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世界最初の農耕文明を作った長江人の末裔の現在

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2022/08/16 (Tue) 12:32:27

世界最初の農耕文明を作った長江人の末裔の現在

落合信彦による中国貴州省の苗(みゃお)族のルポタージュ
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68906846.html


今では現役を引退している落合氏であるが、昭和から平成の半ばくらいまでは、ビール会社のTV広告に起用されるくらい人気のある物書きだった。この大物ジャーナリストは、廃刊になった雑誌『SAPIO』でも採用され、「誰も見なかった中国」という連載を持っていた。昭和世代の読者なら、落合氏の十八番(おはこ)である「JFK」本を知っているはず。彼の本はエンターテイメントなのか、ノンフィクションなのか、ちょっと判らないけど、ベストセラー作家であったことだけは確かだ。

  この落合氏は「国際ジャーナリスト」を称していたから、現場取材に力を入れていたのだろう。(当時の日本はまだ景気が良かったから、出版社も取材費を出してくれたのかも知れない。) 彼は貧乏で名高い貴州省に赴き、ド田舎に棲む少数民族を取材した。「渾身のルポタージュ」に燃える落合氏は、貴州省にある「文明村」と呼ばれる地域を訪問し、そこに暮らす苗(みゃお)族の人々と邂逅(かいこう)した。落合氏のツアー・ガイドは、苗族自治県の副県長を務める30歳の役人、布依(ぷい)族の楊玲(やんりん )という女性だった。

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(左 : 昔の支那に住んでいた普通の子供 / 右 : 近代化以前の支那大陸に暮らす典型的な民衆 )

  通訳ガイドを伴った落合一行は、日本の乞食でさえ敬遠する寒村、別の言い方をすれば、ボロ小屋がズラリと並ぶ秘境へと到着した。支那は昔から贅沢と貧困がごちゃ混ぜの社会で、この村は絢爛豪華な都市部とは違う「裏世界」であった。案の定、落合氏が乗っているクルマを広場に駐めると、村人や子供達が物珍しそうに寄って来たそうだ。楊玲(やんりん)によれば、この村では外国人というのは珍しく、始めて見る村人ばかり、であるらしい。確かに、こんな辺疆だと普通の観光客は厭がる。

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( 左 : 現在でもある貧しい農村 / 右 : 元気が無い支那人の子供達 )


  落合氏は楊氏の案内で村の小学校を見学したという。しかし、「学校」といっても、それは薄汚い炭焼き小屋ていどの代物で、雨風が続けば崩壊しそうなほの“あばら屋”だ。よくカトリック教会の宣教師がアフリカの奥地に「校舎」を建てるけど、あれと同等か、それ以下の建築物である。

  昔、『インサイダー』編集長の高野孟(たかの・はじめ)が北京政府に招かれて支那人に感動していたけど、落合氏も“純朴”な支那人に会って喜んでいた。このジャーナリストは貧しいけど勉強に励む子供達に出逢ったそうだ。落合氏曰わく、

  校長先生が生徒たちを見る目なざしが実にいい。無制限の愛情で生徒たちを包み、生徒たちもその愛情を信じきっている。中国版“二十四の瞳”といった感じだ。 (落合信彦「誰も見なかった中国 第二回、汚水を飲み、字が読めずとも・・・中国版“二十四の瞳”を目撃する」、『SAPIO』 1997年7月9日号. p. 28. )

  えぇぇぇ~、こんなのは1960年代に支那を礼讃していた「進歩的文化人」の言葉と同じじゃないか ! まさか、1990年代の総合雑誌で活字になるとは思わなかった。でも、東京の下町で育った落合氏は、貧しかった少年時代の自分と少数民族の子供達を重ね合わせたのかも知れない。落合氏は校長を務める馬啓坤(ま・ちくん)の言葉を紹介した。

  この子供たちを見て下さい。彼らはこの国の将来なんです。その将来を作る手助けを私はしている。この喜びと充実感は何物にも代え難いものです。(上掲文、p.28)

  いやぁぁ~、支那人はアホな日本人を丸め込むのが本当にうまい。落合氏によれば、この校長先生(45歳)は、30歳まで人民解放軍の将校として働いていたという。もしかすると、馬校長は少数民族を管理する「お目付役」だったのかも知れない。とにかく、支那人というのは伝統的に人を騙すのが上手で、10歳の子供だって驚くほど老獪だ。それゆえ、普通の家庭に育った人でも遣り手の詐欺師になれるし、報酬次第では破壊工作員や産業スパイにもなれる。人民解放軍の元軍人からすれば、日本のジャーナリストなんて赤子と同じだ。ちょいと「お涙頂戴話」を聞かせてやれば、日本人は直ぐ涙を流して感動する。全国紙の論説委員もそうだけど、日本の知識人というのは本当にチョロい。

  村の子供達や教師に感動した落合氏は、次のように感想を述べていた。

  あくまでも柔和なその表情を見ながら、私は以前見たあるイギリス映画の一場面を思い出していた。その映画の中で卒業する生徒が教師に本を贈るのだが、そこにある文章を書き添える。“やさしきわが教師の目なざしは遠き神のごとし”。子供たちのためならどんな犠牲もいとわない良き教育者はどこの国にもいるものだと改めて感じさせられた。(上掲文、 p. 28.)

  「学校」を後にした落合氏は、次の取材先に向かったようで、彼は偶然案内された村で、ある大きな溜め池を目にした。ただし、そこにはゴミや糞尿、生活排水が流れ込んでいた、というから目を背けたくなる。落合氏は案内人の楊玲に向かって、「まさか、住民はこの池の水を飲むんじゃないでしょうね?」と尋ねた。すると楊玲はバツが悪るそうに答えた。

  飲み水はここの他にないんです。住民にはゴミを捨てたり排泄物を投げ込んではいけないと言っているのですが、中々やめないのです。衛生観念というものを持っていないのです。それを教え込むのもわれわれの仕事なのですが、たやすいことではありません。(上掲文、pp.28-29.)

  落合氏は「濾過したうえで飲むのだろう」と推測したが、仮に濾過したとしても、こんな水は小便と同じで、見ただけでもゾッとするから、日本人では絶対に口にできない。(支那大陸の水に関しては、拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で紹介した「漱石が飲んだ塩っぱいお茶」<pp.103-105>を読んでね。)

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(左 : 現代支那で生き抜く子供達 / 右 : 片田舎に住む現在の支那人児童)

  支那人の飲料水に驚いた落合氏は、次に石造りの民家に案内され、その悲惨さに目を奪われた。家の中では豚が飼われており、台所には大きな鍋がある。その中には、残飯らしきモノがあって、酸っぱくなっていた。鼻を突くような臭いがしたそうだ。家の中では豚を飼っており、囲っている場所の直ぐ側には梯子がある。その梯子を登ると板を通しただけの二階があったそうだ。ここは寝室になっていたが、ベッドも無ければ布団も無い。有るのは板の上に敷いた空の肥料袋だけ。つまり、ビニールの袋が敷いているだけ、というのだ。しかも、それが「毛布代わり」となっていんるだから驚く。今にも抜け落ちそうな板で睡眠をとるんだから、貧乏な支那人は忍者よりも凄い。(『カムイ外伝』には奇想天外な事件や残酷なシーンがあったけど、あんなのは支那だと普通にある。)

  おもむろに落合氏が「トイレは何処か?」と校長に尋ねたら、「豚の囲いの上から落とす」という答えが返ってきた。つまり、豚が人糞を食べるという訳だ。まぁ、支那人が群れる暗黒大陸だから仕方ないけど、支那人の牧畜というか、食材の育成方法には常識を越えた秘訣がある。でも、落合氏にはショックのようだった。落合氏曰わく、

  そういった豚をレストランで食べると思うと、急に食欲が減退してしまう。(上掲文、p.29.)

  中東アジアや南米を取材する「現実派」の国際ジャーナリストであったはずだが、意外にも落合氏は涙もろい性格を持っていた。彼が村を去る時、乗ってきたクルマへ戻ると、子供達が集まってきたそうだ。こうした子供達を目にする落合氏は、小説家のような感想を述べていた。

  身なりは衛生的とはほど遠いが、着ている服がカラフルなためか極貧状態のま真っ只中にいるという悲壮感や惨めさは全く感じられない。それどころか子供独特のバイタリティとエネルギーを発散している。今の日本の子供たちよりもはるかに元気だ。(上掲文、p.29.)

  確かに、支那人の子供は「バイタリティー」や「エネルギー」に満ちているのかも知れない。だが、それは何らかの「利益」を求めているからだろう。たとえ少数民族でも、支那大陸で育つ子供は、皆支那人的になる。だから、日本からやって来た取材記者に出逢えば、「何かもらえる」と彼らが考えても不思議じゃない。例えば、チョコレートやキャンディーを恵んでもらえばラッキーだ。去りゆく落合氏にみんなが群がったのは、最期までチャンスを諦めない、という根性があったからだろう。


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( 左 : 田舎の学校で勉強に励む支那人の子供達 / 右 : 授業を真剣に聞く子供達)

  ところが、落合氏は計算高い子供を疑わず、逆に彼らの素朴さを称讃する。彼はパソコンやゲームに興じる日本の子供と、貧困に喘ぐ支那人の子供とを比較していた。

  物質的にはるかに豊かな彼ら(日本人)だが子供らしい元気さがない。もう片方(支那人)は、まともな黒板さえ教室になくノートブックさえもない。そして、いつ崩れるかわらない校舎で学んでいる。しかし、彼らの顔は精気に満ち、目が輝いている。彼らにくらべると日本の子供たちは行儀が良くおとなしい若年寄に見えてしまう。(上掲文、p.29.)

  もう、こうした現地レポートを読むと、呆れてモノが言えなくなる。こんな「ルポタージュ」の原稿を読んだ『SAPIO』の編集者は、「さすが、落合先生 !」と褒めたのか? 本当は、「あぁ~、こんな原稿よく書けるなぁ~。恥ずかしくないのか?」と馬鹿にしたんじゃないか? 昔、「CIAの友人がいる」という落合氏の文章を読んだことがあるので、筆者はSAPIOの編集者に尋ねたことがある。すると、答えてくれた編集者は笑いながら、「そうかも知れませんよぉ~」と述べていた。筆者の方も編集部の内情を察したので、「そうですかぁ~、さすが落合先生ですねぇ~」と笑いながら感謝の意を返した。

  まぁ、JFKの本を書いた時も、落合氏は「危ないハッタリ」を噛ましていたから、支那レポートがちょっとヘンでもおかしくはない。『SAPIO』は真面目な雑誌であったが、「商売」の側面を持っていたので、どうしても「エンターテイメント」の要素を混ぜなければならないのかも。今では懐かしい落合信彦。今、彼の著書は古本業界でどう評価されているのか。
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