777投稿集

777投稿集 2622511

1 : 林千勝 _ 報道されないパンデミック条約と国際保健規則改定に関する警鐘(5)  2 : カルロス・クライバー(1930年7月3日 - 2004年7月13日)指揮者(6)  3 : 壺齋散人 ドストエフスキーを読む(29)  4 : ジョゼフ・ターナー(イギリス ロンドン 1775年4月23日 - 1851年12月19日)(4)  5 : ジャズの名曲(11)  6 : 日本人はどこから来たのか?【CGS 茂木誠 超日本史】(36)  7 : 原始宗教、アニミズム・トーテミズムとシャーマニズム(10)  8 : 鶏手羽先の「ボーンブロス」を食べよう(6)  9 : 1日に食べる果物の量は 80kcal 以下にした方が良い(14)  10 : クラシック音楽の名演奏家の録音への youtube リンク(6)  11 : 映画音楽の名曲(4)  12 : 神武東征 _ 当時世界最大の水銀生産地は奈良で、神武東征も水銀獲得の為だった(9)  13 : 天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した(8)  14 : 民族の起源・DNA解析関係投稿集(80)  15 : 世界の旅 _ エジプト(3)  16 : 頂き女子 _ 男をカネヅルと思って騙す女!日本でも中国でも最後は悲劇(5)  17 : 女性問題・LGBT関係投稿集(73)  18 : 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり)(121)  19 : フランシス・レイは音楽史上最高のメロディー・メーカー(2)  20 : ポール・モーリアとレイモン・ルフェーブル _ BGM の世界 (4)  21 : ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( ロシア サンクトペテルブルク 1906 - 1975)(4)  22 : 中国関係投稿集(100)  23 : 世界の旅 _ 中国(26)  24 : 日本の旅 _ 茨木県・千葉県・埼玉県(4)  25 : 世界の旅 _ ロシア・ウクライナ(28)  26 : 777投稿集(65)  27 : 健康・医療関係投稿集(81)  28 : 60歳を過ぎてアレ食べてる人は、確実に病気になって寝たきりの人生を送ります(38)  29 : 吉野敏明 _ 日本人が病気になる原因は小麦・砂糖・牛乳と植物油(14)  30 : 宇山卓栄の世界史・現代史講義(6)  31 : ウクライナはナチズムに支配された国になりつつある。(25)  32 : ウクライナの親衛隊はネオ・ナチ(21)  33 : ウクライナはロシアではない(16)  34 : ロシア・ウクライナ関係投稿集(109)  35 : 世界の旅 _ アフガニスタン・トルキスタン(2)  36 : 世界の旅 _ フランス・ベルギー(15)  37 : アメリカ・CIA関係投稿集(110)  38 : 岸田首相の米議会演説の台本はアメリカ人が書いていた(14)  39 : 日米関係投稿集(39)  40 : 外人観光客のマナー違反で地元住民の苦情が殺到…京都で深刻化する「オーバーツーリズム」(10)  41 : 最も賢い億万長者 ジェームズ・シモンズ(4)  42 : 那須町夫婦遺体事件 _ 娘の内縁の夫 関根誠端「女ではなくカネのある女が好き」(5)  43 : ドイツではイスラエルに絶対服従しイスラエルが何をしても無条件に支援するのが「良い人」(7)  44 : ドイツはイスラエルのどんな行為に対しても、無条件で支持してしまう(2)  45 : 世界の旅 _ ドイツ・オーストリア(28)  46 : ドイツ関係投稿集(18)  47 : 米やパンや麺類の代わりに血糖値を上げないアカシア蜂蜜を食べて高血糖や糖尿病を治そう(31)  48 : 吉野敏明 _ 戦後アメリカに強制された洋風の食事が日本人の病気の原因(27)  49 : 世界の旅 _ アイスランド(3)  50 : 明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった(9)  
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林千勝 _ 報道されないパンデミック条約と国際保健規則改定に関する警鐘
1 名前:777

2024/04/20 (Sat) 20:42:45

【再アップ】一体裏で何が起こっていたのか?流行病の真実【原口一博×吉野敏明 特別対談】
吉野敏明チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/02/11
https://www.youtube.com/watch?v=V08bm3xn0nY

パンデミック条約と国際保健規則の真実の目的とは
吉野敏明チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/04/14
https://www.youtube.com/watch?v=QtN7ODcFBB0

河野太郎 ワ◯◯ン後遺症訴訟「私は関わっておりません」
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/04/23
https://www.youtube.com/watch?v=MtvaTdCAzjk


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林千勝 @ パンデミック条約反対集会 24年4月13日
https://www.youtube.com/watch?v=TPnBizv45yU

『パンデミック条約・国際保健規則(IHR)反対集会』
時間:9:30~11:30(9:15
場所:牛込箪笥区民ホール



【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第33回「反乱続出!3発目の“原爆”を準備するWHO、それを隠蔽する日本の官僚!?」[桜R6/4/20]
https://www.youtube.com/watch?v=H69YmuM-_KI


報道されないパンデミック条約と国際保健規則改定に関する警鐘〜前半〜|林千勝
2023/10/26
https://www.youtube.com/watch?v=oAvEac04ggc&t=1066s

報道されないパンデミック条約と国際保健規則改定に関する警鐘〜後半〜|林千勝
2023/10/27
https://www.youtube.com/watch?v=JqHv4LtRJuA



【生配信】公衆衛生を利用したWHO全体主義運動 パンデミック合意とIHRを分かり易く解説!
我那覇真子チャンネル
2024/02/09
https://www.youtube.com/watch?v=vJe1R0uDxNE

これまでWHOのパンデミック合意に関して取り上げてきましたが、
この問題はとても複雑で初見の人が視聴して非常に分かりにくいという感想を頂いています。

そこで、今WHOで何が起きているのか、リベンジ解説を行いたいと思います。


3/6 19時〜【生配信】WHO議事録で判明!ルール破りの改正に加盟国も怒る 林千勝先生インタビュー
我那覇真子チャンネル
2024/03/06
https://www.youtube.com/watch?v=4A9ztlA0he0

パンデミック合意&IHR改正問題
手続きルールを逸脱し進められている状況ですが、
その指摘がなされても曖昧回答で厚労省は誤魔化しています。
言語明瞭意味不明とはまさにこのことです。

ここで、歴史研究家の林千勝先生が重要資料を発見されました。

その資料とは、WHO世界保健総会の議事録であり、
議事録を見ると、なんとあまりの採決時の手続きのいい加減さに、
加盟国の間でもこの問題が指摘されていたのです。

その問答を見れば、これがどれだけ重大なことなのか、
そして手続きの瑕疵を指摘するこれまでの議連をはじめとする日本国内の声に対し、いい加減な回答を続けてきた厚労省担当課のデタラメさがよく分かります。

この問題は誤魔化されたままではいけません。
今回は、林千勝先生にこの件について伺います。

2 名前:777

2024/04/21 (Sun) 16:53:15

日本国民よ!怒っているなら行動を!デモにいたった経緯とは?|林千勝
2024/04/06
https://www.youtube.com/watch?v=ECK8cyLLVc0

陰謀論ではない、真実 ATM日本主導へ?|林千勝
2024/04/11
https://www.youtube.com/watch?v=iyWbsAzB8ME


まるでオレオレ詐欺!イカサマの文書|林千勝
2024/04/13
https://www.youtube.com/watch?v=Qv3QHY2yYRs&t=623s


マネーとグローバルヘルス技術振興基金 山田忠孝というキーマン|林千勝
2024/04/20
https://www.youtube.com/watch?v=P7DseSqewXE


世界中、80億人に見てもらいたい A委員会の全貌|林千勝
2024/04/27
https://www.youtube.com/watch?v=bpQl09nfPcA

IHR59条改定の決議 A委員会のルール無視・隠蔽三人衆|林千勝
2024/05/04
https://www.youtube.com/watch?v=av7diRbPMvc&t=13s

3 名前:777

2024/05/06 (Mon) 20:35:35

【再アップ】一体裏で何が起こっていたのか?流行病の真実【原口一博×吉野敏明 特別対談】
吉野敏明チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/02/11
https://www.youtube.com/watch?v=V08bm3xn0nY


パンデミック条約と国際保健規則の真実の目的とは
吉野敏明チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/04/14
https://www.youtube.com/watch?v=QtN7ODcFBB0

河野太郎 ワ◯◯ン後遺症訴訟「私は関わっておりません」
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/04/23
https://www.youtube.com/watch?v=MtvaTdCAzjk

4 名前:777

2024/05/14 (Tue) 18:09:13

【河添恵子】ガチで消される前に見て下さい。グレー◯リセット。「奴ら」が執拗に打たせようとする「本当の理由」を全暴露!2024/5/13 厚労省会見室
https://www.youtube.com/watch?v=T2M2YHRZyXw

5 名前:777

2024/05/19 (Sun) 03:52:26

【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第34回「日本人の命を守る戦い!5月31日、史上最大の国民運動へ!!」[桜R6/5/18]
https://www.youtube.com/watch?v=-UdRAy63uSg

  • 名前: E-mail(省略可):
カルロス・クライバー(1930年7月3日 - 2004年7月13日)指揮者
1 名前:777

2022/07/24 (Sun) 05:57:31

クラシック音楽の作曲家の主要作品とその評価
クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/

クラシック音楽の名曲と歴史的名盤
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14145400

クラシック音楽の名演奏家の録音への youtube リンク
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14145445

ウェブブラウザに Brave を使うと、広告なしで youtube を視聴することができます
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14131432

【Windows 10・11】ブルーライトカットの設定方法!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832096


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カルロス・クライバー(Carlos Kleiber、1930年7月3日 - 2004年7月13日)指揮者

カルロス・クライバー(Carlos Kleiber、出生名:カール・ルートヴィヒ・クライバー(Karl Ludwig Kleiber)、1930年7月3日 ベルリン - 2004年7月13日 コニシツァ)は、ドイツ出身の指揮者。第二次世界大戦期にアルゼンチンに亡命し、後に父の国籍であるオーストリア国籍を取得した(居住はしていない)。父は世界的な指揮者であったエーリヒ・クライバー。

出生
父は指揮者で当時ベルリン国立歌劇場音楽監督を務めていたエーリヒ、母はユダヤ系アメリカ人のルース・グッドリッチ(Ruth Goodrich)で、生まれた時にはカール(Karl)と名乗っていた。父親がナチスと衝突、一家でアルゼンチンに亡命するとともに、スペイン語風にカルロスと改名する。

デビュー
カルロスは1950年、ブエノスアイレスで音楽を学び始めるが、父の勧めで1952年からスイスはチューリッヒの連邦工科大学に一旦は入学する。しかし、その翌年にはミュンヘン・ゲルトナープラッツ劇場の無給練習指揮者になり、父の手助けで1954年にはポツダムの劇場でミレッカーのオペレッタ『ガスパローネ』を振って指揮者デビューを飾る。この時彼は有名指揮者である父の七光りで判断される事を嫌ったのか、あるいは指揮者になる事を反対していた父エーリヒへの配慮か「カール・ケラー」という芸名を用いている(カルロスのデビューに際し、エーリヒは『幸運を祈る 老ケラーより』と打電したという)。父は指揮者志望の息子に助言を与え、劇場関係者に紹介の労をとる一方、公の場で息子の音楽活動を手厳しく批判したこともあった。偉大な指揮者である父との関係は息子の指揮者人生に複雑で深い影を投げかける事になる。

世界的指揮者へ
その後、デュッセルドルフ、チューリッヒ、シュトゥットガルトなどの歌劇場で第1指揮者を務め、1968年にはバイエルン国立歌劇場の指揮者となり名声を確立する。1973年、ウィーン国立歌劇場に『トリスタンとイゾルデ』でデビューし、翌年6月にはロンドンのロイヤル・オペラに『ばらの騎士』で、7月にはバイロイト音楽祭に『トリスタンとイゾルデ』でデビューを果たす。1978年にはシカゴ交響楽団を指揮してアメリカデビュー。その後も世界の著名な歌劇場やオーケストラの指揮台に立つが、一度も特定の楽団や歌劇場と音楽監督などの常任契約を結ぶことなくフリーランスの立場に徹している。

晩年
1980年代後半から指揮の回数が2,3年に数回のペースとなってゆく(指揮したオーケストラは主にバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど)。クライバーがどこかのオーケストラを指揮するというだけで大ニュースになり、首尾良く演奏会のチケットを入手しても当日、本当に彼が指揮台に立つまでは確かに聴くことができるか保証の限りではなかったが、多くのファンが彼の演奏会を待ち望んでいた。

しかし、1999年1月から2月にかけてバイエルン放送交響楽団を指揮したのを最後に公の場からほぼ姿を消した。そして2004年7月13日、バレエダンサーの妻 Stanka Brezovar(英語版)の故郷スロベニアにて闘病生活(前立腺癌[1])の末に死去。74歳没。前年に妻を亡くし非常に落胆していたという情報からか、生前のクライバーを知る人の間には自殺説も流れた。


逸話
クライバーはその指揮の回数の少なさに比例してレコーディングの数は少なかったが、ウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第5番、第7番とブラームスの交響曲第4番(いずれもドイツ・グラモフォンによる録音)は、評判が高い。ウィーン・フィル以外の録音では、バイエルン国立管弦楽団を指揮したベートーヴェンの『交響曲第4番』が、発売当初から好評を巻き起こした。オペラ録音でも『魔弾の射手』『椿姫』『トリスタンとイゾルデ』(以上録音)『こうもり』(録音と映像)『カルメン』(映像)『ばらの騎士』(映像2種)など数少ないものの、それぞれ各曲の名演とされる演奏記録である[2]。しかし『ラ・ボエーム』など多くの録音セッションがクライバー自身の放棄により中断してしまっている。その正規録音の少なさに比例して、放送録音やファンによる会場録音から製作された多くの海賊盤が市場に出回っている。彼はレパートリーを少なく限定し、リハーサルの時間を同時代のチェリビダッケに匹敵するほど多くとり、自分の意に沿わないとわかった仕事は次々とキャンセルするという仕事のスタイルを採り続けた。キャンセルにより代替指揮者が立つリスクがあるにもかかわらず、常にチケットは売り切れた。クライバーは生涯、およそ845回の歌劇・バレエと120回のコンサートの公演を行っている[3][注釈 1]。

ドイツ系の若手指揮者不足が問題化された時期でもあり、カルロスは数少ない希望の星として擬せられたこともあるが、彼自身はそうした期待とはまったく逆の方向へと走っていったといえる。クライバー自身はインタビュー嫌いで有名であり、自身の信条を開陳することはめったになかったが、親交のあったバーンスタインに「私は庭の野菜のように太陽を浴びて成長し、食べて、飲み、愛し合いたいだけ」とこぼしている。しかし、その舞台回数の少なさは、彼のこと音楽に関する極度の神経過敏[4]と、父エーリヒと比較されることへの恐怖心から来るものといわれている。

ウィーン・フィル
クライバーが指揮した数少ないオーケストラの一つであるウィーン・フィルは、1974年にベートーヴェンの「交響曲第5番」のレコーディング・セッションで初共演して以来、良好な関係を保ち続けるであろうと思われたが、1982年12月にベートーヴェンの「交響曲第4番」を練習中、意見の相違で楽員と対立し、定期演奏会をキャンセルしてしまう(「テレーズ事件」と呼ばれている[5])。6年間の空白の後、1988年3月に和解して再び指揮台に立ち、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」とブラームスの交響曲第2番で、このときはあまりの練習の多さでミスが目立ったが、以来回数は決して多くないものの演奏を繰り広げた。1989年と1992年にはウィーン・フィルの有名なニューイヤーコンサートを指揮している[6]。

リハーサル
映像に残る彼のリハーサル風景は、楽員に対し彼の音楽解釈を比喩的な表現を用いて事細かく説明するものである(この点に関して父エーリヒも同様だったという)。またリハーサルの前には必ず作曲家の自筆譜を調べ、他の演奏家による録音を入手して演奏解釈をチェックし、また父エーリヒが使用した総譜を研究するなど入念に準備を行った。しかし細かいリハーサルに対し、本番は独特の流麗優美な指揮姿[7]で、観客を(そしてオーケストラの楽員や同僚の音楽家までも)魅了した(それらは幸い多くの映像に残されており、オペラ映像では舞台上で歌が続く最中にピットの指揮姿だけを1分以上映し続けるという、常識ではありえない編集が行われているものもある)。その指揮から溢れ出る音楽は、めくるめくスピード感、リズム感、色彩の鮮やかさ、詩情の美しさで群を抜いており、世間からしばしば「天才指揮者」と称せられた。またその疾走するような若々しさから、カルロスは常に新時代をリードする音楽家とされてきたが、実際はオーケストラを対向配置(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に向き合う配置)にしたり、楽譜に改変を行ったり、楽曲のある部分では弦楽器の弓使いをプルトごとに上下逆に弾かせるといった、第2次世界大戦以前に盛んだった方式を用いることが多く、父エーリヒの強い影響の下に旧時代の指揮者たちの流れを汲んでいると見るのが妥当である。オーケストラのパート譜は自分で所有してボウイングなど細かい指示を書き込んで常にそれをリハーサルで使わせたという話である[8]。

評価
20世紀を代表する指揮者のカール・ベームは、ドイツ「シュテルン」誌(1981年8月20日号)のインタビューの中で、次の世代の若手指揮者で唯一才能を認めた指揮者として、カルロスをあげている。そこでは「カルロスは天才的な男だよ。父親のようにね」(だけど)「やっぱり(父親と同じく)気難しい男でね、周りの者がてこずってるよ」「彼にはいつも『お前は紡ぎ手だね。人を魅了する紡ぎ手だよ』と言ってるよ」と答えている。ベームとは特に親しかったらしく、バイエルン国立歌劇場でのベーム追悼演奏会を指揮している。その際に演奏(録音)されたものがベートーヴェンの交響曲第4番である。カラヤンは彼を正真正銘の天才と評しており[9](ヨアヒム・カイザーの談話)、またバーンスタインはクライバーの指揮したプッチーニの『ラ・ボエーム』を「最も美しい聴体験の一つ」だと語っている。


ディスコグラフィ
前述の通り、クライバーが極端にレコーディングを避けていたため、正規の音源は以下のもので全てである(初出LDと記した映像ソースはすべてのちにDVD化されている)。ただし、レコーディングはしたもののクライバーが発売を差し止めたという音源も存在するため、これからそういった音源が発掘されて、正規盤として発売される可能性は大いにある(ちなみにその差し止めとなった音源にはリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」や「ばらの騎士」などがある)。オペラの公演映像についても同様である。また、リハーサルは開始されたものの中断され、レコーディングに至らなかったものとしては、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリとのベートーヴェン「皇帝」などがある。数少ない正規録音の中で最大の比率を占めるのがヨハン・シュトラウスであり、たとえ同じ作曲家であっても、嗜好の合わない曲を演奏するのを避けたクライバーにあっては異例なことである。他に、1970年にシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した「魔弾の射手」「こうもり」の各序曲のリハーサルを収録したTV番組がDVD化されており、本番も収録されているので、これも正規録音に含めることが可能である。「こうもり」序曲は、ソフト化はされていないが1986年来日公演のものもNHKが収録放映しており、3つのオーケストラによる4つのライブ映像(うち1つは全曲公演の一部)と1つのスタジオ録音(全曲録音の一部)が流通している状態である。

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」(全曲)、初出:1973年12月(LP) シュターツカペレ・ドレスデン
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」、初出:1975年7月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」(全曲)、初出:1976年10月(LP) バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92、初出:1976年12月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ドヴォルザーク:ピアノ協奏曲ト短調Op.33、初出:1977年8月(LP) バイエルン国立管弦楽団、スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ヴェルディ:歌劇「椿姫」(全曲)、初出:1978年2月(LP)バイエルン国立管弦楽団
シューベルト:交響曲第8(7)番ロ短調D.759「未完成」、交響曲第3番ニ長調D.200、初出:1979年12月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブラームス:交響曲第4番ホ短調Op.98、初出:1981年5月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲)、初出:1982年12月(LP) シュターツカペレ・ドレスデン
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調Op.60、初出:1984年9月(LP) バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調Op.60、交響曲第7番イ長調Op.92、初出:1988年1月(LD) アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」(全曲)、初出:1988年4月(LD) バイエルン国立管弦楽団
リヒャルト・シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(全曲)、初出:1988年6月(LD) バイエルン国立管弦楽団
ニューイヤーコンサート1989、初出:1989年5月(CD)、1989年7月(LD) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ニューイヤーコンサート1992、初出:1992年4月(CD、LD) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
モーツァルト:交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」、ブラームス:交響曲第2番ニ長調Op.73、初出:1993年2月(LD) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(全曲)、初出:1994年9月(LD) ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68、初出:2004年3月(CD)[17] バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:序曲《コリオラン》Op.62、モーツァルト交響曲第33番変ロ長調K.319、ブラームス:交響曲第4番ホ短調Op.98、初出:2004年12月(DVD)[18] バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92、初出:2006年1月(SACD) バイエルン国立管弦楽団
シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(全曲)、初出:2008年10月(SACD) バイエルン国立管弦楽団この演奏はバイエルンだけで通算82回演奏されたうちの1973年7月13日のミュンヘン・オペラ祭に録音されたもののライヴで、ヴィデオのものとは違う音源。


ドキュメンタリー
Georg Wübbolt 『Ich bin der Welt abhanden gekommen』(邦題『アイ・アム・ロスト・トゥ・ザ・ワールド』、2010年)[19]
このドキュメンタリーのタイトル『Ich bin der Welt abhanden gekommen』は、マーラーの『リュッケルトの詩による5つの歌曲』の「私は俗世から離れて」[20] からとられている。「私はこの世から姿を消してしまった。そこでは多くの時間を無駄に過ごしてしまった。消息を聞かなくなってから随分経つでしょう。きっともうすっかり死んだと思われているんだろうな。そう思われても、私にはどうでもいいこと。何も言うことはないよ。だって本当にこの世では死んでいるんだもの。世の中の騒がしさの中では死んでしまって、私だけの静かな場所で安らいでいる。至福の中で、愛の中で、私だけの歌の中でひとりで生きているんだ。」
<出演>カルロス・クライバー、スタンカ(妻)、リッカルド・ムーティ、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、オットー・シェンク(演出家)、マーティン・エングストローム(仏語版)(レコード会社プロデューサー)、イレアナ・コトルバシュ(歌手)ほか
<監督>ゲオルク・ヴュープボルト [21], [22]
ドイツで制作された音楽関係者にカルロス・クライバーについて語ってもらったインタビューと彼のリハーサル風景を合わせたドキュメンタリーである。NHK-BSプレミアムで「カルロス・クライバー ~ロスト・トゥー・ザ・ワールド~」というタイトルで放送された。冒頭から随所に「トリスタンとイゾルデ」のリハーサル映像の指揮ぶりが挿入される。「テレーズ事件」の音声も採録されている。

Eric Schulz 『Traces to Nowhere』(邦題『無への足跡』、2010年)[23]
このドキュメンタリーは、南ドイツの放送局「SERVUS TV」で制作された。

<出演>カルロス・クライバー、プラシド・ドミンゴ、ブリギッテ・ファスベンダー(歌手)、オットー・シェンク(演出家)、ヴェロニカ・クライバー(カルロス・クライバーの実姉)、ミヒャエル・ギーレン、マンフレート・ホーネックほか

<監督>エリック・シュルツ(独語版)[24]

NHK-BSプレミアムで「目的地なきシュプール ~ 指揮者カルロス・クライバー ~」というタイトルで放送された。2004年7月11日、クライバーは、ミュンヘンから自分の車に乗ってアルプス山脈を経由し、別荘まで6時間の道のり、スロベニアのコシニツァへ向かった。ドキュメンタリーでは、クライバーの生い立ちから指揮者デビュー、シュツットガルトでの活躍、バイエルン国立歌劇場(ミュンヘン)での成功、晩年のウィーンでの模様、避けていたザルツブルク音楽祭、そしてスロベニアでの独りきりの死までが辿られている。「魔弾の射手」序曲、「こうもり」序曲などのリハーサル風景が織り込まれ、ヴェロニカ・クライバー(実姉)(2017年4月、ベロニカ・クライバーは、89歳で死去)[25] へのインタビューや、プラシド・ドミンゴ、マンフレート・ホーネックらによるクライバーの指揮法の解説、ブリギッテ・ファスベンダーが語った、クライバーがが東洋の哲学・思想に惹かれていた話などが採録されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC


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カルロス・クライバー/DG録音全集(12CD+ブルーレイ・オーディオ)

カルロス・クライバーがドイツ・グラモフォンに残した珠玉の音源をすべて収めたCD12枚と、全ての録音を1枚に収めたブルーレイ・オーディオをセットした13枚組。
ブルーレイ・オーディオの音源は、『トリスタンとイゾルデ』以外全て24-bitにリマスターされた音源で収録(『トリスタンとイゾルデ』のみ16-bit)。


【収録情報】
CD1
ウィーン・フィル/ベートーヴェン第5番&第7番

クライバーの交響曲セッション録音第1弾となった『運命』は、1975年にLPで発売されるとすぐに大評判となり、翌年発売された第7番も同じく熱狂的な高評価で迎えられます。
このCDは、そうしたクライバーのカリスマ化に大きな役目を果たしたLP2枚分の演奏をまとめたもので、非常にお得な内容となっています。

● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67
● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1974年3&4月、1975年11月、1976年1月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD2
ウィーン・フィル/ブラームス第4番

クライバーのデジタル録音第1弾で、LP発売時は銀色に輝くジャケットデザインも話題になったアルバム。レコーディングの精度が上がったこともあり、隠し味的な部分も含め、細部まで徹底的に表現が磨きこまれた演奏の凄みが実感できるようになったことでもマニアを大いに喜ばせた録音です。しかも大局的には奔流を思わせるような音楽の進行ぶりでありながら、時に官能的でさえある生々しい生命力をも感じさせてくれる多義的で複雑な味わいは他に類例のないアプローチと言えるかも知れません。クライバーの厳しく細かい要求を完璧に受け止めたウィーン・フィルの驚異的な能力があればこその名演です。

● ブラームス:交響曲第4番ホ短調 Op.98
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1980年3月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


CD3
ウィーン・フィル/シューベルト第3番&第8番

シューベルト=歌謡的という印象が常識的だった時代に、クライバーは非常にドラマティックな表現を持ち込み、強烈なアクセントとダイナミックな構築のもたらすコントラスト効果により、結果として歌の魅力をさらに際立たせることに成功した演奏。第8番『未完成』はもちろん第3番での豪快なノリの良い演奏も素晴らしい聴きものです。

● シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D.200
● シューベルト:交響曲第8(7)番ロ短調 D.759『未完成』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1978年9月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD4-5
バイエルン国立歌劇場/J.シュトラウス『こうもり』全曲

クライバーのオペラ録音第2弾。バイエルン国立歌劇場の指揮者になって7年目の録音だけに、細部まで息の合ったアンサンブル、繊細で俊敏なリズムの切れ味に、ヨハン・シュトラウスの天才が改めて浮き彫りにされる稀有な演奏です。この録音の11年後のライヴ映像と較べると、クライバーの意思の徹底振りの凄さに驚かされること間違い無しの演奏です。ヴァラディ、ルネ・コロ、ルチア・ポップ、ヴァイクルなど歌手も高水準。

● J.シュトラウス2世:喜歌劇『こうもり』全3幕
ヘルマン・プライ
ユリア・ヴァラディ
ルネ・コロ
ルチア・ポップ
ベルント・ヴァイクル、他
バイエルン国立歌劇場合唱団
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1975年10月
録音場所:ミュンヘン、ヘルクレスザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD6-7
バイエルン国立歌劇場/ヴェルディ『椿姫』全曲

多くの場合、抒情的に演奏される作品から、おそろしいほどの緊張感と起爆力を引き出して聴衆のド肝を抜いたこの演奏、クライバーとしても若いころだけのものだった動的な感覚の凄みと冴えが、随所で驚きと興奮をもたらして実に刺激的です。
イタリア・オペラなのに、全編「音が立ってる」という感じのスゴイ演奏で、鋭利なフォルテ、強弱の振幅、歌手の感情表現の高揚に合わせ速度を上げていく劇的な手法など、表現意欲の凄まじさには目を見張らされるばかりです。
なお、第2幕冒頭のカバレッタでは、ここでは慣習に従い最後の音を上げています。当時のドミンゴは高域が苦手だったこともあってか、ファルセットのような妙な音になっていますが、これはLP時代から有名なもので、今回もそのままの状態となっています。

● ヴェルディ:歌劇『椿姫』全3幕
イレアナ・コトルバス
プラシド・ドミンゴ
シェリル・ミルンズ、他
バイエルン国立歌劇場合唱団
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1976年5月、1977年5、6月
録音場所:ミュンヘン、ビュルガーブロイ=ケラー
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD8-10
ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』全曲

LPは5枚組で最初のCDは4枚、そしてようやく各幕1枚に収まってフェイドアウト&フェイドインから逃れることとなったクライバーの『トリスタン』。この演奏のすごいところはオーケストラも主役級ということでしょうか。炎のように熱く水のようにしなやか、異常な熱狂と浄化された美感という相反する要素がここでは奇跡的に同居しているのです。マーガレット・プライスの清廉なイゾルデ役、終幕の絶唱が凄いコロのトリスタン役と、キャストも高水準です。

● ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』全3幕
マーガレット・プライス
ルネ・コロ
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ブリギッテ・ファスベンダー
クルト・モル、他
ライプツィヒ放送合唱団
シュターツカペレ・ドレスデン
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1980年8&10月、1981年2&4月、1982年2&4月
録音場所:ドレスデン、ルカ教会
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


CD11-12
ウェーバー『魔弾の射手』全曲

クライバーのテビュー盤。発売当時の批評でも、「文字通りオペラティックとしか言いようがない劇場的魅力」などと早くもその才能を絶賛されていましたが、実際、レントラーなど、通常の演奏とのあまりの違いっぷり、大胆すぎるほどの快速とアクセントの強烈さにド肝を抜かれた方も多かったことでしょう。
許光俊氏も「もし1枚だけというのなら、私はウェーバー「魔弾の射手」を選ぶ。素直に「ああ、すごい」と溜息をつかせるような演奏だ。序曲を聴いただけで、弱音の暗さ、緊張感、ホルンの牧歌的のどかさ、悲痛な弦の歌、膨れあがるような迫力・・・密度の高さにうならされる。」と絶賛するクライバー初期の傑作です。

● ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』全3幕
ペーター・シュライアー
グンドゥラ・ヤノヴィッツ
エディト・マティス
テオ・アダム、他
ライプツィヒ放送合唱団
シュターツカペレ・ドレスデン
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1973年1&2月
録音場所:ドレスデン、ルカ教会
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
https://www.hmv.co.jp/artist_Box-Set-Classical_000000000088040/item_%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%EF%BC%8FDG%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E5%85%A8%E9%9B%86%EF%BC%8812CD%EF%BC%8B%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%EF%BC%89_9072443

2 名前:777

2022/07/24 (Sun) 05:58:36

宇野功芳:ヴァントがいちばんいい例で、三流、二流、一流、超一流となる。
朝比奈先生も二流だったもんね。

60歳ぐらいから少しずつ一流になってきて、長生きしたおかげで曲によっては超一流になった。


山崎浩太郎:そういう意味ではカルロス・クライバーは、決して亡くなったとき若くはないですけれども、老い、円熟ということは一切なく、カルロス・クライバーという人がそのまま来て、そのままいなくなった。

宇野功芳:ああいう天才型は大体そうだなあ。アルゲリッチもそうだし、ハイドシェックもそうだし、天才型というのは何か進歩しないんだ。
https://kirakuossa.exblog.jp/20038456/


▲△▽▼


宇野功芳さんとの和解 2016年06月13日
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1953389990?org_id=1953541938

クラシック音楽評論家の宇野功芳が亡くなった。
不死身かと思うような活動ぶりだったのではあるが、不死身ということはないとわかる。

他所のコメントで書いたのだが、けっこう個人的な内容なので、自分の日記に移すことにした。

私のクラシック音楽観の49%ぐらいはこの人と共有してきた気がする。

講談社現代新書で出た名曲名盤的な本が大ブレイクしたのではと思うが、私は諸井誠の「交響曲名曲名盤100」がバイブルだったので、諸井氏が推すカラヤン・ショルティ・アバド・レヴァインあたりの権威を、現代風の無機的なものだと、アクの強い文章で一刀両断した宇野氏はどうしても許せなかった。
大学時代に、気取ったクラシック青年と知り合いだったが、彼が宇野氏の信奉者で、ハイドシェックなどの怪しい?CDを持っているのにも失笑していた。
とはいえ、カラヤンのスタジオ録音のベートーヴェンがつまらないとか、小沢征爾より朝比奈隆の不器用さに感動するとかいうのは、同意できたので、どうにも気になって、隠れて何冊も読んでいた。

高校生から大学生にかけて読んだため、自分の発想自体が評論家的・アマチュア主義的になったところもあり、そういう意味では、自分を不良(ワル)くした大人の一人かもしれない。

アバドの若手室内オケとのハイドンを褒めるなど、嫌いな演奏家をたまにもちあげるとよい味があった。

亡くなったことで、単純に和解した気がする。
こういうことはあるのだなと思う。
こういう、精神が自由で、権威におもねらず、一生懸命活動してる人は本来的に好きだったのだ。

宇野評価軸のひとつで、カルロス・クライバーは「真の天才、ただし、深みは往年の巨匠たちに及ばない、指揮姿が美しすぎて音楽が過大評価を受けている、オペラのほうが良い」みたいなことになっている。
私はクライバーの信奉者なので、この「ただし」以降が許せなかったし、気にもなっていた。

最近、クライバーとシカゴ響の「運命」海賊盤を久々で気まぐれに聴いて、強い印象を受けた。
これはマスターテープを変な加工なしで発売できたら、有名なスタジオ録音を、ラディカルさでは一蹴するだろう。

気になっていた「大地の歌」(1967年ライブ録音で、初期海賊盤はひどい音)の正規?盤と、椿姫(1985年あたりの客席録音?)を購入。

「大地の歌」は、聴ける程度の音になっている。
「椿姫」も、割れているが臨場感のある音で、流れるような音楽性は伝わる。
調べると、クライバーの演奏記録は、ほとんどがオペラで、オケコンサートは数えるほどしかない。
宇野氏の言うように、オペラが本領の人だったのは確かだと、はじめてわかった。

オペラはわからず、再生環境もよくなかったので、聴かずにとっておいていた。
ミュージカルを聞き込んだことで、オペラがわかるようになった。

もう、若いころのように、クライバーや宇野氏のようなカリスマに強い影響を受けることもないだろう。
演奏は、それこそ世界に一つだけの花であって、ベスト盤を競うことにさほど意味もないとも気づいた。
しかし、まだ未聴の名曲名盤の宝庫がオペラにたくさんある。
クラシックの趣味のよいところかもしれない。


コメント

mixiユーザー2016年06月13日 20:43

カルロス・クライバーはフェスティバルホールで観ました(ベト4,7)。
あんな美しい指揮姿を見たことはなかったし、これからもないでしょう。
演奏は必ずしも最高ではなかったのですが。
「指揮姿が美しすぎて音楽が過大評価を受けている」
というのは、たしかにそうだと思いました。
あくまでナマ体験の話ですが。
そういう体験をすると、宇野氏のコメントはうなずけるものがあります。

mixiユーザー2016年06月13日 22:45

> mixiユーザー 

生で聴かれたのはうらやましいの一言です。
私は、クライバーもバーンスタインも、チケットは持っていて、キャンセルです。オーディオにはまった原因でしょう。のちに、ニューヨークのブロードウェイで、生で聴いたが吐き気でフラフラだったということもあります。そういう人生みたいです。

クライバーは、椿姫やこうもりやらで、軽やかな響きで胸に染み入るみたいなのが芸風なのだと思います。
ファンにとってはベートーヴェンもブラームスも大事ですが。

mixiユーザー2016年06月14日 03:06

BSのNHKでクラシックコンサートを見ると、時間合わせに演奏家のドキュメントをよく放送してます。「Traces to nowhere」というのがクライバーで、ウィーンフィルとの確執とか、バイエルン時代のうっとりするような演奏している姿とか、「欠点があるとすれば女癖の悪さだけね」とかいう歌手の話とか、テンコモリで面白かったです。

私は彼のスタジオ録音はあんまり好きでなくて、ライブのベートーベン4番とか、最近聞いた「こうもり」がとても好きです。彼はおそらく自殺で、奥さんの死がその引き金だったようです。奥さんは、なんであのクライバーがこの人と、と皆が驚くほどに静かな人でした。売れないオペラ歌手だったか。

想像ですけれど、彼の内面はその奥さんに惹かれたのでしょう。外では、美し過ぎる指揮姿、と言われ、浮名も流してそれもクライバーの確かな一面ながら、晩年につながる種と言うのか本質は、若い頃からあったのかなと思います。確か、とても指揮を嫌がる人だったと、ドキュメントでも言ってました。「冷蔵庫がカラにならないと指揮しない」と、カラヤンに揶揄されてますが、本当に指揮は嫌だったのでしょう。

それやこれやを考えると、クライバーは天才という部類に入ると思います。フルトヴェングラーも。世間との不適合と言う意味で。トスカニーニとカラヤンは入らないと思います。あくまでも私の主観ですが。「Traces to nowhere」とは、行き場がない、ですね。クライバーとしては。

mixiユーザー2016年06月15日 02:16

> mixiユーザー 

ドキュメンタリーはもうひつありますが、思い切ったタイトルだなと思います。
全盛期を知ってる人は、あんなに幸福で生気に満ちた人はいないと思うでしょうが。

私は、シューベルトの「未完成」とか、最晩年のスロヴェニアフィルとのブラ4なんかは好きです。
まさにTraces to nowhereって感じがします。

mixiユーザー2016年06月20日 16:19

われわれの世代は多感な時期に例のベストセラーにたいそう影響を受け、中には信奉といえるまで入れ込む者もおりました。ちょっと滑稽でしたね。個人の趣味のスタイルを完全に影響下に置くようなインパクトのある評論だったとも言えます。
今ふりかえると「フルトヴェングラーかワルターか」という次元の話なのですが、兎に角、今のシーンは随分遠いところに来たものだと思います。

mixiユーザー2016年06月22日 02:16

> mixiユーザー 

最近、地下鉄のトイレで、「そういえば、ベストCDとかって考える必要ないのでは?」と思いました。ベストCDとかを決めねばならない、という思い込みをここまで与えられていたとは・・・  あっぱれです。

https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1953389990?org_id=1953541938

3 名前:777

2024/05/18 (Sat) 09:40:27

ヴェルディ「椿姫」

La traviata
Carlos Kleiber
Bavarian State Opera
Bavarian State Orchestra
℗ 2011 Master Classics Records
https://www.youtube.com/playlist?list=PLNecd3UmxxjLUopz6I8-YX8zP8b5Z3l_o


Giuseppe Verdi - La Traviata, Act I (Carlos Kleiber, 1976)
https://www.youtube.com/watch?v=UyWuXtLt1fw&list=RDUyWuXtLt1fw&start_radio=1

Ileana Cotrubas [Violetta Valéry] |
Stefania Malagú [Flora Bervoix] |
Helena Jungwirth [Annina] |
Plácido Domingo [Alfredo Germont] |
Sherrill Milnes [Giorgio Germont] |
Walter Gullino [Gastone | Giuseppe] |
Bruno Grella [Barone Douphol] |
Alfredo Giacomotti [Marchese d'Obigny] |
Giovanni Foiani [Dottor Grenvil] |
Paul Friess [Flora's servant] |
Paul Winter [Messenger] |

Bavarian State Opera Chorus [Lady and gentlemen friends of Violetta & Flora, servants of Violetta & Flora, maskers] |
Bavarian State Opera Orchestra |
Carlos Kleiber (conductor)




Carlos Kleiber conducts La Traviata (1978 live) [with Cotrubas, Aragall, Bruson et al.]
https://www.youtube.com/watch?v=GzZn8KOeqkM

La traviata by Giuseppe Verdi performed in Italian
Conductor Carlos Kleiber - 1978(LI)
Orchestra - Bayerische Staatsoper
Chorus - Bayerische Staatsoper
Violetta Valery - Ileana Cotrubas
Flora Bervoix - Doris Linser
Annina - Helena Jungwirth
Alfredo Germont - Giacomo (Jaime) Aragall
Giorgio Germont - Renato Bruson
Gastone - Friedrich Lenz
Dottore Grenvil - Max Proebstl
Barone Douphol - Hans Wilbrink
Marchese d'Obigny - Erich Auer



Verdi: La Traviata /Carlos Kleiber/ München Live 1975 ヴェルディ:椿姫 カルロス・クライバー /ミュンヘンライブ
https://www.youtube.com/watch?v=CF1vSJmAY28


カルロス・クライバー(指揮)
バイエルン国立管弦楽団、同合唱団
ヴィオレッタ:イレアナ・コトルバス(Sp)
アルフレート:ジャコモ・アラガル(T)
ジョルジョ:ヴォルフガング・ブレンデル(Br)他
録音:1975年4月26日(ライヴ,モノラル)

4 名前:777

2024/05/18 (Sat) 10:11:27

Carlos Kleiber Beethoven: Symphonies Nos.5 1981
Recording of the Vienna Philharmonic of the Symphony No. 5
https://www.youtube.com/watch?v=zuq3VvkiciY

In 1981, at the Teatro Juárez de Guanajuato, within the framework of the International Cervantino Festival
That's why the recording quality is lousy.
I think it is the only live recording of Carlos playing the fifth

5 名前:777

2024/05/18 (Sat) 10:44:48

カルロス・クライバー ブラームス:交響曲第4番

Brahms - Symphony No.4 - Kleiber, VPO (Live 1979) (remastered by Fafner)
https://www.youtube.com/watch?v=2YassHUkDYc

Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Carlos Kleiber, Vienna, live 16 December 1979.


Brahms - Symphony No 4 - Kleiber, VPO (1980)
https://www.youtube.com/watch?v=Ho-H-8FzbU8

Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Carlos Kleiber
Recorded 12-15 March 1980, Grosser Saal, Musikverein, Wien
https://www.youtube.com/watch?v=Ho-H-8FzbU8



Brahms Symphony No.4 - Carlos Kleiber / Berliner Philharmoniker (live)
https://www.youtube.com/watch?v=pGiXx-TcY3Y

Carlos Kleiber conducted Berliner Philharmoniker only twice. This is the latter. Probably the most exciting concert I've ever attended.

28 June 1994, Berliner Philharmonie




カルロス・クライバー ブラームス:交響曲第4番 八種類・全録音をすべて詳細に聞いて紹介! Carlos Kleiber【ヒストリカル解説 Vol.100】話:徳岡直樹 Naoki Tokuoka
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life 2023/08/18
https://www.youtube.com/watch?v=bMPD-pq6iP8

00:00 オープニング
03:31 実は第一楽章にイントロが?
05:56 1979年12月ウィーンフィル公演
17:40 1980年DGレコード録音
25:21 1986年3月ミュンヘン・ライブ
30:31 1994年6月ベルリンフィル公演
35:12 1996年4月インゴルシュタット
38:11 1996年10月ミュンヘンDVD
43:40 1997年6月スロヴェニア
46:29 1997年6月ラヴェンナ公演

6 名前:777

2024/05/18 (Sat) 19:25:58

ベートーヴェン

L. van Beethoven: Symphony No. 4 / Carlos Kleiber (Tokyo, 1986)
https://www.youtube.com/watch?v=F100_e1FKxk


Bayerische Staatsorchester
Conductor: Carlos Kleiber

Hitomi Memorial Auditorium
Tokyo, Japan
1986

  • 名前: E-mail(省略可):
壺齋散人 ドストエフスキーを読む
1 名前:777

2024/01/15 (Mon) 16:51:07

壺齋散人 ドストエフスキーの小説「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年1月13日 08:19)
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7606.html#more

「悪霊」は、ドストエフスキーのいわゆる五大長編小説の三番目の作品である。最後に書かれた「カラマーゾフの兄弟」と並んで、かれの最高傑作との評価が定着している。たしかに、テーマの重さとか、構成の見事さなど、優れた小説としての要件を満たしている。しかも、ドストエフスキー自身の思想も盛り込まれている。この小説を書いた時点でのドストエフスキーは、若いころの自由主義的でかつニヒルな考えを克服して、いわゆるロシア主義的な思想を抱いていた。この小説は、自由主義とか社会主義あるいはニヒリズムを批判することに急である。それに替えて、伝統的なロシア主義を主張するような描写が多い。その主張は、たしかにドストエフスキー自身の当時の思想を踏まえたものといえる。だが、これは小説であって、プロパガンダではないので、ドストエフスキーはそうした主張をたくみに、つまり文学的な形で表現している。それがさも文学的に見え、ドストエフスキーによるプロパガンダと感じさせないところが、この小説の巧妙なところだろう。

ドストエフスキーがこの小説を書く気になった直接の動機はネチャーエフ事件である。これは1869年に起きた殺人事件で、ドストエフスキーに大きな衝撃を与えたと思われる。かれはその事件をモデルにして、事件後さっそく小説の構想に取り掛かり、二年後の1871年から雑誌に連載を始めた。ネチャーエフ自身は、革命家を自認していたが、たいした思想があったわけではなく、ナロードニキ的な激情にかられて行動していた。その行動が逸脱して、仲間内でスパイ騒ぎが持ち上がり、スパイの嫌疑をかけたメンバーを殺害したというものである。そういう事件の特徴をドストエフスキーはそのまま生かす形でこの小説を構想した。それについては、ネチャーエフをピョートル・ヴェルホーヴェンスキーという人物に仮託し、かれをとりまくいくつかの人物像に、社会主義だとかニヒリズムをかぶせている。それにニコライ・スタヴローギンという全く新しい人間像をからませることで、小説の構成に厚みを持たせている。

この小説の中心軸は、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーである。この人物にドストエフスキーはネチャーエフを重ねている。その上でかれを、世界的な革命運動と結び付けている。その革命運動が社会主義をイメージしていることは、文中たびたび社会主義インターナショナルへの言及があることからうかがえる。ドストエフスキーは、ロシアにも西欧の社会主義運動の波が押し寄せていると感じ、それに対してかれなりの危機感を覚え、それを小説という枠のなかで表明したのではないか。

しかし、小説の形式上の主人公はニコライ・スタヴローギンに設定されている。スタヴローギンは、ピョートルやかれを取り巻く人間たち(革命運動のメンバーたち)に精神的な影響を及ぼし、かれらによって指導者と見做されているのだが、自分自身は、その運動には具体的なかかわりはもたないし、また、かれらによるスパイ殺害事件にもかかわってはいない。そういう人物が小説の主人公としてユニークな役割を果たしているので、この小説は単なる革命騒ぎをめぐる物語という範疇を大きく逸脱し、壮大さを感じさせるようなものになっている。

スタヴローギンをめぐる逸話の数々を別にすれば、この小説は、社会主義運動組織によって引き起こされた革命騒ぎと、それに関連した仲間割れを描いたものと言える。その革命騒ぎとか仲間割れといったものが、戦後の日本の学生運動に似ているというので、この小説は、そういう流れとの関連において、日本では読まれたという経緯を指摘できる。だがそれは小説そのものとはあまりかかわりのないことなので、ここではこれ以上触れない。

ともあれ、この小説が、レーニンが左翼小児病と呼んだような、幼稚な社会主義運動を茶化したものだということは間違いないと思われる。その小児病を引き起こしているのが悪霊というわけである。この小説のタイトルとなった悪霊とは、新約聖書のルカ伝からとられたものである。人間にとりついていた悪霊が、イエスの許しを得て人間から豚に乗り移ったとたん、崖から湖に落ちておぼれ死んだという逸話である。その逸話をもとに、社会主義者たちには悪霊が取りついているとほのめかしたわけである。

聖書のこの逸話は、プーシキンの詩の一節とならんで、本文に先立つ冒頭の部分で引用されているほか、小説の最後に近い部分で、ステパン先生が聖書売りの女と対話する場面でも出てくる。そのほか、本文には入らなかった「スタヴローギンの告白」の中でも出てくる。というか、「スタヴローギンの告白」を本文から排除したために、それにかわるものとして、ステパン先生にこの逸話を語らせたのだと思う。そんなわけだから、ドストエフスキーはこの悪霊という言葉に、かなりこだわっていたということができよう。こういう言葉を使うことで、社会主義思想とその運動を罵倒したかったのかもしれない。

この小説には、社会主義思想のほか、ナロードニキの思想とか、無政府主義とか、ニヒリズムとか、ロシア主義といったものもとりあげられる。小説でありながら、思想のオンパレードになっているのである。そうした色々な思想のなかで、ドストエフスキーが自分にもっとも親和的だと考えたのがロシア主義だと言えそうである。そのロシア主義をもっともスマートに体現しているのは、シャートフであるが、かれはピョートルらの一味によって殺されてしまう。それによってドストエフスキーは何を言いたかったのか。おそらくロシア的なものへの、自分自身の両義的な感情を吐露したかったのかもしれない。

なお、ドストエフスキーのこれ以前の小説は、だいたいペテルブルグを舞台にしているのだが、この小説の舞台は架空の(あるいは匿名の)都市である。その都市には社交界があり、また大勢の労働者を雇用する工場(シュピグーリン工場と呼ばれる)が存在することから、結構大きな都市だと思われる。社会主義運動が起ってもおかしくないようなところなのである。じっさい、労働組合らしきものによる争議も起こる。社会主義への懐疑をテーマとするこの小説にはふさわしい舞台といえよう。
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7606.html#more


25 名前:777

2024/04/20 (Sat) 13:57:17

マカール・イヴァーノヴィチ・ゴルゴルーキー ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年4月20日 08:54)
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7775.html

マカール・イヴァーノヴィチ・ゴルゴルーキーは、ロシア人の信仰のあり方の一つの典型を示している。ドストエフスキーはこの小説の中で、マカール・イヴァーノヴィチにたいして大きな役割は果たさせていないが、しかし彼のちょっとした言葉の端々から、ロシアの民衆の信仰心が伝わってくるように書いている。マカールは、農奴の出身であり、したがってロシアの最下層の民衆を代表する人間である。その最下層のロシア人にとってキリスト教信仰とはどんな意味を持つのか。そのことを考えさせるようにドストエフスキーは書いているのである。

マカール・イヴァーノヴィチは、20年ばかりロシアの各地を放浪した挙句に、ペテルブルグのヴェルシーロフのもとに身を寄せた。自分の最期が近いのをさとって、死に場所を求めてきたのである。じっさいマカール老人は、ヴェルシーロフの家で死ぬのである。死ぬ前にかれは、アルカージーにさまざまなことを語り、アルカージーに一定の影響を与える。だが、たいした影響ではない。この二人は生きる世界が違うから、アルカージーにはロシアの下層社会の信仰が、すんなりとは受け入れられないのだ。

マカール老人は、分離派の信徒ということになっている。ロシア正教で分離派は古儀式派とも呼ばれ、教会組織を持たず純粋な信仰だけで結びついた集団である。自分に試練を与えるために、進んで苦痛を求めるのが特徴だとされる。その試練のなかに巡礼が含まれるが、巡礼といっても単に各地を放浪して回るだけのことである。マカール老人も、20年間巡礼の旅と称してロシア各地を放浪したのだった。

マカール・イヴァーノヴィチが放浪するきっかけは、ヴェルシーロフが与えたことになっている。ヴェルシーロフは、マカール・イヴァーノヴィチから若い妻ソーニャを奪い、マカールにはそこそこの金を持たせて、巡礼の旅に出るよううながしたのであった。だが、マカール自身分離派教徒として放浪へのあこがれがあったので、半ば喜んで旅に出たのであった。かれは、ヴェルシーロフからもらった金を自分で使うことはなく、ソーニャへの遺産としてとっておいた。自分自身は乞食の境遇に甘んじたのである。

マカール老人が死の床を求めてヴェルシーロフの家にやってきたのは、アルカージーが長い昏睡から覚める頃合いだった。アルカージーは、昏睡から目覚めようというときに、「主よ、イエス・キリストよ、われらが神よ、われらを憐れみたまえ」という言葉を聞いた。マカール老人のささやきである。その言葉から、分離派の信仰の一端がうかがわれる。

マカール老人の風貌は、「髪が真っ白で、ふさふさと銀のように白いあごひげを生やした一人の老人」といった具合だったが、その笑い顔がアルカージーの心にひびいた。アルカージーは、笑いを下卑たものと考えていたのだが、マカール老司の笑い顔は、赤ん坊のそれのように純粋無垢に思えたのだ。

そこで、アルカージーが人間の笑い顔をどのように受け取っていたかを見ておきたい。アルカージーは言う、「人が笑うと、たいていは見ていていやになるものである。笑い顔にはもっとも多くなにか下卑たもの、笑っている本人の品位をおとすようなものがむき出しにされる」(工藤精一郎訳)。なぜかというと、「笑いはなによりも誠意を要求する。だが人々に誠意などあろうか。笑いは悪意のないことを要求する。ところが人々が笑うのはほとんど悪意からである。誠意に満ちた悪意のない笑い~それは陽気である。ところが今日の人々のどこに陽気があろうか」、というわけだからである。

笑いの中で唯一純粋なのは赤ん坊の笑いである。「赤ん坊だけが完全に美しく笑うことができる」。その赤ん坊のように美しい笑いを、アルカージーはマカール老人の顔に認めたのである。

そのマカール老人は、自分の死期をさとりながら、自分自身の一生に満足している。満足しているから、気持ちよく死んでいくことができる。それゆえ、次のように言うことができるのである。「年寄りはあとくされなく去らにゃいかんのだよ。おまけに、不平を言ったり、不服に思ったりして死を迎えたら、それこそ大きな罪というものだよ。だが、心の楽しみから生活を愛したのなら、きっと、年寄りでも、神はお許しくださるだろうさ。人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、何もかも知るのはむつかしいことだ。そこには人間の知恵の及ばない秘密があるのだよ。年寄りはどんなときにでも満足して、自分の知恵が咲き匂っているあいだに、感謝しながら美しく死んでいかにゃならんのだよ。毎日々々を満足しきって、最後の息を吐きながら、喜んで、麦の穂がおちるように、自分の秘密を補って、去っていくのだよ」。

マカール老人のこの言葉には、ロシアの民衆の世界観が反映されていると考えてよいのだろう。それを単純化して言うと、諦念による心の安寧といえようか。マカール老人はほかにもアルカージーの興味を引く話をする。その中には、自分の犯した罪を償う商人の話も出てくる。その商人もマカール老人同様、最後には放浪の旅に出る。その商人にとっての放浪の旅は、マカール老人の場合と同様、死を迎える準備だった。

こうしてみるとドストエフスキーは、ロシアの民衆の信仰は、美しい死を迎えるための心の準備をもたらしてくれるものととらえていたようである。その信仰は民衆のためのものであって、ヴェルシーロフのような貴族を自認するものには異端でしかない。ヴェルシーロフは、マカール老人がソフィアのために残した聖像を、無残にも打ち割ってしまうのだ。そこに貴族と民衆の間に深い分断があることを感じさせる。ヴェルシーロフは、ロシア人である前に、貴族としての矜持にこだわるのである。

そんなわけで、マカール老人の存在感は、「悪霊」におけるチホンの存在感とは違ったものである。チホンは貴族のスタヴローギンにも対等に接することができた。マカール老人は、ヴェルシーロフやアルカージーの前では、独り言をいうだけである。
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7775.html

26 名前:777

2024/04/28 (Sun) 11:35:23

ワーシンと自由思想家たち ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年4月27日 08:30)
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7784.html

小説「未成年」の出だし近いところで、アルカージーはクラフトと会う目的でデルガチョフの家に出かけていく。クラフトが彼のためにあずかっている書類を受け取るためである。そこには、何人かの青年たちが集まっていて、何やら議論していた。その議論にアルカージーも加わることになる。青年のなかにはクラフトのほかワーシンとか教師と綽名された者などがいて、それぞれ勝手なことを言っていた。その議論が、当時のロシアの青年世代をとらえていた自由思想を踏まえたものなのだ。自由思想を抱いた青年たちは、「悪霊」にも登場するが、この小説の中の青年たちは、「悪霊」の青年たちに比べ、いまひとつ迫力を感じさせない。アルカージーなどは、思想らしいものを持っていないのだが、そのアルカージーと比べてもたいした違いはないのである。

アルカージーがデルガチョフの家に入っていったとき、若者たちはロシアの惨めさについて議論していた。クラフトがロシア人は二流国民だという思想を披露し、それをめぐって賛否こもごもの議論をしていたのだった。賛成するものは、ロシア人は「二流の国民であり、その使命はより高尚な国民のために単に材料となることであって、人類の運命において自分の自主的な役割というものを持っていない」(工藤訳)と言う。反対するものも、ロシアが二流国民だと決めつけることに反対しているわけではなく、二流国民ということに満足すべきだと言う。そうすれば馬鹿な愛国心から解放されると言うのである。いずれにしても、ロシアに否定的なところは共通している。

アルカージーがその議論に加わったのは、クラフトの主張にワーシンが疑問を呈したことに促されてのことだった。ワーシンはクラフトの議論が論理的ではなく感情的だという点を突いたのだったが、どういうわけかアルカージーはそれに促されて、突然しゃべりたくなったのだ。だがアルカージーはワーシンの言うことに納得したわけではなく、人間は感情的にならざるを得ないということを言いたかったのである。かれがそう思うのは、未成年者として、論理的に考える習慣が身についておらず、感情的に行動しているからであろう。

かれらの議論にはたいした内容があるわけではない。面白いのは、アルカージーがそこに社会主義的な匂いを感じ取り、それに反発していることである。かれはこう言って彼らを批判するのである。「あなた方の望んでいるのは、共同の宿舎、共同の部屋、stricte necessaire(絶対実需品)、無神論、そして子供をはなした共同の妻~これがあなた方のフィナーレでしょう、ぼくは知っているんですよ」。かれらはそんなことを議論していたわけではなく、単にロシアのみじめさを嘆いていたのであるから、こう受け取ったのはアルカージーの勇み足なのである。

そんなアルカージーにある皮肉屋が声をかける。「失礼ですが、お名前をお聞かせいただけませんでしょうか」と。それに対してアルカージーはこう答える、ドルゴルーキー、それもただのドルゴルーキー、元農奴マカール・ドルゴルーキーの息子で、元主人ヴェルシーロフの私生児だと。

デルガチョフの家を出た後、アルカージーはワーシンに話しかける。二人の間でヴェルシーロフのことが話題になる。ワーシンはヴェルシーロフを、傲慢であるが神を信じていると評する。彼が言うには、彼ら傲慢な人間は、「人間の前に頭を下げたくないから、神を選ぶ」のである。なおワーシンは、ステベリコフの甥ということもあり、その後もたびたび登場する。かれの言うことは、自由思想にかぶれていることを感じさせる。

この場面のあと、アルカージーはあらためてクラフトを訪ね、例の書類を受けとる。その書類が、小説の展開にとって重要な役割を果たすのである。ともあれクラフトは、「彼らを許してやりなさい」と言う。その上で、「彼らは他の人々に比べてばかでもありませんし、利口でもありません。彼らは~皆と同じように,狂気なのです」と言う。「今日、人々の中でいくらかましな者はみな~狂気なのです」と言うのである。

そのクラフトは、アルカージーに書類を渡すと、その日のうちに拳銃自殺してしまう。その理由は、小説の中では明らかにされていない。語り手のアルカージーに、それを追求する根気がないからだろう。

デルガチョフらの仲間は、後に官憲によって逮捕される。逮捕の具体的な理由は明らかにされていない。かれらの自由思想とか社会主義的な思想が、官憲の弾圧の網にかかったというような書きぶりである。

こんな具合に、この小説における自由思想家たちは、「悪霊」のそれに比べると、描写の仕方も中途半端だし、思想の内容も詳しく触れられているわけでもない。極めてぞんざいな扱い方である。
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7784.html

27 名前:777

2024/05/05 (Sun) 06:55:48

不幸な女オーリャ ドストエフスキー「未成年」を読む 
続壺齋閑話 (2024年5月 4日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7795.html

ドストエフスキーは、小説の中で不幸な女を描くのが好きであった。「虐げられた人々」の中のネリーとか、「地下生活者の手記」の中のリーザは、かれがもっとも力を込めて描いた不幸な女である。「罪と罰」の中のソーニャもそうした女の一人である。「未成年」にも不幸な女が出てくる。オーリャである。彼女は不幸であるとともに気位の高い女であって、その気位の高さが彼女を死に駆り立てる。彼女は、世間からさんざん愚弄されたことで、生きることに絶望し自ら首を吊って死ぬのであるが、それはぎりぎりの自尊心のためだったのである。

オーリャは母親とともにモスクワからペテルブルグに出てきたのだった。母親は長い間後家生活を続け、女手ひとつで娘のオーリャを育て、それなりの教育も受けさせたのだったが、わずかな年金では暮らしが成り立たない。ところで、死んだ夫がある商人に4000ルーブリ貸したことがあった。母親はそれを返してもらおうと考えて、その商人がいるペテルブルグにやってきたのであった。

母子の不幸はそこから始まるのである。母親はさっそくその商人にかけあったが、のらりくらりと言い逃れる。いささかのやり取りの後、明日改めて来てほしいと言われ、オーリャが一人で出向いていく。すると商人は、たったの15ルーブリを手渡して、もし処女だったら40ルーブリ上積みしてやろうと暴言を吐く。オーリャはこの侮辱に怒りを覚えたが、とりあえずその15ルーブリを持ち帰り、その金で家庭教師の求職広告を新聞にだした。

その広告はヴェルシーロフの目にもとまり、かれに不似合いな行動をとらせるのであるが、その前に、もう一つ嫌なことが起きる。ある女が訪ねてきて、新聞広告を見たが、もし職を探しているのなら、自分のところに訪ねてきなさいと言う。その言葉をすっかり真に受けたオーリャは、知らされた住所を頼りにそこへと赴く。ところがそこにはいかがわしい女たちがいた。先ほどの女が言っていた職とはバイシュンのことだったのである。オーリャはこの仕打ちにすっかり打ちのめされる。母親が言うには、「その時からあの娘の顔にけわしい表情がでて、それが死ぬまで消えなかった」のである。

ヴェルシーロフがオーリャを訪ねたのは、そんな折である。かれは、どういうわけか俄かに慈善心を起こし、新聞で求職しているオーリャに手を指しのべる気になったのである。かれはとりあえずオーリャにいささかの金を渡す。オーリャはそれを純粋な善意として受け取りはしたが、いままでのことがあるので、もしかしたらこれには裏があって、あの男は自分を侮辱するつもりなのではないかとも考える。

そんなオーリャに火をつける奴があらわれる。ステベリコフである。ステベリコフはヴェルシーロフに意趣を抱いていて、オーリャに彼の悪口を叩きこむのである。「ヴェルシーロフってやつは、よく新聞などに書き立てられる将軍連とまったく同類の人間です。彼らは軍服の胸にありったけの勲章を飾って、新聞広告を調べて家庭教師希望の娘たちをかたっぱしから訪ねて歩き、お好みの娘をあさってるってわけですよ。お好みにあわなけりゃ、ちょっと座って、すこしばかりお話をして、いろんなことをどっさりこと約束して、立ち去る~それで結構慰めになるのですよ」。

この言葉を聞いたオーリャは、「お母さん、恥知らずな男に仕返しをしてやりましょう」と言って、あらかじめ警察の住所係で調べていたヴェルシーロフの住所に出かけて行って、受け取った金を突き返すのである。その場面はすでに、小説のかなり前のところで描写されている。

オーリャはその直後に首を吊って死ぬのである。その報をアルカージーはワーシンから聞いたのだったが、「あのステベリコフがいなかったら、こんなことにはならなかったかもしれんな」と感想を漏らす。世の中にはステベリコフのような悪党がはびこっていて、そいつらが不幸な女をさらに不幸にして楽しんでいるというわけである。

ヴェルシーロフについては、とくにこれといった思惑があったわけではなく、とっさの思い付きでオーリャに助け舟を出したつもりでいたのだったが、意外な事態に展開したのを知って愕然とする。あの際にもっと丁寧に対応していれば、こんなことにはならなかったかもしれないと思って、多少は反省するのである。

だが、オーリャを死に至らしめたのは、特定の個人のせいというよりは、ロシア社会の、とりわけペテルブルグという都会の、冷たい体質だったといえなくもない。ロシアというところは、多少とも自尊心のある人間、とりわけ女性にとって生きづらいところの多い社会である。ロシアには無数の不幸な女がいるが、彼女らは、自分を無にするこつをわきまえていないと、生き残ることがむつかしい。多少とも自尊心をもっていると、生きることがむつかしいのである。ドストエフスキーの小説の中の不幸な女たちは、ソーニャを別にして、みな自尊心のために自分の不幸をさらに深刻に受け取らざるを得ないのだ。その結果、自尊心に押しつぶされて、自ら命を絶つことになるのである。

では、自分を無にするとはどういうことか。それは信仰にのめりこむことではないか。神に帰依することで、自分を無にするのである。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7795.html

28 名前:777

2024/05/11 (Sat) 15:18:29

ロシア主義と外国人嫌い ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年5月11日 08:41)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7805.html

小説「未成年」には、ドストエフスキーのロシア主義的心情と外国人への嫌悪感が盛り込まれている。外国人のうちでもユダヤ人は特に醜悪な描かれ方をしている。そこでこの小説は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義がもっとも露骨に表れているものとして受け止められてきた。また、ロシア主義については、単にロシア人の民族的特殊性を誇大に言い募るというよりは、ロシア人のコスモポリタン的な面を強調し、それをもとにロシア人の国際的な優秀性を誇示するというやり方をしている。ロシア人ほどコスモポリタンな民族はいない。そのロシア人こそが世界の手本となる資格があるというわけである。

ロシア人のコスモポリタン的な性格についてのもっとも白熱した議論が展開されるのは、第三部の第七章の中である。つまり小説の終わりに近い部分であり、それ以前に言及されてきたロシア人観を集大成するような形になっている。面白いことにそのロシア人観をヴェルシーロフが披露する。かれは息子のアルカージーに向かって、ロシア人のコスモポリタン的な一面を強調して見せるのである。まず、以下のような主張がなされる。

「フランス人が自分の祖国フランスにばかりか、広く全人類にまで仕えることができるのは、純粋にフランス人になりきるという条件の下においてのみなのだよ。同じことが~イギリス人にも、ドイツ人にも言える。ロシア人だけが、われわれの時代にすら、つまり総計がなされるはるか以前にということだが、すでに、もっともヨーロッパ人になりきるときにのみ、もっともロシア人になりきるという能力を獲得したのだよ。これこそが、わがロシア人が他のすべての民族と異なるもっとも本質的な国民的特徴で、この点についてわれわれは~世界のどこにもないものを持っているのだ」(工藤訳)。

つまりロシア人は、世界中でもっともコスモポリタン的な民族であり、コスモポリタンであることを通じてのみロシア的だというのである。この言い分の中でヨーロッパ的と言っているのが、ドストエフスキーにとってはコスモポリタン的であるということだ。なぜならヨーロッパのみが、ドストエフスキーにとっては、世界をあらわしているからである。

これは、ヨーロッパのほかの国民と比較してロシア人の長所を強調したものだ。そうした比較なしに、単にロシア的なものを扱うときには、ロシアに対して批判的になることもある。批判的というより、諦念といったほうがよいかもしれない。諦念というのは、ロシアのなさけない部分を認めざるをえないことからくる。そのなさけないものを前にしては、半ばあきらめのような気持にならざるを得ないのである。

ともあれドストエフスキーのロシア人観は、その長所と短所をないまぜにしながら、かなり入り乱れている。それについては、ドストエフスキーはアルカージー(つまり語り手)に次のように言わせている。

「たしかに、どうして人間が(それも、ロシア人は特にそうらしいが)自分の魂の中に至高の理想と限りなく醜悪な卑劣さとを、しかもまったく誠実に、同居させることができるのか、わたしには常に謎であったし、もう幾度となくあきれさせられたことである。これはロシア人のもつ度量の広さで、大をなさしめるものなのか、それともただの卑劣さにすぎないのか~これが問題である」。

以上でロシア人と言われているのは、ロシアの男たちのことだと思うが、ロシアの女たちもまた、それなりの長所と短所を持っている。これについても、ヴェルシーロフが息子のアルカージーに向かって説く。かれはアルカージーの母親を念頭に置きながら次のように言うのだ。

「ロシアの女というのは早く老ける、その美しさはつかのまのまぼろしみたいなものだ、そしてそれは、たしかに、人種的な特徴のせいばかりとはいえない、ひとつには、惜しみなく愛をあたえることができるからだよ。ロシアの女は愛したとなると、なにもかもいちどきにあたえてしまう~瞬間も、運命も、現在も、未来も。出し惜しみということを知らないし、貯えるということも考えない。そして美しさがたちまちのうちに愛する者の中に流れ去ってしまうのだ」。

以上はドストエフスキーのロシア主義の一側面を取り上げたものである。つぎに、その裏返しとしての外国人嫌いについて見てみよう。この小説の中には、数か国の出身者が出てきて、いずれも否定的に描かれているのだが、中にも否定的な描かれ方をされているのは、ユダヤ人、ドイツ人、フランス人である。ユダヤ人については、金に汚いことが強調される。ユダヤ人は金を手段にしてロシア人を迫害するいやな連中だというのが、この小説でのユダヤ人の印象である。ユダヤ人は、金に執着するばかりではない。金を得るためにはどんな汚いことでも平気でする。その代表的な例は、賭博の場でユダヤ人がアルカージーから金をちょろまかす場面である。しかも正々堂々とちょろまかすのである。そんなことをされては、どんな人間でもユダヤ人を憎まずにはいられないだろうと、ドストエフスキーは読者に呼び掛けているようである。

ドイツ人は、粗暴で暴力的な人種として描かれている。フランス人は高慢で抜け目のない人種として描かれる。アルカージーは、フランス人トゥシャールの運営する寄宿舎に入れられるのであるが、トゥシャールはアルカージーの身分の卑しさを、かれを差別する理由とする一方、アルカージーの保護者に対しては慇懃に振舞うのである。一方ドイツ人のビオリングは、カテリーナの意を受けてとはいえ、アルカージーに対して高圧的に振舞い、あまつさえ暴力を振るったりする。その暴力的な性格は、ドイツ人の民族性を体現したものだということになっているのである。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7805.html

29 名前:777

2024/05/18 (Sat) 16:30:12

賭博者の心理 ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年5月18日 08:08)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7817.html

ドストエフスキーには賭博癖があった。「罪と罰」と並行して書いた「賭博者」という小説は、自身の賭博経験を生かしているといわれる。その小説の中の主人公アレクセイには、ドストエフスキーの面影を指摘できる。「未成年」にも、賭博のシーンが出てくる。アルカージーの道楽としてである。その道楽をアルカージーはセリョージャ公爵に仕込まれたのであるが、いったんそれを始めると、その魅力にのめりこんでしまう。アルカージーにとって賭博は、遊びであると同時に手っ取り早く金を得る手段でもある。賭博を金を得る手段と考えるようになっては、なかなかやめられないであろう。

賭博は、当時のロシアでは非合法だったようだ。アルカージーが賭博の胴元に向かって、腹立ちまぎれに「密告してやるぞ」と叫んでいるから、ルーレット賭博が非合法だったとわかるのである。

ともあれアルカージーは、賭博の楽しみを覚えると、単身いかがわしい賭博場に通うようになる。負けることもあるが、勝つこともある。アルカージーにはたいした自尊心があって、自分が冷静に振舞いさえすれば、かならず勝てると思い込んでいる。その思い込みが、かれをいっそう賭博狂にさせるのである。そのことをかれも自覚していて、自分は賭博のために堕落したと認めているのである。

そんなアルカージーが、大胆な勝負に出る。その時にはまとまった金が欲しくて、それを賭博で稼ぎ出そうとしたのである。その金とは、セリョージャから受け取った金を返すためのものであった。かれには勝てるという自信があったので、大胆な勝負に打って出たのである。その自信をかれは次のように言い表している。「私は今でも、どんな激しい勝負のときでも、すこしも冷静さを失わず、頭脳の怜悧さと読みの正確さを保っていれば、血迷って雑なしくじりをしでかして負けるわけがない、という確信をもっている」(工藤訳)。

そういう確信は、賭博に確率論を応用することから生まれるのであろう。じっさい、この小説の場面では、かれは自分の勝負を確率論的な見地から計算している。その結果勝ってもいる。その勝ち方は偶然のものではなく、確率的にごくありうることだというふうに書かれている。

アルカージーは、賭博がもとでひどい目にあうのだが、それは勝負に負けたためではなく、他人とのちょっとしたいざこざのためであった。かれはかつてから、あるユダヤ人が自分の金を盗んでいるという妄想を抱いていたが、その妄想を大げさに持ち出し、そのユダヤ人を告発したのである。当然ながら賭場には混乱が生じる。かれの言い分はまともには受け取られず、かえってよそ者の言いがかりだと言われる。アルカージーはその場に居合わせたセリョージャに助け舟を求めるが、セリョージャは拒否する。そのためアルカージーは汚名を着せられたまま賭博場を出なければならなかった。

こんな具合に、アルカージーにとって賭博は、金を得るための手っ取り早い方法なのだが、それには余計なリスクが伴うのである。リスクは金を失う可能性ばかりではない。賭博場をとりまく雰囲気が人間を堕落させ、その挙句に始末の悪い事態に追い込まれることもある。そうした始末の悪さは、ドストエフスキー自身経験したものではなかったか。この小説の中の賭博のシーンが妙に現実味を感じさせるのは、そこにドストエフスキーの体験が込められているためではないか。

泥棒の汚名を着せられたアルカージーは、自分の名誉を挽回しようとするのではなく、かえってその汚名を受け入れる気持ちになる。それは彼に自虐的な傾向があるからだ。アルカージーはその自虐性を次のように表現する。「わたしは常に、おそらくほんの小さな子供の時分から、卑屈なところがあって、なにかわるいことをされ、しましそれが中途はんぱなものでなくて、ぐうの音も出ないほどに思い切り侮辱されると、そこでかならず受動的にその侮辱に服したいというやみがたい願望がわたしの内部に生まれて、相手の気持ちを先回りして、『おや、あなたは僕を辱めましたね、じゃ僕がもっともっと自分を辱めてごらんにいれましょう。さあ、どうです、たっぷり楽しんでください!』というような気持になるのである」。

こういう気持ちは、ドストエフスキー自身も持ちがちだったと思われる。かれには癲癇のほかにも精神病質があって、それがマゾヒズム的な自虐性をもたらしたのではないか。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7817.html

  • 名前: E-mail(省略可):
ジョゼフ・ターナー(イギリス ロンドン 1775年4月23日 - 1851年12月19日)
1 名前:777

2023/12/26 (Tue) 18:13:29

世界の名画・彫刻
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831535

ZERO ART / ゼロアート - YouTube
https://www.youtube.com/@zero_art/playlists
https://www.youtube.com/@zero_art/videos

ウェブブラウザに Brave を使うと、広告なしで youtube を視聴することができます
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14131432


▲△▽▼


ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner、1775年4月23日 - 1851年12月19日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC


ターナー - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC++%E7%94%BB%E5%AE%B6

2 名前:777

2024/05/14 (Tue) 10:35:01

ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年5月14日 08:30)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7811.html

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J.M.W.ターナー(J.M.W.Turner 1775-1851)は、イギリスの風景画家の最高峰の作家であるとともに、イギリスの美術史上もっとも偉大な画家といってよい。その名声はイギリスにとどまらず、世界中になりひびいている。ターナーはイギリスが初めて生んだ、真に世界的な巨匠といえるのではないか。かれは自分の作品を死後総て国家に寄贈したので、いまでもほぼ完全なかたちで国有財産となっている。

ターナーは生涯を通じて風絵画を描き続けた。その点は、同時代のライバル,コンスタブルが、生活の必要上肖像画を多く手掛けたのとは異なっている。風景画では生活はできないのだが、かれはなんとか生活の工面をたてながら、風景画を描き続けた。しかも、コンスタブルが故郷サフォークをはじめ、イギリス国内の風景にこだわったのに対して、ターナーは積極的に海外に出かけ、イタリアなどの外国の風景も描いた。

ターナーの画風は、幾度も変換した。その変換は五回とも七回ともいわれている。キャリアの始めごろには写実的な風景画を描いたが、1819年のイタリア旅行以後は、形にこだわらず、光あふれる色彩感を重んじるようになった。晩年の作品は、後の印象派を思わせるような、光を重視した画風である。批評家のなかには、ドゥル-ズのように、抽象画と評するものもいる。

「国会議事堂の炎上(The Burning of the Houses of Lords and Commons, 16 October 1834)」と題されるこの絵は、1834年10月16日における国会議事堂の炎上をモチーフにしたものである。ターナーは、この火災に大きなショックをうけたとみえ、幾枚もスケッチし、数点の油彩画や水彩画を残した。

この作品は、火炎のすさまじい勢いを、あざやかな色彩と光によって表現している。光や色彩を重んじる画風は、以後晩年におけるターナーの基本的な画風となった。
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3 名前:777

2024/05/16 (Thu) 13:14:56

ヴェニス ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年5月16日 08:44)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7815.html

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ターナーはヴェニスが気に入って、生涯に三度長期旅行をしている。最初は1819年から翌年にかけて、二度目は1833年、三度目は1840年だった。かれが最初のヴェニス訪問の際にてがけたスケッチや水彩画をもとに、大きな油彩画を制作したのは1833年5月ごろのことであった。それがきっかけで、かれはヴェニスをモチーフにした作品を作りたいと望み、1833年の夏に、ヴェニスに滞在して、スケッチや水彩の下絵を多数ものにした。そして、それらをもとにヴェニスをモチーフにした一連の油彩画を制作した。

ずばり「ヴェニス(Venice - The Dogana and San Giorgio Maggiore)」と題されたこの絵は、二度目のヴェニス滞在から生まれた作品。この作品は、翌1834年のローヤル・アカデミー展に出品された。マンチェスターの織物業者が350ポンドで買い取った。それに気をよくしたターナーは、以後1846年までほぼ毎年、ヴェニスをモチーフにした作品をローヤル・アカデミーに出展し続ける。

ヴェニスの港のにぎやかな光景を描いている。副題に「税関とサン・ジョルジョ大聖堂」とあるとおり、右手前が税関の建物、その奥の塔がサン・ジョルジョ大聖堂である。船を含めて手前側のモチーフは明確な線で描かれているが、中景から遠景にかけては、曖昧な線で描き、光を感じさせるよう工夫している。

(1834年 カンバスに油彩 90×122㎝ アメリカ、ワシントン国立絵画館)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7815.html

4 名前:777

2024/05/18 (Sat) 16:28:26

月光下に石炭を積み込みする乗員 ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年5月18日 08:10)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7818.html

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「月光下に石炭を積み込みする乗員(Keelmen Heaving in Coals by Moonlight)」と題されたこの絵は、もともと「イングランドの河川」をテーマにした水彩画のシリーズの一つ「タイン河畔のシールズ」に基づいたものだが、これを発注したのは「ヴェネツィア」を発注した実業家である。その実業家は、かつては栄華をほこり、今では色あせつつあるヴェネツィアの港と、いまや勃興しつつあるイングランドの港とを対比させたいという意向をもっていたと言われる。

モチーフのタイン川は、ニューキャッスルを流れる川で、広い河口は産業用の港としてにぎわっていた。この絵は、その港に停泊した船のうえで、乗員が石炭を積み込む作業を描いている。ミソは、夜間でも月光をたよりに船積み作業が行われているということで、イギリスの工業力を象徴するような風景と受けとられる。

画面のほぼなかばに、白く輝く月があり、それが放つ光が、港を含めて河口一帯を明るく照らしている。その光の処理の仕方は、後の印象派を想起させる。イギリスの絵画史上、光をこのように表現できたのは、ターナーが初めてである。

(1835年 カンバスに油彩 90×122㎝ ワシントン国立絵画館)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7818.html

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ジャズの名曲
1 名前:777

2022/05/20 (Fri) 19:06:41

ジャズの名曲

「音楽&オーディオ」の小部屋
読者に占めるジャズファンの割合
2019年10月08日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f47f9bf6a90a390ea19df54f4a002f60

ときどき、このブログの読者がどういうタイプかを想像してみることがある。

仮に1000人だとすると、クラシック愛好家は200人ぐらい、ジャズ愛好家が500人ぐらい、そして音楽なら何でも好きというタイプが300人といったところかな。つまり「2:5:3」というわけ。

もちろんあくまでも想像の域を出ないが、搭載しているブログの内容に応じたアクセス数から推し量ったものだから全然根拠が無いわけでもない。

また、これまで13年間にわたってときどきメールをいただいた方の傾向も加味している。

やはり、このブログのセールスポイントは「実践的なオーディオ実験」にあるとみている。もちろん、大した内容ではありませんよ(笑)。

ジャズファンはクラシックファンに比べて圧倒的にオーディオ愛好家が多いのでこの5割説の根拠にもなろうというものです。

そういうジャズファンの中で息が長い交流をさせていただいているのがメル友の「I」さん(東海地方)である。

折にふれ、コメントを引用させてもらいたいへん感謝しているが、このたびジャズのアーチストについて興味深い情報を得られたのでご了解のもとに掲載させてもらおう。

実を言うと、クラシック愛好家から見てジャズは芸術よりも娯楽に近いと思っていたが、これで認識を改めようと思った次第(笑)。

それでは以下のとおり。

「ジャズの話題に便乗して、好みのジャズ(奏者)について白状させてください。

学生運動最後の時代が自分の大学時代と重なり、その頃にジャズを聴き始めています。思想的にジャズが扱われる時代でしたが、そのようにジャズを聴いたことはありません。もっと個人的な芸術表現として聴いてきました。

娯楽でなく芸術として聴いていますので、ジャズ奏者に求めるものは、けっして偉そうに言うわけではないのですが「創造性・・探求性?」と「矜持」です。

好きな(リスペクトする)奏者

<ピアノ>

バド・パウエル(比類なきドライブ感)

セロニアス・モンク(笑みがこぼれます)

ウィントン・ケリー(最高のハードバップピアニスト)

ビル・エバンス(ジャズピアノの・・・何と言ったらいいかわかりません)

<トランペット>
マイルス・デイビス(ウエイン・ショーターが参加する前までが帝王)

ブッカー・リトル(夭折が本当に惜しい)

ウィントン・マルサリス(批判にめげず頑張ってほしい)


<アルトサックス>

エリック・ドルフィー(早死にが悔しい。少なくともあと数年だけでも生きていてほしかった)

オーネット・コールマン(1964年のヨーロッパ・ツアーまでが眩しい)


<テナーサックス>

スタン・ゲッツ(うまい!それだけで凄い)

アーチー・シェップ(70年以降もいい演奏をしている稀有な存在)

<ベース>

ポール・チェンバース(はずせない)

(以下3人は白人。表現力が尋常ではない)

スコット・ラファロ、ニールス・ヘニング、ウルステッド・ペデルセン ジョージ・ムラーツ


<ドラム>(ドラムには関心が薄いのですが、強いて言えば)

フィリー・ジョー・ジョーンズ(上質な縁の下の力持ち)

ジミー・コブ(上に同じ)

トニー・ウイリアムス(超人なのに縁の下の力持ち)

偏ってますねえ(笑)

時代は1950、60年代がほとんど。楽器はアコースティック。ジャズ史的にいうと、ハードバップ・モード・フリー・ウルトラモダンになります。

ジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズが入っていないのが不思議に感じられると思いますが、この二人へのコメントは不遜になりますので差し控えます。

以上のとおりだが、「I」さんのジャズとオーディオへの熱意にはいつも感心する。

ところで、クラシックの場合は作曲家をはじめ指揮者や演奏家など好みの対象が広範囲に広がるが、ジャズともなると演奏家だけに収斂されていくのが特徴のようだ。

それだけ許容範囲が狭くなるというのか、ジャズファン同士の「口角泡を飛ばす」議論の要因にもなりそうな気がしている(笑)。

ちなみに、ときどき我が家ではコルトレーンを聴いてみるのだが、どうもサッパリで皆が言うほどピンとこない。

   

素人なりに、この疑問を率直に「I」さんにぶつけたところ次のような返信があった。

「コルトレーンについては私もそう思います。バップ、フリー等何を聴いてもピントきません。

とんでもなく尊大なことを言いますが、コルトレーンはジャズの勘所が判っていないのではないかと・・・私、死刑ですね(笑)

逆に勘所だらけで、それがくどくなっているのがロリンズかなと・・・2回目の死刑です。

コルトレーンはヴィレッジバンガードを良く聴きますが、実はドルフィーを聴くためです。

好きな演奏もあります。セルフレスネス(LP)のマイ・フェイヴァリット・シングスです。コルトレーンを聴いている人なら持っている1枚だと思いますので、機会がありましたら聴いてみてください。「おんなじヤー」かもしれませんが(笑)。」

以上、クラシックファンと比べるとジャズファンは音楽に対する入れ込みようが一段と「ヒート・アップ」しているような気がする(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f47f9bf6a90a390ea19df54f4a002f60  


▲△▽▼

ジョン・コルトレーン
My Favorite Things John Coltrane - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=My+Favorite+Things++John+Coltrane


Coltrane Selflessness - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=+Coltrane++Selflessness+




7 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/05/01 (Mon) 19:49:05

最高の音を一番安く手に入れる方法
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003094

クラシックに向くスピーカー、 ジャズに向くスピーカー
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14104540

8 名前:777

2024/02/01 (Thu) 21:53:15

「音楽&オーディオ」の小部屋
「シドニー・ベシェ」のクラリネット
2024年02月01日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ef945dedf2880ba21d2f0047f46dcdbd

久しぶりに南スコットランド在住の「ウマさん」から長文のお便りが届きましたのでご紹介させていただこう。

昨夜、Spotifyで、久しぶりにシドニー・べシェのクラリネットを聴いた。
便利な時代になったもんです。様々なミュージックをネットで聴けるなんて、実に有難い事だよね。

1920年代から活躍した黒人ジャズ・クラリネット奏者シドニー・べシェは、トランペット」奏者の「サッチモ」ことルイ・アームストロング同様、かなりの人気ミュージシャンだった。

ヨーロッパにも呼ばれ、彼の地でも人気奏者となり、何度もヨーロッパで演奏機会を持つようになる。
そして、1949年、とうとうお気に入りのパリに移住することを決意した。51歳だった。

ヨーロッパでは、ジャズ・ミュージシャンは芸術家として尊敬される風土があり、アメリカのように酷い人種差別もなかったので、多くの黒人ミュージシャンがヨーロッパに移住し活動の場とした。シドニー・べシェもそんなミュージシャンの一人だった。

彼が吹くクラリネットの、細かく震える独特のビブラートを、パリの知的マジョリティーが愛したんやね。

そして、シドニー・べシェの人生で最大の出来事が起こった…

52歳になったべシェ、なんと、17歳のパリジェンヌに恋をしてしまったのでござるよ。
愛があれば年の差なんて…、ええ歳こいて…なんて言ってるばやいとちゃいまんねん。えらいこっちゃ!でっせ。

彼は、親子ほど年齢差のある彼女に対するその想いを、如何に伝えたのか?
そう、べシェは、その溢れんばかりの恋心を、クラリネットに託して表現したのでござるよ。で、誕生した曲が「Petite Fleur」プチ・フルール…小さな花…

愛する17歳の娘を「小さな花」に例えたんやね。べシェが心を込めて作曲したこの「小さな花」は、後年、日本でも鈴木章治や北村英治など、クラリネット奏者が好んで演奏することとなる。

そして「可愛い花」の題で、あの「ザ・ピーナッツ」のデヴュー曲ともなったので、皆さん、聞いたことあるんじゃないかな?
おのおの方も、べシェの「小さな花」を聴くと「ええ歳こいて…」なんて言えなくなると思うよ。素晴らしい曲です。

あとで、べシェ自身の演奏による「小さな花」と、僕のお気に入りのフランス娘ララ・ルイーズが唄う「小さな花」のYouTubeを、おのおの方に送るんで聴いてみてね。

YouTubeのララの写真を見てると、べシェが愛した若きパリジェンヌって、こんな娘じゃなかったやろか?との思いがする。
ザ・ピーナッツ「可愛い花」も懐かしいね。これもYouTubeでご覧ください。

僕はパソコン操作に疎く、この三つのYouTubeを全部一緒に送る技術を今のところ持ってないので、一つ一つ別々に送ります。送った順番に見てくださいね。

PS: 実はね、ここだけの話なんやけどさ、僕も、ええ歳こいて、今、可愛い小娘に恋してまんねん。女房も公認で、一緒に暮らしてるんやけど、もう、彼女なしの生活なんて考えられないのよ。めちゃシアワセ…ウフッ…

ところがや…

この娘な、午前9時から午後5時までの門限は守らんし夜遊びが過ぎる。ほんで、時々、ちっちゃなモグラの赤ちゃんをくわえて家に帰ってきよるのよ。ほんでな、モグラの赤ちゃんを僕の前に置いて「ウマ!これでイッパイやってね!」だと! 困ったもんや、いやはや。



私も猫が好きです。ずいぶん栄養状態が良さそうですね(笑)。小窓の上の「9~5!」(9時から5時)に思わずアハハ・・。

で、肝心の「シドニー・ベシェ」のクラリネットです。さっそく「You Tube」で聴いてみましたけど、独特のビブラートに痺れ上がりました。

ずっと昔、こんな素敵なクラリネット奏者がいたなんて・・。

最高で~す!
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ef945dedf2880ba21d2f0047f46dcdbd



Petite Fleur (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=-uaYJO48Qu8

Sidney Bechet - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Sidney+Bechet

可愛い花 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E6%84%9B%E3%81%84%E8%8A%B1

「可愛い花」(かわいいはな、Petite Fleur)は、1959年に発表されたザ・ピーナッツのデビュー曲。シドニー・ベシェ(アメリカ人)が作曲・録音したオリジナルをカバーした楽曲である。当時日本では斬新だったポップ・ミュージック系楽曲(日本では和製ポップスとも言われる)であり、音楽ジャンルにポップス、ロックが増加していった時期のヒット曲でもある。ザ・ピーナッツの他にクリス・バーバーズ・ジャズ・バンド、アッカー・ビルク、ピーナッツ・ハッコーらもカバーした。ピーナッツ・ハッコーのカバーは「小さな花」のタイトルになっている。


ザ・ピーナッツ 可愛い花 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%84+%E5%8F%AF%E6%84%9B%E3%81%84%E8%8A%B1

9 名前:777

2024/04/11 (Thu) 17:45:36

Saxophone Colossus - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Saxophone+Colossus+


『サキソフォン・コロッサス』
ソニー・ロリンズ の スタジオ・アルバム
リリース 1956年
録音 1956年6月22日
ジャンル ジャズ


サキソフォン・コロッサス(Saxophone Colossus)は、ジャズ・サックス奏者ソニー・ロリンズが、1956年にプレスティッジ・レコードから発表したアルバム。発売直後から英米のメディアで絶賛され、ロリンズの名を一躍広めた。現在もロリンズの代表作に挙げられる。


解説
ロリンズの個性である、温かみのある演奏が存分に発揮された内容で、彼の最高傑作と名高い。

自作曲「セント・トーマス」は、カリプソに影響を受けた明るい曲で、タイトルの由来はセント・トーマス島。ロリンズの母方がヴァージン諸島出身ということもあって、ロリンズも幼い頃からカリプソに親しんできたという。その後長きに渡って、コンサートの重要なレパートリーとなり、2005年に行われた最後の日本公演でも演奏された。また、ケニー・ドリュー、ジム・ホール、寺井尚子等、多くのアーティストにカバーされている。ロリンズ自身も、1964年のスタジオ録音アルバム『ナウズ・ザ・タイム』でセルフカバーした。

「ストロード・ロード」は、1980年発表のアルバム『ラヴ・アット・ファースト・サイト』にも、アレンジを変えて収録。「モリタート」は、ミュージカル『三文オペラ』の挿入歌をアレンジしたもの。

収録曲
セント・トーマス - St. Thomas(Sonny Rollins)
ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ - You Don't Know What Love Is(Raye, DePaul)
ストロード・ロード - Strode Rode(S. Rollins)
モリタート - Moritat(Brecht, Weill)
ブルー・セヴン - Blue Seven(S. Rollins)

演奏メンバー
ソニー・ロリンズ - テナー・サックス
トミー・フラナガン - ピアノ
ダグ・ワトキンス - ベース
マックス・ローチ - ドラム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B5%E3%82%B9


▲△▽▼


「音楽&オーディオ」の小部屋
名盤「サキソフォン コロッサス」の呪縛
2024年04月11日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a389c606be5812214872bf7229c64708

昨日(10日)の記事「口径38cmのユニットを使わない理由」について、クラシックとジャズの楽しみ方の違いを手前勝手な御託で並べたわけだが、後になって「現実と矛盾したことを書いてしまったかもしれないなあ~」とちょっぴり後悔(笑)。

というのも、いまだにジャズの名盤「サキソフォン コロッサス」の呪縛から解き放たれていないのがその理由~。

その辺のいきさつを縷々述べてみましょうかね・・。

先日、いつも録画している「開運!何でも鑑定団」(骨董品の鑑定をしているテレビ番組)を観ていたら、「今は亡き夫の形見です」と、クラシック・ギターを出品されている中年のご婦人がいた。

運営しているダンス教室の経営の一助として活用できればという趣旨だったが、このギターは鑑定の結果、名品と分かって何と500万円の価値が付けられた。そして通常のギターと、この名品のギターの弾き比べをしていたが明らかに後者の方が響きが澄んでいてウットリと聞き惚れた。

それに、何といっても両者の決定的な違いは聴いているうちに、きわめて幼稚な表現になるが 胸が”キュン”となって切なくなる とでも言えばいいのだろうか、そういう感じがしてきた。

実はいつもそうで、(自分にとって)「いい音」を聴くと低音や高音がどうのこうのというよりも、いわく言い難いような ”微妙な感情の揺れ” が必ず訪れてくるのである。

たとえて言えば恋愛感情にも似たような情動性を感じるわけで、オーディオという趣味を飽きもせずずっと続けていられるのも、原点はそこにあるのかもしれない。

ある程度、酸いも甘いも噛み分けた「人生の古狸」になると、ありふれた日常生活の中で実際に 心を揺り動かしてくれる ものは実に貴重な存在なのである。そうだとは思いませんかね・・(笑)。

と、いうわけでちょっと寄り道をしたが、システム改変の仕上げはいつも好きな音楽を収録しているCD盤を聴いて、 胸がキュンと締め付けられるような思い をさせてくれるかどうかが決め手となっている。

自分の経験ではピアノ曲の再生が一番クセ者で、これをウットリと聞き惚れることができればシステムの改変は半ば目的を達成したことになる。

ほかにも、ヴァイオリンが音響空間を漂うような感じで艶ややかに鳴ってくれれば万全だし、ボーカルでは郷愁を感じさせてくれるように切なく歌ってくれればもう峠を半分以上越したようなもの。いずれも判定者は自分固有の「耳=脳」である。

そして・・、いよいよ最後の関門となるのがジャズの「サキソフォン コロッサス」(以下「サキコロ」)。

             

もう、はるか昔から我が家のテスト盤として君臨しているのがこの盤。録音の違う盤をいくつか持っているが特別録音の「XRCD」盤がいちばん出番が多い。

で、1曲目の「セント・トーマス」の冒頭のシンバルの響きがきれいに抜けているかどうか、やせ細っていないか、そしてサックスとドラムが力強く鳴ってくれるかどうかがハイライト。そして5曲目の「ブルーセブン」のベースの重量感・・・。

もちろんクラシック用のシステムだから「十全」は望みようがないが、どの辺まで到達しているか・・、大いに参考になる。

実はこれまで「サキコロ」の再生には散々苦しめられてきた。何せ録音の感度が非常に低い。たとえばプリアンプのボリュームが通常のCDであれば9時の位置であれば十分なのに、このサキコロに限っては12時程度に上げてやらないと十分な音量にならない。こういう録音は手持ちのCDの中でも2~3枚程度。

したがって「サキコロ」の再生に照準を合わせると、他の曲目とのバランスがいろいろと取れにくくなることもずいぶん経験してきた。

自分が日常聴いているのは圧倒的にクラシックなので、何も「サキコロ」に振り回されなくてもあっさり諦めれば八方うまく納まりがつくわけだが、このジャズの名盤中の名盤は簡単にそれを許してくれそうもない。

クラシックなどからは味わえない「リズム感とノリ」が ”もの凄い” のである。この躍動感だけはまったく別格の存在。

そろそろ「サキソフォン・コロッサスの呪縛(じゅばく)」から解き放されたいのは山々なのだが、もう無理かもねえ・・・(笑)。

最後に、ずっと昔のブログで愛聴盤としてこの「サキコロ」を紹介したことがあるので再度紹介させてもらおう。(抜粋)

題  名

「サキソフォン・コロッサス」(コロッサスには巨像、巨人という意味がある)(収録:1956年)

演奏者

テナーサックス   ソニー・ロリンズ
ピアノ       トミー・フラナガン
ベース       ダグ・ワトキンス
ドラム       マックス・ローチ

今更申し上げるまでもなくジャズ史に燦然と輝く名盤である。ジャズという音楽は体質的に受け付けないけれども、この盤だけは別格。まるっきり素人の自分でさえ即興性の楽しさと体が自然に反応するリズムの「乗り」が感じ取れる。

また、オーディオ試聴用としても貴重な盤になっている。システムの一部を入れ換えたときには必ずテスト用として聴くのがこの盤である。

1のセント・トーマスの冒頭のシンバルの一撃(開始後37秒)はツィーター(高域専用のユニット)のレベル測定には欠かせない。極論すればシンバルの音をきれいに聴くためにJBLの075ツウィーターを外せないといっても過言ではない。

5曲のうちで好きなのは1の「セント・トーマス」と5の「ブルーセヴン」。複雑な処理をしたこのXRCD盤の録音の良さには十分満足しているが、何せ録音の感度が低いのが難点。

内容の解説については自分のような門外漢の拙い解説よりも、この盤の制作に携わった当事者と関係者の貴重なコメントが的確に表現していると思うのでかいつまんで紹介しておこう。

≪当事者≫

トミー・フラナガン(ピアノ)
あっという間にレコーディングが終了した。リハーサルもなし。簡単な打ち合わせをしただけでテープが回された。録り直しもなかった。やっているときからこのレコーディングは素晴らしいものになると確信していた。

マックス・ローチ(ドラム)
ソニーは何も注文を出さなかった。妙な小細工を一切せずにそのときの気持ちを素直に表現しただけだ。豪快で大胆、ソニーの持ち味がこれほど理想的な形で聴ける作品はほかにない。

≪関係者≫

トム・スコット(テナー・サックス)

セント・トーマスのリズミックなフレーズこそ彼ならではのものだ。普通のスウィング感とは違う。それでいて、ありきたりのダンサブルでもない。ジャズ特有の乗りの中で、独特のビートを感じさせる。これぞ典型的なロリンズ節だ。

ブランフォード・マルサリス(テナー・サックス)

ロリンズのアルバムの中で一番好きなのがサキソフォン・コロッサス。ここではいつにもまして構成なんかまったく考えていない。出たとこ勝負みたいなところがある。それで終わってみれば、構成力に富んだ内容になっている。これってすごい。うらやましい才能だ。この盤は不思議な作用があって、何かに悩んだときに聴くと、必ず解決策が浮かんでくる。お守りのような作品だ。全てのテナー奏者が聴くべき作品だし教科書でもある。

というわけです。

「サキコロ」はクラシックやジャズの範疇を超えた作品といっていいかもしれませんね。

しめた・・、この言葉を「免罪符」とさせてもらおうかな~(笑)。

10 名前:777

2024/05/15 (Wed) 08:43:56

ビリー・ホリデイ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%87%E3%82%A4
https://www.youtube.com/results?search_query=Billie+Holiday+


奇妙な果実 ビリー・ホリデイの歌声
続壺齋閑話 (2024年5月15日 08:38)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7814.html#more

NHKの定例番組「映像の世紀バタフライエフェクト」が、伝説のジャズシンガー、ビリー・・ホリデイの歌った曲「奇妙な果実」を放送したのを見た(5月13日)。小生はビリーの大ファンなので、是非もなく見た次第だが、番組はビリー自身にではなく、この曲のほうに焦点を合わせていた。この曲はユダヤ人が作ったものだが、ビリーが歌って広めさせた。というか、ビリー・ホリデイという歌手をそのままを感じさせる曲なのである。

奇妙な果実とは、白人にリンチされて、木に吊るされた黒人の遺体のことである。黒人へのリンチは、1950年代まで、南部の諸州では珍しいことではなかった。リンチで吊るされた黒人の写真がブロマイドのように販売されてもいた。アメリカというところは、つい最近までケダモノのような連中が跋扈する野蛮な社会だったのである。

その野蛮な社会にあって、ビリー自身も強姦はじめさまざまな迫害を受けた。ビリーの歌声には、そうした迫害への抗議が込められている。それを忘れてはならない。なお、この曲の歌詞を、拙訳で紹介したい。

  南部の木には変わった実がなる
  葉には血、根にも血
  黒い実が南の風に吹かれて揺れる
  ポプラの枝にぶら下がった黒い果実

  南国ののどかな景色
  飛び出た目とゆがんだ口
  甘く強烈な木蓮の香り
  熟した実の饐えた匂い

  カラスが来て実をついばむ
  雨は滴り、風は舐める
  実は腐って木から落ちる
  風変わりな苦い果実

https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7814.html#more

11 名前:777

2024/05/18 (Sat) 16:26:50

「音楽&オーディオ」の小部屋
旋律だけはどうしても譲れない 2024年05月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/cee26b4067aa5202c7eac99f59b27362

村上春樹氏に関する新刊「村上春樹研究」を一読したところ、ご本人のジャズへの傾倒ぶりがひとしきり記載されていた。



肌合いが違う作家なので小説の方はあまり読む気がしないが、エッセイなどにおける「音楽についての的確な表現力」については、一目を置かざるを得ないので常に気になる存在ではある(笑)。

そして、この人はいったいクラシック派なのか、ジャズ派なのかずっと気になっていたが本書により氷解した。

圧倒的なジャズ派なんですねえ~。

手持ちのレコードはジャズが7割を占めているそうだし、文章を書く時にも一にリズムを重視し、次がハーモニー、そして即興性を盛り込むようにして完結させているとのこと。

クラシック愛好家として言わせてもらうと、音楽の3要素の一つとして欠かせないメロディ(旋律)ではなくて即興性というところに良きにつけ悪しきにつけ彼の本質が垣間見えるような気がする・・。

仮にクラシックが「ウェット」でジャズを「ドライ」だとすると、彼の小説も本質的には「ドライ」なので肌合いが違う原因がようやく分かった・・、もちろん私見ですよ~。
(以下、クラシック愛好家を「ウェット派」、ジャズ愛好家を「ドライ派」と呼称しよう)

さて、ときどき、このブログの読者層が「ウェット派」か「ドライ派」かを想像してみることがある。

現在の読者を1日当たり仮に1000人だとするとそのうちウェット派は200人ぐらい、ドライ派が500人ぐらい、そして音楽なら何でも好きという日和見タイプが300人といったところかな。つまり「2:5:3」というわけ。

もちろんあくまでも想像の域を出ないが、搭載しているブログの内容に応じたアクセス数から推し量ったものだから全然根拠が無いわけでもない。

言い換えると、このブログのセールスポイントは「実践的なオーディオ実験」にあるとみている・・、もちろん、大した内容ではありませんよ~(笑)、で、ドライ派はウェット派に比べて圧倒的にオーディオ愛好家が多いのでこの5割説の根拠にもなろうというものです。

そういうドライ派の中で息の長い交流をさせていただいているのが「I」さんである。

折にふれ、ブログのネタにさせてもらいたいへん感謝しているが、このたびジャズのアーチストについて興味深い情報を得られたのでご了解のもとに掲載させてもらおう。

実を言うと、これまでジャズは芸術よりも娯楽に近い存在だと思っていたが、少なくとも認識を改めようと思った次第(笑)。

それでは以下のとおり。

「ジャズの話題に便乗して、好みのジャズ(奏者)について白状させてください。

学生運動最後の時代が自分の大学時代と重なり、その頃にジャズを聴き始めています。思想的にジャズが扱われる時代でしたが、そのようにジャズを聴いたことはありません。もっと個人的な芸術表現として聴いてきました。

娯楽でなく芸術として聴いていますので、ジャズ奏者に求めるものは、けっして偉そうに言うわけではないのですが「創造性・・探求性?」そして「矜持」です。

好きな(リスペクトする)奏者

<ピアノ>

バド・パウエル(比類なきドライブ感)

セロニアス・モンク(笑みがこぼれます)

ウィントン・ケリー(最高のハードバップピアニスト)

ビル・エバンス(ジャズピアノの・・・何と言ったらいいかわかりません)

<トランペット>
マイルス・デイビス(ウエイン・ショーターが参加する前までが帝王)

ブッカー・リトル(夭折が本当に惜しい)

ウィントン・マルサリス(批判にめげず頑張ってほしい)

<アルトサックス>

エリック・ドルフィー(早死にが悔しい。少なくともあと数年だけでも生きていてほしかった)

オーネット・コールマン(1964年のヨーロッパ・ツアーまでが眩しい)

<テナーサックス>

スタン・ゲッツ(うまい!それだけで凄い)

アーチー・シェップ(70年以降もいい演奏をしている稀有な存在)

<ベース>

ポール・チェンバース(はずせない)

(以下3人は白人。表現力が尋常ではない)

スコット・ラファロ、ニールス・ヘニング、ウルステッド・ペデルセン ジョージ・ムラーツ


<ドラム>(ドラムには関心が薄いのですが、強いて言えば)

フィリー・ジョー・ジョーンズ(上質な縁の下の力持ち)

ジミー・コブ(上に同じ)

トニー・ウイリアムス(超人なのに縁の下の力持ち)

偏ってますねえ(笑)

時代は1950、60年代がほとんど。楽器はアコースティック。ジャズ史的にいうと、ハードバップ・モード・フリー・ウルトラモダンになります。

ジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズが入っていないのが不思議に感じられると思いますが、この二人へのコメントは不遜になりますので差し控えます。

以上のとおりだが、「I」さんのジャズとオーディオへの熱意にはいつも敬意を抱いている。

ところで、クラシックの場合は作曲家をはじめ指揮者や演奏家など好みの対象が広範囲に広がるが、ジャズともなると演奏家だけに収斂されていくのが特徴のようだ。

それだけ許容範囲が狭くなるというのか、ジャズファン同士の「口角泡を飛ばす」議論の要因にもなりそうな気がしている(笑)。

ちなみに、我が家ではときどきコルトレーンを聴いてみるのだが、どうもサッパリで皆が言うほどピンとこない。

   

素人なりに、この疑問を率直に「I」さんにぶつけたところ次のような返信があった。

「コルトレーンについては私もそう思います。バップ、フリー等何を聴いてもピントきません。

とんでもなく尊大なことを言いますが、コルトレーンはジャズの勘所が判っていないのではないかと・・・私、死刑ですね(笑)

逆に勘所だらけで、それがくどくなっているのがロリンズかなと・・・2回目の死刑です。

コルトレーンはヴィレッジバンガードを良く聴きますが、実はドルフィーを聴くためです。

好きな演奏もあります。セルフレスネス(LP)のマイ・フェイヴァリット・シングスです。コルトレーンを聴いている人なら持っている1枚だと思いますので、機会がありましたら聴いてみてください。「おんなじヤー」かもしれませんが(笑)。」

以上、ドライ派は「演奏家」に対する熱の入れ様が一段と「ヒート・アップ」しているような気がします~。

最後に、「村上春樹研究」を通じて、ウェット派はとうていドライ派になれそうもないことを改めて痛感した・・、音楽における「旋律」だけはどうしても譲れないところだからね~、小説だってホロリと琴線に触れる ところがなくちゃねえ・・、と思うんだけどどうかな~(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/cee26b4067aa5202c7eac99f59b27362

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