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秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください

1:777 :

2022/06/02 (Thu) 16:49:44

秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください

皇室がDNA公開を厳禁し、死後は火葬にする事にした理由


世間の噂

秋篠宮文仁  
みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください

「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w


ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。

表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。

ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。

真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

______

美智子様の実子は1人だけ??? 2013年3月4日月曜日

ベルギー大使館のパーティーに行った時に、
イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。

その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。

なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確立は高い。

ちょっと「美智子様の子供は一人だけ」とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは、

「秋篠宮の父親が違う」

という驚きの情報だった。と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供で、しかも、父親は天皇陛下ではないと言う話になる。
2:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:31:46

秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でないという噂は、関係各位に根強く伝承されている。

噂の出所は、天皇一族の警護、護衛を主務とする皇宮警察。 皇宮警察と言えば、警察官の中でも選りすぐりの良血者で構成されている機関だが、良血と言っても所詮は田吾作集団。

酒が入れば、口も軽くなり、同期生が集まれば、ここだけの話が、あっちこっちで交わされるのである。

「ここだけの話だが、秋篠宮が、天皇の本当の子供でないってこと、お前知ってるか?」 ここだけの話の一つが、それである。

それが酒席の冗談で終わらなかったのは、それなりのバックボーンがあるからだ。

遡ること四十数年、昭和天皇の后や、后の取り巻き女官たちから陰湿なイジメを受けた美智子妃殿下 (当時) は、精神に深いダメージを受け、那須の御用邸で一人寂しい静養生活を送っていた。


生まれついての貴種である前の皇后にとって、平民出身の美智子妃殿下の一挙一動作がしゃくの種。 子供 (浩宮) の育て方に始まって、手袋の持ち方一つにもアヤをつけたのである。

悩み多き貴婦人の警護を担当していたのが、若き偉丈夫の皇宮警察官。 深い同情が恋情に変わり、いつしか二人は恋に落ちたというのが、まことしやかな警察物語である。

そして、皇太子 (当時) と没交渉の筈の妃殿下に、懐妊のニュースが流れることになる。 

道ならぬ恋の噂は、宮内庁首脳にも届いている。 だからと言って、出産を止める手だてなどあろう筈もない。 そこで代々の宮内庁長官に、一つの言葉が引き継がれることになった。 

「皇位継承者は浩宮の血脈から ・・・」 と、である。

秋篠宮 (文仁) 殿下は成長するにつれ、天皇一族とは明らかに異なる特徴を見せつける。 体型、思想、行動の全てである。 皇太子や、黒田清子さんが、一目で陛下のお子さんだと分かるのに比べ、秋篠宮の体型は似ても似つかぬものがある。


それよりも何よりも、ナマズの研究にかこつけて、タイ女性にうつつを抜かしたり、祖父である昭和天皇の喪が明けぬ内に結婚を決行するといった傍若無人の精神性を露出する。 挙げ句の果てには、兄である皇位継承一位の皇太子を、公然と批判したりするのである。

「文仁殿下は、血の秘密を知っているに違いない」 の呟きが宮内庁首脳から洩れる。

そうとしか理解できぬ異常行動が多すぎるのである。

菊のカーテンの奥に潜む機密事項が、小泉総理にもたらされたのは、今から一年以上も前になる。

雅子妃殿下の病状が思わしくないこと。 おそらく、お子さんは愛子内親王お一人でありましょう。

「だからこそ、皇室典範を改訂し女性天皇、女系天皇への道筋をつけて戴きたいのです」 さもないと、神武天皇以来続いた万系一世の貴種は、今世をもって終焉するかも知れません。万が一にも秋篠宮家に第三子が誕生し、それが男子であったなら ・・・・・・・

流石の小泉も、菊の秘事を耳にして腰を抜かさんばかりに驚いたという。


当時は、郵政政局真っ盛りの頃、政局に破れ退陣するようなことにでもなれば、郵政もさることながら、皇室が大変なことになるのである。

結果、総選挙に大勝し、郵政を片づけた小泉内閣は、早速大事案である皇室典範の改訂に取りかかる。 平沼赳夫のように、小泉憎しで反対音頭を歌うのはどうでも良い。 何としてでも片を付けてみせると決意を固めた矢先である。

秋篠宮紀子妃殿下が十一年ぶりに懐妊したとのニュースが日本全土に配信される。 長兄に男子が出来ぬなら、作って見せようの気構えかどうかは別にして、皇室典範事案の帰趨が大問題になっている矢先の懐妊である。

このことが万々歳でないことは、美智子皇后が突然体調を崩されたことからも察することが出来る。

馬鹿なマスコミは、目出度さ一色の報道を繰り返すが、目刺しの頭も信心からと言う事態になるやも知れないのである。

日本には、触れれば血が出る、死人が出ると言われる世界が三つあった。 同和、総連、それに菊の紋所である。 特に菊は、タブー中のタブー、同和・総連が小泉改革で崩壊しても、菊に関しては批判めいたことが何一つ言えないという風潮がまかり通っている。

だから今回は、署名投稿で秘中の秘、禁断のエリアに踏み込んでみた。 その場を与えてくれた、論談編集者に礼を言いたい。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060208-3.html
3:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:34:40

皇室関係の噂は皇位継承に絡んでいるので嘘やデマが多いですね。
もし事実だったとしても、宮内庁が必死に揉み消し工作をするので、真偽の判定が難しいのです。

▲△▽▼


皇室に関する嘘やデマの有名な例


メディアが触れない「天皇家」の闇。
「皇太子徳仁親王」と「秋篠宮文仁親王」は「平成天皇」の子供ではありません。
Posted on 2018年6月23日

今回はいろいろとうわさの絶えない天皇家について書こうと思います。

ネット上で調べ物をしていますと、天皇家についての情報があふれています。

「天皇」は「悪魔崇拝者」である。

この衝撃的な事実が「RAPT BLOG」によって暴露されて以降、「天皇」は悪人だという認識がますます高まっていきました。

そしてついには「生前退位」まですることとなりました。


○RAPT BLOG-天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。


○RAPT BLOG-天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。


○RAPT BLOG-天皇家が悪魔崇拝に関わっているとしか思えない幾つかの理由。

生前退位に伴い、今後の「天皇家」では跡継ぎなどの問題が山積しています。

その中でタイトルに書いたような「皇族」たちのいろいろなうわさがネット上に流れています。

一般庶民からすると、とてもおどろくようなことです。

実子としておおやけに登場している「皇族」がまさかの「他人」だなんて。

調べを進めていくうちに、かれらにとってはそのような一般的な感覚が欠如するしかない世界で生きていることがわかりました。

昔から日本の「貴族社会」では「一夫多妻制」があたりまえでした。

「天皇家」の「一夫多妻制度(女官制度)」は、なんと「昭和天皇」が廃止するまでつづきました。

そのため、「天皇」は正妻とは別の女性、「女官」たちと性的な関係を持つのがあたりまえだったのです。

世の中では性の乱れが激しくなっていますが、「天皇家」先祖代々乱れているのがあたりまえだったようです。

——————————————————-(以下転載)

明治天皇も大正天皇も正妻の子ではない
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/773.html


明治・大正天皇には正妻のほかに側室がいた

◆ミカドと女官 菊のカーテンの向こう側 小田部雄次

http://www.netpro.ne.jp/~takumi-m/book/258-mikado_jokan.htm(リンク切れ)

皇室典範の第1条に、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と、うたわれているので、天皇の血族の男性しか天皇になれない。天皇制は前近代のものだから、現代社会にはなじまない。

近代社会に天皇家を生き延びさせるために、1夫1婦制を取り入れて、側室制度を廃止した。しかし、そのツケは大きく残っている。昭和天皇だった裕仁が側室制度を廃止したことは、もっと注目されて良い。

裕仁の戦争責任が、あるとかないとか云々される。

もちろん彼に責任があったのは当然で、軍部に踊らされたというのは、天皇家を存続させるための責任逃れである。

彼は日本国の裕仁ではなく、天皇家の裕仁だったから、太平洋戦争に負けたときの最大の関心事は、わが国の存立ではなく、天皇家の存続だったろう。

何もできない天皇を装っているが、裕仁は皇室制度をさかんにいじっている。

女官についても、周囲の反対を押し切って、制度改革を行っている。

女官とは、天皇家の女中さんではない。天皇のセックスの相手のことである。

 明治天皇や大正天皇には、多くのセックス相手がいた。

建前上は、ある位以上の女官しか、セックスに誘ってはいけなかったが、女性の色香に迷うには男の常である。

しかも、子供を産ませることが奨励されていれば、天皇たちは気軽に女性に手をだした。

明治天皇も大正天皇も、正妻の子供ではない。

明治天皇と一条美子の結婚には法的規定はなく、美子が入内して「女御宣下」(天皇の寝所に侍する高位の女官であるという内輪の命令)があったのみであった。

今日「古式ゆかしい」と伝えられる賢所大前での神前結婚の定式は嘉仁親王(=大正天皇)と節子の結婚以後に定まったものである。

皇室婚嫁令のみならず、近代天皇制を支えた法令の多くは明治以後に制定されたものである。P69

明治以降、天皇制を確立するために、さまざまな手段が講じられた。

とりわけ皇位の継承には、細心の注意がはらわれた。

それが側室制度で、天皇たちは多くの女性とセックスをし、多くの子供を出産させた。しかし、その多くは小さいときに死んでしまい、なかなか育たなかった。

ちなみに、昭和天皇の裕仁は、正妻・節子の子供であるが、節子は16歳で裕仁を出産している。

つまり、大正天皇は15歳の節子とセックスをした。

15歳とは、今日の中学3年生である。中学生のセックスを、世の親たちは奨励するだろうか。天皇にとってはセックスが可能なら、相手の年齢など、どうでもよかった。

天皇と肉体関係をもったことにより、女官の発言力が高まり、隠然とした権力を手にすることもあった。

また、天皇の生母であれば、発言力もました。大正天皇の母親である柳原愛子は、大きな影響力を持ったらしいし、「魔女」といわれた今城誼子は、裕仁の妻=良子をつうじて、さまざまに影響力を行使したという。
女官は、おおくが華族の娘から選ばれたが、例外もいた。

華族出身ではない女官で異色なのは、岸田俊子と下田歌子であろう。

俊子と歌子は近代の女官のなかでも特異な存在であったが、俊子と歌子の女官辞任後の生き方はまったく対照的であった。P78

大正天皇の正妻だった節子は、裕仁、雍仁(秩父宮)、宣仁(高松宮)、祟仁(三笠宮)をつぎつぎと出産した。

多くは成人まで育たないのであるが、4人とも無事に成人した。

大正天皇は、病弱だったことも手伝って、節子以外の女性とのあいだには、子供を残さなかった。

そうした事実を受けて、昭和天皇である裕仁は、側室制度を廃止した。

女官がセックスの相手をしなければ、彼女たちは住み込みの必要がない。

裕仁は1夫1婦制をとると同時に、宮内大臣だった牧野伸顕の反対にもかかわらず、女官を住み込みから通勤制に変えた。つぎつぎと宮中の改革を進めた裕仁が、国政にだけ無関心だったとは思えない。

おそらく軍部の動向も、きちんと掌握していたに違いない。

それは2.26事件の時の、彼の発言を見てもわかる。

天皇のセックス相手以外にも、女官は必要だった。

それは乳人とよばれる女性、つまり人工栄養のなかった時代、授乳をする女性である。

当時(=昭和初期)、軍部や右翼が政治的に台頭し、牧野や一木ら天皇機関説派とよばれる宮中側近を攻撃する動きが強まっていた。

なかでも、平沼騏一郎枢密院副議長は宮中側近の地位を狙っていたが、その右翼的な傾向が元老西園寺らに忌避されており、平沼は現職の宮中側近を攻撃することでその野望を遂げようとしていた。

こうした政治的策謀の渦に乳人選定が巻き込まれたといえる。P184

選挙以外で選ばれた者を、政治権力の座につけることは、決して良いことはない。

どんなに名君であろうとも、身分制の害悪からは逃れられない。

血統にもとづく天皇制は、悪い制度である。またそこに使える女官たちにも、彼女たちの人生に悪い影響しか残さない。

天皇制は、近代的な制度にはなりえない。たとえ男の子が産まれても、時代遅れの天皇制は呻吟を続けるであろう。(2002.12.13)
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/773.html

——————————————————-(転載ここまで)

なんと「明治天皇」も「大正天皇」も正妻の子ではないのです。

そして「大正天皇」は中学生と同年代の「正妻」と性的関係を持っています。

現代では考えられませんし、立派な犯罪です。

このような「天皇家」のタブーをテーマに映画を作っている映画監督もいるようです。


○渡辺文樹-Wikipedia

——————————————————-(以下こちらから転載)


今朝発売の日本一汚れた週刊新潮に渡辺監督へのインタビューが掲載されてた。

新潮に取り上げられたということは、いよいよ大騒動に発展なのか?

『天皇伝説』は天皇家の血を巡る物語です。

オレは10年以上前から、万世一系とは言うものの、実は天皇家は血がつながっていないのではないかと思っていました。

それを確かめるべく旧皇族などに話を聞いてみたところ、やはり天皇家の血筋は続いてきたわけではない、という確信を得たのです。

映画の組み立てとしてはあくまでもフィクションという形を取り、アクションシーンなどの娯楽要素も盛り込んでいます。

映画のあらすじ

主人公の渡辺は米軍で働いた経験のある男。内縁の妻を殺したとの濡れ衣を着せられて逮捕される。

渡辺は脱獄し、無実を証明すべく、事件の真相を追究。

そしてM資金と呼ばれる秘密資金の存在を突き止めた渡辺はそのルーツを探るため、天皇家の血脈の謎に迫る……

天皇家の問題は、映画の中で渡辺が明らかにした事実という形で挿入されています。

その事実とはまず、明治天皇が16歳の時に別人にすり替えられていること。出来が悪かったため、騎兵隊の幼年兵として活躍していた大室寅之祐という青年と取り替えられてしまったのです。

オレは寅之祐の生家周辺で聞き込みを行った。そして、子孫にあたるおばあさんから、寅之祐が幼少期に明治天皇になったと聞いたのです。おばあさんから唾液をもらってDNA鑑定したんですが、今の皇族のDNA配列に非常に似ていることが明らかになりました。

大正天皇の4人の子は皆、貞明皇后の不倫の末に生まれた子です。

まず、昭和天皇は貞明皇后と、西園寺公望の養子である毛利八郎との間に生まれた子。

秩父宮、高松宮の父親が誰なのかは分かりませんが、大正天皇でないことは間違いない。

三笠宮の父親はDNAで調べると、中川宮の第5皇子である多嘉王です。

昭和天皇もまた子種がありませんでした。

平成天皇の父親は、三笠宮です。また、秋篠宮も平成天皇の子供ではありません。

美智子皇后と入江相政・元侍従長の間の子なのです。

つまり、秋篠宮には皇室の血は一切入っていないのです。

渡辺監督が饒舌に話すトンデモ内容であるが、もしホントウなら一部のトンデモ保守の間で騒がれている「悠仁」さまを天皇にすることで男系天皇の伝統を守る、というのは跡形もなく崩れ去る。

なんせ秋篠宮家には皇室の血が一滴も入っていないのだから……。

また毛利八郎については、こんなの見つけた↓

鬼塚英昭は、昭和天皇の実父は西園寺八郎であるとする(母はもちろん貞明皇后)。

ゾルゲ事件の尾崎秀実に情報を流していた西園寺公一は八郎の息子である。西園寺八郎は、もと毛利八郎で、西園寺公望の娘・新と結婚し婿入りした。大正天皇と同級。

もし、西園寺八郎が昭和天皇の実父だとすれば(わたしは確信しているが)、ゾルゲ事件で政府の秘密書類を盗み出し、尾崎秀実に渡していた公一と昭和天皇の父親は同じである。

すなわち、秩父宮、高松宮、三笠宮よりは皇統に近い兄弟となる。(同前p423)

——————————————————-(転載ここまで)

この人物は「一水会」の「鈴木邦男」ともかかわりがあるため、あやしげな人物ではありますが、このような映画の題材にまでなってしまうほど「皇室」の闇はスキャンダラスで深いです。

上記の「インタビュー」内で語られていますが、「秋篠宮文仁親王」には一滴も「皇族」の血が入っていないといううわさが流れています。

このような情報が流れるのは、「皇太子」と「秋篠宮」の争いゆえだと考えられます。

以下のような報道もよく目にするようになりました。


○眞子さま「婚約延期」で「皇太子vs秋篠宮」代理戦争(1)「母親だけの問題じゃない」


○眞子さま「婚約延期」で「皇太子vs秋篠宮」代理戦争(2)「得体が知れない」との声も


○眞子さま「婚約延期」で「皇太子vs秋篠宮」代理戦争(3)お相手の醜聞を広める理由

たがいに「工作員」を利用して悪口やスキャンダルを垂れ流している状態です。

読むだけで心がすさみそうなひどい悪口もたくさん書かれています。

以下のような系図も掲載されていました。

この系図によると「皇太子」さえも「平成天皇」と「美智子皇后」の実子ではないということがわかります。

——————————————————-(以下こちらから転載)

島原出身と云う女性店主が【和田迪子ミチコを検索してご覧?】と云う、徳川に殲滅された島原の乱、明治維新で徳川が殲滅されたと思っていたが、天皇家に根強く張り巡らされて健在な江戸時代のネットワーク、その強さに驚愕した、と言う。

明治維新後の天皇家が、徳川家、前田家、冷泉家などの系譜だとわかった。

浩宮➡︎徳川恒孝(嫡流)と和田迪子(前田家の血筋)

秋篠宮➡︎入江侍従長(冷泉家)と美智子妃

正田家は江戸時代徳川家の墓守(満徳寺)、美智子妃の母親は多久聖廟の娘

浩宮の娘【愛子】➡︎浩宮の種を清朝の康熙帝の血筋を引く女性に(雅子妃無関係)

万世一系では無さそうだ

——————————————————-(転載ここまで)

じっさいにいくつもの画像を見くらべてみたのですが、「皇族」それぞれに「影武者」が存在するようですので、もはやだれが本物なのかわからない状態です。


○皇太子の影武者①@徳仁親王の影武者疑惑、皇太子は少なくとも4人いる

それぞれが権力者の血筋の子供たちで、養子というかたちで「天皇家」に入り込み、その家の権力を保持しているのです。

皇太子の父親とうわさされている「徳川恒孝」は「徳川家」の当主です。


◯徳川恒孝ーWikipedia

「養子」や「影武者」という話まででてくるなら、「天皇家」は「家族」ではなく、うそで塗りかためられたただの「権力の集合体」です。

国民の税金をむさぼっている「日本の象徴」が「嘘で塗り固められた集団」というのは何ともゆるしがたいことです。

「RAPT BLOG」をとおして、日本の「イルミナティ」たちは「養子縁組」を繰り返し、戸籍上は家族だとしても、じつは血のつながりがない、というひとたちがたくさん存在することを知りました。

幼少期に養子に出されて、さらに結婚時に婿養子となり、2回も苗字が変わっているひともよく発見します。

そのため「○○は○○の子供ではない!」ということが一般庶民にとってはおどろくようなことでも、かれら「イルミナティ」にとってはごくふつうのことなのです。

実子ではなく、妾の子、という情報がふつうに出てきます。

しかし世の中にその事実が出まわれば、その風習が一変して「スキャンダル」となるのです。

そのような情報をたがいに暴露しては蹴落としあっているのです。

そんな争いのさなかにいる「秋篠宮文仁親王」の本当の父親は皇室の「侍従長」をつとめた「入江相政」という人物です。


<入江相政>

——————————————————-(以下こちらから転載)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B1%9F%E7%9B%B8%E6%94%BF

入江 相政(いりえ すけまさ、1905年(明治38年)6月29日 – 1985年(昭和60年)9月29日)は、日本の官僚、歌人・随筆家である。

昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。

従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。

堂上華族の入江家出身。歌人・柳原白蓮の甥であり、元岩崎勝商事社長・岩崎勝太郎は相政の義弟にあたる。

柳原前光の孫である。

1985年(昭和60年)9月26日、同年10月1日付の侍従長退任を控え宮内記者会とお別れの会見。

同年9月29日午後、自宅で意識を失っているところを家人に発見される。

同日午後1時31分、搬送された慶應義塾大学病院(東京都新宿区信濃町)で、虚血性心不全により死去。享年81。勲一等旭日大綬章を受章、従二位を追贈される。

—–

吹上御所で入江の訃報を聞いた昭和天皇は「……えらく突然だったね」と言った。夕方、侍従があらためて報告した時は、窓に面した椅子に掛けて、振り向かずに「そうか」とだけ述べ、雨に濡れる吹上の庭を見つめていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B1%9F%E7%9B%B8%E6%94%BF

——————————————————-(転載ここまで)


写真を見くらべるといかがでしょうか。

顔のパーツ、特に特徴的な「鼻」は似ていますね。

とくに若いころのひげをはやした姿は似ています。

かれと「美智子皇后」について以下のように書いているひともいました。

——————————————————-(以下こちらから転載)


正田美智子さん=現在の美智子皇后は聖心女子学院を卒業されている。

聖心女子学院はお嬢様が通うミッション系(キリスト教系)の学校である。

聖心女子大学文学部外国語外国文学科(英文学)を首席で卒業とある。

家柄や家系図を10代以上遡り、犯罪者・精神異常者・障害者・学歴・成績等を調べて問題が無いとされた家なのだから当然なのかもしれない…

現在の宮内庁に勤める女子の多くは首にロザリオか十字架かは知らないが架けてるらしい…
私如きが入れる訳ではないし、見たのでもないので何とも言えないが、ある人のブログにはそのように書いてあった。

如何に天皇や周りが美智子皇后に気を使っているかが解るような話しに、何となく納得してしまう私です。
庶民からの入皇室に皇族からの反発
やイジメが有ったのは想像に難くない。

(香淳皇后や柳原白蓮等)

そりゃ~利権をよそ者に取られたくないわな(笑)

しかし、活発で勝ち気な性格だったとされる美智子様は、泣いて堪える人ではない。

巻き返しを計ったのである。そのパートナーに選ばれたのが、後に侍従長となった入江相政(すけまさ)である。

公務員の定年は60歳であるが、彼が80歳まで侍従長を勤めれたわけは、美智子様の浮気相手であり、秋篠宮文仁(紀子さんの旦那)の父親だからだと言う噂はかなり良く知られているようである。

現在の皇太子までは血筋が保てるかもしれないが、その次が問題なわけですよね?
だって、事実なら完全に血筋が違うんだから…

秋篠宮文仁が皇太子になり、現在9歳くらいの子供悠仁が次期天皇になるなら…

だから女系天皇論なんかが出てくるわけよ…

この問題は他の所でまた書くとして、イマサラ何を言ってるんだ!なんだけどね(笑)

美智子さんは3人の子供を産んだ事になっている…

徳仁・文仁・清子である。

しかし実際に産んだのは、浮気相手の子供秋篠宮文仁だけだとこの人は言っている。

参考ブログ

根拠として、性格・体格・鼻の形をあげている。

簡単に言えば、皇室の血筋を絶やさない為なら何でもアリなのだろう。

借り腹・浮気公認・子供の入れ替え・強姦・乱交…

だから表向きは近親相姦で血が濃くなっても異常者が出ないのだね。納得(笑)


——————————————————-(転載ここまで)

「入江相政」と「美智子皇后」には大きな共通点があります。

「美智子皇后」は「正田家」出身です。

「正田家」はクリスチャンの家系として知られています。

その「正田家」をクリスチャンに改宗させたのが「フロジャック牧師」という人物です。

「フロジャック牧師」は「入江相政」と深いかかわりがあり、さらには「皇室」から庇護を受けた重要人物です。

——————————————————-(以下こちらから転載)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF


ヨゼフ・マリウス・シャルル・フロジャック(Joseph Marius Charles Flaujac、1886年3月31日 – 1959年12月12日)はパリ外国宣教会所属のフランス人宣教師である。

1909年(明治42年)に来日し、結核患者及びその家族のための総合的な福祉施設を目指して活動し、東京における社会福祉活動に大きな足跡を残した。


<行幸啓の様子>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF
——————————————————-(転載ここまで)

「正田家」を伝道した宣教師が「皇室」にも深くかかわるようになったのです。


<<正田家 家族写真>

——————————————————-(以下こちらから転載)

■弁慶のような荒法師ことフロジャック神父

木下道雄は侍従次長を辞めた後、敬虔なカトリック信徒になっていた。

洗礼を与えたのはヨゼフ・フロジャック神父である。

財団法人慈生会の設立者として知られるフランス人神父のフロジャック神父は、一九〇九(明治四二)年に来日、戦前から乳児院、結核療養施設、診療所などを建てて社会事業に貢献していた。日本語巧みで胸まで伸びた真っ白いヒゲが特徴だった。

木下は、幼友達の妹がフロジャック神父の下で働いていた関係で、噂だけは聞いていた。

村から村へと布教の旅を続ける神父が、足に大きな裂傷を負った際、近くの農家から針と糸を借りて、自分で縫い合わせたという話を聞いて、「フランス人にも、こんな弁慶のような荒法師がいるのかと、一種の親しみを感じた」と語っている。

この親しみとともに、フロジャック神父の名前が木下の記憶に刻まれた。

宮内省総務課長時代、陛下からの推奨金推薦先として財団法人慈生会の前身にあたる「ベタニアの家」の名前があがり、木下の記憶によれば、三二(昭和七)年の暮れに弁慶の元を訪ねる。

ここで二人は初めて出会い、事業も評価され、フロジャック神父には推奨金五千円が与えられることになる。

本格的に二人がかかわり出すのは、侍従次長時代の四五(昭和二十)年十一月二五日、この日の夜にフロジャック神父は木下宅を訪れ、戦災の傷跡残る上野駅周辺の浮浪者救済のための診療施設開設と関東に酪農を主体とするトラピスト施設の必要性を説いた。

木下の日記にも「共に予の共鳴する所なり。考慮を約す」とある。

木下は早速その翌日の宮内省事務調査会でフロジャック提案を披露して、宮内省の協力を取り付けた。

 しかも、那須の名前は早くも十一月二九日に登場し、木下退官直後の四六(昭和二一)年七月には木下の斡旋で那須御料地約三百町歩が貸し下げられることが決まる。

フロジャック神父は貸し下げられた川西御料地六〇町歩を「聖ヨゼフの山」、奥まった道上下の御料地を「聖マリアの山」と名づけて、早速開墾が開始され、引揚者、復員兵の受け入れを始める。

この地には那須診療所、林間学校宿舎、精神薄弱児のための光星学園(現マ・メゾン光星)などが次々とつくられていく。

この御料地貸し下げの背景を見ておこう。

木下によれば、フロジャック提案を昭和天皇に話したところ、昭和天皇より「助けてあげなさい」と言われ、それがきっかけで林野庁との話し合いもつき、貸し下げることになり、成績によってはこれを払い下げることまで決まったとしている。

興味深いのは一九三四(昭和九)年に侍従となり、侍従次長、侍従長として半世紀余にわたって側近を務め、宮中生活最後の休日に急死した入江相政もフロジャック神父と交流していた。

この入江もクリスチャンだったとする説もあるが、現時点では事実かどうか確認できていない。

『入江相政日記』(朝日文庫)にヨゼフ神父として登場するのは、四六(昭和二一)年三月十九日この時入江はフロジャック神父と会食している。

 木下と入江の口利きもあっただろうが、昭和天皇も積極的に支援したことは間違いない。これを順に追っていこう。

フロジャック神父は四六(昭和二一)年十二月十九日に天皇皇后両陛下に進講する。カトリック宣教師が単独で拝謁したのはこの時初めてと言われている。

この時、入江日記にはフロジャック神父が「大変色々申上げて面白かつた」とある。

四七(昭和二二)年九月二日に木下道雄が拝謁しているが、おそらくこの直後に行われる両陛下の那須巡行の件でお願いでもしたのだろう。

 五日後の九月七日、入江日記には「夕狩の慈生会に行く。フロージヤアク老が大変な元気で何かと案内してくれる。例によつて愉快といつたらない。」と書かれている。

 翌九月八日にも両陛下は慈生会を訪れている。

フロジャック神父は、進駐軍やフランス大使館員や大工を一人ずつ引き合わせた後、「私は日本人以上の愛国心を持つて居ります。

一生懸命に致しまして必ず立派な国に再建致します、云々」と語る。

入江はこの時の様子を「フランス人らしい上品なユーモアの連続で非常にお楽しませした」と書き記した。

四八(昭和二三)年もフロジャック神父は二度にわたって両陛下に拝謁し、この年には高松宮、三笠宮も慈生会施設の視察を行っている。つまり、皇室あげてフロジャックの事業を後押ししていたのである。

■弁慶神父「会心の傑作」とは

皇太子の結婚の儀が行われたのは五九(昭和三四)年四月十日、その年の十二月十二日、フロジャック神父は帰天。

「わたしは貧しいひとびとの友であった。

わたしの葬式は貧しい人にふさわしいものにして欲しい。花は一切ご遠慮したい。

思召しがあったら貧しいひとびとに与えていただきたい」との遺言を残した。フロジャック神父には勲四等瑞宝章が贈られ、昭和天皇より祭資料を賜る。

この年、衰弱激しいフロジャック神父の身を気遣う見舞客はあとを断たなかった。

その中には、軽井沢のテニスコートで天皇皇后両陛下の「初めての出会い」の瞬間を写真におさめたカトリック信徒の田中耕太郎最高裁長官もいた。

そして、三〇年来にわたってフロジャック神父の事業を援助し続けてきた正田きぬの姿も当然あった。

フロジャック神父は、この年皇太子妃になったばかりの正田きぬの孫への心やりと永年の援助に対する感謝の気持ちから、こう語りかけた。

美智子さんも大変だろうね、わたしも天国で祈っているよ、美智子さんによろしくね

 これが何を意味するのかは、木下が一番よく知っている。その翌年一九六〇(昭和三五)年七月二日、朝日新聞社講堂では「フロジャック神父を偲ぶ集い」が行われた。

この時壇上には、すでに敬虔なカトリック信徒になっていた木下道雄の姿があった。

この時の木下の「フロジャック神父を思う」と題する記念講話は、『フロジャック神父の生涯』(五十嵐茂雄、緑地社)におさめられている。その四二五ページから引いておきたい。

神父には、この時代のことが、余程なつかしいらしく、晩年になって、いろいろな思い出話をうかがいましたが、そのうちで上州館林に於ける活動は、神父の布教生活中の会心の傑作と自分でも思っておられたようです。

皇太子殿下御婚約のよきしらせを耳にされたときの神父の心中は、定めしけいけんな祈りと感謝と期待との熱きものがあったのではないかと思います。

 「神父」とは当然フロジャック神父、「この時代」とあるのはフロジャック神父が水戸を拠点に日本伝道を始めた頃を意味する。そして、「会心の傑作」が「皇太子殿下御婚約のよきしらせ」につながっていく。

フロジャック神父は関東の山野を歩きまわって布教していた。

文中にあるように上州館林へ行ったのもこの頃である。

上州館林と言えば、美智子皇后の実家があったところ。つまり、上州館林の正田家にカトリックの信仰の種をまいたのもフロジャック神父だった。

 一九二七(昭和二)年、東京関口教会で美智子皇后の祖母である正田きぬはフロジャック神父の手から洗礼を受けて敬虔なカトリック信徒になっていた。

このきぬと美智子皇后の祖父・正田貞一郎(日清製粉創業者)、それに叔母・正田郁子の告別式はいずれも 千代田区 麹町の聖イグナチオ教会で営まれた。

また、母・登美子も聖路加国際病院で臨終洗礼を受け、妹の安西恵美子も洗礼を受けている(『美智子皇后と雅子妃』福田和也、文藝春秋他参照)。

 弁慶が皇室とカトリックの縁結びを務めていた。

明治維新以後、神道界や仏教界にフロジャック神父のような弁慶が存在していたなら、やはり歴史は大きく変わっていただろう。

『フロジャック神父の生涯』のとびら裏にはこんな言葉が飾られている。

最後の握手皆様によろしくとみ声細く

    仰せありしも悲しき思ひ出

                正田きぬ


——————————————————-(転載ここまで)

じつは「皇室」は「カトリック教徒」で固められている、と語るひともいます。

——————————————————-(以下こちらから転載)

そもそも皇室はキリスト教なのですよ

まず、意外なところから説明しますと、皇室神事に携わっている式部職(雅楽奏者など)は渡来豪族の「秦氏(秦河勝)」の末裔(東儀家など)が代々務めていますが、彼らは皆クリスチャンです。

つまり皇室神事はクリスチャンたちが仕切っているのです。

彼らの先祖秦河勝はユダヤ系の血を引く景教徒(古代東方キリスト教徒)だったようです。

そのこと(ルーツが原始キリスト教であること)は一族で代々伝わってきたようです。

現在、皇室神事の式部職クリスチャンたちは都内の名門教会数か所に分散して属しています。

また、上記の式部職だけでなく、皇室職員・皇室メンバーの大部分がクリスチャンであることは公然の秘密なのです。

歴代の宮内大臣(宮内庁長官)、侍従長、書稜部長など各種部門の長などがクリスチャンであることは公開情報としても有名です。

次に、中世(戦国時代)にキリシタン大名として歴史に名を残した領主たちの末裔が現在はクリスチャンとして皇室の要職に就いています(例:前田利家の末裔で前田家当主の人など)。

さらに、近世では幕末の大名の「最後の藩主」たちには禁教令が解ける以前に熱心なキリスト教信仰を始めていた大名が多く、廃藩置県の後は皇室に入って要職に就いています(三田藩の九鬼氏など)。

昭和天皇の即位後初代の侍従長珍田伯爵は元外務次官でかつメソジスト派の牧師でもありました。

その他の歴代侍従長もクリスチャンが多いです。

女官長に至ってはこの40年以上クリスチャン・リレー状態です。田島宮内庁長官、宇佐美宮内庁長官などもクリスチャンでした。

そして現在は、たとえば、現職の川島侍従長はカトリックで、国際機関で活躍のカトリック重鎮の緒方貞子氏といとこ同士、渡邊前侍従長は聖公会クリスチャンで明治元勲の大山巌元帥の末裔。

で、皇室へ嫁ぐお嫁さんはキリスト教系の名家からというのが不文律になっているようです。

(美智子皇后:カトリック名門の正田家、雅子妃殿下:妹たちはいづれもカトリックの洗礼を受けている、三笠宮信子妃殿下:カトリック名門の麻生家で麻生前総理の妹・・などなど)

で、再度古代に目を向けると、秦河勝は伊勢神宮をはじめ皇室ゆかりの神社の多くの創建にも関わっていますので、皇室神道は古代東方キリスト教がオリジナルであると推定できます、古代東方キリスト教とキリスト教発祥の地の連絡は中世に途絶えているので、皇室メンバーは西方キリスト教(カトリックなど)の人を次々に迎え入れているというのが明治以降の状況であると思います。

よって、結論は皇室は「日本で最も濃くて長い歴史を持つキリスト教信仰の家」であり、秋篠宮眞子さまが国際基督教大学にご入学なさることは「あまりにも自然なこと」だと推定できるということです。

——————————————————-(転載ここまで)


ちなみに上記に書かれている「キリスト教」というのは、本来のただしい「キリスト教」ではなく、悪魔崇拝者によって乗っとられてしまった、にせものの「キリスト教」です。

「RAPT BLOG」では「キリスト教」が悪魔崇拝者によって乗っとられた経緯について詳細に書かれています。

○キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。


○キリスト教プロテスタントも悪魔崇拝者に乗っ取られている可能性大です。「日本基督教団」は在日・反日勢力と同一体でした。

「天皇」は年間たくさんの「神道儀式」をおこないますが、じつはクリスチャン(カトリック教徒)で固められているというのです。

表向きは「クリスチャン」だとしても裏の顔は「悪魔崇拝者」です。

かれらは「権力」「名声」さえ自分の手元に入るなら、悪魔をも拝み、他人の子も利用する。

「フロジャック」という人物が「皇室」に入り込んだのも、権力獲得の手段の一環だったのではないでしょうか。

「正田美智子」が「皇后」としてのし上がることができたのも、このような宗教的な背景もかかわっているのです。

今回「皇太子」や「秋篠宮」が実子ではないといううわさの裏には「悪魔崇拝」と権力争いが渦巻いていることがわかりました。

「皇太子」に権力を保持させたい勢力と、「秋篠宮」に権力を握らせたい勢力が存在するのです。

いずれにせよ、このようなひとたちがいつまでも「国の象徴」であってはなりません。

今後さらに調べを進めて書いていきたいと思います。
http://kawata2018.com/2018-06-23/
4:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:36:27

皇室に関する酷い噂が世間に広く流布しています。
以下、真偽不明ですが一応転記しておきます:

【知恵遅れ】 明仁天皇糾弾スレ 【貧乏神】 [無断転載禁止]©2ch.net
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/sisou/1451289479?v=pc


2幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB 2015/12/28(月) 16:59:56.39ID:uOKkYfq4

歴史のおさらい

・水戸藩の遺訓によると、徳川が危なくなったら皇統を取り替えて満洲を攻略しろとある。

・幕末に伊藤博文が孝明天皇を暗殺、岩倉具視は睦仁皇太子を暗殺。

・満洲人を父祖に持つ大室寅之祐が明治天皇になりすまして即位。

・明治天皇は無類の女好きで、妾の一人の柳原愛子が田中光顕の子を産んで、それが大正天皇になる。

・ちなみに照憲皇太后は睦仁皇太子の婚約者だったので、明治天皇とは夫婦関係はないので「皇后」とはされなかった。

・幕末維新のどさくさに紛れて朝鮮人キーセンの朱貞明が公家にはいり込んで大正天皇の后になる。

・大正天皇は病弱だったが、とても賢くて元老たちが疎ましく思う。恐らく幼少期に毒を盛られた。

・大正天皇は嘉仁皇太子時代に率直な人柄と気さくな性格で国民に大人気になる。

・大正天皇と貞明皇太后は偽装結婚で、裕仁天皇の実の父は樺山愛輔。他の兄妹も全員父親が違うという。

・近親婚を重ねた島津の血が皇室に入るのを嫌った連中が「宮中某重大事件」を起こす。実際に香淳皇后は知能が低かった。

・明仁誕生の際には「このままでは日本は滅亡だ」と病院で大騒ぎになったという。

・三笠宮には双子の妹がおり、これを巡る裕仁天皇と秩父宮の骨肉の争いで2.26事件勃発。

・2.26事件の首謀者の一人であり、ナチスのスパイだったゾルゲは処刑される。

・昭和20年の正月の皇族会議の際に裕仁天皇は「このままでは負けるので、早く白旗を上げよう」と提案するも、
貞明皇太后が「私が祈祷すれば日本は決して負けない。神国不滅だ」として家族全員が呆れる。

・今の皇統に正統性がないとした自称天皇が多数出現。その一人の三浦芳聖は、戦前に不敬罪覚悟で
田中光顕に直訴すると、頭山満に面通しされた。

・アメリカは戦犯として昭和26年のサンフランシスコ講和会議前に貞明皇太后を暗殺する。

・明仁と美智子の結婚もアメリカの差し金で決定。柳原白蓮などが強行に反対。

・第一子の浩宮皇太子は無事誕生するも、入江侍従長が美智子皇太子妃を強姦して秋篠宮が生まれる。


3幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB 2015/12/28(月) 17:00:32.42ID:uOKkYfq4

光格天皇以来、幕府に頭をおさえつけられて京都で貧乏な生活をしていた朝廷は
幕府の権威の低下に乗じて復権を企て、それに長州や水戸藩なども一枚噛んでいた
わけなのだが、黒船来航とコレラ大流行でもはや孝明天皇の権威も地に落ちてしまった。

だから創価学会、天理教、金光教などの新興宗教が雨後の竹の子の如く出現した。
天皇の権威低下は、長州のテロリストには好都合だった。彼らは「尊皇」でなければ、 「攘夷」でもない。単に「天皇の権威」を利用して日本国を徳川から簒奪したゴロツキに過ぎなかった。

伊藤博文は孝明天皇を刺殺、岩倉具視は睦仁皇太子を毒殺し、長州の片田舎に居た満州人を「明治天皇」に偽装させたわけだ。だから睦仁の婚約者だった美子とは夫婦関係はない偽装結婚で、だから生前から「皇后」と呼ばれることもなかった。

大正天皇の生母は柳原愛子だが、明治十年の西南戦争の二年後に出産している。

この西南戦争では西郷隆盛がいわゆる「西郷札」を乱発し、戦後はその回収に政府は大わらわ、 緊縮財政で松方デフレになってしまった。

没落した旗本たちは娘を身売りせざるえず、 宮城=皇居では毎晩乱交パーティがくり広げられていたという。その際に明治天皇のお手付きだった柳原愛子は、土佐の田中光顕の子を身籠った。これが後の大正天皇である嘉仁だった。

しかるに、孝明天皇と明治天皇と大正天皇と昭和天皇はまったくの赤の他人であり、テロリスト伊藤博文が自分の悪行を隠すために「万世一系」などという笑止千万な嘘を捏造したのだ。


4幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB 2015/12/28(月) 17:00:45.51ID:uOKkYfq4

幸ちゃんは明仁は単なる知恵おくれかと思っていたが、直接やりとりして救いようのない人間の屑であると認識した。

明仁は「長引く不況や少子高齢化で国民生活が疲弊しているのに、何か国民に言うことはないか」と問われて「いや、それよりも戦争の記憶の伝承を」とかほざいたんだろ。

だったら貞明皇太后はどうなんだ? 既に昭和20年1月の御前会議で裕仁天皇、三笠宮、秩父宮などが食卓を囲んで

「このままでは日本は必ず負ける。早く白旗を上げたほうがいい」

という意見で一致していたのに、貞明皇太后は

「それはだめだ。神国不滅だ。自分がお祈りすれば必ずアメリカに勝てる」


などと豪語したという。東京大空襲で皇居も延焼し、さらに米軍機から機銃掃射を受けて貞明皇太后は「死ぬかと思った。やっと国民と一体になれた」と言ったそうじゃないか。

裕仁天皇は母親に逆らえなかったので戦争が長引き、多くの人命と財産が失われた。

貞明皇太后は昭和26年の主権回復前に急死しているが、アメリカが暗殺したのだろうね。キーセンの最期としては適当なのかも知れないけど、戦地で死んだり満州で悲惨な目に遭った国民はたまったもんじゃないよ。

明仁はバカだから、長年の念願だったパラオへ行ってみて、歓迎されるどころか憎まれていることにやっと気づいたようだね。早く しねばいいよ。


5幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB 2015/12/28(月) 17:01:15.11ID:uOKkYfq4>>378>>392

キーセンの貞明皇太后は勝手に宮中祭祀を変えたから関東大震災が起こったのだ。
当時の大正天皇は重篤な病気だったので、これも貞明皇后の所業だ。降伏を長引かせて被害を拡大させたのも貞明皇太后だ。おまけに裕仁の父親は樺山愛輔だし。

樺山愛輔
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Aisuke_Kabayama.jpg

裕仁天皇
http://ameblo.jp/hirai-h/image-11656042516-12726176349.html

明仁
http://media.liveauctiongroup.net/i/8165/9616691_1.jpg?v=8CCE2C66D0651D0


6幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB 2015/12/28(月) 17:01:39.56ID:uOKkYfq4

血を引いているので顔がそっくり

田中光顕
http://sakawa-kankou.jp/images/tanaka_main.jpg


http://www.ndl.go.jp/portrait/JPEG_L/349-434/s0095l.jpg

大正天皇
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/33/Emperor_Taish%C5%8D.jpg

92右や左の名無し様2016/02/18(木) 02:15:14.46ID:kuZDvTaD
>>2
大正天皇の皇后であった朱貞明は朝鮮人キーセンではない

* 「朱貞明」は→中国の明王朝をおこした「朱家の末裔」だよ
* 中国の明を興した朱元章(日本では光武帝)の子孫が
→大正天皇の皇后で昭和天皇の生母である朱貞明(家系ロンダリングして九条節子)だよ

もともと天皇家は渡来人だから
中国の明王朝の血が日本の皇室に入ったわけだ

因みに明王明の朱家は中国人ではなく客家人だ
朱家→朱貞明は中国人ではなく客家人

客家人は中国人のユダヤと云われる民族で
客家の出自はシルクロードの民と云われるペリシテ人
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/sisou/1451289479?v=pc
5:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:39:15

4. 2016年7月14日 14:43:18 : e215b3DsOs : oHsKCPiwWF0[272]

秋篠宮は美智子の弟の正田修に似ているから、(宝塚などでなく)美智子の子供だとは思われるが
https://www.google.com/search?q=%E6%97%A5%E6%B8%85%E8%A3%BD%E7%B2%89+%E6%AD%A3%E7%94%B0%E4%BF%AE&num=100&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwi1r4XonvLNAhWIOJQKHWZqBVsQ_AUICCgB&biw=1005&bih=594#imgrc=ep66gwM2-gI4KM%3A

父が誰かを見かけで判断するのは難しいね(父系に似てなくて運がいいのかもしれないが)
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/497.html#c4


美智子妃殿下   秋篠宮様の父は誰でしょう?
「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150830

_____

美智子様の実子は1人だけ??? 2013年3月4日月曜日

ベルギー大使館のパーティーに行った時に、
イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。

その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。

なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確立は高い。

ちょっと「美智子様の子供は一人だけ」とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは、

「秋篠宮の父親が違う」

という驚きの情報だった。と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供で、しかも、父親は天皇陛下ではないと言う話になる。


そして、究極的に私が見つけた2チャンネル的なサイトには、なんと、秋篠宮自身が

「だれか、私の父を知りませんか?」

というページだった。そこには


「何回も母に聞きましたが、母は頑として口を開こうとしません。
私は、父親が違うという事で、養父や兄弟にも、散々、いじめられて育ちました。だれか、私の父を知っている人がいましたならご連絡ください。」


というものだった。


その秋篠宮の実父は、もしかして殺されてしまった可能性もあるのではないのだろうか。

ウワサによると、秋篠宮の実父は宮内庁の警備員だったらしい。

美智子様に赤ちゃんができてしまってから堕胎しろとは宮内庁もいえず、次男として育てられたという話だ。


この話は、英国のハリー王子とだぶる。彼もダイアナ妃とポロ教師のボーイフレンドとの間にできた子供で、チャールズ皇太子の子供ではない。

皇室という所は「現実は小説よりも奇なり」という所なのだろう。
http://reptilianisreal.blogspot.jp/2013/03/blog-post_6330.html

6:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:39:59

秋篠宮は美智子皇后の実子?

私が聞いた天皇家にまつわる都市伝説。


秋篠宮は美智子様の実子ではないらしい。

今の天皇が、皇太子時代に好きになって関係を持った宝塚の女優に産ませた子供。皇太子や紀宮と顔が違うのはそのせい。

出産後、退院の際、病院の前で写真を撮るのに秋篠宮のだけないし、秋篠宮を身ごもっている美智子様の写真も見たことがない。

また、今回美智子様が体調を崩したのは、秋篠宮に男の子が産まれて、皇位継承者が自分の血を継いだ孫ではなくなることが1番の理由。それがショックで、事前に男の子だとわかっていたから、紀子様が出産の際に公務を理由に遠く(北海道)へ行っていた。

あくまでも噂ですので、秋篠宮の母親とされる宝塚女優が誰なのかなどの真相は定かではありませんが…ι

(みやさん提供)

【真相】




7:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:40:11

2010/11/5 12:08:52

美智子皇后が、秋篠宮や紀宮を妊娠して、臨月近いお腹の映像をテレビ映像で見ましたね。

最近では先月に、皇太子の学習院幼稚園時代の運動会に、臨月近いお腹の美智子皇后の立ち姿の映像がテレビで放映されてましたがね。

皇太子は1960年2月生まれで、秋篠宮は1965年11月生まれで、運動会映像は、1965年10月のでしょう。

紀宮を妊娠時の美智子皇后の映像は、紀宮婚礼前後にテレビで見た記憶がありますがね。

美智子皇后が、二人を妊娠中でお腹が大きいテレビ映像も見ないで、頭の中で妄想を何の根拠もなく膨らましたのかな?(笑)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1049831815


要するに、

1. 秋篠宮が美智子皇后の実子だというのは間違い無く正しい

2. 秋篠宮が平成天皇の実子ではないという噂を消す為に、秋篠宮が宝塚女優 加茂さくら の子供だというデマが広められた

という事でしょうか?


皇室関係の話では、宮内庁や外務省創価グループがネットで24時間目を光らせていて、真実が明らかにされているレスを発見すると直ちに情報撹乱の為にデマが流すのは周知の事実ですね。

この種のデマの特徴は、一番重要な箇所以外は真実に近いという事ですね。


秋篠宮が美智子様の実子でないとか、

「ここだけの話だが、秋篠宮が、天皇の本当の子供でないってこと、お前知ってるか?」

悩み多き貴婦人の警護を担当していたのが、若き偉丈夫の皇宮警察官。 深い同情が恋情に変わり、いつしか二人は恋に落ちたというのが、まことしやかな警察物語である。


とかいう話も秋篠宮が入江相政侍従長と美智子様の子供だという説を撹乱する為に意図的に流されたデマでしょう。

もちろん何が真実かはわかりませんが。

___

宮内庁が『秋篠宮は平成天皇の実子ではない』という噂を消す為に、流したデマ(?)がこれでしょうか:


ベルギー大使館のパーティーに行った時に、イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」(註: 皇太子だけが実子という意味)

と自慢げに話していた。http://reptilianisreal.blogspot.jp/2013/03/blog-post_6330.html


Question : 秋篠宮 (文仁) 殿下の母親は女官(元公家)?

 美智子さんが子宮筋腫の手術をされたことは有名ですが、その後、子供が産むのが難しい体になったのでは、という噂もありました:

harmin163さん
皇太子、秋篠宮、黒田さやかさんは、皆母親が違うのですか?


ベストアンサーに選ばれた回答 ikasu_suika_ikasuさん

あくまでも噂でしょうが、聞いたことがあります。
根拠は、美智子様が皇太子を出産された次の妊娠で、 胞状奇態(ぶどうっこ)妊娠だったこと。
まれに肺がんに推移してしまうので、将来の皇后になられる方にもしものことがあってはいけないから、その時に子宮を取ってしまった可能性がある、と聞きました。
 元天皇陛下は、側室に生ませることを非常に抵抗されたが、皇太子お一人では、天皇家の存続が厳しいと諭され、皇室の為に、美智子様以外の女性に生ませた・・という内容の噂でした。

皇室って血の継続の為に、何でもありなんだなぁ~と思いましたね。今回にしても同じでしょう。

 そして、その後、秋篠宮 (文仁) 殿下が誕生するのですが、美智子皇后は一度もお腹が大きいころの姿が、一切、 マスメディアどころか周囲の人に見られていませんでした。よって、当然、秋篠宮 (文仁) 殿下は母親が違うようだという推論が出てきます。

実際、女性週刊誌で騒がれ、その女官の写真も掲載され、顔もよく似ていて、当時は主婦の間で話題になったようです。

でもその後、マスコミからそんな話さへ出てこなくなりましたが...。(^_^;)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109281810


15 :名無し草:2011/12/20(火) 19:04:40.98

いや誰が礼宮や清宮の母親かなんて、わからないけど(目ぼしい女官あたりとDNA検査すればすぐわかるとは思うけど)

どっちにしたって「(胞状奇胎を患った)美智子様が超特大の“奇跡”でも起こさない限り第二子、第三子妊娠なんて、“ありえない”。」

ソースも何も、別腹説が当時からささやかれていたのは、ただ単に
「産めない体なのに第二子、第三子がいるってことは…」
ってところから来てるだけ。


16 :名無し草:2011/12/20(火) 19:10:52.15
>>15
ソースとやらを特定させた上で、そこから崩す工作を始めるのがチーム紀子の常套手段だよ
加茂さくら説が撒かれた後に永六輔ソースなんてものをこしらえたりしてねw
相手しちゃダメ


17 :名無し草:2011/12/21(水) 06:59:14.88
>>15
美智子皇后陛下が浩宮様産んだ後「胞状奇胎」になったのは、事実以外の何物でもないからねぇ。
当時の医学では不可能な「その後の妊娠」。
母親がカモとか妹とかはデマかも知れないけど

「美智子様以外」なのはまあ99.9%動かしがたい事実。(残りの0.1%は“美智子様の奇跡”)


18 :名無し草:2011/12/21(水) 07:01:12.49

で、秋篠宮が安西恵美子の子だっていうのはどこソースなの?
早く提示しておいてくださいな


24 :名無し草:2011/12/21(水) 07:16:13.12

母親が誰であろうと「美智子様以外である」ってところがマズイんじゃないの?

加茂さくら説→否定、実妹説→否定   できたとしても、

「だからアーヤは美智子様の実子だ!」…とはならないんだよ。


26 :名無し草:2011/12/21(水) 07:25:40.18

当時胞状奇胎になったら妊娠は無理だね、それこそ奇跡。
いくら「カモ説」否定、「安西えみこさん説」否定、「美智子様浮気説」否定
できても、秋篠宮や紀宮が「妊娠不可能な美智子様から産まれてきた」証明にはならないしね。


27 :名無し草:2011/12/21(水) 07:29:04.41

安西恵美子が母親だという記事でも週刊誌に載ったとかないんでしょ?
どっからのソースなのよ


30 :名無し草:2011/12/21(水) 07:37:57.94

まあ、秋篠宮家側にしてみれば秋篠宮様も息子の悠仁様も天皇にしたいんだから、日本に根強くある「庶子疑惑」は相当マズイよね。
ソースなんてない「恵美子さんの子」説を自分達で言い出して、自分達で否定すれば庶子疑惑も否定されるとでも思ってるんじゃないの?


34 :名無し草:2011/12/21(水) 07:42:03.32

秋篠宮様が美智子様の実子じゃないなんて噂、
日本国民で言ってる奴どこにもいないよバーカ。
秋篠宮の噂住民だけの噂。ソースも無いしありえないっつーの。


276 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 22:58:10.45 ID:HqGAvrF30 [2/4]

>アーヤ産む前に一人流産してるんだよ
>そのとき子宮摘出してるはず

げ、子宮摘出はアーヤ出産前?(言語矛盾)
なら、腹違いで間違いないじゃんね。

子宮摘出はアーヤが生まれた後じゃなかった?
そうでないと、いくらなんでも実子のふりはできないでしょ。

美智子さんは、胞状奇胎でも悪性のほうだったんじゃないかな。
「侵入性(破壊性)奇胎」というやつ。
一般的な胞状奇胎は、2年経過すれば懐妊可能になるようだけど、
「侵入性(破壊性)奇胎」だと、無理で、子宮全摘か抗ガン剤治療か
どちらかしかない。

美智子さんの子宮全摘はカムフラージュの必要から サーヤ出産後になっているはずだけど、おそらくもっと前だったんでは?


278 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 23:03:15.70 ID:HqGAvrF30 [3/4]
>>276
あら、読み返したら矛盾した文章になってるw
275さんが言うとおり、美智子さんは、アーヤが生まれる前に、
子宮全摘しているのかも。
もちろん内密で。

だから、側室つかってアーヤとサーヤをもうけたんでしょう。
皇室は一人っ子ではいけないというような理由で。
秘密を拡散しないために、正田家は美智子妹を差出したのかな。
サーヤは女官の子でしょうね。
同じ別腹でも、女であることを差し引いても、待遇にアーヤと差がありすぎ。

外戚(正田家、安西家)が強いために、アーヤはやりたい放題だったんだろうな。


292 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/12/19(月) 03:24:52.57 ID:Qtir03Pm0 [2/6]

たしかにカコブーは恵美子さんにそっくり。
ナマズの背の高さも恵美子さんの血なんだろう。
すごく背の高い女性だということなんで。

しかし、解せないのは、ナマズのIQの低さ。
恵美子さんは美智子より優秀だったというからね。
今上のIQの低さが、がっつり出てしまったのかねえ。
おそるべし、皇室Y遺伝子の粗悪っぷり。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1324350962/


柏原芳江のバイブのデマをマスコミに拡散した時もそうでしたが、宮内庁も頑張ってますね(感心)


因みに、美智子様が子宮摘出したのは1986年ですから、上記の宮内庁が流した(?)デマはレベルが低過ぎましたね:

1960年(昭和35年)2月23日に第一男子浩宮徳仁親王が誕生

1963年3月4日に第二子懐妊が報じられたが、3月22日に宮内庁病院に緊急入院、翌23日の午後に流産の処置手術が行われた。

1965年(昭和40年)11月30日、第二男子礼宮文仁親王誕生。

1969年(昭和44年)4月18日、第一女子紀宮清子内親王誕生。

1986年(昭和61年)3月、子宮筋腫の手術を受ける。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%90%8E%E7%BE%8E%E6%99%BA%E5%AD%90


世間ではこんな事まで言われているんですね

美智子様の実子は1人だけ???

美智子様の実子は1人だけというのは嘘の情報です。、  
隠したいことがあり  権力側から流したブラフです。
本当の皇室のタブーは  次男坊が  入江侍従長の「種」であること。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20121109


2008年09月10日
渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?

今朝発売の日本一汚れた週刊新潮に渡辺監督へのインタビューが掲載されてた。

新潮に取り上げられたということは、いよいよ大騒動に発展なのか?


『天皇伝説』は天皇家の血を巡る物語です。オレは10年以上前から、万世一系とは言うものの、実は天皇家は血がつながっていないのではないかと思っていました。それを確かめるべく旧皇族などに話を聞いてみたところ、やはり天皇家の血筋は続いてきたわけではない、という確信を得たのです。

映画の組み立てとしてはあくまでもフィクションという形を取り、アクションシーンなどの娯楽要素も盛り込んでいます。


映画のあらすじ

主人公の渡辺は米軍で働いた経験のある男。内縁の妻を殺したとの濡れ衣を着せられて逮捕される。渡辺は脱獄し、無実を証明すべく、事件の真相を追究。

そしてM資金と呼ばれる秘密資金の存在を突き止めた渡辺はそのルーツを探るため、天皇家の血脈の謎に迫る……


大正天皇の4人の子は皆、貞明皇后の不倫の末に生まれた子です。

まず、昭和天皇は貞明皇后と、西園寺公望の養子である毛利八郎との間に生まれた子。

秩父宮、高松宮の父親が誰なのかは分かりませんが、大正天皇でないことは間違いない。

三笠宮の父親はDNAで調べると、中川宮の第5皇子である多嘉王です。

昭和天皇もまた子種がありませんでした。

平成天皇の父親は、三笠宮です。

また、秋篠宮も平成天皇の子供ではありません。

美智子皇后と入江相政・元侍従長の間の子なのです。

つまり、秋篠宮には皇室の血は一切入っていないのです。


渡辺監督が饒舌に話すトンデモ内容であるが、もしホントウなら一部のトンデモ保守の間で騒がれている「悠仁」さまを天皇にすることで男系天皇の伝統を守る、というのは跡形もなく崩れ去る。なんせ秋篠宮家には皇室の血が一滴も入っていないのだから……。
http://anarchist.seesaa.net/article/106331658.html


菊タブー

大正天皇は子種がなかった 昭和天皇の父がテイメイとチョメチョメ   

昭和天皇の父は侍従長「西園寺八郎」   
http://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U


昭和天皇ヒロヒト・・・話が五分の一としても 日本の皇室はかなりため込んでいます。つまり 現在の天皇は 「自分の国を守り 民を安全に食べさせる」気持ちは 「さらさらない」と言うことですね。  誰かに「地位を奪われたくない」という感覚しか持ち合わせていないので   

「創価学会」と癒着し創価学会の犯罪を警察に「なかったことにしろ」という命令を恥ずかしくもなく出しているわけです。 

「私利私欲の皇室」ですね。    
http://www.youtube.com/watch?v=dzr-0siF5HU


日本の真相3  昭和天皇のための戦争   
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes

日本の真相4  戦争責任         
http://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc

侵略戦争で財産を増やした皇室 日本銀行株券はじめ             
http://zenkyoto68.tripod.com/zaibatu01.htm

湖畔の「月明かり」・ラブロマンス           
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20110412

入江侍従長と美智子さんの権力と愛
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20121018


これが本物の情報です。  すごいことを書く人物もいたものです。  
映画になっていますね。
http://anarchist.seesaa.net/article/106331658.html


「女帝美智子サイドが」が流したウワサです。  

「入江侍従長とした」ので 「姑を追いやれた?」 

入江侍従長の容姿は 秋篠宮さまに 似すぎています。


美智子さんは 次男坊が大きくなるにつけ  焦っていたはずです。  

「入江スケマサ侍従長を知る人であれば・・・・・
次男坊の種は誰なのか?  わかるはずです。


ゆえに次の情報は美智子様サイドでネットに書いたものと考えたら正解だと考えます。(攪乱)
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060208-3.html

http://wiki.livedoor.jp/niwaka368/d/%BD%A9%BC%C4%B5%DC%C5%C2%B2%BC%A4%AC%A1%A2%C5%B7%B9%C4%BC%C2%BB%D2%A4%C7%A4%CA%A4%A4%A4%C8%A4%A4%A4%A6%B1%BD


入江侍従長の写真を一枚だけ そうですね。68歳ぐらいの写真です。

99.999999パーセント 間違いないでしょう。   
しかしですね。  不思議です。  
長男が1960年に生まれて 平成天皇に子種がないわけでもないのに

なぜに 入江侍従長との「愛」を育む必要があったのでしょうか?・・・・・
「趣味と実益」と言ったところでしょうか?


「一事が万事」ですね。  
年間4億以上のお金を国民の税金からもらい税金はないわけで年間8億もらうことと同じなんです。

国民の模範となるべき「キサキ」が不倫をするということは創価学会と癒着し創価学会の犯罪を警察にもみ消させているということと似ています。


「入江侍従+美智子」VS 「昭和天皇の奥さん+今城 誼子(いまき よしこ)」

との権力争いにより  入江と親しくなったわけである。


入江の兄は 侍従長であったので・・・・
「入江」が侍従長になった時点で 大変な権力者であった。   
兄の死後 「侍従長」になっている。

昭和天皇は平成天皇が自分の本当の息子でないため跡継ぎにしたくなかった。  またその「人間性」は  昭和天皇も嫌うほど 「公」の資質を欠いていた。   

権力をもたない平成天皇(当時皇太子)は  美智子が権力闘争に入るのを黙認した。   

美智子はもともと「権力闘争・裏切り・追放」は大好きであり入江の「敵を追い落とす闘争のすがたに身も心も傾倒していった。

まだ若い美智子さんは「もう一つの愛」を育むようになった。

河原は、入江が以前にも自分とは肌が合わない「杉村侍医」を、陰湿な手段を使って追放しようと画策した例があるとし、

「今城よしこの追放劇は、この杉村の一件同様、自分の気に入らないものはとことん排除しようという入江の私心から発した、まさしく魔女狩りであった。」

と主張している。

「斎藤吉久のブログ2008・宮中祭祀「破壊」の背景に憲法問題あり」

に、入江流の祭祀簡略化への反論が記載されている。


入江為年監修・朝日新聞社編『入江相政日記 第八巻』(朝日文庫)
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20130219

「平成4年  ベニバナ国体」「仕込みのエピソード」自作自演である。  

美智子の「悪知恵」は嘘くさいが本人はいたって真面目に演技をしている。

「発煙筒をたいた 暴漢が現れたら・・・とっさに右手で陛下をかばった。」

という エピソード。

主人を大事に思う夫人は・・・侍従長との「セックス」を楽しまないでしょう。  
待女や皇宮警察に秘密を守らせ侍従長と寝るわけである。


これでは部下の宮内庁も警察庁も腐るのも当然である。  

帝の嫁が「不倫して子供を産んでいる」のである。   

このようなあさましいことをしておきながら・・・
皇太子が好きになった歌手「柏原芳江」氏に「電動こけし娘」のレッテルをすべての行政の若い人たちにデマを流させた。   

まさしく「美智子様のお人柄」を表しているのである。

かなり・・・お好きな人のようですね。  
プロファイリングですが しつこい○○。
http://www.youtube.com/watch?v=BDCz2jaeY1Y


常に「次の権力」を見据える・・・・・「みちこさん」  

「次男坊の種付けは・・・入江侍従長が「59歳」のときである」


入江も・・・・・職務とすれば 適切な人物ではなかった。 
 
1964年の種付けである。   

入江は1985年に殺されている。  おそらく殺されたと思う。

皇后美智子様との 肉体関係は  いつまで続いていたのだろう。  

時々ほしくなる「美智子皇后様であったろうと 誰でも思うであろう」

はたして・・・どのような「体位」がお好みであろうか?   

入江は「入江日記」と称してたくさんの日記を残している。  

記録を残していないだろうか?


皇太子浩宮が女帝に近づかなくなった理由。

次男坊の父親が誰なのか?  おそらく17歳ぐらいでわかったと思います。

入江侍従長と美智子様が 時々「乳繰り合うのは」皇太子には聞こえてきていた。

2001年 兄貴分と慕っていた高円宮様の「死」の謎を聞いた。  

国民と皇室の関係を考えていた珍しくも善意ある人であり国民の人気も高かった。

生放送のテレビに出たのも自分の言葉で語ったのも 韓国訪問も 皇室として 初めての人であり不倫の女帝ににらまれていた。

この場合・・・自分たちよりも「目立つ皇族」をどうするかは・・・・・

不倫をして子供を産む事実で「一事が万事」ということは聡明な若者たちにはわかることでしょう。  

高円宮さまのエピソードは実に温かく久子さまも人間的な素敵な女性である。

ちなみに「Jリーグ」発足に尽力したのがこの方であった。


女帝のさまざまな「デス命令」が 聞こえてきた。

雅子へのバッシングの内幕がわかった。

以上の理由で皇太子と女帝は決定的な関係になったと考えられる。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/


美智子さんですが1960年に皇太子を生んでいるわけで平成天皇に子種はあるし  男子も生んだ。

それなのに  なぜに「入江侍従長」の子種の次男坊を生んだのでしょうか?

おそらくですが・・・・・侍従長は見た目はなかなかの美男子で背が高い。   美智子妃殿下の「好み」ということになるでしょうね。

「秋男君は違うお母さんが産んだ子供」というウソ情報を流したのも「みちこ・入江グループ」です。

美智子さんが長男出産のあと「子宮」の病気にかかり子宮を排除したので子供は産めないという情報を国民に流したのも「入江とみちこ」派閥。

子宮を手術で取れば・・・・・記者会見するでしょうし とっていないならば通常流したくない情報です。

何かを隠したいので・・・・・流したいデマでした。   

このような手法の「デマ」を 「ブラフ」というらしいのですが   
私は頭がよくないので正確な使い方なのか?  わかりません。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/


 
「入江は退職日2日前に死んだ、」

「秋男君」があまりに似てきたためです。


入江相政(いりえ すけまさ、1905年(明治38年)6月29日 - 1985年(昭和60年)9月29日)

入江相政は日本の歌人・随筆家である。
藤原定家の子孫で、昭和天皇の侍従長を務めたことでも知られている。
堂上華族入江家出身で、冷泉家の一族。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B1%9F%E7%9B%B8%E6%94%BF


入江相政 画像
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%85%A5%E6%B1%9F%E7%9B%B8%E6%94%BF&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ae0JUvDhM4XokgW3pIGoCQ&sqi=2&ved=0CEcQsAQ&biw=1018&bih=889


■「風のごとく」入江侍従長が急死

昭和60年10月1日に51年間勤めた侍従を勇退する予定だった入江相政侍従長(80)が9月29日午前12時40分、

千代田区紀尾井町3-34の侍従長 公邸で倒れて午後1時31分、新宿区の慶応大病院で虚血性心不全で死去した。

入江は明治38年6月、冷泉家分家として東京に生まれて、昭和4年に東大を卒 業、学習院教授を経て昭和9年10月に侍従となり、昭和44年に侍従長となった。退任を前にした昭和60年9月26日には記者会見を行っていた。

入江は春に昭和天皇に侍従長退任を打診、4つ年上の昭和天皇は「うーん、入江も80になるか」と漏らして入江の退任を承諾したという。

9月29日は午前9時に起き て食事、午前10時30分に「もう少し休もう」と1階の部屋へ引っ込んだきりだった。

昭和天皇は入江の訃報を午後2時35分に聞き、

「ちょっと具合が悪い と聞いていたが」

と漏らし、死因を知ると

「そうか、えらく急だね」

と気落ちした様子を見せて椅子に腰掛けたまま表をぼんやり眺めていたという。


■解説

昭和60年には次男坊の秋篠宮は20歳になっていた。

誰が見てもあまりにも「侍従長」に似ていたと考えられる。

このころは平成天皇と美智子さんは「権力」を手にしていた。

美智子さんは次の権力をもう育てていた。

昭和天皇も「侍従と次男坊」のことは知っていた。

昭和60年 10月1日に退職する予定で 9月26日に記者会見をしていた。

亡くなったのは・・・・・9月29日である。

    
入江日記が世に出てさまざまなことがばれるのを恐れたのかもしれない。

あまりに似すぎるのは・・・・・殺される原因になる。

侍従長も秋男君もあまりに背が高かった。   
鼻も大きかった。   目も大きかった。 

侍従長に似ていることを「気にしていたのは」・・・・・美智子さんであろう。

「入江」は権力をもぎ取るのに一生懸命だっただけなのに。

終わってみれば残酷な仕打ちが待っていた。

「入江」は今城よしこを「魔女」として魔女狩りで皇室を追いやった。   
この時美智子との愛を育んだ。   

権力闘争のときと戦のとき「男と女」は・・・・・興奮し「子孫ができるモード」になる。

「入江も美智子」も「イキイキ」とした時代を送った。

暴力団の親分が殺された「後家姉御」ほどの「器量と悪知恵」を持っていた美智子は次男の「秋男」があまりに似すぎたので新しい権力で「やってしまったと考えられなくもないだろうか?」

入江は・・・・・魔女狩りで「昭和天皇の奥さんから権力を奪った」

美智子は・・・・「間男狩り」で入江を葬ったのかもしれません。


※やらせたのは・・・・・新生「みちこ」一派だろうか?  
それとも昭和天皇一派だろうか?
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/
8:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:41:03

世間の噂

【美智子皇后ってこんな人】

http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070524164015.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070524144430.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070121195845.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070122185706.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060315144429.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070331072523.jpg
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http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070310170142.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20071202155238.jpg
http://img132.imageshack.us/img132/9307/2006092900000041nnnsocithumb001ct4.jpg

皇后陛下特別御出展の薔薇(2008年 国際バラとガーデニングショウ)
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20080514122552.jpg

皇太子妃殿下特別御出展の薔薇
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20080514122841.jpg

どのような批判も、自らを省みるよすがとして真摯に受け止めたいと思います。
皆様、今スレもよろしくね p(^-^)q (手話ポーズ)  美智子
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070530154709.jpg


宮内庁が「誰かいい人いませんか?」と都内の有名女子大に問い合わせたら聖心が推薦したのが美智子さんだったに過ぎない。

そして、その時代の聖心は「縁談の問い合わせがあれば、正田美智子を推薦した」ので、美智子さんを、お見合い相手にとお勧めされたのは今上以外にもいて、その中の一人が、あの三島由紀夫(ソースは猪瀬直樹「ペルソナ」)。

良く言って中流の三島にお勧めされてお断りされた女性が、軽井沢の恋、で皇太子妃になった。
「ちゃんとした皇太子妃候補」なら常磐会は大反対しなかったでしょうね。、


(入内後)
・民間から嫁いだという理由だけで、良子皇后をはじめ各宮妃から苛められるとマスゴミを通してアピール
・古き良き慣例をいくつもぶっ壊しながら「開かれた皇室」をアピール
・衣装代を惜しまず、美しくお洒落な皇太子妃をアピール
 他方、娘には一貫して質素な装いをさせる


(立后直後)
・良子皇太后がお倒れになると、骨折も痴呆も含めて吹上に放置
・たまに今上と共にお見舞いして、かいがいしく世話するアピール
・自分へ非難の矛先が向くのを察知するや否や、謎の失語症でバッシングを封殺させる反射神経の良さ


(現在)
・病気療養中の長男の嫁へのバッシングは「アーアーキコエナイ」で、ひたすら祈りをアピール
・自分へ降りかかる火の粉だけは華麗な反射神経で巧みに避ける

・「人格否定発言」の後に「公務の見直しも必要」と言った今上と共に、全く見直しもせずコルセット巻いたりして全国行脚
 長男の嫁に「サボリ」のイメージを植えつけさせ、次男一家と一緒になって更にプレッシャーをかけている

・病気に関する発表をさせた翌日には、なぜか元気に公務にお出まし
・病気の夫を放置して、お出かけ三昧


『 宵っぱりの両陛下は午前1時、2時になってからも、インスタントラーメンを つくってください、りんごをむいて、と下命する』

『 皇后陛下にはご気性に激しい側面がおありで、御所の中では時折、甲高いお声を上げられたり、お気に召さないことをすると延々とお小言を賜る 』

『 昭和天皇の愛した吹上御所の自然林を丸坊主にし、新御所を建設したのは 美智子さまの意によるものだった 』

『 天皇・皇后の(平成5年)9月の訪欧時、ご服装の新調代に3500万円かかった 』


■ 美智子皇后のご希望で、昭和天皇が愛した自然林が丸坊主 ? 

「 新御所の建設が決まったのは、昭和天皇がお亡くなりになって半年も経たないうちのこと。
 あまりにも亡きお上をないがしろにした決定です。

 最近の皇室をみていると昭和天皇の威風が次々に壊されていく、そんな気がしますが、その始まりがあの新御所でした」 (皇室に近い関係者)

『 応接 』 部分には映写室やステージ、音響設備を備えた約八十畳の大広間があり
ここは晩餐会や映画会、コンサートも開ける多目的ホールになっている。

また、『 迎賓 』 部分には来客用の寝室、浴室などの宿泊施設も作られている。
この新御所については、元侍従の浜尾実氏はこう語る。

「 国賓に泊ってもらう施設としては立派な迎賓館がある。おもてなしの場所だって皇居内に宮殿があるわけですから、新御所に宮殿や迎賓館の機能まで持たせる必要はない。
 質素が皇室の伝統的な美徳という事から考えると、少し贅沢にすぎると思いますね」

実際、前出の皇室に近い関係者などは
「吹上の自然林を丸坊主にしたのは美智子皇后!」 とまで厳しい指摘をする。


「 大体、皇后は吹上御所にお移りになりたくなかった。
 皇太后さまの匂いのする御所は嫌だということからあの新御所の建設が決まったんですよ。

 たしかに、皇太后が美智子皇后に冷たかったのは事実。だからと言って昭和天皇がご愛好だった自然林まで伐採しそこに贅沢な御所を建設するというのはあまりのことです。

 そもそも皇太子妃時代の皇后に皇室内でもっとも理解があったのは昭和天皇。
 それを考えればあの自然林伐採はとんでもないことです」

「 最近の美智子皇后への苦言は以前の美智子妃いじめとはまったく違うもの。
 最近の特徴は、むしろ皇太子妃時代の皇后に好意的だった人からの批判や苦言の声が多い。

 皇后や宮内庁はその点に留意されるべきではないでしょうか。
 率直に言って、今、皇室は『危機』の時代です。」(同宮内庁記者)


超豪華な吹上御所の建設、そのために壊された皇居の自然林。
『 まるでフルムーン旅行』 といった陰口まで飛び出す外国訪問の旅…。

質素を旨とされた亡き昭和天皇は、そんな、平成皇室をどうご覧になっておられるのか?
http://shimasoku.com/kakolog/read2/ms/1362668038/


やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 2016年3月11日
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5

今回の記事は、何かあった時のために先の稿と共に、それぞれできる形で永久保存扱いにしておいたほうがよいかもしれません。

皇后陛下とGHQとの癒着の根っこが明らかになりました。

現代の日本における、あらゆる国家弱体化・破壊要素は全て、在日さえ含めてGHQ発です。皇后陛下はGHQ施策の極めて具体的な体現者です。


◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

↑ 国会で美智子さんの出自と、成婚の陰謀、そして皇太子(今上)の不出来ぶりが、厳しく追求された極めつけの史料です。

◆なんと、社会党が支援していた美智子さま

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/113f75c1f2919bd0cc381ceee34452c1

◆皇后陛下は「アカ」でした

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c1d3f5e7a9593118391c92ad90752bac


かねてより、拙ブログでは正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室弱体化施策の一環であることを、推論として検証してきました。

また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために日清製粉と結びついたことも。

GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教をそのツールに使ったことは事実です。

そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。

彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、 愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。

他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。

日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との親交他。


20150203.館林の日清製粉ミュージアムと正田記念館内外部CX-535
https://www.youtube.com/watch?v=CA9Nht0Bo30

こちらに正田家と、GHQ派遣のアップルトン女史との密着ぶりが残っています。
女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。


当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。

正田家は、商売人なので関係はないとはいえ、当時愛国者は軒並みGHQから追放されていた時代です。

外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。

雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのような頭も性格も悪い皮膚病持ちの出自も清らかではないお方が入内を?(おまけに身内に精神病者がいるのに)と不可解だったのですが、結局GHQという大きな潮流の中の、美智子さまから雅子様への系譜と捉えると、クリアに視えて来るものがあります。因縁めくことには、お二方とも日本人の健康破壊に関与した第一第二水俣病に、つながっていらっしゃいます。現代では日清製粉の遺伝子組み換え小麦粉が、日本人の健康破壊。皇后は敗戦時から今まで、日本人の健康破壊者とご縁があります。


野田醤油の工場を訪れたアップルトン女史。右端は日本醤油協会会長・正田文右衛門氏(1948年8月)

正田文右衛門は、正田醤油の創業者です。文右衛門も日本人としては相当に高身長。正田一族、それと母の冨美さんも当時としては図抜けた背の高さ、兄妹共に。ただ一人美智子さんだけが小柄。(当時の日本人としては、 平均ですが正田の中では、一人だけ極端に小さい)

日本本来のものである醤油から、小麦粉への新たな進出。
敗戦国から戦勝国アメリカへの擦り寄りが日清製粉です。

美智子様の入内直前に、国会でその入内ぶりの不可解な動きを追求されています。その一つが新平民、つまり部落出身ということの ほのめかしです。拙ブログではその点は断定していず、保留状態です。

ただ、正田家が新平民ではなくても、母方はどうでしょうね。
正田家が、部落と密着した存在であったことは事実。

美術館には正田家の、家系図まで麗々しく掲げられています。

1873 明治6年12月
・正田文右衛門(三代)醤油醸造創業 ※1

1891 明治24年7月
・帳簿組織を改め複式簿記を採用

1900 明治33年1月
・合名会社正田文右衛門商店設立

1908 明治41年10月
・正田式麦煎機特許取得

1910 明治43年2月
・正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社


この年譜で目を引くのは、「正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社」

「正田稲荷神社」とは?

これは稲荷神社ではなく、白山神社ではなかったかと思うのですが?

なぜ稲荷と書くのでしょう? 白山神社は、部落の人々の信仰対象でした。
(信仰者即穢多非人というわけではありません。)

「目車町」は、皇后を部落の出として書いた被差別部落出身作家の上原善広氏によれば非差別地区だということです。


⇒ 調べました

http://www.shoda.co.jp/knowledg/bunkazai.htm

正田醤油は明治6年(1873年)今から140年前に創業いたしました。
また、正田家が群馬県館林市のこの地に移住してきたのはそれ以前のことで、300年程ここにいることになります。

そのためか、この敷地の中には醤油業をはじめる前のもの、例えば文政11年(1828年)に建てたという『正田稲荷神社』、現在は『正田記念館』として現在にいたるまでの資料が陳列されております嘉永6年(1853年)に建てられた店舗、そして江戸末期にたてられた文書蔵などがあります。これらは全て登録有形文化財に指定されていますが、古いものはなるたけ壊さずに残しておこうという気持ちは以前よりございました。


【正田稲荷神社】
もともと目車町(現・栄町)の鎮守であったが、明治43年(1910年)に正田家が目車町より譲り受けた。

以後、正田稲荷神社として栄町および当社の守護神として祀られている。例祭は2月の初午である。御社と本殿からなり、御社の創建は館林城築城天文元年(1532年)以前といわれるが定かでない。文政11年(1828年)、安政6年(1859年)の2度の再建を経て今日に至る。

・・・・・・・・・・・・ここまで

画像二枚目の神社さんがネットでは「白山神社」として、認識されている祠だと思われますが、いったいなぜ稲荷が白山神社に変貌?

仮説が一つあるとすれば、目車という被差別部落にあった神社さんの移転なので、穢多非人という人たちに多く信仰されていた白山神社さんと勘違いされた?

念のため、白山神社さんの ご神体を調べましたがお狐さんではありません。

更に白山神社は全国に散らばっていますが、そこが全部被差別部落だということではありません。穢多非人の人たちだけの信仰対象でもありません、念のため。

由緒正しいお家柄なら、なぜわざわざ穢多非人村に越していらしたのか?
醤油製造に穢多非人を使った?

しかし「正田神社」と呼ばれるほどの厚き稲荷信仰のお家が、一族根こそぎカトリックに改宗?

何か不穏な気がするのは考えすぎでしょうか。

・・・・・・と書いて、ふと思い出したのですが・・・・


先入観を与えるといけないので、この画像を見て見える人だけどうぞ。
更にオカルト的な話が嫌な人や認めない人は、スルーして下さい。


皇后陛下に現れた数少ない・・・・・皇太子夫妻に比べると少ない・・・・
霊画像に、霊眼が多少ある人が見えるのは、









九尾の狐です。

誰でも視える形ではなく、視える人だけに限定で、むしろよかったです。
わかりやすいと、合成とか気のせいとか言われてうざったらしいので。
なぜ皇后に狐? と霊写真に気づいた時には不思議だったのですが、
お狐信仰のお家でしたか・・・・。
皇后に憑いた霊体の、九尾の狐は瞋恚(怒り)の形相ですが・・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d4caf989f1ec33423082307330b824

とはいえ、BBの霊眼もさしてあてになるレベルではないので、視える知人に再チェックしていただいたら・・・


こんな感じで、美智子さまの背後にいるそう。BBはこんなに判然と視えるわけではありません。
帽子のデザインも、狐っぽいのは偶然でもないのかもしれません。

霊眼のある知人が更に示してくれたのは、皇后陛下の内面がこういうふうである、と。

一説に半島出自だとも言われる小和田家のように下賤なことはしない・・・・のが正田家だと長いこと言われてきましたが・・・・

もっと下品でした。

美智子さまのご両親様の胸像でございます・・・・


日清製粉会社の歴史を展示している「製粉ミユージアム」内に展示。何の事はない、皇后陛下を間接的にCMガールとして、日清製粉の宣伝ですね。

普通、妻の銅像まで置きませんが。日清製粉にとっては夫妻の娘が皇后陛下だってことで、莫大なメリットです。

こういうところからも商売人の娘は本来、忌避されたのでしょう。
小和田は小和田で、娘の入内を最大限に活用、外務省機密費流用疑惑は不問にされるし、とうとうハーグの判事にまで上り詰めました。

◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

こちらの記事で、国会で正田美智子さんの素性に関して今では考えられないほどの肉薄ぶりで追求、またカトリック(キリスト教徒)たちがよってたかって美智子さんを入内させた「陰謀」について、また皇太子(今上陛下)の不出来ぶりを、仮借ないまでに述べた平井義一議員。

以前も調べたのですが、不可解なほどのその後の動きが解らないのです。

http://www.wikiwand.com/zh-yue/%E7%AC%AC25%E5%B1%86%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9C%BE%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B8%BD%E9%81%B8%E8%88%89

若くして(34歳)福岡4区でトップ当選の実力と人望と人気。その後も当選すること、5期。第28回(1958年5月)でもトップ。これほどの政治家の、写真すら残っていない、気味の悪さ。美智子さん入内1959年の翌年に落選しています。
5期連続当選のベテラン議員が。


中央が平井義一氏。


1958年 皇室会議で満場一致で正田美智子皇太子妃に決定。これも実は奇妙な話。

国会にすら知られずまずアメリカで発表され、名だたる皇族は全て正田美智子入内に反対していたのが、いきなり賛成派に。昭和天皇の賛成の一言により、とされていますが その昭和天皇はいまだGHQの呪縛の中にあられました。


1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)


平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 – 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)Wikiより

国会議員を5期務め、第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任、横綱審議委員、日本プロレス協会長などの、華やかなポジションにいた人物の没年が不明?・・・・。

没年不明は行方不明とほぼ同義ではないのですか?

気色の悪い・・・・。⇒ コメント欄に・・・・ご存命だそうです。Wikiの「没年不明」記述はなぜに?

⇒更にコメ欄に。衆議院の広報課に訊いたら、平成19年9月6日にご逝去。

平井議員とは違う意味で、履歴の一部がすっぽり消されているのは、美智子さん入内に直接動いたカトリック神父、ジョセフ・フロジャックです。

足跡はかなり詳しくWiki他にまとめがあるのに、部落布教のために群馬は館林に向かい、そこで布教していた事実だけ全部、過去から抜き取られ、なかったことになっています。

ご本人が著した書物まで焚書されたら、ジョセフ・フロジャック神父が美智子さんの父方祖母、正田きぬさんを一番目の布教者として、それから次々に正田一家をカトリックに改宗させたことも、 「なかったこと」にさせられるのかもしれません。

正田家とGHQの癒着、それにからんだ美智子さんの入内について発信し始めたのは、ひょっとして拙ブログが始発だったかもしれませんが(始発信は誰でもいいのですが)これまで推論の域を出なかったことが更に今回の記事で一歩進めたかもしれません。


朝鮮髪飾り ペッシテンギ


国連女子差別撤廃委が女性天皇を認めよ、そのために皇室典範改正をと、言ってきましたが、もともと現行の皇室典範も戦前のそれから様変わりしたのはGHQ関与だと思います。憲法をいじった彼らが皇室典範放置はないですね。

それまでは皇太子が不出来であったり人望が無かったり、ふさわしからぬ行為がった時は、長男であろうと排除、ふさわしい人物が天皇になっていました。

皇后も目論む女系天皇は論外ですが、どんなアホでも長男なら即位というのも、考えてみればGHQのやりそうなことです。当時の皇太子(今上)はさんざん、GHQによる恫喝と洗脳教育で自虐史観左翼に仕立てていたので、そのまま即位させないと、計画が成就しないわけです。

いまだ日本を敵国としてみなす「敵国条項」のある反日国連とその事務総長、潘基文と癒着している皇太子。そのさぼり妻は国連大学通学には熱心で、 個室が与えられたほど。またその父はGHQの意向に忠実で、要するに反日姿勢で出世階段を駆け上がっています。妹も国連関係。

池田 (小和田)礼子国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。

そして、売国の宮高円宮の長女と同じく、あの中抜き日本ユニセフに母親と妹が関与。小和田は真っ黒。反日一家です。出自はほぼ間違いなく半島。

そして国連といえば美智子皇后の盟友、ブサヨフェミの緒方貞子。

皇后の、女性宮家の創設で皇后の助っ人をし、一方ですでに在日という難民に苦しめられている日本に、更に難民受け入れを迫る左翼女がいます。

皇后陛下が主張なさり、天皇陛下がそれに追随なさっている「皇太子の系譜の女性天皇」を立てたら、皇統に朝鮮人の血が入り込みます。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5
9:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:41:35

私が学生の時だが、友人は、

[美智子妃殿下は皇太子(今上天皇)が知的障害があるので、それに絶望して自殺未遂を二回した]

と言い張っていたよ。


[皇太子(今上天皇)は知的障害なのは公然の秘密]と言っていたな。

理由は[近親婚]を繰り返したから。


__________

皇太子(今上天皇)さまは、学校での授業についていくのに大きな努力をされていたので、お友達との交友を深める時間や余裕がなかったという記事を目にしたことがあります。

学業にかなりの努力がいったことにより、社会的コミュニケーションが極めて偏狭な殻に閉じこもった状態のまま、周囲がなんでも手配してくれる環境におられたことで、奥さんのご実家文化や気性とぴったり合って、固まってしまったのかもしれません。今、医師も誰も寄せ付けない状況で、ご行楽に励むのが嬉しいのであれば、国民にとっては「手立てなし」を、クールにみるしかないと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1493213639


美智子妃を選ぶにあたり、後に新宿の歓楽街で亡くなった黒木侍従と小泉信三の二人のみが隠密裏に動いた。その他、お妃選びの相談役を自ら任じ、常盤会会長も務めていた松平信子は蚊帳の外に置かれ、地団駄踏んで悔しがることになった。ご成婚後も容易に怒りは解けず、昭和天皇みずからが頭を下げて了解を願ったという


 しかし、天皇に頭を下げさせるとは。常盤会はそんなに偉いのか。そんな旧い体質を壊そうと思ったのだろう。涙ぐましい努力だ。小泉信三も信念を持った立派な人だった。今の宮内庁にはこうした人はいない。又、「新宿の歓楽街で亡くなった黒木侍従」も立派な人だった。

島田は、ボカした書き方をしているが、実は、新宿のソープで亡くなったのだ。それも、従業員のお姉さんたちは少々、年増で、それ故に、入浴料も安いソープだ。当時、週刊誌にはデカデカと出てたから覚えている人もいるだろう。

戦前だったら、そんな記事が出ることは絶対になかった。でも、今は隠しておけない。「なんだ、宮内庁の侍従が」と怒った人もいただろうが、でも、型破りで、人間的な侍従だったのだ。

 まさか、民間人をお妃にしたのを恨んだ闇の勢力が、ソープ嬢を買収して殺したわけでもないだろう。あるいは、ソープ嬢が「くノ一」で、交わっている時にショック死させたとか。これじゃ、まるで山田風太郎の世界だ。

長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

▲△▽▼


天皇家でまともな子供が育たない理由


私がとあるクラシック音楽のコンサートに行った際のことです。座席に座っていると、皇后さん(美智子さん)が入って来ました。どうやらそのコンサートに招待されたんでしょう。皇室ファンが喜んで拍手したりしている。

私がビックリしたのは、皇后の付き人の女官です。
配布されたA4版のプログラムを団扇のようにパタパタさせて自分をあおったりしている。オマケに演奏中にコックリコックリ。
「イヤぁ~お行儀が悪いなぁ・・・」
それが平民ならいざ知らず、よりにもよって皇室関係者とは!

・・・そう、なんですが、まあ、皇后さんだって、好き好んでその女官に付いて来てもらったわけではないでしょう。自分の意向が働く女官だったら、
「アナタ・・・プログラムを団扇のようにパタパタさせてはダメですよ!」
って、注意できますからね。
だって、誰が見ても判るくらいの、お行儀の悪さなんですから。

その女官は、敢えてそのような「振る舞い」をした・・・と考えるのが自然でしょう。敢えてそんな振る舞いをしたのでなくても、そんなお行儀の悪い女官を選択した時点で「意図」があるわけです。

知性が欠落しているケースだったらスグに判るものではありません。それこそ「会話の話題は、お天気と健康だけに限定!」と、事前に言い含めればスグにはバレることはない。しかし、お行儀の欠落はスグに判るものでしょ?よりにもよって皇室なんだから。

こんな満天下に恥をかかされている生活を続けては、あんな「生気のない」「人生に疲れた顔」になっちゃうのも当然ですし、長男の「嫁」が、病気になるのも当然ですよね?
まあ、いとやんごとなき世界の人たちは、勝手にいがみあっていれば済む話ですよ。私たちには関係ありませんものネ。

ちなみに、ジジババが威張っている封建的家庭に「嫁」に行って、その女性が重症のストレスを抱え、結局は、子供が問題を起こし、登校拒否になったりする例は現実に多くあるでしょ?
そんな封建的な家庭は、避けるのが利口ですよ。何も一般の平民が火中の栗を拾う必要なんてありませんよ。そんなところに飛び込んだりすると、それこそ「生気のない」顔になっちゃいますよ。封建家庭の「嫁」って、そんな「生気のない」顔の人が多いでしょ?
一般の平民はさすがに付き人がいるわけではありません。しかし、ちょっとした身につけるものを観察することによって、親なり、周囲の人間の配慮も見えてくるわけです。

一般人は付き人などとは縁がありませんが、頻繁にやり取りをしている人のキャラクターから見えてくるものも多いでしょ?
当人はなんとかごまかしていても、周囲にいる人の振る舞いから、その当人のキャラクターが見えてくることも多い。
それこそ、親子なり、あるいは、祖父母と孫の組み合わせでも、子供の側が異常に気を使っている雰囲気を漂わせている場合もあるでしょ?
傍にいるその子供の表情から、当人の資質もみえてくるわけです。

あるいは、グチに付き合うことしかできないようなボランティアがいつも近くにいるということは、当人自身はいつもグチばかりということ。
あるいは、「おべんちゃら」を言うしか能がない人間を侍らせているということは、当人自身が自分に厳しい人間ではなく、「いい加減」で「てきとう」な人間であるということ。
どんなに服装はキチっとしていても、周囲の人間がダメダメだったら、当人自身がマトモのわけがないじゃないの?

それこそ以前に日本の芸能人の方がお亡くなりになって、離婚した妻と娘がお葬式に来ないということがありました。そのことに対し、その芸能人の弟が、「いくら呼んでも来てくれない。」と、報道陣にグチっていました。
しかし、そんな感じでグチばかり言っている人間を傍に置いている時点で、その芸能人も焼きが回っているということ。

もちろん、「呼んでも来てくれない。」というグチは、それこそ、いとやんごとないご家族でも、出て来ました。
まずは、そのようなグチに共鳴し、周囲に被害者アピールするしか能がない人間を切り捨てることも必要でしょ?
ヨーロッパの王室において、道化と、相談役は、その役割として別ものですよ。
自分のグチに付き合ってもらうのは道化の役割であって、それはそれでいいのですが、自分たち自身の問題点を指摘してくれる人も置いておかないとね。

逆に言うと、周囲の人の言動から、当人の資質も見えてくるわけです。
友人だろうが、付き人だろうが、あるいは、被害話に共鳴するようなボランティアだろうが、お側の人からその人が見えてくるわけです。
どんなに立派な服装をしていても、周囲にいる人がダメダメだったら、その人自身もダメダメなんですね。

ダメダメ家庭というものは、目立つところにブランド物をしていても、実際的な面で、抜け落ちがあったりするもの。結局は、子供の気持ちを考えていないというわけです。そんなダメダメ人間が考えるのは自分の被害だけなんですね。
「コイツのせいで、ワタシは不快な目に!!」
言葉で言わなくても、身につけるものや、付き人や、お弁当のレヴェルが雄弁に語っているものなんですね。

皇后さんは、昨日(10月20日)が誕生日だったそう。
長女ももうすぐご結婚で、これも何はともあれ、おめでとうございます・・・と言ったところですね。

その長女は、皇后が困っているときに「ドンマイ!」って慰めてくれたそう。
それは結構なことですが、困っている親を子供の方が慰める状態がデフォルトになってしまった例が、まさに長崎県の「新しい」方の事件の家庭。
なんて言ったらいいのかなぁ?
http://space.geocities.jp/kinoufuzennkazoku/05-10/05-10-21.htm


ダメダメ家庭の顔 生気のない顔

生気のない顔というと、日本で一番身分の高い女性が、その典型と言えるでしょう。まあ、あの方も随分と大変なんでしょうね。

あの女性は、好き好んで、あの家庭に嫁に行ったわけですから、それは本人の選択の結果と言えるでしょう。しかし、そんな状態を放置するから、次なる新参者が病気になっちゃうんでしょ?

まあ、いとやんごとない家庭は、一般人には関係ない話といえます。しかし、そこに見えるダメダメ家庭の特質は一般人にも結構参考になるわけです。ダメダメ家庭というものは、内科的な方法では改善できません。だって、問題が起こっても、その問題の原因を、自分たちとは「もっとも薄い」関係にある新参者に原因を押し付けてしまうので、本質的なものは何も変わらないんですね。

その家庭に生気のない顔の人がいたら、その人が、その家庭の問題の原因を一手に背負わされていると見ることができます。そんな家庭に新たに入ったりすると、次に生気のない顔になるのは、新しく入ってしまった当人なんですね。

ちなみに、なんでも、とあるオーストラリア人のジャーナリストが「プリンセス・マサコ」という本を出版したそうです。宮内庁が皇太子妃の雅子さんをいじめているという話らしい。

このメールマガジンでは、以前に皇后の美智子さんが宮内庁からイジメられているシーンを書いています。この私がコンサートホールで目撃しました。目の前で肉眼で見たんだから、議論の余地なしですよ。

皇后さんもあんなにイジメられているんだから、皇太子妃も当然のこととしてイジメられていますよ。というか、あんなに生気のない顔だったり、鬱病になって「ワタシは幸せよ!」も何もないでしょ?

しかし、宮内庁も、オーストラリアのジャーナリストから問題を指摘されると、「そんなことはないっ!」と逆上するって・・・イジメ自殺が起こった学校の関係者と全く同じ対応というか、私のメールマガジンに対し逆上メールを送ってくるダメダメ人間と同じというか・・・まあ、ダメダメのお約束なんでしょうね。

つまりダメダメと言うものは、どんなところでも起こっているわけですし、ある意味において、共通性も多いわけです。

まあ、皇室に関係のある購読者さんは、たぶん、いないでしょうが、あの手の封建的な家庭が近くにある方はいらっしゃるでしょ?そのような封建的な家庭の、お嫁さんなり、女の子って、あんな生気のない顔のケースが多いですよね?

往々にして、そんな封建的な家庭のジジババは、ボランティア活動などをやっていたりするもの。だから、そんな家庭は、いわゆる「立派な家庭」と評価されたりする。
しかし、ボランティア活動をやっても、自分のもっとも身近な人間の生気はない・・・封建的なダメダメ家庭って、身分の差はあれど、そんなところがあるでしょ?

そうして

「ワタシたちはこんなに立派なのに、あの人が来たせいで・・・」

と周囲にグチることになる。ダメダメ家庭の周囲には、同じような被害者意識が強いダメダメ家庭の連中が多いので、そんな被害話に大いに盛り上がってしまう。そして

『まったく・・・アナタも大変ねぇ・・・あの人には困ったものだわ!』

とグチの共鳴。周囲がこれでは、ますます生気がなくなりますよ。

ちなみに、私は、制度としての皇室問題を議論するつもりはありませんヨ。
一人の人間としての、あるいは一人の女性としての幸福について考えているだけです。
幸福な人は、幸福な顔をしていますよ。そのオーストラリア人ジャーナリストの著作がトンチンカンだというのなら、宮内庁の反論よりも、幸福そうな表情が何よりも雄弁な反論になるものでしょ?

「プリンセス・マサコ」という本に関わる問題は、ダメダメ家庭を考えるに際し典型的な事例と言えますね。

ダメダメ家庭なり、ダメダメな集団と言うものは、自分自身の問題と真剣に向き合ったりしない。何か不都合なことがあると、新参者にその問題の原因を押し付けて、「自分たちはアイツが来たことによる被害者だ!」と被害者意識に浸ってしまう・・・

この新参者は、何も人間とは限らず、たとえば、インターネットとか、その前は音楽のロックだったりと、とりあえず目立つものが選定されることになる。
そもそも、現実としっかり向き合うことから逃避したり、問題点について考察することからの逃避としての犯人認定行為なんだから、とにもかくにもスケープゴートがほしいだけなんですね。

犯人探しに明け暮れるようなダメダメ家庭において、問題の原因としての役割を押し付けられてしまう新参者は、それが人間となってしまう場合には、往々にして「嫁」だったり、「子供」だったりするもの。この手のダメダメ家庭は封建的な面を強く持っているので、男尊女卑の雰囲気があったりして、女性が犯人として認定されやすい。だから、同じ子供でも女の子が狙われてしまう。

それに、犯人認定行為をする人は、「どうしてその人が犯人と言えるのか?」という点について説明するのができないので、「自分に対して反論してこない存在」を犯人認定しようとする。まあ、男性よりも、女性の方が反論してこないことが多い。

あるいは、よく虐待事件で出てきたりするシチュエーションである、同居している「相手」の連れ子なんて、この理屈からすると、ドンピシャでしょ?

いったん、犯人認定されてしまうと、普段から、「この家庭が上手く行かない犯人」とされてしまい、まさに諸悪の根源扱いとなってしまう。ちょっとのことで、
「また、オマエのせいで、迷惑を受けた!」
と怒られることになる。だから、犯人とされてしまっている人間は、日頃から周囲に対して気をつける必要がある。
それこそ、楽しそうな表情をしていたら、家族からどう言われちゃうの?

「ヘラヘラと笑っていて・・・全く・・・アンタは気楽でいいねぇ・・・コッチはアンタのために苦労ばかり!」
「いったい、誰のためにこんな苦労をしているのか、分かっているのかしら?」

そう言われちゃうでしょ?
とてもじゃないけど、朗らかな表情をしているわけにはいきませんよ。
かと言って、困った表情をしていると、どう言われちゃうのでしょうか?

「全く・・・辛気臭い顔して!コッチまで気が滅入って来るじゃないの!」
「ちょっとは、周りのことも考えてほしいものだわ!」
「いったい、誰のためにワタシたちがこんな苦労をしているのか、分かっているの?!」

と、やっぱりイヤミを言われるだけ。

結局のところ、どうすればいいの?
朗らかな表情でも、文句を言われ、苦虫を噛み潰した表情でも、文句を言われるわけでしょ?

もうこうなると、表情が判らない・・・生気そのものが抜けたような顔になるしかないでしょ?
逆に言うと、「あの人・・・どうも生気がない顔をしているなぁ・・・」と思われる人は、その家庭において、自己表現が閉ざされていることが推測できるわけです。
ちょっとでも自己表現をすると、叩かれる。
ちょっとでも感情を見せると、文句を言われる。
いわば「出る杭は、打たれる」状態となっているんですね。

子供の表情を見るだけで、どんな役割を子供に対して「要求している」家庭なのか分かったりするもの。生気のない顔をしているということは、感情を抑圧することを求めている家庭ということなんですね。

ダメダメ家庭の、特に女の子において、このような生気のない顔になってしまう例があったりします。それだけ、子供の頃から周囲に気を配っているわけです。自分の周囲に波風が立たないように配慮する。そして自分の感情を読まれないように配慮する。そして自分の感情そのものを抑圧する。そんな習慣だったわけです。
そんなことをしていると、精神的に疲れちゃうでしょ?
だから、ますます顔から生気が抜けてしまうことになる。

このような生気のない顔の周囲には、以前に書いた「不満いっぱいの顔」がいるもの。
日頃から不平不満を語っていて、「アイツのせいでうまくいかない!」と誰かを恨んでいる。
そんな人の身近にいる子供は、その不満を一身に浴びて生気が抜けてしまったわけです。
逆に言うと、生気のない顔の子供と、不満いっぱいの顔の親の組み合わせだったら、もはやダメダメ家庭のレヴェルを超えて、フィジカルな虐待の可能性も見えてくるわけです。

それこそ、以前に、秋田県で、自分の息子や、近所の子供を殺害した女性がいましたが、あの女性の顔は不満いっぱいの顔だったでしょ?
そして、たぶん、殺された息子さんは、生気のない顔だったのでは?
個人の顔だけでなく、顔の組み合わせからも、その家庭について見えてくるものなんですね。

あるいは、前に書いている封建的なジジババがいる家庭だと、まさにそのジジババが不満いっぱいの顔だったりするでしょ?
そして、その不満いっぱいの顔のジジババの周囲には、そんなジジババに媚びを売るようなボランティア顔の人がいたりするもの。
つまり、「おべっか」や「おべんちゃら」を求め、真実と向き合っていない状況も見えてくるわけです。

そんな顔の組み合わせだと、まさに威張っている人間が、不満を語り、周囲のおべんちゃら人間がそれに同調し、結局は、新参者への締め付けがますます強くなってしまい、カタストロフに至ることになってしまう。
http://space.geocities.jp/kinoufuzennkazoku/07-02/07-02-20.htm
10:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:44:48

とりあえず説明させていただきますと、今の今上陛下の正体は島津家の子孫であり、カドの末裔です。

薩摩藩12代藩主島津忠義の娘邦彦王妃俔子(くによしおうひ ちかこ)は今上天皇継宮明仁陛下の祖母。
http://sky.geocities.jp/jkenterprise777/profile.html


そして今の秋篠宮様は、今上陛下の子供ではない可能があります。

加茂さくらさんの子供だったというのです。この加茂さくらさんの親が誰だったのかを調べる必要があります。
皇太子も黒田清子さんの母親も違う可能性があります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1149893471
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q146831814


加茂さくらさんの正体は雅子妃の縁戚とされていました。もしかしたら今の皇室全体が、本物の北朝と南朝によって天地をひっくり返される可能性があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%8C%82%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89
Posted by カノング at 2013年04月07日 12:47

一番疑わしいのは現東宮。母親違いならどうってことないけど、父親が違う。
つまり全く皇室とは縁もゆかりもない人間が東宮に納まってしまっていることが問題。
雅子層化はそういうことを知っているから皇太子を荷物席へ押し込めたりできるんだと思うよ。
Posted by p at 2013年04月07日 13:30
http://kokuseki.blog.jp/archives/1065753351.html

▲△▽▼


冷泉文恵とは何者か?


目刺しの頭 (平成18年02月08日)
投稿者: 冷泉文恵

 秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でないという噂は、関係各位に根強く伝承されている。

噂の出所は、天皇一族の警護、護衛を主務とする皇宮警察。 皇宮警察と言えば、警察官の中でも選りすぐりの良血者で構成されている機関だが、良血と言っても所詮は田吾作集団。 酒が入れば、口も軽くなり、同期生が集まれば、ここだけの話が、あっちこっちで交わされるのである。

「ここだけの話だが、秋篠宮が、天皇の本当の子供でないってこと、お前知ってるか?」 ここだけの話の一つが、それである。 それが酒席の冗談で終わらなかったのは、それなりのバックボーンがあるからだ。

遡ること四十数年、昭和天皇の后や、后の取り巻き女官たちから陰湿なイジメを受けた美智子妃殿下 (当時) は、精神に深いダメージを受け、那須の御用邸で一人寂しい静養生活を送っていた。

生まれついての貴種である前の皇后にとって、平民出身の美智子妃殿下の一挙一動作がしゃくの種。 子供 (浩宮) の育て方に始まって、手袋の持ち方一つにもアヤをつけたのである。

悩み多き貴婦人の警護を担当していたのが、若き偉丈夫の皇宮警察官。 深い同情が恋情に変わり、いつしか二人は恋に落ちたというのが、まことしやかな警察物語である。

そして、皇太子 (当時) と没交渉の筈の妃殿下に、懐妊のニュースが流れることになる。 道ならぬ恋の噂は、宮内庁首脳にも届いている。 だからと言って、出産を止める手だてなどあろう筈もない。 そこで代々の宮内庁長官に、一つの言葉が引き継がれることになった。 「皇位継承者は浩宮の血脈から ・・・」 と、である。

秋篠宮 (文仁) 殿下は成長するにつれ、天皇一族とは明らかに異なる特徴を見せつける。 体型、思想、行動の全てである。 皇太子や、黒田清子さんが、一目で陛下のお子さんだと分かるのに比べ、秋篠宮の体型は似ても似つかぬものがある。

それよりも何よりも、ナマズの研究にかこつけて、タイ女性にうつつを抜かしたり、祖父である昭和天皇の喪が明けぬ内に結婚を決行するといった傍若無人の精神性を露出する。 挙げ句の果てには、兄である皇位継承一位の皇太子を、公然と批判したりするのである。

「文仁殿下は、血の秘密を知っているに違いない」 の呟きが宮内庁首脳から洩れる。

そうとしか理解できぬ異常行動が多すぎるのである。

菊のカーテンの奥に潜む機密事項が、小泉総理にもたらされたのは、今から一年以上も前になる。 雅子妃殿下の病状が思わしくないこと。 おそらく、お子さんは愛子内親王お一人でありましょう。

「だからこそ、皇室典範を改訂し女性天皇、女系天皇への道筋をつけて戴きたいのです」 さもないと、神武天皇以来続いた万系一世の貴種は、今世をもって終焉するかも知れません。 万が一にも秋篠宮家に第三子が誕生し、それが男子であったなら ・・・・・・・

流石の小泉も、菊の秘事を耳にして腰を抜かさんばかりに驚いたという。 当時は、郵政政局真っ盛りの頃、政局に破れ退陣するようなことにでもなれば、郵政もさることながら、皇室が大変なことになるのである。

結果、総選挙に大勝し、郵政を片づけた小泉内閣は、早速大事案である皇室典範の改訂に取りかかる。 平沼赳夫のように、小泉憎しで反対音頭を歌うのはどうでも良い。 何としてでも片を付けてみせると決意を固めた矢先である。

秋篠宮紀子妃殿下が十一年ぶりに懐妊したとのニュースが日本全土に配信される。 長兄に男子が出来ぬなら、作って見せようの気構えかどうかは別にして、皇室典範事案の帰趨が大問題になっている矢先の懐妊である。

このことが万々歳でないことは、美智子皇后が突然体調を崩されたことからも察することが出来る。 馬鹿なマスコミは、目出度さ一色の報道を繰り返すが、目刺しの頭も信心からと言う事態になるやも知れないのである。

日本には、触れれば血が出る、死人が出ると言われる世界が三つあった。 同和、総連、それに菊の紋所である。 特に菊は、タブー中のタブー、同和・総連が小泉改革で崩壊しても、菊に関しては批判めいたことが何一つ言えないという風潮がまかり通っている。

だから今回は、署名投稿で秘中の秘、禁断のエリアに踏み込んでみた。 その場を与えてくれた、論談編集者に礼を言いたい。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060208-3.html


丁半博打 (平成18年02月09日)
投稿者: 冷泉文恵

 世が世であれば、外務省の高級官僚として、日本外交の中枢にいたであろう小和田雅子さん。 その雅子さんが、皇太子妃殿下になったばかりに、失意のどん底に陥り、精神に病を発症する。

皇室というのは、この世のものとは思えないほど異常なワールドである。 どんなに理知で聡明でも、子供が産めなければ役立たずの烙印を押される。

反面、馬鹿でもチョンでも間抜けでも、繁殖力が旺盛なら、祝福の言葉と尊敬の念が寄せられるのである。 まるでサラブレッドの、繁殖牧場の様ではないか。 こういう世界に閉じ込められれば、雅子さんでなくても変調を来すというものである。

その点、秋篠宮殿下の繁殖力は折り紙付きだ。 ご自身が主催するナマズ研究所のタイ女性研究員を、妊娠もさせれば中絶もさせるといった経験もある。

結果、外交問題に発展しそうになり、宮内庁はてんやわんやの大騒動の末、莫大な慰謝料を払う羽目になった。 下半身も緩やかなら、繁殖力も旺盛、源氏物語の平安貴族を彷彿とさせる御仁なのである。

祖父の喪が明けぬ内に、婚約を発表することなど、長屋住まいの熊さん、源さんでも思いがつかぬ不逞の行いである。 結納を急ぐ子供が居たなら、「死んだ爺さんに申し訳ねえだろ」 と、たしなめるのが人の道、親の道というものだ。 その人の道に外れたこと、節操のないことを、国民の象徴たる天皇一家がやりのけた。

当然ながら、そこには深い仔細がある。 どうしても、やらねばならぬ理由があったのである。 長身にして端正なマスクの秋篠宮殿下は、学生時代から大層女性におもてになった。

何とか殿下の友達になりたいと、多くの女子大生が寄ってくる。 その中の一人に、川島学習院大教授の娘さんである紀子さんがいた。 二人は大層に気が合われ、その関係は恋人レベルへと上昇する。 学習院大キャンパスを背景に、プリンスと大学教授のお嬢さんといった、絵に描いたような恋人関係が誕生したのである。

皇位継承一位の皇太子と異なり、次位者の秋篠宮の警護は、さほど厳しくない。 ご学友たちと連れだって、日本各地を泊まりがけの旅行に出かけられることは日常化していた。

そして、その旅行に必ず同行されていたのが、紀子さんだったのである。 就寝タイムともなれば、気を利かせたご学友たちは、二人のために閨室を用意する。 そういうことが重なれば、妊娠するのが当たり前である。 それでなくとも、繁殖力が旺盛な殿下のお胤なのである。

世が世であれば、側室となり出産するという手だてもあったろうが、今の世の中では水子供養が常套手段となる。 一度であれば我慢もできるが、二度三度と重なれば、堪忍袋の緒も切れる。 父親である川島教授が、「申し上げます、代官様」 と、宮内庁に訴状持参で出かけたのも当然至極の行動である。

殿下と言っても、教授から見れば出来損ないの教え子に過ぎないのである。 その出来損ないに玩具にされた上、捨てられるようなことになれば娘が余りに不憫ではないか。 かくして、異例中の大異例、昭和天皇喪中の婚約発表と相成ったのである。

長子である皇太子が、慎み深く思慮深いのに対し、ナマズ殿下は強引であり残酷でもある。 皇太子夫妻の心中を思えば、三子を作るなど憚ってしかるべきが一般人の通念だ。 それを平然とやってのけるところに、この殿下の不気味さを感じる。 そして三子が男性であったなら、いつの日か天皇に即位するやも知れぬのである。

小泉にとって、まさしく想定外のことが噴出した。 強引に皇室典範改訂法案を閣議決定すれば、国論は二分され蜂の巣をつついたような騒動に発展する。 錦の旗を偽造した平沼一派が、倒閣運動を本格化させぬ共限らない。

だからと言って、解散も出来なければ刺客を立てることも出来ない。 ただひたすらに、三子が女性であることを願うしかないのである。 まさに丁半博打、小泉政権末期の命運が、ナマズ殿下のお胤で決せられる。

溜息の一つも、出ようというものである。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060209-2.html


冷泉文恵氏の皇室投稿は貴重です (平成18年02月10日)
投稿者: 熱泉文子

2月8日付 『目刺の頭』
2月9日付 『丁半博打』
小生、冷泉文恵氏の投稿記事は、菊のカーテンの向こう側についての庶民には知りえぬ真に貴重な情報が詰まっており、大変参考になる記事だと認識しております。

一部の方には、 「不愉快」 と感じられておるようですが、冷泉氏指摘の事柄の数々は、それぞれのエピソード発生当時から裏ネタとして報じられていたことでもあり、そうたいして目くじらを立てる必要もありますまい。

小生察するに、冷泉氏の一番の目的は、 「菊のカーテンの向こう側は、皇族達本人、それに群がる利権屋・政治家および宮内庁を含めて、ドロドロした世界であり、決してキレイごとでは済まされない世界であることを世の中に広く公知させること」 にあるかと存じます。

冷泉氏に求めるとするならば、公人について論じるのですからいちいち皇族名に敬称をつける必要はないかと存じますが、全体の文章表現をもう少しばかり、上品にされたら如何かということです。

それから、指摘された事実誤認の部分については、再度調査の上、必要に応じ訂正記事を再投稿されればよろしい。

ちなみに、 「昭和天皇の死亡は平成1月7日、秋篠宮夫妻の結婚は平成2年6月29日であり、喪は明けている。 喪中に結婚したとの記事は誤りである」 と趣旨の指摘が匿名氏よりなされております。なるほど、確かに、冷泉氏、 『丁半博打』 では、 「喪が明けぬ内に結婚」 と記述されています。 しかし、 『目刺の頭』 においては、 「喪が明けぬ内に婚約を発表」 と記述されています。

小生調べてみまするに、婚約の発表は平成1年8月25日であり、ご立派にも喪中に婚約を発表されていた事実が判明しております。したがって、 『目刺の頭』 の記述は真に事実であり、恐らく 『丁半博打』 においては、 「婚約」 と 「結婚」 を単純に間違われただけのことかと存じます。 たいしたことではござりませぬ。

少し前までは、 【噂の真相】 なる月刊誌が、折に触れて菊のカーテンの向こう側に関する報道をしてくれておりましたが、当誌が休刊となってしまってからは、タブーを度外視した報道記事を目にすることがなくなってしまい、小生、意気消沈していたところでございます。それゆえに、冷泉氏のこのたびの投稿は、 「真に貴重」 と感じられるのでございます。冷泉氏の引き続いての投稿を希望いたします。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060210-13.html


61 :
冷泉文恵についてはググるとすぐ出てくるので特に検証しなくてもいいと思うけど、では元の怪文書全て嘘かというとそうでも無い所が心憎い。
絶妙なバランスゆえ全て知ってのことかと勘繰ってしまう。
確かに、冷泉氏、 『丁半博打』 では、「喪が明けぬ内に結婚」 と記述されています。 しかし、 『目刺の頭』 においては、
「喪が明けぬ内に婚約を発表」 と記述されています。
冷泉文恵氏の皇室投稿は貴重です
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060210-13.html


紀子さんとの結婚までのいきさつが書かれたものは学生時代に聞いた話そのもので、事実誤認の結婚と婚約の間違い方も当時聞いたのと全く同じ。
つまりこれは元になるネタ帳が有って それを時系列も調べず丸写しにしたんだと思う。

あの頃、次男の噂は学生の間で関西まで轟いていたけど、やはり平成になって打倒天皇制の勢力が息巻いてたかあぁ?
噂流してたのは、聞いたことを何でもそのまま信じやすいタイプの人間だった気が。
次男といえば生年月日が違うよ。
小学校入った時周りより一回り大きいとかな無かった?


63 :
>>61
20年以上前、茶飲み話のレベルで、呆れて失笑ってオチだった


111 :
2006年2月8日 冷泉文恵 怪文書と時を同じくして
皇室典範改正問題の本質は皇太子派対秋篠宮派の対立?
http://yomi.mobi/read.cgi/news21/news21_news2_1139339503/

8 名前:朝まで名無しさん [2006/02/08(水) 18:34:41 ID:NAsWP8Zd]

秋篠宮に関する国家的な秘密があるので小泉は何とか皇太子系に継がせたいと考えている ある程度の年齢層の人やマスコミの一部は分かっていることで本来男系にこだわりたいのはヤマヤマだが仕方のないことなんだ

これは単に

49 名前:朝まで名無しさん [2006/02/09(木) 12:04:22 ID:MU5kY2DO]
>秋篠宮に関する国家的な秘密があるので
ああ、母親が鴨桜って話?(爆
それならウチの母親(学習院大卒)もいってたよ。
しかし、どっからその名前が出てきたのか興味はあるね。


55 名前:朝まで名無しさん [2006/02/10(金) 00:06:20 ID:f8Pk0aro]
>>49 そう、知ってる人はけっこういるよね
情報源は当時の看護婦


56 名前:朝まで名無しさん [2006/02/10(金) 00:39:32 ID:2APPWt+l]
宝図化?


57 名前:朝まで名無しさん [2006/02/10(金) 00:42:31 ID:EhANdpSa]
調子に乗りすぎると2chが訴えられるぞ。
加茂さくらはその捏造ガセを掲載した週刊誌を訴えると言ったから
覚えておくように。な。
て感じで終わってる。
http://w1.log9.info/~2ch/20123/anago_2ch_net_emperor/1304223715.html

: 名無し草 [sage] 2011/11/23(水) 14:56:08.48

ではこれも事実で良いね。

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丁半博打
(平成18年02月09日)
投稿者:  冷泉 文恵
ttp://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060209-2.html

皇位継承一位の皇太子と異なり、次位者の秋篠宮の警護は、さほど厳しくない。
ご学友たちと連れだって、日本各地を泊まりがけの旅行に出かけられることは日常化していた。

そして、その旅行に必ず同行されていたのが、紀子さんだったのである。 
就寝タイムともなれば、気を利かせたご学友たちは、二人のために閨室を用意する。 
そういうことが重なれば、妊娠するのが当たり前である。
それでなくとも、繁殖力が旺盛な殿下のお胤なのである。

世が世であれば、側室となり出産するという手だてもあったろうが、今の世の中では水子供養が常套手段となる。
一度であれば我慢もできるが、二度三度と重なれば、堪忍袋の緒も切れる。 
父親である川島教授が、「申し上げます、代官様」 と、宮内庁に訴状持参で出かけたのも当然至極の行動である。


200 : 名無し草 [sage] 2011/11/23(水) 15:01:18.71
>>197
冷泉文恵については、他の投稿者からケチョンケチョンに叩かれてる。

・美智子妃が静養に向かったのは葉山ではなくて那須。
・秋篠宮夫妻は喪中に結婚していない。
・秋篠宮はナマズ研究所を主宰、と書いてるが、そんな研究所は存在しない。

皇室に関する基本的な知識もない者が書き込んだ、ただのヨタ話。
http://archive.2ch-ranking.net/nanmin/1321968753.html


>>61
>つまりこれは元になるネタ帳が有って それを時系列も調べず丸写しにしたんだと思う。

元になるネタ帳というのはおそらく高円宮憲仁親王、外務省(創価学会)、小和田家が作成したものでしょうが、冷泉文恵というのはまた別人の様です:


クライン孝子の日記より(2005/08/03)
冷泉文恵氏からのメールの一部をご紹介いたします。

>松野頼三はこう言った。
小泉という北極星がぶれないから、自民党の航海に支障が生じないのだと。
たしかに小泉はぶれない。
その頑なさが変人奇人と呼ばれる所以でもある。

小泉というのは実に不思議な政治家だ。
YKK遊びをやっていた頃は、単なるキワモノ政治家に過ぎなかった。
マスコミの扱いも加藤紘一の腰巾着程度であったのである。
橋龍に負け、小渕に負けた総裁戦でもピエロ扱いに変わりはない。
郵政大臣、厚生大臣時代も、役人とは齟齬を反発の繰り返しで、奇人大臣の異名ばかりが高まったのである。
おそらく、衆院議員480人の中で、閣僚職をやらせたら小泉以上の手腕保持者は過半数を超すだろう。

しかし、宰相の座がこれほど似合う政治家は古今無双と言っていい。
宰相職しか出来ない政治家と言っても過言ではないのである。
これほどの人物だったのかの思いは全政治家共通だ。
小泉の前に小泉無く、小泉の後に小泉なしが現在の政界模様。
他の政治家とは、納まり具合に天と地ほどの差があるのである。

その小泉に喧嘩を売ったのが、綿貫・亀井連合隊。
郵政法案否決で小泉内閣を一挙に転覆しようの腹づもりであったのである。
が、この程度の連合隊に転覆される器量の内閣ならとっくの昔に消えている。
綿貫・亀井の連合隊構想は余りに陳腐なものであったと言えよう。
結局、返す刀の切っ先を喉仏に突きつけられたのが亀井静香である。
公認なしの選挙では万に一つの勝ち目のないことが理解できたのだろう。
助けてくれのSOSが森喜郎後見役に届けられたのである。

小泉の後見ではあっても、亀井と共に甘水をたっぷり吸った過去を
持つのが、森喜郎の不徳の至り。
亀井の救助信号を受け、早速と反応を見せた。
『解散になったら派閥会長を辞任する』と、言ってみたのである。
もとより、こんな脅し文句が屁の突っ張りにもならないことくらい森喜郎でも分かっている。
分かってはいるが、言わなければならいほどに、亀井事情の逼迫を感じとったのであろう。

いずれにせよ、小泉の一人勝ち状態は当分続く。
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/8491792.html


クライン孝子の日記(2005/08/06)
冷泉文恵さんからのメールです。

>自殺した永岡洋治の葬儀では、葬儀委員長の席に座ったのが亀井静香。
そこで、嘘泣きと、芝居気たっぷりの、意気消沈ぶりを披露したのである。
その亀井が、葬儀から二日後の5日に、郵政解散に絡むTBSの報道番組に出演した。

その時のセリフがこれである。
『自殺する、自殺すると言ってるうちに、本当に自殺しなければならなくなるようなものだ』
小泉が解散を匂わせていることへの、例え話なのだが、品性の醜悪さと感性の鈍感さを、たっぷりと世間に晒してくれたのである。

その亀井が、新党を立ち上げて、国家と国民のために一命を捧げると言っている。
捧げられる側としては、冗談は顔だけにしてくれと言いたくなる。

が、世間で言う、愚の骨頂人を、大勲位の中曽根康弘は買っている。
前回の総裁選では、お揃いの赤いちゃんちゃんこを着て、必勝祈願をしていた大勲位と闇金亀の姿を映像が捉えている。
刑務所の塀を渡り歩くのが両人の得意芸。

二人特有の同士意識を共有していると察せられる。
どれだけの金銭が、支払われたかは、闇の中だが、旧中曽根派が亀井派に衣替えして随分と経つ。

かなりの額の、闇金とパチンコ屋からの裏マージンが、大勲位に渡ったことは言うまでもない。

中曽根康弘大勲位の倅を称して電脳界住人は小勲位と呼ぶ。
親の仇を郵政でとの小勲位の心意気は、大勲位にとって良い倅を持ったの満足感に通じるであろう。

小勲位が、小泉に開帳する、三つの仇討ち事由。
一は大勲位が奪われた永遠比例第一位の特権、
二番目が小勲位本人が扇千景に奪われた参院議長の席。
そして三つ目が、大勲位を越そうとする小泉の総裁任期である。

が、この様な、親孝行がワンダフルな結果をもたらすことは絶対にない。

1)解散を待ちわびる小泉に絶好の口実を与える。
2)保守地盤の地元群馬から非難集中。
3)大勲位に続く、総理総裁の道が完全に消える。
4)亀井派、衆院造反議員の総選挙に於ける公認権消失。
5)亀井派消滅。
6)野党への政権転換。

小勲位の仇討ちは、一日限りでマスコミの話題から消える。
あの程度の人物だったのかが、全議員の思いとして残るだけだろう。

いわゆるバン勝負は、小泉vs綿貫神党(ママ)小泉vs小沢一郎率いる民主党ということになる。
小勲位のチンケな親孝行と違って、こっちは生きるか死ぬかの真剣勝負である。
新宿マフィアもビックリ仰天の、表芸、裏芸のオンパレードになるだろう。

我慢さえすれば、残り一年の総理生活を全うできる。
やり方次第で継続審議という民営化案延命の策もあった。
が、小泉が第一に掲げた、郵政民営化のマニュフェストが、延長国会での成立が不可能。
ならば、国民に詫びを入れようが、小泉の一貫した姿勢なのである。

ここで屁垂れれば、来年のサミットでG8の首脳から、嘲笑を浴びせられるのがおちである。
死中に活を求めるサムライ日本、総長の舞。

その舞姿がいかなるものかを、親友のブッシュも、固唾を飲んで見守っていることだろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/8694036.html


キ●●●部●奇談 - 其の壱 (平成18年05月10日)
投稿者: 冷泉文恵

 ずいぶん以前に、黄泉の国に旅立ってしまったが、山口瞳という作家がいた。

部類の将棋好きで、将棋にまつわる読み物を数多く書いた人物でもある。 その山口が残した言葉の一つに、 『将棋指しというのは、キ●●●部●の住人だ』 というものがある。 この場合の将棋指しとは、プロ棋士のことを言うのだが、プロ棋士との交友が深い山口にして、始めて言い得た言葉なのでろう。

後年、ヌードを晒したり、中原誠永世十段との不倫騒動で、世間を賑わすことになるのが、女流棋士として一世を風靡した林葉直子である。 その直子が中学生の頃、米長邦雄の家に内弟子として住んでいたことがある。

米長と言えば、自他共に認める、24時間フル稼働の発情男。 美少女の内弟子に、食指が動かぬはずがない。 速攻の攻めが、見事に決まり、アッという間に男女の関係を構築したのである。

現在なら、16歳以下の少女との交接は御法度で、東京都条例違反になるのだが、やがて東京都の教育委員になる米長にとって、そういうことは問題外以前の問題。 ただひたすら、林葉直子に対して性戯伝承に励んだのである。

性感に目覚めた美少女と、24時間フル稼働の発情男が一つ屋根の下に暮らしていれば、お祭り騒ぎは茶飯事となる。 物音も立てれば、大声も張り上げる。 当然ながら、米長夫人の知るところになったのである。

「週刊・野中広務」 と別称される週刊文春に、泥沼流人生相談というコーナーを持っていた米長が、愛人との浮気がばれたらどうするかの質問に答えている。 素っ裸で愛人と同衾中の所を見られても、シラを切るのが肝心だと。

さて ・・・・、自分が同様の立場になったらどうしたかであるが、嘘をつくのは永世名人級なのが米長である。 『実は、直子に誘われたんだ ・・・』 それが、米長邦雄のファイナルアンサーであった。

「中学生の女の子に、無理矢理誘われて一線を越えました」 が、二十年後、東京都教育委員にして将棋連盟会長の重職に就くことになる人物の弁明である。 米長邦雄の女房になるくらいだから、この女性も脳味噌が相当にキテレツなのであろう。

「そういうことだったのか」 と、簡単に信じたのである。 その上で、林葉直子の実家に、文句の一報を入れたから、話は相当に妙ちきりんな展開を見せることになる。

『あんたの娘に誘惑され、主人は大変に困っている』 の電話を受けて、ビックリしたのが林葉直子の父親である。 警察官が職業の父親にしてみれば、自分の娘が師匠を誑かしたと聞いてビックリ仰天。 福岡から、一目散に上京してきたのである。

玄界灘の風音を、子守歌代わりに聞いてに育った人間は、揃いも揃って気が荒い。 上京するや否や、千駄ヶ谷の日本将棋連盟に突進したのである。 そこで、対局中であった娘の直子を、対局場から引きずり出した。 将棋界で、今なお語り継がれる、 【林葉直子の父親乱入事件】 の舞台背景がそれである。

引っぱり出した父親が、直子に話を聞いてみると、米長夫人の言い分とは随分と違う。 『先生に、無理矢理 ・・・・・・』 父親の怒りの矛先が、米長邦雄に変化するのに、さほどの時間は要しない。 押っ取り刀で、米長邦雄宅に乗り込んだのである。

『それで、私にどうしろと言うのかね』 米長の答えがそれである。 警察官のアンタが、私をゆすると言うならそれも良いだろう。 私には多くのマスコミがバックに付いているし、アンタを社会的に抹殺することなど訳もない。

『それより、こういうことが公になれば、恥をかくのはアンタたち父娘ではないのか』 ならば、一切を不問にしようじゃないか。

九州育ちの男など、米長にかかれば赤子同然。 林葉直子の父親は、憮然、暗然、失意を胸に、関門海峡を渡ることになったのである。

その数日後、突然に米長邦雄は、林葉直子の破門を宣言する。 そして、陰に陽に、林葉直子と父親は、近親相姦関係にあると吹聴するのである。 『その様な、異常な親子関係を知ったから破門にした』 支那、朝鮮人民でさえ、思いもつかない様な、中傷発言を連発したものである。

米長邦雄という、異常極まりない人物に、女にされた林葉直子は、その後順調に淫乱街道を驀進することになる。 キ●●●部●が産んだ、奇談の一小話である。

そして、そのキ●●●部●が、名人戦の帰趨を巡って、大騒動を引き起こしている。

当然ながら主人公は、キ●●●中のキ●●●にして、将棋連盟会長の米長邦雄。

いつになっても、奇談には事欠かない、キ●●●部●なのである。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0605/060510-13.html
11:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:45:29

★ クライン孝子について語るスレ

9 :文責・名無しさん :2006/02/09(木) 22:52:49 ID:QksW9R3X

冷泉の怪文書だけどさ、色んなブログで取り上げられてるな。
極一部のサヨ系は大喜びで陰謀論を巡らしてるけど、一般の中道~保守のまとも系は当然ながらケチョンケチョン
しかも「クライン孝子の日記によく出てくる」とかの前置き付きで。

クライン先生、終わったな。


10 :文責・名無しさん :2006/02/09(木) 23:16:21 ID:zqD3lJUe

公家の冷泉とは縁もゆかりもないくせに、ペンネームとして冷泉姓を名乗りつつ、天皇家のメンバーをバッシングするとは、すごい婆さんだ。しかも、言葉使いの汚さ、下品さがドイツに住むあの人にそっくり!(ただ、誤字と文法については、冷泉は案外ふつう。)
どうりで、クラクラ婆さんと気が合うはずだ。


14 :文責・名無しさん :2006/02/10(金) 00:30:58 ID:7BqCoejU

思うんだけども、いくらなんでも今の「冷泉踏絵」は釣りっぽくないかい。
ここまで変な感じの文書いていたっけ?


15 :文責・名無しさん :2006/02/10(金) 02:23:57 ID:Z09wz3xk
>>14
もとからああいう論調だった。
とにかく小泉に歯向かう(邪魔する)者は徹底的に糾弾してたじゃん。


17 :文責・名無しさん :2006/02/10(金) 02:39:20 ID:TV4b53Gz

「冷泉踏絵」というペンネームで書いている男性だという説があるけど、自分の直観では「冷泉踏絵」は女性ではないかと思う。
クラインに近しい人物で、すでに有名人となっているから、バッシングを避けるために偽名を使って言いたい放題。知的プライドが高く、小泉やその他森派の政治家と親交を持ち、宮内庁内部にまで通じる広い人脈を持つ人物と言えば、「冷泉踏絵」というペンネームから推理すると、クラインが最も尊敬するというあの(ニセ)カソリック信者の大物女性作家しか思い浮かばないが...

今までは、クラインの影幕としてクラインにいろいろと情報を流して書かせていたが、クラインがあまりに頭が悪くてとても歯がゆいので、自分が偽名を使って登場する決心をした。
...という推理はいかがでしょうか?


19 :文責・名無しさん :2006/02/10(金) 02:44:46 ID:g2bRvyYa

山崎行太郎のブログにクライン先生から、日本語の不自由な抗議メールがキター!!!!
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20060210/1139505289

それにしても、あれだけ何度も掲載して持ち上げていたのに、自サイトでは一言もなくさくっと削除ですか。証拠隠滅と言われてもしょうがないのでは?
山崎氏に抗議メールを出す前に、まず自分の日記に一言書くべきじゃないの?


20 :文責・名無しさん :2006/02/10(金) 03:00:32 ID:dt8aGuG4
>>17
S野氏はあそこまで下品な文章は書けないと思う。
それと、たぶんクライン冷泉の正体は知らないと思うよ。
バカだけど、そこまで悪辣じゃないというか。
愛しの純ちゃんをカッコよく書いてくれるから重用していただけだと思う。
冷泉の正体だが、笑われると思うが自分は飯島氏だと思っていた。

 「漢・小泉」に心酔し、異常なほど美化しているところ。
 永田町のみならずマスコミネタにも強いところ。
 E島氏は過去に政界暴露本を出版するなど、文才があること。
 (気のせいかもしらんが、文章がそこはかとなく似ている気がする)
 どう読んでもあれはカタギの文章じゃない。ヤの匂いがする。
 そういうところもE島氏に通じるところがある。
ただサマワ電撃訪問ネタを外したので、やはり違うかな。直前になって
変更になったのかもしれないが。

有り得ないかなwww 
しかし小泉人脈にに非常に近い人物であるのは間違いないと思う。


34 :文責・名無しさん :2006/02/10(金) 14:55:01 ID:QcvM+pdF

この人「紀子さまご懐妊」で気が狂ったようになってるね
怨念さえ感じるがちとヤバスギなのでは、個人的な敵意なのか洗脳的なものなのか
どっちにしても皇宮警察や公安とかはこういうの見ても、ただスルーなのか?


56 :文責・名無しさん :2006/02/12(日) 11:10:59 ID:6ybn2jKe

冷泉ていう投稿はクライン自作自演みえみえで、ひたすら気持ちが悪い、ストーカー婆って印象。


57 :文責・名無しさん :2006/02/12(日) 11:33:34 ID:lnydIkKn

ただ冷泉は日本語が堪能。
もし冷泉がクラウン婆さんのジサクジエンだと仮定すると
クラウンはわざとたどたどしい日本語を書いていることになる。
ボビー・オロゴンみたいに。


58 :文責・名無しさん :2006/02/12(日) 11:50:08 ID:PAWocGrL

クラウン=冷泉文恵説は正しくないだろうと思う。
クラウンはレベルの高い読書や文章修行をして来なかった人でしょう。
(それでも、本人は言論人のハシクレのつもり。)
句読点すらまともに打つことが出来ない。頭の悪い小学生みたいな文章を書いて政治を論じている。それに対して冷泉文恵に文才があるかどうかは別として、(文は人をあらわすもの。この点では、クラインと同じくらい下品な品性が、冷泉の書く文にも完全に表れている。)句読点の打ち方はパーフェクトで模範的と言っていい。
新著の文章は徹底的に校正されているだろうけど、AMAZONで見たけど、予約注文ゼロというのは悲しい。これはもう売れないことがはっきりしたということ。
(こんなことを書くと、ドイツから突然注文が入っちゃったりして…)


82 :文責・名無しさん :2006/02/13(月) 22:57:01 ID:1fa4/mxn

http://pride.arrow.jp/klingon/log/eid216.html
クライン孝子への疑惑

チャンネル桜掲示板で私が度々指摘してた事ですが、クライン孝子と言う人は「信じられない位の小泉マンセー」な人なのです。
贔屓の引き倒し、彼女のやり口はそのままです。
そのクライン孝子女史が度々取り上げている人物「冷泉文恵」、クライン孝子女史の日記はブログではなく、さるさる日記です。
つまり、冷泉文恵をクライン孝子は非常に重用していると言う証拠なのですね。
両者が共謀しているか、独り芝居なのかは別にして。
クライン女史に取って、とても都合の良い記事だから採用していたのは間違いないです。
以前にもチャンネル桜で不思議に思われていたのですが、この冷泉文恵と言う人が「何故クライン孝子女史を狙って連絡を取ってくるのか、誰もその脈絡を説明できなかった」と言う事です。
非常に怪しい人物なのです。<クライン女史

ぶっちゃけ、クライン=冷泉と言う噂は根強いものがあります。
ちなみに、クライン孝子女史をずっと追いかけ、糾弾してきたブログがあります。(現在休止中ですが)
佐藤健の溶解する日本/ウェブリブログ
クライン孝子は信用できません。彼女は威勢の良い事を言っていても、内実は嘘で固められています。
EUプレスクラブに所属していると言う肩書きも、そのEUプレスクラブ自体がパチモンらしいですし。

ともあれ、冷泉文恵の投稿は秋篠宮紀子さまご懐妊と皇室典範改訂問題について ーーー 小泉首相どん詰まり・内閣瓦解間違い無しへの姑息な反撃だと見て間違いないでしょう。

クライン一派のやり口そのままですから・・・。
こう言う輩に対してヘラヘラしていたら、いつかチャンネル桜も足をすくわれるのではないかな?


742 :文責・名無しさん :2006/04/17(月) 11:43:56 ID:6ZKnVp3A

http://www.rondan.co.jp/html/mail/0604/060417-14.html
冷泉文恵復活!


743 :文責・名無しさん :2006/04/17(月) 12:00:08 ID:OenDgB2i
>>742
>冷泉文恵復活!

読んでみたが、これって、
誰の目にも世耕ゲッペルス自民党広報本部長の手のものによる、
選挙運動、2ch向けの燃料供給、ミエミエだね。

しかしこれは、きっと逆効果だよ。
太田かずみタンの人気が増すばかりだろう。
http://liveanddie.client.jp/html/dumme_deutsche_frau_5.html


2006-02-09
冷泉文恵が怪文書を投稿…。
クライン孝子のメルマガでお馴染みの、怪しすぎる怪人投稿マニアの妄想爆発。

■政局の節目節目に必ず「ネット」世界に登場して、官邸筋の情報を発信し、「小泉マンセー」と、「反小泉グループ」への罵詈雑言を繰り返す謎の人物…。

特に、「クライン孝子の日記」(メルマガ)に「読者投稿」と称して頻繁に登場して、「反小泉グループ」攻撃をすることでお馴染みの「冷泉文恵」なる人物が、またまた、「皇室典範改正法案」をめぐる小泉政権の危機にあたって、某掲示板に、小泉援護の怪文書を投稿してきたようだ。

なんと、今度は「秋篠宮」の出生の秘密にかかわるスキャンダルの暴露と罵倒である。警察も、こういういかがわしい人物を特定し、早く逮捕拘留するべきではないのか…。

と言っても、「捕まえてみたら、我が子かな…」だったりして。恐れ多くて、警察権力も手が出せないと言うことになるかも。

いずれにしろ、政界や官邸の内部情報に精通した「冷泉文恵」なる謎の人物…。これはちょっとやりすぎじゃないのかなあ。ねえ、世耕弘成クン。しかし、これも「チーム世耕」的に言えば、「広報戦略」の一環だったりして…なあ(笑)。山本一汰君もそう思うだろう。ワタシは知りませんが…(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20060209/1139421186


山本恵子という官邸筋(?)の工作員の狙いは? 2006-08-27

山本恵子と名乗る人物が、「論談」http://www.rondan.co.jp/html/mail/0608/060821-6.html
という掲示板に不可解な投稿・書込みを行っている。内部情報に詳しすぎることから想像して、官邸筋の工作員であることは間違いないようだ。

この「山本恵子」なる人物の正体は?
一部では、一時、官邸筋しか知りえないような内部の秘密情報を、「冷泉文恵」と名乗って掲示板やブログ等に投稿していたい謎の人物と同一人物ではないかという疑惑も。

さらに、「冷泉文恵」「山本恵子」は、官邸の秘書官「飯島某」ではないかとの説も囁かれているようだが…。
いずれにしろ、「山本恵子」なる人物の投稿が、情報撹乱を狙っていることは明らかだろう。何のために?誰のために? 言わなくても、分かる人には分かるだろう(笑)。恐ろしい世の中になったものだ。
http://ime.nu/ime.nu/d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20060827/1156654087


2005-08-04
「山本一太」ってあやしいね。小泉内閣崩壊後は、一番に粛清すべき人物だな。

夕刊フジ(8・3)の記事によると、小泉総理秘書官・飯島勲と、「口から出まかせ男…」山本一太http://www.ichita.com/ が、政局をめぐって密かに情報交換していた…だとさ。おもしろいねえー。この記事。

「幾つかのベクトルがやや良くない方向に変化してきた。」

飯島勲首相秘書官と連日、民営化反対派の動向を分析している森派の山本一太参院議員(47)は3日午後、官邸で記者団にこう語った。山本氏にしては、珍しい悲観論だった。

これでなんとなくわかったよ。「飯島勲…山本一太」ルートのメディア・ネット工作、つまり情報統制・情報弾圧の裏工作の陰謀が見えて来たな。

たぶんこのルートが、小泉政権延命工作の中心軸だったのだろうね。あの「ゴリ」ブログhttp://www.wafu.ne.jp/~gori/mt/とか、クライン孝子メルマガに頻繁に登場(投稿)する「冷泉文恵」という怪しい人物(工作員?)の動きも、すべてこのルートと無縁ではないだろうね(???)。証拠はないけど…(笑)。

山本・ゲッペルス・一太君、やはりキミはあぶないよ。小泉政権崩壊の暁には、一番先に、○×されるよ。気をつけたほうがいいよ。もう遅いけれども。僕も気をつけているんだよ。ははは。

山本一太ってどういう人? この人の政治生命は終わったね(冷笑)。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20050804/1123163824


なるほど今回の事件に関するものを読めば読むほど、、「冷泉文恵」、「山本恵子」は飯島某氏の成りすましかもなと思ってしまいます。

水面下で安倍と小泉の戦いもあるようですね。小泉たちも安倍がこんなにお粗末だとは思っていなかったのでしょう。このままだと自民は負けそうだしな。当然でしょう。カルトと手を組んで売国ばっかの自民なんかに誰が投票するかよ特に小泉・安倍の腐れ清和会が牛耳っている限り、国民は地獄行き。

この自称オバサンの山本なる人物は安倍をけなしまくり、小泉の時代はよかった!再登板だ!とわめいてますよ。ますます怪しいですな。

小泉の時代こそ恐怖政治の始まりじゃないか自分の意に沿わない反対派を抹殺して言論を封殺していたのはどこのどいつだよ工作員め(怒)

飯島氏、松岡大臣が亡くなった時、なぜか慌てて病院に駆けつけてたみたいだし、何しに行ったんですかね?

それにしても「きっこ」さんといい、「山本恵子」さんといい、男性が女性に成りすますという話は多いですね。顔が見えないから自由自在ってわけか(笑)でもどうしてみんな女性になりたがるんでしょうかね?
http://ameblo.jp/shionos/day-20070530.html


要するに

冷泉文恵 = 山本恵子 = 小泉秘書官 飯島 勲

という事らしいですね. 飯島勲さんは植草さんの痴漢でっちあげでも大活躍でした.
12:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:46:19

明治天皇が、種なし寸前だったため、また交配相手の側室も天皇家の女性だったため、ほとんど障害児しか産まれませんでした。正室にいたっては、まったく出産できてません。

大正天皇も、知恵が遅れてましたが、なんとか育ったため天皇即位までもっていけました。

大正天皇の奥さんは、健康で皇室と血縁のない、かなり若い人が選ばれました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1353053733


昭和天皇は明治天皇を深く尊敬していたといわれる。日本の近現代史のなかでは特別の理由も示されないまま,この裕仁に限らず天皇家関係者すべてが,そして歴史家たちもごく当たりまえに「大正天皇を軽視し,ときには無視していた」かのような位置づけで,とりあつかってきている。

大正天皇は4人の男子を生んだが本当は「種なし」であったために,前段のように,東久邇宮稔彦のような〔皇族の立場にある女性になぞらえていえば「〈天皇の配偶者:皇后〉を出せる資格がある」とされた皇族の立場にあった〕男性が主に,万世一系の維持のために性的に協力したという話になる。

 明治以降の天皇家の種が断絶していてはまずい。それゆえ,皇室の藩屏たるそれも「皇族のなからその種」を提供し,万世一系の系譜を創作しつづけてきたわけである。

明治天皇自身が何人もの側室(典侍および権典侍といったが,要するに正妻以外の2号以下の妾)をもち,5人の側室に女10人:男5人を産ませた。だが,男子のうち成人したのは大正天皇だけであった。

この大正天皇が〈種なし〉であったために,明治天皇があえて裕仁天皇の種つけをした話もある。


 大正天皇は実際には正妻:貞明〔皇后〕とのあいだで子どもができていなかった。そこで,貞明に子どもを産ませて天皇「後継者:男子」をえようと,東久邇宮稔彦などが代わりにその「人間再生産」の製作作業 [大正天皇も嫌々ながら認めていた自分の配偶者の他者との性交渉] に参与したという筋書なのである。

貞明は,最初に押しつけられた男〔明治天皇(舅!)か?〕を嫌がっていた。それで,裕仁に拒否反応をもっていた(この段落,鬼塚,前掲書,408頁, [ ] 内のみ 422頁)。


 それにしても,裕仁と秩父宮・高松宮・三笠宮の全員が顔つきが違う。

秩父宮の父〔東久邇宮稔彦?〕が貞明の心を射止めていたので,貞明は秩父宮を溺愛した。貞明はそのせいで,裕仁を皇位継承から外し,秩父宮を天皇の座に送りたかった。これを画策したのが山県有朋であった。これはさらにまた,昭和天皇の妃が薩摩藩の血を引く良子に決定されたさい〈色盲〉問題が提起されたひとつの背景である。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2709626

東久邇(ひがしくに)というのが、戦後、首相になりますけど、この男のことを少し喋ろうと思います。

もうスキャンダルだらけの日本ですけど、大正天皇は子種がありませんでした。

歴史的にまちがいはありませんが、現代史家は認めません。でも子種はありませんでした。

というのは、2・26事件で弟を亡くした河野司というのがおりまして、この人が2・26事件というのはどうして起きたんだろうと調べて回る時に、東久邇にぐうぜん遭って話を聞いた時に、東久邇がこういうように言いました。

「お前の弟が死んだのは、遠因は昭和天皇と秩父宮の争いにある」。


で、それはどういうことかというと、大正天皇に子種が無かった。

じゃ、昭和天皇はなぜ生まれたかということを、東久邇が河野司という男に喋ります。これは映画脚本家・笠原和夫という、東映全盛時代に脚本を書くんですけど、この人ものすごい勉強家でして、2・26やら色んな事件を映画につくるべく脚本を書きます。この男が河野司と対談をしてます。その中で河野司が笠原に言います。

「私はあの時、『軍艦』というキャバレーでたまたま東久邇と遭った。それで東久邇が私に

『河野、お前に今日は本当のことを話してやろうか』

と言って話してくれた。」と。


◎河野司と三島由紀夫は親交がある。三島由紀夫がごく親しい人しか招きいれない自室の部屋に入れて語り合うほどの仲である。三島由紀夫はやはり2・26事件の処罰に連座した末松太平とも付き合いがある。


「じゃあ昭和天皇はなぜ生まれたんか」

と言ったら

「そこまでは言われない。だけど貞明(貞明皇后)はえらく昭和天皇の父親を嫌ってた」

ということです。それで私はハッとしました。私は小学生のころだったと思うんですけど、戦後、カストリ雑誌のようなものを読んだことがあるんです。その中で西郷八郎という名が出て、これは西園寺八郎のことを書いたらマズイと思って西郷八郎になったと思うんですが、

その西郷八郎という男が登場して、大正天皇の傍にいた妃を手に取って、大正天皇が嘆くのにもかかわらず山に連れて行ってチョメチョメした、

という三文小説がカストリ雑誌に載ったことがあります。もうずい分前の戦後のカストリ雑誌です。ひょっとしてあれは本当の話じゃないのか。西郷八郎というのは西園寺八郎のことではないのか。それで西園寺八郎をいっぱい調べて見ました。


『木戸日記』というのがあります。木戸幸一が戦後、東京裁判資料として提出した資料です。都留重人(つるしげと)というのが、木戸の娘を貰ってまして、その関係で都留重人が木戸を説得して、

「あんたの日記をもう出せ」

というので世に出たものです。その中で年月不詳というのがあって、島津治子の話があって、この島津治子というのは貞明皇后の女官を長く務めたんですけど、主治医が亡くなった後に、貞明から女官を去るように言われまして、去った後に民間宗教に凝り固まって妙な言動をする女なんです。そのことを木戸幸一が書いていて、年月不詳という中にこう書いてます。

『大正天皇の侍従の指令-貞明皇后のお相手八郎のこと』。

『貞明皇后のお相手八郎のこと』とは西園寺八郎のことです。その西園寺八郎は隠れた重要な人物で、ちょっと余分なことを喋ります。


長州藩に徳山藩というのがあるんですけど、長州は萩が本家で(徳山藩はその)分家なんです。そこに毛利元徳(もうりもとのり)という分家なんだけれども一応城を構えた殿さまがおりまして、その殿さまの八番目に生まれたから毛利八郎といいます。その毛利八郎が本家の毛利頼近の養子になります。ま、形でしょう。で、頼近の息子として、形式なんでしょうけど、西園寺公望の養子として西園寺八郎となる。西園寺公望は女房がいませんでしたけれど、子どもを儲けていたんです。新子といいます。

その新子と西園寺八郎が結ばれるんです。ちょうどその頃に、西園寺八郎は子どもの時から大正天皇と同じ学習院の同期で幼友達なんですが、大正天皇は子種がないので結局ある筋から西園寺八郎に

「お前が強引にやってこい」と、

で、西園寺八郎は命令されるがまま貞明とチョメチョメしまして、まチョメチョメという言葉はどうでしょうか、チョメチョメしまして子どもが生まれます。それが昭和天皇です。


◎私見では昭和天皇の母親は貞明皇后ではない。

昭和の闇の本質は昭和天皇と秩父宮の確執ではなく、長州を後ろ盾にする昭和天皇VS極端な長州嫌いの貞明皇后の確執だと思う。

これが昭和最大の分水嶺2・26事件を引き起こす。

貞明皇后は田布施村政権を佐幕派に大政奉還しようと図り、樺山愛輔を二度も駐米大使・松平恒雄が駐在するワシントンへ往復させて、松平容保候の四男である彼の娘を秩父宮の妃に貰い受けた。

貞明皇后が秩父宮を皇位につけようとした動機は盲愛ではないと私は思う。

彼女の言動からは意思がはっきりしていて正義感が強い人となりが伝わってくる。

笠原和夫は2・26は第二の壬申の乱と言ったが、私は2・26は第二の戊辰戦争であると考えている。そして田布施村王朝を転覆させようとした貞明皇后は、戦後心臓麻痺で急死している。私は吉田茂と昭和天皇が暗殺したと考える。白洲次郎は戦後は暗殺工作から身を引いている。


◎重松楊江はまた次のように述べている。

『貞明皇后の本当の名前は朱』

田布施村から輩出された人脈によって樹立された明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とは即ち朝鮮王朝のことである。

明治維新で職を失った旗本の娘の中から、美女を選び城内に入れて「千代田遊郭」なるものを伊藤博文らがつくりました。

そこは、天皇や重臣たちの遊び場でした。

そこに朱貞明がやってきました。才色兼備ゆえ、天皇や伊藤博文に見初められて、やがて大正天皇の妃になったのです。』


◎つまり明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とはすなわち朝鮮王朝のことである。

よって貞明皇后の出自が朝鮮であることは理にかなっている。

貞明皇后が大正天皇と結婚したのは15歳である。

白羽の矢を立てられた彼女が九条家に引き取られ、学習院に通わされ鍋島信子・牧野雪子と交友している在学中、大正天皇の妃候補として千代田城にお目見えしたのだろう。おそらく貞明皇后は朝鮮王朝を引き継ぐ嫡子を産む女性としてふさわしい出自なのだろう。


◎また私見では昭和天皇と貞明皇后は血縁がないと考える。

貞明皇后は極端な長州嫌いで有名、かつ個性的な性格で意思が強い。

西郷八郎が彼女の隙を狙って襲えたのは一回きり、貞明はガードを堅くして(例えば女官を常時周囲におく)防御しただろう。

貞明皇后が西園寺八郎を拒絶したので、田布施村の大室家の血筋に連なる子どもが連れてこられたのが昭和天皇である考える。

貞明皇后はDNAも強烈なのか、昭和天皇以外の三人の息子は彼女に酷似している。

猛禽類のような鼻をしている。その中で昭和天皇一人だけ面立ちがソフトである。見目良い賢そうな子を選んできたのだろう。

実際昭和天皇は恐るべき頭脳の持ち主である。鷹揚な生物学者然とした風貌で「あ、そう」を連発するほほえましいキャラを演じた千両役者でもある。

幼少の時「昭和天皇と秩父宮は双子である」という風聞が根強くあったという。

この兄弟は母胎に宿っている時期が一部重なっていたのだろう。双子ではなく母胎が二つあったのだ。

昭和天皇には長州出身の西園寺八郎が後ろ盾になった。昭和天皇を銃撃しようとした難波大助は田布施川の辺に住んでいたから、そのことを知っていたのかもしれない。


で、彼(八郎)は西園寺家に新子という女がいながら、まったく寄り付きもしないで天皇家に入りこんでピッタリと自分の息子の昭和天皇の傍にいます。ずーっと侍従をします。

一時、大正天皇の侍従武官長の奈良武次という男とけんかして、けんか両成敗で数年間、昭和天皇の傍を離れますが、死ぬまで傍にいます。

ということは昭和天皇の行動も全部、西園寺八郎が牛耳ったであろうと言われるほど、傍にいます。その西園寺八郎の子どもが公一(きんかず)といいます。

一番大事なのは、次女が春子といいまして、この春子が住友家の御曹子の住友吉左衛門(第十五代当主・住友友純)の嫁さんになります。

ということは、住友と天皇家は血縁もいいとこなんです。
そうでしょう?そこから考えると昭和の闇もまた見えてきます。


◎八郎の岳父・西園寺公望は1919年パリ平和会議全権大使。、シナリオについては知悉していただろう。日米開戦前夜に死んでいるのは、シナリオに反対して消されたと私は思う。公望の私設秘書・原田熊雄は住友に丸抱えされてヤラセの連絡係りとして活躍する。住友は確かに怪しい。


じゃあ秩父宮は二番目に生まれますが、秩父宮はどうなんでしょうか。

秩父宮は東久邇が自分から言えないけど、東久邇の子どもなんです。

「こいつは何を言ってるんだ」と思うでしょうけど、『西園寺候と政局』という原田熊雄という男が書いた本があります、その本を私が言ったようなことを頭に置いて読まれると、東久邇と秩父宮が親子であるということが良く分ります。

いつも行動を共にして、西園寺が東久邇が妙な行動を取ると秩父宮を呼びつけて

「東久邇に言え、妙な行動を取るな、と」。

そして又、秩父宮が変な行動を取ると西園寺候が東久邇を呼びつけて

「あの子どもをもう少しセーブしろ」

と言います。東久邇は自分を自慢したくて、河野司を呼んで喋ったのかもしれません。

(大正天皇に)子種がないことは事実です。

で、貞明皇后はいろんな男とデキてます。

で、樺山愛輔というのともデキているのはまちがいありません。
そういうのから昭和の闇も見えてきます。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html

日本のいちばん醜い日 鬼塚 英昭 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E9%86%9C%E3%81%84%E6%97%A5-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862169


昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫
笠原 和夫 (著), スガ 秀実 (著), 荒井 晴彦 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%8A%87%E2%80%95%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%84%9A%E6%9C%AC%E5%AE%B6%E3%83%BB%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E5%92%8C%E5%A4%AB-%E7%AC%A0%E5%8E%9F-%E5%92%8C%E5%A4%AB/dp/487233695X


昭和天皇の出生の疑惑


1 : 日本@名無史さん[] : 投稿日:2007/10/19 19:28:40ID:QjGviBga0 [1/1回(PC)]

大正天皇の第1皇子の昭和天皇の出生に関する疑惑がいろいろ出てきている。
私個人としては昭和天皇(弟3人含めて)の父親は、大正天皇だと思っている。
とりあえず、今まで出てきた疑惑を整理してみると。


まず、笠原和夫の本「昭和の劇」。

この中で、昭和天皇の皇女・照宮成子内親王の舅で、香淳皇后の叔父に当たる東久邇稔彦が、

「大正天皇は子種がなく、代わりに貞明皇后に何人かの男を当てて産ませていった。だから、昭和天皇の兄弟は皆、顔が違う」

と語っていたことを河野司から聞いたと笠原は語っている。
笠原がこの説にかなり確信を持っていたとうかがわせる発言がある。


次に、鬼塚英昭の本「昭和のいちばん醜い日」。

この本には、「昭和の劇」の東久邇稔彦の発言が引用しつつ、「木戸幸一日記」の島津治子の調書から昭和天皇の父親は西園寺八郎だとしている。

また別の歴史家の本には、明治天皇が昭和天皇の父親だとする説もある。


ここで疑問に思うのは、以下の3点である。


1.東久邇稔彦の発言の信憑性

東久邇稔彦は皇室と縁戚関係にあるものの、自分の妻・聡子内親王の兄である義兄の大正天皇とは折り合いが悪く、大正天皇の崩御の際にも留学先から帰国しなかった。
その大正天皇を貶めるため、あえて混乱を招くような嘘をついたのか、戦後の臣籍降下をあれほど熱望していたものの、辛酸を舐めて皇室に怨恨でも持ったゆえの発言なのか。


2.三笠宮誕生の必要

明治時代に貞明皇后は3人の親王を産んで皇統を守ったのだから、大正時代に三笠宮を産む必要はなかったと思われる。なぜ、明治天皇も昭憲皇太后も亡くなった後に子供を産む必要があったのか。
東久邇稔彦の発言から感じる矛盾である。


3.大正天皇の子種なしについての決定的証拠がないこと

大正天皇に子種がないとする証拠は、東久邇稔彦の発言しか見当たらない。
あとは、噂や風説などであり、医学的見地から見た証拠はどこにもないのである。
確かに大正天皇は病弱だったものの、貞明皇后と結婚した当初は健康体であった。
皇族の中にも病弱だった賀陽宮邦憲王のように健康を回復して、子供をもうけたり、伏見宮貞愛親王の嫡子・邦芳王は病気により宮家の存続が危ぶまれ、宮家を継承できず、代わりに兄の博恭王が継いだ場合もある。

原武史は、大正天皇に万が一のことがあった場合、有栖川宮威仁親王が次の皇位継承者であったと語っている。

10 : 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] : 投稿日:2007/10/20 16:22:03ID:vGuCDJA40 [1/1回(PC)]

問題なのは三笠宮出生だろ。
なぜほかの兄弟と10年以上も違うのか。

紀子様の場合は様々な事情があって12年間ブランクがあったということはみなわかってるけど。


17 : 名無しさん@お腹いっぱい。[] : 投稿日:2007/10/22 19:17:23ID:7W//g5Re0 [1/1回(PC)]

知的障害者の大正天皇が父親だからこそ、あんな出来そこない(裕仁)ができたんじゃないの
http://www.logsoku.com/r/history2/1192789720/
13:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:47:11

ID非公開さん 2018/9/17 00:09:43

秋篠宮って、学習院大学で、ビリの成績で本当は落第だったって本当ですか?

親父は学習院大学中退ですし、佳子さんが、どうやら高校時代から成績不振で親が呼ばれたり、ICUに行ったのは、学習院では、手に負えない ばかで、キリスト教の本部に頼んでICUに入れてもらったとか。

chi********さん 2018/9/17 18:29:14

友達のママがこの大学で、秋篠宮さまと同学年って言ってたので、間違いないと思います。

大学が、皇室に合わせて、皇室の人も単位を取れるようレベルを落としたそうです。

学食のカレーが大好きで、「カレーの宮」って呼ばれていたとか、「うちの婆さんまだ死なないんだよな」と話していたのは有名な話なんだそうですよ。

あと、秋篠宮さまの妹?が付属高校にいたらしいんですけど、赤点より下を取るので、赤点のレベルを彼女のために落としたそうです。

ここまでは、友達ママに聞いた話で、あとは友人に聞いた話ですが、佳子様の大学の英語クラスがレベル別に四段階あるらしいんですけど、

佳子様の英語力がトンデモらしく、でも一番下に入れるのは恐れ多いので、下から二番目のクラスで、成績かなりヤバイ噂だそうです。

まさかー!と思ってたら、こないだ佳子様の英語スピーチがテレビ放映されてて、大炎上してましたね。

あ、いや、お上手すぎて…。

彼女の高校時代の知り合いはいないので、何とも言えません。

弟さまも、成績がビリと聞きますよね、ネットだと。でも東大に推薦入学が決まっているって書いてありましたよ。

でも、愛子さまって頭がいいって聞きますよね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12196261492

kat********さん 2018/9/17 17:14:03

皇室ご一家はおつむは弱いかたが多いです。
一応大学を出してもらって、留学したり「○○の研究」とかなさってるけど、あれは全ておバカなのをかくすためです。
14:777 :

2022/06/02 (Thu) 18:47:35

kok********さん 2016/6/15 00:00:27

皇太子さまの弟は夜遊びがすごくて悪だったと聞いたのですが本当ですか?
gim********さん 2016/6/18 17:06:10

本当です。

あまりにも夜遊びが酷く帰って来ず、警護看の言う事も聞かないもんで、美智子さま自ら、スナックやらバーやらに電話して帰宅させること度々でした。

スナックのママが取材できちんと話してますので事実です。

タイの愛人問題もそうですが、隠し子がいるのではないかとまことしやかに囁かれていた時期もありました。

一時期は紀子さまと離婚するのは時間の問題とも言われてましたね…
宮邸の外にまで夫婦喧嘩の声が響いてたそうです。

それが、悠仁親王誕生によってガラッと変わりましたね。
将来の天皇がいるという事は、皇室内でもマスコミの世界でも強い力を行使出来るようです…。

今、秋篠宮家の真実を報道出来るマスコミなんて皆無ですよ。

その悠仁さまも、性別選別しての誕生は周知の事実です。

これはカトリックの世界からは非常に嫌われる所業です。これからヨーロッパ王室とどうつきあって行くのか、考えなかったんですかね??
愛子さまで良かったのに…

天皇陛下も美智子さまも、男系にこだわった為に招いてしまった事態です

雅子さまがいるのに
『私は将来、皇后になる人です!』って言える紀子さまが居るこれからの皇室が、スッゴい不安です
imp********さん 2016/6/16 11:35:37

過去の雑誌記事にこういうのがあったよ。↓

「噂の真相 1996年7月号 」

秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁
都内にある秋篠宮の“隠れマンション”とタイ女性の接点とは・・・

コトの起こりはこの4月、来日したクリントン大統領を迎えての宮中晩
餐会に秋篠宮が欠席、単身でのタイ旅行を強行したことだった。
しかもこのタイ訪問、秋篠宮のかねてよりの趣味であるナマズ研究を目的とした
完全なプライベート旅行。

つまり、天皇、皇太子に次ぐナンバー3の皇族がナマズ見物を理由に、国賓の
もてなしというきわめて重要な公務をほっぽりだした形の旅行だったため、これには普段、 皇室に弱腰のマスコミからも批判の声が一気に高まったのである。
宮内庁担当記者が語る。

「秋篠宮殿下がクリントンの歓迎宮中晩餐会を欠席してタイに出掛けることは、
閣議報告の前日の4月4日に発表されたんですが、途端に記者の間から疑問の声があがりましたね。

大谷茂宮務課長は(タイ訪問が)あらかじめ決まっていたため日程は動かせなかった等、 理由にならない理由を強弁していましたが、報道陣は納得せず、一時、会見が紛糾したほど。

実際は宮内庁も秋篠宮の行動に困惑している様子がありありでしたよ」

もっとも、これだけなら単に「ナマズ好きが高じたわがまま」という批判だけで片付け られたかもしれない。ところが、秋篠宮がタイに出発する1週間前に発売された 『週刊新潮』(4/18号)が「秋篠宮殿下 度重なる『タイ訪問』に流言蜚語」と題した特集記事を掲載。

こんな噂を紹介したのである。「殿下には結婚前から親しくしているタイ人の女性がいて、 その女性に会うためにタイに行くのではないか」 そして同誌は「相手は身分の高い女性で、 エキゾチックなタイ美人」 「殿下の女好きは何とかならないかとずっと思っていた」

「今回の旅行だってタイ女性とプライベートビーチに行くんだと聞きましたよ」等の周辺 コメントを紹介したうえで、「タイに親しい女性がいることは間違いない」と断じたのだ。

実をいうと今回、タイ愛人報道が出た際の宮内庁周辺の反応は「まさか」「信じられない」と いったものではなく、「やっぱり」「殿下なら十分ありえる」といった声が大勢を占めていたのである。

▼根強く囁かれる秋篠宮の女性関係の噂


実際、秋篠宮の「女性好き」「プレイボーイぶり」を物語るエピソードはそれこそ枚挙に暇がない。

「居酒屋で隣り合わせた女性客をナンパした」「独身時代、学友に『恋人は7人いる』と豪語した」などなど、だ。

中でも象徴的なのが、学習院大学時代のエピソードだろう。当時、秋篠宮は
「パレスヒルズテニスクラブ」というサークルを主宰しており、キャンパスで気に入った 女子学生を見付けたら、必ず学友に命じてこのサークルに勧誘させていたのだ。

そして、その勧誘された女性の一人が紀子妃だった。 当時の同級生がこう話す。

「この『パレスヒルズテニスクラブ』というのは、殿下の恋人選びのために作られた クラブだったんですよ。

紀子様以前にも、複数の女性を勧誘してアプローチしていましたし、紀子様が入ってからも、同時進行していた女性がいたんじゃないかな。

お二人が婚約した際、 宮内庁は『自然文化研究会』というサークルで顔を合わせているうちに親しくなったと発表して いましたけど、おそらく体裁が悪いので嘘をついたんでしょう。『自然文化研究会』なんて お二人が付き合いはじめた後に作ったサークルですからね」

秋篠宮のこうした女性関係の噂は紀子妃と結婚した後も、なくなることはなかった。

「もうひとりの学習院出身の女性がいて密かに付き合っていた」
「一時期タカラジェンヌに夢中になり、深夜まで戻ってこず、警護官が大慌てした」などだ。

実は3年前、ある週刊誌が秋篠宮のこうした浮気問題を記事化しようと動いたことがある。
その週刊誌とは他でもない、当時、美智子皇后バッシングの中心的役割を果たしていた『週刊文春』だ。

「編集部は、当時、美智子皇后批判キャンペーンをやっていたんですが、
それが一段落したら次は秋篠宮の浮気の噂を追い掛けるつもりだったんですよ。

ところが、 宮内庁からの抗議、さらには社長宅に銃弾が撃ち込まれるという事件があって、 皇室批判そのものができなくなって頓挫してしまったんです。
(元『週刊文春』 関係者)


………つい数年前までも今度は「ニワトリの研究」と称してよくタイに行ってたね、あの殿下は。タイのソープランド見学と言うのもあった。
いまは皇位後継者とされる悠仁サマがあの宮家にできたから秋篠宮家の批判が殆どできない状態になってるけど人間の性根ってそう簡単に変わるもんじゃないと思うね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12160496062
15:777 :

2022/10/20 (Thu) 07:29:47

CIAのスパイだった美智子妃は皇族全員から いびられて反日売国奴になった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14056032
16:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/05 (Sun) 15:06:39


2023年01月17日
大元帥だった昭和聖帝 / 悪徳のプリンスと凋落する皇室 (前編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68921523.html


直立不動の大元帥
Emperor Hirohito 1324Emperor Hirohito 18843

  平成になってから、日本の皇室は常に揺らいでいる。まるで、大海を漂流する豪華船みたいだ。昭和天皇がご健在の頃は、どんなに悪質な皇室攻撃があっても、天皇陛下の御威光は不動だった。しかし、昭和聖帝が崩御すると国民の気質に変化が現れたのか、皇室への敬愛が少しずつ薄くなったように思える。この原因はいったい何処にあるのか? 基本的に我々は皇室を崇める。しかし、尊崇の対象である皇族には相応しくない人物がいるようだ。哀しいけど、これが現実となっている。

  最近、秋篠宮殿下に対する非難が吹き荒れているが、こうした国民の叛乱は当然なのかも知れない。何しろ、秋篠宮殿下には様々な不正疑惑があるからだ。殿下は昭和天皇なら絶対にしないことを次々とやってきた。これは本当に信じられない。令和の中学生や高校生が、インターネットに溢れる「秋篠宮批判」を読めば、「なぜ、こんなに騒ぐのか?」と不思議がるだろう。

  ただし、単なる「秋篠宮家批判」というのは「悪口」に過ぎない。「気に入らない」という理由だけで批判するなら、居酒屋で交わされる庶民同士の「陰口」と同じだ。それゆえ、筆者は秋篠宮家に文句をつける前に、昭和天皇にまつわるエピソードを紹介したい。昭和天皇の御聖徳を学んだ上で、秋篠宮家の所業を知れば、筆者の批判が単なる誹謗中傷でないことを分かってもらえると思う。(昭和天皇に関しては、以前にも紹介したので別の記事を参照してください。)

  大正天皇が崩御され、摂政であらせられた昭和天皇が皇位に就いた時のことだ。陛下の即位に伴う大礼の儀式は、昭和3年12月15日に行われることになった。この即位式には東京府の大学、高等中学、青年訓練所の男女、および在郷軍人らが約5万人が集まることになったそうで、代々木の練兵場では男子の分列式と女子による奉祝歌奉唱の行事が行われる予定となっていた。ところが、これを伝え聞いた近隣の国民、すなわち千葉、埼玉、山梨、神奈川の県民、約3万人も参加したいと言いだし、結局、総勢約8万人が集まる一大儀式になってしまった。(木下道雄『宮中見聞録』日本教文社、平成10年、 p.55.)

  分列式や奉唱式のため、宮城(江戸城)にある二重橋の前には、陛下がお立ちになるための「台」が設けられた。二重橋の前にある傾斜地に、約1mの高さになる台が作られたそうだ。ただし、計画を立てるにあたって懸念されたのは、式当日の天候であった。これほどの大規模行事となれば、雨天延期などできない。そこで、侍従達は雨天に備え、玉座(陛下がお立ちになる台)を守るべく、金色の菊花御紋章が輝く天幕を張ったそうだ。さらに、正面を除く三方にも色幕で水が入らぬよう囲うことにしたという。

  式典の計画が立てられる前のこと。東宮侍従を拝命していた木下道雄は、昭和天皇から御指示を受けていた。一つ目は、雨天の場合は青年達に雨具を着用させること。そして二つ目は、雨が降っていても玉座には天幕を張ってはならぬ、ということだった。しかし、12月15日は近年稀なくらいの豪雨であった。しかも、北西の強風に煽られ、雨戸も開けられぬほどであったから、木の枝が折れてもおかしくはない。陛下の御命令を受けていた木下侍従も、この悪天候を目にしたので、「天幕を張るしかない」と思ったそうだ。

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(左 : 木下道雄 / 中央 : 一木喜德郎 / 右 : 珍田捨巳 )

  大礼の儀式を心配したのは木下侍従だけでない。宮内大臣の一木喜德郎(いっき・きとくろう)や侍従長の珍田捨巳(ちんだ・すてみ)も雨天の場合を懸念していた。一木大臣は「陛下に天幕へお入りになるよう」頼んでくると木下侍従に言ったそうだ。「防水マントの用意はしてあるのか?」と尋ねた一木大臣に対し、木下侍従は「準備してあります」と答えた。

  尊皇精神に溢れた一木大臣は、「天幕の中で御親閲を」と陛下に申し上げたが、当の陛下は大臣の提案を却下した。そこで、困った一木大臣は軍隊を例に取り、「一軍の司令官というものは、たとえ部下の兵たちが的の弾雨の下に立つからといって、司令官自身が第一線に立つものではございません。司令官には全軍を指揮する大切な任務がありますので、遙か後方で指揮をとります」と諫言した。要するに、青年達が雨に打たれるからといって、陛下御自身も雨に打たれるなどとは間違っています、ということだ。

  ところが、昭和天皇は大臣の言葉を斥ける。「司令官でも時と場合によっては、第一線に立つことがある。きょうはその積もりであるから、天幕はとり除くように」と陛下は仰せになった。この反論に対して大臣も返答ができない。そこで、「しからば防水マントを御着用になるように」とお願いしたところ、陛下も妥協なされたのか、「それなら着よう」ということで決着がついた。(上掲書 p.58.)

  陛下の御命令通り、木下侍従達は天幕を撤去し始めた。この光景を目にした参加者は「何事か !?」と驚いた。式典には総理大臣や貴族院の政治家、陸海軍の将校、外国からの使節もいたから、皆ビックリ。参加者達は「式典が中止になるのか?」、それとも「場所が変更になるのか?」と騒ぎ始める。侍従達は来賓を安心させるべく、「陛下の思召(おぼしめし)によって撤去しているのです」と皆に伝えたそうだ。

  式典の当日、武装した4万の青年達は、いかにも日本男児という様子であった。大手門外から九段下にかけて、路上の上に立ったまま、彼らは大雨や寒風に打たれ、じっと長い間待っていたのだ。青年達の体はずぶ濡れで、心身共に冷え切っていた。さらに、疲れのせいで眠気が襲い、空腹の辛さもあったというから大変だ。そんな国民に対し、陛下の御言葉が投げかけられた。「君達が濡れるなら、朕も濡れよう」との御言葉に兵卒達は大感激。大雨にもかかわらず、彼らは外套を脱ぎ捨て、これを腰に巻き付けると、肩に銃を担って堂々と行進。陛下に忠誠を誓う青年達は、大地が砕けるほどの靴音を立て、憧れの眼差しで陛下を仰ぐ。

  すると、玉座にお上がりになった陛下も、着ていたマントを脱ぎ捨て、後ろに投げてしまった。陛下の背後に居た侍従武官長の奈良武次(なら・たけじ)大将が、落ちたマントを拾うことになった。しかし、時既に遅し。君が代の軍楽が始まってしまったので、奈良大将は陛下にマントを勧めることは出来なくなった。それから、1時間20分、侍従達は寒風吹きすさむ中、ブルブル震えながら立っていたという。一方、天皇陛下は高台の上に立ち、御前を通過する各集団が敬礼する度に挙手の礼を賜っていた。驚くことに、手を挙げる場合の他、陛下は微動だにもせず、直立不動だった。絨毯の上には靴の痕(あと)が乱れていなかったというから凄い。つまり、あの寒さの中、陛下はお足ひとつ動かさずに立っていたのだ。(上掲書 p.63.)

  もう、昭和天皇には敬服するしかない。こんな君主は世界史に例が無いぞ。日本には刮目すべき「君臣の絆」があった。秋篠宮殿下は立派な皇族を演ずべく、「国民に寄り添う」とか「国民とともに」といった言葉を口にするが、昭和天皇のように振る舞うことができるのか? 「嫌々ながらの公務」じゃなく「自然に」だ。筆者は江戸城の近くで秋篠宮殿下や紀子妃殿下に会っても素通りする。もし、どこかのオバちゃんが、ゴールデン・レトリバーやコーギー犬を連れていれば、そちらの方が気になるので、足を止めて「散歩ですか?」と声を掛けたい。

  とにかく、昭和天皇は日本の奇蹟であった。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68921523.html





2023年01月31日
「優秀な婿殿」を持つ秋篠宮家 / 悪徳のプリンスと凋落する皇室 (中編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68921524.html

司法試験に合格した秀才?!

Komuro Kei 328Komuro Kei 1233Komuro Kei 99342Princess Mako 2324


  皇室尊重派は認めたがらないが、秋篠宮家には“いかがわしい”点が矢鱈と多い。その一つが「小室圭の司法試験合格」という奇蹟だ。筆者には何の政治権力も無いので、NY州の法曹界がどうなっているのか判らないし、捜査能力も無いので不正行為の実態調査など全くできない。ただし、不可解な点を幾つか繋ぎ合わせてみると、「もしかして、巧妙なチョロマカシがあったんじゃないか?」と思えてくる。まるで、不完全なジグソー・パズルを見ているようだ。全てのピースが揃った訳じゃないが、空白の部分を想像で補ってみると、何となく恐ろしい構図が浮かび上がってくる。断定は出来ないが、どうしても報道された「合格」には疑問が湧き起こってしまうのだ。

  眞子様と小室圭の結婚と移住に関しては、様々な批判や陰口があった。しかし、地上波テレビが絶対に触れない闇がある。一般国民が知りたいのは、秋篠宮家と外務省が小室夫妻に対してどれほどの公金を使い、どのような人脈を用いてきたのか、という点だ。そして、今後、どれ程の公金を彼らに注ぎ込み、どんな形で“落とし所”を作ってゆくのか、野次馬根性と言われても、やはり知りたくなる。なぜなら、いくら司法試験に“合格”したとはいえ、あの碌でなしが「弁護士」として生きて行けるとは到底思えないからだ。

  そもそも、小室圭がフォーダム大学へ入学できたこと自体が“奇蹟”である。しかも、どうやったら不規則で例外的な“編入”が可能となったのか? リモート授業を受けていたとの報道もあったが、如何なる方法で卒業できたのか? 本当に摩訶不思議である。

  小室氏の学業に関しては以前の記事で触れたから、ここでは新たに述べない。ただし、彼の「英語能力」にはかなり“怪しい点”がある。というのも、筆者は彼の「英会話」を聞いたことがあるからだ。フォーダム大学には、「Startup LAWnchpad」 というプログラムがあって、小室圭はアシスタント役としてインタヴュー番組に参加していた。(Startup LAWchpad, Season 2, Episode 10, April 21, 2020.)

  ゲストにはロバート・ノーラン(Robert B. Nolan, Jr.)氏を迎え、彼と対談したのは主にウィリアム・ド・ウォルフ(William de Wolff)氏である。しかし、“ちょっと”だけ小室圭が英語を喋っていたので、この番組は非常に貴重だ。早速、「優等生」と評される小室圭の発言や質問を聴いてみたんだが、率直に言って、印刷物の朗読というか、暗記してきた英文の暗唱みたいに聞こえてしまうのだ。筆者も他人の発音をどうこう言えないが、「えっ ! これが奨学金をもらった秀才の英語力なのか?」と首を傾げたくなる。

  皇室の御用雑誌である『女性自身』は、小室氏の素晴らしい「英語力」を褒めていた。けど、担当記者が本当にそう思っていたのかは疑問である。もちろん、大半の日本人は英語の勉強で苦労した経験を持つから、“流暢”に喋る小室圭の噂を耳にすると、「さぁ~すが、ICUとカナディアン・スクールのエリート卒業生は違うなぁ~」と思ってしまう。(品川区にある「カナディアン・インターナショナル・スクール」といっても、本当に在日の西歐人、つまりアングロ・サクソン系の白人生徒が多数派なのか? もしかしたら、支那系や朝鮮系の生徒が多かったりして・・・。)

  とにかく、アメリカやブリテンで暮らしたことのある日本人なら、「あっ ! この人、まともに勉強していない !」と気づくはずだ。日常生活で頻繁に歐米人と接する貿易商や特派員、留学生、研究者などは簡単に騙せない。特に、ロー・スクールに通うアメリカ人や弁護士、裁判官、地方検事などを個人的に知っている日本人が、小室圭の「流暢な英語」を聴けば、「アメリカ人の話し方を表面的にコピーしただけの猿真似」と判るはずだ。(これは言いたくなかったけど、筆者も米国に居た時、法科学院のアメリカ人と親しくなったから、奨学金をもらうほどの優等生が、どれ程の学力を有しているのか、よく分かっている。)

  この点を述べる前に、ちょっと明確にしておきたいことがある。筆者は日本人の英語発音について「ネイティヴと違っている !」とか、「ジャングリッシュは恥ずかしい !」と言うつもりはない。また、「イギリス人のように発音すべし」という風潮も嫌いだ。そもそも、日本語は西ゲルマン語と根本的に違っているので、日本人がゲルマン語の発音を苦手としても当然である。言語の違いに神経を尖らせ、英語に対する劣等感を煽るような論調は馬鹿げている。通訳とか学者、あるいは英語を専門とする人物が流暢に話せればいいだけ。一般人は外人風の発音で問題なし。(学校の先生は反対だろうけど。)

  小室圭の話に戻る。彼が出演したポドキャスト(podcast / インターネット放送の音声)の中では、投資や起業といった経済の話題が取り上げられていた。しかし、小室圭は幾つかの英単語を“いい加減”に話していたのだ。彼の発音には怪しい訛りが多い。(カタカナ表記での説明だと粗雑になるが、他に方法が見つからないのでご容赦ください。)

  例えば、「advice」を口にした時、彼は「ai」ではなく、「æ」の方にアクセントを置いていた。この英単語は中学校で習うはずだが、初歩的なアクセントを間違えているなんておかしい。誰も「間違っているよ !」と「忠告(助言)」してくれなかったのか? 「Business」の発音もおかしく、小室氏はローマ字読みで「ビジネス」と発音するが、イギリス人なら「bíznis」と発音する。また、彼は「relatively」という単語を「リレイティブリー」と発音していた。通常なら「rêlətivli(リラティヴリー)」と発音すべきなのに、小室氏は更にアクセントまで間違っていた。おそらく、小室氏は自分が何を発音しているのか意識していないんだろう。

 「ネイティヴ並」であるはずの小室氏は、基本的な知識さえ無かった。彼は経済や経営をテーマとする番組に参加しているのに、なぜか経済用語の発音がいい加減なのだ。例えば、「expertise」を「エクスパタイズ」と発音していた。普通なら「èkspərtíːz (エクスパティーズ)」と発音すべきなのに、ローマ字読みで発音していたんだから、真面目に勉強していたとは考えにくい。

  経済や金融の討論では、よく「equity」という専門用語が使用されるが、小室氏はこの発音でも間違っていた。彼は何遍も「イクイティー」と発音していたが、イギリス人やアメリカ人なら「ékwiti(エクィティー)」と発音するだろう。小室氏が何度も奇妙な発音を繰り返していたのは、本人に「自覚」が無い、あるいは、見様見真似の勉強をずっと続けていたからう。もしかすると、小室氏はアメリカ人の会話を聴いても、自分の発音が間違っていることに気づかないんじゃないか? カナディアン・スクール時代から、ネイティヴ・スピーカーに接していたのに、こんな事も出来ないなんておかしい。

  極めつけは「entrepreneuur(起業家)」の発音で、小室氏はよく聴き取れない、非常に曖昧な発音で「アントレプレナー」と読んでいた。本来なら、「àːntrəprənəːr(アントレプレヌュアー)」と発音すべきじゃないのか? 綴りは難しいけど、この言葉は普通に使われるので、初歩的な英会話を習った人なら直ぐ判るはずだ。そもそも、小室氏は一橋大学の修士課程で「ビジネス・ロー」を勉強していたはずなのに、どうして基本的な英単語の発音ができなかったのか?

  再度の主張になるが、筆者は英語教育の議論には立ち入りたくないし、日本風英語の批判もしたくない。イギリス人だって日本語を話せば、いくらでも間違いを犯すし、奇妙な発音やトンチンカンな表現を口にすることもある。ただ、問題なのは、小室氏がニーヨーク州の弁護士になったことだ。いずれ彼には現地の依頼人を迎える時が来る。司法試験に合格したんだから当然だ。給料を払っている「ローウェンシュタイン&サンドラー社(L&S) 」だって、小室氏の「活躍」に期待しているはずである。

  ただし、弁護士の業務は楽じゃない。もし、英語が公用語の米国で法務ビジネスに携わるとなれば、膨大で複雑な判例文を読み込むだけじゃなく、顧客に対しても充分なアドヴァイスを与えねばならない。時には単独で交渉人となることもあるし、法廷に出て依頼人の弁護をする役目もあるはずだ。如何なる場合であれ、「小室弁護士」は“正確な英語”を使わねばならない。となれば、必ずやプロとしての“実力”を問われることになる。小室氏にこうした仕事ができるのか?

  「雑用係」なのか「弁当配達人」なのか判らぬが、小室氏は弁護士になる前から「ローウェンシュタイン&サンドラー社 」に雇われていた。しかも、NY州の司法試験に2度も落ちたのに、なぜかクビにもならず、三度目の合格発表前に雇用継続の準備がなされていたのだ。こんなのは異例中の異例で、在米の日本人弁護士が聞いたら腰を抜かして驚くだろう。

  全くもって不可解だが、小室圭には様々な「優秀伝説」がある。例えば、小室氏は通常、大学院から求められる入学試験用の「LSAT(Law School Admission Test)」を受けずに、フォーダム大学のロースクールに留学できた。筆者は米国にいた時、大学構内の本屋でGRE(Graduate Record Examinations)の教本を買ったことがある。値段は手頃だが、電話帳くらいの厚さがあるので、日本人が勉強するとなれば大変だ。このGREは大学院に進む者が受ける共通試験で、英語と数学の知識を測る一般試験と専門知識を問う科目試験とに分かれている。法科学院を目指す日本人は、たとえ法学部出身の者でも「LSAT」の勉強で相当苦労するはずだ。ところが、小室圭は何故かパス。一橋大学の夜間コースを出ただけで“OK”と見なされ、アメリカ人の優等生でも受けねばならぬLSATを免除されていた。

  小室圭の「優秀伝説」はまだ続く。彼は「LL.M.課程」から「J.D.課程」に易々と編入し、このJ.D.コースを2年で修了した。まさしく「トップクラスの駿才」と言えよう。特筆すべき点はもっとあって、彼は首席学生がもらうような「マーティン奨学金」を獲得できた。本当に凄い。ところが、普通のロー・スクール学生なら1回目で受かる司法試験に何と2回も落ちている。フォーダム大学の理事長や学部長が、どういう感想を抱いたのか定かではない。

  チャンネル桜の水島総社長は、眞子様が皇籍を離れ「一般人」になったのだから、小室夫婦に関してあれこれ言うべきじゃないと述べていたが、本当に小室圭は自分自身の「実力」だけで上記の「奇蹟」を実現できたのか? 筆者は彼の背後に優秀な弁護士や支援者が居ると思っている。辣腕の有能弁護士なら“不正”が発覚しないよう入念に長期計画を立てるし、たとえ“疑惑”が浮かび上がっても、それを否定できるよう、予め合法的な説明(言い訳)を準備している。実際、小室圭の留学計画は見事だった。

  繰り返しになるが、本当に小室夫妻は“一般人の生活”をしているのか? まともな日本人であれば、「外務省、とりわけNYの日本総領事に保護され、公金による警備を受けているんじゃないか?」と疑ってしまうし、「L&S社に小室圭を雇ってもらうため、秋篠宮家はいったい幾ら払ったんだ?」と怪しんでしまうだろう。たとえ、直接的に現金を渡さなくても、皇室に便宜を図る業者や現地の日系人は大勢いるから大丈夫。“親切”な皇室支援者が意図的に仕事を持ち込めば、L&S社は多額の報酬を得ることができる。もしかすると、小室圭が手にする給料は、莫大な手数料から差し引かれた「残りかす」なのかも知れないぞ。つまり、皇室人脈を握ったL&S社は、あのボンクラ社員に2千万ドルや3千万ドルの年収を与えても何ら苦痛は感じない、ということだ。実際のカラクリに関する確証は無いけど、もしかすると、この法律事務所はその何十倍、否、何百倍もの利益を得ているんじゃないのか?

英語が得意なはずの殿下

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  ちなみに、義父である秋篠宮殿下も、本来なら「流暢に英語を話す秀才」のはずなんだが、何回も訪れているタイで行われた学術講演では、“お得意”の英語が貧弱であった。録画映像を見てもらえば判るけど、まるで高校の授業で教科書の音読を命じられた劣等生みたいだ。一応、御自身の研究成果を「イギリス語」で発表にされていたが、あたかも原稿の英文に「振り仮名」が附けられているような「カタカナ英語」であった。

  宮内庁のホームページや当時の雑誌によれば、確か、殿下は昭和63年から平成2年にかけて、オックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジに留学されていた。とても法学部出身者とは思えないが、殿下は大学院の動物学科に属し、魚類に関する分類学を専攻されたという。さらに驚くべきは、以前の記事で紹介したように、鶏の遺伝子配列に関する博士論文を英語で書いていたのだ。まことに凄い。さすが、英才教育を受けてこられた皇族は違う。このような御学歴なら、ブリテン発音で流暢に話せるはず。

  ところが、秀才肌の殿下はオックス・ブリッジ卒のイギリス人とは桁違い。大学院の授業を経験しているはずなのに、秋篠宮殿下は英語を苦手とする高校一年生みたいだった。いくらなんでも、夏休みの作文を朗読する高校生じゃないんだから、もっと上手に話せたはずだ。筆者の耳が悪いせいもあるが、英語のスピーチを披露する殿下は、ブリティッシュ・アクセントの雰囲気が全く無かった。「もしかしたら、アメリカ発音?」と勘違いしてしまうが、やはり典型的な和風英語。ルー大柴の方がうまいかも。

  英国留学をされた殿下が、イングランド(England)じゃなく、タイランド(Thailand)を好むのは、イギリス人の研究者やオックスフォードの卒業生と話したくないからだろう。つまり、英国の知識人や聴衆が、鶏や鯰に関する質問をしたりすると、「英語」で答えねばならぬから、それを避けたかったんじゃないのか? イギリス人だとユーモアを交えて独特の会話を持ちかけるから、何が面白いのか判らないと、気まずい雰囲気になってしまう。それに、たとえ頑張って殿下が「英語」を話しても、発音が悪いと相手が奇妙な表情を見せるので、双方とも話しているのが辛くなる。

  一方、アジアの王国「タイ」なら簡単な英会話で済む。「質問されたら厭だなぁ~」と怯える殿下も気が楽だ。歓迎する民衆はタイ語で話しかけるから、通訳を介して答えてもおかしくはない。しかし、イングランドやスコットランドで「英語の通訳」を附けると格好悪いから、どうしても英国訪問は避けたくなる。普通なら、昔の同級生と再会し、「楽しいひと時」を過ごすばなのに、なぜか殿下は非英語圏のタイで「お友達」をつくっている。この東南アジアにある王国には、一体どんな「魅力」があるのか?

  ちょっと賢い日本人が、こうした裏事情を知れば、なぜ殿下が小室圭を支援したのかが判るはず。建前上、秋篠宮殿下は婿殿を好きじゃない。だが、二人は「似たもの同士」だ。もしかすると、秋篠宮殿下は御自分が「怪しい博士号」を取得できたから、義理の息子も“ロイヤル・パワー”で「NY州弁護士」にできる、と思ったんじゃないのか? もちろん、殿下が直接、電話や手紙でフォーダム大学に働きかけたことはないだろう。しかし、側近か友人、あるいは宮内庁の職員や外務省の高級官僚に「よろしく頼む !」と言えば、巨大な歯車が動き出す。そして、どこからともなく人材と金銭が沸き上がってくるから不思議だ。陶器の「お願い猫」が「紫の鉢巻き」や「金の鉢巻き」をしても「受験合格」とはならないが、皇族が財界人に「お願い」すれば、「無茶な願い」でも叶えてくれるだろう。平民にはドラえもんやハクション大魔王は居ないけど、皇室には魔法使いサリーの親戚がたくさん居るのかもね。(ちなみに、コスプレ姿の小池百合子じゃないよ。)
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2023年02月03日
昭和天皇と秋篠宮 / 悪徳のプリンスと凋落する皇室 (後編)
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理想の立憲君主だった昭和天皇

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   偉大なる昭和天皇には数々の御聖徳があり、まだ国民の何割かには陛下の記憶が残っている。他方、左翼陣営は大東亜戦争の敗北を「好機到来」と考え、「今こそ、念願の皇室撲滅だ !」と鼻息を荒くしていた。ところが、肝心の一般国民は全く靡かない。たとえ、陛下が「戦犯国の親玉」と糾弾されようが、まともな日本国民は横目で無視。それどころか、陛下が全国を御巡幸されると歓迎の嵐だ。昭和天皇の御尊顔を拝しようと大勢が詰めかけ、お言葉をかけられた老婆は感動して涙を流す。恨みがあるはずの傷痍兵も、群衆に紛れて最敬礼なんだから、昭和聖帝の威光は神々しかった。

  ただし、敬愛される昭和聖帝でも、ひとつ重大な“過失”を遺していた。それは何か? 答え。「あまりにも偉大すぎたこと」である。これでは、次に皇位を継ぐ皇太子殿下が困ってしまうだろう。平民が暮らす下界でも同じもので、人から慕われる父親の跡を継ぐ息子は大変だ。いくら頑張っても常に「オヤジさんはこうだった」と比較されるし、ちょっとでも凡庸な行動を示すと、周囲から「血を受け継いでも能力は別だなぁ~」と評される。徳川家康の威光に隠れてしまった息子の秀忠、黒田官兵衛ほどの野心を持たなかった黒田長政などを思い出せば判るだろう。斎藤道三が息子の義龍を疎んじたのは有名で、激怒した倅は「蝮(まむし)」のオヤジを返り討ちにした。そして、義龍は「斉藤」の名を捨て美濃「一色」氏へと改名したんだから、親子の軋轢は古今東西いつでもある。

  古代ギリシアやローマの文明を受け継ぐ西歐社会では、常に「理想の君主像」を国王や封建領主に求めていた。聖トマス・アクィナス(St. Thomas Aquinas)や、聖ボナヴェントゥラ(St. Bonaventra)、アエギディウス・ロマーヌス(Aegidius Romanus Colonna)といった神学者が、「Specula Principum(君主の鑑)」とか「Speculum Regnum(国王の鑑)」を書いて、立派な君主を描いていたが、大抵の君主は期待外れだった。いくらキリスト教徒の知識人が理想の統治者を望んでいても、実際の封建領主は有能であっても残酷だったり、凡庸なくせに傲慢だったりするから、適当に妥協するしかない。

Walter Bagehot 11(左 / ウォルター・バジョット )
  ところが、極東アジアの小国に「理想の君主」が現れたからビックリ仰天だ。もし、『イギリス國體(The English Constitution)』を書いたウォルター・バジョット(Walter Bagehot)が来日し、昭和天皇に拝謁したら、その人徳に魅せられ、英国に戻って話題にしたことだろう。日本のチャンコロ屋は「孔孟の教え」とやらを礼賛するが、昭和天皇に比べたら、孔子なんて口が達者なだけの食客である。日本人が尊敬する孔子は、極悪人だらけの支那大陸に住んでいたから、「聖人」と評されるだけで、もし江戸時代の日本にやって来たら、単なる偽善者か詐欺師の扱いだ。一般の日本人は気づかないが、倫理道徳を実践するとなれば、伊藤仁斎(いとう・じんさい)や富永仲基(とみなが・なかもと)、山片蟠桃(やまがた・ばんとう)の方がよっぽど立派で、見識や人格なら副島種臣(そえじま・たねおみ)といった明治人の方が遙かに凄い。

Emperor Hirohito 6643(左 / 幼少期の昭和天皇)
  昭和天皇の偉大さは、御学問所の碩学による薫陶、すなわち心血を注いだ帝王教育に基板があった。まだ、昭和天皇が「迪宮(みちのみや)」と呼ばれていた幼少期、乃木希典大将が学習院の院長を務め、乃木大将が自決すると、その役目を東郷平八郎元帥が引き継いだ。しかし、陛下の人格形成には、もう一人、多大な影響を与えた恩師がいる。それが倫理学を担当した杉浦重剛(すぎうら・しげたけ)だ。就任前、彼は私立中学で校長を務める一介の教育者にすぎなかった。ところが、東京帝國大学の総長や文部大臣を歴任した濱尾新(はまお・あらた)が、「書生道楽」の教師を探していたところ、大学南校の後輩である杉浦に目を附けたというのだ。

  元々、杉浦は英国マンチェスターにあるオーエンズ・カレッジ(Owens College)で化学を専攻した化学者。イギリス人の学生と競って首席になるほどの秀才で、通常なら、帰国後に官職に就いてもおかしくはない。だが、留学中に陥った神経衰弱や胸部疾患のため、立身出世の道を諦めたようだ。(ついでに言えば、杉浦と小村寿太郎は大学南校の同級生で、二人は親友だった。) でも、杉浦は「嚢中(のうちゅう)の錐(きり)」といった異才であったから、母校の先輩である濱尾氏に見出された。

Sugiura 1John Dalton 1James Watt 01Samuel Smiles 1







( 左 : 杉浦重剛 / ジョン・ダルトン / ジェイムズ・ワット / 右 : サミュエル・スマイルズ )

  御学問所で倫理担当の教師になった杉浦は、従来の漢籍だけでなく、西洋の偉人伝も教えたそうだ。例えば、化学者のジョン・ダルトン(John Dalton)や発明家のジェイムズ・ワット(James Watt)、そして『自助伝(Self-Help)』で人気を博したサミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)にも言及していた。こうした講義の中で、杉浦は中学生になった迪宮殿下に対し、国家の神髄となる武士の気概や軍人の名誉を伝えようと試みた。しかし、堅苦しい説教は適切ではないと考えたのか、杉浦は興味を引きそうな逸話を用いた。後に「捨身の覚悟」を示す名君は、こうした教育によって形成されたのかも知れない。

  時は幕末。土佐に「土方」という茶坊主がいた。性格は磊落(らいらく)で、意外にも胆気(度胸)があったらしい。彼は茶坊主ではあったが、士分(武士の身分)に列せられ、大小の刀を差していたそうだ。この土方が江戸屋敷に勤めていた時の話である。彼が和田倉門外を通りかかった際、ある武士に出会ったそうで、この侍が土方に真剣勝負を挑んだ。(杉浦重剛『倫理御進講草案』杉浦重剛先生倫理御進講草案刊行會、昭和11年、p.19.)

 しかし、道端で果合(はたしあい)を挑まれた土方は、主人からの用事を済ませてからにしてほしい、と頼んだそうである。そこで、この武士は二た時ばかりの猶予を承諾し、土方が戻ってくるまで待つことにした。約束を交わしてその場を立ち去った土方は、急いで神田お玉ヶ池に向かい、有名な剣客である千葉周作を訪ねることにした。当時、千葉周作は病床に伏していたが、火急の用事を告げる土方に名開始、彼の事情を聞くことにした。この茶坊主は外出の途中で果合を挑まれ、それを承諾した顛末を目の前の剣豪に話した。名ばかりの「武士」に過ぎない土方は、千葉周作を前にして、以下のように心情を語っていた。

  我未だ剣法を知らず。兎にも角にも討たれて死すべきに覚悟はしつれども、未練なる死に様して恥を遺し、主名を汚すを恐る。故に来たりて先生に見え、見苦しからぬ死をなすの方法を問はんとす。願わくは先生之を教へ給へ。(上掲書、p.20.)

  土方の覚悟を聞いた千葉周作は、「御身の為に語らん」と述べた。千葉先生曰く、話を聞く限り、敵は相当な手練れであるから、たとえ貴殿が数年の修行を積んだとしても、とうてい勝つことは出来まい。そこで、千葉先生は土方に「必殺の剣術」を授ける。もし、相対する武士が刀を抜いたら、貴殿は直ちに左足を踏み出して力を込めよ。そして、大上段に振りかぶりて両眼を閉じるべし。如何なる事があっても、その眼を開いてはならぬ。後に直ぐ、腕か頭に冷やりと感じることがあると思うが、これは斬られたということだ。この時、貴殿も力に任せて上段より切り下ろせ。必ずや敵も傷つくだろう。もしかすると、相打ちになるやも知れぬ。この事決して背くべからず。(上掲書、p.21.)

  千葉周作から有り難い御指南を受けた土方は、鄭重に拝謝すると、千葉邸を去って決闘場へ向かった。土方は「遅れてしまった」と陳謝する。だが、対する武士は「いやいや意外に早かりし」と答え、真摯な態度を示す。向かい合った二人は距離を保ちながら、脇に差した刀を握り、その鞘を払う。土方は教えられた通り大上段に構え、魂を鎮めて両眼を閉じた。心を無にした土方に対し、刀を構える武士は、「エ ! ヤ !」と声を放つ。だが、土方は石像のように立ったままだ。

  土方は心の中で「今か、今か?」と待つ。ところが、何時まで経っても斬りつけられることはなかった。不思議な時間を過ごす土方は、そっと眼を開けてみる。すると、対する武士は「恐れ入った !」と声を放ち、刀を放り投げて土下座した。怪訝に思った土方は、呆然と立ち尽くすのみ。敗北を吐露した武士曰く、「恐れ入ったる御手のうちなり。我等の及ぶ所にあらず。つきては我が一身如何ようにも処分したまへ」と。

  降参の言葉を聞いた土方は、こう応えた。「土佐藩の武士は降伏したる者を斬るべき刀は持ってはおらぬ」と。命を助けてもらった武士は、土方に向かって「御身の弟にしてくだされ」と頼んだ。すっかり感服した武士は、土方に問いただす。「我れ多年諸国を廻りて数多き剣客と立ち合いをしてきたが、未だ御身の如き流儀を見たことがない。御身の剣道は何流ぞ」と。(上掲書、p.22.)


  この問いを耳にした土方は、心の中で可笑しくなり、その笑いを堪えきれなくなった。「いや、何を隠そう、我は聊(いささ)かも剣道を知らぬ者なり。・・・実は、千葉周作先生を訪ね、死に方の教訓を受け、先生の言はるるままに為したるのみ」と笑顔で答えた。真相を聞いた武士は、土方の決意に感銘を受け、「剣道の奥義を会得した者なり」と評し、「我が兄として仰ぐ」と伝えたそうだ。こうして対決した二人は、共に千葉先生の屋敷を訪ね、事の顛末を話したという。両人は先生の前で兄弟の約を定め、以後、親睦を深めたそうだ。

  後に、皇位を継いだ迪宮殿下は、師父である杉浦重剛の教えを実践することになる。二つの核爆弾を喰らった我が国は、昭和天皇の御聖断を以て米国に降伏した。しかし、日本人の不幸はこれだけではない。愛する祖国は激しい空爆と残酷な焼殺で瓦礫と化していた。さらに、巷に目を向けると、路上には飢餓と絶望に苦しむ民衆が溢れていた。

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(左 : 王者の威厳を漂わせる昭和天皇 / 中央 : ダグラス・マッカーサー元帥 / 右 : 平和国家の象徴たる秋篠宮殿下)

  この惨状を報告された昭和天皇は、赤子たる国民を救うべく、死を覚悟してダグラス・マッカーサー元帥に面会した。陛下は御自分の命と引き換えに、大切な国民の命を救おうとしたのだ。陛下は元帥に向かって、「あなたが私をどのようにしようとも構わない。私はそれを受け容れる。私を死刑にしても構わない。(You may hang me.)」陛下の御言葉を聞いたマッカーサー将軍が、内心どのように感じたのか、記録が無いから不明である。

  ただ、「それなら望み通り死刑にしよう」とは言えないし、「日本国民の飢餓に対して私には責任が無い」とも言えないから、マッカーサーも困惑したはずだ。これはあり得ないけど、もし、ソ連の要望を受け容れて陛下を処刑しようとすれば、日本国民、女子供老人までが「捨身の自爆攻撃」をしてしまうから、占領統治を成功させ、凱旋将軍として大統領選挙に出馬したかったマッカーサーとしては、それだけは避けたい。もし、100名、否、僅か10名であっても、麾下のアメリカ兵が殺されでもしたら、本国で大問題となり、マッカーサーは血祭りの標的にされてしまうだろう。トルーマン大統領だって“とばっちり”を喰らうのは厭だから、絶対に天皇を死刑台に送ることはできない。

皇位継承者らしからぬ不正行為

 昭和天皇と秋篠宮殿下を比較するのは暴論になってしまうが、有徳じゃなくてもいいから殿下には「カタギの皇族」になってもらいたい。皇位継承第一位あっても、おそらく即位することはないと思うから、悠仁親王殿下が将来の天皇になるはずだが、それでも、父親たる秋篠宮殿下には“いかがわしい”点がありすぎる。もちろん、チャンネル桜の水島総社長のように、盲目的に秋篠宮殿下を支援する国民は多いから、筆者が指摘する事例に憤慨する国民もいると思うが、本当に殿下は潔白で、品行方正な皇族なのか?

  思考能力に乏しい皇室支持派は、目の前に現れてくる疑惑を悉く否定するが、一般国民には真相を究明する能力は無いけど、秋篠宮家はスキャンダルを隠蔽できるだけの身分を持っている。もし、国民が特別検察官を任命する権利を持ち、秋篠宮殿下の過去や関係者、資金の流れなどを捜査できれば、驚くような事実が判明するだろう。だが、「皇族は悪事を為さず」というのが大前提なので、皇族捜査というのは絶対にあり得ない。だだ、これは筆者の憶測になったしまうんだが、皇室には何か国民に知らせたくない「深い闇」というか、「絶対に認められないスキャンダル」があるんじゃないか?

  秋篠宮家のスキャンダルになりかねない、特ダネが今週発売された週刊文春にあった。「文春砲」で知られる週刊誌は、鵜飼の屋形船を運営する「嵐山通運」の金銭トラブルや裁判沙汰を特集している。法廷では「嵐山通運」を馘首された湯川直樹・前社長と「山梨鳥類研究所」の奥野卓司・所長との関係や金銭授受の内幕が暴露されたという。

  放漫経営で訴えられた湯川氏が、京都の門川大作市長や古川博則・副府知事と親しかったり、西京署交通課長係長および京都府警のN警視正と会食をしたことはどうでもいい。問題なのは、社長時代の湯川氏が、毎月20万円を「研究費」の名目で奥野氏に渡し、秋篠宮殿下を「名誉顧問」すべく、奥野氏に100万円を渡してたことだ。

  「嵐山鵜飼観光文化振興協会」を創設した湯川氏は、殿下と親しい奥野氏を迎え、協会の副理事になってもらい、奥野氏からの依頼で 月20万の報酬を渡していたという。ただし、奥野氏は領収書を出せないというので、湯川社長は税理士と相談し、「研究費」の名目で処理していた。湯川社長は求められた通り、「新札」の現金を封筒に入れ、税務署に内緒の報酬を渡していたというのだ。

  特筆すべきは2018年の帳簿で、湯川氏は秋篠宮家に様々な贈り物をしていた。例えば、5月12日には、紀子妃殿下に18,519円のお土産、5月18日には悠仁親王殿下へ3,738円のプレゼント、5月28日には秋篠宮様へ100万円、と記載されていたのだ。(「『秋篠宮様に100万円』京都老舗裁判、衝撃の経理文書」『週刊文春』2023年2月9日号、p.29.)

  週刊文春の記事には、秋篠宮殿下が直接100万円を受け取ったとの記述は無いが、協会の名誉顧問に就いていただくには、殿下に百万円を渡した方がいい、という奥野氏のアドヴァイスがあったという。確かに、皇族を無料で使うわけにも行かないから、殿下への「謝礼(賄賂)」が必要と考えたのは当然だ。ただし、湯川社長が奥野氏に渡した“袖の下”が、実際に殿下へと渡されたのかどうかは判らない。

  それでも、秋篠宮殿下と親しい奥野氏が要求したということは、普段から殿下は「お車代」とか「研究費」の名目で「謝礼(手数料 / 賄賂)」をもらっていた、と考える方が自然だ。 もし、奥野氏が黙って着服したら大変なことになる。例えば、湯川氏が殿下と会話する機会を持った時、例の100万円が話題となれば、「何のことだ?」という遣り取りになるから、奥野氏は殿下の怒りを買うことになるだろう。したがって、いくら奥野氏でも殿下への賄賂を着服することはできない。おそらく、奥野氏は「鵜飼サミット」を開くにあたって、秋篠宮殿下を「名誉顧問」にした方が得策と考えんだろう。となれば、100万円の「出演料(役員報酬)」は、“いつもの付け届け”なのかも知れない。

  昭和天皇のように「質素な生活」というのは無理だから、秋篠宮殿下が優雅な生活を送るために「銭儲け」をしたいという気持ちは解る。だが、それにも“限度”があるだろう。皇族にタカって利益を得ようとする連中をホイホイ迎え入れ、宴会を交えた豪遊三昧なんて酷すぎる。例えば、殿下が大好きな鳥類や魚類の「研究会」といっても、それは飲み会の「口実」程度で、真剣な学術交流じゃない。それに、「外国訪問」と称してタイへチョクチョク赴くが、実質的には公金を使った「大名旅行」にすぎず、取材記者がいないところで怪しい行動を楽しんでいる、という噂まである。

  幼い頃から甘やかされてきたから、秋篠宮殿下は皇族の威光と人脈を使えば、やましい行為でも簡単に隠し通せるとでも思っているんじゃないのか? 偽の学問的業績を可能にできたから、悠仁親王殿下の「ズル」もバレないと思っていたら大間違いだ。

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(左 : 紙粘土で作ったトンボ / 中央 : 「春飾り」の盆栽 / 右 : 悠仁殿下による切り絵 )

  例えば、殿下が10歳の時に作ったとされる「信号機の模型」なんて他人の作品だろう。一般国民が「宮内庁の職員に作らせたんじゃないか?」と怪しんでいる「藝術作品」は他にもある。以前、テレビ局が報道したけど、紙粘土で作ったトンボや「春飾り」と称される見事な盆栽、オタク族が手を貸したと思われる民家の模型など、信じられない作品ばかりだ。しかも、推薦入学のために画策した作文コンクールでは、衝撃的な“剽窃疑惑”が浮かび上がり、“幽霊作家”の存在が囁かれてしまった。実際、殿下の作文を読むと、引用の書き換えが非常に巧妙で、「プロの仕業」としか思えない。もしかすると、悠仁殿下の背後霊は、紀子妃殿下の怒りを買ってクビになったのかも知れないぞ。

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(左 : 悠仁殿下による信号機の模型 / 右 : 悠仁殿下が作ったとされる古民家の模型)

杜撰な教育が施された理由とは?

  秋篠宮殿下が積み重ねてきた不正行為を眺めていると、「なぜ、上皇陛下や皇室の側近達は、殿下の悪行や性癖を注意しなかったんだろう?」との疑問が湧いてくる。もし、皇室の重鎮達が男系男子の皇統を守りたければ、皇太子(浩宮徳仁)殿下だけじゃなく、秋篠宮(礼宮文仁)殿下にも、将来の天皇にふさわしい教育を施すはずだ。一般国民でも東宮侍従の回顧録を読めば判る。

  ところが、礼宮文仁殿下は“自由放任”のような教育で、兄と同じような躾を受けていないのだ。まぁ、デモクラシーで敗戦後の日本だから、山川健次郎(やまかわ・けんじろう)や濱尾新、白鳥庫吉(しらとり・くらきち)、杉浦重剛、乃木希典、東郷平八郎といった師父は無理だろう。でも、侍従長だった甘露寺受長(かんろじ・おさなが)くらいの人物を教育係にしてもいいんじゃないか?

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(左 : 濱尾新 / 山川健次郎 / 乃木希典 / 右 : 東郷平八郎)

   濱尾新の孫である濱尾実(はまお・みのる)が東宮侍従になって、多少は弟の文仁殿下にも教育を施したはずなのに、なぜか弟君に対しては教育熱心じゃなかった。例えば、秋篠宮殿下は筆の持ち方さえ教えてもらっていないのだ。今上陛下が英国へ御訪問された時、秋篠宮殿下が陛下の代理を務められた。ところが、側近が渡した文書に殿下が署名しようとした時、多くの国民は殿下の指を見てビックリした。何と、筆の握り方が小学生並みで、とても学問を受けた皇族には見えなかったからだ。学校教師ならよく解っているが、躾の悪い家庭の子供は、鉛筆や箸の持ち方がぎこちない。不格好な丸い文字を平気で書いたり、独自の草書体を作って奇妙な文字を書く。箸の使い方を知らない子供も同じで、みっともない作法で飯を食べている。良家の子息なら小学生でも解るから、給食の時に躾の悪い友達を見ると、「あれっ、変な持ち方だ !」と気づくことがある。

  米国でも昔は「肉筆」の文書が主流だったから、綺麗な文字を書けることは大切で、家庭におけるある種の「文化遺産」だった。子供達は学校で筆記体を習い、誰に読まれても恥ずかしくない文章を書けるよう勉強していた。「手紙」を「手書き」で書いていた頃のアメリカでは、オースティン・ノーマン・パーマー(Austin Norman Palmer)がその道の第一人者と評されており、「パーマー方式のビジネス文書(Palmer Method of Busines Writing)」は今でも有名だ。プラット・ロジャー・スペンサー(Platt Roger Spencer)が提唱した「スペンサー風筆法」は、美しいカーブを用いた草書体である。古き良きアメリカでは、教養人は武士のように立派な文章を書けるよう心がけていた。恋文を認(したた)める女性も達筆を理想とし、相手の男性に笑われないよう、真剣にペンを持って美しい文字を書いていた。

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(左 : オースティン・ノーマン・パーマー / 中央 : プラット・ロジャー・スペンサー / 右 : 古き良き時代のアメリカで普通だった筆記体)

  2009年ブリテン首相のゴードン・ブラウンが、アフガニスタンでの戦闘で亡くなった青年、具体的に言うと、第一大隊所属のジェイミー・ジェインズ(Jamie Janes)に敬意を示すため、彼の母親であるジャッキー・ジェインズ(Jacqui Janes)に哀悼の手紙を送ったことがある。しかし、ブラウン首相の書簡は遺族の怒りとマスコミの非難を招く結果になってしまった。というのも、ブラウン首相の手書きは乱雑で、誤字脱字がちりばめられていたからだ。(Patrick Wintour, 'Gordon Brown says sorry to mother in condolence letter row, ’The Guardian, 10 November 2009.) 首相から手紙をもらったジェインズ夫人は、マスコミの前でも不快感を隠さず、息子の名前でさえ“殴り書き”であったので非常に怒っていた。

Jacqui Janes & son JamieJacqui Janes 1Gordon Brown 19004








(左 : 亡くなったジェイミー・ジェインズ / 中央 : 母親のジャッキー・ジェインズ / 右 : ゴードン・ブラウン首相 )

Gordon Brown letter of condolence(左 / ブラウン首相が書いた手紙と綴りの間違い )
  ブラウン首相による直筆の手紙に記されたアルファベットは、できの悪い子供が書いたように汚く、彼は「Mrs. Janes」というファミリー・ネームを「Mrs. James」と勘違いしていた。この英国宰相は綴りの間違えも多く、「colleagues」を「colleagus」と書いていたし、「greatest」を「greatst」、「condolences 」を「condolencs」、「contribution」を「contribusion」と綴っていたのだ。(‘Gordon Brown 'mortified' by condolence letter errors', The Scotsman, 9th November 2009.) たぶん、文字が汚すぎて自分でも識別できなかったんだろう。

  タイプライターやパソコン、スマートフォンが普及した現代では、“手書き”の手紙を書くことは少なくなった。大抵の書簡は印刷物か電子メールの類いである。昔、福島瑞穂の「丸文字」が話題になったけど、国会や地方議会の政治家を調べれば、小学生並みの手書きは珍しくないだろう。毛筆を持って「紙の手紙」を認める麻生太郎は別だけど。オーストリアで憲法を学んだ陸奥宗光は、講義で記したノートでも、下書きをしてから綺麗な書体でアルファベットを綴っていた。たぶん、新渡戸稲造や内村鑑三も同じだろう。令和の政治家で陸奥のような人物はいるのか?

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(左 : ナマズを捕獲したい「科学者」の殿下 / 右 : 陛下の代理で公務を任された秋篠宮殿下 )

  話を戻す。秋篠宮殿下の教育には不審な点が多い。おそらく、皇族に仕える侍従達は文仁殿下の仕草を目にしても、「どうせ、あの人は天皇にならないから」と見捨てていたんじゃないか? 本来なら、皇太子殿下に「もしもの時」がある場合、弟の文仁殿下が皇位に就くはず。となれば、徳仁殿下と同じように立派な皇位継承者に育てねばならない。ところが、「血のスペア」たる秋篠宮殿下は、平民と変わらない俗物に育っていた。いくら何でも、皇位継承者を「一人だけ」と決めるなんて、皇室の側近達はいったい何を考えていたのか? どう考えても危険すぎるじゃないか !

Prince Hisahito 88432(左 / 悠仁親王殿下)
  実質的な次期天皇たる悠仁殿下も缼陥(けっかん)だらけ。一部の国民からは「裏口の宮ズル仁」と呼ばれている。たぶん、筑波大附属高校の同級生も、悠仁殿下の“ズル行為”に気づいているだろう。ただ、賢い子供が多いから黙っているだけだ。おそらく、殿下はクラスの仲間から「のけ者」にされ、陰で小馬鹿にされているんじゃないか? 全校生徒の数名くらいは、インターネットで飛び交う秋篠宮家のスキャンダルを知っているだろう。皇宮警察が口にする「パクリ王子」の名称だって囁かれているはずだ。

  とにかく、もしも今上陛下に何らかの病気が発生し、公務の継続が困難となれば、秋篠宮殿下が摂政となるかも知れないし、事によったら若き悠仁親王殿下が皇位継承者になることもあり得る。しかし、そうなれば、何割かの国民が失望するだろう。昭和天皇は大正天皇の御病気が重くなったため、1921年(大正10年)、20歳の若さで摂政に就かれた。頼りない悠仁親王殿下とは大違い。伊勢神宮の「単独参拝」で覇気の無い殿下を目にした国民は、「この少年が将来、我々の天皇陛下になるのか?」と不安になるだろう。現在、高校生である悠仁親王殿下が20歳で摂政になられる、と聞いたら普通の国民はどう思うのか? 悠仁殿下は両親に連れられ、今年の1月に「海外移住資料館」を見学なされたが、一般視聴者はそのゾンビ歩行を見てゾッとした。たぶん、緊張していたんだろうが、ぎこちない歩き方で、まるで蝋人形みたいだ。

  それでも、宮内庁の演出や報道規制で、悠仁親王殿下は「立派な成年皇族」となるし、秋篠宮殿下の不正行為も「根拠無き誹謗中傷」と否定され、巧妙に隠蔽されるだろう。多少なりとも賢い国民なら騙されないが、大半の国民は仕事で忙しく、地上波テレビしか観ないので、丸め込むのはいとも簡単だ。ワイドショーの御用学者が絶賛すれば、悠仁殿下は「偉大なる皇位継承者」となってしまうだろう。

Emperor Hirohito 18843Prince Akishino 6632








( 左 : 白馬にまたがる昭和天皇 / 右 : 亀の甲羅に乗る秋篠宮殿下 )

  こんな茶番劇を観ればアホらしくなる。だが、未来の日本は以前のような“日本らしい日本”ではなくなるから心配ご無用。令和30年くらいになれば、アジア系帰化人が溢れる東洋の島国となっているはずだから。菊の御紋が印刷された羽織を着ている天皇陛下、あるいは金のブレスレットを腕に嵌め、御洒落なサングラスを掛けたファッショナブル天皇がが誕生してもおかしくはない。(若い頃の秋篠宮殿下を思い出せば、「あり得るかも」と思えてしまうだろう。) 歌舞伎役者だって「音羽屋」とか「成田屋」の声援を受けて観客に応えているじゃないか? 将来の天皇陛下も、英国のヘンリー王子みたいに「大衆のアイドル」になれるだろう。

  「有名藝人」と化した天皇は、アメリカ黒人や朝鮮系帰化人を妃に迎えても大丈夫。マスコミが「進歩的な陛下」と呼んで賞賛するし、アジア系国民も支援するから、日系日本人のナショナリストは唇をかみしめて沈黙するしかない。哀しいけど、国民が劣化すれば、それに呼応して皇族も劣化する。伝統的な日本の皇室は昭和で終わっているから、平成から令和までは、“過去の遺産”で食いつなぐ移行期なのかも知れない。たぶん、皇室はこれからも安泰だろう。しかし、令和の次に出現する皇室は、昭和天皇の頃とは違う皇室、もしかすると「ネイティヴ・ジャパニーズ」が遺した「観光名物」くらいになるのかもね。

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17:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/09 (Tue) 02:47:38

2023年05月08日
嫌われる皇族の理由 / 秋篠宮家はどうなるのか? (前編)
秋篠宮殿下が「日本の代表」なんて嫌だ !
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King Charles III & Queen 002Prince A 70834
  秋篠宮殿下と紀子妃殿下がチャールズ3世の戴冠式に出席し、ようやく一段落となったが、週刊誌による秋篠宮家批判は絶えることがない。筆者は週刊誌の報道を全て否定するつもりはないが、雑誌記者が持ち出す「国民の声」というのは怪しいと思っている。中には捏造の声もあるだろうし、誇張された記事だってあるだろう。もしかしたら、皇室破壊を目論む左翼分子が“保守派”をかたって投稿しているのかも知れないし、日本人に扮した支那人が、意地悪で辛辣なコメントを書き込んでいるかも知れないのだ。それでも、国民の一部に秋篠宮への嫌悪感が蔓延しているのは確かで、秋篠宮殿下が今上陛下のように素晴らしい人物とは言い難い。

  筆者は誰だか判らぬ「匿名の国民」が発する声など信じない。だが、購入者の中には信じる人も居るようだ。なるほど、一部の国民は殿下の戴冠式出席に不満であったが、そもそも不人気のチャールズ3世の式典なんだから、誰が招かれてもいいじゃないか。もし、秋篠宮殿下が行きたいのであれば手筈を整えてやればいいし、悠仁親王殿下を連れての観光旅行でもいいだろう。どうして秋篠宮殿下じゃ厭なのか? もし、今上陛下が訪英となれば、15時間くらいの缶詰状態になるから、気楽な外国訪問じゃないだろう。

  秋篠宮家に関する不評の根源は、殿下と妃殿下の“人柄”にある。保守派の言論人は秋篠宮殿下を庇うため、歴代天皇の系譜を持ち出し、萬世一系の皇統を懇切丁寧に説明するが、皇室に関する教育を受けていない民衆にとったら“ウンザリする説教”でしかない。普通の庶民は天皇陛下の“人格”を肌で感じるから、「有り難い存在」として敬愛し、その“威厳”にひれ伏す。机に向かって千年の歴史を勉強したから尊敬する訳じゃない。一般的に、巷の庶民は天皇陛下に直接会ったことはないが、テレビで拝見する陛下の雰囲気で“立派な天皇”と判断する。他方、秋篠宮殿下の話し方や態度を観ると、直感的に“ダメな人”と思ってしまうから、番組キャスターがいくら殿下を褒めても、その言葉は虚しく響き渡るだけ。生理的に嫌いなんだからしょうがない。

  建前上、日本人の宗教は神道や仏教となっているが、一番根深いのは「学歴信仰」の方である。冷静に考えればアホらしいが、大学や高校の入試試験は“神聖な儀式”だ。それゆえ、賄賂や人脈で「合格」の身分を得る者は、“冒瀆行為の異端者”と見なされる。普通の皇族は「皇室の威光」で大学へ“特別入学”したり、側近や友人の“助力”で学位を得ることはない。特に、秋篠宮殿下は、前々から“皇族の特別扱い”を嫌う傾向があったそうだ。(「秋篠宮皇嗣夫妻『信号を止めるな』大騒動 宮内庁が憂慮する交通格差」『週刊ポスト』2021年3月19・26日号)

  東大や京大はもとより、学習院大学でも「皇族の特別扱い」は無かったそうで、フランス文学を専攻していた故・篠沢秀夫名誉教授によれば、「特別入学」とか「裏口入学」はなく、試験の結果で判断を下していたそうである。(篠沢 秀夫「死の床より申し上げます 誰よりも深く愛子さまの教育を憂う」『文藝春秋』2011年2月号)おそらく、徳仁親王殿下が入学する時も、学習院大学は「徳仁親王殿下だから無条件で受け容れよう」とは考えず、ある程度の筆記試験というか能力検査を課したはず。

Emperor 7743(左 / 皇帝の風格が漂う天皇陛下)
殿下が大学院へ入った時も“実力進学”と推測できる。オックスフォード大学で水の研究をなされた時も、真剣に“英語”で勉強されたはずだ。真面目な皇太子殿下の性格を考えれば、「ズル入学」なんて想像できない。ちなみに、陛下が1993年に出版された『テムズとともに 英国の二年間』が、今年、紀伊國屋書店から復刊されて、アマゾンではベストセラーになっている。「学習院教養新書」版の方は、古本なのに驚くような高値が附いている。やはり、陛下の人気は凄い。

  一方、秋篠宮殿下の方はどうなのか? “英語”で書かれた秋篠宮殿下の博士論文については、以前のブログで触れたのでここでは述べない。しかし、夫婦揃って“疑惑の学歴”をつけるのは問題だ。紀子妃殿下は2013年に『結核予防の意識と行動について : 結核予防婦人会講習会参加者・女子大学生の調査より』という論文を提出して博士号を取っている。どんなレベルの論文か判らないけど、もし、そんなに素晴らしい博士論文であるなら、宮内庁のホームページに掲載し、誰でも閲覧できるようにするべきだ。国民の中には論文をダウンロードして詳しく拝読したいと願う人もいるので、印税を求めずに公開してもらいたい。ところが、妃殿下の論文は国会図書館にまで行かないと閲覧できない。これでは、国民の疑惑が深まる一方だ。

  しかし、なぜ紀子妃殿下は博士号が必要だったのか? 一つの推測として、悠仁親王殿下をお茶の水大学附属小学校に入れるため、と考えられる。もし、「研究員の子供」として特別入学させたければ、母親が「研究員」の身分を手に入れなければならない。そこで、妃殿下はロイヤル・パワーか幽霊(スタンド)を使って博士論文を作成したんじゃないか? 『文藝春秋』が、ある秋篠宮家関係者の話を紹介している。

  「秋篠宮ご夫妻は幼稚園からの3年保育を望んでおり、学習院幼稚園が2年制なのに対して、ちょうど紀子さまが研究活動をされていたお茶大幼稚園が条件に合っていた。それで同大の女性研究者を支援する特別入学制度を利用して入園されました。」(「悠仁さま十五歳の憂鬱」『文藝春秋』2022年4月号) 

  この迂回入学なら何とか誤魔化せるが、北九州市の作文コンクールでは「致命的なヘマ」をやらかしてしまった。悠仁親王殿下は『小笠原諸島を訪ねて』という作文を提出して「佳作」を受賞したが、後に“剽窃”が発覚し、参考文献を巧妙に編集して「自分の文章」にしたことがバレてしまった。チャンネル桜の水島総社長は、「皆で寄ってたかって、中学生を責めるなんて酷いじゃないか!」と怒ってたが、これを話題にした国民は、ロボットのような親王殿下じゃなく、幽霊作家を雇った紀子妃殿下を批判したんじゃないのか? そもそも、凡庸な中学生が、あんな作文を書くことは出来ないし、自分の金で幽霊を雇うことも出来まい。おそらく、「推薦入学」の“材料”や“根拠”が必要だったから、作文コンクールに目を附けたのだろう。数学や科学での“実績”にすると、色々と詮索されてしまうので、曖昧な「国語」の評価なら、適当にチョロまかすことが出来ると思ったのかも。審査員は主催者の顔色を窺って忖度(そんたく)するから、「怪しいなぁ~」と思っても「素晴らしい!」と褒めちぎるしかない。

  週刊誌は紀子妃殿下に辛く当たるが、筆者はちょっと“気の毒”に思っている。文仁親王殿下と結婚された時は、まさか皇太子を産む破目になるとは考えていなかったはずだ。次男の嫁として比較的気楽に過ごせると思ったんじゃないか? しかし、雅子妃に男子が望めなくなったので、体外受精か男女産み分けで悠仁親王殿下を産む役目になってしまった。国民の中には「まさか!」と思う人もいるだろうが、高齢出産で「男の子の誕生」なんて、あまりにも出来過ぎている。(当時、妃殿下は39歳で、一般的に「高齢出産」は35歳以上の妊婦を指す。) 小泉純一郎総理は安倍晋三官房長官から「御懐妊」の知らせを受けて驚いていたけど、ちょっと賢い国民なら、「もしかして、体外受精の“男女産み分け”なのか?」と怪しんだはずだ。(生殖医療技術の発展に関しては、医学界でも1980年代後半から様々な論争が巻き起こっていた。)

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(左 : 独身時代の紀子妃殿下 / 中央と右 :「作り笑顔」が普通になった妃殿下)

  「未来の天皇」を育てる国母となった紀子妃殿下は、運命とはいえ、本当に可哀想だ。昔は単なる「次男の嫁」で、バレーボール部の「洗濯係」程度で良かった。ところが、悠仁親王殿下を産んだ事により、100名か200名の部下を率いるキャプテンになってしまったのだ。軍隊に譬えれば、ジャガイモの皮剥きをする一等兵が、いきなり大佐や中将になったようなもので、あまりにも“荷”が重すぎる。それゆえ、周りからのプレッシャーに押しつぶされそうなるし、ちょっとした事でも敏感になってヒステリーの連発なんだろう。でも、「狐の笑顔」から「般若の顔」に変わる瞬間は恐怖だ。

  週刊誌が報じるように、雅子妃への劣等感を持っていたのかどうか判らないが、紀子妃殿下の努力は空回りなのかも知れない。ある元皇族が妃殿下について語っていた。

「学習院も立派な学校ですが、海外留学をしていないことや、雅子さまのように社会に出て働いたことがないことに少しコンプレックスを感じておられるようです。今年、お茶の水女子大学に人文科学系の論文を提出して博士号を取得されました。学識を深めたいという純粋な動機はもちろん、経歴としても立派なものを持ちたい、というお気持ちもあったように拝察します」 (「皇室特別レポート 紀子妃の大研究」、『週刊現代』2013年11月23日号)

  旧皇族に連なる関係者も、次のようなエピソードを明かしていた。

 「ご結婚なさる前、大学生だった紀子さまが出された直筆のお手紙を拝見したことがあります。とても素朴な文章だったのが印象に残っています。それでいて、ところどころ辞書からそのまま引っ張ってきたような難しい四文字熟語や漢字が使われている。なにか無理をなさっているようで、違和感がありました。『ああ、紀子さまは皇室の一員になるに当たり、他の皇族の方に比べてご自身に日本語力が足りないことに、少し劣等感を感じてらっしゃるのではないだろうか』と感じたことを覚えています」(上掲記事)

  紀子妃殿下が“教養”の面で苦労されている事は、端から見ていても何となく察知できる。巷の教育ママは「バイリンガル教育」とやらを持て囃すが、日本人が「日本」で暮らし、「日本人」として生きてゆくのであれば、国語の勉強を優先すべきだろう。ただし、親の都合で海外生活をする子供は、自分の運命を選べないから本人が努力するしかない。『週刊現代』の記者によれば、紀子妃はペンシルベニア大学に留学する父・川嶋辰彦氏に伴われ、1歳から6歳まで海外で過ごしていた。彼女は現地の小学校に入るが、父親の方針で家でも会話となれば全て英語だったという。そのため、紀子妃殿下は英語を「母国語」として育ったようだ。

  「ホンマか?」と疑いたくなるが、たぶん、これは川島家から発せられた宣伝エピソードだろう。もしかすると、宮内庁が「英語が得意な紀子様」というイメージを創るため、わざと流したプロパガンダなのかも知れない。よく、皇室と昵懇の担当記者や御用評論家は、水面下で宮内庁や川島家と結託し、秋篠宮家を掩護(えんご)する偽情報を流すから注意が必要だ。

Princess Kiko 89342(左 / ご婚約当時の紀子妃殿下)
  例えば、紀子妃殿下は小学生の時、ウィーンにも住んだことがあるという。有名な渡邉みどり(皇室評論家)によれば、紀子妃殿下は「ドイツ語を普通に話した」そうだが、大学時代の友人によれば、第二外国語の授業で支那語を選んだそうだ。この友人は「どうしてドイツ語を選択しなかったのか?」と不思議がったが、おそらく「チョロまかし」が利く言語の方を選んだのだろう。漢字なら質問されても推測で答えられるし、本屋に行けば現代語訳の「漢文」書籍が並んでいる。虎の巻も手に入るから、宿題でズルも可能だろう。しかし、ドイツ語だと発音や文法、語彙の点でメッキが剥がれてしまうから、なるべく避けた方がよい。

  とにかく、秋篠宮両殿下が英国を訪問し、チャールス3世の戴冠式に出席するという報道は、国民の多くに違和感を与えたようだ。5月6日に秋篠宮殿下が出席なさると報道されるやいなや、多くの国民が殿下の代理出席に不快感を表した。(「チャールズ国王の戴冠式、秋篠宮ご夫妻ご出席に抗議殺到 スキャンダルは英国でも大々的に報道」『週刊新潮』2023年3月23日号)ある者は宮内庁へ抗議の電話を掛け、別の者はインターネット・ニュースのコメント欄に不満をぶつけたという。

 確かに、今上陛下と皇后陛下が御出席となれば日本人としても誇らしいし、現地である程度の歓迎を受けるだろう。だが、陛下の“代理”として訪英するとなれば、英国王室の方だって“それなり”の歓迎しかしないだろう。日テレの映像を観たら、案の定、ブリテン側の態度は冷たく、秋篠宮殿下がスタンステッド空港に到着し、飛行機のタラップを降りたら、地面には赤絨毯が敷かれていなかった。しかも、出迎えたのは駐英日本大使と誰だか判らぬ英国の役人一人だけ。外務省の一等書記官が到着したのかと錯覚するほどの光景だ。

  一般国民は殿下の「英語力」に疑問を持ち、「どうして英語が堪能な天皇陛下や皇后陛下が出席なさらないんだ?!」と訝(いぶか)しむが、日本の皇族なんだから、堂々と「日本語」で通してもおかしくはないだろう。イギリス人の英語が難しいのであれば、大使館の通訳を呼んで隣に立たせればいいじゃないか。確かに、秋篠宮殿下は英語会話が拙く、他人の力で英語論文を書いてしまったから、普通の国民から批判されてもしょうがないけど、英語を喋ることは教養人の証拠じゃないぞ。。

  ところが、宮内庁と結託した主流メディアは、「英語を流暢に話す秋篠宮両殿下」というプロパガンダを垂れ流した。以前、両殿下がギリシアの首相と会ったとき、テレ朝の番組は「通訳無しで会話されました」と報道し、戴冠式でも「“英語”でメッセージを述べられました」と褒めちぎっていた。なぜ、マスコミは意図的に「英語力」を強調したのか? おそらく、担当記者が宮内庁との協定を結んだからだろう。つまり、宮内庁から贔屓を受ける代わりに、「英語が得意な殿下」という“刷り込み”を一般国民に行う、という密約だ。報道番組でサブリミナル効果やステルス・マーケティング(stealth marketing)の手法は厳禁だが、皇室報道ならOKなんだろう。

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( 左 : オックスフォード大学留学時代の秋篠宮殿下 / 右 : 英国の戴冠式に列席された秋篠宮両殿下 )

  読売新聞はもっと露骨で、殿下が1988年から1990年にかけてオックスフォード大学のSt.John's Collegeに留学したと紹介し、ブリテンの王族と「心温まる、友好的な関係(cordial relations )」を深めていった、と書いている。 (‘British Coronation: Japan’s Crown Prince Returning to Student Days,’The Yomiuri Shimbun, May 2, 2023.)「ホンマかぁ~?」と猜疑心が強くなる記事だが、フジテレビも負けずに「留学時代の秘話」を紹介し、学生時代の殿下を世話したトマス・ケンプ元教授にインタヴューを行っていた。ケンプ氏は殿下を“優秀な学生”と評し、“熱心”に勉強していたと褒めるが、どんな「学問的業績」や「研究成果」があるのかは公表しなかった。FNNは殿下が教授の説明に聞き入っている姿や当時の映像を流したが、若き殿下は教授の話に頷くばかり。殿下はイギリス人と会話する時は、やたらと「聞き上手」で、ユーモアを交えて流暢に話すことは滅多にない。「B&B」の島田洋八と同じく“頷く”ばかり。

  昔、ヘンリー王子に話しかけられた時、秋篠宮殿下は何を言われているのか解らなかった。これに呆れたヘンリー王子は、「英語が通じない奴なんだ」と判り、適当にあしらっていたから、観ている日本人の方が恥ずかしくなる。たぶん、秋篠宮殿下の留学も「試験無しのコネ入学」なんだろう。「熱心に勉強」するだけなら、小学生にも出来るじゃないか。それに、どうして殿下はちょくちょくタイへ旅行されるのか? 「学術交流」なら、母校のオックスフォードを訪問し、優秀な動物学者と一緒に鯰や鶏を論ずればいいだろう。イングランドだけじゃなく、アメリカやカナダにも一流の動物学者がいるから、タイよりも学問的水準は高いはずだ。

  ところが、秋篠宮殿下はなぜかタイが大好き。宮内庁のホームページを見れば判るけど、「殿下は池田大作と同じタイプなのか?」と驚くばかりだ。宮内庁の「紹介文」を以下に引用する。

   殿下は今までに幾度となくタイへ魚類や家禽類の調査で訪問され、その成果をいくつかの学術論文として発表されました。それらのことから、タイにおける水産振興や家禽学への貢献に対し、平成7(1995)年9月に同国カセートサート大学から理学(水産生物学)、ブーラパー大学から理学、平成11(1999)年7月にコーンケーン大学から理学(水産学)、平成13(2001)年8月にシーナカリンウィロート大学とチュラーロンコーン大学から理学、平成15(2003)年8月にウボンラーチャタニー大学から理学(農学)、平成19(2007)年3月にキングモンクット工科大学から理学(水産学)、平成23(2011)年3月にカセートサート大学から理学(畜産学)、チエンマイ大学から人文学(人間・環境管理学)、平成24(2012)年11月にタマサート大学から理学(農業技術)、平成30年(2018)年12月にマハーサーラカーム大学から生物学の名誉博士号の贈呈をお受けになりました。
 
  いやぁ~凄い。日本企業がたくさん集まるタイ王国だと、日本の皇族はこんなにも賞賛されるのか! 一部の国民は「どうして殿下はタイばかり訪問されるのか?」と疑問に思うが、おそらくタイ人は「格下の劣等民族」だから、殿下は“くつろいだ”会話ができるんじゃないか? もし、イングランドに行けば、会話は「通訳抜き」の英会話となるし、イギリス人はタイ人みたいにペコペコしないから、秋篠宮殿下としては不愉快だ。しかも、イギリス人の学者は「どんな論文なのか? どんな研究結果を得たのか? 」と詳しく訊いてくるし、質問された殿下も英語で具体的に説明しなければならない。イギリス人はタイ人と違って下らない演説に我慢しないから、カタカナ英語の演説なんて誰も聞かないし、最初から講演会に出席しないと思う。だから、殿下がイングランドを避けるのも当然だ。上流や中流階級のイギリス人は、「日本の皇族だから」といって卑屈にならないし、ジャングリッシュを喋れば「何言ってるのか解らぬ!」と言って無視する。博士号を持つ殿下としては面目丸つぶれだ。

  こうした背景を知れば、皇室支持派の一般国民だって、秋篠宮殿下の訪英に“無理”があることくらい解るだろう。でも、宮内庁は「次期天皇の父親」というイメージを国民に植え付けたいから、わざと五月に園遊会のスケジュールを入れ、陛下の戴冠式出席を不可能にしたのだろう。チャンネル桜の高清水裕子や水島社長は、皇太子時代の上皇陛下を例に取り、「秋篠宮殿下が代理で出席でも異論は無い」と言い張った。しかし、訪英した上皇陛下は、エリザベス女王の戴冠式で邪険にされ、その扱いは憤慨するとほど酷い扱いだった。(波多野勝著『明仁皇太子 エリザベス女王戴冠式列席紀』を参照。)

 日本人は過去を水に流すから健忘症となりやすいが、イギリス人やスコット人は何時までも戦争を覚えている。第二次世界大戦で日本は英国と敵対関係になり、イギリス人が自慢する戦艦「プリンス・オブ・ウェイルズ」を沈めたことがある。しかも、植民地であったビルマにも手を出したから、総督のマウントバッテン卿は昭和天皇を深く憎んだ。このマウントバッテン卿はチャールズ王太子にとって「師父」ともいうべき存在で、未来の国王に大きな影響を与えた親戚の伯父さんである。

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(左 : マウントバッテン卿 / 中央 : 若き日の昭和天皇 / 右 : 若い頃の秋篠宮殿下と紀子妃殿下)

  1971年、昭和天皇が英国を訪問された時、面会を嫌ったマウトンバッテン卿は意図的にロンドンを離れた。しかし、歓迎の晩餐会でマズいと思ったエリザベス女王は、急遽、マウントバッテン卿に連絡をつけ、何とか説得して連れ戻すことができたという。昭和天皇とマウントバッテン卿は宮殿のプライヴェート・ルームで会ったそうだ。こうした過去を知っている日本人なら、地上波テレビが言う「皇室と英国王室の親しい関係」とか「秋篠宮殿下を温かく迎えるチャールズ国王」なんて嘘と判るだろう。ワイドショーばかりを観る国民なら騙せるが、昭和時代を覚えている国民は騙せない。

King Felipe & Queen Letizia 1King Carl XVI Gustaf & Princess Victoria of Sweden
(左 : フィリペ国王とレティシア妃 / 右 : カール16世とヴィクトリア王女)

  そもそも、チャールス3世は国家元首の出席を望んでおり、普通なら今上陛下が参列するはずだ。実際、何人も国王が出席しているので、日本の天皇陛下が御出席となっても不思議じゃない。例えば、スペインからはフィリペ国王とレティシア妃が来ていたし、スウェーデからはカール16世とヴィクトリア王女、ベルギーからフィリップ国王とマルティルデ王女、ネーデルラントからはウィレム・アレクサンダー国王とマキシマ妃が出席していた。したがって、日本の天皇陛下と皇后陛下が訪英されてもルール違反じゃない。

King Philippe & Queen Mathilde of BelgiumKing Willem-Alexander & Queen Maxima of the Netherlands 003
(左 : フィリップ国王とマルティルデ王女 / 右 : ウィレム・アレクサンダー国王とマキシマ妃 )

  天皇家を優先する皇室支持派は、「秋篠宮殿下じゃ厭だ、恥ずかしい!」と愚痴をこぼすが、筆者は「どうでもいい」と思っている。たとえ、レセプションで両殿下が孤立しようが、現地メディアから無視されようが構わない。殿下の出席は外交儀礼の一環だから、建前の表敬と礼状の贈呈が主な仕事だ。日テレの人気番組、「初めてのお使い」と同じ性質の訪英だから、ヨーロッパの王族と会っても適当に笑顔で対応するだけでいい。無理な期待をする国民の方が間違っている。

Prince Albert & Princess Charlene of Monaco(左 / アルバート公とシャルレーヌ妃)
  チャンネル桜の高清水氏は、「日本の皇室は世界で最も古い」とか、「外国の王族が尊敬するロイヤル・ファミリー」と述べ、矢鱈と秋篠宮家を擁護していたが、そんなのは“夜郎自大の自惚れ”でしかない。歐米諸国のジャーナリストは秋篠宮殿下を見ても誰だか判らないし、悠久の歴史を誇る皇族と知っても興味は無し。それよりも、外国のメディアは日本より格下となるモナコ公国を取り上げ、アルバート公とシャルレーヌ妃の写真を大々的に載せていた。

  日本の皇室が二千年以上の歴史を持っていても、そんなのはカッパドキアかバビロニアに存在した古代人の王族みたいなものだ。トルコから西は全て「オリエント地方」であり、日本が何処にあるのかさえ判らない。だいたい、米国の属州が最古の皇室を自慢しても、貧乏なエチオピアの皇帝と同じ扱いだ。庶民の小娘であった紀子妃殿下が、いくら着飾っても「馬子」程度。社交界に登場しても「透明人間」でしかなく、存在感は10のマイナス6乗くらい。電子顕微鏡で探さないと判らないプリンセス、といったところだ。

  ところが、国民の白痴化を促すテレビ局は、 秋篠宮殿下が如何に厚遇されたのかを宣伝していた。例えば、TBSは王太子クラスの中で、秋篠宮殿下が最前列の席に坐っていたと喜んでいたが、それは外務省の役人が前もって英国側に頼み込んでいたからだろう。さすがに、アフリカやアジアの参加者に交じっての末席では、日本の国民に申し訳が立たないから、たぶん現地の役人が土下座したか、色々な賄賂、つまり相手が欲しがる“手土産”や“間接的な利益供与”で最前列にしてもらったんだろう。メンツの為なら50億でも100億円でも惜しくはない。どうせ税金なんだから、気前よく使っても大丈夫、という訳だ。

  次回に続く。
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18:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/12 (Fri) 14:56:27

2023年05月11日
尊敬できる皇族が欲しい / 秋篠宮家はどうなるのか (後編)
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日本国民は奴隷じゃない

Emperor 552Empeor 7723

 一般的に、些細な事で皇室を批判したり、勝手な不満を述べることは不敬なことと見なされる。しかし、皇族が我々の常識、特に皇族の規範を外れた行為に及ぶ時、皇室を守る側近は、何らかの諫言を述べねばならない。もし、宮中の重臣が沈黙するなら、国民の誰かが声を上げるべきだ。たとえ、こうした野次が渺然(びょうぜん)たる滴(しずく)であっても、それはやがて大河となり、止めどなき激流となる。秋篠宮家を批判する国民の中には、皇室の撲滅を目指す者もいるだろうが、皇統の存続に不安を抱く者もいるはずだ。

 ところが、筆者のように秋篠宮殿下を批判すると、動物学者の竹内久美子やチャンネル桜の水島総社長のような秋宮ファンが騒ぎだし、ヒステリーを爆発させて、「皇室破壊を目論む左翼だ!」「支那工作員の手下じゃないのか!」「女系容認論者だ、気をつけろ!」と喚(わめ)き出す。こうした活動家を前にすると本当に困ってしまうが、どうして彼らは“不都合な問題”から眼を背け、抽象論へと逃げるのか? おそらく、注目された話題を詳細に検討すれば、反論できない事態になるからでしょう。それに、我が国では「皇族は悪事を成さず」というのが大前提である。よって、宮内庁から圧力を受けない特別捜査チームの創設は不可能。もし、小さな糸口から大スキャンダルに発展したら、皇室にとって甚大なダメージとなるからだ。

  週刊誌報道にはイチャモン記事もあるが、宮内庁の発表だって怪しく、眞子様の「複雑性PTSD」を疑う国民は少なくない。なぜなら、アフガニスタンやイラクへ派遣されたわけでもなく、雑誌の中傷記事くらいで、あんな深刻な病気にはならないからだ。しかも、NYに住む眞子様はどのような治療を受けているのか? 日本人が英語で複雑な感情を説明するのはとても難しい。特に、フラッシュバックなどで苦しむ患者となれば、アメリカ人の医師に答えるのは簡単なことじゃない。これだと、「仮病」を疑う国民が出てくるし、病気を信じる人は、家庭内暴力や近親相姦を考えてしまうだろう。

  とにかく、一般的に、まともな国民は皇室の撲滅などは望まないし、ゴチャゴチャした学術論にも興味が無い。単に、尊敬できる皇太弟なのか、あるいは困った馬鹿息子なのか、と判断をするだけだ。「国民に寄り添う」と口にする皇族が、国民からの質問に答えず、脚本通りの記者会見でお茶を濁すなら、その言葉を信じる者は少なくなるだろう。

  ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)には『精神現象学(phänomenologie des Geistes)』という著作があり、これを読むと主人と奴隷の関係を改めて考えることができる。我々は天皇陛下の奴隷じゃないし、陛下も農奴から養われる主人(dominus)とは思っていないだろう。ところが、竹内氏や水島社長が押しつけるドグマには、支配者にひれ伏す“卑屈な国民”という前提がある。別な言い方をすれば、彼らが立つ土壌の中には、奴隷根性の地下水が染み渡っている、ということだ。

Hegel 882(左 / ヘーゲル)
  ヘーゲルが説く哲学は矢鱈と難解で、ドイツ語の専門用語に満ちているから、ここでは簡単に述べることにする。ヘーゲルについて勉強すると、他人との関係、特に相互の「承認(Anerkennung)」というキーワードが目につく。これは奴隷と主人の関係を例に取るとよく解る。

 ヘーゲルは「自己意識」を説明した。我々は「自分が自分に対して行う評価」と「他人が自分に対して行う評価」を重ねて自己意識をつくっているという。例えば、鏡に映る自分の顔を見て「私って綺麗!」と評価して「美人」と思うだけじゃ不充分。これは自分に対する自分だけの評価で、単なる自惚れだ。やはり、学校や職場の友人、あるいは世間一般からから「美人」と評価されないと「手前味噌」になってしまう。他人という媒介を経て自分の価値を承認されてこそ、「私は美人」という満足感を得ることが出来るのだ。

  奴隷を持つ主人は、「物足りなさ」というか、憐れな存在となりやすい。なぜなら、主人は自分の評価だけで意識を形成する人物。つまり、「自分から見た自分」を貫き通す者と言えよう。しかし、自分の確信だけで「俺様は偉い!」と思う奴はいないから、必ず、他人から「偉い人だねぇ~」と評価され、「その通りだ」と承認されないと本当に「偉い」とは思えない。ところが、周りの人間が奴隷では、「偉い」と評価されたって無意味だ。奴隷は他人の意思(恣意)に依存しながら生きる亜人間で、御主人様に隷従した意識しか持たない。御主人様が「俺を偉いと思って尊敬しているのか?」と質問すれば、恐怖に怯えた家畜は「左様でございます」としか言えないじゃないか。渋谷にいるアホな女子高生みたいに、「別に!」と答えたら、「テメぇー、この野郎!」と罵られ、棍棒でボコボコにされてしまうだろう。

  そもそも、自立していない下僕から承認されて、「いやぁぁ~、そんなこと言われたら照れちゃうなぁ~」と嬉しがる主人は居ないだろう。むしろ、自分と対等な者、例えば奴隷を持つ農園経営者とか、軍人、紳士から承認されたいと望むはずだ。人間は野生動物と違い、他者からの承認や賞賛を求める。例えば、カンガルーは野原で殴り合うが、たとえ鼻血を出して勝っても、周囲のコアラから金メダルを貰うことはない。

  しかし、人間はボクシングの世界大会まで開催し、優勝者にはチャンピオンベルトを贈呈する。もちろん、チャンピオンはみんなから認められたと大喜び。これは格闘家のみならず、一般人にも当てはまる欲求である。国家レベルになると、面子や名誉を守るために不必要な戦争を始めることもある。だいたい、腹が減ったわけじゃないのに、他人を皆殺しにするなんて人間くらいだ。バーベキューが目的で焼夷弾を投下する訳じゃあるまい。

  ある意味、国民と皇室は相互承認の関係にある。天皇陛下は奴隷を従える主人じゃない。気に食わない国民が居るからといって、いきなり彼の財産と生命を奪うことはないし、自分の意思を貫くために国民の同意(意思や感情)を踏みにじる、ということもない。「不敬」という言葉に怯えて秋篠宮殿下にひれ伏す国民は、無意識のうちに「支配と隷属(Herrschaft und Knechtschaft)」が大前提となっている。しかし、まっとうな国民は恐怖の概念から皇室を尊ぶ訳ではない。

  日本的な「支配と服従(Herrschaft und Gehorsam)」には、畏敬の念が内蔵されている。皇室の存在には、何か崇高で偉大な力が宿っている。天皇陛下は物理的な力、圧倒的な武力で日本に君臨しているのではない。国民との紐帯が築かれているから、脈々と存在し続けることが出来た。国家の危機であっても、国民の信頼は揺るがないし、敗戦となっても陛下を追放しようとは思わない。

  日本の庶民は皇室を敬うけど、それは恐怖や服従によって頭を下げている訳じゃなく、自分の意思で尊敬しているはずだ。なるほど、独裁者は武力や圧力で民衆の肉体を支配することは出来よう。しかし、彼らの精神を摑むことは出来ない。鞭の恐怖は民衆の心を遠ざけるだけである。陛下への敬意は自発的なもので、仕方ないから示す敬愛などは侮蔑の拍手と同じだ。「喋る家具」といった奴隷じゃなく、独立した国民から尊敬されるから、皇室伝統は続いてきたのである。そもそも、天皇陛下が御自分一人で江戸城に閉じ籠もり、「俺は天下の支配者だ!」「天地創造の絶対神だ!」と叫んだところで、何の意味も成さないし、そんな発想は微塵も無いだろう。大勢の国民が天皇と認めるから天皇陛下となっているんじゃないか。

皇族に群がるタカリ屋

  皇室支持派は週刊誌の「秋篠宮バッシング」を非難するが、それは本当に単なる“誹謗中傷”なのか? 多少、賢い国民であれば、秋篠宮殿下や妃殿下にも原因があると判るはずだ。例えば、殿下は様々な団体の名誉職に就いているが、どれくらいの報酬(お車代や研究費、宴会費)をもらっているのか判らない。しかし、過去に何度もタイを訪れ、魚類や鳥類の“研究旅行”と称している。その内容と実態はともかく、殿下が言う「私的な旅行」の費用は、いったい誰が出しているのか? 殿下の取り巻き連中は、全員、自己負担で大名旅行に付き合っているのか?

  数ヶ月前、京都にある嵐山通船が裁判沙汰に直面した。雑誌記事で明らかになったように、この金銭トラブルには秋篠宮殿下が絡んでいた。記事の中で特に刮目すべき点は、殿下に渡ったとされる「謝礼」の真相である。秋篠宮殿下と親しいの奥野卓司(おくの・たくじ)は、「山階鳥類研究所」の所長を務めているが、「鵜小屋」の建設費用や銀行からの融資で嵐山通船の構成員と揉めていた。興味深いことに、「嵐山通船」の前社長である湯川直樹(ゆかわ・なおき)は、奥野氏から月額20万円の役員報酬を求められたという。だがその時、奥野氏は湯川前社長に対し、“新札”を封筒に入れて渡すよう言いつけたそうだ。(「『秋篠宮様に100万円』 京都老舗裁判 衝撃の経理文書」『週刊文春』2023年2月9日号、p.29.)

  これは奇妙である。なぜ、奥野氏は“ピン札”での役員報酬を要求したのか? もし、“自分の懐に入れるカネ”であれば、わざわざ「新札」を注文する必要はない。たぶん、この金は殿下に献上する「謝礼」だったんじゃないか? もしも、皇族に手渡す「現金」であれば、誰の手垢も附いていない新札にしなければならない。さすがに、クシャクシャの1万円札を束ねた「コンニャク(札束)」じゃ駄目だろう。たぶん、殿下は普段から色々な名目で謝礼を貰ったり、「研究費」の名目で活動資金を作っていたのかも知れない。

  皇族には品性の卑しい連中も集まってくるし、「有栖川宮事件」でも分かる通り、皇族の名を利用した詐欺師だって出てくる。それに、「皇室ブランド」を利用して“甘い汁”を吸おうとするのは詐欺師や商人だけじゃない。澄ました顔で銭を求める大学教授や、権勢欲にまみれた政治家、出世を目論む地方自治体の役人や警察署長に加え、知名度を高めたい藝人や補助金目当ての文化人など多種多様だ。彼らは秋篠宮殿下の前で笑顔を振り撒き、揉み手摺り手で胡麻を擂(す)る。「殿下、殿下」と持ち上げれば、皇族なんかイチコロだ。たとえ、イベントに参加した秋篠宮殿下が、直接「現金」を貰わなくても、側近の誰かが「お車代」を受け取るし、主催者を騙して着服することだってあるだろう。また、こうしたギャラは適当に会計処理をされ、殿下を歓迎する宴会の費用や組織の運営資金になったりする。これなら、殿下が「ギャラ(guarantee / 出演料)」を手にしたのと同じ事で、「皇族ビジネス」と呼ばれても反論できまい。たぶん、宮内庁は秋篠宮殿下の“内職”に気づいているんだろうが、叱責されるのが怖いから黙認しているんだろう。

  日本国民は皇族に対し、過度な期待と勝手な理想を抱いている。だから、我がまま放題の馬鹿娘や、情けない皇族を目にすると、「何であんな事をするのか?」と眉を顰める。確かに、今上陛下は幼少の頃から厳しい教育を受け、濱尾実(はまお・みのる)侍従が宛がわれていた。東宮傳育官(とうぐうふいくかん)となった濱尾氏は、将来の天皇に相応しい教養とマナーを与えたから、現在の我々は立派な君主を目にすることが出来た。ところが、弟の礼宮文仁親王殿下は“自由放任”で、まともな躾を受けないまま育つことになった。

  エリザベス女王が崩御した時、今上陛下は葬儀に参列すべく、“国家元首”として英国へと向かわれた。その間、秋篠宮殿下は陛下の代理を務めることとなったのだが、案の定、“ダメ皇嗣”の側面がこぼれてしまった。殿下は慣れない手つきで公文書へ署名する破目になったが、その姿を見た国民はビックリ。筆の持ち方がぎこちなく、無茶苦茶な摑み方をしていたのだ。あの持ち方は非常に難しく、書道を習った皇族とは到底思えない。もし、何も知らない一般国民が、気軽に殿下の真似をしたら指を痛めてしまうだろう。

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(左 : 天皇陛下の代理で書類に署名する秋篠宮殿下 / 右 : 筆を握る殿下の手)

  また、武蔵野陵墓地を参拝された時、秋篠宮殿下はシルクハットをだら~と手に提げて歩いていた。今上陛下が武蔵野陵墓地を参拝された時は、テレビ東京がその様子を撮していたが、陛下はリムジンを降りる時も、ちゃんとシルクハット(silk to hat)を上向きにされていたし、歩く時も上向きになるよう、絶えず注意されていた。もし、一般国民が注意深くテレビの映像を目にしていれば、兄弟の違いに気づいたはずだ。

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(左 : シルクハットを手にぶら下げた秋篠宮殿下 / 右 : シルクハットを手にする天皇陛下 )

  天皇陛下と秋篠宮殿下は、共にオックスフォード大学へ留学されたが、お二人の学力には“違い”があったという。秋篠宮殿下が英国留学を希望された頃、駐日英国大使の故・シドニー・ギフォード卿(Sir Sydney Giffard)が、本国へある書簡を送ったそうだ。それによると、殿下の要望を受けた宮内庁は、学力不足(less academically gifted)を理由に、殿下の留学希望を却下したという。(Julian Ryall, 'British documents reignite rumours of rift between Japan's new emperor and his brother', The Telegraph, 1 May 2019.) おそらく、秋篠宮殿下の側近は、殿下の英語力や知識量を知っていたので、「たとえ入学できても、授業にはついて行けないだろう」と考えたのかも知れない。だが、殿下の情熱が通じたのか、後にオックスフォードの大学院に留学することが出来た。法学部出身の殿下が、専門を動物学に変えて英国留学なんて凄い。さすが、皇族は庶民と違う。

  その他にも、秋篠宮殿下には“変わった性質”があり、それは眞子内親王からも伝えられていた。2017年、天皇・皇后(現在の上皇・皇太后)両陛下は、東京都千代田区にある博物館「インターメディアテク」を訪れ、植物画と植物標本を組み合わせた特別展示「植物画の黄金時代-英国キュー王立植物園の精華から」を視察された。この時、チューリップの絵を説明された眞子様は、モルモットの毛皮についても説明したそうで、家族のエピソードを祖父母に話していた。眞子様はモルモットの肉に言及し、「父(秋篠宮殿下)が食べるのが好きで」と紹介していた。すると、陛下は「そうなの」と驚いた様子で聞き返していた。(「両陛下、植物特別展へ」『世界日報』2017年12月03日) 

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(左 : モルモットに触れる悠仁親王殿下 / 右 : 蛙を握る文仁親王殿下 )

  確かに、殿下がモルモットの肉を食べていたとなれば、父親の上皇陛下もビックリするだろう。普通の日本人は鼠の肉を食べない。以前、秋篠宮殿下は悠仁親王殿下を上野動物園に連れて行き、様々な動物を見せたことがある。悠仁殿下はモルモットを抱き上げて喜んでいたが、まさか父親が精肉にして食べていたとは知らなかったはず。でも、秋篠宮家は異常な家族だから、ヘビやコウモリ、カピバラなどの珍味を楽しんでいても不思議じゃない。昔、日テレの『TVジョッキー』に「奇人・変人」コーナーがあり、そこに応募した一般人が、マヨネーズをかけてウジ虫を食べていた。これはかなり気持ち悪かったが、下界にも秋篠宮殿下のような変人はいるものだ。

DNA鑑定は厳禁

  昔から朝廷には色々な闇があったけど、どうして皇室や宮内庁は長男の徳仁親王殿下だけを皇位継承者と考えていたのか? 宮内庁が本当に皇統の継続を望むなら、弟の文仁親王殿下にも同じ教育を与え、「もしも」の場合に備えるべきだろう。また、皇太子妃に男子の誕生が無い場合も想定できるので、旧皇族の男子にも密かに帝王学のような教育を授けるはずだ。ところが、侍従達は皇太子殿下お一人に賭けていた。これは極めて危険な賭である。もし、皇太子殿下が難病に冒されたり、不慮の事故で意識不明の重体となったら、宮中の役人はどうするつもりなのか? 「神様の子孫は絶対に死なない! 癌や肺炎にも罹らない!」というのは非科学的な迷信だ。

  若い頃から秋篠宮殿下は皇族らしくなく、どちらかと言えば、サークル活動に熱心な“一般人”といった感じであった。陛下には帝王の風格があるのに、殿下には貴族の威厳というものが全く無い。友人の江守敬治が『秋篠宮』を出版すると、嵐のような酷評が舞い上がり、アマゾンが消去に乗り出した。『週刊現代』の元編集長、元木昌彦の提灯記事なんて読むに値しない駄文だし、もし読めばイライラするばかり。秋篠宮殿下が記者会見に臨むと、一般国民でもその八百長質問にウンザリだ。敏感な国民だと、秋篠宮殿下の姿を見るだけで嫌悪感を抱く。こんな人物が皇位継承第一位の皇族なんて、我が国はどうなってしまうのか?

  秋篠宮殿下に関する評判はどれも良くない。例えば、殿下に対しては皇嗣になられる以前から様々な“ご説明部隊”があったらしい。主に霞が関のキャリア官僚が、国内外の懸案事項を詳しく説明したが、そういった場での“お振る舞い”が悪かったという。雑誌記者から取材を受けた皇室関係者は言う。

 「ある時は説明に対して上の空のようで、ある時はあからさまに相手を見下すような感じだったと聞きます。“気分を害した”“もう1度行けと言われても断りたい”とこぼす人も実際にいましたね。人間ですから体調や虫の居どころが悪かったこともあるでしょうが、同様の批判が重なっているところを見ると、接する相手が不愉快な感情を抱くことが少なからずあったと言えるのかもしれないですね。一般からのご意見については、今後の秋篠宮さまの仕事のされ方でネガティブな見方を覆すことも可能と思われます。が、過去のそういった経緯に起因する異議申し立てについて評価を変えるのは、なかなか大変なことだと感じますね」(「『小室さん問題』だけじゃない 秋篠宮ご夫妻『戴冠式出席』反対の声の理由」 デイリー新潮、2023年4月28日)

  秋篠宮家を警護する皇宮警察からも苦情が多いという。皇族担当のSPは、関係各所に警備の配置を設け、統一された命令系統のもとで大勢の者が動く。だから、皇族が外出するだけでも一苦労だし、外国への訪問ともなれば神経がすり減るほど大変だ。でも、秋篠宮殿下と妃殿下は、警備の苦労を軽くみている。ある警察関係者が次のように話していた。

  ご一家で福井県の恐竜博物館に行かれた時は、前日の夜まで警察側に日程の詳細が伝えられませんでした。そのため、大慌てで警備の準備をすることになり、現場は混乱を極めた。紀子さまが情報管理を厳格にしたがるお気持ちはわかりますが、警備を担当する側や間に立つ宮内庁職員は困っています。(上掲記事、「皇室特別レポート 紀子妃の大研究」)

  皇宮警察の不満は、合衆国大統領を警護するSPの仕事を観れば分かるだろう。昔、アメリカのテレビ局が、庶民と触れ合うバラク・オバマ大統領の映像を流したことがある。黒人初の大統領に感動したのか、オバマを迎えた群衆の中に、中年の黒人女性がいた。大はしゃぎのオバちゃんは、左手に携帯電話を持ったまま、笑顔でオバマに抱きつき、両手を大統領の首に巻き付けてしまった。他の観衆に気を取られていたSPの男性は、ハッとしたのか、慌てて彼女の手をサッと払いのけ、オバマを守るように引き戻した。

  これを観た警護チームの上司は、「あっ!」と声を上げ、一瞬で青くなったはずだ。なぜなら、警護の基本として、何かを持っている者が大統領に近づくことは、決して許してはならいからだ。手をポケットに入れて、パレードを見ている者にさえ、ちゃんと警戒しなければならないのに、金属を手にした者が大統領に抱きつき、後頭部を触れば一大事となってしまうだろう。もし、彼女が暗殺者なら、確実にオバマを殺せたはず。アメリカの警護官でも、“うっかりミス”で取り返しのつかない事態を招いてしまうのだ。

  こうした事情を知れば、日本の警護官が気まぐれで動く秋篠宮殿下と妃殿下に不満を抱くのは当然だ。それに、タイでの警護となればもっと大変となる。SPは訪問先の場所を予め調査しなければならないし、どんな人物が罠を仕掛けてくるのか分からない。タイのような東南アジアだと、拳銃や化学薬品、生物兵器を密輸するのは簡単で、工作員が現地の役人と連携すれば、暗殺や妨害行為はもっと簡単だ。

  王族の警護は本当に大変で、英国王室だって例外じゃない。例えば、王室のSPやMI6はアンドリュー王子の“火遊び”を未然に防ぐことができなかった。信じられないことに、アンドリュー王子はバイシュン業者のジェフリー・エプシュタイン(Jeffrey Epstein)と親しくなり、このユダヤ人からヴァージニア・ロバーツ(Virginia Roberts Giuffre)を紹介され、彼女を3回も犯した。当時、17歳のヴァージニアは、エプシュタインに囲われており、彼の恋人であるギレーヌ・マクスウェル(Ghislaine Maxwell)にも利用されていた。この少女はロンドンにあるマクスウェルの家とマンハッタンにあるエプシュタインの家、ヴァージン・アイランドにあリトル・セイント・ジョンの三カ所で王子と性的関係を持ったそうだ。この淫行が暴露されたことで、アンドリューー王子は赤っ恥をかき、ロバーツ氏に対し360万ポンドの和解金を払う破目になったという。(Tom Sykes & Tim Teeman,‘Prince Andrew’s Settlement With Virginia Giuffre Was $3.6M, Not $14.5M, Report Claims,’The Daily Beast, August 07, 2022.)

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(左 : ヴァージニア・ロバーツやギレーヌ・マクスウェルと一緒のアンドリュー王子 / 右 : 軍人として勤務するアンドリュー王子)

  このスキャンダルはエリザベス女王の晩年を穢すことになり、息子の愚行を聞いた女王は深く傷ついた。何しろ、第二次世界大戦の国難を乗り越えた女王は、国家と王室の権威を何よりも先に考えていた。それゆえ、王族の破廉恥行為に関しては非常に厳しい。となれば、アンドリュー王子の親不孝は、相当なショックであったに違いない。この破廉恥行為により、アンドリュー王子は海軍からも批判され、軍人としての名誉称号は全て褫奪(ちだつ)されることになった。彼は兄であるチャールズ国王の戴冠式には出席したけど、ヘンリー王子と共に王室の“恥曝し”となっていた。あの光景は日本人が見ても憐れに思える。

  それにしても、なぜ優秀なMI6がモサド(イスラエルの諜報・謀略組織)の罠に気づかなかったのか? 前々から、エプシュタインはモサドの飼い犬と判っていたはず。たぶん、MI6と王室の警護官は知っていたけど、忠告を聞かない王子を見捨てたんだろう。おそらく、若い女の肉体に溺れたアンドリュー王子は、うるさいSPを斥け、監視の目を遠ざけたんじゃないか? いくら何でも、側近や警護官は何度か注意したはずだから、アンドリュー王子が耳を貸さなかったに違いない。

  イギリス人は忠誠心に富んでいるが、救いようのないアホに対しては冷たいから、傲慢なバカ王子には匙を投げ、「好きにしろ!」と突き放したのかも知れないぞ。セックスに夢中のアンドリュー王子は、側近から見放されたことに気づかず、卑劣なエプシュタインと付き合っていたから、秘密の悪事がバレてしまった。文字通り、「裸の王様」となった王子様は、快楽の対価として高い代償を払うことになった。ロバーツから「王子はセックス中にたくさんの汗をかく」とバラされたんだから、母親のエリザベス女王は死にたくなるだろう。疫病よりも怖い息子の不祥事なんて・・・。

  バイシュンで名高いタイへ何度も赴く秋篠宮殿下が、「タイ人の少女に夢中」ということはなかったが、もし、外国勢力に何らかの秘密を握られたら本当に恐ろしい。また、今までのように自由気ままな生活を送っていると、やがて国民の多くが殿下の素性を疑うようになるから、これも別な意味で危険である。もし、民衆が「本当に上皇陛下の息子なのか?」と疑ったら皇室の一大事。そうじゃなくても、男系男子の皇統を支持する八木秀次が、「Y染色体」を持ち出して、男系の重要性を説いたから、左翼陣営が「それなら、皇位継承にはDNA鑑定を必須にしろ!」と言い出しても不思議じゃないぞ。

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(左 : 親戚の安西孝之 / 安西氏と親しい秋篠宮殿下 / 若い頃の上皇陛下 / 右 : 若い頃の天皇陛下)

  筆者は男系の皇統を望むが、たとえ実子じゃなくても、立派な皇位継承者ならいいと考えている。なぜなら、男系男子の血筋は“信仰”に基づく。皇統の継続は厳密な“科学”と相容れないから、人々が「歴代天皇の子孫」と思っているうちは大丈夫。だいたい、千年ないし二千年前から続く皇統といっても、本当に同じ「Y染色体」が続いている、と誰が証明できるのか? もし、側室の誰かが天皇以外の男性と肉体関係を結んだら、非皇族の精子が皇子に受け継がれ、謎の家系となってしまうだろう。そもそも、江戸時代や室町時代、鎌倉や平安時代の宮中で、女性に対する厳格な監視など出来ないから、不義密通の防止は事実上“不可能”だ。

  これは昭和や平成時代でも難しく、もし、女系支持派の国民が、「上皇陛下や皇太后陛下の唾液と、秋篠宮殿下の唾液を採取して鑑定すべし!」と要求したら、宮内庁は実行するのか? 侍従長や宮内庁長官は、必死になって反対するし、政治家だって恐ろし過ぎるので口にすることすら出来ないだろう。もし、DNA鑑定の結果で親子関係が証明できなければ、ワタドショー・スキャンダルどころの騒ぎじゃない。日本国中が震撼するほどの衝撃となるだろう。それゆえ、どんなに疑惑が生じても、宮内庁は絶対に科学的方法を用いることはない。

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(左 : 幼い頃の文仁親王殿下 / 中央 : 大学生になった時の文仁親王殿下 / 右 : 鯰に夢中の秋篠宮殿下 )

  悠仁親王殿下には“不安な要素”が多く、「本当にあれで天皇の役目が務まるのか?」と疑われてしまうだろう。でも、一般の日本人は長年の慣習や前例の踏襲を優先するから、「波風を立てずに、昔ながらの伝統に従えばいい」と考える。たとえ、悠仁親王殿下が頼りなくても、「あの殿下でもいいよ」という意見が主流となるだろう。おそらく、令和が終われば悠仁親王が皇位に就くはずだ。しかし、途中で悠仁殿下の「お妃選び」に難題が持ち上がるから、ご結婚の時に再び、色々な議論が沸き起こってくるだろう。賢い女性がプリンセスになってくれればいいが、小室圭の女性版がフィアンセになったら大変だ。マスコミは一斉に彼女の過去を洗い出すから、どんなスキャンダルが飛び出てくるのか判らない。

  また、家族や経歴に“疑惑”がある女性だと、これまた世間があれこれ騒ぐし、「結婚反対!」の抗議デモが起きてもおかしくない。それに、交際する女性が在日支那人の娘や帰化鮮人の娘なら、これまた大騒ぎで、宮内庁の職員は頭が痛くなる。もし、彼女の家族や親戚に賭博業者(パチンコ屋とかバカラ賭博の関係者)がいれば、雑誌記者があれこれ嗅ぎ回るし、半グレのチンピラがいれば、宮内庁の役人は目眩がしてくる。たとえ、何とか御成婚となっても、新たなプリンセスが派手好きで、皇太后陛下よりも酷ければ、貧困化した庶民は大激怒となるだろう。日本にだって、イメルダ・マルコスのような“女帝”が現れる可能性は充分ある。さらに、悠仁親王夫婦に男子が生まれず、女子ばかりとなれば、再び女系論者が火を噴く。こうなれば、秋篠宮家を支持する勢力と、愛子内親王殿下を復帰させる党派で論争となり、国論は真っ二つに割れてしまうだろう。

  男系論者にとって疑問なのは、「どうして旧皇族の復活や男子皇族の養子が未だに実現されないのか?」という点である。伏見宮は「もう一つの天皇家」とか「血のストック」と言われるくらい、皇統の危機が来た時に皇室を守る役割があるはず。だが、30年くらい皇籍復帰が叫ばれても、一向に復帰がなされていないということは、伏見宮とか加陽宮、久邇宮に適当な男子皇族が居ないのかも知れない。男系論者は「元皇族の復帰」を求めるが、一旦“民間人”になった皇族は、徐々に“世俗化”してくるし、孫や曾孫の世代になると“皇族意識”が無くなり、“一般国民”の意識しか持たない。「皇族」というのは皇室の雰囲気というか、皇族の家訓や家風の中で育たないと、皇族の品格や威厳を身に付けることは出来ないものだ。

  したがって、もし天皇家が男系皇族の養子を取るとすれば、赤ん坊の状態で迎え入れるしかない。そして、迪宮(後の昭和天皇)殿下が川村純義(かわむら・すみよし)中将のもとへ預けられたように、養子になった男子も天皇陛下か軍人の家庭で育ち、帝王の風格を身に付けることになる。昭和天皇の教育を知っている国民なら、悠仁親王殿下の立ち居振る舞いを見てガッカリするけど、占領憲法やリベラル思想にかぶれた宮家ではしょうがない。でも、気骨のある国民だと、「秋篠宮家は一体、どんな教育をしているんだ?」と愚痴りたくなる。トンボを観察したり、稲を触ること、あるいは九州への観光旅行は、皇太子への訓育じゃない。漫画じゃあるまいし、「東大一直線」のエリート教育なんて馬鹿げている。裏口から東大へ入学できたら、財務官僚で目指すのか? たとえ、「東大卒」で「英国留学を経た博士」になっても、日本の庶民は悠仁親王を尊敬しないだろう。むしろ、「裏口の宮ズル仁天皇」と呼んで笑うだけだ。

  言論界では男系論者と女系論者の言い争いがあるけど、最終的には天皇陛下が決めることなので、庶民は陛下の決定に従うだけだ。たぶん、陛下は悠仁親王殿下の皇位継承を望まれるはずだから、旧皇族の復活を望む国民でも、秋篠宮家の血統で我慢するしかない。まぁ、令和30年くらいになれば、アジア系帰化人やアジア系混血児が増加しているので、昔のような尊皇精神は希薄になり、皇室は単なる「セレブ家族」程度になっているだろう。もしかすると、日系の原住民が持て囃す「観光名物」になっているのかも知れない。たぶん、宮内庁がPR会社に大金を払って悠仁親王殿下の宣伝に努めるから、表面的には問題なし。でも、山崎豊子が題材にしそうな「華麗なる一族」じゃ困るけどね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68931686.html

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