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女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち 1995年

1:777 :

2022/05/25 (Wed) 05:03:11

女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち 1995年

監督:松村克弥
製作総指揮:佐藤太治(発売元:日本ビデオ販売会長)
脚本:太田隆文 松村克弥
音楽:篠原敬介
企画協力:近藤晋
資料協力:黒沼克史 藤井誠二
擬斗:二家本辰己
スタント:日和佐裕子、所博昭
制作・著作:東京計画
発売・販売日本ビデオ販売

動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E9%96%B2%E8%A6%A7%E6%B3%A8%E6%84%8F%E3%80%91%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6%EF%BC%88++%2F7%EF%BC%89


『女子高生コンクリート詰め殺人事件 ~壊れたセブンティーンたち~』は、1995年のビデオ映画。

女子高生コンクリート詰め殺人事件を題材にした青春猟奇犯罪映画。元々劇場用ではなく、 ビデオ安売王をフランチャイズ展開していた日本ビデオ販売(倒産)がオリジナルビデオとして製作した幻の映画で、現在では入手困難となっている。監督は松村克弥。日本ビデオ販売会長であった佐藤太治が事件に憤慨し制作にこだわったといわれる。

準主演に無名時代の北川悠仁(のちに「ゆず」を結成)が出演している。

被害者役の佐々木舞はジュニアアイドルの佐々木舞とは同姓同名の別の女優である。

この作品とは無関係に、同じ事件を題材にして「少年の犯罪」と「コンクリート」が映画化されている。


キャスト

ストーリーテラー・ナレーション:篠井英介
少年A:根岸大介
少年B:浜口啓二
少年C:北川悠仁
少年D:細川充
被害者:佐々木舞
少年Cの父:斉藤暁
少年Cの母:芹明香
少年Aの母:小川美那子
少年Aの子供時代:北條貴彦(子役)
岩瀬威司
坂本敬司
中矢光宣
五木田剛
菊地龍
エキストラ:鳳プロ/東京宝映

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6_-%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%9F%E3%81%A1



女子高生コンクリート詰め殺人事件 ~壊れたセブンティーンたち~』(1995)

1995年のビデオ映画。
女子高生コンクリート詰め殺人事件を題材にした青春猟奇犯罪映画。

元々劇場用ではなく、 ビデオ安売王をフランチャイズ展開していた日本ビデオ販売(倒産)がオリジナルビデオとして製作した幻の映画で、現在では入手困難となっている。

監督は松村克弥。日本ビデオ販売会長であった佐藤太治が事件に憤慨し制作にこだわったといわれる。

準主演に無名時代の北川悠仁(のちに「ゆず」を結成)が出演している。

被害者役の佐々木舞はジュニアアイドルの佐々木舞とは同姓同名の別の女優である。
http://65293.diarynote.jp/201606110643053082/

販売元の日本ビデオ販売会の会長・佐藤太治が事件に憤慨していたと言われ、加害者少年のひとりを無名時代の北川悠仁(ゆず)が演じていたのには驚かされる。

また、その母親役が退廃的なエロスを表現したら右に出る者のいない芹明香(せり・めいか。

日活ロマンポルノ女優だが、一般作品でも強烈な個性を発揮した伝説的女優)というのに対し、「松村さん、すごい親子を組んだね」と手放しで感心していた。

しかし、事件を忠実に描いたために遺族が難色を示し、ビデオは各店舗から回収されてしまった。作品は現在も封印状態となっている。
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20151030/Tocana_201510_post_7774.html?_p=2
17:777 :

2022/05/25 (Wed) 06:07:41

現役ヤクザが解説「死体処理、ドラム缶詰めは素人の仕事」2013.02.02 ニュース


現役ヤクザが、世間を震撼させた重大犯罪の裏側を解説。
凶悪な手口も実は“杜撰”。殺しのプロが見たものとは――

◆ドラム缶詰めで捨てるのはド素人

たとえドラム缶にコンクリ詰めしようとも、死体からはガスが出、同時に腐敗臭がするという。ガスが溜まったドラム缶は海中から浮上しやすくなるとも

実はこの死体遺棄の方法、プロの手口とは言い難い。現役ヤクザB氏が解説する。

「俺らの世界ではドラム缶に詰めることも、海に捨てることもない。

あれは素人がやることだよ。

肉体が腐敗すると、おのずとガスが発生する。このガスは強力で、コンクリを割って亀裂を入れるほどだ。監察医にはこの亀裂でコンクリのなかに人間がいることがバレてしまう。

バレないためには、コンクリに砂利や鉄筋を混ぜるのだけど、その処理をやってないだろう。素人考えでは穴を掘ってコンクリで埋めればいいと思うんだろうけど、すぐにガスが発生して居場所を知らせてしまうんだよ」

 では、ヤクザの世界では実際にどのような方法で死体遺棄をしているのだろうか?

 道路に敷くアスファルト合材。

これは、砂利とガラとコールタールとを約3000℃の熱処理で混ぜて仕上げるのだが、業者と懇意になって、処理プラントに遺棄する(※イメージ図 http://nikkan-spa.jp/370446/bk1_130122_02)のだという。
高温のため、肉から骨まで全部溶けてしまう。

「この方法なら絶対にアシはつかないね。警察も敷き詰めたアスファルトを全部剥がすわけにはいかないだろうし、溶けちゃえばDNA鑑定もクソもないからね。

最近では中国人が20万円で請け負ってくれたりする。
殺すのは簡単だけど、遺棄にこそに細心の注意を払うのがプロなんだ」(B氏)

アスファルト プラント処理相場が一体100万円。アスファルト業者にツテが必要だが、さらに手軽な方法もあるという。

「ペットの移動火葬車を使うんだよ。今は、一台150万円くらいで買える。だから40cm間隔で人間の身体を切り刻んで、90分間燃やすと骨までキレイになくなるんだよね」(同)

【B氏】
某広域暴力団、二次団体幹部。ギャング時代に殺しや死体遺棄の依頼を受け持った経験を持つ
http://nikkan-spa.jp/370446


CIAや創価学会がやる犯罪なら20万円出してプロに完璧の方法で死体処理させる。

ニュースステーション 2000/11/28
「女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者とその親のその後」

(字幕) 1989年末

当時の女性アナ: …婦女暴行などの疑いで逮捕されていた少年2人が、女子高校生を殺しコンクリート詰めにしていた事がわかり、今日夕方、殺人と死体遺棄の疑いで再逮捕されました。捕まったのは、東京足立区の18歳と17歳の少年2人で、昨日になって、女子高生を殺していたことを供述し、江東区若洲の埋立地で、遺体の入ったドラム缶が見つかったものです。調べによりますと、この少年らは今年1月初め足立区にある…


久米宏: 今から12年前、東京足立区綾瀬で、女子高生を40日間にわたって監禁して殺害する事件がおきました。いわゆる「女子高生コンクリート詰め殺人事件」です。

で、この事件では4人が刑事裁判で実刑判決、2人が少年院送致になりました。事件から12年経った今、我々の取材では、懲役20年の刑を受けた主犯格を除いては、全員が…5人ですね、社会に出てきています。今回、我々がインタビューできたのは、2人です。


まず少年院送致になった、この加害者(伊原)本人にインタビューできました。もう一人インタビューできたのは、この当時17歳だった少年D(渡邊)の母親です。我々がインタビューしたのは彼(伊原)、犯行当時16歳、12年経ってますから今28歳(当時)です。彼(伊原)とこの人物(渡邊)の母親にインタビューしました。この彼(伊原)への公園でのインタビューです。


(字幕) 1988年11月28日の事件


彼 (伊原) : A君(宮野)からあのー、ちょっと、「面白いもんがあるから、見にこいよ」みたいな感じで声かけられたんですよ。で、うちのオフクロとかが寝静まったのを見計らってから、夜中に出て行って、C君(湊)の家にその日行ったんですけど…で、部屋の中に入ったら、いつも全然見慣れない女の子が一人いて…段々雰囲気おかしくなってきて……


ナレーター: 部屋には被害者の女性と6人の少年がいた。主犯格のA(宮野)、サブリーダー格のB(小倉)、自宅が監禁場所になったC(湊)、監視役のD(渡邊)、C(湊)の友人のE(中村)と彼 (伊原) である。


彼 (伊原) : A君(宮野)だったか、B君(小倉)だったかどっちか忘れたんですけど、「シンナー吸ってラリったふりしろ」って言われて…それからですね、急に…嫌がるあのー、彼女を押し倒したりとかして…。それで、B君(小倉)か誰かに、「やれ」って言われたんですよ。「…いや、それはできませんよ」みたいな感じで一応、抵抗したんですけど、「なんでできねえんだ」って感じで無理矢理それさせられて、もう腰まで押さえつけられて…後ろから…。


(字幕) D(渡邊)、E(中村)、彼(伊原)の3人が強姦した。


記者A: 彼女はどんな様子でした?


彼 (伊原) : いや、もう……放心状態でしたね。始めはもう、とにかく凄い抵抗してたんですけど、抵抗すれば殴られる…。最終的にはもう…なんて言ったらいいんですかね、もう無抵抗状態になっちゃって…目もやっぱウツロでしたね。いまだにそれ(彼女の姿)は忘れないですよ。


(字幕) 1988年11月25日 午後8時半


ナレーター: 事件の発端は3日前の11月25日、埼玉県三郷市に住む17歳の女子高生が、アルバイト先から帰る途中、それは起きた。スクーターに乗り、強姦する相手を探していたA(宮野)とC(湊)が彼女を見つけ突然、襲いかかった。(彼女が襲われた現場が映る)


A(宮野)は、「俺はヤクザの幹部だ」と脅し、ホテルに連れて行き彼女を強姦した。(そのホテルの建物が映る)


そして、B(小倉)、C(湊)、D(渡邊)と待ち合わせをし、4人で足立区綾瀬のC(湊)の自宅に彼女を監禁した。これが、事件現場となったC(湊)の自宅である。(湊の自宅の映像流れる)この2階の6畳の部屋に彼女は監禁された。11月28日の強姦事件以降、A(宮野)から彼女を見張るように命じられた彼 (伊原) は、この部屋に4~5回行っている。


(字幕) 自宅はすでに取り壊されている。


彼 (伊原) : 彼女が酷い仕打ちを受けてる場面も、イヤっていうほど見てるわけですよ。ライターの火であぶったりとか…火傷の跡とかがケロイド状になっちゃって……傷とかも治らないんですよね。見るたびに傷とか、そういうアザとかが増えるんで…


(字幕) 12月になると、A(宮野)たちは性的興味を失い、彼女を暴力の対象にした。


彼 (伊原) : (Aたちは)人を殴っているというより、表現良いか悪いかわからないですけど、それこそなんか、サンドバックとかを殴ってるみたいに……なんでそこまでできるのかなっていうくらい、もう「この野郎!この野郎!」という感じで…で、もう、殴る場所も関係ないんですよね。


ナレーター: 彼女は3回ほど逃げようとするが、A(宮野)たちに見つかってしまう。そして、「お前が逃げたら家族を殺す」と脅されていた。


(字幕) C(湊)の親は監禁に気がつかなかったというが、彼女と数回会っている。


記者A: 殴られたりしている時の彼女は、どんな様子でしたか?


彼 (伊原) : もう、平謝りなんですよね、「ごめんなさい、ごめんなさい」と…。謝るしかないんですよ、彼女にしてみれば…自分が悪いわけでもないのに謝ってるんです……必死に………泣きながら……。


(字幕) 殴られている間、「頑張れ、頑張れ」と彼女は小さな声でつぶやいていたという。

(字幕) 助けを求める言葉


彼 (伊原) : 彼女と2人っきりになることがあって…で、彼女のほうからあのー、聞かれたんですよ。「私このままどうなるの?」っていう感じで…

自分はもう何て言っていいかわからなくて、「上の人に、言われてやってこうやっているだけなので、俺に聞かれてもわからないから」ってそういう逃げ口上で言うしかなくて……

助けて逃げ出させてあげることは、チャンスもあったし、すごく簡単なことだったんですよ。ただそれを自分がやったら、何されるかわからないっていうのがあったんで…やっぱりそれは出来なかったですよねえ。


(字幕) 1989年1月4日 最後の暴行


ナレーター: 監禁から40日目、A(宮野)、B(小倉)、C(湊)、D(渡邊)の4人は彼女に壮絶なリンチを加える。2時間にわたり、互いに競い合うように…動かなくなった彼女は、最後に「苦しいです」とつぶやいたという。


(字幕) その数時間後、彼女は死んだ


ナレーター: 1月5日夜、A(宮野)、B(小倉)、C(湊)は、彼女の遺体をドラム缶に入れ、コンクリート詰めにして、埋立地に捨てた。

(字幕) 1989年3月29日 事件発覚


ナレーター: 彼 (伊原) は12月の暮れには、すでにA(宮野)達と関係を断ち、綾瀬を離れていた。事件の結末は、テレビのニュースで知ったという。
(Cの自宅の家宅捜査の映像映る 1989年3月30日)


ナレーター: 4人が逮捕された後、彼 (伊原) もまた、婦女暴行の疑いで警察から取り調べを受ける。


彼 (伊原) : 発見された時の写真をこう…出されたんですよ。で、頭つかまれてこう、写真をグッと顔近づけさせられて、「やったんだろ!やったんだろ!」と、ずっと繰り返し責められて…で、やっぱ辛くて写真なんか見れないんですよね。すごい姿で写ってましたから……涙ボロボロ出てきちゃって………。


ナレーター: 家庭裁判所での審判の結果、彼 (伊原) は半年間の少年院送致になった。

ナレーター: 北アルプスの麓、長野県穂高町に初等中等少年院 有明高原寮はある。ここは、短期間で更生が可能とされる少年を収容している。鉄格子や鍵はなく、全国でも唯一の完全な開放施設だ。彼 (伊原) は、ここで半年間を過ごすことになる。


(字幕) 1989年5月 入院


彼 (伊原) : 最初の1日、2日っていうのはあのー、どうしてもショックのほうが大きくて、自分がその起こしてきた、やってしまった事件とかそういうことでもう…食事もホントとれなくて……。


ナレーター: 彼 (伊原) はまず、事件のことをノートに書き記し、自分を見つめ直す事から始めた。そして、都合の悪いことから逃げる自分の性格が、被害者の彼女を助けることができなかったことを、思い知ったという。


彼 (伊原) : 自分で自分に腹が立つっていうか…少なくとも、誰も死なないで済む可能性だってあったわけじゃないですか…。だから、もうちょっとやっぱり、彼女の立場になって本気で考えてあげれたら…もうちょっと違う形があったんじゃないかっていう…そうですね、悔やんでも悔やみきれないですけど……。


(字幕) 1989年秋 仮退院


ナレーター: 刑事裁判で、実刑判決を受けた少年が収容されている川越少年刑務所。(埼玉 川越市)ここに、彼女の監視役だったD(渡邊)が服役する。D(渡邊)は11月の強姦に加わり、最後の暴行では彼女を鉄球で、何度も殴るなどしている。


(字幕) 監禁・強姦・殺人などで懲役5~7年の不定期刑


(渡邊の部屋にて)
記者B: やってしまった事の詳しい経緯というのはご存知ですか?


D(渡邊)の母(当時55歳): ええ、だいたいですがあのー、裁判を全部傍聴しましたので、…知っております。………なんとかね、…助け出すことが出来なかったのだろうかとね、…すごい悔やまれるばかりですよね…。


(字幕) 1996年11月 D(渡邊)が仮出獄


D(渡邊)の母: 最初はちょっと、規律正しくしてたんですよね。私も息子の部屋に入って、食事したり何かしたりしてたんですけど…そのうちなんかわたしが、「うるさい」ってことで、部屋に入れないようになったんですけど…。


記者B: それは今でも?


D(渡邊)の母: 今でもそうですね。


ナレーター: 小さなアパートでの二人暮らし。D(渡邊)はふすまに鍵をかけ、6畳の部屋に閉じこもっているという。母親は3畳の台所で寝起きをし、親子の会話はほとんどない。55歳になる母親は、事件後、仕事を3回変わった。 親戚や近所とも、ほとんど付き合いはなく、人目を避けるように暮らしている。


(字幕) 夫とはD(渡邊)が5歳の頃に離婚


D(渡邊)の母: どんな形でも、(息子に)生きていてもらいたいというのが親ですから…。あれは一生ですね、私達の体から取れることはもう、それはないですね。(事件)前の自分達に戻ることは、それは出来ないですね。


記者B: 被害者の遺族の方に会って、謝罪したことはありますか?


D(渡邊)の母: いや、もう…それは、ないです……皆さん(遺族側)が拒否されてますからね。


ナレーター: 被害者の遺族は、加害者側からの謝罪や面会を一切拒否している。
(被害者の葬儀の映像写る 1989年4月2日)


被害者の父の証言 (1990年4月9日 公判)
「親の気持ちとしては、これだけ残虐な殺され方をして、返せといっても死んでしまったわけですから、償いは一生かかっても、やってもらいたいと思います。」


記者B: どうすれば償うことが出来ると思いますか?


D(渡邊)の母: 子供が犯した罪は、やはり親の罪ですので……出来る事なら私達も死んでお詫びしたいですけど……まあ生きていてですね……お詫びしながらですね……。


(字幕) 事件や被害者について、息子と会話は一切ないという


記者B: 親と子が、向き合うことは必要だと思うんですけど…。


D(渡邊)の母: そうですね。それはちょっと……うちの場合はまだですね、ちょっと、出来ないですね。お互いが殻に閉じこもってますからね。どのように話していったらいいか……もしそれが、失敗すればもっとひどいことにね、なっていく恐れがあるので……。


記者B: いつまでも、こういう状態ではいられないわけですよね?


D(渡邊)の母: まあ、いられないけども、私が生きてる間は、私があれ(面倒)しますけども、私のあとは今度は(息子の)お姉ちゃんが引き継いで、やっていくしかないので……


記者B: 今でも、息子さんをずっと抱えて生きていくってことなんですか?


D(渡邊)の母: そうですね。


彼 (伊原) : (少年院を出て)一番最初にしたかったのがあのー、被害者の……彼女の供養。謝ってどうのこうのって問題じゃないんですけど、やっぱあれだけねえ、あのー、助けを求めたりしていた部分もあったのに、それに対して何も出来なかったので…。


ナレーター: 彼 (伊原) は遺族に謝罪しようとしたが、周りの反対に合い、諦めたという。その後の生活は職を転々とするなど、順調なものではなかった。中学時代の友人と連絡を断ち、未だに仕事以外で綾瀬に足を踏み入れることはない。


(字幕) 現在は建築会社で働く

(字幕) 1994年に結婚 事件のことをすべて話したという


彼 (伊原) : 最初はやっぱりビックリして(今の嫁が)、何日か会わない日が続いたんですけど……彼女も悩んだところがあったんでしょうけど……今の自分を見ててくれる部分もあって……。


(字幕) そして、子供が生まれた


彼 (伊原) : かなり、変わりましたね。仮にやっぱり自分がそういう…被害者の遺族の人達と同じようなあのー、立場に立ったら、もう……どうしていいかも分からないし、もういたたまれないどころの騒ぎじゃないと思うんですよね。それぐらい、(自分の)子供をやっぱ愛しているっていうのがあるんで…。

今、改めてそういう風な親の立場になって考えてみて、ホント遺族の人は……悔やんでも悔やみきれないし、もう悲しいとか……そういう次元じゃなかったと思うんですよね。本当にあのー、大変な思いをしたんだろうなっていう……まあ遺族の人たちとか……したんだろうなっていうより、今でもしてるんだろうなっていう……そういう気持ちはすごいありますね。


記者A: 罪を償うことって、どういうことだと思いますか?


彼 (伊原) : 一番恐いのはやっぱり忘れちゃったり、薄れていって……またそういう時の気持ちが、忘れちゃったりしたら、結局また同じことだと思うんですよね。だから……一番大切なのはやっぱり……忘れないということは、イコールやっぱりあのー、ずーっと悩んでいくことだと思うんですよ。これ多分、答えの出ない悩みだと思うんで、どんなに悩んでも。だけど、その悩んでくってことが、自分にとって科せられた……まあある意味、罰だと……。


記者A: そういう過去っていうのは今後…


彼 (伊原) : それは、子供にはちゃんと話そうと思う。まあ、どういう反応されるかわからないですけど、やっぱり自分の一応…そういう面倒な事とか、嫌な事から逃れようとした結果で、いろいろな今まで事件とか、あのー、悪い事を引き起こした部分もあるので……まあ、わかってもらえるかどうかはわかんないですけど、(子供に)分かる時がきたら、話そうと思います。


(当時の遺体遺棄現場の映像が写る。現在の様子も写る。現在は大きなビルが建っている。)


被害者の父の弁
「私の気持ちは当時と変わらない。加害者に対する感情も変わらない。」


久米宏: 今回の放送にあたりまして、殺された女子高生のお父様と、電話でお話するチャンスがありました。その際、被害者の父親は

「今更、事件を掘り返してほしくない。出来れば放送も止めていただきたい」

というお話でした。しかし、ご遺族に特集の主旨をご説明して、御覧のとおり、放送致しました。ご了解頂きたいと思います。


………まあ、人間っていうのは、なんて愚かで悲しいことをするんだろう、というのがまず………法律で罰を重くしようと軽くしようと、そういうのは関係なくて、なんでこんなことやってしまうんでしょうねえ。


朝日新聞編集委員 清水建宇(たてお)氏: この事件は、私が警視庁キャップになってすぐ起きた事件なんですよね。で、おそらくこんな酷い事件はその後、起きないだろうなって思って……その後起きてないと思いますね、これほど酷い事件は。

で、今のビデオ見てて、犯罪被害者の会の武るり子さんが、ここでおっしゃったことを思い出すんですが、被害者は、心から罪を反省して詫びてくれることを望んでいるんだと…そうおっしゃってましたけど、じゃあ、どうしたらそれが出来るのかっていうと、こうすれば出来ますっていう手引書はないし、何年間かかければそれが出来ますっていうものでもないし、やっぱり今の彼 (伊原) が言ってたように、一生答えの出ない難しい問題を背負っていくしかないんでしょうねえ。


久米宏: 罰が重い、軽いに関係なく、自分も含めて家族ももう、取り返しのつかない事になってしまうんですよね。それを是非、若い方にご理解頂きたいと思います。ニュースを続けます。
http://2ch-library.com/news/concrete/text/news-station.html

642 :少年法により名無し:2015/10/13(火) 09:51:12.47 ID:/72IErFf0
宮野は心から事件を反省している
遺族にも毎月手紙を送りすでに和解してるそうだ


653 :少年法により名無し:2015/10/16(金) 21:37:34.61 ID:ZfZkuIXq0

宮野は優しすぎたんだよ

とんぼのビデオを入れたりしたし、罪の意識もあったから吐いたんだろう

吐かなければ遺体が見つかっても、永久に身元不明の白骨死体で扱われてた
この頃、歌舞伎町のラブホテルでも連続殺人が起きたが、いづれも身元不明のまま時効
家出女はいつ殺されても、誰も気がつかない


656 :少年法により名無し:2015/10/17(土) 09:08:41.91 ID:oBSmFIFk0

他の奴らはしらんが
宮野は被災地にボランティアに行ったりしてるよ
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/youth/1429065087/


東海林のり子が公判を傍聴して驚いたのは、

「リーダー格の少年に言われるまま犯行に加わった少年の1人は逮捕から初公判の2カ月くらいで頭が(白髪で)真っ白になっていたことです。

自分のしでかしたことの重大性に気づいて恐怖のあまり、頭が白くなってしまったんですね。が、遅きに失したわけです」


106:NEWSまとめもりー訪問者 2015年06月08日 20:56

東海林のり子がいうように宮野のいいなりなって女子高生に暴力ふるった奴が初公判から2か月くらいの間に髪が白髪で真っ白になるくらい後悔してんなら

それが湊か渡邉か知らんが

そいつは被害者の両親が生きている間に被害者の両親に謝罪に行こうとか思わなかったのか?
まだ生きてんならせめて生きている間に自分が知っている限りの事件の全ての真相を語ってほしいものだな。


63:NEWSまとめもりー訪問者 2015年06月08日 05:05

これ犯人数人になっているけど100人以上関わっているらしいぞ!


59:名無しさん@NEWSまとめもりー2015年06月08日 04:06

周囲が気が付いていたというのがねぇ。。。

しかも犯行にかかわった連中はもっといたんでしょ、

綾瀬の知り合いに聞いたんだけど、ワゴンでさらわれることはよくあったらしいよ、
しかも駅の近くだよ。。。その子はこわもての知り合いがいたので、それを言ったら助かったらしいけど。。。

まぁ、本当か嘘か確認のしようがないけど、あの辺は表向きは静かに見えても、やばい連中は裏に隠れているって、他の子からも聞いたことある。

まぁ、10年前の話だけどね。。。


77:NEWSまとめもりー訪問者2015年06月08日 07:39

犯人達は今は派遣会社社員やってたり個人の人夫屋で人を斡旋して稼いでるんだってな
http://www.akb48matomemory.com/archives/1030114360.html


まあ、コンクリ事件に『闇の組織』とやらが関与しているとしても

少年B = 小倉譲= 神作譲

以外の3人は『闇の組織』の事は知らなかったという事でしょう。


2014年12月26日
地方で安いアパートで独り暮らしをしていたら、同じアパートに住んでる住人が「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人の一人だった


175: 名無しさん@おーぷん 2014/12/25(木)19:47:46 ID:PRb

大学生の時の話

東京から地方の大学に受かって人生初の一人暮らしをすることになった

それで安い小さいアパート(2階建てで4部屋しかない)の二階を借りて、悠々と過ごしてた

そのマンションには入居者が私を入れて二人しかいなくて、もう一人の人は私の斜め下の階に住んでいた

挨拶をしてもいつも無視で、いつも薄汚れたスエットを着ていた
変な人だな―と思いつつも気にしてなかった

大学に慣れて友達が出来てきた頃、私の家でレポート会(と言う名の鍋パ)をしようということになった

「家どこなの?」と聞かれたので大体の説明をすると、地元民の何人かが「え?」という顔をした

マンション名を言うと、その教室にいた全員が話すのをやめて青い顔で私を見た

結論を言うと、そのマンションのもう一人の住人が「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人の一人だった

恥ずかしながら事件のことを知らなかった私は、ググって詳細を知って本気で3日何も食べられなかった

友人たちは揃って「引っ越せ!」と言ってくれたし私もすぐに引っ越したかったけど、数年前に天涯孤独になっててお金がなくてすぐに動けず、だからといってそんな人間の居るマンションに帰りたくなくてオロオロしてたら友達が下宿させてくれることになった。今でも感謝してる

本当に本当に修羅場だった


176: 名無しさん@おーぷん 2014/12/25(木)23:27:49 ID:Lav

乙でした
つかその犯人、よく入居できたな
支援者とやらのマンションなのかな?


          
179: 175 2014/12/26(金)04:32:40 ID:ASt
>>176
別名が使える国の人だったから、別の名前使ってたらしい
でも街の全員がその人の存在を知ってた
私が入居する少し前に入居して、大学在学中に他の街に行ったらしい


2014年12月26日 08:55 ID:571796

悪い事したら引っ越してもいつのまにか近所に知れ渡って居づらくなって消えていく。
イイネ! ザマアダネ!


名無しの墓場 2014年12月26日 09:15 ID:571819

コンクリじゃなくてサカキバラだけど、
職場のおばちゃんネットワークであっという間に伝わってきたよ。
どこに住んでて、なにしているとか。近所だと怖いよ。


名無しの墓場 2014年12月26日 10:49 ID:571902


名前変えてても地元ではわかるんだね
そして自分が関わらないよう、通常は口つぐんでるんだね


名無しの墓場 2014年12月26日 10:49 ID:571907

だから他2部屋空いてたの…かな。


名無しの墓場 2014年12月26日 09:40 ID:571846

報告者が無事で良かった。
犯人の中には、結婚して子供がいる奴もいるはずだよね。
あんなことをした癖に、平気な顔して生きているなんてゾッとする。


名無しの墓場 2014年12月28日 07:19 ID:572007

普通に結婚した奴は犯人の一人と言っても被害者に直接は暴力を加えてない奴。
(宮野の子分で一回だけレ●プに参加した後、何回か見張りをさせられたらしい。)
主犯陣の小倉と湊は外人と結婚して日本を脱出しようとしたようだが、どっちも事件がバレて離婚になったそうだ。
世の中そう甘くないと言う事だなw


名無しの墓場 2015年04月24日 23:34 ID:572135

場所は埼玉県で湊じゃね?
あるサイトから引用

湊は出所後、一時両親のもとに身を寄せていたようだが、その後埼玉県内の1Kの木造アパートで暮らしていた。が、そこも1年ほど前に引き払っている。

「仕事は運送業だったと思います。独身でした。4万数千円の家賃を毎月きちんと持ってきていましたし、普通でしたよ。


名無しの墓場 2015年05月01日 14:49 ID:572148

このアパートか?

埼玉県さいたま市南区南浦和3-46-1桂ハイツ201


名無しの墓場 2015年05月01日 15:17 ID:572157

湊でよかったな。
小倉だったら投稿者も女子高生と同じ目に遇わされてたかもな。

小倉は凶悪な基地外ストーカー。

女子高生を誘拐して来たのはリーダーの宮野だが、宮野は女子高生にすぐ飽きて帰そうとしたのに小倉が女子高生を気に入って帰さなかった。

女子高生が警察に電話した時にシメる為にリンチし始めたのは宮野だが、勝手に女子高生と両思いだと勘違いしてた小倉が逆上。

それ以降の人間の所業じゃない陰惨なリンチは小倉が湊を焚き付けてやっていた。

宮野は最初のリンチと殺した時のリンチ以外はほとんど監禁場所に寄り付いてない

渡邉は最後のリンチ以外はほとんど悪事(女子高生の件やそれ以外の犯罪も)に加担してない。

湊は一人じゃ何も出来ないヘタレ。

小倉がバックに付いてるのをいい事に女子高生をおもちゃにしたクズ。
(こいつも女子高生に勝手に横恋慕してて相手にされなかったから女子高生を逆恨みしてた。)

真の主犯は小倉。
奴自身が自慢気に話していた。

全部宮野に被せて少ない刑期で出所。

そして、出所後また女をストーカーして相手にされないからとその女と仲の良い男を腹いせにリンチして檻に逆戻り。
死刑にしろよ。こんな糞。
http://kikonboti.com/10817.html


つまり、コンクリ事件が 妄想性人格障害者の

おおたこうじ=佐伯まお=シノブ = ijupLvQrhg

が妄想している様に『闇の組織』とやらの指示でやったものとしても、その『闇の組織』というのは

少年B = 小倉譲= 神作譲

の属する組織、即ち 極東会しか考えられないですね。

極東会はテキヤが本業の傍系の場末ヤクザなので、もちろん創価学会とかCIAの様な大組織とは関係ないのですね。


宮野裕史が組織した極青会と名乗るグループは暴力団 極東会の下部組織と繋がっていた
極青会 メンバー40名~50名強盗傷害、婦女暴行を目的とした恐るべき集団である


宮野裕史は20人位の女性に拉致レイプを繰り返し、 足立区 綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件を起こした、 昭和63年8月下旬から平成元年1月下旬まで、

同区内の暴力団 極東会 関口一家 桜誠会 幹部 豊田倖一 営業の生花店「フラワーフレンド」でバイトをしていた。

この当時、地元の不良を集め極東会の傘下組織「極青会」を組織。


693 :少年法により名無し :04/07/27 13:56

小倉譲は出所後、松戸に身を隠しました。

松戸は極東会と稲川会のシマ。

松戸を追い出されたので古巣の関口一家に身を寄せました。

そして神作の姓をもらい改名しました。

頃合いを見計らって母親が関口一家に買わせた自宅に戻りました。

関口一家は極東会の中でも最低の部類に属する組なので譲は水を得た魚のようでした。


668 :少年法により名無し :04/07/27 11:55

コンクリスレを監視して話を逸らそうとしてるのも極東会の人ら。

って話を極東のヤツから聞いたわけ。

彼ら自身が書き込めないのは上からの命令だそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/iori3/20040731/p1

因みに、創価学会はコンクリの少年達とは全く関係ないので、仮に闇の組織とやらが存在するとしても創価学会の関連組織ではないです:

湊伸治の父親は日本共産党員で創価学界とは敵対関係にあり、

従って、湊伸治が創価学会関係者に従う事は有り得ないのですね。


湊 伸治(みなと しんじ、1972年12月16日 - )は、女子高生コンクリート詰め事件の少年C


中学時代の知り合いである宮野・小倉(神作)・渡邉(それぞれ少年A(後に横山に改姓)・B(後に神作に改姓)・D)と共に暴力団の下部組織「極青会」を結成する。

極青会での役職は書記であるが名目上の役職でしかなく、先述の三人同様、単なるパシリぐらいにしか扱われていない。

彼の家(足立区綾瀬)は不良や暴走族メンバーの溜り場と化しており、被害者はここで地獄の生活を強いられた。かなりの格闘フェチであり、被害者を暴行・虐殺した部屋にはキックボクシング器具があった。


湊の家族
父・靖人−共産党系の病院の事務長をしていたが事件後退職。
母・ます子−靖人と同じ病院の看護師をしていたが靖人と同様退職。
兄・恒治−1972年1月21日生。神作譲(旧姓小倉)の同級生。


この基地外一家は被害者は創価学会だから死んで当然という態度をとっていた
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E6%B9%8A%E4%BC%B8%E6%B2%BB

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