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中島みゆき「世情」_ 1970年代に学生運動をやっていた左翼学生はその後どうなったのか?

1:777 :

2022/05/18 (Wed) 19:39:36

ウェブブラウザに Brave を使うと、広告なしで youtube を視聴することができます
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中島みゆき「世情」_ 1970年代に学生運動をやっていた左翼学生はその後どうなったのか?


中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

世の中は とても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため



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中島みゆき 誰のせいでもない雨が 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E8%AA%B0%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E9%9B%A8%E3%81%8C+


誰のせいでもない雨が降っている
しかたのない雨が降っている
黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
りんごが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子供が 責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

怒りもて石を握った指先は
眠れる赤子をあやし抱き
怒りもて罪を穿った唇は
時の褥に愛を呼ぶ
されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は
されど 私の裏切りは
誰のせいでもない雨が降っている
日々の暮らしが降っている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

船は港を出る前に沈んだと
早すぎる伝令が火を止めにくる
私たちの船は 永く火の海を
沈みきれずに燃えている
きのう滝川と後藤が帰らなかったってね
今ごろ遠かろうね寒かろうね
誰かあたしのあの人を救けてよと
跣(はだし)の女が雨に泣く
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ


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70年代過激派の醜い内ゲバを描いたキツネ狩りの歌

中島みゆき キツネ狩りの歌 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D%E7%8B%A9%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%AD%8C


中島みゆき は高校時代の彼氏が内ゲバで亡くなったことがトラウマだとか


2017年06月05日 中島みゆき 『生きていてもいいですか』 キツネ狩りの歌
 能天気なピッコロ・トランペットによって奏でられるファンファーレ。2.まで余韻として残っていた「うらみ・ます」の重い空気を吹き飛ばす、みゆき風大人のお伽話。でも、歌われている内容は皮肉めいた暗喩に満ちており、どこか奇妙な明暗を落とす。

 軽快なアルペジオによる爽やかな叙情派フォーク・サウンドは、このアルバムの流れでは躁病的に映る。なので、A面はノン・コンセプトの小品集なのだ。

 昔聴いた時は、単なる寓話として受け止めていたけど、後になって、様々な暗喩を含んだ解釈を知るようになった。

最終的な部分は結局、人それぞれになってしまうけど、大方の意見のように、
70年代過激派の醜い内ゲバを描いたというのが、俺的には納得の落としどころ。



中島みゆきさんの「結婚」につながりそうな噂

現在は独身とのこと。結婚歴もなくずっと独身ですって。
なぜ結婚しなかったのでしょうね。

そういえば、松山千春さんと熱愛したんじゃなかったっけ?〔中略〕

某ギタリストの彼氏とホテルから朝帰りする写真を撮られたことあるし。

高校時代の彼氏が内ゲバで亡くなったことがトラウマだとか。

某プロデューサーと不倫関係で、同棲してるとか。

もっと深刻なのが、同〇愛〇だとか。

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中島みゆき名曲集

【公式】中島みゆき シングルコレクション『Nakajima Miyuki Best Album Playlist 2021』
https://www.youtube.com/watch?v=lXfyeXr-OHw

春なのに 柏原芳恵 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%98%A5%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AB++%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5

わかれうた・・中島みゆき - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x6wzsb5

中島みゆき - エレーン - ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm32317926

雨が空を捨てる日は Miyuki Nakajima / 中島 みゆき - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x6rphak

時代 -ライヴ2010~11- (東京国際フォーラムAより)
https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo&t=4s

地上の星 / 中島みゆき [公式]
https://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE


中島みゆき
ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)使用
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E4%BD%9C%E8%A9%9E%E3%83%BB%E4%BD%9C%E6%9B%B2++%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%AD%EF%BC%9A1894%E5%B9%B4%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E7%A4%BE%E8%A3%BD%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%EF%BC%88%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%BC%8F%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%8F85%E9%8D%B5%EF%BC%89%E4%BD%BF%E7%94%A8+&sp=mAEB

中島みゆきをアンティークピアノで弾きました。

使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。

現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
31:777 :

2022/05/19 (Thu) 12:13:52



中島みゆきが追っかけをしていた吉田拓郎の場合

アジアの片隅で-吉田拓郎 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%90%89%E7%94%B0%E6%8B%93%E9%83%8E+%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%89%87%E9%9A%85%E3%81%A7

団塊の世代 吉田拓郎 今も狂い酒のまま ひきのエフェクトのブログ : 2016/03/03
https://hikino-effect.at.webry.info/201603/article_4.html



 私が中学校の時、フォークソングの一大ブームがありました。

 70年安保闘争があり、ベトナム戦争が終わったのが75年、その当時も、今の様な混乱があったと思います。

 反戦平和を訴えて、当時の若者、いわゆる団塊の世代が、世相をリードしていました。

 わたしは、中学生だったのでそんな世相のことなど分からなかったのですが、フォークソングブームの波にはさらされていました。その中でギターのうまい友達が、吉田拓郎を弾いて聞かしてくれました。中学生の当時はカッコいいなー、程度で友達と一緒によく歌っていました。思春期の憧れですね。

 しばらくして、吉田拓郎のLP「アジアの片隅で」を買ったのですが、しっくりこなくて数回聞いて聞かなくなりました。


 吉田拓郎氏は 1946年生まれ、団塊の世代です。

 「アジアの片隅で」を詞で読んで見ましょう。

 ひと晩たてば 政治家の首がすげかわり
 子分共は慌てふためくだろう
 闇で動いた金を 新聞は書きたてるだろう
 ひと晩たてば 国境を戦火が燃えつくし
 子供達を飢えが襲うだろう
 むき出しのあばら骨は 戦争を憎みつづけるだろう

 ※アジアの片隅で 狂い酒飲みほせば
 アジアの片隅で このままずっと
 生きていくのかと思うのだか※

 ひと晩たてば 街並は汚れ続けるだろう
 車は人を轢き続けるだろう
 退屈な仕事は 野性の魂を老けさせるだろう
 ひと晩たてば チャンピオンはリングに転がり
 セールスマンは道路に坐りこむだろう
 年寄りと放浪者は 乾杯の朝を迎えないだろう

 ※-※ 繰り返し

 以下つづく ⇒ 歌詞リンク
http://j-lyric.net/artist/a001cc0/l0187af.html

 皆さんどう思われるでしょう?

 三番には
 ひと晩たてば 秘密の恋があばかれて 女たちは噂の鳥を放つだろう

 ベッキーのことでしょうか?


 凄い内容です。今にも通じる歌詞です。予言の様ですね。

 でも、ちょっと待ってください。これはこの当時(1980年)の歌です。今の世相にも通じるなんて甘い見方を私はしません。

 私は、ここで団塊の世代の特徴を見ます。

 ・・・・・問題を何も解決しない。
 ・・・・・で解決していない事実が分からない。
 ・・・・・その状態に酔いしれている。(こんなもんだと思っている)

 
 ― アジアの片隅で 狂い酒飲みほして このままずっと 生きていく ―

 ・・・だから、何も変わらないままなのです。

 吉田拓郎氏の思いは現実になっているんですね。今も、これからもずっーと。


 戦争反対だ、政治腐敗だ、と言っておきながら、一番人数が多いのに何も改善せずに、そのまま年老いていく。

 本田宗一郎の世代は一人一人が日本を変えたのに、です。

 この現象は、教育の世界でも

 神戸大学名誉教授の 広木克行 氏 1945生まれ

 このかたも ” 子どもは「育ちなおし」の名人―見えますか、子どものシグナル ”などの著書があり、講演会に行ったことがありますが、講演会は盛況になるのに、子供に関わる事件は一向になくならない。

 尾木ママもですね。

 政治の世界でも・・・・・・


 常に団塊の世代は、人数で日本を動かしてきました。人数が多すぎますが戦後民主主義の主役です。今後も日本は民主主義のままでしょう。とすれば、これから日本がどうなるかも彼らにかかっているのですが、私は老人たちを冷たい視線で見ています。
https://hikino-effect.at.webry.info/201603/article_4.html


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天理教の信者をやめた中島みゆきの運命は?

天理教の信者をやめた 時 どうなるか:ひきのエフェクトのブログ 2016/01/27
 130年祭の最中に不謹慎だが・・・天理教をやめたはなし。

 天理教の信者をやめた時、親やら、系列の教会長に、信心を続けるように説得された。

 わたしは、中山ミキに対する信心はするが、天理教組織には関わらないとはっきり告げた。

 いまでも、実母や小母さんや婆さんたちに戻って来いと言われる。
 天理教では「親」から離れることが御法度である。

 「親」とは教祖と同じ意味で、私は親の言うことを聞かない、すなわち ”教祖の言うことを聞かない” と同義語になってしまう。

 天理教の「親」とは、「親神」や教祖と書いて”おやさま”と呼んだり大変重要な言葉である。

その「親」に対するのが「子」で、「子」にあたるものは何でも「親」の言うことを聞かないといけない。絶対服従と言っても良い。

組織上もどんなにさびれても、どんなに遠くにあっても「親」に当たる教会を「子」教会が助けないといけない。私の属していた教会は北海道に「子」教会があり、所属の会長たちは大変な旅費を使って通っている。

 金もこの「子」から「親」に向かって集められ、「子」は大変な思いをする。見かけ上は「喜んで」することになってはいるが。

 そんな、組織を私は、言わば裏切った。


 すると、こんなことを言われる。
 「親」を裏切ったから、命が無い。・・・罰が当たって病気や事故で死ぬと言う。

 天理教用語で「出直し」と言う。人生を失敗したから、もう一回という意味だ。


 わたしは、中山ミキを裏切ったつもりはない、天理教と言う組織に嫌気がさしただけだ。

 自分は「罰が当たって病気や事故で死ぬ」とは思っていない。今まで健康で暮らしている。

 しかし、実母は本気で心配していて、天理教の教会に御供えをして息子を助けてくださいと祈っている。

 信心深いと言うか、なんと言うか。
 実母は80歳を超えるので、今更どうしようもない、好きにさせておこうと思う。
https://s.webry.info/sp/hikino-effect.at.webry.info/201601/article_16.html


ひふみ神示と天理教 : 2015/11/20 22:57 >>


 わたしは天理教に育てられました。
 わたしは婿養子で、実家が天理教だったからです。

子育てが終わったら、私一人家族から別れ(信仰上の話で離婚とか別居の意味では無い)天理教に奉仕しようと思っていました。そのために準備をしたのですが、結局ある分教会との意見の食い違いがきっかけになって、天理教を辞めてしまいました。いまでも、天理教教祖 中山ミキ の教えは素晴らしいと思っていますので、このブログにも ミキ婆さんの話や、資料を載せています。現在は、一般的な日本人、阿太加夜神社の氏子で、檀那寺が浄土真宗の浄円寺です。そして、氏子活動に奉仕しています。

 なぜ、天理教に奉仕しようと思ったか。
 なんと! それは、ひふみ神示にあるからです。

 ひふみ神示 第05巻  地つ巻 / (九二つまき) 全卅六帖 第十二帖 (一四九)
 この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、この道入れて生きかへるのぞ

 天理教は生き返る!!

 天理教が生き返るなら、天理教を応援してやろう! と考えたのです。

 また、ひふみ神示 第23巻 海の巻  第十一帖 に 面白い記述があります。
 タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ、世界の事ぞ、タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、日の本と云ふ事ぞ、キ・ミの国ざぞ、扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、判りたか。地場を固めなならんぞ、五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。

 「タンバイチ」とは「丹波市」 天理市の古地名でいまでも町名に残っています。そして天理教では本部の中心を「ぢば(地場)」と呼び「甘露台」という石柱を立てることになっています。もともとは中山ミキが住んでいた屋敷があったところで、ここで親神が人間を宿し込みになられた場所、イザナギとイザナミが人類を産んだ人類発祥の場所とされています。

 タンバイチ 興味深い神示ですね。

 しかし、天理教のいろいろ深い所に関わってみると次の神示のとおり。

 ひふみ神示 第08巻 磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 全廿一帖 第7帖 (243)
 今迄の様な宗教や教の集団(ツドヒ)はつぶれて了ふぞ、神がつぶすのではないぞ、自分でつぶれるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教であるぞ。

 今の天理教は、完全親族経営で超閉鎖的なことが分かりました。新しい取り組みなんてできません。教祖の教えは素晴らしいのに、金ばっかりかかって教勢は下がるばかり、残念で残念でなりません。これでは、「地場」が人手に渡るのを守る役でしかありません。

 しかし、この残念があるからこそ、ひふみ神示が天明さんにおろされ、今の時代があると思います。

 頑張ろうとはおもいますが、まあ、中山ミキ婆さんの教えと、ひふみ神示がしっかり対応していることが分かってもらえればうれしいです。
 
 次、中山ミキ婆さんの教えと、天照皇大神宮
https://hikino-effect.at.webry.info/201511/article_9.html


天理教と天照大神 : 2015/11/21


 天理教には、三原典「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」が存在します。
 (私は天理教の信者ではありません)

 「おふでさき」:教祖中山ミキが自動書記で残した和歌形式の文書
 「みかぐらうた」:つとめ(祭典で踊る)の地歌(楽曲)として教えられた詩
 「おさしづ」:中山ミキならびに本席(飯降伊蔵)による口述の教えを筆録したもの。

 その「おふでさき」の中に面白い記述があります。
 明治7年12月 第6号52
 いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じんくゝなり

 訳
 A イザナギとイザナミとが一番の神 これは天照皇の大神宮である。
 B イザナギとイザナミとが一番の神 これで証拠の大神宮なり。
 A・B 二通りの解釈があります。いずれにしても、大神宮とは伊勢神宮のこと。

 伊勢神宮=古事記=神社神道

 これは、いろんな意味にとることができて、矛盾するような、しないような、天理教サイドも、神道サイドも困った話です。

 一番大きな違いは、天理教は一神教の体裁をしている。神社神道は多神教・・・・・・なのに、一番の神これは伊勢神宮である。・・・?

 一番困るのは、中山ミキが神の意志を自動書記した動かしようのない事実です。

 天理教は神社神道との違いを強調したいが、この一文のために大きな顔ができません。

 この一文は様々な憶測が成り立ちますが、ただ言えることは、金光教、黒住教、大本教、天理教、ひふみ神示・・・日本の神は天照(伊勢神宮)を通じてむすばれているということではなかろうかとおもいます。
 (この辺は、面白いけど、またの機会に取り上げましょう。)

 私も、この一文のおかげで、天理教に奉仕しながら、神社の氏子活動を平気な顔をしてやっていました。

 中山ミキ婆さん と 天照大神(あまてらすおおみかみ) が無関係ではないことが分かってもらえればうれしいです。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#cbtm

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中島みゆきが知らなかった天理教の正体

天理教について質問です。


ID非公開さん 2016/3/12 18:26:48

天理教について質問です。


1) 教祖は精神を病んでいたのか。
親様=教祖=中山みき は精神を病んでいたんでしょうか。
精神を病んでいたなら、それはいつ頃からですか。

狐憑き=親神様が憑依した時からでしょうか。


2) 中山家は貧乏人に施しをして凋落したのか。
中山家が貧乏人に施しをして、自分たちが貧乏になったのか。
投機相場に手を出して大損したんでしょうか。
元から貧乏だったんでしょうか。

3) 座りづとめ、12下りなどは誰が、天理教神話はだれが考えたのですか。
中山みきが考え出したとは思えない。憑依中(精神錯乱中)に何か口走ったかもしれないが誰かがそれをまとめて整理しないと御手振りや座りつとめの形式にならない。楽譜や振付、歌詞は誰が考えたのか。

天理教神話は誰が考えたのか。
全て中山みきが考えたのか。そんなはずはない。だれか参謀的な人がいたのですか。
ベストアンサーに選ばれた回答

blu********さん 2016/3/12 23:53:30
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1: 中山みきは、1798年 (寛政10年)4月に、大和国山辺郡三昧田村で生れた。現在の奈良県天理市に属する。父は、当時34歳の前川半七(正信)で、母はきぬ(当時26歳)であった。

前川家は、豊かな家柄で、20戸(2百石)の庄屋であった。藩から一代限りの無足人という、武士に準ずる身分をあたえられ、近所の村を含めての目付役をつとめていた。名字帯刀を許され、具足、鎗、鉄砲各一と下人数人を持っていたといわれる。また、大和神社の総代でもあった。要するに、農家というより武家に近く、郷士層に属する地方の有力者であった。

彼女は7歳頃には、父から文字を習った。9歳から11歳までは、近所の寺子屋に通っていたといわれる。また、10歳の時には、母が唱える和讃を聞き、暗唱したこともあった。後の彼女の話によれば、幼い時に、彼女は人の前にはあまり出ようとしない、陰気な少女であった。また生来身体もあまり丈夫ではなかったという。


中山家は、耕作地主で、藤堂藩領三十余戸(300石)の庄屋をつとめ、十数町歩の田畑山林を所有していた。綿屋とよばれて綿の仲買もしていて、使用人も多いときには20人ほどであって、かなりの収入のある豪農であった。

夫の善兵衛は、怠惰て不身持ちな生活をしていた。彼女は、夫とのあいだに何の心の触れあいも感じない毎日を送るようになった。みきが、嫁いでしばらくしたころ、夫は妾をかこい、下女にまで手を出していた。

江戸時代、大和地方の農村は浄土宗の地盤で、村ごとに念仏講があり、念仏踊りや和讃の集まりが盛んであった。みきの実家である前川も浄土宗の熱心な壇家で、その菩薩寺は丹波市の迎承寺であった。両親は朝夕、仏前に回向頂礼を欠かさず、この寺への参詣もおこたらなかった。幼いみきも両親と一緒に念仏を唱え、「浄土和讃」を聞き覚えていた。たとえば、その内容は、「沙婆世界は厭ふべし、厭はば苦海を渡りなん、安養界をば願うべし、願はば浄土に生るべし、草の奄は静かにて、八功徳池に心すみ、夕べの嵐音なくて、七重宝樹にわたるなり」というようなものであった。

彼女は、19歳の時には、中山家の菩提寺であり壇家であった善福寺で「五重相伝」を受けた。五重相伝とは浄土宗の奥義をきわめた篤信者に授ける儀式で、7日間5回にわたって勧請聴聞をし、その上で剃度式(おかみそり)を受け、秘密の伝法を口伝で頂くものである。彼女は、1816年春、勾田村の浄土宗・善福寺に入り、そこの住職、報誉上人からその秘密の伝法を貰った。当時みきの戒名は「連誉勝岸智宝禅定尼」であったという。仏教とりわけ浄土宗からの深い影響が窺われる。


しかし、浄土宗の彼岸主義に中山みきは次第に失望していき、現世での幸福を求めて、仏道から離脱する。

夫の善兵衛との冷え切った生活、仏道に絶望し仏道から離脱してから精神的支柱を失い、徐々に精神が蝕まれていった。

そして、長男・秀司が米と綿の相場で失敗し、家ごと借金してしまい、ホームレスとなり、全てを失った中山みきは、絶望に陥った。その後は1と2の説を自分的にはあげる。


1:現在で言う統合失調症になり、幻聴により、加持祈祷の際、加持役となった中山みきの頭の中に神の声を聞き、祈祷者の問答に答えた。

2:中山みきは浄土宗の教義の全て(全てのお経を記憶し暗唱できる能力も含めて)を記憶し問答で正確に回答できなければ授与されない五重奏伝を授与できたほどの高度な知力を有していた。その知力は子孫に遺伝された。その知力を持って民衆をだまし、金儲けをした江戸時代の金儲けの天才であった。


2代真柱の中山正善(1905年-1967年)は東京帝国大学卒業。

3代真柱の中山善衞(1932年 - 2014年)は慶應義塾大学卒業。

のいずれも超知的エリートである。

特に中山正善の時代に東京帝国大学を卒業するのは努力だけでは無理。知力が相当に高かった事になる。中山善衛もしかり。

さらに言えば、天理教では”阿呆になりなさい”と信者に教えてるが、
それは、信者に考える時間を与えないためである。

その高度な知力を持って、中山みきは現状のホームレスの状況を有利にする策をとった。まず、産婆としての職人的能力のあった中山みきは「おびや許し」と安産請負をうたい文句に高々と宣伝していった。しかし、現代でも産婆での自然な分娩をする妊婦はいて、医療事故は聞いた事がない。天理教の主張する江戸時代の出産は致死率が非常に高かったは嘘である。現代の学者の推定では、江戸時代中期・後期を通じて、日本の人口は約3000万人前後であった。江戸時代前期の外様大藩の領民人口変遷をみてもどの藩も人口は増えてる。

安永3年(1774年)の段階で杉田 玄白はオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を和訳し「解体新書」を刊行してる。

また、天理教で朝夕に「あしきを払い助けたまえ~」と唱えて手を振る儀式を「おつとめ」と呼んでるが、元々「おつとめ」とは仏教の勤行(仏前で読経する)の事をさしてる。中山みきが信仰していた浄土宗のHPにも「おつとめ」と書いてある。
http://jodo.or.jp/jodoshu/okyou/index.html

中山みきは本来は浄土宗善福寺の熱心な信者だったが、自身が神道の教組になってからは、仏教から用語や思想を盗んで教理に取り入れた。

「撒いた種は刈らねばいけない」は天理教のオリジナルではない。

英語圏のことわざに

As you sow, so shall you reap.《蒔いたように刈り取るべし》[聖書:ガラテヤ人への手紙6-7]= Whatsoever a man soweth, that shall he also reap.《蒔いたものは刈らねばならない》というのがある。また、「因果応報」「自業自得」は仏教用語である。

2:天理教中山家は実際は、長男・秀司が米と綿の相場に手を出して大損をして滅んだ。この事実を隠蔽して歪曲し、貧しき者に土地屋敷家財を全て売り払い貧に落ちきったと天理教は嘘をついてる。

「日本の10大新宗教」(幻冬舎)という本の中に、書かれている。

特に現在の教団の重要な教えであるとされる「月日のやしろとなられた教祖は、親神の思召のまに/\『貧に落ち切れ。』と、急き込まれると共に、嫁入りの時の荷物を初め、食物、着物、金銭に至るまで、次々と、困って居る人々に施された。」という『稿本天理教教祖伝』の記述は、八島のみならず、島田も『日本の10大新宗教』の中で、早川も『天理教・その堕落と悲劇』の中で、実際はみきの長男・秀司が米と綿の相場で失敗し、家ごと借金してしまったが、教団は後にその事実を湾曲化して、信者から金を取ろうしたため「貧に落ちきれ」という思想が生まれたと指摘している。

宗教学者の島田裕巳
元天理教本嬬原分教会会長の八島秀雄
早川 和廣(新興宗教問題も手がけるライター)

3:2の質問で2の説をとると泥海古記などは中山みきが書いた。

最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。

その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残つた。

奈良県天理市が人類発生の地である。

神秘性で呪縛する目的で意図的に書いたのだろう。

また、週刊文春は過去に「天理教本部賽銭箱は地下室のベルトコンベアーに直結してる」という記事を書いたが、天理教側は訴訟を起こさなかった。事実だから起こせなかった。豊文分教会が分離独立したときには、”天理教”という”商号”を使ったとして天理教本部は訴訟を起こしたが敗訴した。

4補足

天理教は悪名高い真光とつながっている。

まず、大本教の出口王仁三朗が、大本教が本来祭り上げてる神の隣に中山みきを神として祭り上げた。

大本教信者の岡田茂吉が分離独立し世界救世教を創設。
同時に大本教信者の谷口雅春が生長の家を創設。(数年前に約8千億円の資産をブラジルの銀行にレアル建てで移管)

世界救世教秀明教会が分離独立して神慈秀明会を創設。

世界救世教幹部だった岡田光玉が世界真光文明教団を創設。

岡田光玉死後、後継者争いで、岡田恵珠が崇教真光を創設。

生長の家は書籍販売で儲けてるが、後は悪名高い、浄霊や手かざしの金巻上げ集団。

●明主様御講話(岡田茂吉が天理王の命を地獄に落ちたものと言っている)

ここに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供で五人としてあるがもう一人ある。

もう一人というのは伊弉諾尊と言う神様は国常立尊になるんですね。

息子に国武彦尊(くにたけひこのみこと)と言うのがありそれが一番長男になる。

当時大将軍と言い勇猛でかなり勝手なことをやっていたその罪によって、言わば地獄に行かれたようなことになる。

一番末が初稚姫尊(はつわかひめのみこと)と言い、これが天理教祖の中山みきとなる。

そういうようにいくども生まれ変わっている。大将軍の妹になる。

そこで霊界で地獄と言ってもふつうの人間と違います。

修行するんです。修行した結果、大いに世の中のためになろうと言うので天理教祖の中山みきに憑った。

それで中山みきに最初憑ったのは夫の大将軍が憑ったんです。

そういう因縁なんです。

そこで最初のうちは力がありますから病気治しもさせたが、その力によって良く病気が治った。

それで最初は病気治しで世の中に出たんです。

天理教の本体を書くことは天理教に悪いですからそこで書かなかった。

http://www.geocities.jp/shumeic3/oomoto2.html

天理王の命という弱い者いじめ専門の神も、「神の社にならなけれ

ば、屋敷もろとも(お前らを)木っ端微塵にする」と恫喝し暴力と力でねじ

伏せ中山家を支配したが、本当に清き正しき神ならば、自分よりはるか

に弱い者を暴力で力でねじふせ支配するような事をするだろうか?

世界一列助けたいなら、徳川将軍を暴力で力でねじふせれば一番の

近道のはずであるが、徳川将軍には勝てないからできなかった。

質問者 ID非公開さん 2016/3/13 01:20:58.

中山(前川)みき は幼少のころから秀才で頭脳明晰であった。親神様の憑依現象も芝居であって、詐欺師であった可能性も否定できない。
もっとも、家庭の不幸で統合失調症になった可能性は否定できない。

中山家は投機で破産したが、それを美談に仕上げた。

天理教の教えは中山みきなど中山家住人の頭脳から発した。もっとも、浄土宗からの引用ではあるが。


bluekeyakiさん 纏めるとこんなとこでしょうか。
けど、よくご存じですね。貴方は天理教の教会長やその関係者ですか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14156926349


▲△▽▼

uta********さん 2018/7/10 20:29:21

中島みゆきさんは天理教を脱会されてますか?

今でも天理時報に載っているらしいので、本当に脱会されているのか分かりません。
知っている方、よろしくお願いいたします。
天理教の方だと

なお嬉しいです。


ベストアンサーに選ばれた回答

msk********さん 2018/7/11 18:02:50

脱会していません。

洲本大教会という教会の系統の信者さんです。
自宅には神様も祀られています。

定期的か不定期的かは分かりませんが、今も所属の会長さんがおつとめに行かれています。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11192966206

▲△▽▼

かれこれ2ヶ月ばかりかけて、中島みゆきのデビュー以来の曲を殆ど聴いてみて、彼女の訴えたい事の芯にあるものは、首尾一貫していることがよく判る。

<全ての生命とその連鎖(血の繋がりではなくて想いの継承とか、極端には輪廻)への徹底した畏敬>である。

これは殆ど宗教的なものだと思う。そういう意味で幼い頃から家庭で馴染んだと思われる天理教の思想が影響しているのかもしれない。

調べてみると天理教は江戸時代に中山みきという女性が始めたものらしい。神道に分類されているが、一応教義を持っているらしい。神の摂理を信じて楽しく生きる、というのがその心髄らしいがよく判らない。

また基本的に金銭に捉われる事を嫌い、信者はしばしば財産を教会に差し出すようである。

中島みゆきの家は天理教の教会長だったし、父の墓も天理にある。本人も天理教の勉強会に参加していたらしい。

歌の中で宗教的なものに何となくその気配があるということらしいが、むしろ個人の主体性を鼓舞するような歌が多いように思う。

これらの事については、本人の意思を憚って誰も語らない。

バッハがキリスト教の神に仕える職業音楽家として徹底していたのと同じように中島みゆきは天理教の神に仕えているのだろうか?

多分そうではなくて、天理教の神も含めて、もっと大きなものに仕えているように思われる。だとすればそれは何か?

*)「命の別名」については、文句のつけようのない解説があった。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/sigeru/books/nakajima/nakajima_06.html


中島みゆきの夜会「2/2」は 1995年、1997年、2011年と作り直されてきた。そんなに拘るにはそれなりの深い理由があるはずである。

そこで、1996年に小説となった「2/2」(幻冬舎)を借りてきて読んだ。
なるほどこういう話だったのか。。。

双子として産まれて来る時に、姉の方が死んでしまった。姉が茉莉、主人公が梨花。2つあわせると茉莉花(ジャスミン)。

子供の頃ふと聞いてしまった親戚の人の言葉、<この子は姉を殺して生れてきたのよ>というのがトラウマとなって、<それ>がもうひとつの人格として梨花の幸せを邪魔する。

そして、恋人の圭に危害を加えることを恐れて、梨花はベトナム旅行に旅立つ。直ぐに帰って圭とは二度と会わないつもりだったが、手違いで帰れなくなる。結局圭がトラウマの真相を調べて助けに来る。

最後に梨花が本当の茉莉を幻覚して真相を知る。
真相とは、<茉莉が臍の緒を首に絡ませていたので、梨花が助けようとした>ということであった。

トラウマとなった梨花の中の<それ>、つまり偽者の茉莉、と本当の茉莉との闘いが最後にあって、梨花はついに胎内での出来事を思い出して<それ>が消える。

茉莉が

<梨花は几帳面で正義感に溢れているのは良いけれとも、人の証言なんていうものはその人の勝手な解釈に過ぎない。そんなことを信じて自分を責めてはいけない。そんなところに人が従っていい「正しさ」は無い。>

という。

茉莉はこれまで<それ>を消すために、圭を利用しようとして、梨花の2重人格障害を圭に見せようとしたのだが、圭がなかなか気づかず、梨花があまりにも真面目だったために、こういう大きな騒動になってしまった。けれども、結局は圭が出産の秘密を探り出して助けたのである。

確かにドラマチックで面白い物語なのだが、それだけではないだろう。何からの意味でこの物語は中島みゆき本人の<歌でしか言えない>人生、つまり<自分の中の他者との永遠の緊張関係>を語っているように思える。
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books/miyuki5.htm

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