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テレビドラマ 田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 竹下景子『北の国から フジテレビ 1981年』

1:777 :

2022/05/22 (Sun) 10:14:51

テレビドラマ 田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 竹下景子『北の国から フジテレビ 1981年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/843.html

倉本聰 北の国から
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/616.html


テレビドラマ 天宮良・石田えり『昨日、悲別で 日本テレビ 1984年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/848.html



 
2:777 :

2022/06/21 (Tue) 23:02:59


「北の国から」 黒板五郎と令子の履歴 と 年齢についてのお話し
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2711.html?sp

富良野にある「北の国から記念館」に、「脚本は、登場人物の履歴を創ることから始まる」として、五郎・令子・雪子の履歴が展示してあります。

初期の設定ですので実際のドラマの中では年齢などが違っていたりします。


キャストの設定などもあるのでしょうけど、最終的には完成された映像としてドラマを見るのですが、実はその裏側で何があったのか何故そうなったのか…、そんなことを想像するのが面白かったりします。

まずは、展示されている「黒板五郎の履歴」を忠実に…。


S20.1.5. 北海道上川郡下富良野町字麓郷に農業黒板市蔵、うめ五男として生れる。

S25.4.  同所麓郷小学校入学

S27.10.  父市蔵死亡

S31.4.  麓郷中学校入学
      教師田中文雄より剣道の手ほどきを受ける。

S33.7.  同校後輩吉本咲子に初恋。
      兄 直治に呼び出され、殴られてあきらめる。

S33.9.  剣道初段。交番の看板を盗んで捕まり、譴責処分。

S35.4.  富良野工業高校入学、剣道部に籍を置く。

S35.10.  次兄、三兄を炭鉱事故で同時に失う。同じ頃、富良野女学校1年生牛久山百合子と恋愛、童貞喪失、同時に一発で妊娠さす。(友人カンパで処分し、表沙汰にならず)

S36.11.  百合子友人前野タカコと恋愛、又一発で妊娠。(同上処分)前後して元同級生菅原絹子も妊娠させ、「一発のゴロ」の異名をとる。

S37.4.  同校卒業と同時に集団就職で上京、東京田端の中村製鋼所に旋盤工見習として入る。自動車免許とる。

S38.1.  母うめ死去。

S39.12.  つとめ先事務員岡田みどりと不祥事を起し、馘になる。

S40.3.  東京上板橋あけぼの自動車修理工場に見習いとして入社。

S40.10.  正社員に採用。

S42.5.  中央区築地高津自動車サルベージへ転職。

S43.2.  同社近くの栗山理髪店店員宮前令子(当20才)を知る。

S43.6.  周囲の反対を押し切って(子供ができたので)結婚。24才。

S44.1.  長男純誕生。

S46.5.  交通事故起し、会社を馘になる。

S46.6.  青山三丁目、坂田商会ガソリンスタンドに入社。

S47.1.  長女蛍誕生。

S51.4.  坂田商会淀橋支店に配転。この頃より妻令子、新宿の美容院「ニュー・ワカバ」につとめ出す。

S53.12.  令子に男ができたことを知る。

S54.5.  令子、突如逐電。呆然。

S55.4.  北海道へ帰る。

続きまして、宮前(黒板)令子の履歴。

S.24.5.  東京都新宿区柏木に都水道局々員 宮前豊 房子長女として生まれる。

S29.4.  柏木第二小学校入学

S29.7.  母 房子死亡

S30.1.  父 豊 今井高子と再婚

S32.4.  異母妹 雪子誕生

S35.4.  柏木中学入学

S37.10.  同校上級生 村井修と恋愛。継母高子の干渉でこわれる。この頃より高子と折合い悪くなる。

S38.4.  淀橋高校入学 小学校時代の同級生 田辺郁男と交際、処女喪失。田辺の所属する暴走族鬼走会のメンバーと付合うようになる。

S.39.2.  不純異性行為により挙げられる。停学4日間。その後家出し、二週間後につれ戻さる。

S.40.10. 父豊死亡。

〃 12. 再度不純異性行為により検挙。退学。

S.41.3.  美容師学校へ通い出す。も続かず。

S.42.7.  中央区築地栗山理髪店に見習として勤務。かたわら築地美容師スクールに通う。

S.43.2.  同店近くの自動車修理工場 高津自動車サルベージの修理工 黒板五郎を知り恋愛。

〃 6.  結婚。佃島に新居を持つ

S.44.1.  長男 純 誕生。

S.47.1.  長女 蛍 誕生。

S.51.5.  夫五郎の淀橋配転に伴い新宿三丁目の美容室ニュー・ワカバにつとめ出す。

S.52.12. 新宿三丁目喫茶店「キリ」経営者 桐島一郎を知る。

S.53.4.  桐島と厚木のモテルにて肉体関係出来る。

S.53.12. 夫.五郎.桐島の事を知る。

S.54.5.  夫と子供を捨て桐島の元へ走る。

S55.2.  四谷三丁目に、美容室「レイ」を出す。

上記の初期設定の履歴を見てどのようなご感想でしょうか。

なんとなく、昔からそれほど素行のよろしくない2人のようです。

さて、「北の国から記念館」に「北海道富良野市長 松田 忠一郎」の市長印のある「住民票」があります。

調べてみると転出・転入地の住所は現存していました。
問題はその生年月日に注目…。


黒板 五郎(くろいた ごろう)
生年月日 昭和9年10月10日
昭和55年10月16日 東京都中野区本町3-15-20 から 北海道富良野市字東麓郷の3 に転入。


黒板 純(くろいた じゅん)
生年月日 昭和46年4月1日


黒板 蛍(くろいた ほたる)
生年月日 昭和47年6月5日


当初の設定では、23歳の五郎と19歳の令子。「できちゃった婚」で生まれたのが「純」という黒板家になりますね。富良野へ戻るのは、五郎35歳、純11歳、蛍8歳。


ところが「住民票年齢」では「純と蛍」は年子になっていますね。

しかも、五郎が昭和9年生まれだとすると、34歳の五郎が15歳年下で19歳の令子と「できちゃった婚」。純は34歳の時の子供になります。富良野へは、五郎45歳、純9歳、蛍8歳。

ちなみに昭和9年は倉本聰が生まれた年ですね。。。

こうなると、「北の国から」の連ドラが始まった1981年当時の実年齢が気になってしまいます。


田中 邦衛 49歳
いしだ あゆみ 33歳
吉岡 秀隆 11歳
中嶋 朋子 10歳

竹下 景子 28歳
岩城 滉一 30歳
大滝 秀治 56歳
地井 武男 39歳


見た目と実年齢のギャップがありますが、少なくとも「純と蛍」が3歳違いの兄妹には見えませんものね。
それにしても田中邦衛の年齢は不詳って感じですが、35歳は無理があるかと…。
3:777 :

2022/06/27 (Mon) 14:53:06

あげ4444
4:777 :

2022/06/27 (Mon) 14:55:41


日本人の北海道楽園幻想は映画やドラマで人為的に作られたもの


倉本聰 は西武の堤義明の親友で西武 富良野プリンスホテルの宣伝の為にドラマまで作った

テレビドラマ 田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 竹下景子『北の国から フジテレビ 1981年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/843.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/616.html

テレビドラマ 天宮良・石田えり『昨日、悲別で 日本テレビ 1984年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/848.html

プリンスの墓標 堤義明怨念の家系
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/373.html


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2011.10北海道旅行2日目-7「ニングルテラス」「森の時計(ドラマ優しい時間)」編
http://4travel.jp/travelogue/10612042

北の国から2009
http://megumin.sakura.ne.jp/report/hurano/hurano.htm
http://megumin.sakura.ne.jp/report/hurano/hurano2/hurano2.htm
http://megumin.sakura.ne.jp/report/hurano/hurano3/hurano3.htm


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【北の国から】西武お抱えの倉本聰【優しい時間】


1 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/03 22:36:25 ID:CJGP3D83

倉本聰脚本の優しい時間が8話目を迎える。 老人の懐古主義と陰口を叩かれながらも、時流に媚びない本格派ドラマを謳う同ドラマ。

その倉本聰と逮捕されたばかりの西武・堤義明とは麻布学園で中高と同級生であり、昵懇の間柄である。


昭和47年、富良野にスキー場を開設。
49年、富良野プリンスホテル開業。
52年、ワールドカップ開催。

同年夏、倉本は富良野に移り住み、57年に、あの「名作」北の国からがスタートした。

好評を博した同ドラマにより、富良野の観光客は80万から200万人に激増した。

堤義明と倉本聰の友情が生み出した奇跡だ。

だが、堤が逮捕された今、それを美談と賛美できる人間がどれほどいようか?

倉本は、「北と国から」は堤との関係で始まったものではない。

1作目についてはフジテレビの鹿内と村上とで考案したものだと主張している。

だが、その後のシリーズでは富良野プリンスから数々の便宜を図ってもらったと認めているのだ。

つまり「北の国から」は、実質西武ビジネスのプロモーション作品としての意味が大きかったのだ。

ちなみに倉本聰初監督映画は中島朋子主演のフィギアスケート物語で、それらは品川プリンスホテルのスケートセンターを無料で提供してもらって撮影されたもの。

そして視聴者のどれほどが、今放送中「優しい時間」の舞台となっている喫茶店が、今、話題となってる堤西武グループ・新富良野プリンスホテルの敷地内にあることを知っているだろうか?

さて、フジテレビアナウンサーの里谷がDV離婚・白人との公然猥褻/暴行事件が発覚したが、スキーモーグル選手だった彼女がフジに入社できたのは堤が親密なフジ日枝に依頼したからだと言われている。

そしてフジテレビが今、コクド→西武で問われた親子資本関係のいびつさと全く同種の欠陥をつかれ、ライブドアに乗っ取られかかっているのは皮肉な話だ。

「優しい時間」と同時期のこの冬公開されている映画「北の零年」主演・吉永小百合と言えば、 言わずと知れた堤との“特殊な関係”。早稲田大学時代には堤から単位取得の後押しを申し出られている。

またに徒党の円環構図と言えよう。

「優しい時間」放送当日に堤が逮捕され、放送真っ只中、裏番組で堤のニュースが流されてるのは、腐臭を放つインサイダーの輪の中にいた、倉本聰への引退勧告である。

7 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 03:42:33 ID:hZS06KRr

自然を賛美してるようなドラマ作っていながらスポンサーはコクドかぁ

60 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/03/21(月) 14:52:13 ID:prGjtx4u 

ニッポン放送OBである脚本家倉本聰さんは

「僕はドラマを通して『心を洗う』ことにこだわってきた。
今回の騒動は、収益率を上げ、カネもうけしようという最近のテレビの功利主義的な姿勢を突かれてしまった側面を感じる」と語る。
http://www.asahi.com/business/update/0321/013.html

お前も長年西武の金儲けに手を貸してきたじゃないか。
何を偉そうに言ってんだよ。

15 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 16:18:40 ID:9vtdx0/5

レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」は、 映画としてどれだけ優れてようが、それがナチスのプロパガンダであるという事実を無視して評価はできないからな。

倉本の「北の国から」の中身がどうであろうが、実態としてそれは西武リゾート開発のプロモーションであるという現実は否定すべくもない。

「民族の祭典」だって世に出た当時は偉大な作品、しかし今は・・・だよ。


9 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 04:13:50 ID:Ti/9wkG

近年のトレンディードラマとか酷評してただろ、倉本は。

そんなご立派な男がさ、裏で環境破壊ビジネスやってる西武堤のひも付きで、ビジネス後押しドラマやってた、つうことになったら、言ってきたこと、創ってきたことの全てにおいて、説得力を喪失するぜ。

シャープの“環境に優しい”家電製品のCMに出てる吉永小百合が、 仮に堤の愛人だったとしたら実に嫌なことだろ。 そんな女優に環境がどうとか言われてもなあ。

パトロンがいるから悪いということじゃない。
倉本の作品が壮大なCMに過ぎなかったということが問題なんだよ。

33 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/07 14:09:02 ID:/cdS/YH1

私企業ビジネスのインフラが、税金で整備されたのだと思えば見方も変わってくるよ。

長野新幹線見てみろ。あれは田中角栄が新潟に新幹線引っ張ったのと同じだ。

堤はスポーツ協会牛耳って招致委員会作り、多額の裏金が問題になった五輪誘致に成功して、自分とこの商売に税金投入させたんだよ。

それを富良野でもやってたわけだ。

その一連のどす黒い動きの中に倉本作品が位置づけられてるんだよ。

富良野の景色見て感動してる奴は、諫早湾干拓事業を絶賛してる馬鹿同様の大間抜けだ。


10 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 05:06:38 ID:u+xo4CB8

堤は環境破壊どころか税金払ってないからな。

49 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/10 17:50:51 ID:/gD7aDjq

倉本そーは尊敬してたが今回の露呈で失望したな。

都会流を痛烈に批判して筋金入りの自然擁護主義で富良野塾の教え子にも強制していたが、いくら鼓が同窓生でも西部がやっていた環境破壊行為は耳にしてただろう。
その時点で奴とは縁を切るべきだったろうに。

いくらいい脚本書いてもその思想と行動の矛盾が生じたら一気に冷めてしまうもんなんだよね。

長渕強しがいい例だけどそういえば倉本は長淵大好きなんだっけな・・

75 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/03/27(日) 08:28:23 ID:uN4C0fCZ

綺麗ごとや説教いう人なんて裏はそんなもんだよ。

せりふが説教じみていて、北の国から嫌いでまったくといっていいほど(家の人が見ていたので多少せりふは耳にはいった程度)見ていない。

無名だった富良野を全国的に有名な観光地にした一種の街おこしとしては意味があっただろうね。

うるおったのはプリンスだけじゃなかっただろうし・・


20 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 17:50:30 ID:ypqMFYzf

堤逮捕で裏話が氾濫するようになったから初めてわかってきたことが多いだろ。
倉本と堤の関係とかね。

中学・高校の同級生で、昨年秋以降、西武疑惑が浮上してから、

堤と倉本が電話で連絡とって話たりしてたなんて逮捕まで誰も知らないし、
それ以前に、映画のフィギアってもろ西武関連。

『時計 Adieu_l'Hiver』(1986)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17752/story.html


>二郎はアイスホッケーの極東製紙チームの監督をしており

富良野だって特に勘ぐらなきゃ、ことさら西武を連想したりしないだろ。
意識させないで富良野(のバックの西武)の売り込みに成功したわけだから、
その意味じゃ倉本は“CMプランナー”としては有能なのかもな。

31 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/07 07:05:21 ID:A2ChBgH
>>20
ちょっと西武のこと知ってるなら、堤と倉本の関係ぐらい誰でも知ってるよ。


82 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/04/10(日) 22:10:37 ID:R7YaULv8

倉本と堤は高校の同級生。


83 :名無しより愛をこめて:2005/04/16(土) 15:30:16 ID:s4sZ6L1m
>>82
その倉本聰と逮捕されたばかりの西武・堤義明とは麻布学園で中高と同級生であり、昵懇の間柄である。

おまいは>>1も読めんのか
堤は早稲田の旅行サークルの仲間も、大量にコクドに入社させている



28 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/06 17:54:21 ID:xTOtJy3q

>好評を博した同ドラマにより、富良野の観光客は80万から200万人に激増した。
>堤義明と倉本聰の友情が生み出した奇跡だ。
>だが、堤が逮捕された今、それを美談と賛美できる人間がどれほどいようか?


数百億かけて作ったリゾート施設が閑古鳥が鳴いているところが多いのに、
制作費数億でこれだけ観光客を増やせたというのは逮捕とは関係なく賞賛できるが。


57 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/19 07:21:17 ID:qqAWoQaV

「優しい」喫茶店がオープン

 放映中のテレビドラマ「優しい時間」(フジテレビ)に登場した北海道富良野市の喫茶店「森の時計」が19日、 一般向けにオープンする。撮影の終わったロケセットをそのまま使用、新しい観光スポットとして人気を集めそうだ。

場所は新富良野プリンスホテルの敷地内。倉本さん主宰の「富良野塾」OBで、マスターになる小暮忠広さん(41)は「ゆったりとした時間の中でくつろいでほしい」と話している。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2005/03/19/03.html

59 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/20 00:39:52 ID:BNSMFLUJ
>>57
西武に金をおとしたくはないな
税金払えよ > 堤


39 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 20:09:29 ID:7jnn/Pxi

確かフィギュアの渡辺絵美は堤に食われてたはず


40 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 20:49:28 ID:W7xA0ub
>>39
彼女は徹底拒否して、プリンスホテルにいられなくなって、 カナダかどこかで一からやり直したらしいよ。
文春で告発してただろ。

ってことは、美人で西武に居続けられた人は全部、堤に身を委ねた可能性が高い。

42 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 21:32:47 ID:C2yYwVKE

 渡部がセクハラを受けたのはインスブルック五輪に出場した直後の17~18歳のころで、フィギュアスケート界のアイドル的存在だった彼女は、当時40代の堤義明に

「俺の女になれば、スケートリンクの一つや二つやろう」

「スケートを辞めるか、それとも続けたいか。どうする?」

と言われ、車の中で体を撫でられたり、新宿プリンスホテルの一室で、力ずくでベッドに押し倒されたりしたのだという。

 渡部はそれでも堤義明を拒否した。そうすると、コーチから

「そろそろスケートを辞めれば? 若手にチャンスを与えたあげなさい」

と言われ、品川スケートセンターのロッカーの鍵まで奪われることになった。ホームリンクで滑れなくなった彼女は、一時スケートをあきらめて、新宿でアルバイトをしていたこともあるという。

 そんな彼女の運命を変えたのはアメリカから届いた一本の電話だった。

彼女は再起を決意して米国に渡り、そこで練習を積んで見事にカムバックした。

79年3月の世界選手権ウイーン大会で日本人として初めて銅メダルに輝いた。

80年にアメリカのレークプラシッドで行われたオリンピックでも6位入賞を果たした。


西武王国の崩壊
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/seibu.htm

堤から、絵美はフィリピン人の血が入ってるからだからどうとかまで言われたらしい。


6 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 02:18:56 ID:h54YpGLI

堤はいつもプリンスホテルに泊めた女優の部屋を夜中に訪れるそうだが
沢口靖子には部屋のドアを10分ぐらいノックしてもシカトされたそうな。


46 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/10 15:23:59 ID:Lz4FEZwr

【話題】生々しい堤義明と沢口靖子のツーショット映像(ゲンダイネット)[03/10]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1110428183/


50 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/13 16:20:24 ID:cfKiEZda

http://homepage3.nifty.com/nonu/geinou.htm

週刊誌などで関係が噂された女優のイニシャルから推定すると、

OM(岡田茉莉子)、
TK(太地喜和子)、
SY(沢口靖子)、
MA(水沢アキ)、
YS(吉永小百合)、
MY(三田佳子)
KM(小谷実可子)、
MY(南野陽子)
YJ(八木沼純子)、
IM(伊東美咲)
SE(佐藤江梨子)。


51 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/14 00:21:03 ID:hiDl+wCk

女優食いまくりだな

52 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/14 08:30:39 ID:2302dLQu

吉永小百合の軽井沢の別荘をテレビで映してたがお隣さんがなんと細川もりひろさん
2人とも超格安で手に入れたそうな

53 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 00:36:47 ID:TGteWWO
>>52
彼も、西麻布のマンションに愛人の浅野ゆう子を囲ってたよね


54 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 03:52:16 ID:bAEJVgch

西武が株をインサイダー相対取引した企業の中に東映が入ってた。
東映と言えば吉永小百合だ。何か関係あるんだろうな。

38 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 16:42:31 ID:FsCR/H0Z

里谷の母親はフジ系列局の北海道文化放送で働いてるそうだ。
これも堤が日枝に頼んだのかな?

週刊アサヒ芸能 03/17号
「里谷多英 何と3Pまで繰り広げていた『公然SEX事件』の一部始終」

55 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 23:30:19 ID:oSpt+v9l

サトエリ・・・全裸開脚(*´Д`)ハァハァ・・・

8 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 04:12:53 ID:E6w+sIvg

堤とかホリエモンとか倉本とか里谷とかフジを取り巻く人間はどうしょうもねーなw
http://tv7.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1109856985/


▲△▽▼


>パトロンがいるから悪いということじゃない。
>倉本の作品が壮大なCMに過ぎなかったということが問題なんだよ。

つまり、倉本聰が本気で作ったのは「北の国から(TVドラマ・全24話) 1981年10月9日 - 1982年3月26日」だけで、

「北の国から ドラマスペシャル」と「優しい時間」は西武新富良野プリンスホテルの観光PRを目的にした手抜き作品だという事です。

確かに「北の国から(TVドラマ・全24話)」だけは見た後の感銘が全然違います。

長大な「北の国から ドラマスペシャル」も「北の国から(TVドラマ・全24話)」にはっきりと書かれていなくて意味がわからなかった部分の注釈として書かれているだけで、それ以上の価値は無いのですね:

「優しい時間」の優しくない感想

木曜10時はフジテレビで倉本聡のドラマ「優しい時間」をやってますね。

母が好きで欠かさず見ていて、私も2回に一回くらいおつきあいするんですが、う~ん、これで感動できる人は素直だなあと思います。

なんて書くと、高いところから見下ろしているようで嫌みですが、「どうせ私は嫌みな性格ですもん」と言いたくなる。

なんかこのドラマの批判ならいくらでも書ける気がする。我ながらいやらしい。

何度も言うようですが、「感動しろ」と迫ってくるくせに変な話が一番嫌い。

このドラマの涌井勇吉より、唐招提寺展のナレーションの方がよほど寺尾聡の魅力が出ていた。

これだけ書いたらやっとすっきりしました。(憂さ晴らしの場にしてしまってすみません)
http://urouro611.cocolog-nifty.com/diary/2005/02/post_5.html


218. 2016年1月13日 00:55:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[846]
▲△▽▼
倉本聰も「北の国から ドラマスペシャル」と「優しい時間」が何故ダメなのか自分の言葉でちゃんと書いていたんですね:


倉本聡が考えるテレビドラマ人気低迷の理由 2005/09/19


「視聴者はバカだから、という考え方がいつからか始まった。

説明し過ぎなんです。

そこにだれとだれがいますということを説明するため、10秒ぐらい費やす」

「(最近のドラマは)見なくなりました。見ようとすると、何だか汚れてしまうような気がするんです。嫌な気分になる。公共の電波を使って、何でこんなものをつくっているのかと怒りがこみ上げてくる。お客をなめるなよって」


たとえ不自然であっても、セリフで場面や登場人物を説明するシーンはドラマを見ているとよく出てくるが、この説明臭いシーンによって興ざめてしまうことはままあることなりよね。

「え、なんでこのシーンでその人の名前を口にするの?」とか(笑)。

すべての脚本家が「視聴者はバカだから説明しておかなくちゃ」と考えているわけではないと思うなりが、そうすることがドラマを作る上で当たり前のことだという風潮はありそうな感じはするなりよ。

視聴率の低迷が続き、今のテレビドラマは変革期に突入しているので、いろいろな部分を見直すにはちょうど良い時期。

倉本聡が指摘するように、視聴者をバカにしたような作りのドラマがもう受け入れられなくなってきたのは確かなので、良い方向に改善されていくと願いたいものなり。
http://www.narinari.com/Nd/2005094979.html


「北の国から(TVドラマ・全24話)」だけは一番肝心な事を一切語らなかったからこそ捉えどころのない不思議なオーラが出たのですね。


▲△▽▼


という訳で、『北の国から』というのは結局、
北海道の自然に憧れて移住すると自分の人生も子供の人生もすべて滅茶苦茶になるという話だったのですね:

みなさん、

『北の国から』というのは大自然賛歌のお話で、豊穣かつ厳格な北海道の大地で子どもたちがすくすく育つ物語

だと思っているのではないだろうか。

豊穣すなわち「母」、厳格すなわち「父」という記号に育まれる子どもたちのお話であると。
ちがうね。
『北の国から』は、恋という病に罹患して人々が損なわれるお話、とりわけ子どもが成長するどころか「壊れる」お話なのである。
このドラマは、adulteryやinfidelityすなわち「不倫」「不貞」「不義密通」(って大時代的な表現だ)を根源的な駆動力とする自己追放の物語であって、その余波で子どもが壊れるお話であり、

ついては「女はだめ」で「純愛」など決して成立せず、結局のところ物事の解決は家父長制原理に拠るという、書いているだけで手が震えてくるすごいお話なのである。
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~booomweb/Akimoto/cinewis19.html


「北の国から」の最初のシリーズを見るときつい


北の国からの最初の連ドラの再放送を見ていると心が沈む。 

純も蛍も、幼いながらも厳しい生活をけなげに送っているというのに、その後にああいう残念な未来が待っていると思うとがんばった甲斐がないと思う。 

純は結局底辺のフリーターにしかなれなかった。

自動車修理工場、ガソリンスタンド、そしてごみ収集。草太の農場を引き継いだときは浮上のチャンスだったが結局失敗。

都会の小学4年生で勉強が出来た純は、順調に行けばスーツを着て通勤するような職に就けていたはずだ。北海道に来た後でも、中学3年の頃「ペンチ」と呼ばれていた機械好きの少年だったことを考えると、高卒でどこかのメーカーで技術者として働くという可能性もあったと思う。

純の転落の最大のきっかけは、中学を出た後東京に出てきてしまったことで、あそこで富良野に残って普通の高校生活を送っていたら、普通に就職できて安定した生活が送れていたのではないか。あの時も、レイちゃんが夜逃げしたことで、東京に行く必要がなくなったのに、蛍に、「お父さんのがんばりを無駄にするな」ときつく言われて、東京に行く羽目になった。

五郎は子供のためを思って行動しているとは言うものの、子供に気を使わせて結果的に子供の行動を縛ることになってしまっている。


蛍も、緒方直人演じる勇次と付き合ってたころまではいい感じで育っていたのに、その後の不倫以降は転落の繰り返し。正吉と結婚したのに農場がつぶれて一家離散とか。

大きくなるときに五郎と一緒にいて、いつも五郎の気持ちを気にしながら育ったりしてると、そんなに素直には育たず、どこか影のある大人になるんだろうなという気はする。


雪子おばさんも幸せな結婚生活は送れなかったし、草太も亡くなったし、つららさんは風俗だし、中畑の奥さんは亡くなるし、五郎はいつまでたっても貧乏のままだし、そりゃ清貧はいいけどあんだけ頑張ったてきたんだからもっとうまくいったって良かったんじゃないかと思う。

もちろんドラマなんだから、平凡なサラリーマンになりました、普通の結婚をして普通に暮らしました、じゃダメなんだろうけど、

昔の、幼い頃の純とか蛍のかわいさを見てると、どんだけ頑張って生きていてもこれから底辺の暮らしをする厳しい未来が待っているんだと思ってさびしい気持ちになる。

今日の、「さようなら1980年」の回で、五郎の「この一年の君たちの頑張りを父さんは忘れないだろう」というセリフを聞いてなおさらそう思う。「その頑張りはそれほど大きな実は結ばないんだよ」と。
http://wjpqz29852.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-1abd.html


▲△▽▼


久しぶりにちょっとだけ『北の国から』について書かせてもらいます。


お題は「アダルタリーな恋愛症候群」。


みなさん、『北の国から』というのは大自然賛歌のお話で、豊穣かつ厳格な北海道の大地で子どもたちがすくすく育つ物語だと思っているのではないだろうか。

豊穣すなわち「母」、厳格すなわち「父」という記号に育まれる子どもたちのお話であると。

ちがうね。

『北の国から』は、恋という病に罹患して人々が損なわれるお話、とりわけ子どもが成長するどころか「壊れる」お話なのである。

このドラマは、adultery や infidelity すなわち「不倫」「不貞」「不義密通」(って大時代的な表現だ)を根源的な駆動力とする自己追放の物語であって、その余波で子どもが壊れるお話であり、ついては「女はだめ」で「純愛」など決して成立せず、結局のところ物事の解決は家父長制原理に拠るという、書いているだけで手が震えてくるすごいお話なのである。

このドラマでは実にさまざまな「色恋」が描かれます。
ちょっとその「症例」をピックアップしてみましょう。

【症例その1】令子(いしだあゆみ)と吉野(伊丹十三)

純と蛍の母の令子と吉野のおじさんの不倫。

そもそも第1話の冒頭はここから始まり、東京から富良野へ五郎ら親子が移り住むことになった直接の原因となる。つまり、この物語の基幹的な部分にあるのは、「母の不倫」なのだ。

そして令子は男を選んだことにより、「母性」「家庭」から追放される(子どもを奪われる)。


【症例その2】雪子(竹下景子)と井関(村井国夫)

そもそも雪子は井関と八年の長きにわたって東京で不倫関係にあった。
そしてその関係が破綻することにより、雪子は東京からみずからを追放し、富良野へ赴いて隠棲する。

『'84夏』では、不倫相手だった井関が離婚し、富良野に雪子を迎えにくる。
すると雪子は恋人の草太を捨てて、井関とともに東京に去る。(五郎は「はなはだ納得いかないっ」と怒る。)

それから14年を経た『'98時代』になると、雪子は突然また富良野に戻ってくる。結局、井関とも離婚し、一人息子の大介も先方の家に取られる(というか「おばあちゃん子」の大介はおばあちゃんのいる父親の家を選び、事実上、雪子は子どもに捨てられるのだ)。

かつての姉、令子と同じく、雪子は「家庭」と「母親であること」から追放され、二度にわたって東京から自己追放することになる。

最終回の『2002遺言』では、大介が十代の若者となって富良野に登場するが、周りの人間と一切コミュニケーションをとろうとせず、つねに携帯電話に耽溺している「壊れた子」になっている。


【症例その3】草太(岩城滉一)とつらら(熊谷美由紀)

草太は許嫁のつららを裏切って雪子に入れあげる。その結果、つららは出奔して行方不明となる。

【症例その4】五郎とこごみ(児島美ゆき)

こりゃ不倫とはちがうか。

バー「駒草」の女こごみは「ちょっと頭が足りないのではないか」と思われるほどお人好しで、すぐ哀れっぽい男に同情して関係をもってしまう「尻軽女」(こんな大時代的な言葉が今でもワープロ変換可能だとは、ちょっとびっくりである)。そもそもこのような「不倫症候群」のこごみと五郎は付き合うんだけど、そんとき五郎はまだ令子と正式に離婚はしていないのである。(あー、やっぱ不倫だ。)


【症例その5】(『'87初恋』)純とレイちゃん(横山めぐみ)

思春期の純愛ですけどね。純は親友のチンタが惚れてたレイちゃんを「横取り」すんだよね。
そう言えば、横山めぐみ、こないだ離婚したね(カンケーないけど)。

【症例その6】(『'89帰郷』)蛍と勇次(緒形直人)

これも純愛っすね。
でも蛍は「父の五郎に対する裏切り」という罪の意識を持ち続ける。(だって蛍は富良野に来てからずっと五郎に対しても「母のような」存在であり続けてきたのだから。)


【症例その7】(『'92巣立ち』)純とトロ子(裕木奈江)

純には遠距離恋愛中のレイちゃんがいるんですよお。

なのに東京でトロ子とデキてしまい、レイちゃんに対して二股かけるんだ。
で、結局トロ子はデキちゃった赤ん坊を堕胎し、「東京は卒業した」と言って九州に帰郷する。

子どもは損なわれ、東京から自己追放するわけ。

そして問題解決には、五郎の土下座と、なによりもトロ子の伯父(菅原『仁義なき戦い』文太)というウルトラ父権主義の介在を要しました。


【症例その8】(『'95秘密』)純とシュウ(宮沢りえ)

しつこくレイちゃんと遠距離恋愛しつつ、純はシュウと二股をかけまする。

そもそも、シュウは東京でアダルト・ヴィデオに出演していた過去をもち、またぞろ東京から自己追放して帰郷してきた人なんだよね。

それからレイちゃんも立派に二股かけてます(んで、結局その男と結婚する)。
宮沢りえ、いろんな賞をもらっておめでと。きみは実人生でたぶん幸福になれないかもしれないけど、役者として大成することを祈る(祈ってほしくないか)。
横山めぐみは離婚の苦難を乗り越えても役者として大化けするかどうか……。


【症例その9】(『'95秘密』)蛍と医師の財津(一度も顔を見せないが、奥さん役の大竹しのぶが登場)

不倫話の極めつけですね。
「あの」蛍がはじけてしまうんです。

看護婦をしている蛍は、勤務先の財津先生とデキてしまい、旭川へ駆け落ちします。

駆け落ちってのも自己追放のひとつの形式と言えましょう。

蛍は幼少のみぎり、母である令子の浮気現場を目撃してしまったんですね。
それがトラウマとなっていることは、フロイトにもユングにもラカンにも訊かずともわかる。

蛍は母の行動を無意識のうちに模倣し、母と同じ行動を強迫神経症的に反復するという、抑圧された衝動があると見た。

そもそも、蛍も「損なわれた子」なのでした。みずからのトラウマを引き受けたのみならず、父の五郎のトラウマも癒すべく母親的役割を果たしてしまいました。

子ども時代に「ちゃんとブチ切れわがまま」を言って十分「子ども」をすることをせずに、家庭のなかで「静かに見守る慈母」のごとき役割を引き受けたために、大人になってから幼少期の抑圧が爆発してしまったんですね。

どーん。


【症例その10】(『'98時代』)蛍と正吉

結局、蛍は不倫相手の財津先生と別れて富良野に戻ってきます。お腹には財津の子がいます。

五郎の気持ちを慮って、草太にいちゃんが「ない頭使って」奸計を謀り、正吉を蛍のお腹の子の「父」であることに仕立て上げ、蛍と結婚させます。

このようにこの関係は「嘘」を基盤として成立します。
五郎も純も騙すんだね。

この虚偽に対する物語力学上の代価は、草太の死でありました。


【症例その11】(『2002遺言』)純と結(内田有紀)

結は事実上のバツイチだけど離婚はしていない。まだ人妻である。(あ"、やっぱ不倫だ。)

シリーズ最終回でどうやら純と結はうまくいきそうでありますが、死の影がやっぱり付きまとう。

ここでは五郎が不治の病にかかっていることが示唆されます。
和夫(地井武男)の妻みずえは癌に冒されています。

そして次の世代の大介は、完全に壊れた子どもとして登場します。


なんだなんだあ。
こんなにいっぱいあったんか。それから草太とアイコ(美保純)ってのもあったな。

『北の国から』ってトレンディ・ドラマだったのでしょうか。

こうしてみると、いくつかのことが明らかになります。

まず、個々人の「不倫」「不義」の「動機付け」がほとんどまったく描かれていないということ。

不倫の動機は云々されず、不倫が物語の動機となってストーリーをドライヴしていくのである。

それから「純愛」なるものは成立しないということである。

純とレイちゃん。蛍と勇次。純とシュウの哀しい純愛物語。

ものの見事にぜんぶ成就しませんね。
がんがん壊れていきますね。

正吉と蛍の結婚は虚偽に基づきます。

その虚偽を作りだし遂行したのは、草太にいちゃんの力業によるところです。

もう完全に「母親化」した優しい五郎の代わりに、冷徹なリアリストと化して事業を拡大し、地域を支配しているかのような草太が父性原理を発動するわけです。

正吉と蛍はこのような父性原理を媒介として結ばれます。

草太は物語作者にして演出家となり、富良野の家父長制を代表する人物となるのですが、その代償は死です。

結と純の場合も、結の義父の超パワフルな漁師、吾平(唐十郎)という別の圧倒的父性原理の媒介によって初めて結ばれるわけです。

したがって『北の国から』とういのは、とってもアダルタリーな物語群であって、父権主義によって統括されたお話だったのでした。


うーむ。

倉本聰くんって、とってもアンチ・フェミニストな父権制擁護論者だったんだ。

それにしても純はなんだかんだ言って、けっこうモテるじゃないか。

東京では同級生のケイコちゃん(「拝啓ケイコちゃん」の手紙の宛先)でしょ、

富良野では同級生の中畑ンちのすみえちゃんでしょ、

中学ではレイちゃんでしょ、

高校で東京に行ったあともヤンキー娘のエリでしょ、

「遠距離恋愛」のレイちゃんとも続いているのにトロ子とできちゃうでしょ、

北海道に戻ってからはシュウでしょ、

そんで実人生でも結婚することになった結(内田有紀)でしょ。

ええと、ひとり、ふたり、さんにん、よにん……。あほくさ。

くそ、純のやつ。ゆ、ゆるせん。
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~booomweb/Akimoto/cinewis19.html
5:777 :

2022/06/27 (Mon) 15:13:34


「倉本 聰」とは…。 vol.1 ~ニッポン放送退社まで~
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2680.html


倉本 聰(くらもと そう)は、「北の国から」をはじめ多くの作品を創作した日本を代表する脚本家・劇作家・演出家です。

「北の国から」のお話を進めるにあたり、まずは作者である「倉本 聰」を少しだけでも知らなくてははじまらないと思います。それはその生き様自体が作品に反映されているのだろうと想うからです。

とにかく作品数が多く簡単に…というわけにはいきません。そこで、「シナリオ作家として独立」「東京時代」「札幌時代」「富良野時代」と分けてみようと思います。


「倉本聰 界隈」 
http://www.kuramotoso.jp/index.html


というホームページがあります。

ちなみにホームページには書かれていないようですが、本名は「山谷(やまや) 馨」です。

・略歴

昭和10年(1935) 0歳 1月1日、東京・代々木に生まれる。

昭和30年(1955) 20歳 東京大学文学部入学。俳優座スタジオ劇団、劇団「仲間」文芸部に入る。

昭和34年(1959) 24歳 東京大学文学部美学科卒業。ニッポン放送入社。

昭和35年(1960) 25歳 「パパ起きてちょうだい」(日テレ)、倉本聰の名でデビュー。

昭和38年(1963) 28歳 ニッポン放送退社。シナリオ作家として独立。

・テレビドラマ脚本 ※連続ドラマ

'59 「パパ起きてちょうだい」「お母さん 七つの子」
'61 「教授と次男坊※」
'63 「現代っ子※」「ぼうや※」


一方、正確かどうかは別にして「Wikipedia」の情報も参考にしてください。

戸籍上は1935年1月1日(実際は1934年12月31日)

※エッセイ集『北の動物園』(扶桑社、2004年)「生年月日」の章を参照 72頁


東京府(現・東京都)出身。

父・山谷太郎(1899年 - 1952年)は春潮という俳号を持つ俳人で、『野鳥歳時記』(1943年)を残した。両親はともにクリスチャンだった。
※『獨白 2011年3月』p142


戦時中は山形市上山市や岡山県金光町に疎開。
※『獨白 2011年3月』p130 『獨白 2011年3月』p129

このうち、上山への疎開は政府が実施した学童集団疎開によるもので、都会育ちの倉本は大きなカルチャーショックを受けた。東京に帰りたいと考えた倉本は仮病を使って数か月後には東京に戻ることに成功した。
※『獨白 2011年3月』p130


この体験は、『北の国から』の最初の連続シリーズにおいて、純が東京に帰りたがって起こす行動のヒントにしたと記している。
※『獨白 2011年3月』p129


また、金光へは1945年4月から1年間、一家6人で疎開していた。
※倉本 聰さんが金光を訪れる 倉本 聰金光ファンの会 笠岡放送


豊島師範附属小学校(現・東京学芸大学附属小金井小学校)から麻布中学校・高等学校を経て東京大学文学部美学科卒業。


1959年、ニッポン放送に入社。

ディレクター・プロデューサーを担当するが、ニッポン放送在籍時に『パパ起きてちょうだい』(日本テレビ)で脚本家デビュー。

当時は夜10時に会社を出て帰宅してから脚本を書き午前4時頃に就寝、2時間ほどの睡眠で出社する毎日だった。
※週刊朝日 2012年12月28日号

1963年にニッポン放送を退社。

退社のいきさつについて倉本は、後にインタビューで

「ニッポン放送には内緒でペンネームを使って脚本家をやっていた負い目から、ニッポン放送で担当していた番組には(脚本家同士として顔見知りである)若手の脚本家ではなくベテランの脚本家ばかり起用していたが、それを上司に咎められたうえ『最近倉本って若手が出てきたから一度会って来い』と命じられ、そろそろ潮時だと思った」

と語っている。
※『東芝スーパーサウンドグラフィティ The History of the Radio』(ニッポン放送、1989年1月1日)

また他のインタビューでは「(2時間睡眠の生活を)2年も続けると「もたない」と思いましたと語っており、掛け持ちを続けるのは体力的にも限界だったことを示している。

岡田茂の自伝では、倉本がニッポン放送のラジオのライターで一生終わりたくない、と東映に籍を置かせて欲しいと中島貞夫を介して岡田に頼んできたと書かれている。
※『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』、角川書店、2004年、165-166頁

さぁ~概ね一般的にはこんな感じですが、イマイチ伝わらない感じがしませんか。
個人的には、こんな文字の羅列を見せられてもと思います。

そこでもう少し掘り下げてみようかと思います…。
ネットの端っこにあるものや、インタビューや本などから拾い出した「倉本聰」の実像が伝わればと思います。

まずは生い立ちについて。

東京・代々木に生まれるとありますが、父親(太郎)は「日新書院」という出版社の社長。

その父親は水原秋桜子門下で俳句をやっていて、日本野鳥の会の設立メンバーでもあった。

5人きょうだい(3男2女)の次男であるが、姉と兄は腹違い。
3歳まで住んでいた代々木駅前の生家と次に住んだ杉並区の家は大豪邸だった。


5歳くらいには字を憶えたが、父親に就学前から宮沢賢治を週に一本音読させられ、読書感想文を書かされた。
これが後に「文章のリズム感」が武器になったと回想。


小学校時代、山形に学童疎開していた頃、クリスチャンである父親が1942年1月「信濃町教会(東京都新宿区)」の月報に「決戦下に於ける伝道」と題し投稿。

「戦争は罪悪である」というくだりが問題となり、当時の特別高等警察(特高)に逮捕される。

戦後、父親の出版事業が傾き生活が苦しくなる。


父親同様、教育熱心だった母親が急に部屋に入ってくると勉強しているふりをしていた。
その癖は大人になっても抜けず、今でも小説を読んでいる時に妻が部屋に入ってくるとつい原稿を書いているふりをしてしまう。


中学時代は演劇部。中1の時、学童疎開体験を小説に書いた。

高校時代は映画に熱中する。

自分でシナリオを書いて麻布中学・高校時代の同級生で銀座山野楽器の息子との縁からテープレコーダーを使って音声ドラマを制作。

麻布中学・高校時代の同級生には堤義明もいた。
現在も富良野プリンスホテルとの強い関わりがある。


大学浪人時代、同居していた叔母が老人性鬱病で包丁で首を突いて自殺を図って血の海の中に倒れているのを発見した。その部屋にはその後頻繁に幽霊が出た。

浪人中はよく酒を飲み、役者として演じてもいたし脚本家として書いてもいた…
だから2年もかかってしまった。

2浪して大学に入学。

大学では俳優座に所属し、プロとして恥ずかしいことはできないと書く方に専念。

麻布中学を卒業する前年に親父が病死し、母と弟妹の生活を面倒見なくてはいけないため、定収入を得てしっかり生活していかなければという堅気志向があり劇団には残らなかった。

フジテレビ開局の時に、フジテレビ・ニッポン放送・文化放送の3社合同のマンモス入社試験があり、フジテレビに行きたかったもののニッポン放送に入社。

ニッポン放送の初任給は1万2360円。6本も番組を持たされて、安月給でよく働く。

担当番組の構成作家が遅筆でしびれを切らしていたところ、ある先輩から

「台本を代わりに書いてアルバイト代を頂戴したらいい」

とささやかれる。この内職により少しの収入を得、当の作家に見込まれて「パパ起きてちょうだい」というテレビドラマのシナリオを初めて書くことになる。

会社には内緒で、アルバイトとして「倉本聰」名義で「日本テレビ」で活動を始める。

倉本聰というペンネームの由来は、父親の出身地である岡山県にある実家の屋号が「倉本」。

妹の名前が「聰子」。特に大きな意味は無く両方からとっただけ。

その後、「倉本聰」はどんどん売れていき、「現代っ子」というドラマは30%を超える視聴率。

毎晩10時くらいまで会社で働き、家に帰ってシナリオを書き寝るのは朝方4時頃。

会社員だから8時半には出社しなければならないので睡眠時間が 2・3時間の生活を2年ほど続ける。

そんな時に本業であるニッポン放送の上司にベテランの脚本家ばかり起用していないで新人を…と咎められる。

「最近倉本って若い作家がいるから一度会って来い」と命じられ、本人は3時間ほど喫茶店で時間をつぶし、「たいしたもんじゃない」と報告。


さあぁ~てと、ニッポン放送までのエピソードはこんなところでネタ切れですが、もし新しいお話があれば追記していきましょう。

ここまでのお話しでも、「北の国から」の人物設定にハハァ~ンと想えるような経験をされているような気がしますが…。

さてさて、ニッポン放送は4年で辞め、独立することになります。

28歳の「倉本 聰」。
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2680.html


「倉本 聰」とは…。 vol.2 ~独立後 東京・札幌時代~
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2688.html

■ 東京時代

ニッポン放送は4年で辞め、独立することになった28歳の「倉本 聰」。

ホームページの略歴には…。


・昭和38年(1963) 28歳 ニッポン放送退社。シナリオ作家として独立。

・昭和46年(1971) 36歳
  「おりょう」(CBC)日本民間放送連盟賞最優秀賞受賞。

・昭和47年(1972) 37歳
  「風船のあがるとき」(HBC)日本民間放送連盟賞優秀賞受賞。
  「平戸にて」(RKB毎日)放送連盟賞受賞。
  「ぜんまい仕掛けの柱時計」(NHK)芸術祭最優秀賞受賞。

・昭和48年(1973) 38歳
  「祇園花見小路」(CBC)民間放送連盟賞受賞。

・昭和50年(1975) 40歳 「6羽のカモメ」、「ああ!新世界」ギャラクシー賞受賞。

・昭和51年(1976) 41歳
  「前略おふくろ様」(NTV)ゴールデン・アロー賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
  「うちのホンカン」(HBC)毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
  「幻の町」(HBC)芸術祭優秀賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。

・昭和52年(1977) 42歳 富良野へ移住。

テレビドラマ脚本 ※連続ドラマ

'63 「現代っ子※」「ぼうや※」

'64 「0戦はやと(アニメ)※」「あなたはタバコがやめられる」

'65 「チコといっしょに」「勝海舟(MBS)※」「青春とはなんだ※」「レーサー※」

'66 「千姫※」「ぼくの母さん※」「これが青春だ※」「円形ベッド物語」

'67 「文五捕物絵図※」「太陽野郎※」

'68 「五重塔」「恋しかるらん※」「あひるの学校※」

'69 「守ルモ攻メルモ※」「犬と麻ちゃん※」「颱風とざくろ※」「かきの沈黙するとき」

'70 「マイホーム'70※」「わが青春のとき※」「砂の城※」「君は海を見たか※」「男たちのブルース※」

'71 「2丁目3番地※」「涙の河をふり返れ ~艶歌より※」「ひかりの中の海※」「舷燈」「冬の華※」「おりょう」「挽歌※」

'72 「3丁目4番地※」「風船のあがるとき」「氷壁※」「平戸にて」「おはよう※」「赤ひげ※」「父ちゃん」「田園交響楽」「ぜんまい仕掛けの柱時計」

'73 「ガラス細工の家※」「祇園花見小路」「白い影※」「ばんえい」「ぶらり信兵衛 ~道場破り~※」「聖夜」

'74 「勝海舟(NHK)※」「りんりんと」「6羽のかもめ※」

映画脚本

'65 「北国の街」

'66 「旗本やくざ」「帰ってきた狼」「涙になりたい」「涙くんさよなら」「私、違っているかしら」「遥かなる慕情 星のフラメンコ」「おゆきさん」

'67 「北国の旅情」「陽のあたる坂道」「君が青春のとき」「ザ・スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦」「'68 ザ・スパイダースの大進撃」「昭和元禄 TOKYO 196X年」

'69 「青春の鐘」

'71 「君は海を見たか」


独立後は連続ドラマを中心に各放送局のものを書いています。

まさに売れっ子脚本家です。

略歴をみると売れっ子脚本家が42歳で富良野へ移住して悠々自適の生活。
そして「北の国から」が大ヒット。
そんなイメージの方が多いと思います。


しかし、略歴には「NHK問題」と札幌時代が見えてきません。


・「Wikipedia」より引用

東京でフリーの脚本家となったが、NHK大河ドラマ『勝海舟』制作に際し、脚本家の演出関与の是非をめぐる問題がこじれたことで嫌気がさし、脚本を途中降板。

1974年6月、取材を受けた週刊誌『ヤングレディ』の記事が NHKを攻撃する内容に変わっていたので、最終稿まで確認して記事は修正されたが、広告の見出しが

「倉本聰氏、『勝海舟』を内部から爆弾発言」

と修正されぬまま出てしまったことがきっかけだった。

当時の制作局長には軽率を謝罪したが、20 - 30人からつるし上げられたという。

※『愚者の旅』(理論社、2002年)
※NHKとはこのトラブルから20年以上絶縁状態にあったが、1999年の『玩具の神様』で復帰した。


その日に千歳空港へ飛び、そのまま北海道札幌市に転居。

※「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(1)」 『毎日新聞』 2009年11月16日、13版、5面。

※この移住に際しては、向田邦子から

「あんたバカなことおやめなさい。東京を離れたら仕事なンて来ないわよ」

と説教されたという
(『獨白 2011年3月』p14)。倉本は当時を振り返って「仕事はもうどうでもよくなっていた」と述べている。

■ 札幌時代

・昭和49年(1974) 39歳 北海道札幌市に転居。

 東芝日曜劇場(TBS系) 第926回『りんりんと』(1974年、北海道放送)


 テレビドラマ 
「氷壁※」
「祇園花見小路」
「大河ドラマ『勝海舟』(1974年、NHK)」
「『6羽のかもめ』(1974年 - 1975年、フジテレビ系)」

・昭和50年(1975) 40歳 

 「6羽のカモメ」、「ああ!新世界」ギャラクシー賞受賞。

 東芝日曜劇場(TBS系) 第947回『ああ!新世界』(1975年、北海道放送)

 テレビドラマ 「平戸にて」「白い影※」「りんりんと」「『うちのホンカン』シリーズ(1975年 - 1981年、北海道放送)」

「『あなただけ今晩は』(1975年、フジテレビ系)」

「『前略おふくろ様』(1975年 - 1976年、日本テレビ系)」


著書 あなただけ今晩は 星の世界の夕子(立風書房、1975年)

・昭和51年(1976) 41歳

 「前略おふくろ様」(NTV)ゴールデン・アロー賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。

 「うちのホンカン」(HBC)毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。

 「幻の町」(HBC)芸術祭優秀賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。

東芝日曜劇場(TBS系) 
「第1000回『幻の町』(1976年、北海道放送)」

「第1040回『ひとり』(1976年、北海道放送)」

テレビドラマ 
「『大都会 闘いの日々』(1976年、日本テレビ系)」

「おはよう※」

「ばんえい」

「6羽のかもめ※」

「あなただけ今晩は※」


著書 
「倉本聡テレビドラマ集 1-2(ぶっくまん、1976年-1977年)」
「うちのホンカン(テレビドラマ集)」

39歳の倉本聰は、NHKの大河ドラマ「勝海舟」を書いていましたが、なんと途中降板してしまいます。

これについてインタビュー番組では、若かったし生意気だった…。

NHKとの喧嘩の大本は、渡哲也が病気で松方弘樹に変わったことらしいのですが、本読みの時に居ることが心外だと演出家ともめたらしい。
NHKはアイツはダメだと代理の作家を立てていた…。

突然札幌へ来てしまうのですが、意識も無く記憶も無い。気が付いたら札幌にいたと言う。

なぜ北海道だったかについては、

「ある人に敗北と言うでしょ、敗れたら北へ行くのですと…」。


北海道放送の親しいプロデューサーに連絡を取り 中村屋という小さい宿に宿泊。
(家に転がり込む話も…) 

札幌では毎晩4時まで飲んでいた。まったく利害関係のない人達と仲良くなる。
北海道の人達は「野党精神」があるので守ってくれる。

NHKから貰っていた脚本料の前渡金について、返せとは言われなかったけど300万くらい返した。

「スッカラカンになっちゃったけど、ケジメはつけないとね」


かみさんから電話が来て「貯金が7万円しかないわよ」と言われたのが3か月後。

暮らせないのでタクシーの運転手をやろうと思ったが、飲み仲間から「あんたの顔はトラックに向いてる」と言われる。

豊平の運転試験場で免許も取り、さぁ明日からというタイミングで、フジテレビが見つけ何か書けと言う。

テレビの悪口を書いても良いかと聞くと、何でも良いと言う。
しかも、書く前に50万貰う。

この金は有り難かったと、飲み代のツケを返して、返しきれなかったけど…、店は増えたけど…。

NHKを降りたので「倉本聰」の名前は使えない。
そこで「イシカワ トシコ(※漢字だろうが判らない)」のペンネームで書いたのが「六羽のかもめ」。

これが「ギャラクシー賞(月刊賞)」を受賞してしまう。


実は「イシカワ トシコ」というのは、渡哲也の奥さんの旧姓。授賞式に出てくれと奥さんに頼んだが怒られる。


札幌には2年半居たが、札幌は小さな都会、肝臓に悪い街。
こんなに豊かな生活が、いつまでも続かないと不安になる。

もっと田舎での生活を考え、その第一候補は富良野ではなく「美国」だった。

見晴らしの良い3000坪の土地を買いかけたが、岩盤のため水が出ないので止める。
もし美国だったら「北の海から」だったかもしれない。

富良野というのは聞いたことも無かったが、札幌の炉辺屋で隣の人が「文化村構想」を知っているか…、がきっかけとなり富良野への移住を模索する。


まぁ~インタビュー番組から拾い出したので多少はどのような生活だったのか想像してしまいますが、つじつまが合わなかったりネタのようなお話もあります。

演出や脚本のプロですから、どこまでが本当の事なのかは判りません。(笑)

ただ、ネットのどこかに「1974年(昭和49年) 39才 母死去」という文字がありました。
もしこれが本当なら、何かしらのキッカケになったのかもしれません。
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2688.html


「倉本 聰」とは…。 vol.3 ~富良野時代 「北の国から」前夜~
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2709.html


やがて富良野へ住むことになったわけですが、そこはロマンチックとは真逆の世界。

果てしなき闇と静けさ。。。

一冬めは孤独と失意で「毎日どうやって死のうか」ということばかりを考えていた。

そのうちに自分の耳が動くようになってきた。

それは、ウサギやリスなど野生動物がかすかな音から危険を感知して耳を動かすのと同じで、野性が戻ったと感じた。

そして二冬め、孤独や失意は少し薄れてきました。

「神様は私に試練を与え、私はここに住むことを許されたに違いない」

そんなことを言ってるわけですが…。

昭和52年(1977) 42歳 富良野へ移住。

昭和57年(1982) 47歳

・「北の国から」テレビ大賞・山本有三記念「路傍の石」文学賞受賞。

・「駅 STATION」キネマ旬報・毎日映画コンクール・日本アカデミー賞最優秀脚本賞受賞。

昭和58年(1983) 48歳

・富良野市西布礼別地区心和農場所有の原野を借り受け、富良野塾開設の地とする。

・「波の盆」芸術祭大賞受賞。

テレビドラマ脚本 ※連続ドラマ

'76 「大都会(1)闘いの日々※」

「再会 ~ふるさとさむく※」

「幻の町」

「嘆きのホンカン」

「前略おふくろ様(2)※」

「ひとり」

'77 
「冬のホンカン」

「あにき※」

「時計」


'78 
「浮浪雲※」

「さよなら・サッポロ(七人の刑事)」

「スパイスの秋」

「坂部ぎんさんを探して下さい」

'79 
「年の初めの」

「たとえば、愛※」

「一年」

「祭が終ったとき※」

「遠い絵本 第一部 第二部」

「'80 さよならお竜さん※」

「機の音」

'81 
「ホンカン雪の陣」

「北の国から※」

「ホンカン仰天す」

'82 
「ガラスの知恵の輪※」

「君は海を見たか※」

'83 
「北の国から'83 冬」

「波の盆」

映画脚本

'78 「冬の華」「ブルークリスマス」

'81 「駅 STATION」

1981年に、連続ドラマ「北の国から」がはじまりますが、富良野に移住して「毎日どうやって死のうか」とか言いつつもスゴイ数の脚本を書いていたことになります。

気持ちは気持ちとして仕事は別で、チャンとこなしていたということなんでしょうか。個人的にはそんな状態で文章を書けるとは思えませんが…。


さて、「北の国から」ですがインタビュー番組の中で…。

フジテレビが来て、「アドベンチャーファミリー」「キタキツネ物語」が当たったから、そんなものを書いてほしいと言われた。

北海道に電気も水道も無く電話も通じない場所は無いと言うと、東京の人が主に見るものだから東京の人が抱く北海道のイメージであればと言われ「コチン」ときた。

北海道を書くのに北海道の人に嘘だと思われたら最後だ。

企画を考える時に富良野にモデルになる人物がいた。偏屈なので会わない方が良いと言われ会わなかったが生活は周りから観察した。
(※ベベルイに住んでいた大浜五光さんだと思います。)

そしてあのドラマが始まった

富良野の「北の国から記念館」に展示されていた文章は…。


ドラマのスタートは、企画から始まる。
プロデューサー、演出家、脚本家が意見を出し合い企画が練られる。


プロデューサー
「アドベンチャーファミリー、キタキツネ物語がヒットしたので、北海道を舞台にあのようなドラマが作れないか」


脚本家
「キタキツネ物語は三年近い年月を使ってキタキツネの生育を追っている。
そのような制作体制が今のテレビドラマで出来るのか。

また、アドベンチャーファミリーは人間社会から隔離された北米の原野が舞台
になっている。そのような舞台は北海道にはない。」

プロデューサー
「テレビの主たる視聴者は東京の人間である。
北海道にそうしたフィクションの土地を置いても、東京人はそれをかえって面白く思うだろう。」


脚本家
「その考えは間違っている。
板前のドラマは板前が、刑事のドラマは刑事が見て感動してくれなければ本物とは言えない。北海道を舞台にしたドラマが、北海道人に嘘だと思われたら良い作品などできるわけがない。」
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2709.html


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しかし、倉本聰はどれを見ても職人的に無難に書けてはいるのですが、何かが足りないですね。

「北の国から」の様に音楽や子役の名演技でそれを補えた場合にだけ成功作になるという事でしょうか。

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