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そして5人は帰らなかった 1994年 2月 吾妻連峰・雪山遭難を辿る

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2022/06/09 (Thu) 10:10:18

そして5人は帰らなかった 1994年 2月 吾妻連峰・雪山遭難を辿る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A65%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%B8%B0%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F+++%E5%90%BE%E5%A6%BB%E9%80%A3%E5%B3%B0%E3%83%BB%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E9%81%AD%E9%9B%A3%E3%82%92%E8%BE%BF%E3%82%8B  



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[吾妻連峰・雪山遭難をたどる~そして5人は帰らなかった~]
(NHK教育TV・平成6年5月__初回放送)

パーティ構成

男性2人、女性5人(60代~40代)

「リーダー」は登山歴30年、ガイド資格もある男性。吾妻連峰は13回目の登山。

霧の平分岐点の杭は過去3度確認している。

「サブリーダー」的存在のもう1人の男性も、登山歴こそリーダーより少ないもの
の、吾妻連峰へは何度か来ている。

女性5人も山は一通り経験済みで、いわばベテランの登山パーティである。


H6 行動 捜索その他

2/11祝日

07:16 上野発東北新幹線あおば
予定では、やまびこに乗り、30分早い福島駅着のはずだったが、空席なし

09:19 福島駅着
スキーキャリア付きの車を手配するのに30分程予定外に費やす。
道路凍結の為、登山口までは車で行けず、途中車を降りた。
結局、運転手さんの薦めていたスキー場のリフトを利用する為、戻る。
強風の為、リフト4本中、2本目と4本目は動いていなかった。

しかたなくリフトを傍にみながら登るが、途中4本目のリフトが動き出した。
4本目のリフト乗り場で登山計画書の提出を受付けていた為、それに気づかなかった。

13:00 登山口着

15:00 慶応吾妻山荘入口(山荘まで340m)に先頭メンバー到着
大分遅れるメンバーもいた。
予定を変更し、「慶応吾妻山荘に泊ろうか?」というやりとりがあったが、
家形山避難小屋をめざす。

16:00 家形山避難小屋到着
他に宿泊客のいない、避難小屋での宴会がはじまる。
避難小屋備え付けのスコップで焼くステーキがメインメニュー
ラジオの天気予報を聞く事はなかった。
慶応山荘では気象状況から、明日は下山するよう宿泊客にすすめていた。
2組下山。1組早朝出発

22:00 宴会終了


2/12(土)

晴間もみえる。小雪がちらつく程度。風ほぼなし。
(気圧配置の偶然による一時的好天)

「天気が悪ければ帰ろう」と考えていたが、この偶然により何の不安
も持たずに出発。 東京は朝から25年ぶりの大雪

08:35 小屋を出発。 山のガイド本では冬以外は1時間で滑川温泉着のコース

12:00 白浜の尾根着。2km先の霧の平をめざす。
メンバーのスキーの滑り止め用シールがはがれるなど、足止めをくう。
分岐点の杭がみつからない。

18:00 ビバーク決意。
雪のくぼみに銀マットを敷き、ビバーク。(-10℃以下)
メンバーに疲れはあるが、この時点ではまだ余裕があった
2/13

(日) 猛烈な吹雪(日本中で30人が一時的行方不明)

白浜の尾根まで引き返す。
身体ごと風にとばされ、前進できないので、比較的風の弱い東側を行く
雪が深く、男性2人でラッセルしてもほとんど進めなくなった。
再び尾根に戻り、スキーを外し、這って進む。

6人がやっと尾根を通過したが、1人止まっている。
リーダーが救出に向かい、ザックを受け取り、尾根を渡る。
まだ、動けないでいるため、再度救出に向かう。

意識を失ったので、シュラフに入れ、全員で引っ張る。
しかし、どうしても尾根を渡りきれない。
コッヘルで雪堂を掘る。


22:00、3つの雪堂をやっと掘り終える。
リーダー、疲労の為か、目が見えなった様子で、雪堂をくずしてしまった。
もう1人の男性が4つ目の雪堂を掘った。
東京の山仲間から捜索願いが出される。
7人の登山ルートが特定できず、捜索開始が遅れる

夜、捜索活動開始
ラジオ福島は放送で一晩中呼びかけた


2/14(月)

まだ吹雪は続いている。
4人意識不明。
残り3人(男性1人、女性2人)で出発しようとするが、女性1人は動けない
為、残る。

尾根すじをあきらめ、滑川温泉をめざす。
途中、力つき、3度目のビバーク。

東京は晴れ
本来ならば7人は、おのおのの職場へ出勤していた


2/15(火)

12:00 晴れ
2人は自力で温泉にたどり着く。重度の凍傷。

15:00 捜索隊、温泉にたどり着いた2人の証言からヘリコプターで5人の遺体を発見・回収

後日、7人の所属している山岳グループから報告書が自費出版されている。

報告書は、装備品の不備として「ツェルト」「ラジオ」を上げています。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/teppen/so-azuma.htm


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norihirotanakaaanさん 2014/7/21 20:16:42

平成6年吾妻連峰雪山遭難について質問です。

この事故では7人中5人が死亡したようですが、雪山登山に詳しい方から見て、下記の行動をとった場合に生存者が何名になったか項目ごとに見解を教えてください。

1、初日の夜に避難小屋ではなく慶応吾妻山荘に宿泊していたとしたら

2、2日目に朝、擬似好天に気がついて下山していたとしたら

3、霧の平が見つからないときに、早々に避難小屋に引き返していたとしたら

4、3日目の朝(初回のビバーク後の朝)に、天気が良くなるまでビバークした場所にとどまっていたとしたら

5、避難小屋に戻る途中に白浜の尾根で強風地獄に見舞われて、風が弱いところに移動したようだが、そのまま風が弱いところでビバークしていたとしたら

6、白浜の尾根の上で動けなくなった人をみんなで引っ張ろうとしたようだが、その時点で動けなくなった人を見捨てて避難小屋に向かっていたとしたら

7、3日目の夜(2回目のビバークのとき)にツェルトやテントがあったとしたら


補足
登山計画書を提出していたら結果は違ったと思いますか?



maxtockdvdrさん 2014/7/21 21:22:34

この遭難ですか、疑似好天とかじゃ無く論外の天気です。
3連休家でゴロゴロしていたら母親から心配する電話が有りました。
「こんな天気で山には行かない」当たり前でしょう。

KO 山荘に泊まったら小屋番が戻らせたでしょう。
その後泊まった時に小屋番色々言っていました。


家型の避難小屋出たのが9時、何を考えているんだ、遅くとも6時には出ろ

さっさとスキーで下れば板谷に降りる。

別に滑川温泉に直行しなくても良い。

ツェルトも持たないスキーツアーとか度素人の集まりです。

大沢の櫻井さんとかよく知っています。
画像はKO山荘泊まって谷地平小屋に来た所です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12132202677

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