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2024/10/22 (Tue) 15:51:35
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世界の名画・彫刻
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ZERO ART / ゼロアート - YouTube
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▲△▽▼
ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877年6月3日 - 1953年3月23日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A3
ラウル・デュフィ - YouTube
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2024/10/22 (Tue) 15:57:20
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昼食の後 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年10月22日 08:25)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8046.html
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若い頃のデュフィは、色々な画風に挑戦した。まず、印象主義の影響を受けた。ついで、マチスらのフォーヴィズム、ブラックに啓発されてキュービズムへの傾斜、そしてドイツ表現主義の影響。これらの影響を踏まえてデュフィは自分自身の独自の画風を確立していくのである。
「昼食の後(Après le déjeuner)」と題されたこの絵は、デュフィの印象主義的な作品を代表するもの。デュフィには印象主義の影響を感じさせる作品が他にも多くあるのだが、この絵がもっとも印象主義的な雰囲気を感じさせる。他の作品にくらべて、光を強く感じさせるのである。
タイトルにあるとおり、草むらに弁当を広げていた淑女が、弁当を食べ終わって休息しているところを描く。この絵には、あふれるほどの光のまぶしさを感じるとともに、色彩の明暗対比も強く感じさせる。デュフィには、生涯を通じて、光と明るい色彩感覚というものがあって、それが初期のこの作品でも、ナイーブな形で表現されている。
(1905年 カンバスに油彩 52.7×64.8㎝)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8046.html
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2024/10/25 (Fri) 15:46:21
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トルーヴィルのポスター ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年10月24日 08:20)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8048.html
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デュフィは、フォーヴィストとして位置づけられることが多い。印象派から脱してフォーヴィズムに興味を抱いたのはたしかで、かれの画壇へのデビューもフォーヴィストのデビューに重なっていたので、そう見なされることには不自然さはない。しかし、かれがフォーヴィズムにかぶれていたのは一時期のことで、すぐに他の画風への転換を模索した。しかし、色彩や構図などについてフォーヴィズムの影響はかなり強かったと思われる。
デュフィがフォーヴィズムにかぶれるきっかけは、1905年の秋に催された第三回サロン・ドートンヌを見たことである。この展覧会は、フォーヴィズムの旗揚げ展ともいわれるように、マチス、マルケ、ドラン、ヴラマンクといった画家たちが出展した。それまで印象派に影響されていたデュフィは、以後フォーヴィストたちの影響を強く受けるようになる。
「トルーヴィルのポスター(Les Affiches à Trouville)」と題されたこの絵は、フォーヴィズムの影響を強く感じさせる作品。それまでは、光を重視する印象派的な画風だったものが、ここでは、明瞭な形象と強烈な色彩というフォーヴィズムンに特徴的な要素を見ることができる。
(1906年 カンバスに油彩 65×88㎝ パリ、近代美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8048.html
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2024/10/26 (Sat) 17:13:48
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旗で飾られた通り ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年10月26日 08:24)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8051.html#more
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「旗で飾られた通り(La Rue pavoisée)」と題されたこの絵は、デュフィのフォーヴィズム期の代表作の一つ。彼の故郷ル・アーヴルの街の様子を描いている。旗が飾られているのは、革命記念日を祝ってのことである。かれは1906年の夏に故郷のル・アーヴルに滞在し、7月14日の革命記念日の様子を描いたのであった。この時には友人の画家マルケも同行していて、やはり同じような構図の絵を描いている。
この絵の構図は、モネの有名な作品「モントルグイユ通り」を意識している。モネは多くの旗が飾られたモントルグイユの通りを、俯瞰した構図で、遠近感をこめて描いたのだったが、デュフィは遠近感を排除して、徹底的に平面的な構図にしている。そこにフォーヴィズムの強い影響を感じる。マチスらフォーヴィズムの画家は、平面的な画面に豊かな色彩を施した。
画面中央に三色旗を大きく配し、それと並べていくつかの旗を配している。その配置の仕方がアトランダムなので、互いの距離感がなくなり、そのため遠近感もなくなっている。
(1906年 カンバスに油彩 81×65㎝ パリ、国立近代美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8051.html#more
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2024/10/30 (Wed) 04:34:57
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エスタックの樹木 ラウル・デュフィのキュビズム風の作品
続壺齋閑話 (2024年10月29日 08:21)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8056.html
Dufy08,_Arbres_à_l'Estaque.jpg
デュフィのキュビズムへの関心は、1907年のサロン・ドートンヌでセザンヌの回顧展を見たことで搔き立てられた。かれはル・アーヴルの出身で年下の画家ジョルジュ・ブラックと、セザンヌを手掛かりにしてキュビズムを研究した。ブラックはすでに1906年からセザンヌの研究にとりくんでいて、そこからキュビズムの可能性について自覚しつつあった。
「エスタックの樹木(Arbres à L'Estaque)」と題されたこの絵は、デュフィのキュビズム的な傾向を代表する作品。かれは南仏のエスタックに赴き、そこでブラックと合流して、キュビズムの可能性について追及した。セザンヌに促される形で、形態を見えるままにではなく、観念的に抽象化しようという姿勢をとった。しかし、ブラックのように極端には走らず、穏やかな抽象化にとどまった。
ブラックも同じような構図の絵を描いている。ブラックのほうが、画面がにぎやかで、立体感を強く感じさせる。デュフィのほうは、なるべく単純化しようとする意図が指摘できる。
(1908年 カンバスに油彩 44.5×37㎝ マルセーユ、カンティーニ美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8056.html
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2024/10/31 (Thu) 09:19:21
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大浴女 ラウル・デュフィの表現主義的作品
続壺齋閑話 (2024年10月31日 08:17)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8058.html#more
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1910年ごろに、デュフィの画風に変化が起こった。それまでのキュビズムへの傾斜に加えて、ドイツ表現主義の影響が見られるようになった。かれは1909年にフォーヴィストのフリエスとともにミュンヘンを訪れ、そこで表現主義に接したようである。フリエスのほうも、1911年ごろから表現主義者の集まりベルリン分離派と交渉するようになった。かれらは二人ともども、表現主義に影響されたようである。
「大浴女(La grande baigneuse)」と題されたこの絵は、キュビズムに表現主義の色彩をほどこしたような印象を与える。立体感あふれる浴女の表現に、原色を多用した表現主義的な色彩感覚が重なっている。
表現主義といえば、人間の内面をそのままに表現したという定義がなされるのが普通だが、色彩面でも共通した特徴がある。原色を多用し、ダイナミックな色彩表現をすることだ。エミール・ノルデやアウグスト・マッケがそういう傾向を代表している。デュフィのこの作品にも、そうした傾向が指摘できる。
(1913年 カンバスに油彩 245×182㎝ ブリュッセル、ベルギー王立美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/10/post-8058.html#more
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2024/11/02 (Sat) 16:46:16
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バラ色の服を着た夫人 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月 2日 08:35)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8061.html
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「バラ色の服を着た夫人(La dame en rose))と題されたこの絵は、表現主義のほかにゴーギャンやゴッホの影響を感じさせる。明瞭な輪郭線とか、どぎついほどの色彩表現である。表現主義自体に、ゴーギャンとかゴッホにつながるものがあるから、これは不思議ではない。
不安定なまま置かれた椅子に、バラ色の服を着た夫人が、これもまた非常に不安定な姿勢で座っている。その姿勢の描き方に、ゴーギャンがタヒチで描いた現地の女の姿勢を感じ取ることができよう。
これにはいくつかのバージョンがある。もっとも有名なのは、パリのポンピドー・センターにあるもの。そちらは、椅子の部分を塗りつぶして、ゴッホを思わせる荒々しいタッチのブラシワークが特徴的である。
(1908年 カンバスに糊付けの紙に油彩 105×75.5㎝ グルノーブル美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8061.html
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2024/11/05 (Tue) 20:54:45
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青い騎士 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月 5日 08:11)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8065.html#more
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「青い騎士(Le cavalier bleu)」と題されたこの絵は、タイトルからして、ドイツ表現主義を連想させる。アウグスト・マッケやエミール・ノルデらが1911年に結成した表現主義運動は「青い騎士(Blaue reiter)」と称していた。デュフィはそれに敬意を表してこの絵を描いたのであろう。
ドイツ表現主義運動を象徴する作品として、フランツ・マルクの「青い馬」が有名である。それは荒野を背景に青い色の馬がほぼ正面を向いて立っているところをとらえたものだ。
デュフィのこの絵は、青く塗りつぶされた背景から、白い馬にまたがった騎士が浮かびあがるように描かれている。騎士は赤を交えた派出な色合いの衣装を着ている。顔も赤く塗りつぶされている。
(1914年 カンバスに油彩 66×81㎝)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8065.html#more
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2024/11/07 (Thu) 19:40:54
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モーツァルト頌 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月 7日 08:21)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8067.html#more
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デュフィはモーツァルトを敬愛していて、十数点の「モーツァルト頌」を制作している。1915年のこの作品は水彩画で、かれのモーツァルトへの敬愛がよく表現されたものだ。これを描いた頃のデュフィは、自分自身の画風の確立に向けて試行錯誤を続けていた。それまでは、表現主義の雰囲気を濃厚に感じさせるものが多かった。この絵には、それとは違った軽快さがうかがわれる。
デュフィがモーツァルトに感じた魅力は、単純な明快さだ。モーツァルトの強みは、単純で短いモチーフを組み合わせて、軽快でしかも踊りたくなるような愉快なメロディを繰り出すことだった。ベートーベンのモチーフも非常に短かったが(第五の出だしのように)、それを展開すると重々しい雰囲気になった。モーツァルトは決して軽快さを失わなかった。
石膏像にかたどったモーツァルトをピアノの上に乗せ、両肩からバイオリンが腕の代わりに伸び出ている。彩色は色鮮やかであり、水彩らしい透明感を強調している。
(1915年 厚紙に水彩 64・5×50.5㎝ バッファロー、オールブライト・ノックス・アート・ギャラリー)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8067.html#more
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2024/11/09 (Sat) 20:48:41
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ヴァンスの噴水 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月 9日 08:31)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8070.html
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1910代の後半から1920年頃にかけて、デュフィーは自分自身の独自の画風の確立に取り組んでいた。それはキュビズムやフォーヴィズムあるいは表現主義といった運動とは一線を画して、自分にしか描けないような絵でなければならなかった。「ヴァンスの噴水(La fontaine de Vence)」と題されたこの絵は、そうした努力から生まれたものである。
一見して見て取れるように、遠近法を完全に無視した徹底的に平面的な構図である。絵画はもともと立体的な対象を、二次元の平面の上に再現するのであるから、平面的に描くと言うのは、或る意味自然なのである。デュフィーはその単純なことを、意識的に追求したのであった。
構図がユニークなだけではない。色彩もユニークである。単純化された色彩の組み合わせ、その単純さを生かして、ダイナミックな躍動感を演出している。以後デュフィーの絵は、構図における徹底的な平面化と単純な色彩という道を究めていくことになる。
(1921年 カンバスに油彩 65×54㎝ パリ、国立近代美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8070.html
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2024/11/12 (Tue) 23:00:02
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サーカスの馬 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月12日 08:29)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8074.html
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1920代の前半にデュフィは馬をモチーフにした作品を数多く手がけた。「サーカスの馬(Chevaux de cirque)と題されたこの絵は、その代表的なもの。これは、紙にアクリル絵の具で描いたものだが、ほかにカンバスに油彩で描いたものもある。こちらのほうが、当時のデュフィの画風をよくあらわしていると思われる。
十一頭もの馬が整然と行列する様子を描いている。おそらく舞台上で本番の演技をしているのであろう。その行列の傍らでは、調教師に調子を合わせている馬がいる。この馬が、一座の馬たちの花形なのであろう。
構図も配色も、ほかの画家には見られないデュフィ独自のものである。形は最大限単純化し、彩色は目が覚めるような鮮やかさである。デュフィがついに自分だけの画風を確立した記念碑的作品といってよいのではないか。
(1924年 紙にアクリル 53×72㎝ トゥールーズ、バンベルク財団)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8074.html
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2024/11/14 (Thu) 12:16:09
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ル・アーヴルに寄港するイギリス艦隊 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月14日 08:17)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8077.html#more
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「ル・アーヴルに寄港するイギリス艦隊(La Visite de la flotte britannique au Havre)」と題されたこの絵は、デュフィの故郷であるル・アーヴルの光景を描いた作品。ル・アーヴルはドーヴァー海峡に面しているので、イギリスの船がよくやってきた。デュフィは子供のころからその眺めに親しんでいた。この絵には、そうしたデュフィの親しみの感情がよく表れている。
艦隊とはいっても、軍艦の集団には見えない。さまざまなタイプの船が見られるが、どれも民生用のようである。蒸気船よりヨットのほうが大きいのが面白い。この絵には、実在の大小差はほとんど考慮されていない。だいたい、海と陸の区別もない。船も人も勝手気ままに空間を占めている。
ブルーを基調にした色彩配置が強烈な印象を与える。グリーンを含めたブルー系の寒色を背景に、赤やオレンジなど暖色系の色を巧みに配置している。画面はかなり込み入っているが、色彩配置が単純なため、うるさくは感じない。
(1925年 紙に水彩とグアッシュ 40.3×60.3㎝)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8077.html#more
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2024/11/16 (Sat) 20:12:34
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ニースの桟橋 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月16日 08:22)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8080.html#more
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「ニースの桟橋(La jetée, promenade à Nice)」と題されたこの絵は、カジノで有名なニースの海岸風景を描いた作品。ニースはイタリアとの国境に近い地中海の沿岸の町。近くには映画祭で有名なカジノ都市カンヌや、やはりカジノで有名なモナコがあるので、このあたりはカジノの天国といってよい。
この絵に描かれているのは、桟橋に面したカジノの建物と、遊歩道である。ニースには二件のカジノがある。こちらはカジノ・リュールといって、こじんまりしたほう。
構図といい、色彩配置といい、デュフィでなければ思いつかない斬新な組み合わせである。建物や樹木が明確なラインで表現されているので、マティスのフォーヴィズムズムとよく比較される。
(1926年 カンバスに油彩 38×46㎝ パリ市立近代美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8080.html#more
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2024/11/19 (Tue) 12:25:10
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ニースのカジノ ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月19日 08:25)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8084.html
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「ニースのカジノ(Casino a Nice)」と題されたこの絵も「ニースの桟橋」におけると同じカジノをモチーフにしている。デュフィはこのカジノの眺めがよほど気に入ったと見えて、実に沢山の作品を描いている。リトグラフも作っている。
前作よりもずっと単純化された構図と、色彩の鮮やかさが特徴である。とくにブルーを効果的に使っている。画面の大部分がブルーである。そのブルーを下地にして、建物や樹木がそこに貼りついているような描き方だ。遠近法もなければ、当然立体感もない。ひたすらに平面的である。
このカジノは桟橋に面している。画面右手にその桟橋らしいものが見える。
(1927年 カンバスに油彩 51×60㎝ プライベート・コレクション)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8084.html
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2024/11/22 (Fri) 11:25:08
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窓の開いた室内 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月21日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8086.html#more
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デュフィはビジネスの才能もあって、自分の絵をリトグラフで印刷して大量販売した。「窓の開いた室内(Interieur a la Fenetre ouverte)」と題されたこ絵は、そんなリトグラフの傑作。これはポスター・サイズで、一般の美術愛好家が室内に飾るのに適している。
モチーフは、タイトルにあるとおり、窓が開いた室内。画面の左右両側に、扉を開いた窓が描かれ、その窓の手前に白い花を活けた花瓶が小卓の上にのせられている。白い花は百合のように見える。また、窓の外の景色は、どこかの海岸であろう。
室内画として壁にかけるのに適した作品である。この時期になると、デュフィの筆使いはより自由になり、構図も色使いも自由自在である。色彩に関しては、リトグラフの特性を最大限生かして、軽快そのもののイメージを演出している。
(1928年 紙にリトグラフ 66×82㎝)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8086.html#more
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2024/11/23 (Sat) 18:01:07
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ドーヴィル競馬場 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月23日 08:20)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8089.html#more
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デュフィは馬が好きで、競馬場の絵を数多く描いている。かれが赴いた競馬場は、パリ周縁部にとどまらず、地方の競馬場や海外の競馬場にも足を運んで、レースやパドックの雰囲気を巧みに表現している。「ドーヴィル競馬場(Deauville, le champ de courses)」と題されたこの絵は、ノルマンディーの小都市ドーヴィルにある競馬場をモチーフにした作品。
レースが始まる前の、ウォーミングアップ中の馬たちをとらえる。騎手を乗せた馬のほかに観客らしい人々も集まってきている。地方の競馬場にはこのように寛いだ雰囲気のところがあったのだろう。
デュフィは、エプソムやアスコットといったイギリスの競馬場も描いている。競馬場は芝生の緑が鮮烈なので、かれの競馬場の絵はだいたいがグリーンにあふれている。この絵も例外ではない。
(1928年 カンバスに油彩 54.5×65㎝ パリ、国立近代美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8089.html#more
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2024/11/27 (Wed) 14:55:05
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静物 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月26日 08:18)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8093.html#more
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「静物(Nature morte)」と題されたこの絵は、デュフィの作品のなかでももっともデュフィらしさにあふれた作品。水彩画の特性を生かして、透明な色彩感覚と単純明快な線の組み合わせが、じつに軽快な印象をかもしだす。
画面ほぼ中央に果物を盛った鉢を置き、その周囲にワイングラスにフラスコ、そしてパンなどが描かれる。それらはおそらくテーブルの上に乗っているのだろうが、テーブルの輪郭は曖昧である。その一方で、果物やワイングラスの輪郭は明瞭に描かれている。
中景にテーブルと椅子、遠景に二つの家が描かれているが、前景と遠景との間に遠近感はない。ひたすら平面的である。
(1928年 紙に水彩 53×67㎝ プライベート・コレクション)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8093.html#more
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2024/11/28 (Thu) 17:56:05
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インド女のいる室内 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月28日 08:28)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8096.html#more
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1928年から1930年にかけてデュフィは、インド人女性をモチーフにした一連の絵を描いた。1926年にモロッコを旅した際に、サルタンの後宮にいる女性たちをみて、そのエキゾチズムにひかれたのである。サルタンの後宮の女性たちが本当にインド女性だったかどうか、たしかではない。デュフィが彼女らのエキゾチックな雰囲気に、インドを感じたのかもしれない。
この絵(「インド女のいる室内」 Interiour avec femme indienne)の中のインド女は、壁を青く塗った部屋の中で、青い椅子に腰かけた姿でポーズをとっている。それはデュフィがこの女の絵のシリーズのために、わざわざ自分の部屋をそのように仕立てたのだそうだ。
インド女はかなりけばけばしい服装をしている。それ以上に、部屋自体がけばけばしい印象を与える。これはデュフィの美的趣味をあらわしているのだそうだ。
(1930年 カンバスに油彩 81×100㎝ コペンハーゲン、デンマーク国立美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8096.html#more
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2024/11/30 (Sat) 09:59:42
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デュフィ夫人の肖像 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年11月30日 08:28)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8101.html#more
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デュフィは、1907年30歳のときに結婚した。相手は、故郷ル・アーヴルの帽子店の店員ウジェニーだった。そのウジェニーの肖像画をデュフィはあまり多くは描いていない。デッサンの類は結構残っているが、この絵のような本格的な作品は少ない。かれら夫婦は仲が良くなかったというから、デュフィは妻をモデルにすることを控えたのであろう。
セルリアンブルー単色の背景に、ウジェニーの半身が浮かび上がって見える。彼女は黒い模様の上着と派手な色彩のスカートといういでたちで、椅子に体を沈め、両手を顎のまえで組み合わせてポーズをとっている。これらの模様はデュフィ自らデザインしたものといわれている。
大きな目玉が印象的。ほかのデッサン類のなかでも、ウジェニーは大きな目玉をぎらつかせているから、その目玉から我々は、彼女の強気な性格を感じる。
(1930年 カンバスに油彩 100×81㎝ プライベート・コレクション)
https://blog2.hix05.com/2024/11/post-8101.html#more
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2024/12/04 (Wed) 09:51:59
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ラ・ヴィ・アン・ローズ ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月 3日 08:54)
https://blog2.hix05.com/2024/12/post-8105.html#more
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「ラ・ヴィ・アン・ローズ(la vie en rose)」のタイトルで知られるこの絵は、画面下部に「1901 30 ans ou la vie en rose Raoul Dufy 1931」という署名があるところから、1901年に着手され、30年を経たのち、1931年に完成したと読める。1901年は、デュフィが24歳のときであるから、かれの青春時代である。その青春時代に構想された作品を、かれは「ラ・ヴィ・アン・ローズ(バラ色の人生)」と命名したわけである。
24歳のデュフィの人生がばら色だったかどうか、それはわからない。かれは21歳で兵役につき、23歳で奨学金をもらってパリの国立美術学校に入った。24歳のときには、サロン・デ・ザルティスト・フランセ展に画家として初めて出品した。画家を目指し始めた青年として、自分の前途がばら色に見えたということはありうる。
「バラ色の人生」といえば、エディット・ピアフが歌ったシャンソンが思い浮かぶ。ピアフがそれを歌ったのは1948年のこと。彼女自身が歌詞を書いたのであるが、無論デュフィのことは意識していなかった。
(1931年 カンバスに油彩 98×128㎝ パリ、市立近代美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/12/post-8105.html#more
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2024/12/05 (Thu) 15:34:24
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カウズのレガッタ ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月 5日 08:15)
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レガッタとは、ヨットやボートなど人力で走らす船のレースのこと。カウズは、ル・アーヴルからドーヴァー海峡を隔てた対岸のイギリスの港町。そこでレガッタが毎年開かれていた。デュフィはたびたび海峡をわたってカウズを訪れ、そこでのレガッタの様子を描いている。この作品「カウズのレガッタ(Régates à Cowes)」は、その代表的なもの。
画面のいたるところにヨットが見えるから、これはヨットのレガッタなのであろう。画面左手にフランスの国旗が翻っているのが見えるが、これはご愛敬だろう。雑然としながらも祝祭的な雰囲気も感じさせる。実際のレースも祝祭的だったのであろう。
同じような構図の絵を何点か描いている。その中でこの作品がもっとも迫力を感じさせる。
(1934年 カンバスに油彩 81.6×100.3㎝ ワシントン、ナショナル・ギャラリー)
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2024/12/07 (Sat) 15:18:00
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アンフィトリテ ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月 7日 08:44)
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アンフィトリテ(Amphitritē)は、ギリシャ神話の海神ポセイドンの妻である。ホメロスの「オデッセイ」では、海の巨大な生き物を従えていると描写されている。また、テーセウス神話では、ミノスに言われて海底にやってきたテーセウスを丁重に出迎えたことになっている。古来絵画の題材として好んで描かれてきた。海に君臨する女王というイメージが支配的である。
この絵の中のアンフィトリテは、海面に突き出た白い岩の上に座し、右手に法螺貝のようなものを持っている。彼女の周囲の海上には、さまざまなものが無秩序に配置されている。中には都市のようなものも見える。彼女の頭のまわりには、三角形の白っぽい物体が、雲霞のようにまとわりついているが、その正体はわからない。
同じような構図で、いろいろなバージョンがある。ポンピドゥー・センターにある大画面のものが有名である。
(1936年 カンバスに油彩 188×160㎝ プライベート・コレクション)
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2024/12/10 (Tue) 17:08:33
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歌姫のいるオーケストラ ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月10日 09:04)
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1937年以降、フランスの作曲家でパリ音楽院管弦楽団の指揮者だったシャルル・ミュンシュと親しくなったデュフィは、オーケストラをモチーフにした一連の絵を制作した。「歌姫のいるオーケストラ(L'orchestre à la chanteuse)と題されたこの絵は、その代表作の一つ。
ミュンシュの証言によれば、デュフィはたびたびかれの楽団の練習光景を見に来ては、その様子を熱心にスケッチしていたということだ。時には、楽団員の間に交わり、一緒に演奏を楽しむこともあったという。
オーケストラのフルメンバーを俯瞰する構図だ。おそらく正面上部から見おろしたのだと思う。指揮者はミュンシュだろう。その手前に歌手が立って、独唱している。これは練習ではなく、本番の様子を描いたようである。
(1942年 カンバスに油彩 54×65㎝ パリ、ルイ・カレ画廊)
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2024/12/12 (Thu) 11:18:32
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ヴァンスのアトリエの裸婦 ラウル・デュフィの裸体画
続壺齋閑話 (2024年12月12日 08:22)
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デュフィの裸体画は、アトリエでモデルにポーズをとらせているものが多い。モデルは寝そべっていたり、立っていたり、椅子に座っていたりと、いろいろなポーズで描いている。「ヴァンスのアトリエの裸婦(Nu dans l'atelier de Vence)と題されたこの絵は、寝そべっているポーズを描いたものだ。
デュフィは1945年に南仏のヴァンスに滞在した。その折に、かなりな数の裸体画を制作した。かれの裸体画の大部分はヴァンス滞在中のものである。
赤いカーペットの床の上にシートを敷き、その上にモデルの裸婦が寝そべっている。彼女の眼の先にはカンバスを立てかけたイーゼルが置かれている。彼女の背後は開かれた窓で、その先にはヴァンスの村が広がっている。
モデルが誰であるか、くわしくはわからない。妻ではないようである。
(1845年 紙にグアッシュ 50.4×66.2㎝)
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2024/12/14 (Sat) 21:11:09
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オレンジのコンサート ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月14日 08:23)
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「オレンジのコンサート(Le concert orange)」と題されたこの絵は、別名を「赤いチェロの五重奏団」という。デュフィは、ミュンシュとの付き合いから、オーケストラを描いたものだが、この作品は小規模な楽団を描く。その分、演奏家の息遣いがストレートに伝わってくる。
油彩画なのだが、色彩の明るさや、ラインの強調などから、水彩画のように感じさせる。要するに軽快なイメージの作品である。
室内楽ではあるが、会場は結構大きい。二階席まで満員の聴衆を巻き込んで、会場全体を弦楽器の音が満たすさまが感覚的に伝わってくる。
(1948年 カンバスに油彩 60×73㎝ パリ、ルイ・カレ画廊)
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2024/12/18 (Wed) 17:47:53
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赤いバイオリン ラウール・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月17日 08:20)
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晩年のデュフィは、モチーフを音楽にとることが多くなり、また、色彩は単純で鮮やかなものになった。赤へのこだわりが強くなる。「赤いバイオリン(Le Violon Rouge)」は、そうした傾向を強く感じさせる作品。赤いバイオリンと譜面が黒いテーブルの上にのっているという、ごく単純な構図だ。
譜面の上部には、「ラウール・デュフィの音楽と絵画」と記されている。この絵を通じて、私の音楽を聴いてほしいと呼び掛けているようである。もっとも、楽譜を読む限り、具体的な音は伝わってこない。
デュフィは、若い頃に「モーツァルト頌」など、音楽家をモチーフにした作品を手掛けており、もともと音楽への関心は深かった。
(1948年 カンバスに油彩 38.5×46㎝ パリ、国立近代美術館)
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2024/12/19 (Thu) 09:01:11
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バッハ頌 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月19日 08:22)
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最晩年のデュフィは、好きな音楽家をモチーフにした絵を描いた。「バッハ頌(Nature morte au violon : hommage à Bach)」と題されたこの絵は、かれのバッハへのオマージュである。デュフィはモーツァルトにも深い関心を示しており、単純で健康的な音楽が好きであった。
真っ赤な壁紙を貼った部屋の中に、オルガンらしきものが置かれ、その上に黒いバイオリンが置かれている。どちらもバッハが愛用した楽器である。バッハ自身の姿は、抽象的に表現された顔が画面の中ほどに見えている。その顔を囲むように、さまざまな種類の花びらが舞っている。
右側の壁にも、花をあしらった静物画が架かっている。それがブルーで塗られているために、壁の赤との間に強烈なコントラストをかもしだしている。
(1952年 カンバスに油彩 81×100㎝ パリ、国立近代美術館)
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2024/12/21 (Sat) 16:03:46
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ゲルマ小路のアトリエ ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月21日 08:28)
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ラウル・デュフィは、パリ北部のクリシー通りに接続するゲルマ小路にアトリエをもっていた。このあたりは、ユトリロやブラックなど芸術家が住んでいた地域で、芸術家村の異名があったほどだ。「ゲルマ小路のアトリエ(L'Atelier de l'impasse Guelma)と題されたこの絵は、文字通りかれのアトリエの内部を描いたものである。
1935年に制作にとりかかり、最晩年(1952)に完成させた。アトリエは左側の奥の部屋と、右側の手前の部屋からなっている。奥の部屋には、晩年のデュフィ気に入りの楽器バイオリンが置かれており、手前の部屋には、デュフィ愛用のパレットが置かれている。
油彩画なのだが、ペン画に水彩絵の具を塗ったような味わいがある。右側の窓越しに見えるのは、ゲルマ小路の建物群であろう。
(1952年 カンバスに油彩 89×116㎝ プライベート・コレクション)
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2024/12/24 (Tue) 15:59:06
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ドビュッシー頌 ラウル・デュフィの世界
続壺齋閑話 (2024年12月24日 09:12)
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「ドビュッシー頌(Hommage à Claude Debussy)」と題されたこの絵は、デュフィ最晩年における一連の音楽家シリーズの一作。「バッハ頌」とほぼ同じ構図である。ただ壁の色を、バッハの赤主体からオレンジとグリーンの組み合わせにかえ、また、バイオリンのかわりにグランド・ピアノを置いている。グランド・ピアノの上には、ドビュッシーの名を記した楽譜が乗っている。
左側から順に、オレンジ、イェロー、グリーン、ブルーという具合に、色彩が連続的に変化している。まるで虹のような色彩配置である。画面全体に色彩があふれ、フォルムの単純さが色彩の効果を高める役割を果たしている。
デュフィはほかに「ドビュッシーの墓」という石版画も作っている。ドビュッシーをフランスの生んだもっとも敬愛すべき音楽家と思っていたようである。
(1952年 カンバスに油彩 59×72㎝ ニース、マセナ美術館)
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2024/12/26 (Thu) 16:26:34
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アネモネ ラウル・デュフィの静物画
続壺齋閑話 (2024年12月26日 08:11)
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デュフィは、アネモネの花が好きで、おびただしい数の作品を残した。上の絵は、最晩年死の直前に完成させたもの。かれはこの作品にこだわっていて、比較的早い時期にとりかったものを、死の直前になって完成させたのである。
水彩画であるから、絵の具を塗り重ねるということはできない。さまざまな色合いに調合した絵の具を、それぞれ固有の場所に塗っていくというやり方になる。この絵の場合には、まず絵の具を塗ってから、その上からペンで輪郭を描いたと考えられる。
デュフィ晩年のスタイルは、色彩を自由に組み合わせるというものだった。この作品での色彩表現は、ほかの作品と比べると地味のように見える。
(1953年 紙に水彩画 パリ、近代美術館)
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