの歌です。

 
▲△▽▼

『トロイカ』(ロシア語: Тро́йка、原題: «Вот мчится тройка почтовая»)は、ロシアの民謡。

原題の直訳は「ほら、郵便トロイカが駆けている」。

トロイカとは元来、3つ組という意味だが、ここでは、3頭立ての馬橇または馬車(troika)のことである。

金持ちに恋人を奪われた若い馭者の悲しみを歌った哀切な歌である。
ただし日本語で主に歌われるのは、楽団カチューシャによる陽気な歌詞である。

楽団カチューシャによる詞

日本で一般に広く歌われている楽団カチューシャによる「訳詞」では、元のロシア語の詞と異なり明るい内容となっている。

そのため、カチューシャの面々が間違えて、ピョートル・ブラーホフがピョートル・ヴャゼムスキーの詞に曲をつけた「トロイカ («Тройка»)」を訳したため、このような歌詞で定着してしまった、という説が信じられてきた。


しかし、実際に歌詞をつけたカチューシャ団員の森おくじ(1925年 - 2008年)の証言によれば、歌詞を付けたのは昭和27年(1952年)、当時、楽団の巡演の事前に行っていた歌唱指導用の曲を新しく別のものにする必要があり、その時「トロイカ」の美しいメロディーに気がついた。

団員の宮尾長治、富山友正と一緒にその場で歌詞を「合作」した。
曲が「淋しすぎるため、早くリズミカルに演奏し、ソヴィエトの若者の明るい喜びを表現した」。

ブラーホフ作曲の「トロイカ」と歌詞の内容が似たのはまったくの偶然で、当時はブラーホフ版の原詞を入手することもできなかった、そうである。

従来は正しくカチューシャ「作詞」として楽譜集に掲載されていたものが誤って「訳詞」として掲載され、それが定着したため、上記のような「間違えて歌詞をつけた」という説が広まり信じられるようになった、というのが真相である。
楽団カチューシャの歌詞は:

1.雪の白樺並木 夕日が映える 走れトロイカ ほがらかに 鈴の音高く

2.響け若人の歌 高鳴れバイヤン 走れトロイカ かろやかに 粉雪蹴って

3.黒い瞳が待つよ あの森越せば 走れトロイカ 今宵は 楽しい宴
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AB

 
倍賞千恵子 トロイカ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%80%8D%E8%B3%9E%E5%8D%83%E6%81%B5%E5%AD%90+%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AB

ダークダックス トロイカ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9+%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AB


2:777 :

2022/05/19 (Thu) 08:42:07

ロシア・ジプシー民謡『二つのギター』

イリーナ・スルツカヤ Gipsy(二つのギター)

Ice Age-2 2008/09/06, Slutskaya
https://www.youtube.com/watch?v=QurXHSXSoC4

Ice Age-2 2008/09/06, Irina Slutskaya, Gipsy


Irina Slutskaya 07 EX Gipsy - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=u2NEzk4Jgp4

Guest skater for Japan Super Challenge in Jan 2007


▲△▽▼


存在の耐えられない軽さ Tomáš & Tereza
https://www.youtube.com/watch?v=t2-T5DrTWoU


Occhi chorni (Очи Чёрные) on accordion (Russian Gypsy music)
https://www.youtube.com/watch?v=MkUOxJv4jmA


【ロシア語】二つのギター (Две гитары) (日本語字幕)
https://www.youtube.com/watch?v=UEGU-1gOPWE


Цыганочка
https://www.youtube.com/watch?v=PiodDRsk6Lg


ジプシーの娘 (Цыганочка)
https://www.youtube.com/watch?v=hMdV15mXIdY

Анжина Алина- цыганочка


二つのギター(ジプシーの娘)
http://www.worldfolksong.com/songbook/russia/two-guitars.htm


▲△▽▼


『二つのギター』は、作詞・作曲者不詳のロシア民謡・ジプシー音楽(ロマ音楽)。


歌詞は存在するが、YouTube動画などで検索してみると、歌ありバージョンよりは、ギターやバイオリン(ヴァイオリン)などの歌なし器楽曲(インストゥルメンタル)として人気があるようだ。



特に、『二つのギター』という題名だけあって、二人でギター合奏(デュエット)する動画もよく見られる。ギター独奏曲としても親しまれ、各種アレンジされた楽譜も一般的に市販されている。


ジプシーダンスの曲としても人気


なお、『二つのギター』と同じメロディがジプシーダンス・舞踊のための楽曲として用いられる場合は、『ジプシーの娘 Цыганочка』と題された別の歌詞が用いられる。ただ、こちらも歌詞あり版はあまり用いられないようだ。


YouTubeで『ジプシーの娘』を検索してみると、タイトル通り、比較的若い女の子がジプシー系の衣装を身にまとってジプシーダンスを披露する動画をいくつか見つけることができる。


ポールモーリアのアレンジで世界的に有名に


二つのギター  ポール・モーリア
https://www.youtube.com/watch?v=BW9dfhRAf7Y

ジプシーダンス『ジプシーの娘 Цыганочка』
https://www.youtube.com/watch?v=nx9vBw5dOZI


『二つのギター』が世界的な知名度を獲得した背景には、フランスの作曲家ポール・モーリア(Paul Mauriat/1925-2006)による1960年代から70年代頃のイージーリスニング版カバー『Les deux guitares』の存在が非常に大きいと思われる。


同カバー版を収録した音源の解説には、「2つのギターの調べ」が奏でられるロシア民謡曲であることが説明されている。


「ロシアには多くのジプシーが住んでおり、街頭でギターをひいたり踊りをおどったりするほか、トランプ占いなどで生計をたてていますが、 これはそのジプシーの歌の一つで、『黒い瞳』と並んで世界中に知られた民謡曲です。 何ともいえない悲しみをたたえて流れる2つのギターの調べ──それは、若い男女のやるせない愛情を象徴しているのです。」


なお、このポール・モーリアによるイージーリスニング版が発表される以前に、『二つのギター』と呼ばれるロシア民謡・ジプシー歌曲が存在したのかどうか、また、ジプシーダンスに用いられる『ジプシーの娘 Цыганочка』とはどういう関係にあるのか、等の詳しい経緯については定かではない。
http://www.worldfolksong.com/songbook/russia/two-guitars.htm


▲△▽▼



1.
ギターが二丁、壁の向こうで
せつなげに嘆きはじめた…
幼い頃からの忘れがたい節回し、
愛する人よ、君なのかい?
さあ一度、もう一度
それから何度も、何度でも!


2.
これは君だ、と僕にはわかったよ
ニ短調で弾く君の弾き方と
素早い爪弾きかたでやる
君のメロディーの出し方で
さあ一度、もう一度
それから何度も、何度でも!


3.
どうして僕には君のことが分からないんだろう?
君の周りを悲しさが取り囲んでいる
情熱的な朗らかさの〔悲しさが〕
猛烈な二日酔いの〔悲しさが〕
さあ一度、もう一度
それから何度も、何度でも!


4.
君のことさ、がっつり飲むんだ
パンチ酒のそばにゃ、湯たんぽと
ハンガリー風モチーフの
きみのメロディーがある
さあ一度、もう一度
それから何度も、何度でも!


5.
ああ痛い、ああ痛い
二日酔いのせいで頭が…
さあ飲もうよ、僕らはこれから飲むんだ
一週間ずっと!
さあ一度、もう一度
それから何度も、何度でも!

http://ezokashi.opal.ne.jp/russiaframe.html  
 

▲△▽▼


ジプシーの娘 (Цыганочка)

русская народная песня
слова...неизвестный автор
музыка... неизвестный автор

今回は、ロシア民謡から“Цыганочка”という歌を取り上げます。 ロシア語ではジプシーを цыган と言い、 女ジプシーを цыганка と言います。 Цыганочка は、その指小形です。

ロシア民謡をアレンジしたポール・モーリア (Paul Mauriat ) の古いアルバム(日本フォノグラム)の解説によると、この歌は「世界中に知られた民謡曲」だそうです。 そのアルバムでは、この曲は“Les deux guitares”(2つのギター)という曲名で紹介されています。まずはその解説を引用させて戴きます。

「ロシアには多くのジプシーが住んでおり、街頭でギターをひいたり踊りをおどったりするほか、トランプ占いなどで生計をたてていますが、 これはそのジプシーの歌の一つで、『黒い瞳』と並んで世界中に知られた民謡曲です。 何ともいえない悲しみをたたえて流れる2つのギターの調べ──それは、若い男女のやるせない愛情を象徴しているのです。」

ポール・モーリアの作品──彼が日本で有名になる前の作品ですので、チェンバロとトランペットを多用した例のややマンネリ化した演奏ではありません── この作品を聴いてみますと、確かに叙情的なもの悲しい雰囲気に浸れます。

しかし、10年程前にロシアでリリースされた、『魅力的な目』

(Очаровательные Глазки) というアルバムに収録されている“Цыганочка”(ジプシーの娘)という曲のイメージは、聊か異なります。 アルバムに添付されている歌詞には書かれていないのですが (別のテキストには書かれています) 、この曲には一種の掛け声のようなコーラスが用いられています。 それは、ウォッカを呷るときの掛け声ではないですか。そうであるとすると、この曲は宴会の席で余興にうたわれる歌ということになります。

ロシア人は動物の脂身をつまみにして、小さなコップでグィッ、グィッと何杯もウォッカを呷るのだそうです。 因みに、ウォッカは водка と表し、「水のような酒」という意味になります。 「水」を意味する вода は、英語の water に対応します。

古い歌で、作詞も作曲も「不詳の作家」となっていますので、全文を訳出してみます。 尚、MIDIに就きましては、

こちらのページ
http://www.midi.ru/

のものを利用させて戴きました。


▲△▽▼


Если б я была цыганка,
もしもあたしが女ジプシーで、

Да притом красивая,
おまけに美しかったら、

Что бы стала со мной делать
あたしに何をしはじめるだろうか

Маменька родимая.
あたしを生んだ母さんは。


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。


За цыгана выйду замуж,
あたしはジプシーに嫁ぐ、

Хоть родная мать убей,
実の母があたしを殺そうとも、

Карты в руки, шаль на плечи –
手の中のカードが、肩に掛かったショールが、

И обманывать людей.
人を騙すんだ。


Ты цыган и я цыганка,
あんたはジプシー、あたしは女ジプシー、

Оба мы цыгане,
うちら2人ともジプシーなの、

Ты воруешь лошадей,
あんたは馬を盗み、

а я ворую сани, ох- ох- ох- ах.
あたしは橇
そり
を盗む、おほほほ。


Ой, девчоночки, беда
ああ、お嬢ちゃんたち、困ったな

Да куда мне деваться,
おらは何処へ隠れていようか、

По колено борода,
ひげが接吻する2人の口元に

Да лезет целоваться.
覆い被さっているではないか。


У милёночка мово,
あたしのカレシは、

Да волосы волнистые,
髪がウェーブしてんの、

Я его не заменю
あたしは彼を取り替えないわ

На горы золотистые
いくらお金を積まれても。


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。


В поле ветер, огоньки,
草原に風が、炎が、

Дальняя дорога,
長距離の旅、

Сердце бьётся от тоски,
哀しくて心臓が鼓動する、

А в душе тревога
そして心には不安がある


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。


Да, эх, раз, еще раз,
さあ、さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз,
続けて一杯、もっともっと、

Эх, раз, еще раз,
さあ一杯、もう一杯、

Еще много - много раз.
続けて一杯、もっともっと。

https://saison-nouvelle.homeip.net/gypsy.htm
3:777 :

2022/05/19 (Thu) 08:56:32

ジプシー歌謡『黒い瞳』

Fedor Schaljapin - Ochi chernye (1927)
https://www.youtube.com/watch?v=kptyESLwJ0E&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?v=b3nOBw2UlkI&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?v=wdGEtrpKlAw&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?v=NRlFYuE-jwc

Fedor Schaljapin
mit Aristiv Chor und Balalaika-Orchester
Ochi chernye (Schwarze Augen)
1927

▲△▽▼

「黒い瞳」(ロシア語: Очи чёрные、オーチ・チョールヌィエ)は、19世紀に生まれたロシアの歌である。

タイトルの「黒い瞳」という言葉はここではロマ(ジプシー)の女性の煽情的な魅力の象徴として用いられており、その魅力に取り憑かれた男性の苦悩と激情がこの歌の主題である。旋律もロマの音楽に特徴的なハンガリー音階に基づいており、ロシアのジプシー歌謡を代表する曲として親しまれている。しかし後述のように民族的な出自からいえば、実際にはウクライナ人とドイツ生まれのロシア人の手になる作品である。


歴史
「黒い瞳」は初め1843年1月17日に「Литературная газета」(文学新聞)に詩として発表された。作者はウクライナの作家、詩人のイェウヘーン・フレビーンカ(ロシア語の発音ではエヴゲニー・グレビョンカ)である。
フレビーンカはポルタヴァ州の貴族の出身で、古典的なジプシー歌謡の作者の多くがそうであるように、教養のある人物である。
フレビーンカによる初稿は、区切りのようなものも設けられていない実質3連程度の作品で、わずかにロマンティシズムの香りが漂うだけの簡素なものだった。


この詩が最初に歌曲として発表されたのは、1884年3月7日のことだった。
これはフレビーンカの詩をС. ゲルデリがフローリアン・ヘルマン作曲のワルツ「Hommage」(オマージュ)にあてはめたものである。
ヘルマンはロシア化したドイツ人であり、この有名なロシアのジプシー歌謡は実際には、ウクライナ人とドイツ生まれのロシア人によって作られたことになる。


この歌を世界的に有名にしたのは、バス歌手のフョードル・シャリアピンである。
シャリアピンはこの歌に自ら詩を書き足してレパートリーに加え、革命後の1922年に出国して事実上の亡命者となってからは世界各地の公演で披露した。これにより「黒い瞳」は、世界で最も有名なロシアの歌の一つとなったのである。


歌詞
フレビーンカによる初稿


原文
Очи черные, очи страстные
Очи жгучие и прекрасные
Как люблю я вас, как боюсь я вас
Знать, увидел вас я в недобрый час


Ох, недаром вы глубины темней!
Вижу траур в вас по душе моей,
Вижу пламя в вас я победное:
Сожжено на нем сердце бедное.


Но не грустен я, не печален я,
Утешительна мне судьба моя:
Всё, что лучшего в жизни бог дал нам,
В жертву отдал я огневым глазам!


日本語訳(大意)

黒い瞳、情熱的な瞳
燃えるような、そして美しい瞳
何と私はお前を愛していることか、何とお前を恐れていることか
きっと私は悪い時にお前と出逢ってしまったのだ


おお、深淵よりもなお暗いのにはわけがある
それは私の魂への喪服なのだ
それは私の哀れな心を焼き尽くす
勝利の炎なのだ


だが私は悲しくはないし、みじめでもない
この運命は私には慰めなのだ
神が与えたもうた全てのよきものは
その燃えるような瞳に生け贄としてくれてやった


シャリャーピンによる補作


原文

Очи черные, очи жгучие,
Очи страстные и прекрасные!
Как люблю я вас! Как боюсь я вас!
Знать, увидел вас я не в добрый час!


Очи черные, жгуче пламенны!
И манят они в страны дальние,
Где царит любовь, где царит покой,
Где страданья нет, где вражде запрет!


Не встречал бы вас, не страдал бы так,
Я прожил бы жизнь улыбаючись.
Вы сгубили меня, очи черные,
Унесли навек мое счастие.


Очи черные, очи жгучие,
Очи страстные и прекрасные.
Вы сгубили меня, очи страстные,
Унесли навек мое счастие…


Очи черные, очи жгучие,
Очи страстные и прекрасные!
Как люблю я вас! Как боюсь я вас!
Знать, увидел вас я не в добрый час!


日本語訳(大意)

黒い瞳、燃えるような瞳
情熱的な、そして美しい瞳
何と私はお前を愛していることか、何とお前を恐れていることか
きっと私は悪い時にお前と出逢ってしまったのだ


黒い瞳、焼けつくように燃え盛っている
それは遠い異国へといざなっている
愛の統べるところ、安らぎの統べるところ
苦しみはなく、憎しみの禁じられるところへと


お前と出逢っていなければこんなに苦しむこともなかったろうに
微笑みながら人生を過ごせただろうに
黒い瞳よ、お前は私を破滅させた
私の幸せを永遠に奪い去ったのだ


黒い瞳、燃えるような瞳
情熱的な、そして美しい瞳
情熱の瞳よ、お前は私を破滅させた
私の幸せを永遠に奪い去ったのだ…


黒い瞳、燃えるような瞳
情熱的な、そして美しい瞳
何と私はお前を愛していることか、何とお前を恐れていることか
きっと私は悪い時にお前と出逢ってしまったのだ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E7%9E%B3
 
▲△▽▼

ジプシー歌謡『黒い瞳』
Ivan Rebroff sings Dark Eyes
https://www.youtube.com/watch?v=0bWqIhxkh8g&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?v=4ZIFhJ6fyzk&feature=emb_title

▲△▽▼

ジプシー歌謡『黒い瞳』
Вика Цыганова - Очи чёрные(Ochi Chernye)
https://www.youtube.com/watch?v=quA5c2oOa_8&feature=emb_title

▲△▽▼

ジプシー歌謡『黒い瞳』
Очи черные · Цыганова Вика
https://www.youtube.com/watch?v=sQtQrbdGmTI&feature=emb_title

Цыганова В. Романсы
4:777 :

2022/05/19 (Thu) 09:18:04

「ともしび」( Огонёк )


Огонёк - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%9E%D0%B3%D0%BE%D0%BD%D1%91%D0%BA
 

ともしび Огонёк - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%B3+++%D0%9E%D0%B3%D0%BE%D0%BD%D1%91%D0%BA


ともしび - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%B3++


倍賞千恵子 ともしび - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%80%8D%E8%B3%9E%E5%8D%83%E6%81%B5%E5%AD%90+%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%B3

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「ともしび」(ロシア語: Огонёк、アガニョーク)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー(Michail Isakovsky)、作曲者はわかっていない。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。

戦地に赴く若者とその恋人の離別、故郷と前線との距離を隔てた交情を主題とする歌曲である。ミハイル・イサコフスキーが1942年に発表した詩に基づく。原題の「Огонёк」とはロシア語で火を意味する名詞огоньの指小語である。

イサコフスキーがこの詩を発表したのは第二次世界大戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)の最中のことで、ここに描かれたような別れの光景は当時ロシアのどこでも見られるものだった。この詩はロシアの大衆の心をとらえるところとなり、広く親しまれ口ずさまれるうちに自然発生的にメロディーがつけられるようになった。こうしてできたいくつものメロディーのうち、淘汰されて残ったのが現在知られる歌曲としての「ともしび」である。古い民謡のメロディーが借用されたという説もあるが詳細はわかっていない。同じイサコフスキーの詩「カチューシャ」に作曲したマトヴェイ・ブランテルをはじめ多くの名立たる作曲家がこの詩に作曲したが、いずれも広く知られることなく忘れ去られた。

日本ではいわゆるロシア民謡を代表する一曲として「カチューシャ」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。新宿にはタイトルを店名に冠した歌声喫茶『ともしび』が1955年に開店し、うたごえ運動のシンボル的な存在として親しまれた。1956年7月にはダークダックスがシングルとして発売し(B面は「カチューシャ」)、1958年の第9回NHK紅白歌合戦ではダークダックスが歌った。1963年には千葉真一が「ともしび (千葉真一の曲)」を[2]歌っている。日本で一般に知られている日本語詞は、楽団カチューシャによる訳詞である。NHKの『みんなのうた』では、1966年12月に峯陽が訳詞したバージョンが宍倉正信と杉並児童合唱団によって歌われた。『みんなのうた』版では作詞・作曲が「ロシア民謡」名義とされており、イサコフスキーの名はクレジットされていない[3]。

日本では遅いテンポで叙情的に歌われるのが普通だが、ロシアでは早めのテンポで行進曲風に歌われることが多い。一般にロシアの歌が日本に伝えられると遅いテンポに変えられる傾向にあるが、この「ともしび」では特にそれが顕著で、山之内重美はロシア人の伴奏者と共演する際に最も問題になるのがこの歌だと述べている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%B3


▲△▽▼


1.
娘が前線へ
戦士を送り出した
暗い夜、戸口の階段で
別れを告げた
今も若者には
霧の彼方に見える
娘のいる小窓に
灯りが灯り続ける

2.
よき前線の家族に
若者は出会った
どこでも同志がいて
どこでも友がいた
だが見知った通りは
忘れられようもない
『懐かしき娘はいずこ、
我が灯はいずこ?』

3.
そして遠き恋人は
若者に便りを出す
彼女の娘なりの愛は
決して死にはしない
思い描いた事はみな
時が来れば叶う、
小金色の灯は永久に
消えることはないと

4.
そして戦士の心は
喜びで満ちる
このかくもすばらしき
彼女の便りで
そして若者はより強く
憎むべき敵を討つ
ソヴィエトの祖国のため、
愛しき灯のため

https://voenpesni.web.fc2.com/songs/Ogonyok_narodnaya.html  
5:777 :

2022/05/19 (Thu) 09:22:20

「カリンカ」(ロシア語: Калинка)
作詞・作曲 イワン・ペトローヴィチ・ラリオーノフ

フィギュアスケート イリーナ・スルツカヤ(ロシア)
12.9.2009 Irina Slutskaya - Kalinka - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HczlTTfFu6A
http://www.youtube.com/watch?v=zdoeEOIsriY


Kalinka (Russian) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GjtfkhT7VfI


【ロシア音楽】カリンカ (Калинка) (日本語字幕) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nGY4-qP8mxE
 

▲△▽▼


「カリンカ」(ロシア語: Калинка)は、ロシアの愛唱歌である。題名の「カリンカ」とは、樹木のガマズミ属(ロシアで代表的な種はセイヨウカンボク)[1]を意味するロシア語「カリーナ」(калина)の指小形であり、いわば「ガマズミさん」「ガマズミちゃん」といった含意である。

長い間ロシア民謡と考えられてきたが、実際には、作曲家・作家・民謡研究者のイワン・ペトローヴィチ・ラリオーノフが1860年に作詞・作曲した作品である。この歌の初演は、ラリオーノフが音楽を書いたサラトフのアマチュア劇団の芝居で、舞台上で歌われたものである。

初演からまもなくして、ラリオーノフの友人で自ら設立した合唱団も擁していた、歌手のドミートリー・アレクサンドロヴィチ・アグレネフ=スラヴャンスキー(Агренев-Славянский, Дмитрий Александрович)の依頼に応じ、スラヴャンスキーのレパートリーにこの歌を加えることを許諾した。スラヴャンスキーの合唱団のレパートリーとなってから、「カリンカ」は人気を集め始めた。

日本語詞では、井上頼豊の訳詞や楽団カチューシャによる詞が広く知られている。


「カリンカ」の語の使用例

ロシア料理のレストランでは、ロシア国内でも外国でも、店の名前に好んで「カリンカ=マリンカ」 (Калинка - малинка)と名をつける。ロシアの民芸品を売る店でも、店名をこの名前にすることを好み、サンクトペテルブルクにはこの名称の写真スタジオまで存在する。「カリンカ=マリンカ」の名称が、いかにも「伝統的ロシア」のイメージを喚起させるものになっているので、ロシア風に見せたいものに好んで施される名称である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AB

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ
 
ああ!マツの根方に、緑色をしたその下に
私を横たわらせ眠らせておくれ
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
私を横たわらせ眠らせておくれ

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ

ああ!緑なす若いマツの木よ
私の上でざわめかないでおくれ
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
私の上でざわめかないでおくれ
 
ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ
 
ああ!美しい娘さんよ、若い娘心よ
どうか私を好きになっておくれ!
アイ・リューリ、リューリ、アイ・リューリ、リューリ
どうか私を好きになっておくれ!

ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ
6:777 :

2022/05/19 (Thu) 09:38:39

ロシア民謡 一週間 Неделька

【ロシア語】一週間 (Неделька) (日本語字幕)- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nua9NhdXUOo&t=34s

Неделька - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%9D%D0%B5%D0%B4%D0%B5%D0%BB%D1%8C%D0%BA%D0%B0



一週間  楽団カチューシャ訳詞・ロシア民謡 Неделька
https://www.youtube.com/watch?v=58zUBdgCwy0

『НЕДЕЛЬКА 一週間』  楽団カチューシャ訳詞・ロシア民謡・橋本晃一編曲


日曜日に 市場(いちば)へでかけ
糸と麻(あさ)を 買ってきた
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ リャ


月曜日に おふろをたいて
火曜日は おふろにはいり
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ リャ


水曜日に ともだちが来て
木曜日は 送っていった
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ リャ


金曜日は 糸まきもせず
土曜日は おしゃべりばかり
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ リャ


ともだちよ これが私の
一週間の 仕事です
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ リャ


ソプラノ・間庭小枝 伴奏・米山知里



ボニージャックス 一週間 紅白出場
https://www.youtube.com/watch?v=rA7pBhla_w8


▲△▽▼


「一週間」、原題「Неделька」(ニェジェーリカ、「週」)は、ロシアの民謡。


女性の一週間の様子を歌ったロシア民謡で、作詞・作曲者は不詳。19世紀頃に成立。



日本における受容


日本では「楽団カチューシャ」による訳詞(1954年)が有名で、その内容はロシア語原詞を比較的忠実になぞったものである(土曜日のみ異なる)。この他訳詞担当は不明だが、「日曜日はにこにこ」「月曜日はげんきに」と、曜日のだじゃれで構成されたのも有った。


1963年4月にはNHKの『みんなのうた』で紹介[1]。編曲は若松正司で、歌はボニージャックスが担当した。


『みんなのうた』版は歌詞が一部変更されており、3番の「あなたと逢って」が「友達が来て」、5番の「恋人よ」が「友達よ」になっている。2021年現在音声のみ見つかっており、映像は見つかっていない。同年8月にはボニージャックスの歌唱でキングレコードからシングル発売され(品番はEB-921、モノラル録音)、同年12月の『第14回NHK紅白歌合戦』でもボニージャックスにより披露されている。


また、同じくNHKの『おかあさんといっしょ』『歌はともだち』『歌のメリーゴーラウンド』『ドレミノテレビ』などでも歌われた。このバージョンでは、「テュリャテュリャ…」の最後のフレーズがオリジナルとは異なる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%80%B1%E9%96%93_(%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%B0%91%E8%AC%A1)
7:777 :

2022/05/19 (Thu) 09:58:04

ソ連軍歌『カチューシャ Катюша』

破滅へ向かって驀進するガールズ & パンツァー 戦車隊が歌うソ連軍歌『カチューシャ Катюша』
https://www.youtube.com/watch?v=mtAqmVBbDX0
https://www.youtube.com/watch?v=8oLDY_sgXjU


ロシア兵が玉砕覚悟の突撃の時に歌う
[ソ連軍歌] カチューシャ 日本語歌詞付き Катюша
https://www.youtube.com/watch?v=sVk9eyAWxPk


【ロシア語】カチューシャ (Катюша) (日本語字幕)
https://www.youtube.com/watch?v=nl0eMOGRW8E

Катюша - Варвара (Subtitles)
https://www.youtube.com/watch?v=4rhp7Q7Ceq8

Катюша - Варвара (9 мая) (Subtitles)
https://www.youtube.com/watch?v=25Hh5tRcQjY

▲△▽▼

Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой;
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег, на крутой.

咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に

Выходила, песню заводила
Про степного, сизого орла,
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.

カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙

Ой, ты песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед,
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.

おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ

Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поёт,
Пусть он землю бережёт родную,
А любовь Катюша сбережёт.

彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く

Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой;
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег, на крутой

咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に 

▲△▽▼

戦死した恋人を悼む
ダークダックス 『カチューシャ』
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%80%80%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9


▲△▽▼

КАТЮША カチューシャ
http://www.aki-kaeul.com/muzika/katyusha.html

* * * * *

 ここでは、恐らく日本で一番有名であろうロシア民謡「カチューシャ」の紹介をします。「カチューシャ」は、実は第二次大戦の頃作られた歌らしく、「民謡」というよりも「歌謡」と言った方が正確だと思われます。題名の「カチューシャ」とは、一般的な女性名「エカチェリーナ」の愛称です。

 ここではまず、よく知られている日本語版を紹介します。

* * * * *

カチューシャ
訳詞者 関 鑑子・丘灯至夫
  
りんごの花ほころび
川面(かわも)にかすみたち
君なき里にも
春はしのびよりぬ
 
岸辺に立ちてうたう
カチューシャの歌
春風やさしく吹き
夢が湧くみ空よ

カチューシャの歌声
はるかに丘を越え
今なお君をたずねて
やさしその歌声
 
りんごの花ほころび
川面にかすみたち
君なき里にも
春はしのびよりぬ

* * * * *

 次に、ロシア語版とその日本語訳(Kaeul P. Aki翻訳。直訳気味のつもり。正確に訳せたかどうかは不安)を紹介します。

* * * * *

カチューシャ

リンゴとナシが花咲いていた
霧が川面を漂いだした
カチューシャは岸へと出かけていた
高くけわしい岸へと

歌いながら出かけていた
ステップの青灰色の鷲の歌を
愛していた人の歌を
手紙を大切にしまっておいていた人の歌を

ああ、歌よ、娘の歌よ
輝く太陽の後を飛べ
そして遠い国境地帯の兵士に
カチューシャからよろしく伝えよ

純朴な娘を思い出させよ
彼女が歌っているように聞こえさせよ
故郷の大地を守らせよ
カチューシャは愛を守るだろう

リンゴとナシが花咲いていた
霧が川面を漂いだした
カチューシャは岸へと出かけていた
高くけわしい岸へと

* * * * *

 この歌は第二次大戦中につくられたということもあり、元のロシア語の歌詞は、戦争に行った人への歌になっていることが分かります。日本語版も、分かりにくくはありますが、やはり戦争に関するもので、「君なき里にも~」というのは、君が戦争に行ってしまってここ(里)にはいない、という意味です。ただ、ロシア語版が、日本語版での「君」に相当する人物がまだ生きているようなのに対し、日本語版ではもう亡き人になっているように思えます。
 この歌は、第二次大戦中に戦場のソ連兵の間で流行したらしく、タマーラでもエレーナでもなく「カチューシャ」だというのも、当時ソ連軍で使用されていた「カチューシャ砲」と関係あるようです。兵士の間で歌われていた歌なら、日本語版のような亡き人を懐かしむ感じのある歌だと、さすがに縁起が悪いですね(^^;

この歌が日本で親しまれているのは、やはり日本語版の切ない雰囲気が人々の心をとらえているのだと思います。また、ロシア語版も、勇ましさのようなものはあまりなく、死と隣り合わせの戦場においては、本当に気がかりなのは、いかに敵を蹴散らすかとかじゃなくって、遠い故郷でみんな元気にしてるのかな、ってことなのかな、という気がします。
http://www.aki-kaeul.com/muzika/katyusha.html


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「カチューシャ」(ロシア語: Катюша)はソビエト連邦の時代に流行したロシアの歌曲である。作詞はミハイル・イサコフスキー、作曲はマトヴェイ・ブランテル(ロシア語版)(Матвей Блантер)である。日本でもいわゆるロシア民謡を代表する一曲として[1]広く親しまれている。
カチューシャという娘が川の岸辺で出征し国境警備につく恋人を思って歌う姿を描いた歌曲である。カチューシャとはエカテリーナ(Екатерина)の愛称形である。
この歌の制作は、イサコフスキーとブランテルが1938年に出版社の仲介で引き合わされたことに端を発する。2人は依頼された新刊雑誌のための歌曲を完成させると、帰りの車中で早くも次の作品への構想を立てた。ブランテルが自らの率いる国立ジャズ・オーケストラのための曲作りを持ちかけると、イサコフスキーはその場で自作の詩を暗誦した。ブランテルは歌詞を書きとめながら、その時すでにリズムと旋律が頭の中に浮かんでいたという。

当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容はなかった。しかし当時の不穏な世界情勢を反映して、国境警備に当たる若い兵士を故郷の恋人が思って歌うという設定で3番と4番の歌詞が書き足された。こうして完成した「カチューシャ」は、1938年11月27日にワレンチナ・バチシェワ(Валентина Батищева)によってヴィクトル・クヌシェヴィツキー(Виктор Кнушевицкий)の率いるジャズ・オーケストラとの共演で初演された。この初演は好評を博し、アンコールに応じて3度も演奏された。

やがて1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。替え歌も多く生まれ、「女性兵士カチューシャ」や「看護兵カチューシャ」など、亜種が多様に歌われるようになった。当時赤軍によって使用されたロケット砲がカチューシャの愛称で呼ばれるようになったのも、この歌の流行による影響だといわれる。

ソ連以外での受容
戦後の東西対立期には同じ東側諸国にも広まり、現地語に翻訳されたドイツ語版、中国語版、ベトナム語版などが現在でも親しまれている。

当初、枢軸国であったイタリアでは、1943年9月の連合国への無条件降伏後、「カチューシャ」のメロディに独自の歌詞をつけ、パルチザン蜂起を呼び掛ける歌として歌われている。イタリア語の歌詞は、共産主義者の医師で自身もパルチザンであったフェリーチェ・カッショーネによって書かれ、冒頭の句から「風は鳴る Fischia il vento」と呼ばれた。この曲は「さらば恋人よ Bella ciao」とともに最も有名なパルチザン愛唱歌となり、その後、ミルバ、バンダ・バソッティなどが自身のアルバムに収録している。

日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。1956年7月にはダークダックスがシングル「ともしび」のB面として発売した。1959年の第10回NHK紅白歌合戦では初出場の森繁久彌がこの歌を歌った。現在日本で一般に知られている日本語詞は関鑑子による訳詞であるが原詩の軍事色は一切省かれている。

1988年発売のファミリーコンピュータ版『テトリス』では、各ラウンドのフィナーレでBGMに使用されている。また同年発売のファミリーコンピュータソフト『熱血高校ドッジボール部』でも、対ソ連戦のBGMとして使用されている。

近年では千葉ロッテマリーンズの松本尚樹や西岡剛の応援歌としても使用されていた。また、サッカー日本代表の応援歌としても使用されている。

なお、『復活』の劇中歌として歌われ、戦前に流行した「カチューシャの唄」はこの歌よりも昔に作られたもので、全く関係ない。

1986年にユンケル黄帝液のCMでタレントのタモリが60年代風のセットでツイストを踊ってた曲として替え歌で「疲れがタモレば、タモリのユンケルだ」とイタリアン・ポップス調(太陽はひとりぼっち風)のアレンジ風で使用された。

TVアニメ『ガールズ&パンツァー』の8話では「カチューシャ Sung by カチューシャ&ノンナ」という形でカチューシャ役の金元寿子とノンナ役の上坂すみれが歌っている。ただし海外吹き替え版では著作権の問題から当該部分は削除されている。

日本エレキテル連合の感電パラレルの三好ナイトにおいて、興行師・天然トウジロウが拡声器で歌う三好のテーマ曲に使用されている。

また、近鉄特急の近鉄奈良駅到着前放送の予告チャイムとしても使われていた。

さらにユーロビートアーティストのMad Cowは「Rasputin, Pasternak and Molotov」というリミックス曲を出している。なお、この曲はSUPER EUROBEAT VOL.147に収録されている。

恋のカザチョック
1968年、フランスでイスラエル人のリカ・ザライ(Rika Zaraï)が、イタリアでドリ・ゲッツィ(Dori Ghezzi)がカチューシャをアレンジした「Casatschok」として歌を出し、日本では「恋のカザチョック」と言う邦題で1969年に日本ビクターから発売された[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3_(%E6%9B%B2)
8:777 :

2022/05/19 (Thu) 10:00:45

ロシア軍歌「スラブ娘の別れ」_

ロシア軍歌「スラブ娘の別れ」_ ワシリー・アガプキン (1884年2月3日 - 1964年10月29日) 作曲
https://www.youtube.com/watch?v=BHa5gdtcoGs


「スラブ娘の別れ」(Прощание славянки)は、第一次世界大戦前夜の1912年に、ワシリー・アガプキンにより作曲された帝政ロシアの行進曲である。

第一次世界大戦時のロシア帝国軍兵士たちにこの曲は広く好まれ、歌われてきた歴史を持つ。

また、 ロシア内戦時の反革命派である白軍の非公式の軍歌としても使用されていた。 ソビエト連邦の成立後は赤軍版の歌詞が作られ、第二次世界大戦期にも1941年の軍事パレードで演奏された。

ロシア連邦成立後、とりわけウラジーミル・プーチン政権発足後は、毎年5月9日の戦勝記念日に赤の広場で行われている軍事パレードで演奏されている。

シベリア鉄道の始発駅である極東のウラジオストク駅からヨーロッパロシアの首都モスクワ行き特急ロシア号が発車する際に演奏されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%96%E5%A8%98%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C
9:777 :

2022/05/19 (Thu) 10:03:48

ロシア民謡「Дорогой длинною 長い道を」

作詞:К.Н.ポドリェーフスキー(ポドレフスキー)   
作曲:Б.И.フォミーン(フォーミン)  / 1917年頃著作

Дорогой длинною - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%94%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B3%D0%BE%D0%B9+%D0%B4%D0%BB%D0%B8%D0%BD%D0%BD%D0%BE%D1%8E+


【ロシア音楽】長い道を (Дорогой длинною) (日本語字幕) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=neKPGXCtej8


Дарья Антонюк - Дорогой длинною (Голос. 5 лет. 2017) (Subtitles)
https://www.youtube.com/watch?v=QzpquCrS9rE


Полина Гагарина — Дорогой длинною
https://www.youtube.com/watch?v=G5kvJa7p5bM


▲△▽▼


JASRACのJ-WIDで検索すると、「ロシア民謡」と検出されますが、実際には20世紀の初め(1917年ごろ)に作られた、比較的新しい歌なので、民謡という言葉は不適切です。

 作詞と作曲は、それぞれコンスタンチン・ニコラーエヴィチ・ポドリェーフスキー(Константин Николаевич Подревский、?~1942)と、ロシアの作曲家ボリース・イヴァーノヴィチ・フォミーン〔※1〕(Борис Иванович Фомин、1900~48)によるものです。

 1969年に、ジーン・ラスキンによって英語の歌詞と編曲が施され、「Those Were the Days」のタイトルで、ポール・マッカートニーのプロデュースによる、メアリー・ホプキンの歌唱でリリースされました。世界的なヒットを博し、日本では『悲しき天使』の邦題でおなじみです。

 また、日本では、1980年代に「東ヨーロッパ民謡」または「ロマ民謡」として、『花の季節』の題名で、中学生の音楽の教科書に掲載されていたようです。作曲者も作詞者もはっきりしているのに、なぜ「民謡」とされてしまったのかは分かりませんが。

  〔※1〕日本では、誤って「フォーミン」と表記されるのが一般的です。


▲△▽▼


1.
我々は小鈴のついたトロイカに乗っていった
遠くで明かりがちらちらと光っていた
ああ、もし私が今君らについて来ていたなら
魂を憂鬱から解き放ってくれるだろうに!

長い道のりを、月の照る中を行く
あの遠くで鳴り響いている歌とともに
そして昔の思い出と
夜ごと私をかくもさいなんだ七弦ギターとともに

2.
そうだ、思い起こせば、
我々はわけもなく歌っていた
意味もなく夜から夜へと燃えていた
もし我々が昔のことにけりをつけていたら
あれらの夜も遠ざけられたろうに!

長い道のりを、月の照る中を行く
あの遠くで鳴り響いている歌とともに
そして昔の思い出と
夜ごと私をかくもさいなんだ七弦ギターとともに

3.
彼方の故郷の地へ新たな旅路を行く
この先我々は定められた道を行くしかない
我々は小鈴のついたトロイカに乗っていった
今でははるか昔のことになってしまったが!

長い道のりを、月の照る中を行く
あの遠くで鳴り響いている歌とともに
そして昔の思い出と
夜ごと私をかくもさいなんだ七弦ギターとともに

http://ezokashi.opal.ne.jp/russiaframe.html
10:777 :

2022/05/19 (Thu) 10:23:44

メリー・ホプキン 悲しき天使 Those Were the Days

Mary Hopkin Those were the days lyrics - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QptZ8tYZAkE

メリー・ホプキン
THOSE WERE THE DAYS MARY HOPKIN - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2KODZtjOIPg


▲△▽▼


「悲しき天使」(Those Were the Days)は、ロシア語の歌謡曲『Дорогой длинною 長い道を』を原曲とする英語の歌曲である。イギリスのメリー・ホプキン(Mary Hopkin)が歌って大ヒットを収めた。

ロシア語原曲は、コンスタンツィン・ポドレフスキー(Константин Николаевич Подревский、1889年〜1930年)の詩に、ボリス・フォミーン(Борис Иванович Фомин, 1900年〜1948年)がクレズマーないしはジプシー音楽の様式で曲づけした歌「Дорогой длинною」(「長い道」)である。1910-1920年ごろの作品とされる。歌詞の内容は、昔の思い出を懐かしみ感傷に浸っている様子を描いたものである。

初期のころの録音としては、タマーラ・ツェレテリ(Тамара Семёновна Церетели)の版(1925年)やアレクサンドル・ヴェルティンスキー(ロシア語版)(Вертинский, Александр Николаевич)の版(1926年)が知られる。


英語版

「悲しき天使」は、しばしば、イギリスで活躍したアメリカ合衆国出身の歌手、ジーン・ラスキンの作詞作曲と紹介されている。これは「Дорогой длинною」がソビエト連邦からの亡命者によって欧米に広められるうち、いつしか作者不詳の「ロシア民謡」と呼ばれるようになり、その後1962年にラスキンが英語版を編曲し自作として発表したために、ラスキンの作品と呼ばれるようになったためとされる。

1968年にポール・マッカートニーが、当時18歳のフォーク歌手メリー・ホプキンをプロデュースして「悲しき天使」のシングルを発表。国際的にヒットし、その後さらにスペイン語版、ドイツ語版、ヴィッキーによるフランス語版(「Le Temps des fleurs」、ただし、邦題は「悲しき天使」のまま)もリリースされた。なお、シングル盤の「悲しき天使」は、アップル・レコードから発売された最初のレコードであり、B面にはピート・シーガーのカバー「ターン・ターン・ターン」が収録されている。また、この曲はホプキンのアルバム『ポスト・カード』(1969年)のアメリカ盤LPや再発CDにも収録された。

原題「Those were the days」は、「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」という意味であり、歌詞は、壮年期の人間が青春時代を思い返してロマンティックに美化している場面を描いている。

また邦題の「悲しき天使」については、日本で発売された当時、外国の楽曲に邦題を付ける際の常套手段として、「悲しき…」や「恋の…」といった言葉を冠していたことによるものであり、英語歌詞の内容とは特に関係はない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%8D%E5%A4%A9%E4%BD%BF


▲△▽▼


THOSE WERE THE DAYS MARY HOPKIN

Once upon a time, there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours,
Think of all the great things we would do

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way

Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di

Then, the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If, by chance, I'd see you in the tavern,
We'd smile at one another and we'd say

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days

Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di

Just tonight, I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass, I saw a strange reflection
Was that lonely woman really me?

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days

Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di

Through the door, there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh, my friend, we're older but no wiser
For in our hearts, the dreams are still the same

Those were the days, my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we'd choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes, those were the days

Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di
Di di di di di di di di di di

La la la la la la
La la la la la la
La la la la la la

『あの頃の日々』 右近 訳 

1. 

かつて そこには酒場があった
わたしたちはよく乾杯をしたものね
覚えているでしょ 何時間も笑いあい
抱いた大きな夢を叶えようとしていたこと

(コーラス)
愛しき友よ あの頃の日々
それは終わることがないかのようだった
一日を 永遠を 歌い踊り
生きたいように生き
人生の闘いに負けなどないと思っていた
若さが何でもできると信じさせた
ララララララ・・・・
あの頃はそうだった
そう、あの頃の日々はそう信じて生きていた

2.

あわただしく歳月がゆき過ぎ
わたしたちはきらめく思いを失くしてしまった
もしも偶然にこの酒場であなたに逢えたなら
微笑みあって言いましょう

(コーラス)
愛しき友よ あの頃の日々
それは終わることがないかのようだった
一日を 永遠を 歌い踊り
生きたいように生き
人生の闘いに負けなどないと思っていた
若さが何でもできると信じさせた
ララララララ・・・・
あの頃はそうだった
そう、あの頃の日々はそう信じて生きていた

3.

今夜わたしはその酒場の前に立っていた
何も昔と変わっていないかのように店はたたずみ
グラスの中には不思議な影が浮かびあがる
それはまるでわたしと瓜ふたつの寂しい女

(コーラス)
愛しき友よ あの頃の日々
それは終わることがないかのようだった
一日を 永遠を 歌い踊り
生きたいように生き
人生の闘いに負けなどないと思っていた
若さが何でもできると信じさせた
ララララララ・・・・
あの頃はそうだった
そう、あの頃の日々はそう信じて生きていた

4.

ドアの向うから懐かしい笑い声
あなたの笑顔が わたしの名を呼ぶ声もする
あぁ友よ わたしたちは歳を重ねても思慮深くはなく
なぜなら心の中にはまだ同じ夢が棲んでいるもの

(コーラス)
愛しき友よ あの頃の日々
それは終わることがないかのようだった
一日を 永遠を 歌い踊り
生きたいように生き
人生の闘いに負けなどないと思っていた
若さが何でもできると信じさせた
ララララララ・・・・
あの頃はそうだった
そう、あの頃の日々はそう信じて生きていた

5.

ドアの向うから懐かしい笑い声
あなたの笑顔 わたしの名を呼ぶ声もする
あぁ友よ わたしたちは歳を重ねても思慮深くはなく
なぜなら心の中にはまだ同じ夢が棲んでいるもの

(コーラス) 
愛しき友よ あの頃の日々
それは終わることがないかのようだった
一日を 永遠を 歌い踊り
生きたいように生き
人生の闘いに負けなどないと思っていた
若さが何でもできると信じさせた
ララララララ・・・・
あの頃はそうだった
そう、あの頃の日々はそう信じて生きていた


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2022/05/19 (Thu) 23:06:40

上げ
12:777 :

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