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タルコフスキー 映画『僕の村は戦場だった 1962年』

1:777 :

2022/05/18 (Wed) 16:15:09

タルコフスキー 映画『僕の村は戦場だった 1962年』

動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%98%D0%B2%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%BE+%D0%B4%D0%B5%D1%82%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE&sp=mAEB


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監督 アンドレイ・タルコフスキー
原作 ウラジミール・ボゴモーロフ
脚本 ウラジミール・ボゴモーロフ ミハイル・パパーワ
音楽 ヴァチェスラフ・オフチンニコフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
公開 1962年4月6日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%9D%91%E3%81%AF%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F

キャスト

Ivan コーリヤ・ブルリヤーエフ
Kholin V・ズブコフ
Galystev E・ジャリコフ
Katasonov S・クルイロフ
Gryaznov N. Grinyko
Maska V. Maryavina
Ivan's Mother I. Tarkovskaya
The Oldman D. Milyucheko


映画のストーリー

イワン(コーリヤ・ブルリヤーエフ)がいまも夢にみた美しい故郷の村は戦火に踏みにじられ、母親は行方不明、国境警備隊員だった父親も戦死してしまった。

一人とり残された十二歳のイワンが、危険を冒して敵陣に潜入し少年斥候として友軍に協力しているのも、自分の肉親を奪ったナチ・ドイツ軍への憎悪からであった。

司令部のグリヤズノフ中佐、ホーリン大尉、古参兵のカタソーノフの三人が、イワンのいわば親代りだ。グリヤズノフ達はイワンをこれ以上危険な仕事に就かせておくことはできない……これが、少年を愛する大人たちの結論だった。しかし、イワンはそれを聞くと頑として幼年学校行きを拒否した。憎い敵を撃滅して戦いに勝たねば……やむなくイワンをガリツェフ(E・ジャリコフ)の隊におくことにした。

ドイツ軍に対する総攻撃は準備されていたがそのためには、対岸の情勢を探ることが絶対必要であった。出発の日、カタソーノフはざん壕から身をのり出し敵弾に倒れてしまった。執拗に彼の不在の理由をきくイワンにはその死は固く秘されホーリン、ガリツェフの三人は小舟で闇の中を対岸へ。

二人が少年と別れる時がきた。再会を約して少年は死の危険地帯の中に勇躍、進んで行く。その小さな後姿がイワンの最後だった。終戦。ソビエトは勝った。が、そのためには何と大きな犠牲を払われねばならなかったか……。

かつてのナチの司令部。見るかげもなく破壊された建物の中に、ソビエト軍捕虜の処刑記録が残っていた。その記録を一枚一枚調べるガリツェフ。あった。イワンの写真が貼りつけられた記録カードが。戦争さえなかったらイワンには平和な村の毎日だった筈なのに……。
https://movie.walkerplus.com/mv13198/

 
▲△▽▼

僕の村は戦場だった

噂には聞いていましたが、これほどまでの傑作とは思いませんでした。すばらしい映画でした。

タルコフスキーならではの詩的な映像と、独ソ戦争の悲劇を現実的にとらえた対照的な映像が見事にコラボレートして、一歩間違うとおとぎ話のような陶酔感の中で迎える衝撃的なラストにうなってしまいました。


一人の半裸の少年が森にたたずんでいます。

蝶が舞い、その蝶を視線が追いかけるとカメラが蝶の視線のごとくふわっと舞い上がります。

ショットは変わって少年の前に一人の母親らしき女性。

うれしそうに駆け寄る少年。

次の瞬間、ぼろ小屋で飛び起きる少年。

実はこの少年はソ連側からドイツに潜入して情報を探るゲリラ兵なのです。ショッキングなオープニングに一気に引き込まれます。


湿地の中を必死で駆け抜けてソ連領に舞い戻ったところから本編が始まります。


戦場の場面がリアルに生々しく語られる現実と、少年が夢見るときにみる平和な頃の詩情あふれる映像の対比が実に効果的で、本当に美しい。

湿地の中を進む場面で水面に映る照明弾の光の動きの中で船をこいでいくショット、

少年が夢の中でみる母親が井戸の外で倒れたところに降りかかる井戸水のショット、

あるいは少年が愛らしい少女とリンゴを積んだトラックに乗っていく中で、リンゴが道にこぼれだし、馬が拾い食いするショット

などタルコフスキーならではのファンタジックな映像もふんだんに盛り込まれています。


すでに両親の行方もわからない少年イワンの親代わりは戦場の3人の兵士たちだった。そして、冒頭のゲリラ斥候を終えたイワンにその兵士は幼年学校へ行くように勧める。

しかし、それに反対し、再度斥候にでる。無事ソ連領に送り届けた兵士たち、しかしまもなく戦争は終結。

ドイツの収容所を制圧した兵士たちがそこでみたのはドイツ軍が捕まえたソ連からの斥候たちの処刑のリストファイルだった、そしてそこにはイワンの名が・・・・


処刑される寸前に見たであろうイワンの幻想は愛くるしい少女と一緒に浜辺を駆け抜ける場面でした。

タルコフスキーならではの映像美の世界とサスペンス色あふれるストーリー展開、そして悲劇的なラストに見せる切ない現実への警告。完成度の高い見事な作品でした。
http://d.hatena.ne.jp/kurawan/20100510


▲△▽▼

19 :無名画座@リバイバル上映中:2006/02/25(土) 18:52:48 ID:nrY8uN4r

原作は「イワンの少年時代」というタイトルですよね。

でも何だか皮肉な題だなあ。少年時代を少年のまま過ごすことも叶わず、
戦争によって踏みにじられ、大人にならざるをえなかったイワン。

回想シーンがあどけない笑顔を浮かべてたのに、現実のシーンでは微笑を忘れた
一切感情を押し殺した表情をしてたのが余計に哀しい。


25 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 10:25:13 ID:za8+WElc
もし、記憶違いなら悪いけど少年のお母さんが腋毛生やしてたような・・・


26 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 14:54:33 ID:pWzQBXUM
おっ、いいところに目をつけましたね。なかなか目ざといですな。
あのお母さんはどうも色っぽすぎていかんです、ハイ。

28 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 21:33:09 ID:BSZv+BGP
いや、ほんとに。
少年の回想シーンとは思えないほど肉感的ですね。


『鏡』を観ててもそう思うんですが、

どうもタルコフスキーにとって母親というのは
そういう肉感的な存在としてイメージされるみたいです。


29 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/10(金) 21:02:41 ID:G7Eo1+60

母親役はイリーナ・タルコフスカヤ。


30 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/11(土) 13:38:57 ID:UEITlvEh

おそらくイリーナ・タルコフスカヤさんは監督の最初の奥さんではないかと。
(同姓同名でなければ、イリーナという奥さんがいたはず)


38 :無名画座@リバイバル上映中:2006/05/12(金) 17:13:15 ID:9534X0Wy
浜辺で母が手を振って立ち去ろうとするところ恐いぐらい。


48 :無名画座@リバイバル上映中:2006/09/03(日) 23:38:29 ID:VbWH5bGO
ラストの水はすごかった
http://mimizun.com/log/2ch/kinema/1139048950/


▲△▽▼


アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。


『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
http://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html
2:777 :

2022/05/19 (Thu) 08:27:16

タルコフスキーが伝えたかった事

Andrey, what is art?
http://www.youtube.com/watch?v=7Me--xHG-mQ&feature=related

Tarkovsky on Art
http://www.youtube.com/watch?v=V27XlEDLdtE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aedXnLpKBCw&feature=related


Tarkovski interview
http://www.youtube.com/watch?v=gy1DpCOON6Q&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=2MoVQr1t8kU&feature=related

The Law of Life Tarkovsky
http://www.youtube.com/watch?v=ueDsS48uZaY&feature=related


象徴について ―隠喩で自己表現するのが私の好みです―

私たちは詩的媒介か描写的媒体によって、自分をとりまく世界に関する情緒を表出することが出来ます。

隠喩で自分を表出するのが私の好みです。

力説しておきましょう、隠喩で、です。

象徴によってではありません。

象徴はその内部に、明らかな意味を、ある種の知的な公式を、含んでいます。

それに対して、隠喩はイメージです。

それが表象する世界と同じ際だった特徴を保持するイメージです。

イメージは―象徴とはちがって―意味は定かでありません。

輪郭の定かな、限定された道具を用いることによって、無限定の世界を語ることは出来ません。

象徴を構成する公式は分析出来ますが、隠喩は自己完結した存在なのです。
それ自体で独立した一項式です。

それに触れようとした途端に、隠喩は砕けてしまいます。(1983年5月12日)


―小鳥は邪悪な人の元には来ない―

私の意見では、映像は象徴ではありえない。

映像が象徴に変換されると必ず、思念はいわば壁で閉ざされ、十分に謎解きをすることができる。

ところが映像はそういうものじゃない。

象徴はまだ映像になっていない。

映像は説明できないけど、映像は真実をくまなく表出する。

その意味は知られざるままだ。

『鏡』の少年の頭にとまる小鳥は何を意味するのかと訊かれたことがあります。

しかし説明しようと努力すれば必ず、何もかもが意味を失うことに私は気づきます。

本来の意図と全く異なる意味を獲得して、正当な場から移動してしまう。

小鳥は邪悪な人の元には来ないとだけは言えるけど、それではまだ足りない。

真実の映像は抽出されたものであり、説明することは出来ない。

それは真実を伝達するだけであり、自分のハートに問いかけてはじめて、それを包括理解することが出来るのです。

そのために、作品の知的意義を利用することから、芸術作品を分析することは不可能です。
(1976年)

―芸術的な映像を解読することは出来ません―


私は象徴の敵です。

象徴は、読み解かれるために存在するという意味で、私には狭すぎる概念です。

それに対して、芸術的なイメージは読み解くことが出来ません。

芸術的なイメージは私たちを取り巻く世界と等価なのです。

『ソラリス』の雨は象徴ではありません。

特定の瞬間に主人公にとって特定の意義を持つ雨にすぎません。

しかし何かの象徴ではありません。

それは表出するだけです。

この雨は芸術的な映像です。

私にとって象徴は複雑すぎるものなのです。(1984年)


―人は、尋常な手段では把握できない諸力を表出することがある―

私の映画で、あれはどういう意味なのか、これはどういう意味なのかとしょっちゅう訊かれます。

我慢できないですよ! 

芸術家は自分の意図をいちいち説明する必要はないんです。

私は自分の作品について深く考えたことなんかないですよ。

私の象徴が何を意味するのか、私は知らない。

私は観客に、感情を、何らかの感情を誘発したいと願っているだけです。

誰もが、私の映画に「隠された」意味を見つけようと努力していますがね。

しかし、自分の考えを隠そうと努力しながら映画を作るのは妙じゃあないですか。
私のイメージは、イメージのままです、それを越えた何かを意味するわけではありません…

私たちは自分のことをそれほど知っているわけじゃないでしょ―
時折私たちは、通常の手段では把握できない諸力を表出するものなのです。(1984年)

―1日の間に起きた出来事を、ひとつひとつ、全部思い出して、スクリーンに映し出すなら、その結果はとても神秘的なものになるでしょう―


私の映画の神秘的な要素? 

スクリーンに映ったものは何でもすぐに理解できるべきだと誰もが思っているみたいですね。

私の意見では、私たちの日常生活の出来事のほうがスクリーン上に目撃できるものよりずっと神秘的です。

人生のたった一日の間に起きた出来事を、ひとつひとつ、全部思い出そうとしてそれを全部スクリーンに映し出すなら、その結果は私の映画[『ストーカー』]よりも百倍も神秘的になるでしょう。

観客はどうしようもなく単純なドラマに慣れてしまった。

実在の瞬間、真実の瞬間が銀幕に出現すると必ず、「訳がわからん」と叫ぶ声が聞こえるのです。

多くの人が『ストーカー』をSF映画だと思っています。

しかしこの映画はファンタジーに基づくものではなく、フィルムに定着されたリアリズムなのです。

その内実を3人の人物の人生の1日を記録したものとして、受容するようにしてみてください。

そのようなレベルでこの映画を見るようにしてください。

そうすれば複雑なもの、神秘的なもの、象徴的なものは何もないとお分かりになるでしょう。(1981年)
http://homepage.mac.com/satokk/about_symbol.html


映画監督の仕事に関して


私は、自分で書いていない脚本に基づく映画作りが想像できない。

他人の脚本に全面的に基づいた映画をつくる監督は、必然的にイラストレーターになるのだ。[…]

脚本というときそれが何を指すのか、脚本家という言葉そのものが何を指すのか、もっと詳しく説明してみよう。

「プロの脚本家」は存在するが、私に言わせれば実はそんなものは存在しない。
そういう人は映画をよく理解した作家になるか、(文学的素材を自分で組み立てる能力を発揮して)自分自身が映画監督になるべきだ。

なぜなら、脚本というような文学ジャンルは存在しないからだ。


今や私たちはジレンマに直面している。

脚本を準備しながら、監督が、映画に固定すべき具体的な時間群として自分が想像したものだけを、出来事とエピソードの形式で書き留めようと決心したとしよう。

文学作品と見なすなら、そういう脚本は、きまぐれな読者だけでなく、映画の仕事に関わるものには、無縁のものであり、理解不可能であり、まったく訳がわからないだろう。
また一方で、脚本家が自分の独自の考えを作家のように文学的形式で表出するなら、彼の作品はもはや脚本ではないだろう。

それは、たとえば、タイプされた70ページのストーリーになり、文学作品になる。
脚本家が撮影台本も準備しているなら、彼はカメラまで歩いていき、自分で映画を撮った方がいいだろう。

彼以外の誰も作品のヴィジョンを持っていないからだ。

彼以上によい仕事をどんな監督もすることができないだろうからだ。


だから、非常にすぐれた「映画らしい」脚本を与えられたなら、それを引き受けた監督は、やることが何もないだろう。

そして文学作品の形式で脚本が提供されるなら、監督はすべてを一から始めざるを得ないだろう。

監督が脚本に取り組みはじめると必ず、脚本は変わりはじめる。

どれほど深く、細部が出来上がった脚本であろうとも、そうだ。

監督は、脚本の鏡像、正確な逐語訳である映画を生み出すことは決してないだろう。
必ずある種の変形が生じるだろう。

だから、監督と脚本家の協働は、一般に闘いとなり、妥協を探ることになるのだ。
このようにしてよい映画を作ることは不可能ではない。

たとえ、準備段階で元々のアイデアがダメになって、監督と脚本家が古い「がらくた」に基づいて新たな概念を構築せざるをえなくなったとしてもである。


そうは言っても、映画作りで最も自然な流れは、アイデアを壊して変形させる必要がなく、その代わりに有機的にアイデアを展開させていくことである。

監督が自分で脚本を書く場合や、別の流れの時のように…脚本を書いたものが自分で映画を撮ろうと決心したときのように。[…]
手っ取り早く言うと、監督にとって唯一のよい脚本家とはよい「作家」であると私は思う。


________________________________________


ノート

タルコフスキーが『ソラリス』でレムの原作を大幅に変えてしまったこと、『ストーカー』でもまたストルガツキー兄弟と衝突してしまったことを、思い出すなら、この発言はさらに興味深いものになる。

まあ、こんなことを信条としているから、大騒ぎを引き起こすのだ。

映画になってしまうと、それはまさしくタルコフスキーの映画であり、原作を読んだから映画の理解が深まるというものではない。

タルコフスキーの映画はいつも自立している。

だから彼自身が自作に、特に『鏡』に新たなアプローチで言及することを楽しんだのだ。
http://homepage.mac.com/satokk/directing.html


オルガ・スルコワ:タルコフスキー・インタビュー

映画は、劇場とちがって…


俳優にとって、映画は生そのもののようなものであるべきだ:

映画は、謎、秘密、神秘であるべきなのだ

私の場合、劇場より映画のほうがやりやすい。

映画の場合、全責任が私ひとりにあります。

劇場の場合、俳優の責任が大幅に増すことになる。

俳優がセットに到着しても、俳優が監督のアイデアと意図を一から十まで知っておく必要は全くない。自分で自分の役をつくり出すと、まずいことすらある。

映画俳優は、監督が準備するさまざまな状況下で、自発的に直観的に行動すべきなのです。

監督の役割は、俳優を適切な精神状態に持ち込んで、俳優が完全に信じていられるように後ろ盾をしてやるように、気を遣うことだ。

やりかたにはいろいろなやり方がありえる。俳優のタイプにもよる。

役者を教導して、シミュレーション不可能な心理状態に持ち込むことが必要なのです。
このように、映画監督の役割は、役者が銀幕上で実存的な真実を表出するように、取りはからうことなのです。

カメラレンズの前で、俳優は真実で自発的な状態でいなければならない。
俳優は現存しなければならない。
高度に自然な様態で現存しなければならない。

それ以外で、監督がなすべき仕事は、映画の素材を実際に編集することだけなのです。
その素材は、カメラの前で実際に起きたことの単なるコピーです。

芸術映画のカテゴリーにとどまりながら、俳優のなまの存在が提供するように思われる観客との接触のレヴェルに達するのは不可能である。

それこそ、劇場のカテゴリーにおいて、きわめて魅力的な特徴なんですがね。

というわけで、映画は芝居の代わりにはならない。

この誤解は数年前には流行りましたね。

劇場は観客と舞台の間にこのような親密で直接的な関連を可能にするという…
映画は、無限の回数にわたって、時間のまさに同じ瞬間を、再創造する能力のお陰で存在する。

映画の本性がノスタルギアなのである。

劇場では、すべてが進歩する。生きて、動いていく。

劇場は、人間の創造する欲求を実現させるもう1つの方法なのだ。

映画監督は多くの点で収集家に似ています。
その愛着の対象ー映像ーは生そのものです。

彼にとってー親密な細部、部分、断片の膨大な量の中で永遠に凍り付いた生そのものです。

俳優がいようがいまいが、状況は変わりません…


バレットが言うように、劇場俳優は、雪を素材にする彫刻家になぞらえることが出来る。

俳優が肉体的に存在し、身体と魂において生きている限り、その間だけは芝居が現存する。

俳優がいなければ、劇場は存在しない。


劇場では、役者のひとりひとりが個人で、最初から最後まで、役の全部を造形して、芝居の全体の理念と文脈に対応して、自分の情緒をかたどらなければならない。

ところが、映画では、俳優が自分の知的能力を使って役を作りあげることを避けることが肝要だ。

その代わり、俳優の唯一の課題は、生そのものに私たちを接近させることだ。
つまり、俳優の仕事は、純粋であること、真実であること、自然であることなのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。

映画を撮るとき、私は俳優と出来るだけ話をしないようにする。

俳優自身が自分の個々のシーンを全体との流れでやろうとするのに、私は強く抵抗します。

時には、直前のシーン、あるいはその直後のシーンとの関連でも、ダメです。


例を挙げましょう。『鏡』の最初のシーンで、主演女優がフェンスに腰を下ろして夫を待ちながら煙草を吸うシーンでも、主役を演じたマルガリータ・テレホワが脚本の細部を知らないことを私は望みました。

つまり、夫が最後のシーンで帰ってくるのか、永久に去ってしまったのか、彼女は知らなかったのです。彼女が演じている女性がかつて、人生の未来の出来事を何も知らずに、存在していたのと同じ様態で、彼女にもその瞬間に存在していてほしいという思惑があって、なされたのでした。

もし女優が主役の亭主が二度と帰ってこないと知っていたら、状況の絶望ぶりを演技で前もって表出させていたことは間違いありません。

あるレヴェルで、たとえ潜在意識でなしたとはいえ、私たちはそれを察知したことでしょう。

これから起きることを自分が知っていることを、それに対する自分の態度を露わにしたことでしょう。そういう細部の知識は大きなスクリーンでは確かに隠しようがないからです。

この場面では、そういう細部を未熟なかたちでばらさないことが絶対に肝要でした。だから、実生活で経験するのとまさに同じやり方でこの瞬間を経験することがテレホワには必要だったのです。

彼女はこのように、希望をいだき、不信に陥り、また希望を取り戻すのです。「解決のマニュアル」に触れることはありません。

与えられた状況という枠組みの中でーこの場合、枠組みは夫の帰りを待つことにあるのですがー彼女は自分自身の個人的な生の何か秘密の一片によって生きざるをえなくなった。

幸運なことに私はそれについて何も知りませんがね。

映画芸術で最も重要なことは、俳優がその俳優に完璧に自然なやり方である状況を表出することです。つまり、その俳優の肉体的な、心理的な、情緒的なそして知的な性格に照応した様態で、ある状況を表出することです。

俳優がどのようにその状況を表出するかは、私とはまるっきり無関係です。
別の言い方をしましょう、私には俳優に何か特定のかたちを強制する権利はありません。

結局、私たちは皆、自分の完全に独自のやり方で同じ状況を経験しているのです。
この例外的な表出力こそ、比類ないものであり、映画俳優の最も重要な側面なのです。

俳優を正しい状態に置くために、監督は自分の内面でこの状態を明確に感知できなければなりません。このようにしてのみ、当面のシーンの正確な調子を見つけだすことが出来るのです。

例えば、よく知らない家に入って、前もってリハーサルしておいたシーンを撮影するのは不可能です。知らない人たちの住居になっている馴染みのない家は、私のキャストに何も意思疎通することが出来ないのは、言うまでもありません。

人間の経験可能で正確な状態こそ、映画の個々の特定のシーンで目指すべき核心的でかつ完全に具体的な目標なのです…

テイクの雰囲気を決定する魂の状態、監督が俳優に伝えたいと思う主なイントネーション、これこそ大切なのです。

俳優はもちろん、自分自身の方法を持っていなければいけません。

例えば、すでに触れたように、マルガリータ・テレホワは脚本の全体像を知らなかった。

彼女は自分自身の断片化された部分を演じただけでした。
出来事の帰結や自分自身の役のコンテクストを私が明かすつもりがないと探り当てたとき、彼女はひどく困惑しました…

まさしく、このようにして彼女が直観的に演じられた部分のモザイクを生み出し、それを後に私が全体像にまとめ上げたのです。

くり返しくり返し、私が役を把握しているということを完全に信頼することの出来ない俳優たちに出会ってきました。

何らかの理由で干渉を止めることができなかったのです。
彼らは私のアプローチをプロらしくないと思っていたのです。

そういう場合、私は彼らこそプロの俳優らしくないと思ってきました。

私の意見では、プロの俳優は容易にかつ自然に、目に見える努力も見せずに、どんなときでも、どんな指示でも受け容れて、あらゆる即興的な状況のなかで、個々の反応において自発的であることが出来なければなりません。


私も、そのタイプの俳優と仕事したいですね。
私に言わせると、それ以外の俳優は、型にはまった演技しかしない。

ルネ・クレールが俳優とどのように仕事をするのかと訊かれたことがありました。
自分は俳優と仕事をしない、ギャラを払うだけだと彼は答えました。

この逆説的で刺激的な考え方は、監督と映画俳優の間に存在する独特の関係に深い根を張ったものです。この名高いフランスの監督の言葉に含まれるように思われるシニシズムには、俳優という職業に対する深い敬意が隠されています。

ここには有能なプロに対する深い信頼が表明されています。
監督は、俳優にあまり向いていない類の人とだけ、仕事をすべきなのです。

しかし、アントニオーニの『情事』の俳優たちとの仕事、フェリーニとベルイマンの俳優たちとの仕事ぶり、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』の仕事ぶりについて、何が言えるでしょうか? 

彼らは全然仕事をしているようには見えません。

登場人物に関して独特の真実さを感じるだけです。

しかしこれは、質的に異なる、映画だけに言える、真実さなのです。

原則として、言葉の演劇的な意味での表現力とは区別しなければいけません。

映画俳優は、無垢でナイーヴな性格の持ち主でなければいけません。

誠実で率直でなければなりません。
無用な思慮にふけるべきではありません。
むしろ単純に信頼を寄せるべきなのです…

自分の役のことを、映画での自分の役割とその全体の出来映えを、ああだこうだと考え始めると途端に、ー私の考えではー最も大切で最も根本的なものを失ってしまいます。
監督でも、自分の探り当てようとしているものを正確に知っている監督でも、前もって結果を知っているわけではないのです。

分析的で、理詰めの傾向のある俳優が脚本の全体を知ると、最終的な映画を知っていると思ってしまう。少なくとも、映画の最終的な姿を必死で想像しようとする。
まるで、それが演劇作品であって、劇場の役をリハーサルし始めたのだと勘違いしてしまう。

ここで、最初の間違いを犯しているのです。


映画がどうなるべきが自分には分かっていると信じる俳優は、役に対する自分の考えに型を与え始めます。

そうなると、映画の全体がひどいことになる。
望もうと望むまいと、演技で、映画そのものの理念と映画芸術をダメにしてしまうのです。

すでに指摘したように、俳優によってやり方が変わってきます。

時には、同じ俳優でもケースによっては別の方法が必要です。

ここで、監督は望ましい結果に到達する試みで創意工夫が出来なければいけません。
こうやって話していると、『アンドレイ・ルブリョフ』で鐘職人の息子ボリースカを演じたニコライ・ブルリャーエフのことを思い出します。

撮影中私は助監督にしょっちゅう、彼に私は彼の演技に大いに不満で、別の俳優で撮り直さなければいけないかもしれないと言わせてました。

私は、彼に災厄が待ち受けているという感触を植え付けて、彼が不安な気持ちにさいなまれるようにする必要があったのです。

俳優として、ブルリャーエフはひどく集中力に欠けていてわざとらしい。
彼の場合、この映画で私が望んだ結果を得るのに私が成功したとは思えない。
結局、彼はあの映画に出演した私のお気に入りの俳優の演技レベルに達していない。
イルマ・ラウシュ、ソロニーツィン、グリンコ…

言いたいことを明確にするために、ベルイマンの映画『恥』を考察しましょう。
あの映画には俳優が監督の理念を「暴露する」エピソードはほぼ1つも存在していません。

監督の理念は、登場人物が生活を生きるその背後にすっかり隠れて、その中に溶けこんでいます。

俳優たちはこうした状況と完全に一致した演技をしています。

現在に対して何らかの理念を浮かび上がらせようとしたり、何らかの態度を示したりはしません。

こうした人々を善人か悪人かであっさり片づけることは出来ない。無理です。
ずいぶん深く、複雑なものです。

実生活と同じくらいに、そうです。
例えば、主役(フォン・シドー)が悪人だと、私はカテゴリー的に主張することはない。

たぶん全員が善人であり悪人の両方なのです。しかしそれは重要なことではない。


一番大切なことは、俳優にいかなる偏見の暗示も存在させない、そして監督が人間の選択の多様性を探求するために状況を利用するということです。
アプリオリに先取りされた何らかの理念を単に例証するだけではダメです。

マックス・フォン・シドーの見事な役の描き方に注目してください。

非常に繊細な人間、立派で優しい心根の音楽家をめぐって描かれます。
しばらくすると、彼が実は惨めな臆病者だということが明らかになります。

現実ではこういうことがありえるのですが、勇敢な人間が必ずしも善人でない、臆病者が必ずしも悪人でないということを忘れないでください。
そうです。彼は弱い性格です。妻のほうが彼よりもずっと強い。
妻もまた恐れていますがね。


彼女の強さは、困難を克服するのに充分です。
マックス・フォン・シドー演じる主人公は弱くて傷つきやすいために苦しみます。
そして困難を耐え抜くことが出来ない。

彼はあらゆる手段で困難を避けようとする。逃げ出そうとする。
自分の手でそこから身を守ろうとするーしかしナイーブに愚直に…

生きるために自分と妻を守らざるを得なくなると、彼はあっと言う間にイヤな奴になる。

かつては存在していた善良さを失ってしまい、それと同時に、この新しい特徴が彼の妻には必要なものになってしまう。
妻は保護と救済を夫に頼るようになる。
以前は夫を軽蔑していたというのに、そうなってしまう。

夫は妻の顔を殴打し、出て行けとわめくが、妻は夫にすがりつく。
「悪は積極的で、善は消極的だ」という古い諺の陰にある叡知が目に見えはじめます。

しかし、なんと複雑なやりかたでこれが表現されているのでしょう! 

最初、ベルイマンの主人公は鶏の首をはねることすら出来ない。
しかし自己防衛の手段を見いだすや否や、彼は残酷な冷笑家になる。
何も恐れない。ひたすら行動し、殺し、仲間の人間を助けるために指一本動かさない。

そういう暴虐に直面して嫌悪と戦慄を感じるためには高潔な人間でなければならないという事実を、私たちは話しているのです。

人間がこの戦慄を喪失すると、彼は自分の精神性を、自分の精神的な能力を喪失してしまう。

この場合、これらの人々にこの種の憎悪を引き起こしたのが戦争でした。
戦争は、彼の人間観を伝えるためにベルイマンが利用した装置になったのです。

ベルイマンの別の映画『鏡の中にある如く』で、この同じ役を果たすのが病気です。
俳優の役割を論じる私たちのディスカッションとこれを結びつけるために、私は次の事実を指摘したいと思います。

ベルイマンは、登場人物が投げ込まれた状況を俳優が「超越する」ことは決して許さないのです。

これは非常に重要です。

映画芸術では監督が、俳優に生命を吹き込まなければいけないー俳優を自分の思想を喧伝するメガフォンに変えてはいけない…

映画の観客にとって、映画のフレームの中で登場人物に起きていることは闇に包まれている。

人間のひとりひとりが壮麗な秘密のままであるーそれは実生活と同じですー
一般に探究しつくすことは決してありえない秘密なのです。

ところが、劇場では、儀礼そのもの、舞台の芝居、その背後にある理念こそ、その最終的表出において、無限に魅力的で、包括理解不可能な秘密であり続けなければならないのです。

劇場では、演出家自身の理念がキャストの演技の土台にあります。

映画では、演技の基礎は隠されていなければならない。

映画芸術は人間の生を反映するからです。

言うまでもなく、それはまず理解不可能なものなのです。

劇場の俳優は、知的に構築された儀礼で機能を満たします。

演出家の思念は役を演じる人間が舞台に目に見えて存在することによって伝えられます。

映画の場合、時間に固定された瞬間のひとつひとつが、実生活の最奥の存在の本質そのものを、いくらかなりとも、含んでいなければなりません。

映画術の逆説がまさにここにありますね、生きた魂が冷たく機械的な鏡に再構築されるという…
http://homepage.mac.com/satokk/surkowa.html

映画との出会い

映画が自分にぴったりだと最初から知っている映画監督もいる。
私には疑問点があった。あまり好みというわけではなかった。

技術的に大きな利点があることは分かっていたが、映画が詩や音楽や文学のような立派な表現手段だとは理解していなかった。

『僕の村は戦場だった』を撮った後も、私は監督の役割を理解していなかった。
もっと後になって、私は映画が霊的な本質を成就する可能性を与えてくれることを悟ったのだった。

映画について

映画は、2つの異なるタイプの映画を作る2つのタイプの監督に基づいている。
自分の生きている世界を模倣する監督と、自分自身の世界を創造する監督ー映画詩人だ。

そして、映画詩人だけが映画史に残ると私は信じている。
ブレッソン、ドヴジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤のように。

時間について


映画は時間という概念の中で動く唯一の芸術だと私は思う。
映画が時間とともに展開するからではない。

そういう意味なら他の芸術形式もある。バレエ、音楽、芝居がそうだ。
私が言うのは、文字どおりの「時間」という意味だ。
「アクション」と声をかけた瞬間から「カット」という瞬間までの、テイクとは何か。
実在、時間の本質を固定することだ。

永遠に巻いては巻きなおすのを許す時間の保存手段だ。
他の芸術形式ではそれが出来ない。
だから、映画は時間で出来たモザイクなのだ。

水について

私の映画には必ず水がある。
私は水が好きだ、特にせせらぎが好きだ。

海は大きすぎる。
怖いのではない。海は単調なのだ。

自然の中で、私は小さなものが好きだ。
マクロコスモスでなく、ミクロコスモス。

限られた表面。私は、日本人の自然観を愛する。
日本人は無限を反映した限られた空間に集中している。

水はその単一構造のために神秘的な要素である。
それに映画にぴったりなのだ。
水は動き、深さ、変化を伝える。水ほど美しいものはない。

色彩について

カラー映画はその黎明期にはリアリスティックに思えたが、今では袋小路に入ってしまった。

カラー映画は大きな間違いだ。

すべての芸術形式は真実を目ざし、それゆえに一般化、モデル理念を求める。

しかし生における真実は芸術における真実に照応していない。
色彩は私たちの外的な世界の生理学的かつ心理学的知覚の一部である。
私たちは色のある世界に生きているが、何かが色を意識させない限り、色に気づかない。

私たちは、この色のある世界を見ながら、色彩のことは考えない。
しかしカラーシーンを撮るとき、私たちは色彩を組織して、クロースアップでフレームに閉じこめて、それを観客に強制する。

私たちは観客にそういう絵はがきを何千枚何万枚と与えるのだ。

私にとって、モノクロのほうがカラーより表現力があり、リアリスティックだ。
なぜなら白黒は、観客の気を散らさず、映画の本質に集中できるようにするからだ。
カラーは映画芸術を嘘くさく、真実味をなくさせたと私は思う。


職業として、生き方としての映画作り

私は映画を創作するのを楽しむ。
スクリプトを書き、シーンを創造し、ロケ地を探す。

しかし撮影は面白くない。
いったんすべてを考えつくすと、実際に映画に仕立て上げる必要があるが、それは退屈だ。

私は自分の人生を映画と区別したことがない。
私はいつも重大な選択をせざるをえなかった。

多くの監督の作品は、自分の生き方と違う理念を表出している。
つまり、彼らは自分の良心を分裂させることができるのだ。
私にはそれができない。

私にとって映画は単なる仕事でない。映画は私の命だ。

観客について

私は観客の態度を気にしたことがない。

観客におもねるのは難しい。
役に立たないし不愉快なことだ。

映画の未来の成功を予言しようとする人もいるが、私はその手の輩ではない。観客に対する最良の態度は、自分自身であり続けることだ。
彼らが理解するような個人的な言葉を使うことだ。

詩人と作家は好かれようとはしない。
彼らはどうやれば読者が気に入るのか、知らない。
しかし、彼らは大衆が自分を受け入れるだろうと知っているのだ。
http://homepage.mac.com/satokk/remarks.html


タルコフスキーは語る 空中浮揚について

なぜ私はよく、空中浮揚のシーンを、浮き上がった身体のシーンを含めるのか? 

そのシーンが大きな力をもつからにすぎない。
このようにして、より映画的な、より映像的なものが創造できるのだ。

この観点から水が非常に重要になる。

水は生きている。深みがあり、動き、変化し、鏡のように反射し、私たちを溺れさせることも出来るし、私たちが飲むこともできるし、水で何かを洗うことも出来る、といったように…

また、水が不可分の実体であること、モナドであることは今さら言うまでもあるまい。

それと同じように、人が空中で浮揚しているのを想像するとき、私はそれが好きだ…
何か意味があると私は信じる。

少し頭の足りない人が私に、この前の映画でなぜ空中に浮かんでいる人々がいるのかと訊くなら、「魔法です」と答えるだろう。

もし同じ質問がもっと洗練された人から、詩的な感受性を備えた人から来るなら、アレクサンデルとマリアにとって愛は『ベッティー』の作者が考えているものと同じものではないのだと答えるでしょう。

私にとって、愛は相互理解の究極的な開示なのだ。
だから性交行為で示すことは出来ない。

映画に「愛」がなければ、それは検閲が原因だと、だれもが言う。
実は、スクリーンに映されているのは「愛」ではなく、「性行為」なのだ。

人間ひとりひとりにとって、それぞれのカップルにとって、性行為は個別のものなのだ。

それをスクリーンに映すと、状況は逆になってしまう。

「フランス・カトリック」1986年6月20日のインタビューから
http://homepage.mac.com/satokk/levity.html

自分をベルイマンと比較すると

私とベルイマンとの違いはこうだ。

私にとって神はもの言わぬ存在ではない。

あのスウェーデン監督の映画のオーラが『サクリファイス』に存在すると主張する人たちの意見に、私は全面的に反対する。

ベルイマンが神を語るとき、彼は沈黙する神、私たちと共にいない神の文脈で、そうするのだ。

だから私たちには共通点が何もない。ちょうど正反対なのだ。


主役の俳優がベルイマンとも仕事をしているとか、私の映画に残った風景を根拠にして、皮相な意見が提出されている。

そういう主張をする人たちはベルイマンのことを何も理解していないのだ。
実存主義とは何かを知らないのだ。

ベルイマンは宗教の問題より、キルケゴールに身近な存在なのだ。
(1986年6月20日のインタヴューから)


映画の音楽に関して

明らかに、音楽は私にとって非常に重要である。
重要なのは、私が撮影できた映像だけではない。

この映像のために、私はまさにバッハのこの抜粋が必要なのだ。
これが見つからなかったら、他のものでは代わりにならないし、第一に、あの映像を撮影しないだろう。このスウェーデンで私は、私に心躍る影響を及ぼした素晴らしい民俗音楽を発見しました。

この音楽を中心にして、私の新作の全素材が組織されます。

この音楽はフィルムに、伴奏として入るのではなく、情緒的な織物として入ることになります。
これもまた、いつものことですが。


音楽はフィルムと競います。

音楽は映画の有機的な要素になりえますが、映像を制御することも出来るのです。
これは深刻な問題です! 

音楽のないシーンは完全な別物です。
シーンは挿入される音楽で変わります。

純粋な映画は音楽なしで何とか出来るはずですが、それは全くの理論です。
音楽は映画の有機的な一部だからです。

音楽はシーンを説明する形式にとどまるものではないのです。(1987年発表のインタヴューから)


詩人について

詩とは何か。
詩は、世界を表現する、世界を思索する高度に独創的な様式です。

一般に人は、普遍的な世界観を表出することが出来ません。
そんなことは不可能です。

彼のヴィジョンはいつも断片的なものにとどまるでしょう。
詩人は、普遍的なメッセージを送り出すために一個のイメージを利用することの出来る人です。

ある人が、もうひとりの人のそばを通ります。
その人に視線を送ることは出来ますが、目に見ることは出来ません。
別の人が同じ人を見て、突然微笑みます。

はじめて見かける人が彼に連想の爆発を引き起こしたからです。
芸術の場合も似たようなものです。

詩人は小さな断片を出発点として、それを首尾一貫した総体に変えるのです。
この過程を退屈だと見なす人もいます。

そういう人は、重箱の隅をほじくるように、何もかもを知りたがる人です。
税理士や弁護士みたいにね。

ところが、詩人には、靴下の穴から飛び出した親指を見せればいいのです。
彼に全世界の映像を生み出すのにはそれで充分です。(1984年のインタヴューから)


『サクリファイス』を含む後期の作品について

『サクリファイス』からシークェンスを選び出して、舞台脚本が出来ないか、ですって? 

出来るかも知れませんが、別の2作、『ソラリス』と『ストーカー』のほうがもっと適していると思いますね。ただし、そういう戯曲は、もったいぶって、弱いものになるでしょう。

私にはフィルムであるということが重要なのです。

なぜなら映画は観客の時間とリズムを勘定に入れていないからです。

フィルムはそれ自身のリズムと時間を持っています。
映画を舞台に脚色すると、映画の内側に含まれた時間というこの非常に重要な問題が無視されるのです。

そういう脚本は成功しませんね。


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私は何であれ偶然に任せるのは嫌いです。

最も詩的な映像すら、最も無垢な映像すら、偶然には出現しません。

『サクリファイス』は私にとって最も首尾一貫した自作です。
この首尾一貫性の感覚は、人を狂気の淵にまで追いやることができます。
そういう意味で『サクリファイス』は私の初期のフィルムとは比較できません。


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現代人の世界に対する私の洞察という視点から考察すると、『サクリファイス』は私の他のフィルムより優れています。

しかし、芸術的な、詩的な創造としては、『サクリファイス』より『ノスタルギア』のほうを私は高く評価します。

『ノスタルギア』はなにものにも支えられていません。

それ自身の詩的な映像によってのみ存在しています。
それに対して『サクリファイス』は古典的なドラマツルギーに基づいています。
だから私は『ノスタルギア』のほうを身近に感じるのです。(1986年)

http://homepage.mac.com/satokk/sundry.html


1982年9月9日にチェントロ・パラティーノで開催された「映画泥棒ー国際的陰謀」会議で、タルコフスキーは自らの理念を披露した。

彼は『七人の侍』『少女ムシェット』『ナサリン』『夜』のクリップを映した。

彼に影響を及ぼしたのではなく、彼に最も決定的な印象を刻印した映画である。

以下は彼の話のあらましである。


アンドレイ・タルコフスキー:

「影響、何か流れ込んできたもの、すなわち相互活動の問題は複雑です。

映画は真空では存在しません。

つまり共に働く仲間がいて、その影響は避けられない。

それでは影響、流れ込んできたものとは何でしょうか。

自分の働く環境や共同する人々の選択は、芸術家にとって、レストランで料理を選ぶようなものです。

黒澤、溝口、ブレッソン、ブニュエル、ベルイマンそしてアントニオーニが私の仕事に与えた影響について申し上げますと、『模倣』という意味では何ら影響はありません。

つまり私の観点からは、そんなことは不可能です。

何故なら、模倣は映画の目指すものとは何ら関係ないからです。

自己を表現する自分の言語は自分で発見しなければならないのです。

ですから、私にとって、流れ込んできたものというのは、私が賛嘆し高く評価する人々と共にいるという意味なのです。」


「もしフレーミングやシークェンスに他の監督の反響があると気付いたら、そのシーンは避け修正するように努めています。

こんなことはめったに起きないのですが、『鏡』から例を引きましょう。

私は主人公が室内にいてその母が隣の部屋にいるフレームを採りました。

二女性のクロースアップです。

パノラマショットで、女が鏡を見ながらイヤリングをつけてみて、母もまた鏡を覗き込んでいます。

実際シーン全体は鏡に映ったかのように撮られています。

ところが、実は鏡は存在せずに、女性はキャメラを直に見ているだけなのです。

つまり鏡がある錯覚がある。

この類いのシーンはベルイマンにそっくりのものがありうると気が付きました。

けれども、やはり、そのままで、私の同僚ベルイマンに謝意を表明し、肯定する証として撮ることに決めました。


「このリストにドブジェンコも追加しなければなりませんが、これまでに挙げた監督がいなければ、映画は存在していないことでしょう。

誰もが自分のオリジナルの様式を当然探していますが、もしこれらの監督がコンテクストや背景を与えてくれなかったなら、映画はいわゆる同じ映画にはならないでしょう。

現在多くの映画作家が非常に厳しい時代を経験しているようです。

イタリアの映画は窮地に落ちています。

私のイタリアの同僚たちは、私は映画で最も名声のある監督の幾人かについて語っているわけですが、イタリア映画はもはや存在しないと言いました。

もちろん、映画の観客がこの主な原因です。

久しく映画は大衆の趣味を追ってきましたが、今や大衆はあるタイプの映画は見たくないのです。

実際なかなか良いものなのに、敬遠するのです。


「映画監督の範疇には基本的に二つあります。

一つは、自分が生きている世界の模倣を求める人々で出来ています。

もう一つは自己の世界の創造を求める人々で出来ています。

第2の範疇には幾多の映画詩人が含まれます。ブレッソン、ドブジェンコ、溝口、ベルイマン、ブニュエル、黒澤という映画史上最も大切な人たちです。

これらの映画作家の作品の配給は難しい。

その作品は作家の内的霊感を反映しているので、これが必ず大衆の趣味とぶつかるのです。

映画作家が観客に理解されたくないという意味ではありません。

そうではなくむしろ作家自身が観客の、観客も気付いていないような内的感情を捕らえ理解しようとしていると言った方がよいでしょう。


「映画の直面している現在の苦境にもかかわらず、映画は芸術形態であり続けます。

芸術形態の一つ一つが個別のもので、他の芸術形態の本質に含まれない内実を担っています。

例えば、写真は、カル ティエ=ブレッソンの天才が実証しているように、芸術形態になれますが、写真は絵画になぞらえることは出来ません。

何故ならば絵画と競合しているわけではないからです。

映画作家が自問しなければならない問いは、何が映画を他の芸術と区別するのか、ということです。

私にとって映画は時間の領域を包括する点で、他に見られない独創的なものです。

音楽や芝居やバレエのように、時間の中で生起するという意味ではありません。

文字どおりの意味での時間です。

フレームとか、「アクション」と「カット」の間のインターヴァルは一体何でしょうか。

映画は時間の観点で実在を固定します。

フィルムは時間を保持する手段なのです。

これほど時間を固定し停められる芸術形態は他にありません。

フィルムは時間で出来たモザイクです。

そのためにはもろもろの要素を集約する必要があります。

3、4人の監督やカメラマンが1時間同じものを撮影したと想像して下さい。

一人一人独自の映像になるはずです。

結局出来上がるのは、3つか4つ全く異なるタイプのフィルムです。

なぜなら、一人一人がこれは捨て、あれは残してと選択して自分のフィルムを作るからです。

そうして、映画に関わる時間を固定する作業をしているにもかかわらず、監督は必ず自分のマテリアルを磨いて、それを通して自己の創造力を表現出来るのです。

「美意識の観点から言いますと、映画は今ひどい時代にあります。

カラーで撮影するのが、可能な限り実在に迫る手段だと考えられているのですから。

私はカラーは袋小路だと思っています。

あらゆる芸術形態は真理に到達して、一般化した形態を得るために苦闘しています。

色彩を使うのは人が実在世界をどのように知覚するのかと関係しています。

カラーであるシーンを撮影するのは、必然的に、フレームを有機的に構成し、このフレームに囲まれた世界の総ては色彩の中にあり、しかも観客にこの事実を自覚させねばならないという事なのです。

モノクロの利点は、その表現力が強烈で、観客の関心を脇にそらさないということです。


「カラー映画にもすぐれた表現様式の例があります。
でも今述べた問題に気付いている監督のたいていは、必ず白黒で撮影する努力をしています。

誰も、カラーフィルムで新しいパースペクティブを創造したり、白黒ほど効果的パースペクティブを作り出すのに成功したためしはないんです。

イタリア・ネオリアリズムが重要なのは、日常生活を掘り下げることによって映画に新境地を開いたという事実からだけではなくて、本質的に言うと、モノクロームでその探求がされたからでもあるのです。

人生の真理は必ずしも芸術の真理に照応していません。

だから今やカラーフィルムは純粋に商業的現象になりさがったのです。

映画は色彩を通して新たなヴィジョンを創造しようとする時代を通って来ましたが、結果は不毛です。

映画は体裁ばかり飾るものになってしまいました。

つまり、私が今見ているような映画は全然立場の違う人には全く違ったものになっているのです。

今ご覧に入れている映画のクリップは、私の心に一番近しいものを表象しています。

ある思考形態の実例であり、この思考がどのようにフィルムを通して表現されるかの実例です。


ブレッソンの『少女ムシェット』で少女が自殺を図るその様子は特に驚異的です。


『七人の侍』の一番若い侍が怖じけづくシークェンスで、黒澤がこの恐怖感をどうやって伝えているでしょう。

若者は草むらで震えていますが、身震いしている姿は目に見えません。

草むらと花々が震えている、揺れているんです。

ここは雨中の決戦です。

三船敏郎演ずる菊千代が死ぬとき、倒れた彼のその脚は泥に埋もれてします。

こうして私たちの目の真ん前で菊千代は死んでしまいます。

ブニュエルの『ナサリン』の、傷付いた娼婦がナサリンに助けられて、椀から水を飲む姿です。

アントニオーニの『夜』の最後のシークェンスは映画史上、ラブシーンが必然となり精神的行為の似姿を取った唯一のエピソードかもしれません。

肉体が相手の近くにあるのが大きな意味を秘めた独創的なシークェンスです。

2人ともお互いに対する感情は涸れ果てているのに、それでも相手の身近にいるのです。

ある友人が昔こう言いました。

夫と5年以上もいるなんてまるで近親相姦よ。

2人がお互いの近くから逃れる出口はありません。

お互いがまるで死に瀕しているかのように、死に物狂いで相手を救おうとしている姿です。


「撮影を始めるときは必ず、『私の仲間』と思っている監督のフィルムを見ます。

模倣するためではなく、彼らの醸し出す雰囲気を味わうためにです。

今お見せしているクリップがみんなモノクロームなのも偶然ではありません。

監督が自分に身近なものを何か掛け替えのないものに変容しているからこそ、これらは重要なのです。

しかもこれらのシーンは日常生活の出来事とは似ていないという点で独創的です。

ここには偉大な芸術家の刻印があり、私たちに彼らの内世界を垣間見せてくれるのです。

これらのシーンの総てが、娯楽を与えるよりはむしろ美を保持することによって、観客の欲求に応じるのです。

今日この種の主題を扱うのは困難を極めています。

そんな話をするのすらほとんど馬鹿げていると言えます。

誰もそんなものにはびた一文払わないでしょう。

でも映画が存在し続けているのは、これらの詩人たちのお陰なのです。

「映画を作るには金が必要です。

詩を書くのに必要なのはペンと紙だけです。

これが映画の不利なところです。

でも映画は屈さないと私は思います。

万難を排して自己の映画を実現する努力をする監督全員に、私は頭を垂れます。

実例としてクリップをご覧戴いた映画は皆、固有のリズムを持っています

(最近は、たいていの監督が快速で短いシーンを使い、カッティングとスピードのある監督こそ本当のプロだと思われています)。

真の監督なら誰でもその目的は、真理を表現することなのですが、そんなのはプロデューサーの知ったことでしょうか。

1940年代にアメリカでストレスのかかる職業をランク付けする調査がありました。

広島に原爆が投下された時代ですから、パイロットが1位を占めました。

2位が映画監督です。監督になるのはほとんど自殺行為というわけです。
「私はヴェネチアから帰ったばかりです。

そこの映画祭の審査員をしたので、現在の映画の完全な退廃を証言出来ます。

ヴェネチア映画祭は悲惨この上ないものだった。

ファスビンダーの『ケレル』のような映画を理解し是認するには、まるっきり異なる類いの精神性が必要だと、私は信じます。

明らかに、マルセル・カルネは私よりずっとそれを是認していましたが。

私は、それは反芸術的現象の現れだと思います。

その関心は、社会学的で性的な問題にすぎない。

ただファスビンダーの最後の作品だというだけで、あの映画が受賞するのは恐ろしく不当なことではないでしょうか。

ファスビンダーは『ケレル』よりずっと良い映画を作っているはずです。

けれども、映画の現在の危機は重要ではありません。

なぜなら芸術は絶えず危機の時代を通り過ぎてはそこで復活するからです。
ただ映画が作れないからと言って、映画が死んだということにはならないのです。


「最良の映画は、音楽と詩のはざまにあります。

映画はどんな芸術形態にも比肩する高いレベルに到達しています。

芸術形態として自らの姿を具体化しています。

アントニオーニの『情事』は随分昔の映画ですが、今日作られたばかりという印象を与えます。

本当に奇跡的な映画で、ちっとも古ぼけていません。

まあ今日作られるような類いの映画ではないかもしれませんが、それでもとても新鮮です。

イタリア人の同僚たちはとても悪い時代にいます。

ネオリアリズムも偉大な監督たちも去ってしまったように見えるし、プロデューサーはドラッグの売人みたいなもんですから。

金儲けだけを考えているんですが、長続きはしないでしょう。

イタリアで上映されている『ソラリス』は私の映画ではないと言いたいです。

でもその配給会社はもう潰れてしまいました。たいていの配給会社の運命じゃないですか。」

http://homepage.mac.com/satokk/at_in_italy.html

タルコフスキーが選んだ映画ベストテン

1972年4月のあのうす暗い雨降りの日のことはよく覚えている。

私たちは開いた窓辺に腰を下ろして、いろいろなことについて話していたが、話の矛先はオタール・イオセリアーニの『歌うつぐみがおりました』に向いた。

「良い映画だね」とタルコフスキーは言ったが、すぐに「ただちょっと、うーん、ちょっとね…少し…」と言葉を継いで、そのまま目を細めて何も言わなくなった。

一瞬内面に集中した後、彼は爪をかみながら、きっぱりと言った。

「そうじゃない!ちがう。とても良い映画だ!」


お気に入りの映画を10本ばかり選んでみないかとタルコフスキーに言ったのは、この時だった。

彼は私の提案を非常に真剣に受け取り、数分間、頭を垂れて一枚の紙に向かい、深いもの思いに沈んでいた。それから監督の名前のリストを書き始めたー

ブニュエル、溝口、ベルイマン、ブレッソン、黒澤、アントニオーニ、ヴィゴ。

しばらく経ってから、ドライヤー。

次に映画のリストをつくり、順番をつけて注意深く並べた。

リストは出来上がったように思えたが、突然不意に、タルコフスキーは新たなタイトルを加えたー

『街の灯』。

彼が作成したリストの最終版はこうだ。


田舎司祭の日記
冬の光
ナサリン
野いちご
街の灯
雨月物語
七人の侍
ペルソナ
少女ムシェット
砂の女(勅使河原宏)

リストをタイプし、"16.4.72 A. Tarkovsky" と署名すると、私たちはまた話に戻ったが、彼はごく自然に話題を変えて、穏やかなユーモアを交えて、どうでもいいようなことについて話し始めた。

20年経って、今日リストを眺めると、彼の選択が芸術家タルコフスキーを何と明確に特徴づけているかに驚かされる。


さまざまな監督がさまざまな雑誌で示した数多くのベストテン・リストと同様に、タルコフスキーのリストは目覚ましい啓示である。

その主な特色はー『街の灯』を除けばー選択の厳格さにある。

30年代、40年代のフィルムは、サイレントを含めて1本もない。


その理由は、タルコフスキーが、映画誕生後の50年を、彼にとって真の映画作りであるものの序奏と見ていたということだ。

ドヴジェンコとバルネットの両者を高く評価していたが、リストにソヴィエト映画が1本もないことから察するに、真の映画作りはソ連以外のところで行われているとタルコフスキーは見なしていたのかもしれない。

この点を考察するとき、ソ連の映画監督としての経験から、タルコフスキーがたえず論争に巻きこまれていたことも忘れてはいけないだろう。


タルコフスキーにとって、問題は映画監督の芸術がどれほどの美を達成するかにあるのではなく、芸術というものが到達しうる高みにあった。

『アンドレイ・ルブリョフ』の監督は、彼のすべての作品において最も深遠な精神的緊張と究極的な実存的自己露出を目指していて、この目的と両立しえないものはどんなものでも拒否する覚悟があった。

3本のベルイマン映画を含む彼のリストは、監督としても観客としても彼の趣味をまぎれもなく映し出している。

しかし後者は前者に従属するものであるのだが。

彼のベストテンをまとめるやり方が示すように、このリストはタルコフスキーのお気に入りの映画のリストにとどまるものではない。

それと等しく、お気に入りの監督のリストでもある。


タルコフスキーとベルイマンの「選択親和力」は、大昔に気づかれていたのだ。

『サクリファイス』のはるか前のことである。

ところで、ブレッソンの映画は偶然リストのトップに来るのではない。

つまり、タルコフスキーはブレッソンを至高の創造的個我と見なしていた。


「ロベール・ブレッソンは私にとって、真のそして純粋な映画監督の模範です…

彼は芸術というものの高次の客観的な法則にしか従いません…

ブレッソンは自分自身であり続け、名声がもたらすあらゆる圧力に屈することなく生き残った唯一の人物です。」

リストに『街の灯』が不意に現れるのも同じように説明できると私には思われる。

タルコフスキーにとってもっとも重要なことは、作品が映画芸術として成功しているとか、それが哲学的洞察を提示しているといったことではなく、むしろ、映画監督としてチャップリンが成し遂げた自己実現の包括的な性質であったのだ。


「チャップリンはいささかの疑惑の影もなく映画史に刻まれた唯一の人物です。

彼が残した映画は古くなることはありえません。」


タルコフスキーのベストテン映画の本質は、作家映画の担い手としての自己を宣言するものにほかならない。
http://homepage.mac.com/satokk/topten.html

人生には幸福よりも大切なものがある…


アンドレイ・タルコフスキーは私たちの生活における精神性と芸術の占める位置について語る


主に彼の映画に対する興味から、また彼が西側にとどまると最近公式に決定をしたためでもあろうか、数多く集まった聴衆を前にしながら、タルコフスキーは自分の映画についてほとんど全く触れることもなく話を進めた。

その代わりに、彼は現代芸術の現況を分析し、近代社会の発達に
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2022/08/22 (Mon) 18:41:33

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