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女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち 1995年

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2022/05/25 (Wed) 05:03:11

女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち 1995年

監督:松村克弥
製作総指揮:佐藤太治(発売元:日本ビデオ販売会長)
脚本:太田隆文 松村克弥
音楽:篠原敬介
企画協力:近藤晋
資料協力:黒沼克史 藤井誠二
擬斗:二家本辰己
スタント:日和佐裕子、所博昭
制作・著作:東京計画
発売・販売日本ビデオ販売

動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E9%96%B2%E8%A6%A7%E6%B3%A8%E6%84%8F%E3%80%91%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6%EF%BC%88++%2F7%EF%BC%89


『女子高生コンクリート詰め殺人事件 ~壊れたセブンティーンたち~』は、1995年のビデオ映画。

女子高生コンクリート詰め殺人事件を題材にした青春猟奇犯罪映画。元々劇場用ではなく、 ビデオ安売王をフランチャイズ展開していた日本ビデオ販売(倒産)がオリジナルビデオとして製作した幻の映画で、現在では入手困難となっている。監督は松村克弥。日本ビデオ販売会長であった佐藤太治が事件に憤慨し制作にこだわったといわれる。

準主演に無名時代の北川悠仁(のちに「ゆず」を結成)が出演している。

被害者役の佐々木舞はジュニアアイドルの佐々木舞とは同姓同名の別の女優である。

この作品とは無関係に、同じ事件を題材にして「少年の犯罪」と「コンクリート」が映画化されている。


キャスト

ストーリーテラー・ナレーション:篠井英介
少年A:根岸大介
少年B:浜口啓二
少年C:北川悠仁
少年D:細川充
被害者:佐々木舞
少年Cの父:斉藤暁
少年Cの母:芹明香
少年Aの母:小川美那子
少年Aの子供時代:北條貴彦(子役)
岩瀬威司
坂本敬司
中矢光宣
五木田剛
菊地龍
エキストラ:鳳プロ/東京宝映

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6_-%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%9F%E3%81%A1



女子高生コンクリート詰め殺人事件 ~壊れたセブンティーンたち~』(1995)

1995年のビデオ映画。
女子高生コンクリート詰め殺人事件を題材にした青春猟奇犯罪映画。

元々劇場用ではなく、 ビデオ安売王をフランチャイズ展開していた日本ビデオ販売(倒産)がオリジナルビデオとして製作した幻の映画で、現在では入手困難となっている。

監督は松村克弥。日本ビデオ販売会長であった佐藤太治が事件に憤慨し制作にこだわったといわれる。

準主演に無名時代の北川悠仁(のちに「ゆず」を結成)が出演している。

被害者役の佐々木舞はジュニアアイドルの佐々木舞とは同姓同名の別の女優である。
http://65293.diarynote.jp/201606110643053082/

販売元の日本ビデオ販売会の会長・佐藤太治が事件に憤慨していたと言われ、加害者少年のひとりを無名時代の北川悠仁(ゆず)が演じていたのには驚かされる。

また、その母親役が退廃的なエロスを表現したら右に出る者のいない芹明香(せり・めいか。

日活ロマンポルノ女優だが、一般作品でも強烈な個性を発揮した伝説的女優)というのに対し、「松村さん、すごい親子を組んだね」と手放しで感心していた。

しかし、事件を忠実に描いたために遺族が難色を示し、ビデオは各店舗から回収されてしまった。作品は現在も封印状態となっている。
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20151030/Tocana_201510_post_7774.html?_p=2
23:777 :

2022/05/25 (Wed) 06:15:03

「ASKAさんの男気に感服いたしました。」
「もう、2号目はないですよね?」
「ありません。」

そう、言い残して帰った。しかし、2号目は出た。記事発売後、私は山本にメールを出した。

「あの掲載は、了解を得ずに「隠し録り」をされたものです。
相手の許可なくプライバシーを公開したのです。
これは違法です」

そして山本から返事が来た。

「今後、御社が小誌を提訴する可能性も充分おありだと思いますので、そのあたりは私の独断で明言はできません。飛鳥さんも事務所に所属しておられるのでお分かりだと思いますが、このような事態になってしまった以上、私個人というより今後は会社の判断になってしまいます。」

逃げた。実に都合の良い記事だった。前号の自分たちが掲載した間違いだらけの記事には一切触れていないのだ。私がリップサービスで「文春と言えば、しっかりとしたポジションがあるじゃないですか」などと喋ったことは、ちゃっかり記述している。お笑いだ。その上、隠し録音したものを自社のネット有料会員へ5編に渡って無断公開した。盗聴したものを世間にばら撒いたのと同じ行為だ。これは立派な犯罪なのだ。有料会員になどなるはずもない私は、それを聞いてはいないが、社長の尾崎が確認した。

文春のこれまでのやり方を振り返れば「これは取材ではありません、お断りします。」の部分は決して流してはいないだろう。また、その日文春には「誰にも口外しない」という約束で、私が元気であることの証明も兼ね、友人ミュージシャンと共作したデモ段階の楽曲を聴かせた。我々が時間をかけて制作した自信作だ。山本は、私が留置されているところへ、手紙を寄越した。

「涙が出そうになりました」と書いてきた。しかし、文春はこの隠し録りで得たその未発表楽曲をフルサイズで許可なく有料会員に公開した。一切のエクスキューズも無しにだ。モラルも当然、極めて悪質な著作権侵害だ。そんなことが許されるとでも思ったのだろうか。

ジャーナリスムにおいて事件性のあるものを独断で記事にするのなら分かる。こと、その未発表楽曲に於いては事件性など孕んではいない。完全なる違法行為だ。これで、我々が敗訴するようなことになるなら、この日本国の司法制度は機能をなさないということになる。ためらいもなく約束を破る。自分らの利益のためには手段を選ばない。下世話でハレンチな行為、この上ない。

これは時期をみて必ず法的な処置をとる。並び[FLASH]「女性自身」にも名誉毀損で多大な損害賠償金を請求する。私の勝訴は約束されている。文春に於いて、この私の法に訴えるという手段は勝訴するのが目的ではない。こういう悪行を行う悪徳週刊誌であるということを世間に知らしめるのが目的だ。その後も直接メールや手紙で、

「応援している。本誌に気持ちを語って欲しい。力になりたい。」

と送ってきた。漫才の閉め言葉「もう、ええわ!」を呉れてあげたい。文春にはお伝えしなければならないことがある。それはこうだ。貴社の利益に協力するつもりは一切ない。そして、これだけははっきりしておきたい。私は裏社会との黒い交際などというものはない。接点は持ってしまったが、騙されただけだ。裏社会からネタを高額で買って記事にした文春の行為は咎められないのだろうか。

正座した社会から文春は一直線に糾弾されるべきだ。行為のすべてを利用された。今回の私の事件で「真実を伝える情報誌」のような顔を世間にアピールしたが、知って欲しい。自分がやられたからと言って、非売運動を投げかけるような幼稚な真似はしない。そのようなみっともない行為はしない。伝えなければならないのは、文春が闇社会と繋がって連絡を取り合っていたという事実だ。調査済みだ。

こちらにはその事実を記録したものがある。上記したことが証明するように、文春は極めて悪徳で極悪な週刊誌だ。私は、基本的に週刊誌の取材は受けないスタンスだ。これを書くと媚を売っているようで非常に抵抗があるが、以前「週刊○○」の取材を受けたことがある。その時の、驚くほどの紳士的な対応と記事の忠実性から週刊誌というものに偏見を持ってはならないと意識を変えた。大きな間違いだった。週刊文春は真逆の週刊誌だ。決して近寄ってはならない。それを知った上で読んで頂きたい。私の勇気は遥か無残に打ち砕かれた。

さて、これを書いたことで、これから私は文春のターゲットとなるだろう。悪意の対象とされるだろう。しかし、私には歌がある。歌は魂と情熱の結晶だ。純粋に取り組んでいる。恨みや憎しみに情熱や純粋が負けることはない。電車の中刷り広告や新聞のラテ欄の見出しで、私は一時的なダメージを受けるだろう。しかし、ネットの拡散の威力を見くびってはいけない。

週刊誌はその名のごとく記事に持続性はない。だが、ネット上のこの文章が消えることはない。日々、広がって行く。やがて裁判を迎えれば、この本は一気に脚光を浴びる。話題になれば他の大勢のメディアが取り上げるだろう。そうなれば、さらに読者は増える。私がこれ以上語る必要はなくなる。

後は、悪徳週刊誌の名が一人歩きするだけだ。この本を削除して欲しいならば、相談には乗ろう。そのくらいの許容は持ち合わせている。ネットによって、ひとり対企業が戦える時代になった。1アーティストを執拗に責め続けるのは、みっともない姿を自ら世間に晒け出すことになるだけだ。そうなった時には、今度は私から言ってあげよう。

「応援している。私に気持ちを語って欲しい。力になりたい。」

2016年01月05日
私は、上の流れに間違いが起こらないよう、03日文春の山本に、この「週刊文春」の章だけをメールで送った。お互い、誤解や間違いなど相違点があってはならないからだ。本来なら、そういうことをする必要はないのだが、私は文春とは違う。すべてストレートで行きたい。

その夜、山本から返事が届いた。まず最初に「お会いしたい」と言ってきたので、それを断った。「事実誤認の部分がある」のだと言う。近々、この文章をネットに掲載することをも伝えた。そして、事実誤認の箇所を文書で取り交わすという約束をした。どこが違うのか知りたかった。その後、何も返事がなく、文春はこの文章を元に会議に入った。文春お抱えの顧問弁護士らと打ち合わせをしたのである。05日、山本からメールが届いた。「事実誤認の部分が多すぎて、とても文書では送れない」のだと言う。

変じゃないか。最初のメールで「事実誤認の部分がある」と言ったのは、山本だった。「部分がある」ということは、日本語では「数カ所ある」と受け取るのが普通だ。会議後に「事実誤認が多すぎて文書では送れない」と、発言を変えてきた。おそらく、言い訳のための会議をしていたのであろう。作戦会議をしていたのだ。これの掲載後、文春は私を陥れるために特集記事を組むかもしれない。

あらゆる手を使って来るだろう。構わない。動じない。私は、すべて本当のことを書いた。文春が反論記事を書いてきたときには、どちらを信じるか、皆さんの判断にお任せしたい。私は、反論記事が出た方がありがたいと思っている。これに興味を持った読者が増えるからだ。人には種類があるように、文字にも種類がある。文春など読んでいると、文春のような種類の人間が形成されてしまう。私は、二度と読むことはないだろう。「私は」だ。皆さんに文春を笑って読める懐の深さがあるならば、どうぞ楽しんでいただきたい。文春も歴史を持った週刊誌だ。それは認めている。文春には、この危機を乗り越えて欲しい。文春は相手を間違えた。ただ、それだけのことだ。

信じることが楽さ

潮が満ちるときに 人は鳴き声を上げて
潮が引くときに 人はこの世を去る

僕は迷いもなく 遠い星を数えて
深い深い夜を 愛おしく思う

昨日が行きて また今日が来るのさ
何をなくした

疑うことは寂しいことなんだ
人を信じることが楽さ

くじを引くように いくつも道を探して
走り終えないうちに 答えを求めちゃう

忘れてしまった 遠い約束事を
誰に謝れば 僕はいいのか

どんなに離れても 僕は帰って来る
その繰り返し

両手でポケットを まさぐって歩く
道はいつでも僕に新しい

悲しみの言葉を 綴ることのないよう
水たまり避けながら 行くことが苦手で

疑うことは寂しいことなんだ
人を信じることが楽さ


15.エクスタシー

2013年11月27日。
楽曲制作の進み具合が良い。この調子で行けば新曲は40曲を超えるだろう。こんな量産体制は鍵盤楽器を覚えた頃以来だ。あの時と違うのは、歌詞も出来ているということだ。これまで、私のデモトラックに歌詞が付いていることは考えられなかった。

その日は。朝起きて何気に衣装部屋へ入り、服を眺めていた。ふと皮のジャケットが目に入り、

「これ、いつ買ったやつだろう。」

と、手に取り袖を通してみたのだ。意味なくポケットに手を入れてみた。すると四角いビニールのようなモノが手に当たる。予備のボタンが入っているのだと思った。それをポケットから取り出す。すると、そこには覚せい剤が入っていたのだ。思い出した。以前、小分けしてどこに置いたかわからなくなっていたやつだ。あの時、無くしては不味いと随分探し回った。こんなところにあったのだ。

その時捨てればよかったのだが、今では手に入れるのが困難なモノ。私はその時履いていたスウェットのポケットにそれを仕舞い込んだ。私は、そのまま地下の仕事部屋の書斎に入った。それを取り出すとしばらく眺めた。音楽は精神の喜びだ。自分をここまで育ててくれたのは音楽というデモクラシーだ。人としてのあり方という抽象的な正義は法律によって縁取られている。

行為は火種だ。一度炎になると有が連鎖してゆく。天使と悪魔は兄弟だ。岩のような隔たりでふたつに分けられているのではない。どこから天使でどこから悪魔なのか、ふたつはグラデーションのように繋がっているだけなのだ。私は釣り糸に釣られた魚ように抵抗していた。しかし、脳に記録されてしまったものは悪魔の滴りのような音を立てて全てを支配して来る。

判断は存分に踏みにじられ、心の屋根が剥がされてゆくのが分かる。自分はこんなにも脆いのか。私は目の前にあったプロポリスのスポイドのゴムの部分を外し、パイプを作った。いつだったか、これはパイプになると思ったことがあったのだ。そのスポイドの先をビニール袋に入れ、騒がない結晶をパイプの先端に押し込んだ。そしてそれを捻るように引き抜くと、忠実な兵隊のようになったライターで炙った。薬物の怖いところは常用性もあるだろうが、強い意志を難なく飲み込んでしまうところにある。約8ヶ月ぶりだった。久しぶりだった。

一口吸うと髪の毛が逆立つのが分かる。二口目からは、もうそれは起こらない。そしてその日、盗聴していた彼たちのツイッターやブログでは号外が出た。

「お帰り。」「戻って来ると信じてた。」「やっぱり、止められないんだねぇ。」「エスには勝てないねぇ。」
「エス」というのは覚せい剤の俗称だ。いったい、いつまで盗聴盗撮を続けるつもりなのか。収まらない感情が湧いた。

元々量が少なかったため、それはすぐに無くなった。しかし、そんな量ではあったが、身体は摂取していた頃の身体に戻ってしまった。やらなければいいのだ。そうすれば彼たちを喜ばすこともないだろう。だが、やっていようと、やらないでいようと私の私生活はゲームにされている。私はパソコンの前で、これ見よがしに吸引をした。これで証拠が取れるならば、それで良いと思ったからだ。

私がそれを使用すると、瞬時に「今、ツコタ」と書き込まれた。ターボライターの音を聞いているのだ。「ツコタ」とは「使った」という意味である。(このゲームで)「アイツは眠らずの薬を持ってるからなぁ」と書かれる。「ネズ」とも呼ばれていた。「眠らない人」というニックネームだ。

先日、確認したのだが、それまで私がCD-Rに保存してきたページは、すべてが削除されていた。現在では、書き換えられたものが存在するのかもしれない。私が友人の死について証拠集めをしていた時、友人が自殺する前の数ヶ月。2008年の後半から2009年の初頭のページは削除されていた。なので、その時期の証拠だけがないのだ。しかし、その掲示板以外で、殺人と関係性のある書き込みやページの消し忘れが多々残っていた。全てを記録した。

自殺した友人はゲームにされ、追い詰められていた。その削除された掲示板では、自殺した友人を噂し合って楽しんでいたのだろう。すでに削除されているページだが、実のところ、本当は削除されていないと思っている。警察などが、どこをどう調べても辿り着かないサーバーやフォルダに現存しているのだと思っている。そういう光景に出会ったことがあるからだ。いつか、ボロを出すだろう。彼たちの仲間意識は永遠ではない。そのうち、必ず仲違いを起こす。そして、いつかこの事実を語る人物が現れてくるだろう。

何度も繰り返すが、私は覚せい剤が気持ち良いと思ったことはない。目が冴えて起きていられるのだ。「必ず、この殺人盗聴ゲームを暴いて見せる」。そんな一心だった。6年間苦しませられて来たのだ。スタッフは私が病気だと言う。どれだけ説明しても、まともに向き合おうとしない。私ひとりで戦って行くしかないのだ。後で分かったことなのだが、社長から私の主要スタッフに「盗聴話には一切反応しないように」という指示が出ていた。どうりで、誰も動かないわけだ。ネットでは、

「オマエじゃ、無理だよ。」
「スキルが違うんだから諦めろ。」
「追いかけてないで、自分の仕事をしろよ。」
「いつまでも死人縛りするんじゃねぇよ」

こう、書き込んでくる。「死人縛り」というのは、私が友人の死を戦いの材料にしているという意味だ。彼たちのアキレス腱は死人を出してしまったという事なのだ。私の発言を恐れている。それに関しては異常なほど敏感になっている。私がこれを書いたことで、彼らが報復をしてきたときには、躊躇せず実名、証拠、資料を世の中に公開する。

ひとりの人間を死に追い込んだ殺人集団だ。おそらく、この文章が公開されれば、ネット上は「ASKAはポン中で頭がおかしくなっているんだろう」や「盗聴盗撮なんてあるわけがない」など、起こった事実を茶化したような書き込みが溢れるだろう。彼たちの仕業だと思ってまず間違いない。総力をあげて火消しにかかるだろう。彼たちは幾つかの組織に別れたグループだ。人海戦術でネットに書き込むのは目に見えている。どうか騙されないでほしい。彼らこそが殺人集団だ。

私のパソコン歴は長い。しかし、それは操作する事ができるというだけで、パソコンのことは何も知らない。無知と言っても良い。

何事にも「専門」「土俵」と、いうのがある。楽曲を生み出すことについては、彼たちは私に勝てない。同様に、コンピュータ関係ではプログラマ相手に私が戦えるわけがない。私に残されているのは、プログラマたちのイージーミスを待って、それをすかさず保存するということだけなのだ。

ひたすら時間を費やしてそれが起こるのを待つ。イージーミスとは、私を「AS」や「ASKA」そして本名を書いて噂をしているページの消し忘れや、仕事の内容について我々しか知り得ない情報を書いてしまっている記録だ。辛抱強く張っていれば、必ず彼たちの仲間内の誰かがそういうミスを犯していた。

こういうこともあった。私は、東北の大震災の時にチャリティで「上を向いて歩こう」と「廃墟の鳩」の録音をした。当初、「上を向いて歩こう」が先行リリースの予定であったが、著作者との話し合いに時間がかかり、リリースが暗礁に乗り上げた。急遽、スタッフ間での打ち合わせとなった。

場所は、私の家の仕事部屋だ。長い話となった。幸い2曲録音してあったために、2曲目に録音してあった「廃墟の鳩」が第一弾リリースに決定した。急いでいた。少しでも早く大変な目に遭われた方々の力になりたいと思ったからだ。そして数時間後、盗聴チームのツイッターを見たら、「なんだ。結局『廃墟』かよ」と書かれてあった。私が、観覧していることを、彼たちは知っている。もう、開き直っているのだ。6年間に集めた証拠のCD-Rは相当量に増えていた。

確かに、私のこの執着は周りから見れば異常な行動に見えただろう。自分でもそう思う。時間がある限り「ぎなた読み」の解読をやっていたのだ。相手のグループの幾つかは特定できている。しかし、向こうは組織だ。自分たちのフィールドだ。例えイージーミスを犯したとしても、書き換え、削除、そしてしらばっくれる事ができる。

警察のサイバーにも相談したが、残念ながら警察では太刀打ちできない。頼るところはどこにもない。それでも裁判に備えて証拠は増やしておかなくてはならない。1日も早く「心穏やかに生活したい」「音楽をしたい」。そればかりを考えていた。

私は、ロンドンのクラブで体験したあのエクスタシーの解放感を思い出していた。以前は、この国でも処方されていた薬だ。

「こんな時こそ必要じゃないか」。

そんな風に、私の思考は間違った方に動いた。どんな理由であれ、ダメなものはダメなのだ。それが法律だ。しかし、私は柳田に電話をしてしまった。私には強さも弱さもある。弱さが顔を出した瞬間だった。

「おう ASKA。久しぶり。何年ぶりやろ。連絡来るのをずっと待ってましたわ。」
「ごめんごめん。柳田さん今日会えるかな?」
「夕方には行きますわ。」
「じゃ、待ってます。」

とうとう連絡をしてしまった。運命が仕上げに来ている。いつも柳田への謝礼は私から渡した。1回3万円だった。決して要求されたものではない。私の所為で売人とされ、実刑3年を受けることになった柳田には、本当に申し訳なく思っている。

3月下旬。私がこうなったのはどうしてだろうと思っていた。全ては96年のロンドンでの、あの1回から始まっている。報道では警察の間違った発表で、96年からずっとドラッグをやっていたように書かれてしまった。一度植えつけられてしまった情報を塗り替えるのは困難だ。それには警察の広報の訂正が必要だ。

私は柳田にマンションへ来てもらうよう頼んだ。電話だと盗聴されてしまうからだ。

「何ですの?今日は。」
「柳田さん、以前エックスティシーというのがネットにあったんだけど、それ手に入らないかな?」

違法でない方が良いと思ったからだ。他に違法なものをやっているという負い目が私にはあった。

文春の記者を家に招いた事件以来、私の発言、行動は全てにおいて否定されてしまうようになっていた。私のアイデアや勘は次々に押さえつけられた。医者が私へ下した「鬱病」を、周りが信じてしまっていたからだ。実は「鬱病」は、アルバム「SCRAMBLE」の制作中に別の医者から言い渡された病名だった。精神科医に盗聴話をしたために、医者からそう判断されたのだ。

「精神が病んでいては、物事を順序良く並べたり纏めることができません。アルバムやコンサートなどは、絶対にできません。断言します。今すぐ活動の中止を勧めます。」

私は逆らった。そして、私は「SCRAMBLE」を作り終えて見せた。全国プロモーションも積極的にやった。「盗聴盗撮」を口にしただけで杓子定規のように「精神病」とされてしまうことには大きな反発がある。

同じような思いをしている人が全国にはいるだろう。精神分裂病とされてしまっている。気の毒な話だ。もっと「現実」「事実」を患者の立場に立って診るべきだ。様々なデータ、経験則により、私を「精神病」と判断したのであろうが、物事には例外というものが必ずある。私は例外だ。時代、テクノロジーは遥かに進んでいる。盗聴盗撮の事実はあるのだ。

集団に監視されているということで、私の精神は疲労していたが、精神力は人並み以上にあると信じている。「SCRAMBLE」が完成した時、いちばん驚いたのは医者だった。そして、「コンサートはやれるわけがない。責任は持てない」と語った。私は、その懸念された「ロケットツアー」を一気に駆け抜けた。私は病気ではない。見えない相手と戦っているだけだ。

「ほな、電話してみますわ。」

柳田は二つ折りになっているガラケーを開け、相手先に電話をした。

「エックスティシーってありますか?いま無い?後で電話する?ほな、待ってます。」

私たちは、電話を待った。

「エックスティシーは何個要りますの?」
「10個あれば十分。」

15分ほどして電話がかかってきた。

「ああ、そうですか。10個下さい。え?10個ではダメ?ちょっと聞いてみます。」

一度電話を切って、柳田は尋ねてきた。

「10個ではダメらしいです。最低でも50個かららしいですわ。」

私は、それはエックスティシーではなく、エクスタシーではないかと思った。それにしても50個は多すぎる。しかし、そうでなければ手に入らないのだ。

「分かった。それで良いです。」

それじゃと、電話をする。

「50個で良いと言うてはります。え?100個?」

電話を置いて私に問いかけてきた。

「今度は、100個でなければ売らない言うてます。」
「1個、いくら?」
「1個いかほどですか? 5千円?」

100個で50万じゃないか。しかし、私はしぶしぶOKをした。

「100個もどうしますの?」
「柳田さん、半分上げるよ。」
「いや、私は一切やりませんわ。」
「そうだよね。オレも100個など要らない。10個でも多いぐらいだから。」

ロンドンのクラブで体験した解放感は厳然と身体の中に残っていた。あの多幸感、解放感。一度脳が覚えた刺激は二度と忘れることがないとはこのことだろう。少し、少しの時間でいい。その時、私の自分自身への制御は働かなかった。もう一度言う。弱さだ。

柳田は、その日の夜に持ってくるという。運命に人生を捧げたような気持ちになっていた。「冷たいの」という俗称で抵抗なく使用してしまった覚せい剤は、自分自身のどこかに被害者意識があった。「騙された」と思っていたからだ。しかし「MDMA」は最初から違法だという認識がある。それでも入手しようとしている。これは免れもなく罪だ。外国には混ざり物ではない純度の高いMDMAを医療薬として処方しているところもあるらしいが、ここは日本だ。心は大きく揺れ動いていた。

夜8時過ぎに電話が入った。

「いま駐車場の前です。」

私は、慌てて部屋を出た。柳田はお菓子の入ったコンビニの袋を私に手渡した。お金を渡す。

「タクシー待たせてますから、これで失礼します。」

柳田はすぐに帰って行った。部屋にはバンドメンバーが居た。デモを制作していたのだ。私はそのコンビニの袋を書斎に置いた。その日、作業は朝の4時頃に終わった。私は書斎に置いてあったコンビニの袋からお菓子を取り出し、箱を開けた。その中にはビニールに、はち切れんばかりのエックスティシーが詰まっていた。間違いなくMDMAだろう。パッケージされていなかったからだ。ネットで観たエックスティシーは2錠1組にパッケージされていた。

「いまから飲めば、6時過ぎにはしらふになるのか。」

それから眠れば良い。私は1錠をコーラで飲んだ。それは40分を過ぎた頃やってきた。目頭が熱くなってきたのだ。しかし、その状態が10分ほど続いたかと思うと、すぐに元どおりになってしまった。こういうストリートものは、1錠毎の成分にムラがあって当たり外れがあると聞いたことがある。その日のエクスタシーはハズレだった。

翌週、また真夜中に飲んでみた。やはり40分ほど経つと目頭が熱くなって終わってしまうのだ。あの頃のものとは成分が違うような気がした。2個飲んだ日もあったのだ。結局、逮捕まで8錠を使用していた。

逮捕後、真澄の毛髪からMDMAが検出されたと聞いた。大間違いだ。真澄は何も知らない。真澄には見せたこともない。もう数年前、一度だけ知人から貰った「気分がリラックスできる」というナチュラルハーブを半分にして分け合ったことがある。最初、真澄は抵抗したが、私が安全であることを強調したために、しかたなく付き合った。

しかし、その時真澄が嘔吐したので、それ以来一切真澄には何も与えていない。私がMDMAを大量に持っていたことで、一緒にやったに違いないと疑われたのだ。1回目の毛髪検査が間違っていたのだと思う。現に2回目の検査では何も検出されなかった。私の調べた限り、検査を2回行うということは極めて異例のことだ。1回目の検査後、それを行わなくてはならない理由があったのだ。

もうすでに、何の罪もない一般女性の名前や顔を発表してしまっている。今更「無実」では、大失態となる。

または、真澄の供述に信憑性を感じた警察が、犯罪者にしてはならないと考え、公正な判断をするために再度検査を行ったか。私には、そのどちらかの判断はできない。

私の取り調べを行った刑事は、私のことを最後まで「あなた」と呼んだ。感情的になる場面もあったが、決して高圧的な態度は取らなかった。

50日間の取り調べでは、終始紳士的に接してくれた。刑事である自分の職業に誇りを持っていた。自分の職業に誇りを持つことは、なにより素敵なことだ。今振り返れば、私はあの日逮捕されて良かったのだと思っている。あれがなければ、私は確実に薬物中毒になっていただろう。しかし、全てを失ってしまったこの状況下では、さすがに感謝という言葉は、まだ使えない自分がどこかにいる。その代わりに、これからも歌を歌うことができるようにと、神様の描いたシナリオだったのかもしれないという気持ちからの感謝は生まれている。

そして警察には心よりお願いしたいことがある。私の書斎でMDMAを砕いた粉末状のものが発見されたと発表した。その発表により、私が真澄に一服盛るための手段であったかのような記事が世間に広まってしまった。しかし、後に科研の検査で、それがMDMAではなかったことが証明された。なぜ、その事実を発表してくれなかったのか残念でしょうがない。世間には私が一服盛ったというイメージが植え付けられてしまった。

この本を書く上で、間違ったことを書いてはならないと思い、真澄とメールのやり取りをした。取材をしたのだ。ある日、真澄は,

「あなたたちは打ち合わせをしている。あまりに同じことを言いすぎている。細部まで同じだ」

と、迫られたのだと言う。打ち合わせなどしていない。お互い、記憶の限り正直に語っていただけだ。あまりに同じことを言いすぎたために、何度も何度も同じ質問を繰り返された。それがいちばん苦痛だった。

「なぜ、真澄さんのことになると、そこまでムキになって否定するんですか?」

と、言われたが、事実真澄は何もやっていないからだ。強調するのは至極当然のことだった。それが、逆に疑いを持たれた原因となった。そして、真澄とのメールのやり取りの中で、看過できない話が出てきた。真澄は、検事調べのときに付き添った刑事から「あなたはやっていないと思います」と、言われたという。しかし、結局犯罪者とされてしまった。その刑事は、何かを知っていたのだろうか?なぜその言葉を投げかけたのかの真意を知りたい。

風景が僕をためしている

「あんまり遠くの方へ 行ってはいけませんよ」
「帰る道をきっと間違えてしまうから」 
僕は言いつけを守った

鏡の前に立って右手を上げた
左手の逆さの国

同じ本を読んでみた 引き込まれるのはなぜだ
同じ道を歩いて行くのは 小さなためらいばかりが
心に強く生まれてしまうのに

いつしか広い道へ出るようになった
角があれば好きに曲がるようになった 
僕は選ぶようになった

ゆるりと見上げる登り坂がある
陽気な勇気ちからで

ここを越えたところに いつだって何かがある
たとえ痛みが待っていようとも 空に近づいてゆける
心の街が見られるはずだから

風に追われた 風に押された
風景が僕をためしている

ここを越えたところに いつだって何かがある
たとえ痛みが待っていようとも 空に近づいてゆける
心の街が見られるはずだから


16.逮捕

2014年5月17日。私の前に立ち塞がった男たちは真っ直ぐ私を見つめ微動だにしない。見つめ返した私の目には日光が集まっていた。

「どなたですか?」
「警察です。」

私服警察だった。刑事だ。私はタクシーを拾うはずであった場所に止められていた一台の車に乗せられた。私が車に乗ると、男たちは更に人数が増え集まってきた。8人ほどいる。真澄のマンションにはエントランスが二カ所あるので、両方のエントランスで待機していたのだろう。私は後部座席右隅に乗せられた。そう言えば真澄が、

「最近、朝会社に行く時変な男の人たちが居るの。マスコミとか音楽関係者、芸能人のマネージャーという感じではないの。」

と言っていたことがあった。すでに張り込みをしていたのだ。助手席に乗った刑事が携帯電話を取り出して言い放った。

「7時○○分。容疑者確保。容疑者確保。」

全てを失う時間の始まりだった。

「どういうことですか?」
「裁判所からおふたりに逮捕状が出ております。」

何も書かれていない本を黙って読んでいるかのように、私は落ち着いていた。落ち着いていたというよりも、思考が働かなくなっていたのだ。

「罪状はなんですか?」
「覚せい剤、および麻薬取締り法違反です。」

ガラス越しに見る外の風景は、いつもと変わらない街並みだった。

「いまから、持物を確認させていただきます。コートを脱いで下さい。」

スプリングコートを脱いで渡す。刑事はポケットに手を入れ、中を弄っている。

「カバンを見せて下さい。」

お気に入りのポルシェのカバンだった。白の手袋をした刑事がカバンの中からひとつずつ私物を取り出し、撫でるように確かめている。私は他人事のようにそれを見つめていた。カバンの底のゴミまで丁寧に拾っている。何も出てこない。相手が少し焦り始めたのが空気で読めた。このようなケースでは、ほぼ間違いなく物証がでて来るからだ。

「何にもありませんよ。」

私が言う。本当にそうなのだ。私は真澄と会うとき、絶対に覚せい剤はやらないと決めていた。嵌ってしまうと二度と抜け出せなくなることを知っていたからだ。2010年秋、真澄の部屋に3CPPを数回持って行ったことがある。当時パイプを1本しか持っていなかった。そのパイプでは覚せい剤も吸引していたために、パイプの底に極わずか付着していた覚せい剤と3CPPの混ざり合ったものが、部屋のエアコンフィルターに付着してしまったのだろうが、4年前の数回のできごと。ガラスパイプに付着した程度のものが検出されるものだろうか?その時、真澄が3CPPをとても嫌がったので、もうそれ以降持って行くことはしなかった。そしてカバンのチェックは終わった。

「ズボンのポケットを確かめさせて下さい。」

捜査員が焦り出したのがわかる。捜査員が私のズボンのポケットに手を入れる。逮捕状が出ていなければ「失礼だ」と、拒否しただろう。もちろん何にも入っていない。次に財布を求められた。これは少し問題だった。私は日頃よく金縛りに遭ったりするので、厄避けのために財布の中に塩を入れて持ち歩いていたのだ。ティッシュに包んだビニールのパケの中に入れていた。刑事はそれを見つけると一瞬攻撃的な沈黙を放った。

「これはなんですか?」
「塩です。」
「そうですか。塩でしょうねぇ。」

追い詰めるように丁寧な言い方をする。

「いまからこの液体に、その塩とやらを入れます。これが青色に変化したらこれは違法薬物ということです。いいですか、よく見ていてください。」

刑事はそれをひとつまみ摘むと、液体の中に落とした。全員が固唾を飲んで見つめた。液体の中に白いものが散らばる。小さな龍のようになって溶けてゆく。反応はない。無反応だ。車中に脱力感が充満した。その空気を切り替えるように、

「いまから署までご同行願います。」

その日私には大事な約束があった。昼の12時にどうしても会わなければならない人たちがいたのだ。もう1週間ほど前からの約束だった。大阪から駆けつけている。

「困ります。今日人と会う約束があります。」
「無理です。」
「それが終われば、必ず出頭します。逃げることはありません。」
「無理です。」

取り付く島がなかった。助手席に乗っていた刑事が電話をかけている。

「これより家宅捜査お願いいたします。」

私の自宅では家宅捜査をするために警察が待機していたのだ。私は弁護士に連絡を入れ、そのまま湾岸警察署に連行された。

そこは6畳ぐらいの一室だった。私は椅子に座らせられた。スチールの机の上にはコンビニで貰う袋のようなものが、空気を詰めた風船のようになって転がっている。それには黒のマジックで「フェニルメチルアミノプロパン」と書いてあった。知らない言葉だった。
ひとりの刑事が部屋に入って来た。その袋を指差し、

「フェニルメチルアミノプロパン。これ意味分かるね?」
「いえ、分かりません。」
「覚せい剤ということです。真澄さんの出したゴミの中から採取したものです。」
「これから尿を採ります。」

私はトイレに連れて行かれた。トイレから出て紙コップを渡す。
そしてそのまま私は留置された。50日間の長い取り調べとなった。

オレンジの海

僕らが生まれたあの頃は 空き地だらけの遊び場所
夕暮れに鳴り響く工場の 
サイレンの音合図に僕らは家に帰った

砂利道走って 温かいご飯まで
空にはオレンジの海

生きてるっていうことは 模様がいっぱい
スーツを壁に掛けながら 写真見てる

折り紙たたんで紙の鳥 お腹が上手く膨らまない
真夜中に動き出すおもちゃたち 
息を潜めて待ったけど何も起こらなかった

地球が丸いって いつ知ったのだろう
夜行列車が声を上げる

生きてるっていうことは 模様がいっぱい
パソコンのキーを叩いて 明日に追われる

玄関前の道に 水を振り撒いて
父親の帰る時間を ずっと待ってた

生きてるっていうことは 模様がいっぱい
机のデジタル時計 今を刻む

生きてるっていうことは 模様がいっぱい
机のデジタル時計 今を刻む


17.裁判

私は病院を退院後、約2ヶ月間群馬県の藤岡ダルクへ入った。ダルクとは民間の薬物依存症リハビリ施設で「どんな薬物依存者でも必ず回復できる」という希望のメッセージを伝える活動を行っているところだ。全国に施設がある。私には薬物依存の症状はなかった。ダルク入りを拒んだが、担当医師から強制的に入寮させられた。そこは山中にある元ホテルを改造したところだった。

スタッフも薬物依存から立ち直った者ばかりだ。入居者とスタッフの信頼関係は厚かった。週刊誌によると、私が2ヶ月でダルクを逃げ出したと書いてあったが、最初から2ヶ月間で決まっていたのだ。正月は家で過ごしたかったからだ。以後、今までずっと家に居る。1ヶ月に1度、身体を壊している母を見舞いに福岡に帰るのと、大阪在住の弁護士に会いに行く時以外は、ずっと家にいる。

楽曲制作に明け暮れる毎日だ。外で生活しているなどと書かれているが、モニターや監視カメラに映るマスコミ相手に返答するわけがない。また、娘は結婚もしていないし、離婚もしていない。アメリカに行ってもいない。親の目からではなく、1アーティストの視線から驚くような楽曲を書くようになった。「ダルク」のクリスマスパーティで、田代まさし氏の呼びかけにより、私が「SAY YES」を歌ったなどという事実もない。1000人を超えるパーティ参加者のひとり足りとも、そんな発言はしていない。

飲み屋で私がしつこくOLに迫っていただとか、18年間コールガールたちと関係があっただとか、全くもってバカバカしい。真澄が私に「愛人手当を出さなきゃね。と言われた」という事実もない。

彼女が夜中じゅう踊りまくっていたなどというのも嘘だ。男性の膝の上に乗って猫撫で声を出していたなどという話も作り上げられたモノだ。私ならまだしも、一般人をどこまで苦しめるつもりなのか。昼のワイドショー○○などは大きな賠償金額を請求されても当然な内容の放送をした。メディアの自覚を持て。私の目に飛び込んできた記事は何もかも嘘なのだ。すべてメディアのでっち上げた事実だ。どこかのメディアが作文した記事を、裏も取らずそのまま引用して行くから始末が悪い。

私にはもう20年来お付き合いさせて頂いている○○という大企業の代表がいる。いつも日本の未来を本気で考えている方だ。その代表が主催するパーティに何度も出席させて頂いた。この国を動かしているベンチャー企業の代表や多くの政治家などが集まる。私も1アーティストの立場から発言させて頂いた。

パーティでは、時に党の違う政治家などが熱く語り合う。とても勉強になった。そのパーティでは、その代表の下で働いている清楚な女性社員たちが一生懸命アテンドをしてくれる。社風であろう。見事に教育されていて、嫌な思いは一度もしたことはない。素晴らしい社員たちばかりだ。週刊誌には、そのパーティのことを「女体盛り接待」などと書いていたところがあるが、とんでもない。目の覚めるような集まりだ。私は、その代表を心から尊敬している。その真正な集まりを揶揄するような記事に出会すと、自分のことのように腹ただしくなる。

私の目に止まっていないデタラメの記事はまだまだあるだろう。

だが、私にはメディアを喜ばせる失敗がひとつあった。公判での出来事だ。私は病院で投薬されていた薬のせいで思考がままならず、終始ボーっとしていた。予め打ち合わせをしておいた顧問弁護士の反対尋問でさえ、答えが出てこないのだ。そのため声も小さかった。そして検事質問に移った。これは、何を聞いてくるか分からない。ありのままを正直に答えるしかない。そしてそれは最後に起こった。

「それでは、最後にいたします。真澄さんのことは好きですか?」

嫌いなわけがないのだ。こうなったからと言って嫌いになる理由はない。「好きか」「嫌いか」という二択で迫られたのだ。

「好きです。」

と、答えた。それは恋愛感情という偏った方向からの答えではない。嫌いではないから「好きだ」と答えた。

「どんな存在ですか?」

これもそうだった。私を大事にしてくれる全ての人の中のひとりだ。
近くで、励ましてもくれた。私はこれまでの事を振り返り、

「大事な人です。」

とだけ答えた。
メディアは裁判そのものの内容よりも、ここを強調して「未練がある」「未練がましい」と報道した。メディアには格好の材料となった。

また、第2の女についても語っておきたい。前述したが、その昔一度だけ3CPPを一緒にやったことのある友人だ。久しぶりに会おうかということになった。その時、あの日の3CPPを思い出した。なぜか、ふと手元にあったモノを持って行ってあげよう思ったのだ。珍しいものだ。案外、喜ぶかもしれないなどと、バカなことを考えてしまった。彼女なら秘密も守れる。私は彼女のスケジュールを聞き、彼女がこんこんと眠られる日があることを確認して持って行った。やってはならないことだった。彼女はそれを3CPPか何か、または合法のハーブ類だと思ったのだ。

「これは何?」
「覚せい剤。」
「嘘だね。」
「本当だよ。」
「ありえない。」

私が持って行ったものは信頼していた。マズイものはやらない人だという信用もあったのだろう。彼女の家に行くのは初めてだった。新しい土地に立ったマンションだったので、ナビに載っていなく探すのに時間がかかった。盗聴されているので電話を持って行ってなかったのだ。電話さえあれば電話でナビゲートしてもらえた。その日の会話は、私の盗聴の話で終わった。短い時間だった。彼女は信じてくれた。後に、その日張り込んでいた刑事に話を聞くと、家を出て彼女の家から帰って来るまで2時間ほどだったと聞かされた。

同様に語られたモデルの存在については真澄の友人が憶測で語った話がマスコミに流れた。裁判で真澄はそれを問われ「悩みの種だった」と答えた。真澄と一緒に居る時に限ってメールや電話が入ったりしたからだ。真澄との間でモデルの話になると、私はいつも笑って対応していた。そんな存在ではない。

事実マスコミも懸命になって追っかけたが、それ以上はネタにできなかった。特定さえもされなかった。思うに裁判でそんな話題が出ること自体が変なのだ。裁判は真澄の薬物疑惑であって、痴話話を公開するところではない。焦点がずれていると言わざるを得ない。

また、逮捕時に容疑を否認し続けていると報道されたが、それも間違いで、第一回目の取り調べでは概ね認めている。ただ「アンナ力だと思っていた」との発言があった。それは、やがて続いて逮捕されるであろう吉野との薄っぺらい打ち合わせだった。吉野は取り調べで「あれはアンナカ、合法ハーブだった」と終始言い通した。警察は覚せい剤であったことを、とうとう立証できず吉野は不起訴となった。私がアンナカだったという約束事を撤回したのには理由がある。

嘘をつき続けることはできないと思ったからだ。心の真ん中に立ちつづけることは難しい。心の中にも時間はあって、それは時間とともに変化してゆく。変化は自然であり、自然の中で自己を調節する。私の調節は正直になろうということだった。

ダルクを退寮して自宅に戻っていたある日、真澄の弁護士から内容証明、質問状が届いた。真澄を弁護したいのはわかるが、まるで私が真澄に一服盛ったような書き方をしてあったので憤慨した。真澄の弁護側は一貫して責任は私にあるとの弁護方針を打ち立てた。そのとおり、責任は私にある。すべて、私が招いてしまったことだ。

真澄のメールも不味かった。どこかで私のことを疑っていたのだろう。「あんなひどいことするんだ。娘には絶対しないことを」「された私が一番分かる。バッグから出してトイレに行くところを見た」。私はこのメールに「嘘だね。想像で語るのは止めて欲しい」とだけ返した。弁護団は真澄の送ったメールを盾に無罪を主張した。あのメールは、私に対して薬物の疑いを持った真澄がカマをかけた文章の一節だった。その後、真澄は法廷で「カマをかけました」と発言した。
また、真澄は初公判で

「私は、覚せい剤を使用したことはありません。第三者に使用させられたものです。」

と、答えた。
そして、裁判官に

「第三者とは誰ですか?」

と、問われ、

「私の周りで覚せい剤をしたのはASKAさんしかしないので、第三者とはASKAさんです。」

と、返した。真澄が、私がやったと答えたのも無理はない。自分はやっていないからだ。後は私しかいない。私は入院先のテレビで、それを複雑な気持ちで観ていた。しかし、後に真澄は弁護団のアドバイスを振り切り、

「ASKAさんは、そういうことをする人ではありません。」

と、答えた。真澄の勇気に感謝した。今尚、解せないことがある。真澄の尿から覚せい剤が検出されたことだけがどうしてもわからない。私のなかでは、それはありえないからだ。真澄は、思いつく限りの事を語った。しかし、どれも信憑性に欠けるものだと判断されてしまった。例を並べすぎたのだと思う。「分からないものは分からない」と押し通せば良かったのだ。

真澄の公判が迫ったころ、私は真澄と連絡を取らなければと思い、電話、メールをした。しかし、どれも受信拒否になっていた。後で、知ったことなのだが、パソコン以外電話などいろんな物を警察に押収されていたからだった。万策尽きたかと諦めかけた。その時、昔使っていたウェブメールを思い出したのだ。アクセスしてみたところ、まだアカウントは生きていた。そこでやっとコンタクトが取れたのだ。
以降、私と真澄、真澄の弁護士とのやりとりとなる。


18.メール

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真澄へ

ひさしぶり。メールしかコンタクトを取る方法がないのでそうします。
先日、真澄の弁護士さんから文書が届きました。内容もそうですが、高圧的な言葉が並んでいて、「これがこの人たちのやり方なのか」と。もちろん、真澄が言ってることだとは思っていません。

それを読んだこちらの弁護士も憤慨して「絶対に返事をしないでください」と、言われました。が、しています。真澄が罪を被ってしまったことが辛くて、辛くてなりません。

ごく微量、本当に確認できるかできないかの覚せい剤反応が尿からあったと聞きました。また、髪の毛からはMDMAが検出されたとのこと。オレたち二人でMDMAなんかやってないもんね。

あんな錠剤を、真澄に知らせずに飲ませることなんて不可能。

エアコンから反応が出たのは、昔オレが吸ったせい。尿から出たことだけが分かりません。いろんなケースを考えたけど、やっぱりそれだけが分かりません。

弁護士さんの文書に回答しなかったのは、あまりにも屈辱的な内容で埋められていて、ずばり故意にやった犯人的な書き方をされていたからです。

それでも、真澄のためになることならば、証人でもなんでもやるという気持ちを伝えました。しかし、先ほども書きましたが、こちらの弁護士から「やる必要はありません。あんな文章に応える必要はありません。」と、却下されてしまいました。
応えられなかったことを、未だに苦しんでいます。
オレは一生罪を背負うことになります。
控訴で全てがひっくり返りますように。 Aska
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askaさんへ

askaさん、メールありがとうございます。
返信が遅くなってすみません。

控訴中なので、askaさんからメールをいただいたことは、
弁護士の先生に内容を口頭でお伝えして、あとで裁判所に口裏合わせととらえられないように慎重に返信文を考えていました。

このメールはaskaさんが書かれたものですか?
私の知っているaskaさんは、このような内容を書かれるとは、とても思えません。ちょっと複雑な気持ちになりました。

弁護士さんの文面が高圧的で非礼だったから。
askaさんの弁護士さんに却下されたから返事を出さなかった。
私の人生がかかっていることなのにあり得ないと思ったからです。
いつものaskaさんなら、誰が何と言おうと自分の意志を貫く人だからです。

もうすぐ控訴ですが、
明日4月9日までに裁判所へ書面を提出しなければいけなくて、
先生方は私の無実を証明するためにと一生懸命がんばってくださっています。
ただ、askaさんに聞かないと証明できないことだらけで、
法廷で証言していただきたいと願っています。

ただ、まずは書面の提出が必要なのですが、
私とaskaさんとのメールのやり取りでは、
口裏合わせをしたと捉えられる可能性が大きくて、
なんの証拠にもならないので、
私の弁護士の黒木先生宛にメールを出していただけませんか。

本当は、
先生方が送った書面の内容に全てお答えいただきたいところですが、
せめてエアコンの部分だけでも、
時間がないので、今日中に先生にメールをお願いいたします。

もし返信を頂けなかった場合は、
askaさんから頂いたメールをそのまま提出するしかないかなと思ってます。
でも無実を証明するためとはいえ、私はそれだけはしたくないです。

askaさんはすぐに保釈されましたが、私が勾留されている5ヶ月もの間、
askaさんとの口裏合わせを懸念されて、弁護士さん以外の誰とも話すことが許されず、支えになってくれる人がいなかった中で、先生方は暑いなか毎日のように面会に来てくださり私を励ましてくださいました。

私が保釈されたときも、たくさんのマスコミが宿泊先まで追いかけてきたのですが、家族ぐるみで守ってくださいました。

もうすぐ1年になりますが、ずっと変わらず助けてくださっています。
本当にいつも明るくて楽しい素敵な先生方です。

askaさん、私はいまだに自分でマンションの契約もできず住むところも定まらない状況です。

仕事にも就くことができないのでハローワークに通ってますが、
名字が珍しすぎるので、名前を呼ばれると周りの人に注目されてしまって、用事のない限りは人目を避けて暮らしています。

名前が呼ばれる病院や銀行に行くのも前のようにはできていません・・・。
でも無実になったら、私も、青森の家族も、堂々と生活ができるようになります。

お願いです。
今日中に黒木先生に、
エアコンから何で検出されたかということについてメールをしてください。

メールをしていただけない場合は、
いただいたメールをこのまま裁判所に提出することになってしまいます。
何度もしつこくごめんなさい。

でも控訴で全てがひっくり返るために必要なことです。
よろしくお願いします。

黒木先生アドレスです。
○○@k○○-law.jp
----------------------------------------------------------
真澄へ
                     
返信ありがとう。
もう二度とコンタクト取れないと思ってた。
真実はひとつしかないんだから、口裏を合わせたと思われることを恐れないでいよう。

真澄が罪を背負ったらオレは一生苦しんで行かなければならない。
いまからすぐ黒木先生にメールするね。

思ったことと、有ったことだけを書いてみます。

すべて、オレがやったことなのに何で真澄が罪を問われちゃうんだろう・・。
神様は一番大事なところを見てないんだな。
時間無いからすぐやるね。   aska
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黒木先生へ

こんばんは。

連絡は取らないよう弁護士から言われていたのですが、真澄の控訴も近づいてまいりました。
何とか、お役に立てないかという思いでご連絡させていただきました。

黒木先生。真澄は無実です。

まず、警察がゴミ袋から入手した覚せい剤は、私のポケットやパソコンに付着していたものを真澄が見つけ、ティッシュで拭き取り、そのまま捨ててしまったやつです。逮捕直前はズボンや上着のポケット、カバンなど毎回確認してから真澄と逢っていました。

一昨年の文春騒動直後から、真澄は私の薬物疑惑に神経質になり、私に「信じてるから」と。「もし、そうだったとしたら二度とやらないこと」を誓わさせました。
結果、私は裏切ることとなってしまったわけです・・。
本当に申し訳なく思っています。

逮捕当日、真澄の身体からごくごく僅か、反応があるか無いかの覚せい剤反応が出たと聞きました。
考えられるのは私しかありませんが、なぜそうなったのかどうしてもわからないのです。

髪の毛からMDMA反応が出てるとも聞きました。

私たちはMDMAを一緒にやったことはありません。あんな大粒の錠剤を黙って飲ませることも不可能です。

髪の毛は体内に蓄積されてなければ反応は出ないと言います。ということは何度も摂取したということになります。
断じてありません。真澄が受け入れるわけがありません。
二度目の毛髪検査では、何も検出されなかったとのこと。
それが真実です。

また、部屋の換気扇から反応が出たのは私です。

以前、もう5年以上前になるかと思いますが、私が数回部屋で吸ったものです。
そのとき、真澄から「それは何なの?」と聞かれ、当時併用して吸っていた「3CPPというやつだよ。違法じゃないから」

と、説明しておりました。

このような具合で、どこかが何かの拍子で捻れて今回の事件になってしまっています。
警察の科学捜査を否定するつもりはありません。

しかし、分からないものは分からないとお答えするしかありません。
繰り返しますが、真澄は無実です。

このまま彼女が罪を背負ってしまうようなことになったなら、私は一生苦しんで行かなければなりません。

薬物に対して強く拒否反応を見せていた真澄が薬物の汚名を着せられることは、本人がいちばん耐え難いことと思います。

どうかよろしくお願いいたします。  
----------------------------------------------------------
真澄へ

きっと、裁判で読まれるだろうと思い簡潔なメールにしました。
内容に嘘は無いから、真実は伝わると思います。
しかし、警察には警察のプライドがあるので、更に疑問をついて来るでしょう。

真澄にはどう謝っても済む問題ではありません。
もう、○○さんのところで働くのは無理ですか?
いまのところ部屋は前のままですか?

メールを返信してくれて本当に良かった。
少しでも役に立てたら幸せです。

控訴、 頑張ってください。Aska
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askaさん

弁護士さんにメールを送っていただいて本当にありがとうございました。
黒木先生からも返信があると思いますので、
ご対応いただけますようにどうかお願いします。

仕事は、今のままではグループ会社でも、もう難しい状況です。
他の会社はもっと難しいと思います。

お部屋は社宅だったので解約して、
今はウィークリーマンションを転々としています。

やっぱりこれから控訴があるので、
メールのやり取りを控えなければいけないと思いますが、
弁護士さんとのやり取りは、引き続きお願いします。

不安がひとつ解消されました。
ありがとうございます。
                           真澄
------------------------------------------------------------
ASKAさま。

当方からのお願いに対して、メールを頂戴しましたこと、依頼者の真澄さんに代わってお礼申し上げます。

ご承知のことと存じますが、真澄さんの事件では、一審での有罪判決に対して、当方から控訴しております。

今の予定では、本日、4月9日が控訴趣意書の提出期限と定められ、5月14日に第1回の審理が行われることにな

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