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中島みゆき「世情」_ 1970年代に学生運動をやっていた左翼学生はその後どうなったのか?

1:777 :

2022/05/18 (Wed) 19:39:36

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中島みゆき「世情」_ 1970年代に学生運動をやっていた左翼学生はその後どうなったのか?


中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

世の中は とても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため



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中島みゆき 誰のせいでもない雨が 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E8%AA%B0%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E9%9B%A8%E3%81%8C+


誰のせいでもない雨が降っている
しかたのない雨が降っている
黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
りんごが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子供が 責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

怒りもて石を握った指先は
眠れる赤子をあやし抱き
怒りもて罪を穿った唇は
時の褥に愛を呼ぶ
されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は
されど 私の裏切りは
誰のせいでもない雨が降っている
日々の暮らしが降っている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

船は港を出る前に沈んだと
早すぎる伝令が火を止めにくる
私たちの船は 永く火の海を
沈みきれずに燃えている
きのう滝川と後藤が帰らなかったってね
今ごろ遠かろうね寒かろうね
誰かあたしのあの人を救けてよと
跣(はだし)の女が雨に泣く
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ


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70年代過激派の醜い内ゲバを描いたキツネ狩りの歌

中島みゆき キツネ狩りの歌 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D%E7%8B%A9%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%AD%8C


中島みゆき は高校時代の彼氏が内ゲバで亡くなったことがトラウマだとか


2017年06月05日 中島みゆき 『生きていてもいいですか』 キツネ狩りの歌
 能天気なピッコロ・トランペットによって奏でられるファンファーレ。2.まで余韻として残っていた「うらみ・ます」の重い空気を吹き飛ばす、みゆき風大人のお伽話。でも、歌われている内容は皮肉めいた暗喩に満ちており、どこか奇妙な明暗を落とす。

 軽快なアルペジオによる爽やかな叙情派フォーク・サウンドは、このアルバムの流れでは躁病的に映る。なので、A面はノン・コンセプトの小品集なのだ。

 昔聴いた時は、単なる寓話として受け止めていたけど、後になって、様々な暗喩を含んだ解釈を知るようになった。

最終的な部分は結局、人それぞれになってしまうけど、大方の意見のように、
70年代過激派の醜い内ゲバを描いたというのが、俺的には納得の落としどころ。



中島みゆきさんの「結婚」につながりそうな噂

現在は独身とのこと。結婚歴もなくずっと独身ですって。
なぜ結婚しなかったのでしょうね。

そういえば、松山千春さんと熱愛したんじゃなかったっけ?〔中略〕

某ギタリストの彼氏とホテルから朝帰りする写真を撮られたことあるし。

高校時代の彼氏が内ゲバで亡くなったことがトラウマだとか。

某プロデューサーと不倫関係で、同棲してるとか。

もっと深刻なのが、同〇愛〇だとか。

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中島みゆき名曲集

【公式】中島みゆき シングルコレクション『Nakajima Miyuki Best Album Playlist 2021』
https://www.youtube.com/watch?v=lXfyeXr-OHw

春なのに 柏原芳恵 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%98%A5%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AB++%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5

わかれうた・・中島みゆき - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x6wzsb5

中島みゆき - エレーン - ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm32317926

雨が空を捨てる日は Miyuki Nakajima / 中島 みゆき - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x6rphak

時代 -ライヴ2010~11- (東京国際フォーラムAより)
https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo&t=4s

地上の星 / 中島みゆき [公式]
https://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE


中島みゆき
ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)使用
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E4%BD%9C%E8%A9%9E%E3%83%BB%E4%BD%9C%E6%9B%B2++%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%AD%EF%BC%9A1894%E5%B9%B4%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E7%A4%BE%E8%A3%BD%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%EF%BC%88%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%BC%8F%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%8F85%E9%8D%B5%EF%BC%89%E4%BD%BF%E7%94%A8+&sp=mAEB

中島みゆきをアンティークピアノで弾きました。

使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。

現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
16:777 :

2022/05/19 (Thu) 11:47:24

『異国』 -アルバム【生きていてもいいですか】より-


 とめられながらも去る町ならば
 ふるさとと呼ばせてもくれるだろう
 ふりきることを尊びながら
 旅を誘うまつりが聞こえる

 二度と来るなと唾を吐く町
 私がそこで生きてたことさえ
 覚えもないねと町が云うなら
 臨終の際にもそこは異国だ

 百年してもあたしはしねない
 あたしを埋める場所などないから
 百億粒の灰になってもあたし
 帰り仕度をしつづける

 悪口ひとつも自慢のように
 ふるさとの話はあたたかい
 忘れたふりを装いながらも
 靴をぬぐ場所があけてある ふるさと

 しがみつくにも足さえみせない
 うらみつくにも袖さえみせない
 泣かれるいわれもないと云うなら
 あの世も地獄もあたしには 異国だ

 町はあたしを死んでも呼ばない
 あたしはふるさとの話に入れない
 くにはどこかときかれるたびに
 まだありませんと うつむく

 いやぁ、重いっす。「まだありません」。人至る所青山ありとは言いますが、故郷は故郷に「なる」ものなのかもしれないなぁと、漠然と思ったりもします。ちょっと話しは外れますが、戦後の混乱期、多くの日本人女性が米兵について海を渡っていきました。英語がまったくの苦手で米がないと生きていけない自分などは、気持ちひとつでほとんど予備知識もなく環境も文化も違う世界に飛び込んでいった女性のたくましさに圧倒されます。

が、言語学の教授に「男は生まれた場所の方言とかボキャブラリーを生涯手放さないんだけど、女性の場合は適応力が高くって、婚礼先の方言やボキャブラリーに染まりやすいので、言語採集の時は気を付けないといけない」と言われて、そこら辺の男の弱さと女性の強さってのは、世界共通なのかな?とも思ったりします。

例えば、グレイシー柔術の祖である前田光世は、晩年は寝たきりになると日本語だけをしゃべって、日本語がわからないブラジル人の奥さんを困らせたそうですが、明治の時代に生き、若くして海外雄飛し、2000試合とも言われる格闘義戦を戦い、ブラジル移民事業に心血を注いだ前田光世にしてからが、最期は望郷の念にさいなまれていたというのは、同じ男としてその気持ちには非常に共感を覚えたりもします。

あぶな坂を転げ落ちてくるのは、男なのですから。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1118


故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-4


続きまして、『エレーン』。中島みゆき自身の小説(なのか実話体験なのかは上手にぼかしてありますが)の中でも登場するエレーンは、異国の地で生きる娼婦という設定です。中島みゆきには『白鳥の歌が聞こえる』という名曲もありますが、こちらも娼婦をモチーフにしています。ですが年齢的な円熟もあるのでしょうが、こちらの方では「男を癒す存在」としての娼婦という側面が、より強くなっています。

そう言う意味では、初期の作品である『エレーン』の方が、より故郷の喪失感に比重が置かれています。歌い手としての自分(=中島みゆき)の存在と、居場所のなさをモチーフにした作品というのは、『流浪の歌』や『流星』などのように、繰り返し描かれています。

ただ、中島みゆきの「居場所のなさ」というのは、基本的に“自分で選択したい場所のなさ”という感じがします。



『エレーン』 -アルバム【生きていてもいいですか】より-

 風にとけていったおまえが残していったものといえば
 おそらく誰も着そうにもない
 安い生地のドレスが鞄にひとつと

 みんなたぶん一晩で忘れたいと思うような悪い噂
 どこにもおまえを知っていたと
 口に出せない奴らが流す悪口

 みんなおまえを忘れて忘れようとして幾月流れて
 突然なにも知らぬ子供が
 ひき出しの裏からなにかをみつける

 それはおまえの生まれた国の金に替えたわずかなあぶく銭
 その時 口をきかぬおまえの淋しさが
 突然私にも聞こえる

 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答えを誰もが知ってるから 誰も問えない

 流れて来る噂はどれもみんな本当のことかもしれない
 おまえは たちの悪い女で
 死んでいって良かった奴かもしれない

 けれどどんな噂より
 けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は
 笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う

 今夜雨は冷たい
 行く先もなしにおまえがいつまでも
 灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
 ひとつずつ のぞいてる

 今夜雨は冷たい

 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない
 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない


『エレーン』の作品中では、観察者としてのポジションにあるせいか、そんなエレーンを見ていた『私』という存在に対する描写が希薄です。「笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う」私って誰?って事ですね。まぁ、無難に中島みゆき自身というのが普通の解釈でしょうし、妥当だとは思います。ただ、自分からの問題提起として私を、[エレーンと同じように居場所なく、それでも村落共同体に同化せざるを得ない自我に苦悩を抱えている存在]とするのか、[おまえを忘れて忘れようとしていた人々の内の一人]とするかで、だいぶ解釈が違ってくるような気もします。


 例えば、小林信彦はエッセイの中で、夜中に寝ようとしてふと昔の屈辱(それも何十年も前の)を思い出し、眠れなくなって夜明けを迎えてしまうこともしばしばだと語っています。これは筒井康隆もそうで、疎開中に田舎の体力のあるガキどもにいぢめられたことを思い出すと、庭に飛び出して絶叫したくなる(そこまではやらないけど)と書いています。中島らもなど、口喧嘩で負けた何日も後に「あのときこう反論していれば、負けなかったのに!」と思うこともしばしば(その結果『口先の魔術師』という、古今東西の減らず口を集めた本を執筆してしまった)だそうです。

だいたいが、文筆を生業としてる人間ってのは、漫画家もそうですが、そういった内向性と昔のことをいつまでもグチグチグズグズと引きずる性癖を持っています。カラッとしていない。「ああすれば良かった、こうすれば良かった」という後ろ向きな態度が、逆に経験値として蓄積されるからこそ、それが作品の中に生かされるわけです。じゃあ、そういう後ろ向きで陰湿なタイプならば、作家に向いているかと言えば、そうだともいえます。

ただし、そこからもう一歩踏み込んで奥行きのある作品(売れる・売れないは別にして)を書くには、そういう自分が傷つけられた記憶だけに拘泥している人間ってのは、ダメだと自分の師匠に言われました。自分が傷つけられたのと同様に、例え自分にその意図はなくても、他人を傷つけてしまう自分というのに対する自覚と畏れがないヤツは、自己中心的でご都合主義的な作品しか書けないよ、と。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1115


故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-5


まぁ、これが行きすぎると「生まれてきてすいません」って発想になってしまうのですが、自分が傷つけられた経験から、傷つけてしまう可能性にたいして思いを致すだけの客観性がないと、作品というのは主観の押しつけにしかならないような気がします。そういう意味で、エレーンを哀れむ「私」は、ではどこのポジションにいるのかに、思いを致すのもまた作品を多層的にしてくれるような気がします。

さて、最期に再び「自分の居場所」に対する中島みゆきの思いについて。突出する自我というのは、村落共同体のルールから飛び出してしまわずにはおかないエネルギーを内包しています。まぁ、これは男女の恋愛に関してもそうなんでしょうが。

 研ナオコに提供した初期の代表作『かもめはかもめ』では、そういった自分の生き方の肯定と、それに伴う痛みを引き受ける覚悟を、雄々しく歌い上げています。

中島みゆき かもめはかもめ 動画
https://pv755.com/kamome-wa-kamome


『かもめはかもめ』 -アルバム【お色直し】より-(2番を抜粋)

 あきらめました あなたのことは
 もう ゆくえも 知らない
 あなたがどこで 何をしても
 何ひとつ 私では 合わない

 かもめはかもめ 孔雀や鳩や
 ましてや 女には なれない
 あなたの望む 素直な女には
 最後まで なれない

 この海を 失くしてでも
 ほしい愛は あるけれど

 かもめはかもめ
 ひとりで海を ゆくのがお似合い

中島みゆきの作品の底に流れる、故郷の喪失感と憧憬と、それでも突出せざるを得ない自分の自我を引き受ける雄々しさ。ところで、かもめに仮託される自分って、いったいなんでしょうか? 昔はピンと来なかったのですが、かもめのメタファーを一番的確に表現されたのが、漫画家の大和和紀先生の『ヨコハマ物語』でした。

この中で、

 白鳥=帰るべき場所から離れられない女
 カモメ=港港を自由に渡っていく存在

と表現されてらっしゃいました。にゃるほど、そういう意味でカモメを居場所なき自分のメタファーとしていたのかと。自由に生きていくには痛さや悲しみが表裏一体であるという重さ、覚悟。二十代の初期の頃から、中島みゆきの姿勢は一貫していますね。

愛する男の望む色には染まれない自分。恋愛を唄っているようで実は、恋愛至上ではない不思議な世界。故に、中島みゆきの世界は奥が深いのかなと、ファンの勝手な解釈をしつつ、ようやく脱稿。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1116


もう一丁、中島みゆきの世界の補足

ついでに、故郷の生きづらさ、自我を抑圧して平均化してしまう共同体の悪意というかプレッシャーについて、名曲『ファイト!』では、このように表現されています。

出て行く以上、故郷を捨てていくというイメージ。そこには、共同体からの離脱を意味します。ウチの田舎のように、外に出て行かざるを得ない土地柄だったりしても、わりと地元のおばちゃん達は「すっかり東京の人になったねぇ」なんて嫌みを、平気で言ったりしますからね。

 一旗揚げて帰ってくる故郷と、室生犀星のように断ち切ってしまわなければならない故郷は、やはり別物であって、そこに根っこがあるかないかの差は大きいのではないでしょうかね。


『ファイト!』 -アルバム【予感】より-

 薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
 出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
 うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
 あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき

 ファイト! 闘う君の唄を
 闘わない奴等が笑うだろう
 ファイト! 冷たい水の中を
 ふるえながらのぼってゆけ


自分の思想方面の師匠でもある呉智英夫子も嘆いていますが、「中島みゆき=演歌」という、安易で凡庸で薄っぺらなことを言う音楽評論家がままいます。ですが、その内容をつぶさに見れば、演歌や浪花節で唄われているような、そういう共同幻想(=故郷肯定)とは相容れないところに、中島みゆきは存在するのになぁ……と思います。彼女が唄っているのは、女の情念などという個人的な主観のみに依拠したモノではなく、存在に対する突出性であり、それを客観的に認識してしまった者だけが持つ痛みと、自我の相克なのに。

さらに、もう一つ。自分が大好きな『彼女の生き方』という作品も、紹介しておきます。唄われてる世界は、最低最悪な生き方。ただ、それを自分で選び取った力強さと、不自由を引き受ける強さを、この中に見ます。普通は、こうは生きられない。東京にあって「人情がある」と評価される下町は、実はプチ田舎。人間が生きていく以上、そうならざるを得ないのも事実ですが、そこには精神の不自由がつきまとう訳です。そこを見事に活写していますね。


 普通で、善良で、常識的なはずの下町のオカミさんが、やってしまう阿漕なマネ。それは、自己保身であったり既得権益の確保であったりするのでしょうが、主観的にはどこまでも普通で、善良で、常識的な人達は、己の醜さには気づかない。そういう事なんでしょうね

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